2011年09月

2011年09月30日

放射能検査と基準について

食品の放射能汚染が問題である。福島県東京電力第一原発事故で原爆の数十倍もの放射性物質を大量に空気中や海に撒き散らした。世界に撒き散らした。そこでさまざまなものが汚染された。そのなかでも食品の汚染が問題である。

国は暫定基準値を制定している。事故による農地の汚染や農作物の被害。これの流通規制値である。食品の流通規制である。よく間違うのだが、これは消費者への安全規制値ではない。これ以下なら安全などと言ってない。出荷の規制値である。小売の規制値である。これ以上は食品として国が出荷や流通を認めないということだ。これに違反すれば罰する。すると当然、生産物を規制されるのだから、損害賠償の対象になる。明確だ。生産者もこれは分かる。ところがこの基準値が高い。暫定と言いながら規制値が高すぎるのだ。

生産者にとって一見、この緩い基準値は有利に見える。出荷出来るものが多くなるからだ。基準値が甘い方が得する感じがする。これが落とし穴だ。そんな高いものを誰が食べるか。そうしてみんなが警戒する。その甘い基準の食品が出回ることで、問題の少ないものと区別がつかなくなる。そうなると大ぐくりの生産地域の警戒の話になる。福島県、そしてその周辺県、EUのように12都県、いや東日本だ、いやいや日本全体でしょう。もっといえば韓国南部も、更に中国遼東半島などとなっている。心配だ。どんどん拡げる。当然だ。

ここで問われるのは、出荷規制酢値をもっと引き下げることである。そしてそれは国が本来はやることだ。これは生産者への徹底によって一切出回らなくすることだ。この間、圃場における土壌汚染からの農産物への移染実態が分かってきている。土壌汚染のほぼ一割程度が農産物に移染されると考えられる。もちろん栽培種や個体差はある。しかしザックリと土壌汚染を測定すればほぼ収穫物の数値は想定可能になる。だから、規制値を見直すことと連動して、一定の汚染レベルの以上の圃場で農産物をつくらせないこと。いわば被曝地の国家管理。その徹底。そしてその補償。と除染活動に補償金を出す。日本は、農水省は作らせないことで保証金を今までも出してきた。減反政策。これを被曝した農地管理に適用したい。きめ細かい圃場の汚染数値の計測と公表、そこでの生産規制、出荷制限、流通禁止。そして補償と除染活動への補助金支給。そうすることで汚染農産物の流通を排除する。徹底する。

しかしそのためにどうするか。

各消費者団体や生協が自主基準を話し合う。政府が動かないならパルシステムが動く。生産者ときめ細かく検査を実施し基準をさげて排除していく。その動きのなかで各団体が連携して大きなうねりにする。そして政府を動かす。

問題は、測定だ。検査機器によって計測数値にブレが大きい。かつ低線量を測れない機器でNDなどといっても意味が無い。ここも充分注意したい。そんなもので測って数値を公表しても誤解を生みかねない。数値だけを公表してあとは消費者まかせというのも危うい。結局、問題が消費者の自己判断だとなりかねない。それは確かに自己責任の部分はある。だが、今とわれているのは国や行政がしっかりと安全を確保するために確かな措置を採ることである。



nobu23 at 06:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年09月28日

大災害時における人間 樋口貞三先生

樋口貞三先生(異常態フードシステム研究所)

東日本大災害の時に日本人が献身的で自己犠牲をかえりみない行動を、あちこちでとったことが世界で称賛されている。感動をあたえている。

ところがどうやらこれは日本人がだけではないらしい。じつは大災害時に、あるいは大きな危機に陥った時の普通の人たちがとる行動だというのだ。世界中で見られるという。

Solnit,「災害のユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」亜紀書房、2010年 altruism(利他行為)「共助」

インドネシア大地震と大津波の時も自分の安全よりまわりの人のことを瞬間的に考え行動してしまう。と言うかあまり考えてなく反応して夢中で動く。じつはほとんどの人が人のために行動し、人の被害を我がことのように受けとめる。そして自己犠牲をいとわず実行する。これが世界中で見られるという。最近の研究結果だと樋口貞三先生は語る。

逆に直ぐ怯え逃げ出し、あるいは固まる人もいる。自分だけは助かりたい。恐怖に打ち震える。なんで自分がこんな目にあわなければいけないのだ。なんて運が悪い。不幸だ。昔はよかった。他人が羨ましい。妬ましい。これをエリートパニックと言うらしい。そのため自分だけはと身を固め蓄財し備蓄し頑丈な家と災害対策に走る。これだけやれば安心と。しかしいざとなると震えて怯える。動けない。遣られる。elite panic(富裕層のエゴイズムが事態を悪化させる:災害社会学用語)

なぜか。

じつは良い人とか悪い人とか、臆病な人とか勇敢な人とかがあらかじめ有るわけではない。自分は勇敢だと思っていても、その時になると裸足でわめいて逃げる。人を押しのけて逃げる。知ったことか。

こればっかりは分からない。だが、じつは誰にも臆病と勇敢が混在している。その時の人間関係や社会的状況が決める。とくに母は強い。愛は強い。育てる。

備蓄について。

家庭備蓄を考えよう。じつは昔はみんなやっていた。干したもの。干物。魚、海藻、大根など。漬物。さらに里山、里海。いざというときお金は役に立たない。蒔き、燃料。雨水。その濾し方。火の使い方。

