2013年05月

2013年05月31日

母逝く

1919年4月27日生まれ。この4月で94歳になっていた。享年95歳となる。最後は佐渡の佐和田病院で生涯を終えた。兄と姉二人と孫の恵と舞に看取られて逝った。5月26日(日)午前6時3分である。軽い肺炎が診断書。病院では老衰とはならないそうだ。

25日(金)の昼ごろに佐和田病院から連絡があった。母が尿を出せなくなったので親族に来て欲しいと。直ぐ兄と姉に連絡した。新潟の兄妹は病院に向かった。僕は生活サポート生協・東京の総会。その会議終了の時間に佐渡に連絡を取る。すると午後7時30分の最終の佐渡汽船には間に合わないことが分かった。今日中には佐渡にいけない。総会後の懇親会にも出席し新潟に向う。駅前のホテルで宿泊した。そして早朝一番の6時55分のジェットホイルで佐渡に渡ることにした。定夫さんが迎えに来てくれる。

新潟駅前のホテルで、早朝シャワーを浴びて服を着ていると兄からの連絡で亡くなったことを知る。
兄の話では最後は徹夜で孫たちが手を握って母に呼びかけていたという。当初は40だった血圧が、孫の呼びかけで80まで上がった。これでしばらく大丈夫かと一段落した。すると看護婦が休憩場所に来てあと30分だと告げた。そんなばかなと思ったという。

だがきっちりと30分後に逝った。思えば母は、ほとんど病気もせずに病院通いも無く、最後に軽い肺炎でこの1月に入院してた。一回退院し介護付高齢者住宅に入居。4月23日に再び病院に入院していた。意識はあったが話すことはもうできなかった。ゆっくりと生命の火が衰えていくように次第に衰弱していった。

4月に介護付高齢者住宅に行ったときに、衰弱して目も開けられない状態だった。だが、姉の順子が耳元で声をかけると涙を流した。やはり意識はある。その翌日にお医者さんから見てもらい肺炎との診断で病院に入った。
ちょうど一週間前の日曜日も広美と日帰りでお見舞いしたばかり。手は握り返していて目も開けてはいたが話すことはできなかった。

父が亡くなって15年。一時、新潟にいる兄や姉に引き取られた。が、結局、佐渡に戻り一人でくらした。そして広い実家で一人で暮らしていた。寂しかったと思う。だが家を守っていた。野浦に住みぬいた。
朝晩に真言念仏を唱えていた。食事は嫌いなものは一切口にせず好きなアンパンとコーヒー牛乳は欠かさなかった。運動らしき運動もしない。しかし気丈夫。今思えば真言を唱えることとカラダを動かすときの掛け声が体内運動だったと思う。気合。

26日日曜日の早朝、ジェットホイルで海を渡るときは日本海はまるで湖のように静かだった。波がまるで無い。晴天。船はその途中で、急に大きく旋回して止まった。海洋生物と思われる物体が横切ったというアナウンス。鯨だ。
そして葬儀をすべて終えて佐渡を後にする木曜日には小雨が降っていた。晴天続きだった佐渡に農家の待った雨が降った。海はやはり波が無く静かに雨で煙っていた。両津湾を進む。
姫崎灯台を遠くに見ながら海峡に出て行く。灰色の空と暗い灰色の海を進んでいく。
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2013年05月25日

異文化交流と自己変革

異文化は見るかに異なる人や民族とは交流し易い。違いがあると視覚的に判明している。だからしっかり学ぼうとする気構えがこちらにできている。これが、韓国や中国だと見た目に違いがない。人としては同じ。人体では同じ。

ところがこの数千年で異なる地域、社会を作りあげ、国を構成したため言葉や生活習慣がまるで違う。これは最初は当然意識されるが、慣れてくるとズレが起きてくる。以前、釜山外国語大学日本語学科と交流していた。その教授と親友となり、行き来していて、そのズレに愕然としたことがある。

