Q.4 マスコミュニケーションとしてのテレビは、コンテンツ、ニュース、広告媒体として危機に直面することになったのはなぜか。
A まず、コミュニケーションという言葉に注目したい。21世紀からは「通信の時代」に突入したと言っても過言ではないと思われるが、そこでコミュニケーションの意味が大きく変わったのではないか。
テレビのようなマスコミは、通信としては非対称で、ほぼ一方通行である。かつてコミュニケーションとは、一方向ではあっても意思の伝達ができれば、それをそう呼ぶことにためらいはなかった。
しかし今、放送と通信は違うものであるという認識に立つと、通信によるコミュニケーションとは、双方向性を担保するものであるという考え方が主流になってきている。
テレビのネット進出の遅れは、日本は先進国の中でもっとも深刻である。その理由は、先進諸国の中で日本国民がもっともテレビへの依存度が高かったからである。日本のテレビはそこそこ面白いものを提供し続けていられたし、国民もまた、下らないものや幼稚なものであっても、その中に生まれる笑いにどん欲である。つまり、このままでもいいんじゃないかという自信が、ネット進出が遅れた最大の原因である。
特に、インターネットでの動画配信が可能になった時点で、テレビ側はインターネットを利用するのではなく、脅威と見なして排斥した。これが多くのネットユーザーからは根強い反感として残ることとなり、テレビのネット配信事業には批判的な体質が生まれる要因となった。PC用の番組配信事業は、誘導を失敗したと言える。
一方携帯を使ったテレビ動画配信事業は、PCに比べると上手く行っている。フジテレビの配信事業では、携帯向け配信がPC向けの3倍となっており、伸びしろとしてはPCよりも期待される。一方NHKオンデマンドの資料では、PC向けサービスとテレビ向けサービスはほぼ同等である。
かつてはコンテンツの性質と、対象とする年齢層のマッチングのみが重視されてきたが、今後はそれに加えてメディアの種類を合致させる必要があるようだ。
携帯サービスが上手く行っているもうひとつの理由は、携帯ユーザーが、かつてテレビがネットを敵視していた事実を知らない年代であるか、PCでのコミュニケーションを経験していない層が利用率を高めているからではないかと推測する。
広告ベースでの無料放送というビジネスモデルは、必ずしも破綻してはいない。しかし少なくとも、ナマでテレビを見ているかどうかしか測定しない、現在の視聴率の測定方法はすでに破綻している。興味のある大事な番組ほど、録画してゆっくり見るという行動が、すでに定着したからである。番組の価値は、被録画率を測定しなければ、意味がない時代に入ったことは間違いない。
ネット配信をきっかけとして、民放の横並び意識は少しずつ崩壊しつつある。今年もしくは来年、キー局のどれかが経営破綻するのではないかというシナリオは、決して夢や冗談ではなくなってきており、お手々繋いで仲良くやるより、どこかを蹴落としてそのパイをさらって生き残った方が賢明だと考え始めている。ヨーロッパでは経営破綻によって民放が停波した例もあるが、日本の場合はそこまで行く前に経営譲渡するだろう。
今後は録画を前提とした視聴率測定を行ない、番組作りや番組編成を行なう局が出てくれば、自体は急速に変化する可能性はある。しかしそれが行なわれないのは、50年間も同じ事を続けているだけで右肩上がりだった、特殊業界の革新性のなさにあると言わざるを得ない。
情報のプッシュ型、プル型という視点で考えてみるのも面白い。新聞やテレビのような旧マスメディアはプッシュ型であり、インターネットや携帯はプル型であると言われる。しかし情報とそれを見る人との関係で見ていくと、基本的に人は、自分の興味のあるものしか見ないものである。
例えば新聞さえも、隅々まで舐めるように読むという時代はとうに終わり、多くの人はすでに自分に興味のある記事しか拾い読みしていない。テレビは言うまでもなく、面白くなければ見ないか、チャンネルを変えることで、常に興味のあるものを探しているにすぎない。
そう考えると、人と情報との関係は、特に民主主義社会においては、常にブル型でしかあり得ないのではないだろうか。過去プッシュ型とされてきたメディアは、単に情報の伝達方法が散布型であっただけにしか過ぎず、プッシュ型だから広く伝達されるというのは幻想であり、単に伝送インフラがデカいかどうかだけの問題であったことがわかる。