恐怖の克服。

出たとこ勝負。なんとかなる精神。楽天的。危機を楽しむ。逆境で生き生きする。面白がる。さあ、動こう。走ろうよ。ゆっくりと。



nobu23 at 08:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年09月27日

金融帝国の崩壊過程と地域

浜矩子、水野和夫さんなどを読むと金融に詳しいエコノミストが現在の世界経済をどう捉えているかわかる。もちろん宇沢弘文先生は別格で有る、が現役のトレーディングに接している彼らのような人たちがバッサリと資本主義の変容を解説されるとそれはやっぱり崩壊過程かと納得しやすい。日本のマスコミ、とりわけ日本経済新聞などの論調では何が起こっているかわからない。世界が読み解けない。あるいは誤って理解してしまう。アメリカ中心に世の中が立て直されるかのように。

では、いまなぜ金があがりドルが下がりユーロが下がり円が買われているか。ギリシア危機が起こるか。その先はどうなるか。

この金融資本主義の世界展開が概括される。第二次世界大戦終戦直前のアメリカのブレトンウッズで始まった体制。一人勝ちしたアメリカドルを基軸として、IMFと世界銀行がつくられる。ポンドの退場。ドルが決済通貨となる。しかしベトナム戦争などで疲弊したアメリカは圧倒的な経済的立場から脆弱化へと向かう。そしてドルの基軸通貨を堅持するために、金との兌換を停止した。ニクソンショック、1971年。これで逆にドルは基軸通貨として流動性を得て世界経済を引っ張る。金の裏づけというくびきから開放されドンドン刷る。大量のドル発行。当然、ドル安がおきる。そこでインフレになる。そこで金融引き締めで高金利政策を採る。するとドル高。相対的に外国産の商品は安くなり輸入が一層高まる。しかし自国の車など物は売れない。アメリカの貿易赤字拡大。

1985年、アメリカはドル高を変えるために先進五カ国でドル安誘導策を合意する。ニューヨークプラザホテルでの合意。この時のアメリカはドル安によって輸出を増やし貿易収支を回復しようとした。国家の実体経済バランスを考えていた。ドル高を政策とした。先進国で支える。これを受けて日本では日銀総裁前川リポートで内需拡大とはっぱをかけた。輸出産業は苦境に落ちた。

1995年、クリントン政権で財務長官になったロバート・ルービンは違う。国の貿易収支なんて古い。問題は金儲けだ。これさえあれば何でも出来る。貿易収支?そんなものは知るかとばかりにドル安とする。問題は、海外投資を呼び込むこと。お金を集めてクズ証券を世界に売り飛ばし利ざやを抜く。証券銀行のやり方。なるほどルービンはゴールドマン・サックス会長、国家経済会議(NEC)委員長。アメリカをのっとりアメリカ投資銀行化だ。

こうして金融帝国アメリカの暴走が始まる。とにかくなんでも儲かるために金融だ。証券化だ。そのための世界会計基準の統一。時価会計。金銭的価値ですべてを測る。回収の当ての無いサブプライムの人びとから毟る。貸せて証券化し優良証券と組み合わせて資産価値の格付操作。そして世界に売りまくり破綻する。売り逃げる。

2008年、結果としてリーマンブラザーズの倒産。そしてアメリカ5大投資銀行の終わり。商業銀行への生き残り。アメリカの青息吐息。G20で支えられるか。

水野和夫、浜矩子両氏に共通していること。日本円の強さは本物だということ。世界の債権大国として、お金持ちとして国際的に評価されているということだ。だが、TPPなど日本が経済政策、社会政策を過てるとさらに毟られて貧しくなる。

しかし、では豊かさとは何か。そして社会はどうなっていたいか。国とはなにか。



nobu23 at 07:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月26日

他人史としての自分史 小山常子 「主人は留守、しかし・・・」

セカンドリーグ支援室長だった小山邦子さんが本をだした。ご主人の母の常子さんの本である。小山常子さんがご主人の小山正孝さんとのことを書いている。詩人であった彼との濃厚な関係がその詩とともに綴られている。

いま91歳の小山常子さんはお元気で好きなマージャンもやってるそうである。英語教室で近所の子どもたちに英語を教えていた。女性はお一人でも長生きするね。

最初に出会いのシーンが出てくる。階段でのすれ違い。そして初めてのデート。映画のワンシーンのようにその時のドキドキ感が伝わってくる。

おもしろいと思ったのは次の言葉。

私は人を好きになることが、これほど恐ろしいこととは思わなかった。怒涛の海に吸い込まれそうになりながら絶壁の上に立っているようなものである。

またこうも言う。恋愛というものは結局は恐ろしくエゴイスティックなものである。

これを読んで浮かんだのは、恋愛と生活についてだ。燃えるような喜びは暗闇に沈む悲しみと表裏一体である。人生は糾える縄のようだ。その旅である。平凡だが。

ドラッカーの著書で僕が一番好きなのは「わが軌跡」である。ここには自分が書かれていない。書いていない。自分を語らない。ドラッカーは影響を受けた人を語る。他人を語る。それを通してドラッカーの生き方が浮かび上がってくる。他人史の中に自分がいる。するとマネジメントの大家としての彼ではなく、なぜ企業や組織にこだわったかが分ってくる。それはナチスやロシアとの戦いだ。人を踏みにじる戦争という暴力とのそれだ。だから人が人らしく生きれるようにと組織のあり方を問うのである。彼も最初に祖母を語る。もっとも多くの影響をうけた自分のおばあちゃんから語り始める。ナチスユーゲントに毅然と立ち向かう彼女の生きかた。

