2011年03月

2011年03月31日

事業構造を変えること なんのために組織はされるか

制御不能になる巨大組織。問題が起きているその現場から、死の恐怖と戦うその現場から遠く離れて、病院に逃げ込む卑怯者たちが、その組織のトップにいるようなシステム。真面目で誠実な人々が下にいき、あるいは下請け会社にばかりいる巨大組織。組織内駆け引きや組織政治のうまい多数派工作ばかりのずる賢いヤツばかりがエラそうに指揮している。こういう風にしか見えない。外側からみる事故会社。

では、大きな組織が問題解決を俊敏にこなし、一人ひとりが人間的な感性をもち、暖かな友情と小回りのきいた問題解決に励むことで、どんな困難にも真っ直ぐに挑んでいく、そういう組織になるにはどうしたらいいか。

そのためには、問題をごまかさない。組織の上下で議論を決めつけない。問題発生のそのただ中に議論をおくこと。小さな問題解決集団が無数に活動している状態。それが可視化されて共有されていること。

絶対に逃げずおもしろがること。究極のリーダーシップは、一番いやなことに臨むことだ。そのなかからしか見えてこないものを掴む。

熱い鉄板の上で踊るような、大きな油鍋で焼かれるような、暗い地下に閉じ込められるような、息の出来ない泥の海でもがくような、そういう場面で耐えられるか。楽しめるか。面白がれるか。

平時に積み上げられた巨大組織。位階制度と高度な分業。このシステムが壊れる。壊す。

一人ひとりが、問う。大地震、大津波、原発事故。歴史上かってない被災のなかで未来をどうつくっていくか。いきたいか。一人ひとりが、主人公でそしてつながっていく。いきたい。



nobu23 at 06:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2011年03月30日

先遣隊 愛と協同

いわて生協に救援に行っていたメンバーが戻ってきた。あいコープみやぎに行ったメンバーも無事に帰還した。話を聞いた。まずは、五徳コンロ、寸胴鍋、LPガスを一式準備し、カレーのグザイも整えていく。牛肉は100kg、これは螢僖襦Ε漾璽箸らの提供だ。困ったのはガソリン、高速道路で小刻みにガススタンドで入れる。数珠繋ぎの待ち列で緊急車両マークで誘導してもらい充填する。

いわて生協本部に着くとすぐ震度4の大きな揺れで歓迎される。山を越えて着いた陸前高田市は破壊されていた。ゴミと瓦礫の山。道もろくにわからない。非常に寒かった。雪がちらつく。それでも人がいた。

炊き出し開始すると、大勢集まり暖かい炊き出しは初めてという。子ども達が手を振ってくれた。帰りはまた山越えで雪が積もり始めて怖かったという。

避難所は自衛隊など比較的支援がしっかりしていたが、家は残っているが水道電気も無く物資の手に入らない人たちを訪問して応援したいと思った。

あいコープみやぎは、組合員の2割は被害の大きい海岸線に住んでいたようだ。所在と安否確認に回る。そういう場所では、まだほとんどが連絡つかない。しかし、先週から2品、今週から5品と少しづつ手書きの注文用紙で届ける。本当に喜ばれる。

パートさん1名が無くなった。家族を失った職員もいる。

配達中、津波に襲われて車の上でにげた人、木に登って逃れた職員がいた。あいコープみやぎは基幹業務の建て直しに着手したばかり。地域支援などはまだまだ人が足りない。物資もまったく不足している。

先遣隊のヒシヒシと迫る報告を聞く。写真を見る。何が可能か。そして力を合わせる。現地とつながり継続的、長期的な支援体制を急ぐ。最後は、人への深い愛を。

寒い、そして何も無い被災地に行く人々。そしてそれを支える大勢の仲間達。カンパも続々と集まってくる。



nobu23 at 07:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2011年03月28日

原始人への助走

現代人の態度。寒ければ暖房。暑いと冷房。階段はエスカレーター。移動は車。食べ物は買ってくる。あるいはレストラン。簡単便利。このままいくのかと思ったら、自然は想定外。われわれの考えるシステムをはるかに超える恐ろしいパワーを見せつけた。こうなるともろい。人間はもろい。危うい。

