肺がんステント手術日記(その6 終わり)

2011/05/31(火)内視鏡検査
明け方3:00に咳で眼を覚まし、ナースボタンを押し、ネブライザーを頼む。
その後、トイレに行き、おしっこの量をメモ用紙に記入、眼を閉じましたが寝付けません。
看護師が体調調査に来るのを、ベッドに起きて待ちます。体温35.7C。極めて正常だと言うのに・・・
朝食 ソフトパン、マーガリン・ジャム、ホタテスープ、牛乳…
点滴にかえて抗生剤を朝食後の服用する。
痰を出す薬の吸引、ネブライザーをする。

S先生の巡回に体調の不調を訴えるも、その日の調子次第と言われてなんとなく納得してしまいます。

10:00 車椅子で出かけてシャンプー。
ベッドの戻り、再び痰を出す薬を吸引、ネブライザーをする。

内視鏡検査はステントが目的の場所に留置できたかどうかを目視確認するため行います。
内視鏡検査のため昼食は抜き。

13:45 ワイフ到着
14:00 内視鏡検査室へ。内視鏡検査は別の病棟にあるため、車椅子で移動。途中咳や痰がでたときの事を考えッティッシュボックスを一個抱えて出発。
15:30 内視鏡検査開始。外来患者が直前に入ったとかで、待ち時間が長くなる。
今日も女医の卵さんたちが大勢押しかけているいるようですが、静かです。
15:55 検査終了。なぜか、昨日と同じように胸部レントゲン撮影。
個室へ戻り、酸素吸入を通常の倍 2L/分に設定。

17:00 看護師が痰を出すネブライザーをしに来る。
まだ、喉の麻酔が切れていないと言うのに、看護師同士の連絡がおかしい、下手すると医療事故につながりそうです。

18:00 看護師さんの体調記録で巡回
吸入酸素を1L/分に戻す。
体温 37.2C
血中酸素濃度 98
喉の麻酔切れ確認のため水を一口飲むように看護師さん。
「オイシー」と大げさに演技する自分が異常だ。

18:30 夕食到着
夕食のメインは豚肉のソテー、茄子の味噌炒め・・・ところがどれにもピーマンとインゲンを混ぜて量をアップいる。
いつからか唐辛子という立派な名前を捨てたピーマン、辛くないピーマンには魅力がない、あの葉唐辛子漬けが懐かしい。
いんげん豆にいたっては、豆の存在感が小さすぎて、豆と名乗るなんておこがましいにも程がある。
ピーマンとインゲンを退けてたべて、結局は夕食を半分以上残し、あとから考えてみれば食欲減退の最初でした。

20:00 吸入器回収
看護師が痰薬の吸入に使っている吸入器を回収したいと来る。
日中使用した機械は消毒するため別部署の部屋へ運ぶのだという。
就寝直前に使う予定をかえて、吸入をする。
明日の朝までゆっくり眠れるか?睡眠薬を飲んで眼を閉じました。

2011/06/01(水)退院日決定
昨夜は23:00 痰薬吸入、02:00 痰薬吸入とアイスノン交換。
05:45 目覚めが爽快、小水300mlをメモ。
07:00 いつもS先生の後ろに付いて巡回えいた美人先生が今日から別部門で研修することになったとわざわざ挨拶にお見えになりました。
08:00 朝食 ソフトパン2個、マーガリン・ジャム、ウィンナソテー、白菜あえ、牛乳 完食です。
08:35 S先生巡回
昨夜の状況を報告、とりあえず退院は6/8土曜日を予定しました。

10:25 全身清拭
11:45 痰薬吸入
12:05 昼食 五目うどん、こんにゃくピリ辛煮、レタスサラダ、オレンジ、ほうじ茶
13:30 痰薬吸引、
14:00 体温36.7C、アイスノン氷枕交換

15:30 K先生巡回 
肺の機能が落ちており、今後とも酸素吸入が必要。
退院後は酸素圧縮装置を家庭に設置が必要とのことで、装置メーカーのテイジンの斡旋を依頼。
15:40 足湯
16:00 ワイフ訪問 酸素装置について説明。
16:30 痰薬吸引
17:30 夕食をワイフに監視されながらの夕食もまずくなるので帰宅を促す。
18:00 夕食 米飯、中華スープ、伴三糸、小松菜おひたし、ほうじ茶・・・おひたしをおかずに一口食べ、ほとんどを残す。
21:30 就寝 氷枕アイスノンを新しくし、痰薬吸引し、眠り薬を飲み、万全の体制完備。じっと眼を閉じ眠りの訪れを待つ。