さて、自分史を書いてみよう。それは身近な他人史となるだろう。他人を語り他人との関わりを物語ることで自分を解き放つのだ。セカンドリーグ支援室が応援する。



nobu23 at 06:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書 | 事業・起業

2011年09月24日

フードシステムと東日本大震災 日本フードシステム学会

2011年度第一回特別研究会 東大農学部にて

座長は川村保(宮城大学)氏と佐藤和憲(農研機構)氏のお二人

この東日本大震災で日本のフードシステムがどのような影響を受けたか。被災地域の復興、災害に強いフードシステムとはなにか。調査と分析の方法を川村保座長が研究会の解題を話す。東日本大震災とFS(フードシステム)の係わり。震災の側面。地震、津波、原発事故。空間軸として、東日本VSそれ以外、沿岸部VS内陸部、福島VS東北VSそれ以外、都市VS農村。時間軸として、直後、数ヶ月、今後。関係者の軸として、生産者VS消費者、被災者VSそれ以外。それらの軸を横断する課題、地域のFS復興、日本、世界のFS復興、地域経済復興、安全安心な食の復興。

午前10時から午後5時過ぎまでびっちりと報告と議論が行われた。

水産関係の被害と復興課題を報告した 廣田将仁(水産総合センター)氏のもの。福島原発事故が福島県の有機農業にどのような影響をあたえたかを調査した谷口洋子(宮城大学)氏の報告。放射性物質の消費者への影響を調べた氏家清和(筑波大学)氏のもの。民間食料備蓄の理念を展開した樋口貞三(異常態フードシステム研究所)氏の問題提起。そして災害復興のフレームワークを国連開発計画のインドネシア災害から引用した三石誠司(宮城大学)氏の報告。6本の報告。そして4名のコメンテーター。

太平洋沿岸部東日本の水産の被害の甚大さは論を待たないが、その構造が廣田さんの報告で分かった。国内向けだけでなく千葉銚子も含む常総地域が国際分業を組み立て中国、エジプトへ水産冷凍食品を大規模に輸出してきた。これがやられた。施設だけでなく原発事故で輸出が止まった。水産業の復興は以前問題としての構造改革を待った無しとする。

樋口先生の過去の大災害の経験をポジティヴに学べとする提起は刺激的だ。



nobu23 at 07:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月23日

長崎県九十九島漁協と産直提携

九十九島と書いてつくもと呼ぶかと思ったら、そのまま「くじゅうくしま」という。長崎県にある。島ではなく陸にある。長崎県は北海道大に次ぐ長い海岸線と水揚げを誇る。と言ったら、国後島など北方四島を外すと一番だと言われた。海岸線が長いのは複雑に入り組む地形とたくさんの島々が有るからである。そのためいろんな海がある。東シナ海、日本海、有明海。外海、湾の内海。海流も島の東西で異なり魚種も違うという。

漁法が実に多様だ。それを解説するクリアーファイルを見ると、網だけでも様々だ。その中に吾智網というのがある。底引き網でも巻き網でもなく、タイなどの棚だけを曳く。魚の習性を知り尽くしてそこにいる場所だけに網をかけて獲る。うまいやり方。底引き網のように一網打尽にしない。これが瀬戸内などで江戸時代からあった漁法。おもしろい。

九十九島漁協は主に煮干しを生産する。長崎県では一番だ。片口鰯。ほかにウルメ鰯、飛魚を使ったアゴダシもある。煮干は小さいジャコの方が同じ重量だと高い。海から水揚げして直ぐ煮あげる。そして乾燥させる。煮るのは海水だけ。何も使わない。

瀬戸内と比べると鰯が重いという。重い?どう違うのか。瀬戸内はプランクトンなどか表層に多い。長崎は海流などの関係で比較的沖で獲る。そのため身が締まっている。とにかく煮干だ。煮干を販売したい。そこで米にまぶしたりしている。なぜか、鰯の収穫が激減している。このままでは漁師が立ち行かない。漁業の危機。なんとかしたい。

じつは食の旨みは出汁にある。その出汁は魚が一番旨い。煮干だ。この食文化を育てたい・



nobu23 at 06:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月20日

原発止めたい 阻止ネット集会 夢想

午前にパルシステムや生活クラブやグリーンコープ、大地を守る会、日本消費者連盟などの六ヶ所阻止ネットの集会があった。午後は5万人パレードだ。原発いらない一千万人書面とともに、大きな脱原発の行動である。

