2012年01月

2012年01月31日

小田原の仲間たちと祝う会

小田原の農の仲間たちが祝う会をしてくれた。風祭の「えれんなごっそ」こだわりビュッフェである。参加者と賛同者たちで会が行われた。NPO小田原食とみどり。

司会は高橋克己君。奥さんの倫子さんと連れあって元気に開始。理事長長谷川功さんの挨拶。実り多い人生にと話された。リハビリ中で左手と左足が不自由だが、その表情は元気だ。頭脳と共に完全回復している。千葉から駆けつけてくれたのは顧問の斉藤修千葉大教授。慣れないネクタイをつけて今日ぐらい君も正装かと思ったと笑う。僕がラフな格好だったので、「らしい」やと。いつも走って仕事していると思われている。

乾杯の音頭は鳥居敬宣さん。彼のおかげだ。小田原でみんなが田んぼや畑が出来るのは面倒を見てくれるこの鳥居ちゃんがいるから。地元の頼りになる男。田んぼや畑を地主から借りてくれた。農作業の作業小屋を使わしてくれている。挙句のはてに倉庫にと自分の土地を提供した。そして建築屋の叔父さんを連れて来てきた。みんなで倉庫を建てた。その鳥居ちゃんが祝ってくれた。地元からは小酒部さんと広石さんも来た。小酒部さんに曽我神社の祭りに呼ばれたことが昨日のように懐かしい。広石さんと米神地区の滞在形交流拠点視察をしたこともある。広石さんは自慢の歌を披露した。

NPO小田原食とみどりの事務局長齋藤文子さん。小田原農の交流拠点をそもそも始めた齋藤さんが企画したからだ。これまでの小田原の交流の歴史をパワーポイントで紹介してくれた。これが2000年からの取り組み。長谷川さんの裏山から見える小田原の景色。その富士山。小田原の固有種メダカのいる田んぼ。有機栽培への挑戦と相原君。冬水田んぼとビオトープ作り。畑の学校。土木工事などなど。映し出される写真が農へのふれあいの積み重ね。

途中から石川信夫さんの独断場。いちばん田んぼに精通している。会社勤めが終わったら一緒に農業をやろうと確認する。事務局でがんばる猪股さん。最近結婚した。こちらと違って若い。これからだ。山本誠一さんと園山さんとは行きの電車で同乗した。みんな田んぼを好きになっている。岩元君と太田君。岩本君はギターをかき鳴らしながら桑田啓祐節を絶叫する。高田さん夫婦、相変わらず仲睦まじい。

田んぼグループの中澤君、金君。労組の合宿だったのに終了して合流してくれた。田んぼは中澤君のほうが詳しくなった。ごめん。セネガルのマサンバさんが祝いの歌を作ってくれた。みんなで彼の太鼓に合わせて歌った。

事務局だった山本将太君と事務局の方。そして役員の山谷さん。みなさん本当にありがとう。最初は、なんだか照れくさくて気が重かったがとても素敵な会だった。楽しかった。これからもよろしくお願いします。マルチハビタット。



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2012年01月27日

夜明け前にて

原始人たちは夕方になると寂しいような哀しいような侘しい気持ちになると、宇宙飛行士の山崎さんが書いていた。なぜか。

これからやってくる夜が怖いのだ。暗闇には獰猛な野獣たちが潜んでいる。明け方まで死の恐怖に怯えて過ごす。だから、夜明けはうれしい。徐々に力が蘇ってくる。生気が戻ってくる。

夕暮れ。西に半透明に鋭く曲がったカマのような月があった。小さな星を連れて。まるで遠い物語りを思いださせるためにあるかのようだ。遠くの山並みは、橙色の夕焼けに美しい影絵のシルエットを見せている。

福島からの帰り。特急電車は一生懸命に猛スピードでかけて行く。窓辺でぼんやりと夕暮れを眺めている。

僕たちは何処から来て何処に行こうとしているのか。ふっと時間が止まる。真空の空に舞いあがって漂う。

社内放送の音楽が遠くから聞こえる。大きく息を吸って現実に戻る。さあ、行こうか。



nobu23 at 06:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年01月26日

超能力について

超能力について書く。

なにか自分を守る大きな力がついている。不思議なパワーが包んでいる。どんな状況になっても決して絶望することはない。そのかわりいつも試練を与えられる。とくに目先の自己利益を追求しだすとダメだ。自分だけが得すること。自分は自分はと人と比較すること。地位や金に執着すること。苦労を避けること。楽したいと思うこと。欲望を満足させたい。・・・こういう心を操縦する。根性無しの自分を見つめる。いかんなと思う。大いなる神々は自然と共にある。宇宙はある真理で動いている。