2011/06/02(木)マイ酸素ボンベ届く
昨夜は2回目覚め、痰薬を2回吸引。
一晩熟睡することは無理そう。
退院が明日に迫り、午後テイジンが帰宅用に酸素ボンベ一式を持って来ました。
外観はショッピングカートそのもので、中にサントリーのオールドのような形の酸素ボンベが取り付けてあります。
ボンベ1個で8時間は外出できるとのこと、また長期旅行などでは旅行先に届けることもできるとか、国内シェアNo.1の余裕を見せてます。
でも、ボンベの交換の説明を聞きながら・・・毎回マニュアルを確認しないと覚えられそうもないと心配です。
退院後使う、吸引用薬のおおきく嵩張ってすこし驚きました。

2011/06/03(金)
自宅酸素吸入用の機械が設置されたと連絡がありました。これでいつでも退院ができます。

2011/06/03(土)
看護師さんたちに祝福されて退院です。 
ショッピングセンターを中心に賑わうストリート、緑が深い山林など久しぶりに見る風景に感動です。


退院後の生活
 退院直後は細くなった足をもとに戻そうと、散歩をこころがけたのですが、熱射病が怖いとか、雨が不rそうだとか言って、ベッドで休む安直な生活を続け、挙句の果てに転んで足腰を痛め・・・
ブログを続けることが難しくなりました。
申し訳ありませんが、本日をもってこのブログを閉じたいと思います。

なお、沢山のコメントを頂きましたが、一つ一つにご返事もできず誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。



nob11nob11  at 18:23  | コメント(7)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

肺がんステント手術日記(その5)


2011/05/25(水)入院病棟へ移動

痰がトマトジュースのような色をしています。
痰はどんどん出したほうが良いと言われてますが、それでも真っ赤な色になると気味が悪くなります。
看護婦さんに起こされ、体温・血圧・血中酸素を測定、いつもと同じ数値です。
採血もされますが、看護婦さんは新米らしく2回も針を刺されます。
しばらくして、女医先生が表れ、今度は下肢の動脈から採血。
07:50 S先生が「今日中に入院病棟に移動します」と告げられました。
08:00 食事
09:00 いつものように身体を熱いタオルで拭いてもらました。
そのあと、居間までの手術着から自前のパジャマに着替えました。
胸部X線の撮影後、別のベッドに移され、入院病棟への引越しです。

新しい部屋に入ってビックリです。
病室と言いながら、窓がありません。周囲は真っ白な壁だけ。
絵が一枚飾ってありますが、これが寂しい。中央に真っ赤な丸い夕日、あかね色の空を渡り鳥が波打って横切り、下は暗い水色の川が流れています。
これって霊安室、死亡した患者を収容する部屋にしてもおかしくない感じです。あとから知ったのですが、このような部屋はナースセンターの一番近くに3室あり、手術を終えたばかりの患者を収容し、重症室と呼んでいるそうです。

そんな私の気持ちなどに関係なく、看護婦産たちは集中治療室から運んできた私の荷物を手早くセットし、ベッドを整理していきます。
病院食を担当しているという栄養士さんが挨拶に来ました。
ベッドサイトのテレビから食事の変更ができると説明。
とりあえず、朝食はパン、昼食は麺類、夕食はおかゆに変更してもらいました。

民間テレビを見るのは有料になります。
新しく作ってもらった、ID カードはスイカのように料金をチャージできます。
これで、冷蔵庫やテレビを使えるようになりました。

とにかく個室になったので、咳や痰はまわりに気兼ねなく、できるのはたすかります。
しかし、微熱が続きアイスノンを看護婦さんが持ってきました。体温は37.7度。喉の奥でジュルジュルと痰の絡む音が消えることがなく、夜をうつらうつら過ごします。



2011/05/26(木)重症室
微熱は37.5度までさがり、解熱の座薬は免れました。
痰がからむジュルジュル音は消えましたが、それでも呼吸するたびに喉がゼーゼー鳴ります。
朝、見回りの先生が明日のCT検査の結果で、次の土曜日か月曜日には退院できると話してくれました。
久しぶりにシャンプーし気分が爽やかになりました。
咳が痰で呼吸が苦しく、上半身を立てると、いくらかやわらぎます。
ベッドの角度を工夫しながら、ぼんやりテレビを見、ときどきネブライザーの生活です。