だが、そこにバカがいる。たくさんのバカがいる。電気も水道も食べ物にもことかく避難所に自らは入り支援する人びと。特にお医者さんと看護師たちの献身的な活動。放射能汚染の恐怖のなかで住民の安否を気づかう市の職員たち。みんなすごいな。テレビを見ていてこういう人がまだまだ陰に隠れて多勢いると思うと、すごいなと感動する。すごい。

僕たちになにができるか。しなければならないか。

それはできる。まだまだできる。しなければならないことが山ほどある。

一歩づつやれるところから片付けていく。焦らない。無理はしない。

組織や仕事を離れても出来ることは山ほどある。

アメニモマケズを復唱してみる。宮沢賢治が微笑んでいる。いま僕たちは文明の転換点に立つ。



nobu23 at 06:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年03月27日

蘇る岡本太郎 「岡本太郎 神秘」

岡本太郎の言葉

われわれはひたすらに、生きるために生きている。

さらに残酷にいえば、すべての生命はその帰結である<死>に向かっている。

だから生きることは死ぬためであるといえる。

生と死のサイクル。

透明な輪。

定着した社会共同体の、いわば平衡をえて、満ち足りた信仰と、同じ日本民族の中に発生した修験的山獄信仰。ーその本質は未知へのアヴァンチュールに激しく賭け、孤独と不安の非社会的な世界観である。

「岡本太郎 神秘」岡本太郎の撮影したネガを写真家「内藤正敏」がプリントして岡本の言葉とともに構成したもの。

内藤によれば、「写真は見えない世界を写しだし、人間の意識を飛びこえることがある。写真はモノの本質を幻視できる呪具だ」という。

若い時代、パリに住んだ岡本はピカソらの芸術家の他にパリ大学で民俗学(文化人類学)をマルセル・モースに学んだ。ジュルジュ・バタイユらと「コントラ・アタックの会」を結成してヒットラーやムッソリーニに反撃するとともにスターリン独裁に抗議した。イデオロギーではなくコスモジー。

岡本太郎の世界はこの内藤正敏とのコラボレーションで見事に現出している。

人間精神の根源は、非合理性にある。あらゆる民族文化の背骨になっている神話・伝説は全部が非現実的である。

シャーマン。アニミズム。東北の厳しい自然のなかに神々を宿した人びとを写しだして思想化している。

もう一つの宮本常一。村上春樹。姫田忠義。グローバリゼーションではない世界性。内奥と宇宙。



nobu23 at 03:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年03月24日

新しい時代のはじまり

いま日本に求められているのは、復旧ではない。これまでの社会や生き方を見直して、新しい生き方や社会を創ることだ。と力説するのは「のんびる」前田和男編集長。

巨大エネルギー施設、巨大な港湾施設、便利過ぎる生活、大量生産、大量消費社会を変えていきたい。

では、それはどこからはじめるか。すでに始まっている。いま、全国から多勢の人たちが、まだ新幹線も道路も復元していないのに続々と被災地に向かっている。山形県、秋田県側から迂回して入る。待避所のお手伝い。支援物資くばり。生協は地元生協の対策本部と連携してたくさんの毛布や水やバナナなど食品を届けた。先遣隊に続いて支援部隊を送る。この人びとこそ新しい人類。じつは昔からひっそりと地域を支えていた人びとだ。こういう人たちこそが懐かしい未来をつくる。

深刻なのは福島県だ。見えない放射能汚染の恐怖と闘う。パルシステム福島が郡山センターといわきセンターを稼働させて救援物資を配る。放射能汚染の広がりのなかで必死に活動している。昨日も10トントラックで物資を送った。ジュースなど食品だ。それを配る。

福島県、栃木県、茨城県、群馬県のホウレンソウなどがヨウ素が高いと規制された。いったい誰がこの放射能汚染を広げたか。せっかく作った野菜が大量に廃棄される。泣くに泣けない。そしてつぎつぎと汚染が広がりそうだ。困った。

しかし実は、東京電力の隠蔽体質に限界がきた。政府も隠せない。世界各地のモニターや科学者などが測定と検査を進めている。公開している。日本政府に隠すなと要請した。隠せない。ウソをつけない。