その大いなる真理は必ず一人ひとりに貫かれている。みんな生かされている。それを体得すること。夜明け前がいい。薄光のさす前。未明。

人を羨まない。嫉妬しない。他人のせいにしない。愚痴をこぼさない。愚痴や他人への批判は運をなくす。主体を喪失する。神が離れる。愚痴や批判は言われる側にまわる。全部自分のせいだと思うこと。自分こそが自分の人生の主人公だ。いつも物語を生きること。その自分を主人公としたドラマは様々な艱難辛苦や事件事故に遭遇し苦労や苦しみが絶えず襲ってくる。そして様々な罠、邪悪な攻撃、甘い誘惑、そして恐怖が襲ってくる。とくに恐怖こそ最大の試練。

恐れる。怖がる。病気。死ぬこと。貧乏になること。なにもなくなること。例えば、漆黒の夜に大海に一人で漂うこと。暗い地下深く一人で閉じ込められること。ガンで末期と言われること。絶望的状況。死への恐怖。孤独の絶望。

そのとき試される。自分に神が住み着いていることを。スーパーハイパワー。超能力。超楽天性。絶対に諦めない。自分なら必ず状況を変えられる。すべては試練だ。おもしろい。根拠の無い確信。信念。これだな。これを絶えず身につけること。そのためにいつもこうはなりたくないと避けることを、避けないこと。悲惨な現場にいること。いやなことに向かうこと。それを楽しむ。リズム。頑強さ。タフさ。ハイパワー。バカになりきる。ぐはははは。



nobu23 at 07:02|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生命 

2012年01月24日

関東の雪

夕べ、酒をたくさん飲んでへべれけで帰った。夕方の雨は夜半に雪になり湿って大ぶりのボタン雪に変わり降りつづいた。幸い電車はまだ運行していたが、駅前はタクシーの行列で二重に並んでいるのだった。

ビチャビチャの雪道を歩く。珍しく革靴を履いていたために足もとが濡れる。降りつづく雪が頭を濡らす。コートはゴアテックスだから心配はない。脇道に入る。そこはまだ足跡が少ない。新雪を歩く。足形を記すようにリズムをとって歩く。酔っぱらい。ワンツーワンツー。

朝。出張のため遅めに起きる。カーテンを開けると、白銀の街があった。遠くに丹沢山系。そして富士山。背後から朝日が照らす。白に薄く金色。美しい。

空き瓶と空き缶とペットボトルの回収日。分別して持っていく。段差の低いボロマンションの階段が凍っている。思わず足を滑らし転びそうになった。危ないな。しかしまだ大丈夫。バランス。

関東は年明けてから雪が積もる。これから3月までにあと何回積もるだろうか。晴天の青い空。平常運転する電車に乗りながら新潟へ向かう。皆んな無事だろうか。

雪が輝いている。日が昇る。



nobu23 at 08:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年01月23日

人間とはなにか

日曜日の夜のNHKスペシャル。「人間とはなにか」がおもしろい。4回シリーズの第一回。

人類が誕生したといわれる20万年前のアフリカ。その南アフリカの希望峰の10万年前の遺跡が注目されている。発掘された小さな貝殻に、規則正しい穴が穿ってある。首飾りだ。いくつもの貴重な品々。そのひとつに紅い四角い石。なにげないその石の表面に削った跡。化粧紅の削り跡だという。

この意味。これらは10万年前の人間が、単に自分を飾っただけではないという。それだけではなく仲間の印とした意味があるという。家族だけでなく集団を形成し、その証とした。それはいまのネイティブにも受け継がれている。母親が娘の制作した首飾りをいくつもつけている。これが10万年から続いていると推察されている。10万年もだ。ものすごい。アフリカクラスになると桁が違う。すごい。

そのころ、たかだが2万人位しかいない人類に絶滅の危機が訪れる。7万年前。インドネシア火山の爆発と噴火。こいつも桁が違う。距離100km以上、幅30kmの連続大噴火。凄まじい。そしてその噴煙が地球を覆う。大寒冷が襲う。植生が激変する。飢えと寒さ。生存の危機。