いまだ全国で原発が動いている。福島であれだけの事故をおこし世界に信じられないくらいの放射能を撒き散らした。福島県民はもちろん日本に住む全ての人に万遍なく被曝を強制している。韓国でも中国でも被害が出ている。ひどいね。しかしそれでも原子力村の人びとは叫ぶ。脱原発、反原発?バカを言えと。最後の一人が生き絶えるまで原発は動かすぞと。すごいね。地球上の人間や類人猿を絶滅させるために送り込まれた、ソドムの使者か。凄い。

さて、では原発を止められるか。止められる。すぐにでも止められる。みんな止めたい。原発なんて見たくも無い。やめてくれ。

どうするか。まずその自治体で反対だ。村で反対、町で反対。市で反対。県で反対。稼働を停止。核燃料をバラす。ペレットを分解して混ぜこねて元の岩に戻せ。自然に帰せ。

東京が問題だ。巨大都市のワガママ。電力の消費者選択を可能にしよう。スマートメーターで発電方法を指定する方式。僕は水力。あと自給したい。太陽光、風力、バイオマス、人力なんでもやってみよう。まあ、一長一短あるだろう。やりながら改善する。文句言いなさい。

そうこのあとは、怒りにまかせて書きまくるぞ。

廃棄物は利用者に返す。汚染物はもっとも利用した方に戻す。リユース、リサイクル。東京に核廃棄物の高度処理工場を誘致する。汚染土壌も東京電力の広大な所有地で処理する。原発推進者は全て福島の安全な原発地域に移住していただく。特に保安院の方や原子力安全委員会。これは本部を福島第一原発に移設する。委員会の会議は全てそこで行う。大丈夫だ。安全だ。ただちに問題になるレベルでは無い。高級マンションを用意する。ただし子どもたちは別だ。

もしどうしようもないと落ち込んでいたら、考えてみよう。自分だけかと。自分が落ち込むということは人も落ち込むのだ。自分という他人がいる。多勢いる。自分だけではない。みんながそう思っている。

一人は万人であり、万人は一人である。

小さな組織だと威張らない。大きな組織だと落ち込まない。頭がいいと落ち込まない。馬鹿だと威張らない。みんな一緒。同んなじ。

雨が降るとミミズが喜んで出てくる。昔、アスファルトなんて無かった。こらッと言いたい。なんか恥ずかしい。目をそらしそうになる。裸でだらしなく横たわっていた。



nobu23 at 07:23|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生協組織 

2011年09月17日

ある日の晩飯

てがるで簡単を旨とす。玄米は小田原自前の。黒米も一掴み入れる。パルシステムのPBの雑穀米も混ぜる。2合炊いて余ったものはおにぎりくらいでラップに包み冷凍庫に取ってある。それをレンジで解凍する。結構いける。

白州の味噌。見田さんが麹から作ったもの。具はジャガイモ、玉ねぎ、キャベツという田舎味噌汁。味噌のうまいこと。

カジノヤの中粒納豆。経木入り。これが一番だ。パルのキムチもイケる。藪川の行者ニンニク漬け、少しづつ食べる。意外に便利で本格的なのは糠漬けパック。もう一年以上使っている。ほっといても大丈夫。食べるときは、ニンジンや胡瓜を一晩漬けて出して使う。豆腐はもちろん共生食品。こいつは試食だとスーパーの豆腐の変な甘さ(ニガリ成分の操作)に素人は騙されるが、毎日食べるとわかる。ふぉわッと大豆の旨味が滲み出る。天然醤油の独特の発酵香りで食べたい。

流石に鮮魚は近くのスーパー。アジに塩を振り焼いただけ。

キャベツの簡単サラダ。塩胡椒で菜種油と純米酢。あとは、もちろん枝豆だ。ぐはははは。乾杯!