すると今度は汚染実態が知らされる。不安と恐怖が襲う。しかし福島県や茨城県の人たちはどうなる。本当にひどい話だ。

でも、冷静になること。科学者もお金や名誉欲ばかりの雇われバカばかりでもない。空気中の汚染を毎日調査してなにがどの程度汚染されるか、それがどれだけヒトに影響するかキチンと実名で公表し議論している人たちもいる。そうした真の科学者や技術者と連携して、NPOなど勇気ある救援隊が活動していく。自分だけが助かるのではない。みんなで考えること。みんなで生きてそうして死ぬこと



nobu23 at 07:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年03月22日

超能力について

普通のヒトが持ってない、と思っているチカラ。

ヒトは、アタマとカラダと実はもう一つ、気がある。スピリチュアル。

アタマは意識、あるいは知恵、考えるチカラ。

カラダは、そのアタマのためにある、のではない。カラダはカラダのためにある。

カラダのために実はアタマがある。これが普通はわからない、と思う。

さて、このカラダとアタマないしココロをひとつにしたものに「気」がある。

この気を使うのが超能力だ。

気の使い方

トキドキ吠える。カラダをリズムにのせて暴発させる。深く浅く短く長く呼吸をする。止める。

考えない、考えることを外から眺める。もうひとつの自分をつくる。

強い思いをズラす。右側頭部上部の外脇からイメージを向ける。向けているイメージ。

こうあったら、いいなのイメージをいったん忘れて、外側におく。しかし離し過ぎない。

小さな細かいものごとの動き、出来事を見逃さない。それも自分の内奥に目立たず起こっている動きだ。

これをつかんだら、そっと見続ける。できたら、呪文を唱えながら気を溜めて、ときどき一気に全身で爆発させて吐き出す。

宮本常一、賀川豊彦、空海、親鸞、岡本太郎、そして苫米地英人。



nobu23 at 06:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年03月20日

心豊かなくらし について

パルシステムの理念

心豊かなくらしと共生の社会をつくります。

平凡な字面、これを昌和するか、などと思えるかも知れない。だが、これは当時の各生協のリーダーたちが40時間以上にわたって議論を重ねてまとめたものだ。ワークショップをしてキーワードを抽出してまた議論する。しかし作ってしまうと飾り物になる。

心豊かなくらしとはなにか。

アジアを旅する。フィリピンのスモーキーマウンテン、バンコクのクロントイスラム、それは汚ない。ゴミの山、腐った汚水が流れる。そのなかを裸足の子どもたちが遊んでいる。臭い。鼻が曲がりそう。

でもその子どもたちの目がキラキラしている。楽しそうだ。やたら元気だ。

さて、東京に戻ると清潔で整ったビル街。電車が時間通りに走る。でもみんな不機嫌そうな顔をして目が沈んでいる。心が塞ぎ折れそうだ。自殺者ははるかに多い。

パラドックス。豊かになって来たのに、なにが足りないか。

闘いについて。

昔、世の中をよくするといい、社会を変えると叫んだリーダーたちが党派闘争に明け暮れ、内ゲバに転落していった。世直しといいながら、敵をつくり人を攻撃する。自分たちだけが正義だと。いやになった。果ては陰謀だ。スパイだ。撹乱だ。やっつけてやる。こうして壊れていった。言葉が踊る。その実、仲間か敵か。凄惨な傷つけあい。

アジアのスラム。そこにあり、私たちが失ったもの。貧しさ。貧困。不潔。そして心。仲間。信頼。大らかなバカさ。タフなバクテリアとの共存。ひもじさ。かじかむ寒さ。

エジプトの革命は、戦車と秘密警察と情報機関に勝った。いや、負けなかった。陰謀に勝つのではない。あたたかなバカになりたい。素手で裸でカラダを投げ出す。

心豊かなくらし、とはなにか。考え続ける。



nobu23 at 06:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2011年03月19日

共生概念のおもしろさ

共生という言葉を最初に使ったのは、アントン・ド・バリーだという。ドイツの植物学者で1878年に作った。「種の異なる生物が共に生きること」と定義している。

地衣類は、開拓者である。岩石や極地の氷など過酷な環境で育つ。それから植物などがそれをベースに繁茂していく。地衣類は種類が多く博物学者は、千種類にも分類した。ところがスイスの植物学者サイモン・シュベンデナーが、地衣類は、互いにまったく異なる二つの生物、藻類と菌類からなる「共生生物」だということを発見した。

