2009年04月

2009年04月26日

ある日の朝飯

13b6778d.jpgおはよう

早朝、軽くジョギングを流して、ひと汗をかく
それから、手早く朝飯だ

小田原下曽我のキヌヒカリ玄米と朝紫黒米入り、味噌汁はエコ新ジャガイモ(長有研)ふーどの新玉ネギ(長有研)と国産野菜のきんぴらがんもと群馬県上野村の十国麦味噌。
キャベツ春系(JA谷田部)と赤玉卵の野菜炒め。かじのや中粒納豆経木入り。
そしてわが薮川の行者ニンニク漬け、これはキクぞー。

コップはビールでなく、こだわりの台湾産鉄観音を煮出したもの。

うまいぞ。
ぐはははは。


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2009年04月25日

食べることについて 幕内秀夫「体によい食事 ダメな食事」

673b1efc.jpg食べることがすべてを決める。自分のこと、社会のこと、そして国のカタチ。
生きることと同義で使う「飯を食べる」という言葉。この幕内秀夫さんの本を読むと納得する。

「飽食のなかの飢餓」こそ日本の最大の問題だと思っていた。彼は「現代型栄養失調」と呼ぶ。何が失調しているか。微量栄養素だ。ビタミン、ミネラル、食物繊維などだ。

しかし、面白いのはだからといってサプリメントなどでこの微量栄養素をとれとすすめてはいない。なぜ微量栄養素が失われるか。それは行き過ぎた精製からだという。
全部、丸ごと食べることが本来の食べかただ。イヌイットは野菜や穀類を食べない。アザラシやカリブーのみだ。たが栄養失調にならない。インディオはトウモロコシがほとんど。偏食と言えば、世界にはこの手の極端な偏食がたくさんある。

だが、健康で活動している。どこが違うか。それは丸ごと食べるからだ。
アザラシは内蔵も血も食べる。トウモロコシは胚芽も食べる。

ここに気づくキッカケは長寿村の山梨県上野原町棡原の変化だ。巡回診療の古守豊甫医師が元気な老人より先に中年層が生活習慣病で寝込み短命化している。
昔は麦を主体に雑穀やいも類を主食に、野菜や山菜を副食にしていた。山深い僻地でほぼ自給自足。ところが交通の便が良くなり、肉、牛乳など多様な食べ物を取るようになってかえって病気が増えたのだ。

平均寿命の矛盾も明らかにしている。現在生きている人の各年齢別の平均に過ぎず、いまの30歳があと何年生きられるかとは違うのだと。
そういえば沖縄の寿命はここ数年で劇的に縮小している。

幕内秀夫さんの食べることについて、一番面白いのは、理想的な食生活とは結局、一人ひとり違うということ。運動や気分によってもことなるという考え方だ。

米の大切さも何度となくふれている。
食について考える重要な一冊だ。


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2009年04月23日

日本一 小さな村で日本一標高が高い村

30bf2fcb.jpg大川村だ。高知県にある。四国をひもでぶら下げるとして、その真ん中の中心点にある。四国は意外に急峻な山か多い。その山の頂上まであと少しのところに人が住んでいる。ここが大川村だ。標高700m。いやすごい山の中。

村会議長 朝倉 慧(あきら)さん。70歳。16歳のとき大阪にでた。中小企業に働き旋盤の仕事で発明をした。その企業は一気に伸びたらしい。引き留められたが村に戻り役場就職をした。給料は激減した。昭和38年。

「つくられた過疎からの脱却」地方自治通信の文章を見せて語る。昭和30年代は4千人いた村の人口は昭和35年から下げはじめ昭和50年に千人をきる。いまは470人しかいない。
そのキッカケは早明浦ダムだという。反対運動をしたがダメだった。補償金などで崩され人心が荒んだ。昭和48年に完成。

もともと岩崎鉱山があり日本興業となった。この銅山も昭和49年に閉鎖された。昔は2300くらいが働き、常設映画館があった。人事往来も盛んでスーパーすらかなり早くからあった。