nobu23 at 09:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2011年09月16日

考えていること そのための本

いま考えていること そのための著者

<哲学と宗教>時代の転換

内山節、稲盛和夫、梅原猛、橋爪大三郎、中沢新一、五木寛之、瀬戸内寂聴、河合隼雄

一神教、多神教、アニミズム、仏教、山獄信仰、修験者

<身体性>カラダとココロで考える

成瀬雅春、内田樹、村上春樹、安保徹、多田富雄、帯津敬三、武田惣角、植芝盛平、金哲彦、苫米地英人、養老猛司

呼吸法、歩行の地域性、ジョキング、エンドルフィン、修験者、ヨガ、お経、免疫

<食と農>健康とはなにか

東条百合子、辰巳芳子、幕内秀夫、福岡伸一、今治市安井孝、宇根豊、椎名盛男、福岡正信

粗食、細胞の死と生、うんこ、全体食、玄米、発酵、細菌共生

<生命 宇宙>神秘の探求

ブライアン・グリーン、松岡正剛、マーギュルス、アインシュタイン、立花隆、フリーマンダイソン、

入れ子構造、時間、空、エントロピー、ブラックホール、ミトコンドリア、多元宇宙

<経済>暮らしの回転

水野和夫、浜矩子、中野剛志、副島隆彦、内橋克人、宇沢弘文、マルクス、賀川豊彦、小泉武夫

金融資本主義、実体経済と金融、グローバルとローカル、ローカルマネー、貨幣と通貨、疎外、仏神性、温かいお金、協同、共生経済、情報、価値論

<エネルギーシフト>原発、化石燃料からの脱却

飯田哲也、広瀬隆、石橋克彦

マルチタスク、自給、人力、自然科学、ネイチャーサイエンス

こうしてメモしてみると、名前がなかなか出てこない。老人ボケの始まり。困ったもんだ。しかしこれらをじっくり読み込んで整理したいと思っている。



nobu23 at 06:49|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生命 | 読書

2011年09月14日

地域が面白くなる セカンドリーグ

パルシステムセカンドリーグが、地域コミュニティを活性化するNPOなどの活動を支援している。そのモデル事業の報告会が開催された。

2010年度は二つの団体。NPOトージバとNPOみれっと。トージバは竹テントつくり。なぜ竹テントか。全国各地で里山が荒れている。この荒れる象徴が竹藪である。人の手が入らない山や田畑は荒れていく。竹が侵食し覆う。この竹藪がさらに密集し過ぎると今度は枯れ始める。枯れて葉っぱが落ちて魚の骨の様になる。最後は地滑りを起こし崩落する。豪雨で山崩れ。各地で地すべり。これを防ぎたい。竹薮を整備し竹を切る。活用する。この竹を使ったワークショップだ。NPO小田原食とみどりと連携した。小田原の手付かずの竹薮をまず整備する。そしてみんなで竹テントを作った。地元のおばあちゃんに感謝された。

みれっとは、アトピー、アレルギーの子どもを持つ母親たちの活動。なんとアレルギーの子供を悲観して子殺しして自死する親がいる。それが増えた。新聞報道。夜昼の区別無く肌を掻きむしり泣く。親が参る。疲れ果てる。それを何とかしたい。

そこで悩みを聞いて話し合う場を提供する。悩みを聞いて欲しい。話したい。そして食や衣類や環境、医師の紹介。子育ての支援もする。それを支える企業などのネットワークを作る。このたびの大震災でも被災地の家族にアレルギー対応物資を送り続ける。

東日本大震災支援では、セカンドリーグのアドバイザーの永沢映さんの仕掛けが面白い。キッチンカーを数台被災地へ贈った。でもタダではない。レンタルする。そこで炊き出しと食の提供を有料でする。働く場でもある。料理して販売するビジネスとする。コミュニティのためのビジネス。

NPOチルドリンも面白い。神戸のママたちがあの震災時にバッグが無くて困った。コンビニのビニール袋では情けない。そこでおしゃれでかわいいバッグを贈る。バッグのデザインもカラーもかわいいもの。グループで贈りグループで分け合うしかけ。これによって仲間が増える。話が弾む。蒲生さんの楽しい仕掛け。

セカンドリーグ支援室の鈴江室長。セカンドリーグの到達点と課題を話す。今度は、NPOなどにお金を回す仕組みを作りたい。地域で人のためが自分のためになる。おもしろい活動を広げよう。パルシステムが地域で活動しているNPOなどを応援して、そのインフラを提供する活動に取り組んでいる。セカンドリーグである。



nobu23 at 06:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月13日

福島県飯館村の真実 長谷川健一さんの証言

日本はこれほど危険で恐ろしい国だったか。すごい話を聞いた。大げさでは無い。

とにかく住民に知らせない。情報を操作する。ウソをつく。住民の安否も被害もまったく放置してかえりみない。ましてや職業はもとより家屋敷や田畑、山を捨てなければならなくなっても補償もしない。酪農をやめざるを得ず、村を離れ仮設住宅に住み職も無くて、いままでにもらった保証金はなんと130万円のみ。50頭の牛も畜舎もトラクターも家も全部使えない。それでどうやって暮らしをたてるか。

飯館村の前田地区の酪農家長谷川健一さんの証言だ。シータスアンドゼネラルプレスの藤井さんの企画である。生々しい真実が農家の言葉で率直に語られる。

畑にいると大きな揺れが起こった。長い。次第に揺れが大きくなるとともに地割れが出来て怖くなった。家に戻ると家自体は壊れてはいなかったが屋根瓦が落ちていた。すぐ部落を訪問して回った。自分は地区長だ。村民が大丈夫か心配だった。停電で酪農設備が止まる。自家発電で動かした。仲間の酪農家にも貸した。

問題は原発事故だ。3月14日に3号機の爆発。原発事故について多くのジャーナリストから話を聞いた。これは大変だと15日に地区住民を集会所に集めた。外へ出るな。マスクを着用しろ。玄関で服を脱いで外に置け。すぐ風呂場で身体を洗え。放射能の恐怖。しかし政府も県もだれも教えない。しかしあとで分った。集会のときが一番放射能の濃度が濃かった。現地に入ったジャーナリストが測っていた。100μSVを振り切った。新聞発表の数倍。行政の担当官にも聞いた。45μsvだ。高い。ところが担当官は誰にも言わないでくれといった。SPEEDIの計測とシュミレーションも隠された。原発事故直後から風は西北だ。「たんこぶ」と私は呼んだ。警戒区域を越えた40km地点の飯館村がこぶのように突き出て濃い濃度となっている。