2011/05/27(金)重症室
一晩中うつらうつらし、眠れていないような感じで、明け方の3時、ナースボタンを押し、痰の薬を吸引し、ついでにトイレに行く。
その後も眠れないまま、6時を待ち、テレビを付け、電池シェーバーでヒゲを剃る。
8:55 S先生が訪れ、酸素マスクを口・鼻を覆う酸素マスクから、牛の鼻輪式カニューラに変更する。
ステントの位置を確認するため内視鏡で検査するとのこと、承諾書にサイン。

  11:50 CT撮影
  14:00 CTの結果がよかったのか、身動きが自由になりました。

左腕にさしてある、点滴の針が抜かれました。胸に貼ってある心拍計が外されました。
足先に指に貼ってある血中酸素計も。
残るのは酸素吸入用のカニューラのみです。
看護婦さんがもうこれで自由に歩き回れますよと言うのですが・・・
固くなった頭では、酸素の吸入はどう止めるのか分からないでいると・・・・
バカですね。カニューラを外せば良いのに、気が付きませんでした。
とにかく、初めてリードを外された犬のようで、ベッドの周りをうろうろするぐらいです。

  16:20
S先生「CT検査の結果は良好。しかし血中酸素濃度が88(正常値95以上)まで下がり、酸素療法が必要になる」

点滴がなくなった分、新しく抗生剤クラビット錠500mgを食後呑む。
熱が37.7度以上あり、氷枕を用意して貰いましたが、なかなか寝付かれません。
咳をしても3回に1回は空咳ですが、黄色い痰、赤っぽい痰が次々出て、ティッシュペーパー320枚入ボックスを一晩で使いきってしまう勢いです。
ベッドに括り付けたティッシュペーパー用のゴミ袋も一晩でいっぱいになってしまいます。

2011/05/28(土)大部屋へ移動
眠れないまま一夜を過ごし、看護婦さんに相談すると睡眠薬を準備しておきますとのこと。
K先生にうかがうと、肺の中に異物を吐き出そうとする人体の自然の動きなので、ステントが身体になじむまでもうしばらく我慢が必要と言うことです。
11:30 突然、一般病棟の大部屋へ移動すると言われました。
重症室を出るということは、容態がよくなったことを意味しますが、少しも実感がわきません。
4人部屋の見晴らしの良い窓際に運ばれました。
大部屋になるとテレビの音声はイヤホンを使わなくていかません。あわててワイフにイヤホンを持ってくるように頼みました。
ワイフは夜中に部屋中に響くような大きな咳で同室の患者に迷惑をかけると理由で個室を希望していたのに・・・
ワイフは駆けつけて来て、事務室へ文句に言いに言ってます。
しばらして「個室は満員なので、退院患者が出るまで待たなければいけないと言われた」と戻ってきました。

夜、看護婦産に頼んで睡眠薬「アモバン錠7.5mg」を貰ういました。
翌朝、ベッドに括りつっけたゴミ袋は寝る前と同じ状態でした。どうやら痰を出すことなく一夜を過ごしたようです。

2011/05/29(日)大部屋の一日
睡眠薬がよく効いたのか、目覚めが爽やかです。
日曜日なのにS先生が11時頃巡回でいらっしゃいました。
酸素ボンベを退院後も使うようになんるのかと心配して聞くと酸素の血中濃度が94以下だと酸素ボンベが必要になると言われました。
久しぶりに競馬番組を見る。
オルフェーブルが圧倒的な強さを見せ、ダービーを制覇。スター誕生!!
今日も睡眠薬を信じて飲み、固く眼を閉じました。

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肺がんステント手術日記(その4)