さて、チンパンジーと人間の違いを京都大学類人猿研究所から最新の実験が紹介される。あのサル学である。二頭が互いに見えるように隔てた部屋にチンパンジーを入れる。その一頭に囲いから杖なら取れるようにジュースを置く。隣部屋のもう一頭にその杖がある。互いの協力によって一頭がジュースを得ることができる仕掛け。もちろんチンパンジーはこれを達成する。しかしよく見ると常に最初の一頭が杖を要求しなければ協力はしない。チンパンジーにとって協働に見える行動は、じつは他者の要求に従っただけだという。個別的でしかない。

さらに粘菌の行動が紹介される。たくさんの粘菌がウヨウヨと映し出される。そこでエサとなる養液を枯渇させる。死滅の危機。するとなにが起きるか。一斉に集合して多細胞体を形成し、キノコのように胞子体を作る。そして胞子をばら撒く。これによって絶滅を回避し拡散する。だが協力は同じ類の粘菌でもDNAがまったく同一のものでしか起こらない。粘菌はじつに多様なDNA集団をもっている。

さて人間の行動である。世界中の国で科学者たちが協力しある実験を行った。アメリカ、アジア、ヨーロッパの街角で。遮蔽した車に被験者が入り誰も見ていない条件で、金銭を預けられる。それを全部取得してもいいし他者に全部与えてもいい。それを被験者によっては全部自分のものにする人、全部他者に上げる人などいるが多数の人の実験の積み重ねを平均すると集合的人間の行動がわかってくる。結果は、国や民族にって異なったか。じつはほとんど差異無く50数パーセントが自分へ、残りが他者へとなった。アメリカなんかすべて自分だと思っていたら大間違い。日本より他者への分ちが多いくらいだった。おもしろい。

大震災で日本人が他人のために犠牲的行動することが話題になった。しかしこれは日本人固有の特性ではないと以前も紹介した。最新の大災害における研究の結果、どこの国でも、どんな民族でも他者のために犠牲的に振舞う人が多数だと言うのだ。すごいでしょ。

一人は万人のために、万人は一人のために。とは決してきれいごとでも難しいことでもない。本来の人間に備わったDNAそのもの。そして7万年前の彼らは、ぼくたちの祖先は、アフリカからの拡散の旅にでた。グレートジャーニーである。

ある日の朝飯。ぐはははは。



nobu23 at 06:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 読書 

2012年01月20日

協同の社会

協同とはじつに深い言葉だ。しかし協同組合にいながら協同しない人もみかける。競争と派閥。あるいは敵と味方。意見が対立すると感情的になり相手を許容できなくなる。これはなぜか。

問題解決の方法、あるいは成果をあげるときに競争意識がエネルギーとなる場合がある。スポーツや儲ける事業などで競争に勝ち抜きたいとする本能的エネルギーである。頑張る。あるいは努力を重ねる。いまの成果主義賃金体系はこのエネルギーに依拠する。これは事業成果をあげることが最大の目的。事業は成果を挙げられるか、目標を達成できるかで競わせる。人は競争相手か敵だ。露骨には言わないが勝つか負けるか。戦いである。絶対に心を許さず駆け引きに明けくれる。

だが、協同の心はない。ではこうした動物本能を刺激してエネルギーを強烈に引き出すこの手の組織に、愛と協同の組織は負けるだろうか。出来ない人も大切にし競争ではなく、協同で高い目標を達成できるか。現状を変えることができるか。

できる。この場合の感情は共感であり、共有である。例えば被災者への深い共感。そして学ぶ。行動する。自分のこととして動く。

自分を競争的価値に置かない。頭がいいなどという価値観に立たない。仕事ができると間違っても考えない。批判に晒す。孤立を恐れない。だが、嫌われても自分は相手を好きになること。バカになること。人のために役立つこと。幸せにしたい。

そうした共感と協同ができるためにはどうするか。身体を鍛える。心を鍛える。逆境を楽しむ。面白がること。大いに泣き叫ぶこと。笑うこと。愛。



nobu23 at 06:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2012年01月19日

竹富島との交流

竹富島に魚住けいさんとそのご主人の家中茂先生に案内されて入ったのは10年前だった。

今回、竹富島商工会に呼ばれて講演に伺った。すると懐かしい顔に出会った。上勢頭保会長。仲新城淳さん。そして大工研一さん。みんな魚住さんの案内で勉強させていただいた方たち。懐かしい。

