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市に望む     木内 隆 一 氏

消費都市としての 特殊性を考えて貰いたい
           

以前からすると、商業方面に対しては市でもかなり熱心になって来ましたが、肝心の商工会議所はまだ駄目です

何か意見を出しても、あゝそれか、といった調子でそれをはっきり所理して案を立てようとしないのです

写真1    ×

例えば、毎年やる観桜会なども、きまりきった、マンネリズムに陥ってしまい、せっかくあれだけの経費を計上して置くのに、もっと新しい角度からそれを有効に使おうと心がけて居りません。

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すべてがそんな調子です。やはりもっと若い新しい人を、どんどん出す事が大切です。

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それから何処かへ商店街を造りたいものと思います。記事

都市計画等の場合、市でよく考えて欲しいものです、

それに兵営移転問題なども、例えば兵舎が小さいとか、営庭がせまいとかそんな色々な不便な点に、市で出来るかぎりの便宜を与えてやったら、東雲原などに移転させなくてもいいと思います、それだけの熱意があれば茨島にする事だって出来るでしょう。

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カフェーやその他飲食店等もあまり弾圧して貰いたくないものです。商業発展上に重要な関係のある問題ですから、兎に角、消費都市としての特殊性を、常に考慮していて貰いたいものです。(写真は木内氏)

昭和11年(1936) 7月3日 夕刊秋田の記事


写真2 木内デパートは、明治23年に「茶・紙・文房具」の店を開いて以来、大正・昭和の時代と共に成長し、秋田県内屈指のデパートに成長して行きました。

 木内隆一氏が父から商売を継承してはいるものの、家業を発展させた人物は明治39年に隆一氏に嫁いできた妻のトモ氏であったことは、秋田県内では周知のことです。

木内隆一氏は、明治42年の火災で店を全焼して以来、健康がすぐれないことから次第に俳句三昧となり、その生活は生涯続いていたようです。まさに「士魂商才」を実践した妻トモ氏の事績について目にする機会は多いのですが、隆一氏となると、主に文化面から知ることしかないようです。そんな中で、この記事からは隆一氏の顔と商業に関する考え方の一面を伺えます。

掲載紙は、夕刊秋田新聞社発行の『夕刊秋田』という新聞でした。秋田市楢山の成田忠久氏の発行による新聞とのことで、新聞の題字もありますのでご覧ください。