ハチドリは300種類以上がいて花の蜜を主食としている。ムラサキケンバネハチドリは、花の形と同じ様に長く湾曲した口ばしを持つ。花とハチドリが共に進化した。

もうひとつは「捕食者」と「掃除屋」の関係のおもしろさ。サメなどの獰猛な捕食者が、海底でおとなしく列をつくって待ち、小さな魚やエビなどに、皮膚や口などの寄生生物や食べカスなどを掃除してもらう。「行動共生」と呼ぶらしい。

この関係が成立するためには、捕食者も掃除屋も大きく行動を変化させなければならない。捕食者は、食欲と攻撃性を捨て、掃除屋の小魚やエビは恐れや逃走本能を捨てる必要がある。そしてその関係はDNAに書き込まれる。

さて、こうした共生は実は生物の本質である。それは人間のなかにもある。細菌とウィルス。

細菌(バクテリア)は腸をはじめ人間の身体のいたるところで共生している。皮膚も耳の中も。さらに細胞のなかにも生きている。ミトコンドリア。

だが、最近わかってきたこと。人間のゲノム中にレトロウイルスはそのまま組み込まれているということだ。これはすごい。ウィルスはすべての生物に侵入しDANを組み換えることができる。この組み換えが新たな生物を誕生させる。このとき実はウィルスと宿主との共生による新しい生物体が誕生している。

なんのためにか。

原子力破綻の次に襲うDNAの破綻。人間は自然に勝てない。生かされているということ。全生物とマグマと宇宙は完全につながっている。

フランク・ライアンの「破壊する創造者ーウィルスがヒトを進化させたー」を読んで思った。



nobu23 at 12:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年03月18日

宮本常一 その精神に感動する

宮本常一の精神

われわれの最後の願望は、日本の隅々をまで、安んじて人の住めるところに、したいということである。

戦争の反省

大東亜戦(われわれはこうよんでいた)のおこったとき、私は深いかなしみにとざされた。敗戦の日のいたましい姿が目さきにちらついてならなかった。私にはこの戦争が勝てるとは思えなかった。軍隊が、政府が、どのように終戦へもってゆくかは、われわれにはわからないとしても、まず第一に自己崩壊をさせないで戦いを終わりたいことと、戦いの終わったあとわれわれはどのように対処してゆけばよいかを、今から考えなければいけないと思った。

大東亜戦は批判者の言うごとく、軍部の、政府の、ブルジョアたちの陰謀によるものかもわからない。しかし私はただ単にそのように考えたくない。圧迫させられた民族の心の底のどこかに、あるいは血の中にその圧迫をはねかえそうとする意欲がつよく動いていたことも、この戦争を初期において大きく拡大させた原因だったと思う。

宮本常一はこう言う。

自らを卑下することをやめよう、人間が誠実をつくしてきたものは、よしまちがいがあっても、にくしみをもって葬り去ってはならない。あたたかい否定、すなわち信頼を持ってあやまれるものを克服してゆくべきではなかろうか。

私は人間を信じたい。まして野の人々を信じたい。日本人を信じたい。日常の個々の生活の中にあるあやまりやおろかさをもって、人々のすべてを憎悪してはならないように思う。たしかに私たちは、その根底においてお互いを信じて生きてきたのである。

宮本は歩いた。隅々まであるいた。

第二次世界大戦を戦った日本。その庶民の生きかたの根底を歩き、見て、聞いて、話した。凄惨な戦争の只中にいて、そのなかで生きるすべを語った。

その宮本が生涯で唯一のおすすめの本はと問われたとき、賀川豊彦「死線を越えて」を迷わずにあげたという。



nobu23 at 06:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 読書 

2011年03月17日

恐怖と生きる

核分裂による放射能汚染大気という見えない恐怖。巨大地震とうち続く大きな余震。東京電力の不誠実な対応。連日の被災報道。積み上がる被災者の数。悪夢のような日々が続く。