竹富島町町長川満栄長さんが農商工連携と6次産業化に意欲的だ。そして面白い生産者の面々と出会った。波照間島でもちきびを生産販売する仲底善信さん。自身がアトピーアレルギーだった。そこからキビの栽培を始める。農事組合法人「うれしい農」ね、名前からしていいでしょう。曽我潮丸さん。役者のような名前。農事組合法人「石垣島海のもの山のもの」。これがまたいい。地元産のスパイスとハーブを売る。石垣島は宝庫だ。

そして丸山暁さん。



nobu23 at 09:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2012年01月18日

日本生活協同組合連合会の政策討論会

日生協が全国の生協代表者を集めて討論会を開催した。



nobu23 at 09:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2012年01月16日

沖ヶ浜田の黒糖 種子島にて

広美とはじめて出会ったのは種子島の沖ヶ浜田の黒糖が地域伝統食品ブランド「本場の本物」に認定されてからだ。その認定業務の事務局をしている二瓶徹さんがぜひ行こうと誘ってくれた。仲間たちと気軽な気分で遊びに行った。2009年12月18日だ。みんなは予定通り17日に入って見学行程をこなしていた。ぼくだけがその日仕事が入り夜に鹿児島空港前のホテルに泊まって早朝種子島空港に飛んだ。

空港に出迎えてくれたのは長野和明さん。従兄弟。定年前に辞めて単身種子島に帰郷した。タクシー運転手をしているという。気さくに話してくれた。

さて、最初に案内されてみんなと合流したのはお茶畑だった。種子島茶生産組合。そこでいろいろ説明するおばさんがいた。よく話して少し強引な感じ。しかしその後の種子島の案内をされるうちに、種子島の本当の良さと素晴らしさを皆んなに知ってもらいたいということがよく伝わってきた。どの場所もどの人たちもその面白さが伝わってくる。

その沖ヶ浜田の黒糖の製造現場にあらためてお伺いした。早朝、5時からはじめている。まだ真っ暗闇だ。雨が降っているために漆黒の闇。そこに海辺から風と波の音が聞こえる。作業小屋は小ぶりの船小屋に見える。外に灯りと湯気が漏れている。中に入って行く。土間に広く四角く砂糖キビの糖液が流し込まれた鉄板の枠がある。その床は登り釜になっている。釜焚きは熟練の専門家に任されている。火の微妙な温度調整が必要だ。

鉄板は二段。下の段で糖蜜液を二人で練りこむ。そして粘度と匂いで判断し上の段へと進む。最後は別に磨き上げた鍋を四つ準備してあり、そこに流して練り上げる。鍋に入れた段階で取って味をみると硬い水飴状。歯にくっつく。それが鍋でじっくりかき混ぜると空気が適度に入りさっくりほろほろ感が出てくる。この味は単なる黒砂糖ではない。文字通り砂糖キビのエキス。心なしか草の茎の残香がする。美味い。

黒糖作りは十数名でする。女性三名が綺麗に皮を剥いで揃えた砂糖キビを原始的な圧搾機に入れて絞る。そしてチューブで糖液が釜に注がれる。それを二人の男が練り上げる。交代しつつ最後は鍋に入れて練りこむ。それを木型に流し込みむ。固まったらまた女たちが外して袋に入れて完成だ。

品質管理が変に近代化するとこれに文句言うだろうと思う。しかしこのプリミティブなやり方に本来の旨さが宿っている。土と黍と人の温もり。その空気がいい。

広美の愛する種子島の人々。技術。黒糖作りはそのトップに棟梁を据える。光男さん。83歳。かくしゃくたるもの。



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2012年01月14日

公開確認会報告会と第19回農法研究会

パルシステムは生産の認証システムを有機認証の国による第3者認証に止めず、生産者と消費者による公開確認会として実施している。1999年に開始したこの方法は、生産者自らがその組織理念や運営から圃場と栽培法、栽培記録、生産と出荷記録などまでまるごと公開する。それを監査人講習をうけた生協組合員と他の生産者や農業普及員、専門家などで公開監査をしている。

最初は生産者は嫌がった。購入してくれる消費者はともかく、なんで他の生産者や専門家にまで見せなければならないんだと。しかしやってみて良かったという。自組織や栽培の特徴及び良さとともに問題点も浮かびあがる。しかもそれを多勢の方に公開することで自信がついた。さらけ出して強くなった。またやって欲しい。と二度目の生産者も出てくる。

