August 17, 2025
2025夏☀️
先月の参議院選挙目指して、6月くらいから文章を書き始めていたのですが、全然まとまらず、今日まで寝かせてしまいました。結局まとまらないままですが、アップしないと、ずるずると遠ざかってしまいそうなので、更新します。
コロナで緊急事態宣言で家に篭り始めた頃から、この4月まで、ずいぶんと長い時間をかけて、英会話のレッスンの宿題で『アンネの日記』を読みました。
日本語翻訳を何歳のころに読んだのか、なんだか全然覚えが無いのですが、改めて読むと、アンネのフェミニズム的な考え方や前向きな思考、自然に安らぎを見出すところなど、小さい頃の自分は、ずいぶんとアンネに影響を受けたのだなと思いました。先日オランダに旅行をしてきた友人がアンネが暮した隠れ家を訪れ、“アンネは私の友人の1人であり、妹なんだと思った“と感想を述べていて、あぁ私にとっても、アンネは友人であり、姉であると思いました。
こうした共感や人類愛が大事だと思う一方、“同じ人間である”ということに何の意味も感じない人間もいる…ということを日々目の当たりにしている今、この世で“社会”を成り立たせていくためには、ルール・仕組みが必要、そしてその根源である意識(思想・理念)が大切であることを思い、8月15日には改めて憲法を読み返しました。
今年の6月、推しが兵役を終えて社会に戻ってきて嬉しさを感じながらも、ガザの状況が酷すぎて、ちょっと鬱々としてしまい、『言葉を失ったあとで』という本を読みました。
DV加害者の更生プログラムについて書かれているのですが、個人の暴力性を抑えるプロセスを知ることは、国家単位の暴力を考えることの一助となりました。暴力を振るう側に言い分があったとしても、プログラムにおいてはまず暴力に対する“Zero tolerance(不寛容)”の徹底が必要とのことで、改めて憲法9条の力や「差別を許さない」という言葉の重みを感じました。
そういえば、先日カンボジアとタイの戦争がありましたが、その間もバンコク(の芸能界)は、開戦が報じられた日の夜にほんのいっとき自粛モードがあっただけで、翌日からは驚くほどの通常運転で、在住や渡泰中の友人知人にも特に変化はなく、「自国で戦争が起きていても、こんな感じなの!?」とビックリでした。
一方、市民の間ではSNS上でナショナリズムが高まったり、危うい空気もあった(ある)ようです。我が身に置き換え、どんな状況になろうとも、戦いに与しない強さを身につけておかなければ…と思いました。その時期に参加した『はじめてのタイ文学2025』に関するイベントでは、タイの作家の方が「タイにはナショナリズムという幽霊がたくさん漂っていて、何かきっかけがあるとすぐに息を吹き返してしまう。常日頃から除霊しておかないと」という例えを話されていました。
タイ沼歴も5年目となり、タイの近現代史について学ぶ機会も増えてきて、“日本人”として知っておかなければいけないことの範囲が広がり、途方に暮れることもありますが、そうして学び続けることも“除霊”の一つなのでしょう。

常日頃、大江健三郎の本にあった「想像力の射程を伸ばす」という言葉を頭の片隅に置いていますが、射程を伸ばすというのは、範囲を広げていくということだけでなく、より細かく世界を知っていくということでもあるのだな…など最近は思っています。