子ども達を避難させろ。できるだけ若い者も退避させろと話して回った。村長と対立した。御用学者の山下俊一長崎大学教授がやってきて心配要らない。安全だと講演した。その翌日4月11日に計画的避難区域の指定だ。政府はウソをつき御用学者で撹乱する。しかし住民はその間も被曝し続けている。特に子ども達だ。娘はもう結婚できないのかという。そして子どもを産めないと。広島、長崎の差別が、その烙印が福島におきる。飯館村は差別される。20年後のチェルノブイリを見た。恐ろしい。飯館村はその数倍も放射能が計測されている。マスコミも何度言ってもカットされる。真実を伝えない。

飯館村は町村合併に与せず、までいなライフを培ってきた。丁寧ななどという方言だ。日本一美しい村という表彰をされた。村人は村を誇りに思いそのブランドを育ててきた。それが原発で一転した。

6月11日仲間の酪農家が自死した。壁に「原発さえなければ」と書いてあった。7歳と5歳の息子がいる。もっとも恐れていたこと。悔しい。

自分は本当のことを知ってもらいたい。いろいろ叩かれている。しかし絶対に負けない。大勢の人に伝えたい。長谷川健一さん。酪農家。よくぞ語ってくれた。

昨年、安穏朝市の仲間と共に飯館村に行った。修験者の村。山に登った。遠くまで阿武隈山系を望んだ。ついこの間。それが遠い昔に感じられる。悪夢だ。しかし負けない。できることをやる。



nobu23 at 06:38|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 生命 

2011年09月12日

小田原田んぼの稗取り

熱い。暑い。あちぃ。

箱根山系を雲が覆っている。小田原方面にも広がり霧の滴がわずかに降ってくる。そんなスタート時点の天気がいつのまにかカンカン照りとなった。

金色に実った稲穂の上に、例の稗が目障りに生えている。こいつを片づけないと近所の農家にまた叱られる。困った。

中沢君が助っ人に奥さんと他に二人を連れてきてくれた。これは助かる。なにしろ稗取りは人手が勝負だ。本当は根っこから引き抜くか根近くから刈取りをすべきなのだが、そうすると間に合わない。中途半端にしか取れない。それならばと上に出ている稗の穂を抜き取って歩く。これは穂から種がばら撒かれないためだ。近所の田んぼへ迷惑がかかる。

小一時間も夢中で作業していると汗だくになり喉が乾く。体力を消耗する。普通の農家はこんなバカなことはしない。夏場は涼しい早朝作業だけで8時には上がってしまう。かつ、除草剤一発で草も生えない。ただし、ささかみの石塚さんのような有機農家は別だ。全国各地でみんな草と格闘していると思う。

ときどき道端にあがりミネラルウォーターを補給し黒糖飴を舐める。熱中症に注意する。以前、一度やられて夜中に喉が腫れて首が回らずエラい目にあった。熱中症は夜になって出てくる。ひどく痛んだ。

蛙がたくさんいる。どこか仕草がかわいい。作業の音に驚いて、ピヨンピヨンと稲穂や葉に飛び移るのだが、ガニ股で葉っぱに飛び移っても足を外してクルッとした向く。焦ってまたしがみつく。いつもの水中と異なる。

いつのまにか青空。ヒバリが高く鳴く。いろいろあるが豊かだ。



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2011年09月11日

中澤満正さんにお見舞い

驚いた。目が光っている。顔の血色も悪くない。不思議な人。

あと持っても三ヶ月だと言われたと話す。思い残すことは無い。8月に自分の会社を清算した。その手続きを終えた。女房も面倒を見た親族をおくり肩の荷をおろした。遺産などが入り彼女の心配は無くなった。あとは本をもう一冊出したい。もうペンも握れないしパソコンも苦痛だ。だから仲間に口述筆記のライターを頼んだ。これは二週間もあれば出来る。これをやりたい。

昨年までは医者いらずで、ここ5年くらい人間ドッグもかかっていない。それが春先に腹が痛くなり、だんだんひどくなった。この4ヶ月は飯が喉を通らず筋肉が極端におちた。すると疲れやすくだるく寝てばかりいるようになる。だが講演などの仕事は続けた。行き帰りがしんどかったが、話をするときはむしろ冴えた。頭は鋭くなった。全然シンドイとは思わなかった。しかし終わると本当に疲れて何もする気が無かった。以前はなんとも思わなかったが、電車の優先席は大事だ。若者が譲らず携帯を見てると本当に腹がたつ。頭にくる。

自分は大腸癌だと思い長期入院を覚悟した。だからそれまでにいろんなことを片付けたかった。そしてそれは全てやった。

ところが医者に見てもらったら膵臓癌だという。これはだめだ。少しは知っている。膵臓癌は駄目だ。医者にどのくらい持つか率直に聞いた。あともって3ヶ月だという。ならば、やりたいことをやる。口述筆記で本を出したい。

痛みはいまは無い。強力な痛み止めを使っている。どうせ余命が短いならば痛みは御免蒙る。手術もひどい延命治療もしない。

なんでそんなに自分のことを淡々と話すかって、自分でも不思議なくらい冷静なんだ。嘘じゃない。

この病状を隠さない。みんなに話してもらって結構だ。お見舞いも遠慮しなくていい。大歓迎だ。獄中接見と同んなじ。病院はつまらない。きてくれたら嬉しい。疲れないかって、大丈夫だ。むしろ元気になる。

