2009年05月

2009年05月31日

賀川豊彦の面白さと大宅壮一

f033a1e2.jpg大宅壮一氏との出会いの場面
ある日その町の教会に一風変わった男が講演にきた。20歳を少し出たばかりの青年がいうことが普通の牧師の説教とちがって社会性があり、強い迫力をもっていた。講演がすんでから、私は彼にあっていろいろ話をした。

大宅壮一は日本最初のマスコミ帝王と呼ばれた人。一億総白痴化、太陽族、口コミなどなど造語で評論したジャーナリストの巨人。
無思想の思想などの著作で知っていた。

この大宅壮一がなんと賀川豊彦に洗礼をうけている。生涯活躍の場こそ異なったが賀川の本当の理解者であったことは知られていない。

大宅壮一はいう。
賀川の欠点は、かれは子供のようにアンビシャスで、それを露骨に口にすることだ。例えば、貧民窟で伊藤博文と比べられたら自分の方が偉いと答えたこと。
第二に、彼の人間認識が非常に甘いこと。つとめて人間のいい面だけを見ようとするから、利用され失敗や悪評を肩替わりさせられる。
第三に、誇張癖をあげねばならぬ。人を紹介する場合、実力以上に見える表現をするくせがある。
これらの欠点を彼は誰にでもおおっぴらにみせるから、人によっては「鼻持ちならぬ」という印象を与えるのである。

大宅は
賀川追悼文に、賀川の影響の偉大さを記しいる。宗教から新たな政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は賀川豊彦に源を発している。


加山久夫氏
賀川豊彦記念松沢資料館館長による「大宅壮一の賀川豊彦素描」雑誌 雲の柱 22号2008年春発行から引用
大宅壮一は宗教や政治党派を否定し、真の人間のあり方を率直に語る。面白い逆説で真理をついた。


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雨が晴れて空気が気持ちよい 小田原下曽我の代かき

cd3afd62.jpgドシャブリの雨でもトラクターで耕すつもりだった。
小田原に来てみると晴天、五月晴れ。風が気持ちいい。
西大友の2枚の田んぼを先発の石川さんと山本さんが耕している。待ち合わせの春水田んぼに9時前にきたがいない。結局10時にトラクターとともにきた。

西大友で地元自治会長につかまりヒエやコナギの種を飛ばすなと延々と注意された。
で、まあ最後は自分が毎日水を見てやるとなった。その間小一時間。余所者はいつも文句を言われるが平身低頭お願いするしかない。ケンカは御法度。田んぼの貸し主に迷惑がかかる。

マークさん
アメリカはアリゾナの出身。今日は早朝8kmをジョギングしてきたという。カラダを作り直すという。50歳までにトライアスロンに挑戦だ。農業が好きだという。面白い。

カエルがたくさん跳ねる。トラクターに踏みつぶされそう。往生してきれ。肥やしになる。


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2009年05月29日

価値観と行動原理 自分自身のカタチ

41d9092e.jpg雨だ
濡れながら小走りに走る

価値観とはなにか
どう生きるか
どう生きるとはなにか
それかは何を選択するかかもしれない。どう動いていくか。行動原理だ。

欲求がある
その欲求には、カッコつけたがるもの
何でも欲しがるもの
楽をしたいということ
つまらん。

知りたい。真理を。
苦しくなりたい。
深い矛盾を感じて動く。
相矛盾する気配をつかむ。

社会的につながってゆくためには、当然社会的に生きる。だが、社会的に生きるために存在はしない。

だが、本当に自分をわかろうとするなら
結局、死に対する考え方になる。
死をどうとらえるか。

死を死として考えない。わめき走りパワーを全開して生き抜く。
何も考えず何も恐れない。
ただ、無にして空になる。ならんと欲する。
そうして偶然がやってくる。ことわりもなしに。
突然の生の終わり。
そこここに死は散らばっている。
単純にある。

いつもやつは忍びこんでくる。殺さない。逃がしてもいつか死はやってくる。


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2009年05月27日

元気ですか カラダとココロとそして霊性

0ce59564.jpg面白いことを言う先生がいる。
れっきとした大学病院の歯科医師だ。
その人の父親も著名な歯科医師だったという。兄弟も医師という医者一族。

この先生の治療が変わっている。患者の体に触れずに治療する。いや治療というか患者が自ら体を激しく動かしたり叫んだり泣きわめいたりして自己治癒を行う。その手助けをする。
さすがに大学病院では一応歯科治療として歯が痛いなど歯の治療をしたこととしているらしい。

