2011年08月

2011年08月31日

夏の終わり

ふと見ると、駅前の街路樹にセミがとまっている。ミンミンゼミ。ひっそりとつかまっている。

変な夏だった。本年最高の暑さを記録したかと思えば、観測記録を塗り替える集中豪雨。ゲリラ豪雨と呼ぶらしい。全国各地で洪水が襲っている。

ふりかえって人生をそれなりに生きてきてみると、いいことも悪いこともあった。しかしいいことが続くとむしろ不安になる。ふわふわとした気分。むしろ困難や苦境が当たり前になっている。そのほうがかえってヤル気が湧いてくる。それでもたまに人生はいいことも続くようだ。しかし、いいこと慣れしたら終わりだと思う。自分と世界が切れてしまう。嬉しさや悲しさが世界とともにありますようにと思っている。

僕たちは理不尽な世界に住み、逆境の中を歩いている。原発事故を起こして放射能汚染の広がりのなかで生きている。事故は収束を見せず、薄氷の上を沢山の原発がいまだに稼働している。恐ろしい。それを止められない。いまや反対は多数派にも関わらず。

憤りの嵐を乗り越えて、冷静になって無理なくこういう事態を変えること。すべての原発を止めて核物質を除去すること。廃炉へと。使用済み核燃料の恐怖。その措置。

新たな世界へは古い現在を変えることなしには向かえない。僕たちは震えるような怒りを胸に静かに微笑んで進まなければならない。フレンドリーにシフトしていきたい。

丸い水平線を見たか。その海洋に、太陽の撒き散らす銀色の光の粒が輝いて僕たちを包んでいた。そして君を包んでいる。奇跡の一瞬。

大いなる世界に。すべての生命とともに。



nobu23 at 06:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2011年08月26日

根拠の無い思い込みの大切さ

どこかの雑誌で、久しぶりに浅野史郎さんのエッセーを読んだ。元宮城県知事。その前は厚生労働省課長。パルシステムが連合会として法人化した時の指導課長である。 たしかガンで闘病生活だったと思っていたが、やっぱりそうだった。それもかなりな重病。ところが最近元気になられて慶應大学に復職されたという。これはなかなかできないことだ。これを読むとじつは治療の途中で医者の言う通りにしないで開き直ったという。病気回復の根拠なんかないが、自分は絶対によくなると思いこんだという。これで元気になった。病気はどうか知らんが元気だという。これだな。

病気やガンになると直ぐ医者に頼る。医者に任せれば良くなると。治してくれると思い込む。仕方がないがこれは本当だろうか。医者は治してくれるか。違うと思う。治すのは所詮自分自身なのだ。自分で治癒するしかない。当たり前。医者は以前の、他人の前例によってこういう病気はこの措置でこうなるハズだと推論している。しかしそれは類型による仮説にすぎない。自分自身はまったく新しい肉体。個別の物体だ。これを動かしているのは自分である。自分の頭と心が動かしている。他人が動かしてはいない。

科学への誤解

最初から正しい理論と証拠がそもそも有って、科学的理論が組み立てられていると思われている。違います。そうではなくぼっと浮かんだ根拠の無いアイデアがまずある。これを根拠付けるために次にその証拠を集め理屈を組み立てる。そしてこの「理論」を1回叩いてみる。本当かと。うそだろうと決め付けてみる。この批判、反論を繰り返す。これが尽きたときに一応この理論は正しいとする。公式の理論とする。これだけだ。だから絶対に正しい理論なんてものはない。

病気の仮説

動物や植物は細胞や神経のまま脳というか神経中枢がコントロールしている。一体だ。ところが人間などはその神経中枢とは別に人という架空の存在がまたある。この架空の作業空間。これが知能であり心である。ややこしいがこいつが悪さをする。神経の損傷や細胞の損壊だけならストレートに対応できる。ところが人という架空空間でいったん翻訳するためネジレがおきる。これが悪さする。