家を流され、自宅を追い出されて、雪ふる凍りつく夜を、震えながら過ごす人びと。

何ができるか。

できるかぎり、被災地を優先すること。そして流言に惑わされず、あるいは着実に落ち着いて、現場と現場を繋いでいくこと。情報はもとめる人のもとにいく。使う人に集まる。

若いとき、学校の窓から火事が見えた。授業中だ。出ていけない。火事はみるみる大きくなっていく。不安だった。恐怖が襲った。

それからしばらくして、街のなかで火事にあった。今度は駆けつけた。まだ消防車も来ていない。ビル火災で逃げ出す人を助け、バケツで水をリレーする。みんな集まり夢中で消火活動だ。そのうち消防車が集まりお役御免。

現場で動く。問題発生のそのところで考える。被災地に行けなくとも共にある。いま自分ができることをすること。夢中になること。

共生とは自分だけで生きようとしないこと。生きられないこと。みんなで生きようとすること。本当に危機のなかで、恐怖のなかで、向き直ること。

夜明け前に。



nobu23 at 06:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年03月16日

原子力発電の恐怖と的屋君と鈴江君

本当に原発が安全だと広報し、これからは原発の時代だとか、各国に日本の原発を売り込めなどと言っていた人たちがいた。この人びとはいまどうしているのか。漫画家もいた。

お金持ちは我先にと逃げ出している。そして放射能の怖さとこんどは日本の原発関係者を信じない。

しかし、逃げられず、しかも避難所で夜を明かしている人びとが多勢いる。暖はおろか食べ物も十分でないと聞く。お風呂も入れない。情報も伝わらず家族、知人の安否さえまだ分からないという。ほんとうに地獄のようだ。

だが、自分の安全だけを考えず、その被災地にいく人たちもいる。パルシステムの鈴江君と的屋君だ。被災地に先遣隊として他の生協の人たちと支援派遣の先遣隊としていく。向こうの状況を把握して応援の受け皿を確認する。

短い簡単な壮行会で的屋君が話す。妻に、言われた。また、なぜあなたが行くの。バカじゃないの。英雄気取りの偽善者だと。娘もなんでパパなの。バカじゃないかと。

現地は水も電気も無い。電話も繋がらない。不安だらけ。逃げ出すのが当たり前。

しかし、「バカ」っていいね。なんか嬉しいな。涙が止まらない。

鈴江君が現地からツイッターで情報を発信している。激励を。



nobu23 at 06:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 地域 

2011年03月14日

電車混乱、計画ていでん

五時半に小田急駅に行く。途中すれ違ったオバさんが小田急は止まっている。行ってもムダ。シャッターが降りている。といわれた。

確かに駅に近づくと、逆に歩いて来る人たちがいた。タクシーも来ない。いくら待っても来ない。仕方が無いので、いったん家に戻り自転車を出して空気を入れ直し京王線に向かう。何とか動いている。

初めての計画停電。電車運行は大混乱。しかし、みな意外に冷静だ。



nobu23 at 06:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2011年03月13日

メルトダウン(溶融)と技術者のパラドックス

福島原子力発電所の破綻が露出した。技術者の恐怖はいかばかりか。恐ろしい。だが、核爆発を防ぐために献身的な作業に邁進する。

どんな技術にも事故、事件があるという。確かにそうだ。しかし、この論理が通用しないのは技術者ならわかる。事故のレベルがまるで違う。技術制御も被害規模も修正、復元可能性も。

科学のチカラでは袋小路にハマる。科学の枠組み自体を問うこと。一専門家に任せないこと。誰のための誰による技術なのか。そして誰が最も良くなるのか。

いま、命がけで大惨事を防ごうと覚悟して働いている技術者と作業員、自衛隊特殊部隊。その恐怖との闘い。

科学と技術を取り戻したい。科学者と技術者との連携を人びとの真の協同に生かしたい。

エネルギーを自給する。

アフリカのマラウイの奇跡。小学校中退の少年が、図書館だけで独学して風力発電を作った。灯りも井戸水も解決した。廃棄物置き場から自転車のダイナモやチェーンなどを拾い集めたのだ。素晴らしい。

