慈晴院雄道日光


またまたおサボりをしておりました。
昨年の8ヶ月放置よりはマシだと個人的には思うんですが、
拙ブログをご贔屓にしていただいてる方にとってはたまったもんじゃないでしょうね。
ここに来るたび「また更新されてないじゃん。ムダ足だった」の繰り返し。
私としては謝るしかないのですが、そういう方にはRSSの利用をおすすめします。
よく閲覧しているサイトの更新があれば、そのURLが配信されてくるという仕組みです。
最初のリリースが15年近く前だから「もう知ってるよ」とツッコミが入って当然だけど、
いつ書き込まれるかわからない私のブログにとっては特に必要なwebサービスでしょう。





さて、この日にどうしても文章を書き流したくてブログを再開しました。
世間はサッカー一色ですが、今日は三沢光晴が亡くなった日。5周忌になります。
彼は2009年6月13日に広島県立総合体育館で行われたGHCタッグ選手権において、
齋藤彰俊の急角度バックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥りました。
リング上で救急蘇生措置が施された後、救急車で広島大学病院に搬送されましたが、
午後10時10分に死亡が確認されました。肉親が死んでも泣かない私も涙を流しました。
これを『四天王プロレスの帰着点』として蓄積したダメージによって引き起こされたもの、
ととらえる人もいるようですが、これは憶測に過ぎないと私は考えます。
あのバックドロップ自体は危険なものではなく受け身もとれていたとの証言もあり、
体調が万全でなかったゆえの事故死、ととらえるべきだと思います。
ただ『不透明な要素を排除して相手の技を極限まで受けきる』という四天王スタイルは、
どうしたって体にダメージがたまります。四天王で残っているレスラーはほぼ皆無です。
(川田利明は正式に引退していないが、居酒屋経営と病院通いで4年間休業状態)
経営者でありながら現役というのは本当に難しいのに、三沢は両立させようとしていた。
その厳しさは想像を絶するものであったはずで、それこそ私の憶測に過ぎません。
四天王プロレスのDNAを持つ秋山準が全日本プロレスの運営の中心になりますが、
三沢光晴の悲劇を繰り返さないよう気をつけてがんばっていただきたいですね。





そして、もう一つ。

球団消滅の当事者が語る“球界再編10年”

(スポーツナビ)

あの忌まわしい『10球団・1リーグ構想』が明るみに出て10年。
自民党は経済活性のためにさらにプロ野球の球団を増やす案をブチ上げましたが、
昔は球団を減らす構想が大手を振ってまかり通っていたのです。
どちらもその中心にいるのはナベツネこと渡邉恒雄読売新聞社主筆・読売巨人軍会長。
いつ死ぬかわからないナベツネ(88歳)がいまだに力を持っているのは腹が立ちますね。
三沢の死によってプロレスがあらためて考え直されたように、ナベツネの死によって…
以上、部屋の中が蒸し風呂のようになってもクーラーをつけないおっさんの妄言でした。


ありがとうございます ありがとうございます ありがとうございます
ただ貼り付けているだけなので、押す必要はありません


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