だとすれば、逆にこの架空空間をポジティブにすることで物体を矯正する。つまり心を元気にすることで物体というか肉体を機能回復させる。これができる。いやこうしないとダメだ。この架空空間を元気にするとはどうやってするか。これが根拠の無い思い込みから始まる。本当だ。

だいたいいつも元気で前向きなやつは、バカが多い。なんの根拠も無いのに明るい。もし文学や哲学が吉本隆明のいうように暗いものからしか生まれないとすると哲学も文学もいらない。バカでいい。根拠の無い思い込みは死を平然と飛び越える。未来からの生をいきる。



nobu23 at 06:55|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 生命 

2011年08月24日

本場の本物 次へのステップ

22団体が集まった。地域食品ブランド「本場の本物」に認定されたもの。このこだわりの食品生産者でブランド推進委員会を結成した。いよいよ農水省の業務委託から離れて自主団体として出発する。本来、こだわりの食品は民間が主体的に作り出し創造するのが当然だ。政府や自治体はそれをバックアップする。

規約を作り会費を決めて会長と副会長二名を選出した。事務局は(財)食品産業センターの二瓶徹さん。この仕掛け人。全国各地のこだわり食品を知り尽くして守りたい。廃れていくことを座して見過ごすことはしない。

審査員のメンバーはアドバイザーと応援団とした。これも面白いメンバー。手弁当で関わっていく。

さて、今後の「本場の本物」の発展方向について。

富士山のように大きく育つ。その高い山頂の雪冠はトップブランドだ。あくまで厳しい基準を堅持する。しかしこのタイトな基準だとあまりに少数で事業的には厳しい。量的に広がりが出来ない。そこでサブブランドを考慮する。山の中腹。山が高くなるためには裾野を広げる必要がある。つまりトップを目指しレベルアップしていく次段階が無ければならない。これがポイント。ただし単に基準を緩めるのではない。そんなことをしたらトップブランドが劣化する。ニセブランド。

原料不足とか塩など稀少なものを生産地以外に国産レベルまでは認めるというもの。トップブランド育成。富士山理論。サッカーのJリーグとJ1など。最高を目指して育てあう。

「本場の本物」の食品にどんな物があるか。四国の碁石茶。発酵茶だ。雲仙こぶ高菜の漬物。有機栽培で塩だけ。枕崎の本枯節。鳥取砂丘だけの砂丘らっきょう。山形の焼畑漬物。それから種子島沖ガ浜田の黒糖。などなど。とことんこだわったマニアックな物が多い。

鹿児島の壺酢。坂元醸造の坂元昭夫会長との話。発酵菌を入れずに発酵することを当時の東京農大の発酵学権威の教授が認めなかった。実際に調査して壺に秘密があるとわかった。壺の中に酵母の世界があったのだ。その時に一緒に来ていた25歳の青年が今の小泉武夫先生だ。壺は雨ざらしで風雨に晒して美味しくなる。

日本の隅々でその土地その土地にあった食品がある。守られてきている。これがみんなインスタント食品や安売り食品の前に姿を次々に消している。守りたい。伝統のこだわりの味を。



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2011年08月23日

金銭経済からの離脱

例えば夏休みに田舎に行くとする。近所にお店が無い。スーパーはもちろんレストランも無い。なにも無い。あるのは畑と田んぼ。それから山がある。海がある。海が無ければ川がある。川ならどこでもある。小さくとも良い。

小さな集落。日本中いたるところにある。そこには小さなおばあちゃんと無口なおじいさんがいる。歩いている。道端に腰掛けている。

セミが鳴いている。うるさいくらいに鳴いている。夏は音とともにあるのだ。古い家にいる。その戸をすべて開け放す。海岸から海風が通ってゆく。ゆっくりと通り抜けていく。裏の山に柿の木がある。そこにたくさんのアブラゼミがいる。その古い幹になん匹か見える。つかまっている。近くと遠くのセミの声。しゃわしゃわしゃわ。

外の日差しに誘われて海にゆく。真夏に包まれて海に飛び込む。海の中は別世界。少しだけ潜って岩肌の窪みに紫雲丹と小振りのサザエを見つける。あちこちにある。そのサザエをそっと取る。いくつかとったら家に戻る。外の水道のホースで水を浴びる。冷たい水。気持ちいい。それから風呂場で石けんで洗う。体を拭いてさっぱりとする。