いま、必要なこと。エネルギーを自給する。水力、風力など自然エネルギーを使う。だが、それだけではダメだ。中間技術。自分たちが使える技術であること。使いながら暮らしを変え、暮らしを変えながら、また技術を変えて行く。参加型技術。

原子力という究極の自然界への挑戦と敵対。技術者は責任を覚悟する。

だが、責任は政府や電力会社や科学者だけにあるとは思えない。それらを生み出し続けるわれわれ自身にある。

便利、お任せ、悪いのは誰か。自分だけは悪くない、と、しかし破綻が万一起これば逃げようが無い。

命をかけているのは実は僕たち自身なのだと、つくづくそう思う。



nobu23 at 10:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年03月12日

巨大地震との遭遇  ライフラインの確保

3月11日(金)午後2時半過ぎか、会議中に大きなゆれが襲ってきた。会場がどよめく。
このゆれがなかなか収まらない。しかも次第にゆれが大きくなる。天井の空調の風止めが外れ一部落下する。
これは、大きい。危ないな。これ以上になるとビルがどうかなるかも知れないと思ったらようやくゆれが収まった。

会議を中断し、休憩室のテレビをつけた。すると、巨大地震が三陸沖を震源に発生していた。大津波警報。
会議を解散し、対策本部を立ち上げようとすると、再び大きなゆれが襲ってきた。ミシミシと不気味にゆれる。
エレベーターが停止し閉じ込められた人がでた。すぐ保安要員に連絡する。

いったん、外の避難場所へ移動する。公園に集まり、しばらく様子を見た。
落ち着いてから、再度、ビルに戻り対策本部を立ち上げる。まずは、職員、会員生協などの安否確認。そして施設の被害状況収集。電話が通じない。
ただし、イントラネットは通じる。次第に、状況が判明してくる。いくつか物流センターで問題発生だが、甚大な被害というわけではない。といっても荷物の崩壊、セット機械の故障、停電、天井張り崩壊など影響あり。

しかし、テレビの映像を見て驚いた。津波の凄さ。言葉が無い。
これは、大変な地獄絵だ。ものすごい被害になる。
あと、福島原子力発電所の二基が怖い。暴走を始めている。

できるだけ、冷静に情報を集め、可能なことをこなしていく。コンビニなどではすでに食料などが棚をついた。
こういうときのために、生協はある。生産者もメーカーも必死で生産回復に取組む。私たちもまた、組合員へ食を届けるために全力を尽くす。

nobu23 at 10:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年03月09日

イノベーションと伝統食 「本場の本物」

「本場の本物」地域ブランド食品事業を農水省がすすめていた。事業そのものは例によって財団法人食品産業センターに委託されている。ここでは、担当の二瓶徹さんが全国を飛びまわり地域に眠っている伝統食品などを発掘してくる。これが凄い。

枕崎の鰹節、四国の碁石茶、茨城奥久慈の凍みコンニャク、熊本市房漬け、山形の焼き畑赤蕪漬け、種子島のキビ砂糖、沖縄黒糖など文字通り極めつきだ。

さて、これがまた買い叩かれて信じられない値段で売られている。ほとんど知られていない。沖縄黒糖くらいは有名だが、もともと原料指定になっているため、加工メーカーに買い叩かれる。しかもフィリピンなど外国産に負けまくる。これでは、やっていけない。

さてどうするか。

まずは、この伝統食品の凄さを知り知らしめたい。地域の風土から生み出されて育てられ継続し受け継がれてきたこと。原料栽培から加工技術、製造者の育成と継承。そして、何よりもその美味しさ。料理技術。

いま食の危機にあって、この本物の哲学、思想、理念の体現こそ宝だと本当に思う。

シュンペーターのいうイノベーション。新しい商品は、新しい市場を創造し、新しい顧客を創造する。単に商品や技術の改革だけではない。新しい顧客創造が求められているのだ。

古くて新しい未来。生産と消費の協同。連携。



nobu23 at 08:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  

2011年03月07日

石塚美津夫と「北の農民 南の農民」in ささかみ

星寛治と山下惣一、日本を代表者する農民作家。このお二人を招いてNPO食農ネットささかみが石塚美津夫理事長の司会で鼎談を開催した。会場のふれあい会館は250名を超える参加者で立ち見もでた。