この先生の話を聞いた。人間はもともと体の歪みを治そうとする。体は、カラダとココロとそして気というかもうひとつの霊性が宿っている。病気と健康は絶えず動いている。絶対の健康も絶対の病気もなく、毎日変化している。そのバランスで大切なのはカラダとココロと霊性だ。
これが壊れると病気に傾いていく。

ストレッサは生命に不可欠だ。このストレスをうまく活力にかえること。自分は自己治癒をする患者のスイッチをいれるだけ。

自己治癒のビデオを見ると驚く。診察台で患者が勝手にカラダをめちゃくちゃに動かしている。ヨガのポーズに似ている。本当に勝手にやっているという。また、顔面を百面相にしている女性がいる。大口開けたり歪めたり。さらに大声で歌いだす人もいるという。すべて勝手にやりだすと。

不思議だが面白い。この先生、失意のなかでチベットに行きある仏殿で会得した。以来、この不思議パワーがついた。

いま小さな学習会をしている。あと少しで公開の講座を準備したい。変な人が面白い。


nobu23 at 06:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 体験日記 | 生命・自然・宇宙

2009年05月25日

バカになる難しさ 奇跡のリンゴの木村秋則さん

18a1a5ac.jpgうさんくさいな。
最初に知ったとき思った。それとも、まるで仙人みたいな人かな。あまりに突き抜けているか。
どちらにしても近寄り難いなと。

しかし、この本は本人が書いたものだ。つい読んでみた。赤裸々に書いてある。
最初は普通のリンゴ農家だったこと。それが皮膚が赤剥けするなどの農薬被害で変わったこと。

この木村さん。
「奇跡のリンゴ」の本の表紙写真は歯がない。笑っている。どこか世間離れしていてヤバそうだ。また、トンでもない理屈を振り回すかと敬遠していた。とてもついていけないと。

ところが読んでみると至極まっとうだ。かの福岡正信氏に心酔しながらも違うという。自然農法ではなく放置でもなく自然栽培だという。実は剪定もすれば必要なときは下草も刈る。虫もとる。

途上で、まったくリンゴがならない時期には貧乏のどん底に落ちる。だがなりだしたら直販もしている。全国のファンから引きも切らない。経営でも農薬肥料代がかからないから儲かる。売上高より純利益が問題だという。
しかし、やはり一番すごいのは、見る目である。観察眼である。リンゴの葉っぱはもとより雑草一つひとつを見る。虫たちを見る。その行動原理を見る。一日中、毎日見る。農業というより自然観察。自然研究である。ここから山に学ぶ。
そうして無農薬だけではなく無肥料という常識では考えられない挑戦に成功する。山の自然を再現したのだ。
だが、これはやはり半端じゃあない。高度な研究者だ。それも実践的で熱い。

その軌跡は困難と生活破綻の連続だ。だが、多分、その過程そのものを楽しんでいたのではないかと感じる。

全国に仲間を増やしたいという。自然をよく見てそれぞれの土地と水と風土にあった栽培を見つけろという。

価値観のコペルニクス的大転換。自然の摂理を理解し共に生きている。虫も草もリンゴも人もまったく同列だ。こういう人が同時代にいる。すごいな。勇気が湧いてくる。


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2009年05月24日

大きな社会変化の嵐 そのなかを生きること

eee6911b.jpg国家予算の大盤振る舞いだ。もはや収支バランスといったまともな財政経営が成り立たない。危機が深まるとやけくそだ。
アメリカもそしてそのアメリカに貢ぐ日本も国債乱発、ドル乱発。これで国債暴落とハイパーインフレに向かう。

アメリカの超一流企業では債務超過と企業会計基準の改訂で粉飾決算で資金調達。日本も税金注入と債権買い上げと株価操作により国有化。

明らかに資本主義は終焉を迎えた。もうやっていけない。ドル切り下げか紙屑。

では、どうするか。
一人ひとりが変わること。地域で確かにつながり自前でのローカル経済を狙うこと。これは孤立ではなく、このことを世界の草の根ネットワークでつながること。

お金の自己目的化ではなく、いまの国や社会システムを守る前提では、またお金持ちたちにいいようにやられる。そうではない、貧乏人による貧乏のための貧乏の社会を世界的に誕生させたい。