サザエを焼いて、枝豆と冷たいトマトに塩をふる。ビールが旨いぞ。そして昼寝。

起きたら夕方前に一仕事。夕方の海は凪だ。油を垂らしたようにのったりとしている。海岸の道端からも海の底が見える。美しい。山も村も美しい。素晴らしい人生。

みんな村で生きたい。子ども達も村が好きだ。地震も放射能も無い世界。

ではなぜみんな村を捨てた。出て行ったか。金が無い。金を稼げない。すると困ることがある。電気代、水道代、ガス代、税金、そして医療費、教育費。このためにお金を稼ぎにいく。町にいく。行きたくないけどいく。では、それがタダならどうだ。それなら住める。村にいれる。そんなことが可能か。可能な国がある。いまでもある。キューバだ。医療費、教育費がいらない。国民全てに開放されている。道路だってタダだ。当たり前だ。そのために国があるのだから。幸福の原点に戻る。なんのために働いているか。誰のために働いているのか。

原発も放射能も無い世界。なぎさにて。



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2011年08月22日

市場について

スーパーの買物は便利だ。色んな物が並べられて買物カゴに選んでレジに向かう。コンビニはもっと簡単。スッスッと商品を選び少しも待たずに買物ができる。簡単便利。それは間違いない。

だが、面倒だった八百屋や魚屋さんにはあったモノ。教育。コミュニケーション。野菜の旬、選び方、食べ方などを教える。魚の鮮度、獲れた場所、刺身の仕方、焼き方、煮方を教える。なににあうかなど。消費者に食べ物を教える。本当の美味しさを伝える。

スーパー、コンビニと八百屋さんと魚屋さん、一長一短がある。だが、スーパー、コンビニの便利さや物の流通のあり方が、世界を変えた。人びとの考え方を変えてしまった。そうして生産と消費をつなぐコミュニケーションが失われた。面倒な関係が絶たれてしまった。農業に関わる泥臭さ、土の匂いが失われた。

こうして同じように床屋が消える。床屋談義が消えて、10分間の髪カットになる。髪の毛さえ切ればいい。そして靴屋が消える。自分の足と合った靴、靴磨きも無くなる。いろんな手仕事、話合い、こだわりが消えていく。

時間泥棒をまえに忙しい僕たちは会話を愉しむ余裕を失った。大切な自分のための真の教育、学習の場を失った。会話は面倒になり自分を晒して話し合うことが、ウザったくなった。黙々と先を急ぎ不機嫌な顔をしてお金を払う。急いでくれ。

そうして手にいれたモノは、タダの物体である。ただのモノに過ぎない。ひとつの野菜にこめられた遥かな旅。土塊からの物語。そう、想像力。自然と天候と種からの贈り物。物語。僕たちは煩わしさとともに、それらを流してしまった。時間を削り込み生き急いで、生命の躍動という野菜の真の姿を消去してしまった。モノが残った。

そうだとすると、市場とはなにか。

人びとの司祭から始まる。楽市楽座。門前市。旅がお伊勢参りから始まったように。その歴史の甦り。コミュニケーション売買の復活。市場に集うあやしい人たち。勝手気ままなうるさいおじさんたち。パワー溢れるおばさんたち。みんな風呂敷商売だ。フーテンの寅さんがそうだったように人懐っこいややこしい人たち。市場はそういうおもしろさで溢れてなければならない。



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2011年08月18日

価値の転換 恐怖と疑心暗鬼

マルクスの凄さ

労働の疎外と資本の世界支配批判

ミハイル・エンデの時間泥棒

労働の価値を時間で計り、効率で貨幣価値とする灰色の男

一時間の労働は誰でも同一の貨幣に置き換えられて評価される。床屋さんは本来ハサミを使うだけでなく、会話し個性的に仕事しお客を楽しませる。それが、いかに効率良く作業し成果をあげるかで評価するようになった。すると流れ作業。そして機械で更に効率を高める。全ては金銭的価値で計る。目的は設けること。