韓国では、親しくなると年上は兄貴と呼び全て尊敬される。少なくとも絶対的に年長者に配慮することを強制される。たまたま年上だったので大変だった。日本で飲んでると全てこちら持ち、それが尊重されるということだ。しばらくすると昔は若かったので持たなくなる。腹が立ってくる。それでいつか爆発してケンカした。

姜牧師がこう言った。
在日韓国人との民族差別撤廃運動の指導者。韓国人と日本人が真に分かりあえるためには、本気でケンカすることだと。建前で仲良くしても本当は理解したことにはならない。なるほど。

では、日本人同士ではどうか。
じつは同じ顔で同じ家庭で育っても考えている世界は違う。このためやはりズレが起きる。このズレを意識していないとトラブルが起きる。これは家庭だけではない。職場や地域で親密な関係になればなるほど起きる。コミュニケーションギャップである。

さて、言いたいことは食と農の交流だ。
同じ顔で同じ地域で住んでいても、じつは大きく違う。考え方も身体の動かし方も知識も喜び方も違うのだ。都市で住んでいる人は、職場組織か地域自治組織かいづれにしろお金が基本でかつ他者の生産やサービスが無いとまるで生活できない。そのため常に人間関係から考えるし、それなくしては生きていけないと思ってしまう。

ところが、農村で田畑や海を相手にしていると人間の生きていく条件はその自然から頂いているという実感のなかにいる。だからいかに自然からその恵みを頂けるか。そのためには自分がどう役立てばいいか、自然の摂理に従いながら考え続けている。。基本は、自分ひとりから。いつも工夫を前提にして生活している。

ただ、近代農業はその生身の個人対自然の農のあり方から離れだし農協による技術の体系と農業資材の提供を前提にしたものへと劣化した。マニュアル型農業である。

それでもしかし農は奥深い。
そして有機農業、この自頭で考える農業。ここに触れることは都市型生活からの離脱と考え方の転換が必要だと思う。農に身体を慣らす。その考え方、生き方を学ぶ。そのためには訓練が必要だと思う。
登山、三浦雄一郎さんの凄さ。彼はその挑戦がヒマラヤを場としていない。都市の中に山を想定して生きてきたのだと思う。いつも加重をかけて歩き動く。身体を常に登山的な動作に慣れさせていく。

さて、僕らも小さな一歩を踏み出せる。
農の場は、どこにでもある。そこを通して自然のなかで生きる力をつけて行きたい。
都市のセメントの隙間、タバコを捨てられても超然と花を咲かせる。
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2013年05月24日

埼玉産直協議会と交流のマンネリの突破口

埼玉産直協議会「農・菜・土」の第3回総会。会場はスペースドゥ。構成は沃土会(有)、南埼玉産直ネットワーク、丸和油脂蝓↓螢筌泪、高橋ソース蝓◆頁澄忘覿霧産直協同、埼玉ぱるとも会、パルシステム埼玉、パルシステム連合会、螢検璽圈璽┘后2馗垢鰐霪盥郢屬気(沃土会)副会長に山崎幸男さん(南埼玉産直ネットワーク)と坂本美春さん(パル埼玉)だ。事務局長は一ノ瀬正人さん(パル埼玉)。

ここは、農業生産団体複数、加工食品企業、生産物流、生協というフードシステム全般が加わる協議会であることが特徴。総会後の講演も農商工連携であの三澤孝道会長(パルシステム協力会・共生食品)が行った。

こうした産直を推進するのに、何が大切か。マンネリ化せず縮小せず楽しく豊かに発展していくために何が求められるか。

まずは関わる自分がおもしろいか。
リーダーのくせにつまらないと本音では感じていて、しかし意義が有るので取り組んでいるとか、仕事として、役割としてこなしているなどいう気持ちではダメだ。無理だ。無理はしないこと。関わる人が嫌になる。嫌な気持ちが伝染する。ここを変えたい。楽しむこと。