ここに農を核として元気にしたい。水耕栽培。和牛など村起こしに取り組んでいる。なかなかうまくいかない。
山村留学や都会の村民制度などなど様々なチャレンジが行われている。いまは土佐はtちきん地鶏を看板にする。土佐は鶏に対して独特の見方をする。観賞用だ。だから様々な種類が残る。これを食用に畜産試験所が改善した。

命がけで取り組む。大川村いきいきプラン基本戦略。
家庭ゴミも含め地域循環システムを構想する。畜産と堆肥と高齢者もできる農業。小水力発電所も作った。この4月から株式会社も立ち上げた。

話の途中で絶句した。感極まり言葉がでない。
和牛畜舎をみた。荒れている。リーダーの意気込みと現場の乖離。大変だろうと思った。何から始めるか。

四国なのに肌寒い。早朝軽く走ると最後の桜の花びらをみた。
美しい山並みにウグイスが鳴く。


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2009年04月21日

初夏の陽気 小田原田んぼのオリエンテーション

9bf00935.jpg今年も始まりだ。田んぼの参加者は初級と自主コースで家族連れ130名くらいか。ざっと見て30歳代と40歳代が多い。
ほとんどが子ども連れ。ほんの一歳くらいから中学生までがいる。床にそれぞれ座っているが板フロアは満杯。

もう8年にもなると事務局もこなれてバタバタしない。なごやかで楽しい雰囲気に包まれていく。


小田原下曽我の市の交流施設。その名も「みのり館」に集まる。
田んぼと一緒に畑のハーブコースも参加している。こちらは本格的なハーブインストラクター養成講座で正式な分校となっている。たしか6万円も払うが定員満杯だ。そしてその卒業生も別コースで参加している。

こういう農体験が長くしかも徐々に増えるためには、裏方やリーダーのしっかりした運営と楽しい仕掛けが不可欠だ。

「NPO小田原食とみどり」長谷川功理事長が挨拶する。満杯の嬉しい悲鳴。先週も畑と果樹の学校でいっぱいだった。耕作放棄地を無くしたい。

田んぼは鳥居孝夫校長。梅畑作業中に駆けつけた。ハーブの学校は熊谷さん。夫婦で藤沢でハーブ学校を経営している。

インストラクターは自前で担当。今までの経験者から見習いでやる。

自己紹介もたっぷり一時間かかる。子どもたちが面白い。元気いっぱいな子や恥ずかしがり屋さん。毎年参加してくるとその変化に驚く。ずいぶん大人になったな。

パルシステム神奈川ゆめコープ齋藤文子理事長が小田原の交流事業について話す。パワーポイントで。地域と社会とくらしを豊かにしたい。体験から就農までステップアップを。なるほどただ楽しいだけじゃない。長期のビジョンを語る。

事務局の紹介と参加者の心得
|鷦崗譴鰺用します(田んぼや畑に駐車しません)他の畑に入りません(落ちてる果実は生産者のもの)8共施設の利用マナー・ルールを守り、大切にきれいに利用しますで精邏箸忙箸ζ散颪箋ヽなどは、大切に、きれいに利用しますイ子様の管理は保護者が責任を持ち、事故や怪我の無いようにします出会う地元の人々へ挨拶をします。

小田原「農の学校」は、小田原という場所をお借りして活動していきます。
雄大な富士山がそびえ、青く輝く駿河湾を見下ろし、何かいつもの生活と違う空気と時間を楽しむことができる、とても素晴らしい場所です。
そんな地域に、これからお世話になります。より楽しく、安全に活動していくために、地域の皆さん(住民)と気持ちの良いつながりを持ち、自然豊かなこの地域を守るために、ご協力をお願いいたします。

そして、早速田んぼに向かう。昨年秋に作った堆肥を撒いた。
パルシステム神奈川ゆめコープはじめ生協職員も自主的な参加者がいる。新人たちも5人が参加した。
無理せず楽しみながらやる。身体とこころを動かそう。