2011/05/24(火)気管支鏡下ステント留置手術

がん細胞が壊疽して気管支を圧迫し呼吸困難をもたらしている気管支部位にステントと呼ばれるメッシュ状のチューブを埋込手術の日となりました。
8:45 主治医のS先生が訪れ、「いよいよ今日ですね」という笑顔に癒されます。
13:00 気管支鏡室に入室し、手術用防水カバー着せられ、点滴を受ける。
14:00 気管支鏡手術室に入室。
気管支の麻酔を受けていると、看護婦さんが「うるさくてしてご免ね、今日は医大生の見学日なんです」とささやきました。
見ると、部屋の奥に5~6人の女医の卵たちが所在無げにたむろしています。
手術台に登ると、女医の卵たちは一斉に奥の部屋のモニターに群がってます。
目隠しをされ、マウスピースから内視鏡が喉の中を通るのを感じます。
「ここが◯◯」と気管支の部位名を女医の卵たちに説明する声が響きます。
「ステントは記憶形状合金を使っており、気管支を徐々に広げることができます・・・ここでは呼気が完全に止まってます」
内視鏡の動きについていけなく、痛いと叫びたくても声が出ません。身体全体を使ってもがき回るのです。
突然すべてが暗くなりました。

気が付くと集中治療室の天井が見えます。
あたりをうかがうとワイフの姿が見えません。一瞬、自分が見捨てられ、あの世送りになったのかと感じました。
後から聞いた妻の話では4時頃集中治療室に戻って来たそうです。
看護師さんが「痰を出して!痰を出して!」と大声で呼びかけてますが、私は全然反応しなかったとか。
看護師さんはそこでチューブを口に挿し込むと、しばらくして痰がだらだらと止めどなく出てき、私はグーグーと大鼾をかいて、気持よさそうに眠ってしまったというのです。
これなら、大丈夫と安心して帰宅したとのことです。

咳き込む私に気づいて看護師さんがネブライザーを用意した。
夜半、喉の奥が、ヒリヒリ一点集中で痛み出しました。
看護師さんに頼み、ネブライザーをしたのですが。いつもなら咳が軽く出て、痰も出るのですが、今回は様子が違います。
痰どころが、内蔵全部を吐き出したい感じで、慌てて嘔吐用の受け皿を貰いました。
しかし、吐こうとしても何も出てきません。黄色いっぽい痰に似たものが少し。
看護婦さんに背中をさすって貰いながら深呼吸を繰り返します。
2時間近くも看護婦さんのお世話になり、それでもウトウトしたのか、周囲が明るくなって朝を迎えたことを感じました。

nob11nob11  at 17:46  | コメント(1)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 闘病記  

肺がんステント手術日記(その3)

2011/05/1集中治療室ICUの生活(2011/05/19〜2011/05/23)

2011/05/19(木)
ステント手術は5月24日に行うことになり、それまでICU集中管理室で過ごすことになりました。
目覚めるとそこは、昨日と見た天井と模様、そして思うように身動きができません。
鼻と口を覆う酸素マスク、左腕に点滴の針、胸には心拍計、足の指には血中酸素を測るセンサーがつけられてます。
いつの間にかパジャマがわりに手術服に着替ています。
今日、担当の看護師さんが挨拶に来て、全身を温かい濡れタオルで拭いてくれます。
陰部は自分で拭きなさいとカーテンを閉めて外で待ってくれます。でも、おしっこは尿瓶をあてられ、なんともプライドが傷つきます。

昼食におかゆがでました。
昨日の朝飯以来、はじめての口にする食事ですが、食欲がなく、なぜかふりかけの代用についてきた舘山寺味噌がおいしく感じました。
そのあと、左手の窓からはマンションと森の木立がよく見える場所へベッドを移動して貰いました。

相変わらず咳が出、痰もよく出ます。
ビソルボン(痰を出しやすくする)とメプチン(気管支を広げる)を霧状にして吸入します。朝食前、午前、午後、就寝前、の4回に加え、真夜中咳が止まらないときに吸入します。
ティッシュペーパーに吐き出した痰を捨てやすいように、ビニール袋をベッドにくくりつけました。

2011/05/20(金)
酸素吸入は鼻と口を覆うマスク式から、牛の鼻輪のようにチューブを鼻孔に差し込むカニューラに変わりました。
車椅子での移動も許されました。
車椅子の準備が大変です。酸素ボンベの準備、さらに胸や足に貼ってあるセンサーを外すなど・・・・
とにかくトイレを使えるようになって、あの屈辱的な尿瓶を考えると天国と地獄の差があります。もっとも、毎回尿の量を看護婦さんがチェックして記録してます。
今日、最大の喜びはICUを出て、入院病棟まで遠出し、シャンプーしてもらったことです。