さて、2011年には7生産者が実施した。参加者総数は634名。野菜、鶏卵、米、豚、果物、牛乳と各種の生産者団体。



nobu23 at 09:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生協組織 

2012年01月13日

面白がり力

生命のパラドックス。

環境が厳しいと生命も頑張る。快適だと弱る。歩かない、走らない生活。車や電車やエスカレーター、エレベーターばっかり使って楽していると脚が弱る。寒いときに厚着と防寒を徹底し暖房に頼ると身体の温め機能が低下する。力仕事をしないと直ぐ弱る。当たり前。

だから身体を訓練しなるべく薄着で冷たい水を浴びる。するといつも身体がほかほかしている。気持ちいい。

さて、身体は訓練し鍛えることは当たり前だが、もう一つ訓練することがある。心。気持ちの持ち方。これが重要。なぜなら身体の各種細胞は神経系でつながり脳にくる。この脳が問題となる。

例えば、極度の怒りや悲しみや嫉妬や苦しみは脳にくる。すると神経系でその興奮が各種細胞に伝達される。よくあるのが試験前に下痢をしたりお腹が痛くなる症状。もっとひどくなると十二指腸潰瘍となる。あるいは極度のストレスが突発性難聴を引き起こす。耳が自分の表面的意思とは無関係に聞こえなくなる。ありいは耳鳴りがひどくなる。こうした症状はすべて単なる肉体病状ではない。神経系の異常。というか心の極度のストレスから正常に反応したもの。これだけハッキリと関連が判る例はまだいい。恐るべくはそこまでいかずに内臓器に疾患を徐々に溜めている場合である。注意する。

では、こうしたストレスや感情をどうするか。これが訓練しなければならない。心の持ち方。嫌なことを見つめる。何で嫌なのか。自分の車が無い。BMWなんか乗っている人を見てうらやましがる。違う。自分の体がポルシェだ。体ひとつで走る。エスカレーターは使わない。階段がある。長い階段ほど得をする。事件事故が起きる。何でか。なぜおきるか。それは必ずいまの自分たちのレベルを超えたからおきている。そこを格闘する。体がイカれる。面白い。天が試している。嫌なこと、つらいことを楽しむ。他人のせいにしたがるひとがいる。不思議だ。すると事を起こし人に影響させることができるのはその他人だと言うことになる。違う。人生の主人公は常に自分。だからすべては自分の問題なのだ。だから楽しむ。

道端で雪かきをしているおじさんがいる。誰も見ていないのにゴミを拾うおばさんがいる。それは何のためか。自分のためなのだ。人に褒められようとか評価されたいとかではない。自分が道を整理し美しくしたいから。だから自分で気分がいい。そのことを厭わないだけでなく楽しい。うれしい。

寒い早朝をちんたら走る。ゆっくり自分の身体と対話しながら走る。楽すぎない、苦しすぎない。こうして寒い朝に走れるなんてうれしい。幸せな気分。ぐはははは。



nobu23 at 06:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2012年01月12日

物を売ることについて(販売の意義)

世の中が荒れる。環境が壊れる。こうしたときに昔は、社会的なこの矛盾や不公平な社会に対して怒りや正義感で行動した。あるいは美しい自然や環境と心優しい村を保存していきたいという思い。これを実現するためには、国のあり方や人々の考え方を変えなければならないと思っていた。政府批判をし、そのような考え方を統一する組織を形成しなければならないと思っていた。

だがこれは考えてみるに非常に表層的な捉え方だ。人々の言葉や発言、そしてその考え方だけで自分勝手に理解している。それを統一しようとするのだから、下手すると思想統制的な考えとなる。第一、人々の多様性の否定につながる。嫌だな。それがその時代には自分は正しいと思っていた。

では、どうするか。

生態学的な捉え方が大切だと思う。何を言ってるかも大事だが、もっと重要なのは何をしているかである。人々の暮らしだ。これそのものを大切に観る。自然や環境を観る。どうしたら守れるか。そのまえにキチンと観る。村の協同性の豊かさを観る。そしてどうしたら保存し広げることができるか考えること。

大勢の人々の欲求が、高層ビルや高級車や高級レストランなどの贅沢と言われるものに向かうのではなく、自然環境や村の協同に向かうときにそれは変わる。里山、里海の豊穣に向かう。そこにお金が回っていく。人々が回っていく。そういう時代へ。

ではそれをつなぐきっかけをどうするか。

村の生み出す物を都市で売ること。都市生活者に自然の豊かさを届けることだ。ただしその場合、物は単なる物にしか見えないとダメだ。ただその物だけをみていると売れない。売る意味すら分からなくなる。単なる物だもの。物を売らない。物語を伝える。