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2009年04月20日

日本農業の未来 若手農業者とネットワーク

615e5fd4.jpg自給率の問題は、消費者の問題も大きいがもちろん農業の問題でもある。そのひとつが担い手問題。45歳以下の農業者の割合は、と聞かれ答えられなかった。なんと2%だという。驚いた。

これを会場に聞いたのは関谷航太君。39歳、長野県佐久郡のあさひや農場だ。夫婦と子供3人。多品種有機栽培、インターネットの直接販売。JAS有機は取らない。彼は「少量多品目生産提携型有機農家」と自らを呼ぶ。

東京農大をでて、青年海外協力隊でニューギニアにいき村に住んで農業をした。そこでは虫や猪などにやられないように様々な作物をバラバラに混植しているという。これは天敵の多い風土で収穫を優先する知恵だ。先進国の農業が畑一面、同じ種の栽培だとすると、自分はその中間、畝ごとに違うものを多品種植える。つまり点と面に対して線だという。
ニューギニアから帰る飛行機で隣合わせた関西弁のニューギニア人に日本が大変だと言われる。平成の米騒動だった。
海外どころか日本で食糧問題が起こると農業を決意した。
実は、ニューギニアでマラリアにかかり帰国してからも二度ぶり返したと笑う。

三年くらいでようやく軌道にのる。コツは、楽しみながら無理をしないこと。消費者との直接つながりだという。たくましい若手農業者だ。農の魅力はヒミツだという。


岩手県盛岡市からは渡辺里沙さん。30ン歳。里の幸の個人事業は持続可能な農業の仕組みを作る。ファーマーズマーケット開催。体験交流イベント企画運営。食農プロデュース。
さらに(株)秀吉では食材事業部長だ。これは実家の飲食店だ。いわてのこだわり食材を使い紹介し販売する。そして岩手喜楽人(キラビト)を主宰する。週末お米作りのサークルだ。

渡辺さん、まだ盛岡に帰郷して二年目。東京でも若い企業人を組織し70名くらいでNPOによる田んぼ耕作をしていた。たった二年でパワー全開。家族を変え仲間を集め農家と出会いつながる。つなげる。たくましい根性と行動力だ。

最後に飄々と登場したのは脇阪真吏君。26歳。その名も(株)NOPPO。
VISONー農業界と大学生の出逢いの場を創る
MISSIONー1日本一農に興味のある大学生が集う゛場~の提供などなど大学生の時から会社をはじめた起業家だ。
GOALは、10年後の小学生希望職業ランキング一位を目指す。

脇阪君、日本に本格的なソーシャルビジネスを展開しようとしている。農というとビジネスという言葉はそぐわない。そういう雰囲気じゃあないと毛嫌いするむきもあると思うが、彼は大学生をどんどん農に出逢わせている。そのなかで大学生には農家出身者が大勢いることに気付いた。なんだ、だとすれば農を継げばいいじゃないか。
大学生の農家出身者を農に返す「農家のこせがれネットワーク」も立ち上げた。ノリが軽く若い。広がる。どうしたら農を面白く儲かる仕事にするか。

こうした若い農関係者にコメンティターとして(株)GPS高橋宏通本部長が参加した。パルシステムは大きくなって、こうした若者と連携できるか。活気と刺激的な会となる。20数名の手狭な会場も熱気で埋まる。なんか妙に元気がわく。やればできる。未来は明るい。

マハラバ文庫が主催する小さなパネルディスカッションにて。


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2009年04月17日

アメリカの政策とポール・クルーグマン

42834a0a.jpg「世界大不況からの脱出」なぜ恐慌型経済は広がったのかーポール・クルーグマン、プリンストン大教授。

最初に、かのシカゴ大学のノーベル賞受賞教授の恐慌の問題の核心は解決された、との見解が引用されている。
そして、しかし残念ながら我々は愚かだったという。その疫病神はわれわれに襲いかかっているのだと。