一週間くらいで退院し自宅で療養する。同じことだ。自分は人の数倍は生きた。とくに30台40台は数時間しか寝なかった。みんな信じないが本当なのだ。ぜんぜん平気だった。おもしろかった。思い残すことはない。

いろいろあるが期待してるぞ。またな。

中澤満正さん。パルシステムの創業者のひとり。侍だ。あるいはヤクザの大親分の風格。痩せて小柄になったが、眼光は鋭い。時代に最後の戦いを挑む。

ブログ掲載のために写真を撮らせていただいた。

早朝軽く走っていたら、晩夏の蝉が鳴いていた。思わず胸が熱くなり風景がぼやけた。



nobu23 at 07:22|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生命 

2011年09月09日

生と死について

東條百合子さんの食と身体の本を読んでいると、繰り返し生かされているという言葉がでてくる。自分の身体の細胞も神経も生きている。その細胞や神経によって自分が生かされている。しかし絶えずその細胞や神経が壊れる、あるいは死滅する。不思議だが細胞は自ら死ぬためにスイッチを入れる。神経も骨も毛も同じ。60兆個もの細胞が毎日それぞれ死んでは生まれている。不思議だ。身体は中学生頃までは成長して、それ以降は出来上がった身体にエネルギーだけを取り込むのかと思っていた。車のように。

一部、部品が壊れたら修理するように。それが違う。

身体はこの60兆個もの細胞の生死の織り成すドラマだったのである。という。すごい。

そしてその細胞、筋肉、血管、神経、骨、毛などを造る原料が食べ物だ。食べ物は生命を形作る。食べ物は別の生命の細胞だ。これをいただく。生命を殺し生命を形作る。いのちの連鎖。

さて、身体のこの生死のドラマを自ら見ることが可能か。

無理だ。というか見ることは難しい。だが細胞の死は分かる。皮膚の垢。髪の毛。爪。うんこ。おしっこ。汗など。細胞の死体は排出される。違和感なく。毎日。それで細胞の生成は分かるか。難しい。

意識して身体を観察する。外形的な変化は必ず見つかる。これを見分ける。デザインを確かめる。筋肉が衰弱してきているな。鍛えよう。

だがもっといい方法がある。軽く走る。階段をゆっくり登る。体操をする。



nobu23 at 07:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年09月08日

マイナスの感情の扱い方

マイナスの感情。自分がまるでダメで、いい加減で、能力の無いヤツだと落ち込む。整理整頓ができず散らかってしまう部屋を見て嫌になる。他人がキチンとしていて優れていると思い、それに比べて自分は虚勢を張っているが全然できないと思ってしまう。そして落込み、いやな気分になる。あるいは、他人がうらやましくなる。嫉妬する。妬む。腹立つ。呪ってやろうか。

この感情はなぜおきるか。

今朝軽く走っていると、道路を大きな声で携帯で話して歩いている女性がいた。回りが見えないのだろう。感情的に大声で罵っている。この相手が悪い、相手が憎い。何度言えばいいのと。

これは誰にでもおこること。では、どうするか。他人と比較しない。競争しない。自分は自分だ。あるいは離脱する。バカになる。腹の立つ相手に対しては、なぜ自分がこんなに感情的になるか自分のことを考える。だって相手と喧嘩しても相手も迷惑だろう。ムダなことだ。それだけでは無い。傷つけあうだけ。若いときはどうにもならない感情を胸に激しく罵り傷つけあったものだ。激するとぶち殺してやるなどと怖い言葉も出てくる。暴力的破壊的衝動。しかし年齢を積重ねるとそれ自体がおかしくなる。変に冷静になってくる。

マイナス感情は、欲望と煩悩の表れだ。これはこれで大切にする。全ての情動を押さえ込んだらウツになる。気のやり場が無くなる。

そうではなく感情を楽しむ。激情を引出し、それに乗る。パワーを使いこなす。それにはすべてを楽しむこと。といつも思ってはいる。



nobu23 at 08:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2011年09月07日

中小企業と地域コミュニティ JASMEQ

坂本龍馬が日本初のカンパニーを創った。株式会社である。その名も海援隊。海外貿易を行い国の強化を目指した。その龍馬への密偵だった岩崎弥太郎が三菱を創業し巨大財閥となった。明治の革命は政権交代だけでなく、経済主体の変化と地域社会の改造が並行して起こっている。経済行為の主体者の交代が、社会的制度設計の変更を促していった。

さて、企業の役割はなにか。

定款に掲げた目的を達成するために人びとが組織されてあたかも一人の人間のように法的人格を持ったものである。ヒトは器官を持ち法人は機関を持つ。共にオーガニぜーションの訳。原材料は人と資金と物で構成される。

社会的組織が、王と臣民によるものから、目的を共有し目標を達成するために、社会的な契約主体となって活動をしているものだ。こうしてはじめて食べることや暮らすこと、すなわち経済行為の主体として人びとが意識的に参加する条件が出来た。封建社会からの離脱。まるごと人を支配する奴隷、農奴からの解放。