たとえば佐渡の野浦村の美しい海。その豊穣な海の恵。貴重な飛魚。それを手間暇かけて飛魚出汁に仕上げる。しかしこれだって単なる物。意味が分からなければタダの乾物モノだ。しかし分かる人にはたまらない。あの出汁の香り。旨味とともに微かに磯の香りがする。人は海から生まれた。生命は海から。いのち。化学調味料漬けの毎日。その表層を引っぺがす深い味わい。これが里海を守り、村人を助ける。協同。

岩手県の薮川。宮沢賢治の世界。日本でもっとも美しい春と賢治は語った。本州一寒いこの土地に戦後の開拓者たちは住みついた。その生きる美しさ。極寒だからこその春の息吹。生命の揺らぎ。黄緑色のざわめき。そうした土地だからこそ山菜は美味しい。いのちの芳香。3年前からの原木椎茸。その旨みが天日干しで凝縮する。一番美味いのはただ水でホイルに包みグリルで焼く。醤油をホンのひとさじ落として食べる。肉厚の歯ごたえとミルクのような味わい。日向の枯れ草の香ばしい香り。里山の豊穣。生命の恵み。単に水から入れて味噌汁の出汁にしてもいい。美味いぞ。



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2012年01月11日

宇宙がいまおもしろい

宇宙の観測技術がここ20年位で飛躍的に進歩した。そのために今まで見えなかった遠くの銀河や星たち、分からなかったものが分かってきた。見えてきた。

例えば光学望遠鏡の進化。分光技術。星の光を集光し、スリットで分けて投影し焼き付けて解析する。これにより波長別に色分けできる。可視光線だと短かいものは紫色、長いものは赤色に見える。光も要は電磁波。その波長によって分析できる。

光のドップラー効果。光も波のために音波のドップラー効果と同じく変移する。観測者に対して遠ざかるものは波長が長く、近づくものは短く見える。遠ざかるものは赤く見える。赤方偏移。これを使い星の距離と運動を測る。

これを観測して宇宙には我々以外の銀河があること、そしてそれが相互に遠ざかっていることを発見したのはエドウン・ハッブルである。赤方偏移の発見による。

さて、こうした観測技術が飛躍的に進歩すると何が起きるか。光学レンズの精度と共に、それを解析するコンピューターのレベルが上がった。そのことで、徹夜で熟練した観測者が眼を凝らして数ある星々たちを調べ尽くしたことは昔となった。今はコンピューターで一瞬に分類して超新星爆発も簡単に発見することが可能となった。そして電波望遠鏡。電波観測衛星などなど。こうして100億光年先まで見ることができる。すると100億年の昔の宇宙が見える。

計算もコンピューター技術で難しい高度計算が可能となった。シュミレーションもリアルだ。次第に真の宇宙の姿が見え始めてきた。すると悩ましい問題に覆われてくる。

宇宙は膨張し続け、しかも次第に加速しているという。本来、星々の質量があると膨張が次第に引き合う重力で減速して、やがて収縮すると計算されてきた。膨張が観測されなかった時代には、かのアインシュタインですら宇宙方程式に宇宙項という斥力を挿入し定常宇宙を導き出した。λ項という。ところがじつは銀河同士は加速しながらさらに膨張し続ける。この未知のエネルギーをどう解釈するか。ダークエネルギー、暗黒エネルギーの存在。

それと銀河の観測でも奇異な事実が判る。銀河の回転。これは太陽系のように重力により中心点と回転する星の質量と回転スピードが規則的になっている。近くは早く、遠くは相対的に角運動が遅い。ところが銀河の回転は違う。まるで見えている星の質量の信じられない倍率の質量が隠されているかのように回転する。その質量がなければその回転も無い。暗黒物質の存在。ダークマター。

さらに真空と思われてきた宇宙空間はエネルギーの宝庫で物質が生成と消滅を繰り返していると仮定されている。まさに仏教用語の「空」だ。無でも有でもない。

アインシュタインの時空の概念が、ニュートンの宇宙観をひっくり返した。光の速度の絶対化によって。ところが今度は光より早く進む物質が見つかったかもしれないと言う。するとアインシュタイン宇宙観も怪しくなる。