恐慌への対処。
その結論は、景気対策だとする。世界の信用機能は麻痺状態にあり、その勢いを増しつつある。
当面の危険な状態をとうにかしなければならない。それは二つ。信用フローの回復と消費の換気だという。

そして金融機関への多くの資本注入である。それでも回復は疑問だというのだ。

答えは古きケインジアン流の財政刺激策である。
ケインズを引用する「善や悪にとって危険となるのは、既得権益ではない。われわれの思考である」


この結論に導くために1978年のジョアン・スウィニーらの「金融理論とキャピトルヒル・ベビーシッター協同組合大論争」が紹介される。

議会関係の仕事をもつ若い夫婦でお互いにベビーシッターをする協同組合。代用通貨としてクーポン券を発行していた。これが貯める人が増えると、かえって労務提供だけが増え続け使う人が減り、協同組合の危機に直面したというもの。

これをモデルとして、システムを単純化し、それがいかに機能するか思考実験をしている。

要は有効需要を引き出すこと。クーポン券の供給量を増やすことだという。これで増えて配られたクーポン券でベビーシッターを利用する人が増えたという。

さて、銀行の国有化と通貨供給量の増発、公共事業の拡大と矢継ぎ早に対策を取っていく。とるべきだと主導する。これがいまのアメリカ政府の政策だ。

だが、問題は多くの人びとの意識だ。金融は経済の血液に過ぎない。人そのものあり方、すなわち実体経済がどうあらなければならないか、いまそれが問われている。

われわれは、いままでの自動車や電気産業の復活にかけるのか。それを回す金融資本にまた翻弄されるのか。

そうではない。まさに農と食を基本とした自然との共生のあるべき社会こそ生み出してゆく。こういうビジョンにとって必要な信用とはなんだろか。


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2009年04月14日

日本の食品企業とJASMEQ

0c59ca53.jpg国産だ、自給だといっても食品企業がないと厳しい。例えば、もっとも低い自給率の大豆や小麦。これは、加工してはじめて食べられる。豆腐や納豆、うどんなどだ。

こうした食品企業は、意外に強い。特に、豆腐と納豆は日持ちしないことで海外さんが少ないこともあるが、実は味が決め手。しかも、原料を国産にこだわるとなおだ。豆腐は消泡材も使わない。これは表示義務すらない。このことは意外に知られていない。
こういう代表的企業が納豆のカジノヤと豆腐の共生食品だ。共生食品は国産小麦で冷凍うどんも作っている。冷凍うどんは海外産が強いが全然負けていない。

この二つは30年以上前からパルシステムとともに育ってきた。パルシステムが100万人を超えてもなお中心にいる。

さて、かじのや納豆の梶俊夫社長と共生食品の三澤孝道社長が理事長と副理事長になり、中小の食品企業で協同組合を運営している。
単独でなく協同して品質管理や人材育成、品質管理の工場製品の共同購入、そして共同商品開発をしている。

立ち上げは苦労された。もう、何百万円もかかっても軌道にのらない。

だが、ようやく昨年くらいから先が見えだした。工場点検も数十ヶ所になりHACCP研修も100名を超える。商品事故の事例研究や通信教育による定時社員教育など実績を積み上げる。
ただし、やはり品質管理の協同だけではこの事業を支えられない。やはり、ものをいうのが商品開発だ。

ここに小野章男専務の頑張りがある。日本各地のこだわり食品をつなげ厳しい品質基準といやになるくらいの製品仕様書作成を指導する。商品企画を提案し、物流を手配する。受注数量を予測し過不足を調整する。そうしてようやく販売にこぎつけても納品までは安心できない。それから、さらに利用者の声の対応やクレーム対応が待っている。息を抜けない。

日本の食を支えているのは、こうした善良な食品企業だ。こういう企業で働く人々の影の努力が食を支えている。いま、価格や値段だけが騒がれている。だが、いい食べ物はどこにあるか。良い食べ物をつくる人々はどこにいるか。いい人びとだけが良い食べ物をつくることができる。それはいい人びとに評価され、食べられて支持される。そういう関係が食を育む。
志と技術と連帯が未来を創造してゆく。そのことを知る。