インターネットも社会の基本インフラとして巨大化すれば、例えB2Pのプル型であっても、同規模の情報伝達性を持つことになる。
A まず、コミュニケーションという言葉に注目したい。21世紀からは「通信の時代」に突入したと言っても過言ではないと思われるが、そこでコミュニケーションの意味が大きく変わったのではないか。
テレビのようなマスコミは、通信としては非対称で、ほぼ一方通行である。かつてコミュニケーションとは、一方向ではあっても意思の伝達ができれば、それをそう呼ぶことにためらいはなかった。
しかし今、放送と通信は違うものであるという認識に立つと、通信によるコミュニケーションとは、双方向性を担保するものであるという考え方が主流になってきている。
テレビのネット進出の遅れは、日本は先進国の中でもっとも深刻である。その理由は、先進諸国の中で日本国民がもっともテレビへの依存度が高かったからである。日本のテレビはそこそこ面白いものを提供し続けていられたし、国民もまた、下らないものや幼稚なものであっても、その中に生まれる笑いにどん欲である。つまり、このままでもいいんじゃないかという自信が、ネット進出が遅れた最大の原因である。
特に、インターネットでの動画配信が可能になった時点で、テレビ側はインターネットを利用するのではなく、脅威と見なして排斥した。これが多くのネットユーザーからは根強い反感として残ることとなり、テレビのネット配信事業には批判的な体質が生まれる要因となった。PC用の番組配信事業は、誘導を失敗したと言える。
一方携帯を使ったテレビ動画配信事業は、PCに比べると上手く行っている。フジテレビの配信事業では、携帯向け配信がPC向けの3倍となっており、伸びしろとしてはPCよりも期待される。一方NHKオンデマンドの資料では、PC向けサービスとテレビ向けサービスはほぼ同等である。
かつてはコンテンツの性質と、対象とする年齢層のマッチングのみが重視されてきたが、今後はそれに加えてメディアの種類を合致させる必要があるようだ。
携帯サービスが上手く行っているもうひとつの理由は、携帯ユーザーが、かつてテレビがネットを敵視していた事実を知らない年代であるか、PCでのコミュニケーションを経験していない層が利用率を高めているからではないかと推測する。
広告ベースでの無料放送というビジネスモデルは、必ずしも破綻してはいない。しかし少なくとも、ナマでテレビを見ているかどうかしか測定しない、現在の視聴率の測定方法はすでに破綻している。興味のある大事な番組ほど、録画してゆっくり見るという行動が、すでに定着したからである。番組の価値は、被録画率を測定しなければ、意味がない時代に入ったことは間違いない。
ネット配信をきっかけとして、民放の横並び意識は少しずつ崩壊しつつある。今年もしくは来年、キー局のどれかが経営破綻するのではないかというシナリオは、決して夢や冗談ではなくなってきており、お手々繋いで仲良くやるより、どこかを蹴落としてそのパイをさらって生き残った方が賢明だと考え始めている。ヨーロッパでは経営破綻によって民放が停波した例もあるが、日本の場合はそこまで行く前に経営譲渡するだろう。
今後は録画を前提とした視聴率測定を行ない、番組作りや番組編成を行なう局が出てくれば、自体は急速に変化する可能性はある。しかしそれが行なわれないのは、50年間も同じ事を続けているだけで右肩上がりだった、特殊業界の革新性のなさにあると言わざるを得ない。
情報のプッシュ型、プル型という視点で考えてみるのも面白い。新聞やテレビのような旧マスメディアはプッシュ型であり、インターネットや携帯はプル型であると言われる。しかし情報とそれを見る人との関係で見ていくと、基本的に人は、自分の興味のあるものしか見ないものである。
例えば新聞さえも、隅々まで舐めるように読むという時代はとうに終わり、多くの人はすでに自分に興味のある記事しか拾い読みしていない。テレビは言うまでもなく、面白くなければ見ないか、チャンネルを変えることで、常に興味のあるものを探しているにすぎない。
そう考えると、人と情報との関係は、特に民主主義社会においては、常にブル型でしかあり得ないのではないだろうか。過去プッシュ型とされてきたメディアは、単に情報の伝達方法が散布型であっただけにしか過ぎず、プッシュ型だから広く伝達されるというのは幻想であり、単に伝送インフラがデカいかどうかだけの問題であったことがわかる。
インターネットも社会の基本インフラとして巨大化すれば、例えB2Pのプル型であっても、同規模の情報伝達性を持つことになる。

