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八橋人形・記事
   229-059 P1360949 - コピー 猫抱く少女
      工房の高松ミツさん

 武官  牛乗天神
 昭和17年(1942)4月27日 秋田魁新報の記事          私が持っている八橋人形達

 名物の八橋人形  保存の声ようやく高し


 梅が満開、桜は三分となって冷たい風もなくなると、秋田市の八橋では名物の八橋人形の製造が忙しくなる、天神様のお祭は旧暦にやるが、3軒の製造元は目下目の回るようないそがしさである

 八橋人形といえば地元の秋田よりも中央の人々に高く評価されているのである、秋田の風習として男子が出生すると必ず八橋の天神様を求め その忠節にあやかっているのであるが、八橋人形の型の古いものは大分他所へ売られたので 東京辺で勝手に古い八橋の玩具と称して売るものも大分ある “阿波の土偶”は浄瑠璃芝居で名高いが 八橋人形は精神的である 秋田の人々は八橋人形に因む郷土の年中行事についてもっと深い自覚をもって精神的な童心への糧を与えることが、いそがしい時代であるだけに 一そう大事であるとこの頃やっと復興の機運にある

     ○

 八橋で一番古い人形造りの家は高松家であって、当主は高松ミツ(65)さんである、土偶の玩具として県内最古のもので、全国の玩具界に名高い八橋人形は 安永の頃(1772-1781)、伏見人形師が秋田市川尻の鍋子山に窯を開いたのがはじまりであるといわれているが、文政の頃(1818-1830)和助という人がその跡をつぎ、嘉永の頃(1848-1854)横田某がうけついだといわれている、現在の人形師高松ミツ婆さんは祖父の代から3代目であって、師匠の代からみると6代目にあたっている

 婆さんは家庭的には苦労の限りをつくし 今は孫のシゲさん(11)とヨシ()さんの2人を相手に泥や胡粉(ごふん) にまみれて奮闘している、古い型もまだ相当残っているので 心ある人々はその散失する事を秋田郷土芸術のために心配している、ミツ婆さんは自宅の工房で天神様を造りながら元気にしかも素朴に語るのである

 私程一生の間に葬式をよけい出して苦労した者も世の中にあまり多くないすべ、この間は娘に死なれたし、学校に行っている孫と一しょに人形をつくっているわけだす、孫が人形造りのわざをおぼえるまでは生きていたいと、八橋人形の為にも申訳ないと思って、一生懸命やっているのだす、せんだっても大阪から、私の店と私を写真に撮りたいといって来たが、ひまっ気なもんだし、そんな事いやなものだから断ったが、1時間も待っていてとうとう何も撮らないで帰って行ったよ、こんな婆を写真にとるなんて物好きな、おかしいことだな  (写真、八橋人形製作の工房に於ける3代目高松ミツ婆さん)

昭和17年(1942)4月27日 秋田魁新報の記事


 この記事に登場する当時11歳の高松シゲさんは、平成元年に亡くなられたようです。現在、八橋人形を造っているのは道川トモさんだけです(お弟子さんができたとか?)。

「明治の頃には人形店がたくさんあったが、戦後には3軒になってしまった」という紹介資料が多いのですが、この記事によると“昭和17年にはすでに3軒だった”とのことです。

八橋人形は、私も十数個持っていますが、この人形には製作者名がないのでどなたが造ったものなのかがわかりません。もしかしたらミツさんやシゲさんが手掛けたものも含まれているかもしれませんので、今後も大事にしようと思っています。
  「八橋人形の評判」とのタイトルをつけて、大正期の新聞記事2点も紹介していますのでご覧ください。

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