老木の桜は満開。
見事だ。


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2009年04月13日

臨死体験のキューブラー・ロスの自伝

19cf7341.jpg立花隆が「臨死体験」の上下巻を出版して反響を呼んだのは、NHKで同名のドキュメンタリーを放映したものからだ。すでに10年以上前だろうか。

死後の世界。あるいは幽体離脱。臨死体験といった人間のもっとも知りたい世界を探求する。ここでは立花隆は、幽体離脱でないと分からない事実を積み上げていく。例えば、治療室の患者が見えるはずがない場所の靴を語ったなどだ。しかし、結局は、本当に死後の世界があるのか、幽体離脱は本物かは断定できないで終わる。

その本で、医学者の正確な記録が引用される。それが「死ぬ瞬間」というキューブラー・ロスの著書だった。

この「人生は廻る輪のように」エリザベス・キューブラー・ロスを紹介してくれたのは、沖縄石垣島を案内していただいた真南風の夏目さん。熱心にすすめてくれた。

キューブラー・ロスの自伝を読んで本当の凄さは、彼女の時代とヨーロッパの戦乱にあることがわかる。
ポーランドのナチス強制収容所マイダネックの死臭。毛髪の山。「あなたも、いざとなれば残虐になれるわ」という若きゴルダの叫び。
国際平和義勇軍に参加しなにもない廃墟の村での復興活動。
医者への道のり。たくさんの死との遭遇。

こうして死に向き合い、死を生で探求するようになり、生を理解しだす。
そして、いのちの目的を知る。無条件の愛を身につけること。それが死を賛美することとなると。

だれもが死を恐れる。だが、これほど赤裸々に死を語る人はいない。一気に読める本である。すごい。


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2009年04月12日

桜 その老木と若木との対照

dca75cea.jpg桜が咲いた。
今年も咲いた。
なんだかうれしい。

丘の上の老木。
ただ、はえっぱなし。
冬は、まるで枯れたように見えた。
こがらしにきしみながら喘いでいた。

人は、知らずに通り過ぎて
子どもたちも通り過ぎていった

でも生きていた
生き続けていた

遅い春とともに
花が咲く
花とともに葉も咲く
花と葉が咲く

若い桜と
若い桜はわかい
若い桜もまた咲く

空は、おぼろに
かすみながら
春のあいまいな
なにか、わからないあいまいさに
僕たちを放り出している

なにかとらえようのない春の不安
どこからきて、いったいどこへゆくのか
中空に浮かぶ不安

そういう僕たちを
なにも言わずに
桜は咲く
咲いている

じっとみる
しっかりと見る
ほのかに香る
桜のにおい
芳醇なかおりにつつまれる

桜を見よう
自分のなかにある春
ただ、深いわけのわからない自分のなかの
そう、自分を理解しない
自分を知ろうとせずに放り出して
花をみる
葉をみる

桜のなかに
僕たちはいる
桜のなかにさくらとともにある


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2009年04月08日

パン屋さんと自社農場 タカキベーカリーの挑戦

778c9b77.jpgパン屋さんの農場を見た。
タカキベーカリーが職員研修として運営している。いま1年目と2年の研修生が9名いる。広さは600ha、広島県の山奥で峰を超えると島根県だ。見えている山のてっぺんから日本海が望めるという。


小麦や自家用野菜を栽培している。新人研修が主な目的だというが、まだ畑は造成途中で収入は立たない。経費は投資を別にしても年間1億5千万円がかかっている。すごいね。
センターハウスと宿泊棟のほかにゲストハウスがある。ここはデンマーク人が設計したという瀟洒な建物でガラスが大きく森や山に包まれてある。贅沢な気分だ。舗装もないデコボコ道をうねうねとたどり着く。