わが国の自殺者3万人超。本来、自己が固有の自分らしさを高らかに誇らしく有りのままに生きるものだ。これでいいのだと。しかし現実はすべて他者と比較し競争し貨幣価値で判断されている。自分が要領悪く仕事がはかどらず間が抜けているとバカにされてしまう。無能だと。価値がないと。

一神教の闇

仏教は哲学。ブッダは煩悩と性悪を抱える。常民は仏性を持つ。すなわち釈迦も人間。人も菩薩となる。自然的ヒトの肯定。

それに対し一神は全知全能。絶対である。人は神によって生かされて殺される。マーダーとキル。マーダーは人を殺すこと。他宗教者はキル。人ではない。戦争の論理。

物語

人は自分の中に世界を形造る。その世界を支配する価値。自分を評価する神がいる。絶対の神とは、現代の貨幣である。そこに自らの世界が従属して縛られている。自由を喪失。だから貨幣を否定せよ。常識を疑え。否定とは矛盾を矛盾として抱えること。清濁併せ飲む。

貨幣の否定をどこから進めるか。楽しむこと。遊ぶこと。自然から学ぶこと。生き物は貨幣が無いのに生き生きと生きている。お金に替えられない価値。人からの感謝。他人の喜び。

疑心暗鬼の克服。疑心を眺める。暗鬼を眺める。それとともにあること。それが生まれる原因が自己の貧弱にあること。豊かな呼吸法。自然体で生きること。山川草木国土悉皆成仏。神々は自己と共にある。天空にて。



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2011年08月17日

挑戦すること

原子力発電所の事故をめぐって時系列で追ってみると、そのひどさがわかる。文藝春秋に東京電力の総会のルポが乗っている。すごいぞ。旧日本軍もここまではと思う。

隠す。誤魔化す。逃げる。犠牲にする。自組織防衛。自己防衛。犠牲者や地域、はては国のことも、世界のことも、自然や生命への損壊、損傷もまるで想定外。他人のせいだ。誰も責任取らない。これが日本を代表する会社。情けない。

団塊世代が革命を目指して敗北した。しかもこっぴどく惨敗した。この負け方は尋常ではない。党派闘争や内ゲバで人間不信で挫折した。最後は連合赤軍の浅間山荘事件。仲間殺し。凄惨な哲学の崩壊。絶望的な敗北感。

以来、この世代は社会に入り適合して立派な常識人となった。たまに権力欲を剥き出しにしたり金かねカネというヤツがいても、そしらぬふり。やりたいヤツにはやらせておけとしてきた。自分は目立たぬように普通のヒトになると。キャンデーズは解散して普通のヒトになると泣いた。

その結果、組織は一部の権力者に制覇され従順な技術者たちはいいように利用された。善良な人びとは個別にバラバラになって専門分野に閉じ籠った。自己に正直で有ればいいと。そして恐るべき巨大組織が誕生した。しかし見るからに酷い組織。日本はいつもここにくる。

では、どうするか。

絶対に出来ないような高い目標を立てる。理想を高く掲げる。隠さない。今一度、戦いの旗を掲げよう。

その戦いは自ら実践し現場へ行き研究して創造するのだ。創造とは今までのやり方を変えること。矛盾する事実と実践を変革的に解決することだ。人のために役立つことが自分の面白さと統合すること。身体を使うこと。

革命を志す。革命は他者批判でも権力闘争でもない。自らを権力欲と地位、金などの強欲から解放する。仲間たちを愛し地域の人びとと共感し不正や不当に怒り許さず、誠実にあること。そのためには恐れを知らない。

戦争の究極は不戦である。しかし戦わないことでは無い。こんどは武力ではなく知力と協同のパワーでいきたい。フォースとともに。愛と協同のパワー。ワンフォオール。オールフォワン。一人は万人のために。万人は一人のために。

