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写真  昔恋しや

ドブロク鑑札
  
鹿角の旧家から発見

記事1検挙しても検挙しても濁酒密造は後を絶たず 一名 濁密王国(だくみつおうこく)とまでいわれ 今では公然 農会 市町村会などから濁酒公許の議論まで持ち上って居るのは 旧藩時代 藩公から

     百姓は酒を買って飲んではならん、
    砕け米と
()()()で作って飲むべし

という厳重な御ふれが出て居って 今と反対に造って飲む方が殿様に忠義だった思想が伝統的に何処かに遺(のこ)って居り、それに寒い東北では直ぐ蒸発してしまう清酒では長時間の保温が出来ず、濁酒だと飲酒しながら満腹となり 粕が消化してしまうまで体が温かいというような特長があり 濁酒は東北の土に即したものとまで慕われて居るが、鹿角郡錦木村(現鹿角市十和田)猿賀神社で有名な猿賀野の土館家から今は失われて何処にも無いと云われていた52年前の明治18年から28年迄(1885-1895)の自家用濁酒公許時代の鑑札がこの程現れ 農民や公許運動者に頗(すこぶ)る珍重されて居る

 鑑札は厚紙で長さ5寸5分(17cm)幅3寸4分(10cm)、上部には秋田県、右側には秋田県鹿角郡役所の二つの割印あり、裏面には「明治18年第一期酒造免許之證」として同28年迄に1年毎に免許の印を押してある

 古老の談によれば『最初税金は1年に何程作っても只の80銭で この制度が廃止となった明治28年の余程前から2円に増税され 当時は作って売ることも自由で 濁酒1升米1升で売買されたものであるが 今では米3升なければ酒1升買われないので 百姓が貧乏するのも無理はない』と、土地の農民は涎を流しながら此の鑑札を撫で廻して居た【写真は自家用料酒類製造免許鑑札】

   昭和11年(1936)5月5日 東京朝日新聞の記事

 当時の秋田県は、全国はもとより東北各県に比べても桁違いに濁密検挙が多かったようです。何かの怨念で、特に秋田県民への取り締まりが厳しかったのではないかと勘ぐってしまいたくなります。食文化として定着していた濁酒造りを官憲が一方的に抑え込み、罰金・投獄を科す理由は、国が食用米と税金を欲しがった国策にあったようです。でも、酒税の増収には繋がったかもしれませんが、主にくず米を使用して造っていた濁酒ですので、食用米の増加にはどれ程の効果があったのでしょうか。只々農民が泣いて苦しんだだけのような気がしてなりません。

 罰金がどれくらいの額だったかについてよくわかる記事がありましたので、以下に紹介します。

        羽後路風景 ドブロク禍 総勘定

 明治32年から昨年末までの37ケ年間の検挙数は41,886件で この罰金は驚く勿(なか)れ2,191,204円に達し、この罰金で仮に田地を購入するとせば 反当り250円で凡そ900町歩(900ha9km2、東京ドーム191個分)が求められることとなるが 最近5ケ年間の検挙数と罰金はと見るに

 

    郡市   検挙数(件)    罰 金(円)  記事2

 

   秋  田      2        40

   南  秋    174     6,595

   河  辺    269    10,020

   北  秋  1,501    69,504

   鹿  角    371    14,550

   山  本    340    11,845

   由  利  1,284    57,325

   仙  北    806    34,543

   平  鹿  1,504    61,552

  雄  勝  1,211    45,860

 

        7,462   311,834

 

となり 昨年中検挙されたものに再犯330人、3犯120人、4犯29人、5犯16人、6犯以上15人という全くドブロク地獄ぶり

   昭和11年(1936)9月19日 東京朝日新聞の記事 

 これだけの金額を秋田県の農民が支払ったのですから、地域全体が貧乏になっていきました。国税ですから地域経済を潤すこともなく、経済発展の阻害原因の一つになったとも思われています。罰金を払えない農民は投獄されました。その大多数が、ドブロクを直接造っていたということで女性であり、老婆も含まれていたという悲惨な現状だったとの記録があります。『ドブロクを造らなければいいだろう』とも思いますが、農民の数少ない嗜好品であり人によっては主食でもあった濁酒ですから、簡単にはやめられなかったのでしょう。(美味しいドブロクを飲みたくなってしまいました。日本国民の文化であるドブロクを、自由に造らせろ! 造り方は知っていますから・・・)

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