いま世界は大転換期にある。だいたいこれまでの歴史を見ると、大転換期は科学観の転換も同時に進む。いよいよ面白くなってきた。生き方が問われる。



nobu23 at 09:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生命 

2012年01月09日

地震の予知について

地震は予知できるか。地震学会は無理だという。予知できないとする学者の本も多く出版されている。中長期的には予知は可能だがそれ以上は無理だとする。地震の原因はプレートテクトニクス理論でその運動と歪み、断層の把握で説明できる。しかしいつどこでどの規模で起こるかまでは分からない。ガラスのコップに力を入れて、それがいつの時点で割れるか特定するのが難しいという風に説明されている。ガラスの弾性疲労など不確定要素が影響しこうした細部は断定出来ないとされている。

一方、予知可能だとする人びともいる。地震の前兆を調査する。地下水上下、ラドン濃度、地震雲、FM電波異常など。ナマズの研究もある。しかしこれらはイマイチ科学性に欠けるとみられていた。トンデモの世界だと思われていた。

ところがじつは本格的な地震予知研究が日本で行われていた。かなりの精度で予知できる。電気通信大学名誉教授の工学博士早川正士先生のグループだ。「地震解析ラボ」を運営している。その本「地震は予知できる!」(KKベストセラーズ)

その原理。電波には波長があり、その長いものは上空の電離層で跳ね返される。短いものは突き抜けていく。この電波を測定していると電離層の異状によって変化する。とくに電離層擾乱と呼ばれる攪乱作用によって変化がおきる。電離層擾乱は太陽フレアや雷が原因である。FM電波(VHF波)は超短波で電離層では跳ね返らない。従って遠くでは聞けない。ところが電離層擾乱で聞けることがあるという。こうした電波の性質で電離層擾乱を測定できるのだ。この電離層擾乱がじつは地震の5日から14日前に測定されるという。しかも擾乱の程度でマグニュチュードを予想できるという。画期的だ。

この予知の端緒はロシア科学アカデミーのグーフェルドらによる。そしてアメリカ、イタリア、ギリシヤと続き、フランスは2004年に人工衛星(DEMETER)を打ち上げ地震と電離層擾乱の本格的調査に入っている。

早川博士の「地震解析ラボ」は「地震予知学」を唱え、「地震電磁気学」を確立しようとしている。東京大学地震研究所などの従来の地学的な主流に対して、電磁環境学、大気電気学、電気/電子工学で地震の前兆を計測して予知し実学的な貢献を図ろうとしているのだ。すごい。

いよいよ地震との本格的な向き合いが始まった。だが自然の猛威は依然として聳え立っている。



nobu23 at 06:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2012年01月07日

40年ぶりの再会

新潟高校で一緒に暴れた仲間に、昨年再会した。新潟総合生協前専務理事の松田さんを偲ぶ会であった。小泉市会議員。懐かしく話していたら仲間に声をかけるという。そして新年会となった。夜新潟駅前で集まった。

その小泉、吉田、片岡、佐々木、横尾。すこし記憶が薄れていたが、共にバリケードをつくった仲間だ。あのころの苦い失敗談で盛り上がる。するとたくさんの記憶違いがあることがわかる。自分で勝手に作った話で記憶が変わってしまっていた。それがお互いに話しているうちに戻ってくる。微妙なズレや忘れていた行動の記憶が蘇ってくる。懐かしい。

僕が昨年、取材をうけて新潟日報夕刊に取り上げられた記事を、みんな偶然読んだという。へーと思った。しかしみんな白髪が増えて年をとった。酒を酌み交わしていると昔が蘇ってくる。懐かしい。

自己の人生を振り返る年齢となった。セカンドステージへ向かう時に過去のいろんな失敗や思い出を点検すること。それは仲間たちとの交遊において他はない。いい友人を持った。ありがたい。嬉しい。



nobu23 at 10:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2012年01月05日

大いなる時代の転換期にて

昨年、日本はついにあの大震災と原発事故によって、自然とひとの関わり方、あり方の間違いに、誰もが気づくこととなった。いままでの近代社会の理想とした自然克服観、自然改造観。これは自然の風雪や雨風からの防御からはじまって人工的な温度管理や湿度調整での快適性。さらには超高層ビルや高速道路、超高速鉄道、地下鉄、ジェット機などの集合性や効率的移動手段。そして車、エレベーターなどほとんど足を使わない暮らし。楽で便利で快適な暮らしを追求して実現してきた。

