April 03, 2017

新学期に寄せて。

ここ数か月、「戦争」ということについて漠然と考えています。というか、いまの日本の政治が、どうしてこんな風になってしまったのか、なっているのか、自分なりに納得したい・納得しないと気持ち悪い、という想いがありました。

日本会議の存在とか、なんとなく「そうなのか」とは知ることはあれど、根本的に、愚かしい過去に逆戻りするような思想に惹かれるという心理そのものが理解できない。。。と思っていたところ、それに答えをくれるような本に出会いました。



「なんで今まで出会ってなかったんだろう?」と思うようなビックネーム二人の書簡。アインシュタイン(当時53歳)の「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるか?」という問いに対して、フロイト(当時76歳)が答える、というシンプルな構図。

その、アインシュタインの書簡の中に、いまの日本政府(あるいは世界の右傾化)の行動原理を「なるほど」と思わせてくれる箇所がありました。




ある意味、異様にも見えるいまの政治の世界だけれど、人類の営みとしてある程度予測され得る事態であるならば、それに必要以上に振り回される必要はなく、自分が目指すべき点を目指し続けていればいいんだ、と思うことができました。

そして、この本の主題でもあるアインシュタインが投げかけた「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるか?」という問いに、フロイトは「YES」と答えます。そして、そのためには「すべての人が体と心の奥底から戦争を拒絶する平和主義者になる」ことが必要で、そのためには「文化の発展」が必要であるとのこと。



文化とはなにか、ということを言葉にしはじめるとこれまた際限がなくなるけれど、『この世界の片隅に』が大ヒットする日本の状況は、わりと「文化的」なのではないか、と思ったりします。そしてさらに、『ひとはなぜ戦争をするのか』に収録されている斉藤環さんの解説には、「私たちは世界史レベルで見ても最高度に文化的な平和憲法を戴いている」「この美しい憲法において先取りされた文化レベルにゆっくりと追いついていくことが、これからも私たちの課題であり続ける」と書いてありました。



そうして改めて日本国憲法を読み返してみると、特に前文、"平和"や"人権"を考える上で、こんなにも取りこぼしのない名文はないのではないか、と思います。

私が特に「すごいなぁ」と思うのは、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という一文。日本国民だけではなく「全世界の国民」を対象にしていること、「恐怖と欠乏」という二つの熟語だけで、戦争・紛争、テロといった暴力のみならず、貧困とそこから生じる教育の欠如、文化的な生活・思想の自由などや、果ては環境問題や原発の問題など個別の案件を含めて、考え得るすべての「生存権が害されこと」に対する答えの指針が現されている。単に「戦争を放棄する」ということ以上の"平和"の本質がここに集約されている、と思いました。




震災後の社会の状況、個人的な迷いの中で、ブログを書く日が減ってしまっていましたが、これから少しずつ、書く機会を増やしていきたいと思います。「人はパンのみにて生きるにあらず」。私にとって、書くことは生きること。書くことの中に「恐怖と欠乏のない平和な世界」を見出し、その平和の内に生き続ける。書くことを通して、平和に生きる力を取り戻していきたいです。

2017年の新年度、よい春になりますように。 


noahs_cafe at 14:54|Permalink*上高田日記 
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