星さんと山下さんの対談「北の農民、南の農民」が出版されてから30年がたった。あの時代とはなんだったか。

星さんは言う。減反政策は農民にとって思想的ダメージを受けた。作れるものを作るという自給・自立の精神の伝統が壊された。高畠は自給を取り戻す。地域でなんとかしたいと40名の若者たちで始めた。しかし理念は正しくとも道は険しい。三つの戦いがあった。自分と、地域と、国と。地域に根をはるために、有機農業を目指しながら除草のみ一回をみとめた。誰でもやりやすいようにした。首都圏でそれを支えてくれた谷みつえさんなど主婦の共同購入運動があった。

山下さんは、当時の流行歌を紹介する。都会への憧れ、村を捨て町へ行く。銀座のネオン、別れの一本杉。朝鮮戦争特需、有吉佐和子の複合汚染。PCP除草剤、真っ白な田んぼに小川はフナやドジョウの死骸がいっぱい。でも、あの辛い草取りから解放された。生協のオバちゃんたちは嫌いだった。日焼けどめを塗り顔や手を覆いながら農薬やめろという。生きるために田畑ミカンを作った。一番儲かったのはタバコだ。タバコを有機栽培してどうなる。

農産物輸入自由化の先鞭をつけたのは前川リポートだ。日銀総裁が経済成長したのに、日本が豊かさを実感できないのは内外価格差が問題だと書いた。食料品、特に農産物が安くなれば暮らしが豊かになると。いま食料品価格は東京と比べて、ニューヨークは130、パリは128、ロンドン153だ。豊かさは実感されているか。

そして話題はTPPだ。

その後、石塚宅で民泊。大いに語り合う。



nobu23 at 06:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  

2011年03月04日

平成の開国 宇沢弘文とパックスアメリカーナ

菅直人首相が言う第三の開国とはなにか。

宇沢弘文先生が怒る。パルシステム生産者消費者協議会フォーラムにて。

第一は1858年「安政の開国」井伊直弼による「日米修好通商条約」。治外法権、関税自主権放棄、片務的最恵国待遇の隷属的条約である。結果、農村窮乏、物価高騰、社会不安が起こり、桜田門外の変、明治維新をへて不平等条約改正へと向かう。

第二の開国とは、1945年日本軍の無条件降伏だ。マッカーサーの占領。このマッカーサーが凄い。アメリカ大統領フーバーによるボーナスアーミー事件の首謀者。フーバーが軍人に約束した1000ドルの恩給を支払わず、怒った退役軍人たちが家族連れでワシントンDCにテント張りで抗議する。それをコミュニストによるとでっちあげ子どももろとも弾圧し虐殺した。慌てたフーバーが中止命令を出したが、その命令書を破りすてる。マッカーサーは反共と軍事独裁の卑劣な人間。日本占領後、官僚で従わない者は排除し従順な下僕のみ登用した。

さて、アメリカの時代とはなにか。

第二次大戦後、スイス・モンペルランに二人の経済学者が集う。ハイエクとフランクナイト。ナチスとソ連に対抗する経済社会のあり方。結局、資本主義企業の自由こそ社会が豊かになるとして、政府、行政の役割を最小にしようとする。このネオ・リベラリズムが、法に触れなければ何をやっても良いとする市場原理主義へと肥大化していく。これを、推進したのが、サッチャー、レーガン、そして宇沢先生は小平だと指摘する。サッチャーのイギリスは、公共事業はもとより、医療も福祉も教育も民営化していく。病院では、65才以上の高齢者には血液透析は禁止する。お金を出してもやってくれない。ムダで非効率だから。

アメリカは、この新自由主義、市場原理主義のもと、ベトナム戦争をはじめ戦争と破壊の歴史を続けている。自然と人々のコミュニティを守る社会的共通資本を破壊しながら。農は、ただ食の生産だけではなく、人々の生きかたを支える豊かな土台となる。これを守る。