それからいつも祭りのように消費する。遊びも欲望のまま。いろんな国からいろんな食べ物を取り寄せて食いたい放題消費する。大量生産と大量消費。膨大なごみの山。

お金がお金を呼び、富めるものはますます富む。そして格差が拡大し、貧しさはもっと悲惨になる。貧困は逃れられない圧力となった。自然は無残に破壊された。その分、こんどは人間社会に損傷を与える。巨大台風、竜巻、集中豪雨の日常化。そして大地震と大津波。巨大な衝撃。原子爆弾から派生した原子力発電。極限的に無理な自然利用は人類の死滅へと破壊作用を撒き散らす。

ではどうするか。

先ずはこうした流れを誰かのせいにするのはやめたい。他者のせいにしたがるがやめる。また、ああすればいいとかこうすればいいとか、人様にやってほしいと空しい提案することもやめたい。

主体的に考えてみる。それを着実に実行して成果を積み重ねる。少しづつだ。

文明の転換期。どう変えるか。それは一人ひとりが主人公となり、すべてのひとが協同する社会となる。協同社会。協同とは、一人が万人のために、万人がひとりのために、である。それが自然に学び自然と共にある。

では、それをどうしたら実現できるか。自分のなかの自然を自覚すること。もともと自分という個体は、宇宙にひとり浮かんでいるわけではない。食べ物も生活も頭の中の思念もすべて他人や社会とつながり構成されている。だから自分が変わること。ひとりがまず変わること。これが革命的変革のあり方。

自分が変わる方法。なんのためにやるかをしっかり落とす。目的の自分確認。そしてそのためにちょっとづつやっていくこと。それを毎日毎日必ずやること。楽しむこと。走ること。毎日20分でいい。しかも苦しくない程度。しかし楽すぎない。腕立て伏せはまずは5回づつ。気づいたときに行う。毎日やること。掃除と洗濯。片付け。この苦手なところを少しづつやること。こうして農業に挑戦すること。ダメでもダメでもあきらめない。楽しむ。無理なく続ける。

積小為大(小さなことの積み重ねが大きなことを成し遂げる)とは二宮尊徳の思想である。

一人ひとりが変わること。これが文明の大転換をリードする。



nobu23 at 06:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域 

2012年01月04日

佐渡野浦の正月

30日昼に仕事を切り上げ、佐渡へ帰省した。今年は連れ合いの広美が一緒だ。12月18日に入籍した。種子島の人。新潟で兄と合流しカーフェリーで海を渡る。さすがに時化でおおいに揺れた。船上で酒を飲む。両津でおんぼろ軽自動車に乗り換え、広美の運転で実家に向かう。雪は小佐渡を曲がると少なくなった。星が見える。

31日は買い物に両津の町まで出る。しかし店には鱈も寒ブリも無かった。残念。真鱈の切身だけを見つけて買った。ブリのアラをつけてくれた。帰りに潟上温泉に寄る。古い温泉は年寄りの溜り場である。お湯は熱い。爺さんたちによると新しいほうの風呂はぬるくていけないと言う。

佐渡野浦の年越しは、紅白歌合戦を終えてゆく年来る年の除夜の鐘が始まる頃に家を出るところからだ。夜参りである。村じゅうの人が元日の夜に初詣でをする。それも神社から寺、浄土真宗の道場、田んぼの脇の権現様、海辺の龍神様、弁財天様などいくつも回る。少しの浄財を捧げお神酒を頂きお払いを受ける。臼杵秀麿宮司も大忙し。そしていったん帰って飲みなおす。

さて元旦は春駒が一軒一軒門祓いに回ってくる。二人の踊り手と太鼓と鐘の歌い手。15分程度の踊り。総勢10名くらい。お米とお酒を捧げる。それから野浦大神宮の春人(はりんと)の会合である。親類などに年始挨拶。そして兄の子供たちを迎えにいく。ふみ子と美和。一緒に元旦を過ごす。

二日は、ささやかな妻のお披露目祝宴。自宅で親戚一同に列席を願う。しかし村の人々のなんと豊かなことか。刺身はタイ二匹をお頭合わせで並べる。サザエやマグロから煮付けや酢物など所狭しと広がっている。そして挨拶が続き歌踊りだ。特に作右門おやじの俵付け歌がすごい。めでたい歌が延々と続く。

挨拶に立った広美は感動で言葉がつまり目頭を押さえた。ろくでもない自分を思うと恥ずかしいやら感謝の気持ちやらで胸が詰まった。



nobu23 at 06:16|PermalinkComments(7)TrackBack(0) 日記