地震雲。巨大地震がくる。



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2011年08月16日

放射能検査につて

検査もいくつかパターンがある。金属異物混入やウェイトチェッカー(重量規格)はベルトコンベアーで全品検査が出来る。これ以外にも金属反応が無い異物についてはX線検査がある。これらは、精度の問題はあるが全品検査である。異常のあるものをはじく。通過するものは問題ないもの。

しかし微生物検査や残留農薬検査についてはサンプリング検査になる。いまはまだ全品検査をすることが出来ない。微生物の混入はその食品に触れずに検出することが出来ないからだ。食品自体を砕いて培養して検査する。農薬も食品自体を検査する。抜き打ちでサンプルだけを計る。これだと計ったものは商品にならず廃棄するので、厳密に言えば流通しているものは検査していない。できない。検査済みとはいえない。

ではサンプリング検査はなぜ行うか。製造から流通まで異常が無いかシステムを評価するためである。平たく言えば1万個のうち一個でも抜き出して問題無いか調べる。こう聞くと心もとなく感じるかも知れない。全品検査じゃなければ意味ないのではないかと。

これが意味がある。製造から流通までの微生物や残留農薬の混入可能性を設計段階と実際の製造、流通業段階でチェックする。つまり実際の製造工程に問題が無いか点検し、問題が有れば改善する。つまり検査がシステムの問題の発見方法になっている。ここがミソ。じつは生産段階から安全性を追求して問題が無いか調べることに目的がある。

さて放射能検査だ。現在の検査機器は大雑把にいえば3種類ある。GM菅(ガイガー・ミューラーカウンター)。Nal(TI)シンチレーター。Ge半導体(ゲルマニュウム半導体)である。このうちガイガーカウンターは良く知られている。簡単に空中の線量を測ることができる。しかしこれは食品中の放射能を計測するには感度と精度が不足する。水素爆発直後のように高レベルで野菜などの表面に降り注いだものはこれで計測できる。しかし現在の状態の一定の事故現場からの距離では食品中の低レベル線量を計測するには無理がある。ほとんどND(検出限界値以下)となってしまう。したがって高精度でかつ食品を砕いて精密に検査するにはGe半導体でないと正確にはわからないということだ。ただし専門知識が必要なことと高額でランニングコストもかかる。なおシンチレーターターはまだこの中間レベルであり精度はひとつ落ちる。しかしいま検査機器は日進月歩。できるだけ早く簡易で制度も高く全品検査が容易にできるものが開発されるとありがたい。

しかしじつはもっと大切なこと。生産現場の放射能汚染状況を正確に把握し、圃場から汚染を排除することだ。生産過程をこそ安全にすること。このために生産と消費が協同することこそ検査の意義があると考えている。



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2011年08月15日

本場の本物 地域食品ブランドの意味

日本各地から若者が居なくなると何が困るか。一番残念なのが各地の伝統食品が廃れていくこと。有名無名な各地のこだわりの食べ物が無くなっていく。

食べ物は究極の文化だと思う。この地域食品を応援するために、農水省の委託事業として(財)食品産業センターが地域食品ブランド認定事業を進めている。「本場の本物」がブランド名である。もう6年になるかそこの審査委員を受任している。ここがおもしろいのは、委員の皆さんが個性的であること。議論百出すること。事務局の二瓶さんが熱いこと。各地のこだわり食品の方々と熱心にお付き合いしていることである。

ところで、この土日に佐渡に帰ったが、臼杵秀昭君のアゴだしのうまさについて語りたい。トビウオを干して炙ったやつ。これでつゆを作る。ただ水から煮出すだけ。ソーメンつゆはこれだけに醤油と酒で良し。甘みが欲しければ玉ねぎを丸ごと半分に割って放りこんでおく。火を止めたら後は冷まし冷蔵庫においておく。少し濃いめに作っておくといい。これでやや硬めに湯がいたソーメンを冷たい田舎の清水でサッと揉み洗いして氷水に浮かして食べる。適度な硬さはのどごしの良さと仄かな甘さがある。

