昨日のまねきTV最高裁判決特番は、初めてのスタジオかつ借り物のマシンでのエンコードで、かつマシンの調子が今ひとつだったのでぶつ切れになってしまって申し訳ない。今回の反省を生かしてスタジオでも配信用マシンの変更などを考えているようなので、引き続きよろしくお願いいたします。

今回の最高裁判決、キモは「自動公衆送信」というものの法定義が改めて行なわれたことであろう。ヤバイ方向に。

というのも今回の判決文では、送信相手が1対1に限定されるなど著作権的にセキュアな対策が取られている機器においても、公衆回線の電気通信回線に接続されて、外からユーザーのリクエストに応じてデータを出せばそれは自動公衆送信だし、その装置も自動公衆送信装置である、と判断された。

ざっくり字面だけを見ればそう言えないこともないかもしれないが、その実態というか意味するところはものすごく広くなる。ネットに繋がったパソコンやサーバはもちろんのこと、ルーターまでその範囲に入る可能性がある。SeverManのようなアプリを入れればスマートフォンももちろん入る。じつはものすごく広い定義というか、ネットに繋がっている機器ほぼ全部が自動公衆送信装置であることになる。

そして判決では、「送信可能化」というのは、自動公衆送信するための準備をした段階を指すということになった。つまり実際に送信するかどうかは関係なく、送信できる準備をしただけで送信可能化権の侵害になり得るという。

そうなると困ることはいろいろ出てくる。たとえば文章や音楽、あるいは書類でもなんでもいいが、著作物制作の過程で業務として人の著作物をクラウドサービスにアップした段階で、共有設定とかしてなくても、送信可能化権云々の話が出てくることになる。

さて本日の放送後に小倉先生と雑談中に、面白い指摘を聞いた。自動公衆送信するための準備をしたのが誰なのかという論点で、本裁判ではテレビのアンテナ線をロケフリ親機に接続したまねきTVである、と指摘している。では接続しなくて勝手に電波受信したらどうなるのか。

たとえばワンセグチューナーを搭載した、ロケフリ的な機器はどうなのか。ワンセグチューナーはわざわざ線を接続しなくても、アンテナから勝手に受信する。誰も入力してない。それは送信可能化したという条件に入るのか。

まあはっきりいって、こうなるともう所詮水掛け論の域にである。そもそも今回争われている公衆送信権というのは、日本とオーストラリアでしか採用されていない考え方だ。正直ネットサービス後進国である日本が振り回していい権利ではなかったのではないか。もっと先進国の事情に習ってからでも遅くなかったのではないか。立法当初は何らかの意味があったかもしれないが、今となってはネットの利用者にとって無意味にハードルの高い概念となっているのではないか。そんな気がしてくる。

テレビ局も多額の金を使って、何十人程度しか利用していないサービスをつぶす事に、コスト的な意味がどれだけあるのか。そんなことにお金使うんだったら、ヤバい事になってる会社経営のほうをなんとかしたほうがいいんじゃないか。

テレビ局は億単位の損害賠償請求をして、類似サービス登場に対する牽制にするつもりなのかもしれないが、元々資本金が1000万円ぐらいしかない会社にそんな支払い能力はない。勝ったとしても裁判費用すら取れないだろう。

テレビが強いコンテンツを持っていたのは、過去の話になりつつある。みんな番組を欲しがっている? いや10年前にもっとネットに進出してればねぇ。視聴率を見ればわかるように、もはやテレビは、選択肢の一つでしかない。

こんなところで小競り合いを続けるより、ネットサービスと手を組んで、生き残り作戦をちゃんとやったほうがいいんじゃないのかなぁ。そうしないともうネット企業は、テレビ局とは関わり合いたくなくなってくるんじゃないかと思う。

本当はこういう解説記事をどこかのニュースサイトで書かせてくれるといいんだけど、ITmediaとか連載終わっちゃったし、書かせてくれるところがない。世知辛い世の中なのである。どこかで現象思考みたいな連載、やらせてくれないかなぁ。


パンチラ見せれば通るわよっ!―テレビ局就活の極意パンチラ見せれば通るわよっ!―テレビ局就活の極意
著者:霜田 明寛
タイトル(2009-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る