2011/05/21(土)
一点集中で喉の奥がヒリヒリ乾いているような感じ痛みます。
そんなことで夜はうつらうつら、想像力がないのか、いつも同じ夢を見続け、熟睡したという感じが残りません。
外界との接触と言えば洗濯した下着を届けに来るワイフとの会話のほかは、看護婦さんが置いてくれた枕元のラジオだけです。
AM放送は雑音だらけで全く聞けません。FM放送は聞けるのですが、聞きたい番組がありません。
何よりも、音がスピーカーから出るので、他の患者さんの迷惑になりそうです。そんなことで、日中もうつらうつら過ごすだけなんの楽しみもありません。
ひたすら咳をし、痰を出し、ゼイゼイ呼吸するだけの生活です。

2011/05/22(日)
食欲だけは不思議に落ちません。今日のメニューを記録しました。
朝食
米飯・ガンモ・大根細切り・味噌汁・ふりかけ・牛乳
昼食
米飯・チンジャオロース・中華スープ・花野菜サラダ・メロン・ほうじ茶
夕食
米飯・鮭のソース煮・チンゲン菜炒め・金時豆・トマト甘酢和え・ほうじ茶

2011/05/23(月)手術前日
昨夜は12頃から3時まで呼吸困難のため眠れません。
看護婦さんに背中をさすって貰いながらのネブライザーがきいたのか目覚めると6時近くなってます。
看護婦さんがいつもの体温・血圧の測定のほか、手術の準備なのか、採血もされました。
8:40 主治医のS先生が訪れ、昨夜良く眠れなかったことを訴えると「痰さえからまなくなり、調子が戻りますよ」と励まされました。
9:30 胸部レントゲン撮影。若い技師が、ベッドに寝たままの私の背中の下に撮影板を置き、真上から十文字のついたカメラのような形の機械がカシャッと音を出し撮影がおわったようです。
10:00 身体を拭いてもらう
12:00 昼食。
5:30 S先生が訪れ明日の手術開始は午後2時に決定、家族に連絡するよういわれました。
6:00 いつもは夕食が出る時間ですが、今日は明日の手術に備え欠食。
咳や痰になやみその都度、ネブライザーと看護婦さんのお世話になってます。

nob11nob11  at 15:34  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 闘病記  

肺がんステント手術日記(その2)

緊急入院
2011/05/18(水) 緊急入院
体調が思わしくありません。来週の月曜日にはがんセンター中央病院の予約がある ので、それまで少しの辛抱と我慢しています。
午前10時頃いつものように、ワイフに散歩に行こうと声をかけようとしたのですが、声が出ません。
そればかりでなく気管支が縮んで呼吸ができません。多分パクパク口を広げている陸上の魚のように跳ねていたのでは想像します。
ワイフが驚いて声をかけますが返事ができません。119番と言うのがやっと・・・

気がつけば、救急隊員が妻に指示しています。「かかりつけの病院は?健康保険証、常用薬は持ってきましたか・・・」
救急隊員と病院との電話のやりとりがきこえます。
相手はがんセンター中央病院の主治医 I 先生らしい。Y医療センターのS先生に連絡するので、そちらで対応するように指示しています。

Y医療センターに到着し、救急患者用病室で点滴と血液検査・・・
医療行為らしきことは全然行わず、時々生年月日や名前を聞いて、意識がしっかりしているかを確認するだけです。

気管支狭窄の診断
午後2時ごろ、ようやくS 先生が到着、私の胸に聴診器をあてるなり、「気管支狭窄」と判断、直ぐに気管支鏡で確認することになりました。
集中治療室に移動するとすでにファイバースコープが準備されてます。
麻酔薬の入ったチューブを喉の奥へ挿し込み、コンプレッサーで送り出すと、いうちょっと荒っぽい手順で気管支を麻酔します。内視鏡なれした患者にとってはむしろ手っ取り早くて楽です。
内視鏡の具合がわるいのか、オンラインで写真撮影できないとかで、先生の声に合わせて他の人がシャッターを押してます。