アゴだしの上品な磯の香り。畑の大葉を細かく刻みミョウガと薬味にする。これに不揃いのトマトをスライスして岩塩をふっておく。あうぞ。

だが残念ながらこういう本格的な天日干しと炙りを入れてそのままパラパラとほぐして食べても美味いヤツは手工芸の世界。手に入らない。

その土地その土地が生み出したこうした食べ物。化学調味料などに頼らないもの。これが廃れて消えていっているのだ。これを残したい。

この発展の方向性について

まず媒介者が良く知りその凄さに惚れこみ伝えること。原材料、製法などを頑なにまもり精進する熱い生産者がいること。それを理解ししかもどうやったら深みのあるおいしい食べ方にできるかこれに努力する消費者がいること。食べもの誕生とその伝統は、必ずドラマがある。そのドラマを広げられるか。

それが世界に、歴史につながっていけるか。食べものは奥が深い。その真実への旅。これが「本場の本物」なのだ。世界ブランドをめざそう。



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2011年08月12日

夏の盛りにて

朝、駅までちんたら走りながら行く。いまの時季はこれだけでびっしょりと汗をかく。半袖ワイシャツも、下着もビッショリと濡れる。電車内でハンカチで汗を拭く。これだけで変なおじさん丸だし。最近は通勤だけはポロシャツにした。これを事務所で着替える。グッショリと濡れたポロシャツは扇風機で乾かす。

やっぱり更衣室があったらいいな、シャワールームがあるといいなと思う。なお、当たり前だが設備などは総務の権限である。間違わないこと。

真夏の暑さはキライじゃない。かんかん照りでアスファルトからの猛烈な照り返しと熱風を受けながら歩く。汗だくになる。ただし、こんなとき間違っても黒いスーツなど着ないことだ。初老の男が肩を落としてうなだれながら汗だくで歩く姿。全身から運命のイタズラに翻弄されて嘆いている様、が目に浮かぶ。お疲れ様といいたい。同じ炎天下でもポロシャツでランパンならどうだ。パワーを全開にする。熱いぜ!

さて、今年も蝉が泣き喚いている。このごろは夜中まで騒いでいる。彼らも大変だ。一生の最後に7年間の終わりに地上で最後の仕事をする。交尾だ。命をつなぐ最後の大仕事。だが目が悪い。なかなかパートナーを見つけられない。目が悪いと気づくのは、デタラメのように飛び電柱にぶつかって泣きわめきながら落ちるから。歩いて近付いていくと、気を取り直してまた近くの木にぶつかっていく。変なヤツ。こうしてあちこちにひっくりかえっている。仰向けに転がっている。決してまともにおきてはいない。みんな仰向けで死んでる。きっとカラダのデザインが死んだときのことを考慮してないのだろう。おかしい。車につぶされて干からびたものさえいる。

精霊飛蝗。いいところの生まれのように洗練された姿。僕らのように不細工な格好で大騒ぎでわめくようなことはない。けっしてしない。スーとしたデザイン。涼やかだ。



nobu23 at 06:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2011年08月11日

二重被爆者 山口彊(ツトム)さんの映画

広島と長崎で二回も原子爆弾に被爆した人がいる。だいたい140人くらいいると言われている。そのひとり山口彊さんのドキュメンタリーを見た。残念ながら今年二月に亡くなられた。たしか93歳。

最初と最後にジェームズ・キャメロン映画監督と友人の作家が山口さんに合うシーンがある。彼の映画アバターは宇宙の星のレアメタルを採掘する地球連合軍が出てくる。連合軍は現地の住民を自然もろとも破壊してレアメタルを採掘しようとして、最後はその星の全生物の反撃を受けて滅びるというもの。これは実は現在の地球上で南アメリカやインドネシアのジャングルで現実に起きていることの映画化なのである。あの美しく躍動的なファンタジーはアメリカのそして日本の貪欲な資源争奪の問題を訴えていたのである。そのためハリウッドの賞を受賞できない。そしてジェームズ・キャメロン監督は原住民たちとともにデモの先頭に立っている。