最後に、宇沢先生が涙ぐんだ。この年になって、聖域に行った。長年、心から尊敬し親友だった後藤君が逝った。2月18日、奇しくもTPPを考える国民会議代表を要請される電話をもらった日だ。松川事件など国家犯罪と戦い、三里塚闘争では命も狙われた。高潔な人柄。私は、TPPに反対して生命をささげて活動する。

全国から集まった生産者やメーカー。生協組合員の熱い思いに檄を飛ばす。



nobu23 at 07:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  

2011年03月03日

組織の内と外

イギリスのNPOへの参加は、国民一人が平均11にもなるという。それぞれの組織にテーマがあり、人間関係がある。実に多様な問題と運営に関わっているということだ。日本では二つ以上のNPOに関わっている人は、まだまだ少数派ではないかと思う。たいがいズッポリと一つの組織にハマってしまい、その中でしか考えられない。いつまでもその組織が続くかのような錯覚を持ち、そこから外れることがまるで人生の終わりかのように感じてしまう。

しかし、人生は組織のためにあるわけでは当然無い。むしろ、組織がどう人生を豊かにできるかが課題である。では、そのような組織はどうしたらできるか。

別にたくさんのNPOに関わることだけが答えではない。問題との格闘を深堀して組織を突き抜けていけるか。いつも苦しみや痛みや悲しさを抱えてなお問題解決策を深いところから起案し行動できるか。その中でもがくことが楽しめるか。

土砂降りの雨に打たれて、道を行けるか。そしてなお愉快に楽しみながら笑いを起こせるか。

内でありながら外にいる。下でありながら、上にいる。乞食は王であり、王は乞食なのである。ただの人である。当たり前だが組織に持っていかれない。組織をひとのモノにしたい。できるか。

混雑した駅でたまたま交差したオジさんのカバンを引っ掛けた。そのオジさんが大声で怒鳴った。ダミ声でコラアッと。僕は変に冷静にまっすぐに彼を見て、誤った。ごめんなさい。すると彼は目をそらして行った。皆が急ぎ苛立っている。

フーテンの寅さんの生き方が凄い。



nobu23 at 07:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2011年03月02日

共生の社会と多様性の共存

理念として語られた言葉は、その言葉へ言い表せなかった暗黙知が寝むっている。表出された単語からそれを感じることは不可能に近い。だから、当時の先輩方に大いに語ってもらい物語を記していく必要がある。それも教訓的にでは無く、あからさまな人間模様を面白く語ったらいい。

ダーウィン進化論。適者生存。環境に適応出来ないモノが滅びる。だから、けなげに必死で競争して秀でたモノが生き残る。会社も競争して優秀で最適なモノだけが生き残ると言う。

これに対して、共棲進化論。例えば今西綿司の棲み分け論。そしてガイア仮説。地球上の生物がバクテリアから人間まで一体の生命体ととらえ相互に支えあいながら生きているというもの。地球環境変化をまるで一個の生命体のように恒常性を維持する。さらにスノーボールアースのように冷凍状態になると地下深く逃げ込む。

さて、この生物進化論がなにが問題かというと、時代の変化をどうとらえ人と組織がどう生きていこうかとするときのベースになるからだ。

長野県伊那市に伊那食品という会社がある。ここの塚越社長の言葉。会社は一人勝ち切ってもほかが負けたら地域は滅びる。取引先、従業員、お客様がみんなで良くなることが地域を良くし、人を幸せにする。だから、需要が高騰しても乗せられない。けっしてブームに踊らされない。逆にどんなに不景気でも落ち込まない。お客も職員も取引先も長いお付き合い。そして誰か一人が勝つのではない。共に少しずつ良くなっていく。いま、日本のトップの優良企業だ。これこそ協同である。協同組合と名乗らない協同の精神。

これに比べて、協同組合なのにまるで資本主義のような価値観の協同組合リーダーのなんと多いことか。見栄をはるならもっとシンプルでアメリカンのような方がいい。バカっぽくていい。勝ちゃあいいんだ。理屈などいらん。

では、負けて衰退すればいいのか。これだ。共生は負けない。必ずみんなが支え合う。マージャンの鬼、桜井さんが言った言葉。勝とうとするな。負けないことだ。それは相手を生かすこと。

共生の社会。自然の神々が語りかける。



nobu23 at 06:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織