しかしこれもいつのまにか巨大資本所有者による人びとの支配構造へと転落していく。いまはグローバルな金融資本主義。金融が社会を破壊する。

ここからの変革は、どうするか。

一つは資本と人を分離せずに一体化する。出資者と運営者と利用者が同じ人によるもの。市民の市民による市民のための組織。つまりは協同組合。この協同組合が無数に、かつ様々な課題、分野で活動し市民自らお金を動かして問題解決を図る。

そしてもう一つ株式会社の原点に還る事。中小企業である。日本の食品企業の99%が中小企業である。なぜ中小企業がいいのか。現場と経営が一体的に運営できる。小さいからこそできる。また大組織は防衛機構が発達する。このことは環境変化に対応しにくくなることのリスクが増大すること。変化対応を拒否する。ところが中小企業はワンマン経営が多く、これが逆に変化対応を可能とする。

そこで、協同組合だけでなく会社が地域に無数に誕生しコミュニティのために活動することで主体的に生きる経済を生むことができる。コミュニティビジネスである。しかし企業の運営はそれなりのノウハウが必要であり、芸術と同じように体と心と気が求められる。なにしろ人の関係だから。そこで常に学習し失敗を問題解決できる場が必要となる。その一つが中小企業事業協同組合品質安全推進共同センター、略称JASMEQである。協同で品質管理に取組み、人材を育て、商品を開発し、問題解決に取組む。理事長は梶俊夫、カジノヤ社長である。注目の組織。写真は間伐材で粉末状にし手作りする雛人形。酒井産業が長野で地元森を守る活動で生み出しているもの。



nobu23 at 07:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月05日

薮川ジャズフェスティバル

岩手県盛岡市外山地区薮川で恒例のジャズフェスティバルが開かれた。本州一寒いところ。北上山系にある。北上山系は日本列島でも最も古い地層。そのため今回の大地震でも被害は少なかった。

ここに三澤孝道さんが農場をつくった。そして地元の仲間と未来塾をつくり愉快に活動をしている。ジャズフェステバルもその一つ。

薮川は戦後の開拓村である。極寒のこの地で入植した人たちは今では信じられない苦労をされたと聞く。この辺の経緯はこの度マハラバ文庫がまとめて出版された。山仕事讃歌である。

さて、多くの仲間と参加したジャズフェスティバルは、実行委員長の鳴海さんの挨拶と三澤さんのお話で始まった。バンドはハートツーハート。リーダーは横澤さん。メンバーの配慮で、飛び入りで仲間の山元久恵さんがボーカルで一曲歌った。大好評。そこで来年はリクエストで生オケも企画するという。すでに9名がエントリーした。

このバンドにはアメリカからニールさんがトランペットで参加した。とてもノリのいいアドリブを展開し大いにもりあがった。一杯引っ掛けて皆踊る。

夕食交流会、バーベキューとサンマ焼きを実行委員会で出してくれた。自己紹介。そして地元のサンサ踊りと太鼓である。サンサは難しい。フェイントのようなステップ。

こういう素晴らしい地域がいま村が衰退している。老齢化が進む。残念だ。しかし美しい。景色も水も空気も。そして人々がやさしく温かい。こういう村がなくなったら日本は終わりなと思った。何かできないか。



nobu23 at 06:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2011年09月01日

年齢について

普通、年齢というと誕生日から数える。まっ、これは当たり前。しかし50歳過ぎるとバラつく。同じ年齢とは見えない。初老の疲れた男か半病人となるか、まだまだイケるか差がでてくる。これはどうしてか。

若いということはカラダが若いことと考える。年ではない。カラダが柔らかいとは、筋肉が柔軟で関節が良く回ること。体力があることと考える。するとこれは身体を伸ばし柔軟体操を良くすればいいということになる。そのとおりだ。毎日、無理せず習慣にしていく。身体を折り曲げ伸ばし捻じる。このとき呼吸と共にやること。

体力が落ちる。50歳過ぎると劇的に落ちる。惰性で元気に生きられるのは40台まで。これを過ぎたら意図的に身体を使う必要がある。この明確な意志をもった日常をさりげない習慣としていくこと。このときイヤだなあと思ってはいけない。嫌なことを我慢してヤってはいけない。そんなことをしたらカラダがヘソを曲げる。かえって劣化する。例えば、毎日、階段を使うとする。長い階段を見たらワクワクしてなんてラッキーなんだと思い込むこと。嬉しい。楽しい。

階段は決してハアハアと息を切らして登らない。ユックリと一歩一歩呼吸と共に登っていく。富士山までを想像すると7階なんて直ぐだ。ちょろい。

じつはこれがバカにならない。毎日続けているとある日カラダが軽く感じられる。足が変わっていく。自分の身体は正直だ。他人の評価なんかいらない。問題じゃない。自分の身体こそ自分であって自分ではない。いかにこの他人のような身体と向き合うか。ここだな。

軽く走る。一日一回は軽く汗をかく。汗を吹き出させて水はけのいい身体にしたい。毒を排出したい。クスリを引き出したい。いいクスリを身体自身が持っている。それを使う。これは運動して血液を激しく循環しないと出てこない。

疲れやすくなったら身体をもっと使うこと。筋肉を鍛えて関節を動かして呼吸を変化させていこう。それも無理なく楽しみながら。

夏はこうしたカラダ使いに最適だ。



nobu23 at 06:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命