山口さんは彼に手紙を書き原爆被害の映画化を依頼する。そして彼が会いにくるのだ。死の病床で最後の力を振り絞り声が出ないなかこれを託す。

なぜ山口さんは二度被爆し生きながらえることができたか。山口さんは以前は被爆体験を語らなかった。それは家族や子どもが差別され苦しむからだ。しかし長男が50歳台でガンで先立った時から語り出したという。中学生や高校生、そしてアメリカの若者たちに語る。ときどき言葉を詰まらせ涙を流し声を振り絞りながら話していく。被爆体験を伝える。自分はこの被爆体験を語りかけ伝えるために生かされているとまで言う。誠実に体験したことだけを言うと話す。

広島、長崎。その原爆被害の直後の映像は不気味なほど東日本大震災後の風景に似ている。そしてフクシマ。似ているのは被災風景だけか。あの戦争に突入した日本政府と日本軍の有りよう。と現在の僕たちの国と東京電力のありよう。驚くべき相似形。

自然と歴史はそれに学べなかった僕たちへ、何度でも地獄の淵を見せてくれる。そのとき恐怖に怯え、他人を罵り、そうすることでいつのまにかダークサイドに転落してしまうのか。それとも山口さんの生きかたのように深い人間への愛と信頼で冷たいシステムを溶かしてゆけるのか。どうすればそれができるか。震えるような感動で涙が止まらなかった。シータスアンドジェネラルプレス(C&G)の藤井将さんの企画だ。感謝!



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2011年08月08日

愛知 南医療生協の奇跡

地域総合福祉。

高齢者、障がい者、病者、児童など福祉が専門化しかつ健常者と分けられ施設と福祉や医療機関、教育機関などに預けられて地域では見えなくなり、個人的、家族的な問題に落とし込められている。これにたいして地域で複合的でかつ普通の人たち誰でも参加する総合福祉を再構築しようとする動きが生協にはある。パルシステムもプロジェクトで研究している。

そうした問題意識で先進的な事例を見て歩く。今回は愛知県名古屋市にある南医療生協を訪問した。

いや、驚いた。ここに地域総合福祉のモデル、具体例があったと思った。名古屋市南部の南医療生協である。伊勢湾台風で大きな被害を受けた愛知の下町。そこの小さな診療所からスタートした医療生協だ。街の一角にいくつか建物があった。「きままてんぐ苑」ディサービスとショートスティの施設。てんぐ缶詰の工場跡に建設してんぐの名前をそのままつけた。なかに入ると高齢者が筋肉トレーニングをガチャガチャとこともなげに動かしている。その脇に一心不乱に書き物をしているグループがある。みると漢字練習帳と計算問題だ。98歳のおばあちゃんがかくしゃくと記入している。全問正解。ショートスティも人気が高いという。

そして普通のアパート「わいわい長屋」。多世代居住として協同スペースとヘルパー常駐の施設である。しかし普通のアパートとして登録。設備は好きなように設置されている。他にもグループホームの運営。訪問看護ステーション、ヘルパーステーションの運営を行っている。これらの建設は、地域の6万人の組合員が班をつくり委員活動などで参加している。とくに百人委員会でなんでも話合い、土地、物件探しから資金集めまでみんなで実行する。

この地域とは別にJRの南大高駅そばに大きな総合病院もある。総合病院南生協病院。この病院が病院らしくないのだ。エントランスからして地域のコミュニティーセンターの雰囲気。実際、ここを近くの高校生が近道として通行しているという。フィットネスもあり最新のランニングマシーンなども置いてある。病気治療から健康増進へと病者と健常者の壁を越える。ここの建設も100億円ほどの投資。百人委員会であるべき病院のビジョン討論からはじめたという。1年以上もかけて大勢の組合員参加で建設した。病院にコンビニ、レストラン、さらにはこだわりパン屋、有機農産物レストランまである。保育園は患者から医療従事者のものまで3ヶ所設置。