内視鏡の麻酔が醒めた頃に先生が病状を説明をききました。


診断:左右気管支癌、縦隔リンパ節転移、左右気管支狭窄

stent

説明内容:
気管支鏡検査を行ったところ、左肺の最も太い気管支(主気管支といいます)と右肺中葉と右肺下葉に行く気管支(中間気管支幹ともいいます)が狭くなってます(狭窄といいます)。
その理由は癌が気管支にできていましたが、それが放射線治療などにより腐って(壊死といいます)盛り上がった状態になっているためです。その先の気管支は 開いているため、狭くなった気管支を広げる処置が有効ではないかと思います。広げるためにはステントという細いチューブを気管支鏡で挿入します。それがう まくいけば空気の通りが改善し、呼吸が楽になることが期待できます。
この治療の危険性は比較的時間がかかること、その間に呼吸状態が悪化する可能性があること、主要の部分から出血の危険性があること、窒息を起こす危険性があることなどです。

ステント手術は5/24(火)に行うことになりました。それまではICUで過ごすことになりました。


nob11nob11  at 15:53  | コメント(2)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 闘病記  

肺がんステント手術日記(その1)

ステント手術の退院から1ヶ月が経ちました。

なんとなく始めたブログなので、なんとなく終わらせても良いのですが・・・
ブログを続けるだけの体力を消耗してしてしまった顛末だけでもご報告しておきたいと思います。


肺がんの発見

2009/09/01 人間ドック再診
人間ドックで「喀痰細胞診異常、肺機能低下、尿潜血陽性」と言われ、 Y医療センター宛、精密検査の紹介状を貰いました。

2009/10/01 Y医療センターを訪問。
CT検査、MRI検査、気管支鏡検査の結果、両側の肺に扁平上皮がんが3箇あると、S先生より次の通り告げられました。
  1. 右上葉B3気管支入り口
  2. 右下葉B7気管支入り口
  3. 左上葉舌区域気管支入り口
いずれも気管支粘膜から盛り上がるように存在し、気管支の壁の外側までガンは進行していないと推定。
肺がんの進行状態は初期のA(5年 生存率 85%)…
単細胞な自分は養生すれば5年も生きられると考えたのですが、これは甘かったようです。
腫瘍が3箇所もあるのだから3で割れば・・・残り1年8ヶ月の寿命と考えるべきでした。(^_^;)


気管支鏡下レーザー治療
(Y医療センター)

最初に受けた治療は副作用が最も少ないレーザー治療です。
これは気管支鏡(ファイバースコープ)を口から入れ、患部をレーザーで焼く方法です。
気管支に麻酔するので、治療を受けたその日だけ一泊入院しました。
治療は右下葉B7気管支入り口患部、合計3回(2009/12/15、12/22、2010/1/5)行いました。
しかし、患部の一部はレーザーの届かない場所にあり、完全に焼き切れず、後日放射線治療が必要と言われました。


胸腔鏡下右上葉切除手術(Y医療センター)
右上葉のガンは気管支の一部を閉塞しており、摘出手術をしました。
  1. 2010/01/30 入院
  2. 2010/02/01 右上葉摘出手術
  3. 2010/02/06 退院
  4. 2010/02/12 抜糸
手術は右脇に穴をあけ、胸腔鏡を見ながら、右上葉肺を切り取るというものです。
手術後鏡に映し、手術の傷跡を確認しましたが、右脇に小さな丸い傷が3箇所だけ、痛みも感じませんでした。


気管支腔内放射線照射治療
(がんセンター中央病院)

右上葉肺を切り取ったので残るガンは右下葉肺(レーザー治療未処理部)と左上葉肺の治療です。
副作用が最も小さい気管支腔内放射線治療を受けました。
気管支鏡で覗きながら、放射線を出す小さなピンを患部に数秒間挿入留置し、がん細胞を焼く治療です。
この近くで治療できる設備があるのは国立がんセンター中央病院のみとのことで、紹介状を書いてもらいました。
治療は4/15、4/16、4/20、4/22、4/23、4/26、4/27の計7回、日帰り通院で行いました。
翌5月から咳が出始め、咳止め薬(リン酸コデイン)を処方してもらいました。
でも、当時は体力を消耗する咳はなく、あまり気にしていませんでした。


リンパ節転移の発見

Y医療センターで千葉市内の山王病院でのPET検査を勧められました。
PET検査(ポジトロン断層撮影)はCT複合撮影により、癌の的確な病状を調べられる最新技術とのことです。
2010/08/19 PET検査実施 検査結果を記録したCDを受け取りました。
2010/08/31 Y医療センターへCDを持ち込み
Y医療センターで検査結果を聞き、愕然としました。
今までの治療の甲斐もなく、左肺はがん細胞が奥深く潜在、そして新たにリンパ節に転移していると言うのです。
あらためて放射線治療のの紹介状を書いてもらい、がんセンター中央病院へ行きました。



