この頃伊達直人だらけなわけだが

プレゼントを贈る行為そのものはとても素晴らしいことだと思うのだが、一つ引っかかることがある。それは「ランドセル」だ。

昔からそうではあるのだが、何故日本は小学校にランドセルで行くのか? 別に他のカバンだって良い筈だ。両手が開くからという実用面がないわけではないが、リュックサック型なら同じだ。それと、小学一年生にはランドセルは重い筈だ。更に背中に荷物があるので背後から何かを抜かれるとか何かを入れられるということに対して無防備な状態だ。つまり、実用面だけで考えるとランドセルはいまいちなカバンだ。

まあ、なんでランドセルだけになってしまったかはだいたい想像が付く。最初は多分実用面で選択したんだろう。それが売る側のメーカーや店の努力や親の見栄もあって大流行して定番化。ここまでは良かった。問題はこの後だ。この後あたかもランドセルでなければいけないかのような状態になってしまい、そうでない者を受け入れないという排他的な状態に陥って(つまり違うといじめが起こる、または恥ずかしいと感じるような状態になって)、そのまま今に至っているのではないか? 差別的思考による暗黙の制限がある状態だ。だから家庭の経済状態がどうであろうが (養護施設に入っていてほとんど金が使えない状態であろうが) 3万〜5万もするような高いものを買わざるを得ない。売る側は定期的に売れ続けるという、商売をする側にとっては非常に良い甘い汁を吸い続けられる状態なのでこれについては何も言わない。むしろ今のまま続いて欲しいと願っていることだろう。

しかしこれについて学校が何も言わないのも妙な感じがする。というのはこれが差別混ざりの流行だからだ。流行の部分はそのままで良い。しかしこうでなければ人として受け入れないというような差別的排他的な精神は何が何でも破壊すべきだろう(これはランドセルに限った話ではないがね)。それは自由を奪いいじめの温床になるだけでなく差別的な人間を育てることになってしまう。そんなんじゃいくら頭が良くなっても意味がない。(なんてことを考える教育者はこれまでに居なかったのか?)。

というか、そんな差別的な精神を持ったままでは本人が苦労するだけだ。特定の枠組みに入れなかったらそれが苦になり、入ったら入ったで今度はそこから出てしまわないかと恐れて苦になる(いじめられたら苦になり、いじめる側になっても自分がいじめられる側にならないかと恐れて苦になる)。結局何がどうなろうが苦にしかならない。正に「一切皆苦」だ。

この頃Twitterを、かなり激しく使い始めた

かなり前からTwitterのアカウントはあったが知り合いとフォローし合うみたいなことは全然やっておらず、垂れ流されるニュースを見る程度にしか使っていなかった、が、この頃知り合いとフォローし合うようになり、思い切りツイートする量が増えたので、このblogのパーツに一部が画像として出るようにした(多分最新のツイートしか出ないが。それと、携帯で見た場合はこれは何も出ないと思う)。

尚、これはついめーじというやつでやっている。

塩ラーメンにちょい足しするとうまいもの

今何気なくテレビ見ていたらテレ朝で「お願い!ランキング」という番組をやっていて、塩ラーメン(番組では札幌一番を使っていた)にちょい足しするとうまくなるものをやっていたのでメモ代わりに書いておく。

3位. ティーバッグをひたす
2位. 缶みかんのみかんを入れる
1位. マヨネーズスプーン1、2杯程度

どれもテレビに出ている人は「うまい」と言っていた。マヨネーズについては札幌一番のメーカーの開発の人も「うまい」と言っていた。

俺はまだ試していない。

このブログのアクセス解析を見てみたら、なんと

1日に10人以上の人が見ているではないか。

こんな、たまにしか書かないどうでも良いブログに10人も!(笑)

続きを読む

たまに「Wikipediaには間違いが書いてある」って言い出す人居るけどさ、

だったらなんで直さないんだろう? あれって誰でも直せるんだよね?
QRコード
QRコード
最新コメント
livedoor プロフィール
  • ライブドアブログ