検診活動はコープ検診・ドックセンターがありワンストップで全部やれる先進的なものだ。緩和病棟もありターミナルケアも行われている。

成瀬幸雄専務理事は渋澤栄一や渋澤敬三・宮本常一にも詳しい。組合員の中村八重子常務理事のテキパキとした紹介に皆感動する。こんな医療活動、福祉活動もあるのかと心底感動した。現在、武重邦夫プロディーサー(いのちの作法、葦牙(あしかび))によるドキュメンタリー映画を小池征人監督で製作中だ。



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2011年08月05日

個配の進化 パルシステム埼玉 蕨本部・センター

パルシステム埼玉の蕨本部・センター開所式。とても驚いた。

なにがいいか。まず明るい。1、000坪ほどの敷地に2階だての配送センターと本部事務所がある。近年、生協の配送センターと本部事務所が分離して本部が別のビルに移ってしまったものが主流。しかしパル埼玉は違う。本部とセンターがいっしょだ。もちろん生協も小さなうちは分離どころではないにだが、規模がデカくなると機能分離をしていく。分離していく。

組合員との接点はもちろん配送センターにある。野菜も食品も配送センターから届けられる。組合員が接する職員たちも配送センターにいる。よく見るトラックも配送センターにある。

建築したばかりのセンターはキレイだが、それ以上に明るく感じる。二階廊下の天井が自然採光。廊下に面する各部屋の壁はガラス張りで部屋の中が丸見え。すると広く感じるだけでなく開放感と共有感がでてくる。

太陽光発電。モニターには発電量と使用量が示される。大きなテレビ画面にはそれだけでなく、日本の発電と使用状況が解説されている。

中水利用。使用した水はBMW技術により処理されてトイレなどに再利用される。つまり低エネルギーセンターのモデルとなっている。

福祉事業所の併設。デイサービスと訪問介護拠点。デイサービスは10名程を受けいれる。配送センターとの併設は全国的にもマレではないか。

先日、パルシステム埼玉は県内農業生産者たちと産直協議会「農・菜・土」を創立している。するとパルシステム埼玉が目指すカタチが見えてくる。

食と農、環境・エネルギー、そして地域福祉だ。協同の社会を目指すその場がこの蕨本部・配送センターになるという意志。

坂本理事長と亀山専務は、ドゥコープとユーアイコープのパルシステム事業を統合してパルシステム埼玉をスタートさせた。この源流の生協がここ蕨の地に誕生して60年になる。故町田洋利さんの微笑む顔が浮かぶ。



nobu23 at 07:13|PermalinkComments(0) 生協組織 

2011年08月04日

雑感

中国の新幹線大事故の顛末を見ると、東京電力福島第一原発事故との類似性にがく然とする。どうも日本のマスコミ論調のように鬼の首でも取ったかのようにはしゃぐ気分にはなれない。

いつも事故を起こす側にたって考えてしまう。なぜ予想が出来なかったか。事故のシュミレーションを有りとあらゆる危険性で検討出来なかったか。あるいは危険性を承知しながら手を打てなかったのは何故か。

絶対正義。自分たちの事業は社会的に有用で意義のあることを成している。そのことへの批判には事業そのものへの批判と受けとめてしまい、頭から批判を拒否してしまう。感情的になる。否定的な意見にはしつこく反論して自分の正統性を言いつのる。そのために視野が狭くなり猪突猛進する。その結果、取り返しのつかない事故や破綻に直面する。

これらを回避するにはどうしたらいいか。議論を活発化する。誰かが正しそうな意見をいったら、疑問を呈し本当か裏から見たら違うのではと深く検討を加える。要は様々な立場からの意見や批判に向き直り検討しキチンと何故この方針を実行しているか説明できることが必要だ。それは問題を発見する過程でもある。

そにためには寛容であること。立場の違いや意見の違いを好きになることだと思う。自虐的な精神が求められる。

リーダーとはなにか。文句いう側ではなく、文句言われる側であること。事件事故の責任者でいること。批判される側にいること。世界のすべての悲惨と悲劇の原因が自分のせいだと思えること。

他人と過去は変えられない。変えることができるのは自分と未来だけ。しかし自分と未来を変える難しさ。だらしなく出た腹を摩りながら考えている。



nobu23 at 07:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記