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  火曜深夜にドクター・ハウスを観ていると、命を救う医者のそばで、死ねだの死なないのという CM が流れてくる。なんか泣けてきます。その映画がカイジなのだが、それを今日、友人と一緒に観に行ってきた。

  主演の藤原竜也は、この役をやるために生まれてきたのじゃと思うほどだった。むかしバトルロワイヤルで七原役をやったときも思ったが、藤原にはこういう役がすごく合う。ライト君はなにかのまちがいだ。この点はかなり良かった。

  だからこそ、映画ではキャラ相関がうすく、じっくり人間の変貌をみせられなかったのは惜しい。カイジで一番おもしろいのは、彼が関わった人間がことごとくダメなやつになっていくところで、もともとダメなやつが多いのだが、危機に相対して「映画のジャイアン」になった後にクズへリバウンドするため、それが強調されるところがいいのだ。

  人間の思考パターンだかなんだか、性質みたいなものを複雑な二次元の関数だとすると、危機に直面したとき、そのグラフは微分され、真っ正直な直線となる。ヒロイックな直線。これが、カイジの仲間が見せる一時の協力体制で、イベント中は生まれ変わったような気持ちでいるが、その本質は変わっておらず、日常へ帰れば、また本質のグラフに戻るだけだ。そこにカイジの絶望がある。

  勝負事の玄人は、その微分の際のパターン化を狙い打つ。カイジもこれに気づき、帝愛の幹部を落としていくが、仲間にも同じ性質があることにも気づいていってしまう。これにより、人間の悪の傾向は強者も弱者も共通だと悟っていくのだ。

  映画の方は、仲間といえばいいやつばかり、敵といえばわるいやつばかり、一元論で人間らしさがなかった。いかんせん時間が無いので仕方ないが、敵も味方も微分時間中で散っていく。これはたしかに華やかだし、人間にとっては幸いなんだが、面白くない。結局のところが鑑賞後の感は冒険の余韻であり、毒にも薬にもなっていない。

  しかし、その毒にも薬にもならないところで儲ける人間のことは、よく描けてたと思う。利根川が若くなったのは、そのあたりの理由なんじゃないだろうか。

  以上、僕は藤原竜也のカイジはすばらしいと思った。それだけでも、見る価値はある。