イギリスでは農村地帯が衰退し大企業が逃げていった。そのとき住民自身で出資して会社をつくり自治体と連携した。例えばバスの運行だ。運転手の育成から担う。儲けが目的ではなく、住民の住民のための企業の誕生だ。これがソーシャルエンタープライズというらしい。エンタープライズと聞くとかの空母かと嫌悪感があるが、こちらは企業とか事業のこと。社会的企業。

バングラデシュのグラミン銀行もそうだが、新しい下からの革命が静かに起きてくる。

街の裏路地にも地蔵尊がある。


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2009年05月22日

沖縄に学ぶ 楽しむ

90fe2c96.jpgなぜ沖縄か。
沖縄は本当に日本かと思われるくらい風景が違う。家が違う。木が違う。空気が違う。人が違う。そして海がまったく違う。

復元した首里城をみると明らかに中国だと思う。まっ、当時の日本も同様だったと思うがよりストレートだ。だから、中国、日本、朝鮮、台湾、東南アジアとの交易など往来のハブとなっていた。琉球舞踊をみると、エイサーのような飛び跳ねる動きの激しい、これは韓国の踊りに似たものとは明らかに異なっている。むしろ日本の古典舞踊に近い。動きがゆったりとして優雅だ。宮廷料理も食べてみると一般の沖縄料理と違い、素材こそ一緒だが味がキツくない。どちらかというと薄い。

ある国や地方を理解しようとしたらやはり歴史と文化が必要だ。それも机上だけではダメだ。生のもの。これが必要だ。それが絵であり食器や道具や踊りや物語ではないか。また海でありお年寄りではないか。

いま世界はキシンで恐慌に向かう。新たな社会の仕組みを生み出していかなければ、危うい。

その未来は過去と異端にある。もっとも悲惨な場所にもっとも輝く未来が埋まっている。地代を見通すチカラは本や知識やアタマからは生まれ得ない。もっぱらフィールドワークすること。カラダを使い苦労を共にすること。つらい思いに共感すること。そのこと自体を楽しむこと。

佐喜眞道夫さん
佐喜眞美術館。
未来は沖縄からやってくる。ニライカナイということ。


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2009年05月21日

ウイルスとの共存

12355650.jpgウイルスとは不思議な生命体だ。いや生命ではないと言われる。では何か。

しかし、もともと本来生命自体の定義が難しい。機能の恒常性の維持だとか、ホメオスタシスを特徴としたり、福岡伸一氏にあっては「動的平衡」と呼ぶ。要は、生物と無生物のハッキリした境界がないということ。
つまり、その中間形態がある。ウイルスは単体では生命活動をせず宿主に寄生してはじめてスイッチがつく。
細胞に入りこんで増殖する。

だが、ミトコンドリアだって細胞に「寄生」する他細胞だという。だから、男性からは引き継がれずもっぱら母体から継続される。だから人類の系統が分かりグレートマザーがアフリカにいたとわかる。

ウイルスとか自然の凄さは人間の管理レベルを超えていく。生命の一連のつながりは絶てない。一説によるとウイルスの活動が進化をもたらしたとも言われる。

さて、新型ウイルスだ。明らかに単純防御に限界が見えてくる。感染性が高い。ということは、広がっていく。もし強毒性なら広がらない。スペイン風邪は戦争とともにあった。特殊な世界において致死的で感染性の高い恐ろしい病原性をもった。

いま怖いのは、ウイルス自体よりもこうした社会の変化そのもの。テロとの戦いの次は、ウイルスとの戦いか。共存しかないと思える。もし感染して風邪を引いたら休めば治る。すると免疫ができる。それでいい。


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2009年05月19日

沖縄 その地獄と生の光

5d16e78f.jpg職員旅行だ。
2日間久しぶりに観光コースを歩く。

しかし、沖縄の旅は戦争との出会いである。佐喜眞美術館。巨大な丸木位里、俊夫妻の沖縄戦の図。圧倒的な空間だ。佐喜眞道夫館長が解説する。本土決戦を準備するために最後のひとりまで玉砕しろと。米軍の降伏呼びかけは地獄からの声に聞こえ、敗残兵による住民虐殺があちこちで繰り広げられた。