放射線治療(がんセンター中央病院)

2010/08/14 採尿、静脈・動脈の採血のあと、シミュレーションCTをして胸の放射線照査位置に十字のマークをマジックインキで描きました。
実際の治療は9/17〜11/4までの土日祭日を除く60回、合計60グレイの照射を受けました。
治療後、次の薬を処方されました。
  1. ブレドニゾロン錠 (アレルギーを抑える薬)
  2. ガスター錠 (胃炎の状況を軽くする薬)
  3. ホクナリンテープ (気管支を広げ呼吸を楽にする薬)
  4. ムコソルバン錠 (痰のキレを良くする薬)
  5. クラリシッド錠 (細菌の感染を抑える薬)

12月に入ってからは咳がますますひどくなり、買い物で外出するだけで、喘息のように喉がゼーゼー鳴り出しました。
血痰が出たり、電話をかけている最中に声が出なくなる状況になりました。



吸入器(ネブライザー)のレンタル


2011/02/21 がんセンターで先生は聴診器を聞いただけで、次の薬を処方しました。
  1. ビソルボン吸入液(痰を出しやすくする吸入液)
この薬は霧状にして口から肺の奥まで吸い込むための機械、吸入器(ネブライザー)が必要です。

2011/02/22
がんセンターの紹介された医療機器レンタル会社フランスベットに電話をすると速いものです
ネブライザーCOMFORT2000-KU400を午後には持ち込んで設置完了です。
早速試すと痰は出やすくなりましたが、咳が前よりも多く出るような気がしました。
Y医療センターの先生にもネブライザーのことをたずねたのですが、同じようにネブライザーを続けるように言われました。

体力の低下をそれでも楽観視して・・・
喉をゼーゼー鳴らしながら呼吸し、時々血痰が混じるのも内視鏡検査で気管支を傷めたものと考え
3月・4月を過ごしました。



緊急入院前日(2011/05/16)

外出が極端に少なくなったと感じて、ワイフに散歩に誘う。
「近くのMストアへ行こう」
「その様子じゃ無理、◯◯公園へ行こう」
◯◯公園は毎年夏祭り会場になり、歩いて2分もかからない場所にあります。
バカにするなと言いたいところですが、ワイフの後ろについてゼーゼー呼吸しながら歩くのがやっとです。
歩くとおならがブッブッと出ます。身体のシマリがなくなったと感じます。
公園のベンチにたどり着いて一息。
よちよち歩きの幼児を連れたお母さんたちが細長い公園を30分もかけて通り過ぎるのをぼんやり眺め、やっと息が整いました。
帰路、ブロック塀の壁に寄りかかるようにして休んでいるおばあさんを見かけました。
自分もあんなふうになってしまうのだろうか。自宅にたどり着くなり、畳にゴロンと横になり考えてしまいました。



nob11nob11  at 15:43  | コメント(1)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 闘病記  

酸素ボンベをおともに外出

酸素吸入チューブが牛の鼻輪のようでかっこ悪くて外出が嫌になりそうですが、とにかく電車に乗ってみようと冒険してみました。
外出は酸素ボンベをショッピングカートのような専用運搬車にのせ、酸素を吸入します。
いつもは何気なしに通っていた駅までの道が遠いと感じます。駅のエレベータのドアを開けて待っている人がいます。いつもなら小走りして乗るのですが、そんな急ぎ足をする気力もなく、先に行ってもらいました。
電車の中では牛の鼻輪スタイルに眼を向ける乗客など一人もいません。自意識過剰もいいところですね。
次の駅で降り、駅前のミスタードーナッツを覗くとテレビで宣伝中のヤキドがおいしそうです。
店に入り、いざ買おうとするとこれが難しい。酸素ボンベのカートを引きながら、ドーナッツを入れるトレイを持つとトングを持てません。まあなんとか買いましたけど。
帰りの改札口を通るのも大変です。ドーナッツの袋と酸素ボンベで両手がふさがり、ポケットの中のパスモを取り出せません。
今までなにげなくやっていた行動が難しく感じるなんて、これからもいろいろな発見がありそうな気がします。




nob11nob11  at 21:37  | コメント(8)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 日記 | 闘病記