山にこうしてお洒落なハウスが点在している。そうそう、森にはツリーハウスがあった。
こいつは、さすがに台風がきたときは軋んで怖かったと農場の西本さんが笑った。

この農場の研修生が焼いたパンを食べた。みんな若い。男女上は26歳、下は19歳だ。2年間とは長いようだが離脱者はいないのと聞くと、これまでの四年間で一人いるという。いま、工場で元気に働いている。

かなり標高があり、雪は1メートルは超える。まだ、残雪が見えた。湿地帯にはコケが積もり数メートルになるらしい。泥炭地を形造るものと同じ珍しいものだという。

年間1億5千万円も持ち出しして人を育て、パン屋の原点を維持する。ここまでこだわるタカキベーカリー。創業者故高木俊介氏は戦争から帰り、原爆焦土の故郷を見た。平和の尊さを決意し、内村鑑三のデンマルクの自給についての本を読んだ。そこからパン屋さんをスタートする。

内村鑑三といえば、わが賀川豊彦とともに無協会派のキリスト者だ。すごい会社の素晴らしい理念には必ず、熱い思いがある。

ヤマト運輸の故小倉会長によるスワンベーカリーもすごい。障害者の自立をノーマライゼーションによって目指すもの。これを支える冷凍パン生地をタカキベーカリーが供給している。小倉さんは高齢にも関わらず何度も足を運んでパン焼き技術を学んでいったらしい。

タカキベーカリーはこのことを聞かれると、小倉会長の思想に惹かれただけだと、社内では宣伝しないようにしているそうだ。

農場は安芸100年農場という。


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2009年04月06日

フードシステムにおける生協産直 日本フードシステム学会とパルシステム

bfca7b6a.jpgいま時代はきしみながら大きな変化に遭遇している。

1960年代にチェーンストアによる流通革命論が展開された。
渥美俊一氏が主催するペガサスクラブは、当時の若き熱い経営者たちの小売り革命を主導した。ダイエー中内、西友堤、イトーヨーカ堂伊藤はじめその後日本を代表する大手量販店や外食産業を生み出してゆく。

だが、いまはこの大手量販店の存在が食と農を破壊していく。際限のない低価格競争、同質の大量消費、食を歪め腐らない規格化された「安全・安心」な食べ物。

貴族の暮らしを市民にもという「豊さ」。バスケットのなかの物の豊富さこそというケネディの「経済民主主義」と「消費者主権論」の限界の露呈。

さて、生協産直は労働者農民による社会革命論(労農連帯)や「顔の見える関係による生産と消費の改革」など荒削りな運動の熱気からスタートする。
しだいに、産直3原則「生産者がわかる、生産方法がわかる、交流できる」へと原則を確定させてもうひとつの農と食の広範な流れを生み出してきた。

だが、いま金融崩壊から実態経済の破壊過程がすすみ、深刻な農と食の崩壊がすすむ。
またもや、売れない。だから低価格だ、安売りで消費者に貢献だとの声が聞こえくる。危機に直面する。


こうしたなかで、日本フードシステム学会とパルシステムによるシンポジウムが開かれた。基調報告は斎藤修千葉大学教授。パルシステムの調査研究と産直システムの課題と方向を、マーケティング論の立場から提起した。

各パネラーからは、リスク、食と農の連携、価格、流通、農からの事業戦略、消費者価値観などが報告された。
新学期が始まる東大農学部において、5時間半たっぷりと議論された。160名の参加者は最後まで帰らない。生協はいま岐路にいる。多様な論議が交わされる。

学問は、現実の人びとの苦闘に応えなければならない。その研究がまさに、社会の多様な人びとと協同で行われてはじめて意味をなす。


nobu23 at 07:21|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 生協 | 事業・起業

2009年04月04日

竹富島によばれる

bc29e717.jpg沖縄八重山諸島のひとつ竹富島。水平線にへばりつくようにある。珊瑚礁の島だ。

一時、島から若い人が出て行った。ところが最近は帰ってきている。内盛さんは、いったん若いときにでて大阪や神奈川でしばらく働いていたと話す。そして帰ってきた。若いうちに外にでてから戻ったほうがいい。そうすれば島の善さも悪さも分かる。