目をそらさずじっと見る。死体の線と子供たちの絵に生への祈りが見えてくるという。

普天間基地に食い込んで美術館がある。巨大な祖先の墓のおかげで土地返還と地代が入った。美術館の建立は丸木夫妻の針治療が縁だという。

丸木位里さんは、死んだら地獄に落ちると話された。自分たちは、あの戦争をとめられなかった。
丸木夫妻の不思議な存在感。自然との異空間を自由に行き来しているようだと解説文にある。

屋上からすぐ目の前はもちろんぐるりが基地だ。沖縄は一番いいところはすべて基地だという。日本人がこの基地を維持している。沖縄は米軍基地を維持する多大なお金を日本から頂いている。
お金はいらない。土地を返せ。代替基地も必要ない。と奥さんの佐喜眞さんが話してくれた。

一坪に4トンの爆弾を落とした。首里城はガレキの山になった。日本軍の司令部が地下深く4千メートルの基地を作った。それが破壊された。

その首里城の中腹にこの大赤木があった。この小さな森は不思議にも残った。霊気が宿る。


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2009年05月15日

賀川豊彦にどう学ぶか

cbb613d0.jpg季刊「at」という雑誌に賀川豊彦が特集されている。その現代的可能性を求めて。
そこには実に多様な人びとが寄稿している。山折哲雄を始め田中康夫加山久夫氏などだ。生協からは、生活クラブ澤口隆志氏とコープこうべ元副理事長増田大成さんによるもの。本家の日生協からはない。


賀川豊彦の学び方は難しい。工夫が必要だ。なにしろ労働運動、農民運動、生協運動から貧困との戦い、飢餓との戦い、そして世界連邦などへの提案。詩人、作家。キリスト者など。賀川豊彦は実に多様で様々な顔を見せる。そして戦争協力者との批判や右翼と罵られ、逆に左翼と批判される。

まずは、全集の特に11巻の協同組合論が面白い。それから、詩がいい。胸が熱くなる。そして小説だ。

だが、これだけだとわからない。なぜああいうとてつもない運動と事業が可能だったのか。それから、その関わった組織が今日も存続し発展していることが。賀川豊彦がいなければ、いまの生協はない。存在していない。

ではどうするか。
歩いてみること。関わりの跡を。関わりの人びとを。なるべく自分の足で探りまわること。間違いなく行動のなかからしか見えてこない風景がある。変わった人を知るためには、変わった方法から迫ってゆくことだ。工夫してみる。


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2009年05月13日

東京おもちゃ美術館と野浦村「文弥人形」のコラボレーション

6768ce17.jpg多田千尋先生との出会いから10数年になる。神奈川県けんぽく生協で福祉活動とおもちゃについて、講演していただいた。このときおもちゃの深さに感動した。日本はおもちゃ大国だ。老人と子供たち、目が見えない人とのおもちゃ、親子のコミュニケーション。リハビリなどなど。想像力と創造力。面白さと共感力。とりわけ江戸時代の民衆のおもちゃが豊かだ。

いま四谷の廃校を使っておもちゃ美術館を展開している。地域の拠点である。全国への元気の発信元である。

その多田千尋先生と佐渡野浦村が出会った。臼杵秀昭君と中島君である。臼杵君は野浦大神宮の宮司。中島君はNPOトキの島事務局長。過疎地で里山復活とトキの復元を村あげて取り組んでいる。
有機栽培や特別栽培。そして休耕地復活とビオトープつくりとドジョウの繁殖。トキと共に豊かな里山再生を目指している。

この村あげての活動は、その中心に伝統芸能の復活がある。ひとつは正月の祝行事の春駒だ。お面をかぶった数人が平太鼓と囃子で踊る。一軒づつ訪問しアドリブで語りかけで無病息災と豊作祈願をするのだ。春とは新たな年を迎えること。迎春と駿馬をかける。

もうひとつは「文弥人形」芝居だ。近松門左衛門以前だといわれる古浄瑠璃を演じる。演目は数十に及ぶ。双葉座と呼ぶ一座を結成し30年活動している。数年前、佐渡で前進座が「天平の甍」を上演したあと夜遅く野浦村に入り、明け方まで双葉座と共演して芝居明かした。地元新聞でも取り上げられた。
こういう伝統芸能の練習は毎週、公民館で二時間も行われている。これが老いと若きを仲間にしている。楽しみ力。野浦の活力の源泉。

