水戸の復興に祈りをこめて
水戸芸術館専属楽団メンバーと
水戸の若者たちによるコンサート

2011年 5月14日(土)15:00開演
(14:30開場、17:00頃終演予定)
会場:水戸市総合運動公園体育館(水戸市見川町)
全席自由/入場無料
 というのに行ってきた。曰く
古来、音楽は人々の心を支えてきました。

悲しい時に一緒に泣いてくれるかのような音楽。
勇気を持って立ち向かおうとする時に心を鼓舞してくれる音楽。
大切な人の死に捧げられる鎮魂の音楽。
そして希望を失わないために、切々と奏される祈りの音楽・・・・・・。

そのような、わたしたちの命に寄り添う音楽の数々を、皆様にお届けしたいと思っています。

この苦境を乗り越えようとしている、すべての人の心に、この音楽会を捧げます。
 とのこと、プログラムにあるシューベルトのアヴェ・マリアはまさに祈りの曲であり、心休まらぬ生活を嘆く乙女が真夜中にマリア像の前で「夜だけは安らかでありますように」と願い捧げるものだった記憶がある。それが余震に怯える生活にトレースされて、ここのところ思い出すことが多かった。演奏はチェロ2本とピアノ伴奏で行われ、旋律はチェロによった。不安や孤独によく同調する。
 
 次の曲、カヴァレリア・ルスティカーナを聴くとゴッド・ファーザーの黒いヴェールで顔を覆う情景が浮かぶ。鎮魂の曲である。

 ずっと飛ばして、他にも多々あったが、コンサートに出かけた直接の原因はトリオで演奏されるブエノスアイレスの春にあった。上のコンセプトでいうと、どこに当てはまるか微妙だが、ある人がピアソラの音楽を評して「旅人が、遠い国から故郷を想うが、彼の故郷はもう無い。そういった寂寞感」のように書いていた。洒落にならないほど現状に合致している可能性があるので、あまり言わないほうがいいが、必要とされる音楽であることは間違いない。演奏は、ギコギコ鳴っていなくて寂しかったが、やはり燃えた。司会者は「アダルトですね」など話していた。

 歌や合唱などもプログラムされており、こういったものはなかなか聞く機会がないので、良かった。しかしジャズ・チャントはジャズと聖歌の長所を合わせたというより、歌詞と曲調を分担しているだけのようで、なんだかなと思った。大切な言葉が無造作に繰られて意味崩壊していくのである。

 開演時に小澤征爾氏のビデオ・メッセージが流れた。「こういった時、音楽は何も出来ないと考えていた」と真摯なコメント。のちに演奏者の方が「感動を伝えるというのは、本当にむずかしいこと。ふとした懐かしさなどに触れてもらえたらいいと思う」と話していたのも印象的だった。