この竹富島で10月に種取祭が開かれる。火の神に捧げる祭だ。一週間近く繰り広げられる歌と踊りと物語。さながら島をあげた壮大なオペラ。
信仰と激情とトランスと連帯の物語。

台風を避けるためか低い家並みに高い石垣。独特の石垣の風情と白砂の小路。意識された街並み保存。浜にでるとエメラルドグリーンの珊瑚礁の海。軽く一周してみる。

夕暮れ、車規制によって騒音もなく静寂がつつむ。南の空に静かに夜が降りてくる。


風が強い。肌寒いくらいだ。
祠だけでなく、いたるところ神の気配がする。人と住まいと作法のなかに自然に神はやどっているかのようだ。

いまは亡き魚住さんと、そして研究を続ける家中茂先生に連れられて来た。忘れそうなころにまた来ることになる。

島が呼ぶ。不思議な独特の雰囲気をもつ。


nobu23 at 09:06|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 体験日記 

2009年04月03日

播磨坂の夜桜

abf72f5e.jpg肌寒く小雨パラつく夜ともなるとさすがに人影もまばら。
桜はまだ五分咲き。

幻の環状線が途切れたわずかな坂の分離帯が桜並木の公園になっている。

夜桜見物と洒落たいが寒すぎる。それと雨。飾り付けの電気提灯がわずかに華やぐだけか。

桜を愛でる。
それは、少しの時間と見る目とこころがいる。あるいは、想いが。桜に寄せる悲しいぐらいの日本の人びとの熱狂が薄れて、やがてはただ草木としか見なくなる衰退を恐れる。

桜を祝う。
それは季節の移ろい。人生の節目。
冬の静寂から春の芽吹きへの装い。
あるいは、鳥たちと虫たちとの生命の寄りどころ。

桜を見る。
いま見ている。
遠く長い人びとの桜への想いとこれからの長い新しき人びととともに、ある。
桜は時空を超えて在る。生き、つなぎ、連鎖してある。


nobu23 at 07:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 体験日記 | 生命・自然・宇宙

2009年04月01日

養殖と栽培技術 恩納村漁協の展開

ceae93e5.jpg海ブドウである。これは沖縄料理店で食べるまでは知らなかった。
海藻だが、小さな粒つぶが房になり口あたりがいい。ぷちぷちと塩気がほどいいと、うまい。

この養殖に国内で最初に成功したのが恩納村漁協である。
それ以前は、いくつかの八重山諸島で天然物が多少あったらしい。
だが、ほとんどはフィリピン産だったという。別に、フィリピン産だからといって悪いわけではない。が、ドブ臭がしたらしい。水が悪い。

しかし、これを養殖するのは至難のワザだった。栄養、海水、水温、水流、瀑気などなど難しい。
これを、陸上でタンクを作り枝を網に固定し海水を取り入れ文字通り栽培する。
栄養は、最初のプランクトンから増殖するという。

枝からぶら下がるようにブドウの房が垂れる。収穫時に気をつける。この房を途中で切ってしまったときに、そのままだと腐るらしい。
一旦、海水で養生して再生して落ち着いてから出荷するという。

流通も面白い。なんと常温でないとしなびるという。逆に冷蔵だと劣化する。不思議だ。保存や流通には注意が必要。


さて、こういう恩納村漁協だが、なぜ養殖か。
先浜は珊瑚の海だ。これが沖縄返還されてリゾート法で、次々にホテルが立ち、赤土が流れ海がやられた。珊瑚が死滅し魚介類が減った。海が壊された。


ここから漁協が立ち上がる。沖縄には珍しく漁業権を確立した。排水を規制し、建築前に漁協の事前承認を確立する。観光業者と協定を結び、海遊びはすべて漁協を通すこととなる。海の番人だ。
それを持続可能とするための資源管理型栽培漁業。

様々な珊瑚を養殖し海に植えて、珊瑚礁の復活をすすめる。豊かな海の再生を目指していく。


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