時代のパラダイムシフトは頭で考えても無理だ。腹から楽しむこと。バカ力だ。

おもちゃのチカラ。大きな木桶に小さい木玉が2万個。ここに寝転ぶ二人と多田千尋先生。この講堂で11月3日にトキ復活と有機農業と里山再生の報告が企画される。そして文弥人形と春駒上演だ。楽しみだ。


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2009年05月11日

賀川豊彦献身100年と世界恐慌

f030384a.jpg賀川豊彦について、断片的な理解しかない。ただ、彼の軌跡こそこれからの世界に重要な示唆を与えるだろう。

アメリカのバブル崩壊は世界を巻き込み、日本は最低の不況に突入しつつある。
アメリカの負債は8000兆円にものぼるという。日本の年間GDPが約500兆円に過ぎず、税収が色々いれても70兆円だというからトンでもない額である。アメリカがこの3倍の規模だとしても消滅する金額は凄まじい。これを国債とドルの乱発で他国の富を吸収して再建可能か。無理だと思える。

すると信用崩壊とハイパーインフレか戦争といった悪夢のシナリオがおきてくる。そうならないために何をしなければならないか。
あるいは、そうなったとしたら何が必要か。

経済の枠組みの変革だ。現在の大企業の再建ではなく持続可能な自然との共生とコミュニティーの復活である。
しかし、そのためには基本的な価値観が変わる必要がある。
お金を軸とした価値観から人を軸とした価値観への転換である。
これは、言うほど簡単ではもちろんない。日常は、お金に支配されている。お金がなければ何もできない。したがってそのお金に逆らうとひどい目にあう。だから、徐々にお金が無くても生きられる社会をつくるのだ。お金を使いながらお金が無くても生きられるコミュニティーを目指す。

どうしたらいいか。
いますぐ、地域で仕掛けることだ。コミュニティーに働きかける。コミュニティーをつくる。お金をお互いに回しながら。

しかし、そんなことが可能か。これを実現した先輩がいた。
賀川豊彦である。世界恐慌を生き抜き、東北地方の餓死者を出した飢饉で活躍した。神戸を始め首都圏の極貧地域で住民自身によるコミュニティーの復活と創造をなした。

これは人格経済と協同によって。立体農業という有畜複合農業など彼の思想は現代のモハメド・ユヌスに似ているがもっと幅広い。

戦前のアメリカでも協同組合を建設した。その賀川豊彦の献身100年記念行事である。生誕100年と勘違いしたが、生誕100年は1988年だった。献身とはスラムに住み込んで以来という意味だそうだ。まさに恐慌前夜で学ぶものが多い。


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2009年05月08日

仕事についてのメモ

c03327bc.jpg何のために仕事をしているか。
もちろん自分が食べるためだ。自分のしたいことをしたいから。

だが、そうは言っても仕事は結局、他人のためにすることになる。当たり前だが。人は必ず人とのつながりで生きている。孤立した自分というものはない。

そうだとすると、他人のために何ができるか。人のために本当に役立つことができるか。それが仕事になる。

本当のエゴイストは、他人に奉仕する。自分のためだから。そのときには自他合一となる。
発展や進化をきらうむきもあるが、仕事はやはり進化する。仕事には歴史と物語がある。しかも、それは人びとの物語となる。個人史は自分史ではなく、自分を含む世界史となる。

若いということは、無謀に見える高い目標に挑戦できることだ。だから、高い目標に我知れず向かってゆけることは若いといえる。
ホンの少しだけ「長い経験」を積むとわかったようにチャレンジをしなくなりがちだ。できそうもないことは、最初からやらない。それが利口だと思っているのもいる。ダメだな。

これは、失敗や他人の評価を恐れているからだ。だが、仕事の失敗はつきものだ。挑戦とは、いま現在の自分では不可能に見えることにチャレンジすることだから。
評価とは、自分のために自分がまずやることだ。人の評価は、参考にすればいい。

仕事の面白さはどこにあるか。他人とともに問題を解決することにある。とりわけ難しい問題を。しかも、机上ではなく実生活でだ。だから、事業は面白い。事業はごまかせない。問題はいつも現れてくる。そこから深い学びを仲間とともにできるかが勝負だ。結果は必ずついてくる。

失敗こそ、本質的だ。ものごとの真理にいかに近づけるか、それこそ仕事だと思う。

村にはいたるところ仏がいる。山のそこここに。


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2009年05月06日

ツバメ 駅ビルにて

e604ae80.jpg今年もツバメが戻ってきた。最初に見たのは4月12日の日曜日だった。ひらりと舞うその姿を見つけて嬉しかった。

不思議だ。
遠く東南アジアまで行くという。何千キロとこの小さなカラダで飛び続けてきたのか。
そうして、毎年、造り変わり変貌する町に舞い戻ってくる。しかし、よく戻って来れるなと思う。

しかも世代を越えて戻ってくる。この生物の不思議と小さなカラダに秘められた超能力。

早朝、じっとしてまだ動かない。見るからにかわいい。
これでいったん飛び出すとひらひらと虫たちを採る。すごいワザ。
電車に急ぎながら、生命連鎖の大いなるうねりにわずかに触れたような気がした。


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2009年05月05日

村の暗闇 異界と恐れ

143bf3df.jpg朝の太陽の輝きとともに、爽やかな里山が清涼に現れてくる。
ほっとする。

だが、それまでの暗闇はどうだ。
以前、落ちついた時代。それは、しんしんとした夜更け。魂が幽玄と遊び不思議な自由を感じて弛む時間。
名も知れない虫たちが鳴いていた。時空を星たちと住んだ。

いま、不安と恐れとを身につけてみると、覆いかぶさってくる恐怖が揺さぶりだしてくる。暗闇が生臭い。

灯りをつけて、確かめる。自分の存在。
まわりをつつむ不思議ななにもない存在。
気配と音と。

まだ、未熟な神経には響くな。弱いな。

村は、夜を抱えている。大勢の村人はもちろん、それを知っている。死と異界とそして生とを。

光明真言。
おん、あぼきゃ、べいしゃのう、なかぼらだら、まに、はんどま、じんばら、らばりたや、うん。
南無阿弥陀。
祈り。


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2009年05月04日

新君との別れ 野浦村

c804a315.jpg若くたくましくなった新君が、自ら命をたった。28歳。

佐渡の野浦村に住んだのは、3年半前だった。東京の会社を辞め、東北から富山回りで親戚の浜松に自転車で旅をした。そしてそれから箱根越えをして三国峠を越えて、新潟から佐渡に渡り、村の祖母と二人で住みだした。

最初は、夜型で昼は寝ている。色白でカラダ中にアトピーがあった。ところが、佐渡の農業公社に勤めだして変わった。早朝、大きな目覚まし音で飛び出していく。8時10分前には職場に着き30分前には、もう仕事を始めたという。

カラダはたくましく赤銅色に変わり、アトピーも無くなった。

夏は、温室の中が50度にもなるといい、汗が塩になると平然と話していた。
そんな新君が一番、気を使って大事にしていたのはおばあちゃんだった。都会に慣れない新君と、やがて90歳にならんとする祖母の田舎の二人くらし。
村の共同作業にも新君は家を代表して出ていた。
カラダは丈夫になったが繊細で人見知りがちな心優しさは変わらない。

新君がバイクに凝りだした。心配だった。そして通勤途上で事故にあった。
小学生の飛び出しでハネてしまった。子どもは救急車で運ばれ警察の取り調べを受けた。集中治療室で待機するとき、被害者側に心配されるほど立ったままで憔悴仕切っていたという。

その夜、何も口にせず、そして明け方、両親が離れの納屋で自死したのを発見した。
デジタルカメラに遺言があった。子どもの回復を祈り、自分はもう限界だと。先にいくことを告げて、残される家族に仲良くくらしてくれと。


残された兄夫婦の衝撃と実家の母の悲しみ。
それから、毎日村の人びとにより実家で葬式が執り行なわれた。通夜や告別式だけではない。早朝から親類が集まり、役割を決め配役を張り出していく。
夜は毎日、真言宗豊山派によるお経を村人が大勢集まり挙げてくださった。

棺が村を離れてゆくときは、田植えのもっとも忙しい時期なのにほとんどの人が集まり、見送ってくださった。

村は、柔らかな初夏の陽気。山は、新緑に包まれていた。もえぎ色や黄緑色のなかに山桜が淡い薄紅のように散らされている。
海は、ベタ凪。キラキラと輝き、水底まで透き通っていた。

新君の作った裏の花畑。
美しい村のたたずまい。こころに沁みる。


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