逆説
音楽が嫌いなウォークマン開発企業役員。音楽聴きながら歩くなんて不届き者と思っている。関心は会社の規模と利益のみ。経営とマネジメントを一生懸命勉強している。MBA取得などもする。株だってやりたい。企業の定義を変えたい。企業は時代の流れの先をいく儲かる組織にすべきだという。音楽や映像なんて売るのは古いという。ハードも時代遅れだという。そして転落縮小赤字へ。どうしてかわからない。

不味いラーメン屋。ラーメンに関心がなく、あるのは儲けのみ。不味いくせに何で客が来ないと愚痴っている。しかもその客にも関心がない。愛想が無い。店はこきたない。そのくせ客がなぜ来ないかと悩んでいる。儲からないのはなんでかと深刻だ。
組合員に関心の無い役員がいたらそれは困る。組合員一人ひとりがどう関わっているか利用しているかその実態に関心が無い。暮らしに関心が無い。あるのは規模拡大と供給高と利益のみ・・・となったら嫌でしょう。

では、農と食の交流の楽しさ、面白さは本当か。
農はやってみるとすぐ飽きる。作業はつまらない。カラダはきつい。嫌になる。雨でも降って中止してくれないか。
おまけに交流事業というと、事故防止と計画通りに進捗していくことを最大の成果と考える人たちがいる。残念だ。そのためにあれも禁止、これもダメとなる。つまらない。おもしろさがない。

それではなぜ農家は続くか。仕方なくやっているか。
じつはここがミソ。農はおもしろいのだ。非常に頭を使う。カラダにもとてもいい。だから一人でほっといてもいつまでも飽きない。畑の婆さん。一心不乱。陶酔。

そのポイントは何か。
米沢郷牧場のリーダーの伊藤幸蔵君が言った。田んぼ作業をするときに、まず秋の収穫時の稲のイメージを描けと。どういう稲を作りたいか。そのためにどうするか。自分にとって理想の稲とは。
そして種を選ぶ、苗作りにこだわる。田起こしは、代掻きはどうするか。水の水平は。水温は。深さは。
雑草だって違うという。田んぼや畑の土や水の状態。プロは雑草を見て圃場の常態と作物の状態を判断する。
高橋宏通君が教える。稲を抜いてみる。髭根の状態。富栄養状態だと根腐れっぽい。根がすっきりと深くかつ太く広がっているか。比べてみる。見て考えて考える。そして試す。

つまり、作物の収穫までの全体像を描く。
仕事は実際はすべて部分。部分だ。しかし頭ではトータルに成熟までを描き、その過程を楽しんでいく。思い通りにはならない。だが、それすら楽しむ。これはどんな仕事でも同じ。やっていることはすべて部分。だが面白がる人には全体が見えている。全体からその作業の意味が見えている。見る目を持っている。

もっと先へ
収穫したら、必ず食べる。食べ比べる。そのおいしさを感じる。
昔、小田原で田んぼ交流に参加した人が、そのお米を要らないと言ったときには驚いた。体験だけが意味があると考えていたのだ。違います。
食べること。ここが大切だ。
小田原の田んぼの水系。これは酒匂川。この酒匂川を歩いてみると、じつに多様な魚が泳いでいる。アユばかりではない。名も知らんようなヤツまで楽しそうだ。それをチョウゲンボウが狙ってホバーリングしている。トンボも水辺を飛んでいる。その川の水が水路を通って田んぼに来る。

いや驚いた。
小田原の米なんぞ、食えるか。佐渡の棚田の米が一番だと思っていた。
ところが小田原下曽我の米はじつに美味い。しかも無農薬無化学肥料。生物多様。これを毎日玄米で食べる。
この玄米には、黒米を混ぜる。すると赤飯のように赤みがかる。これを食べるとすばらしいうんこが作られる。
黒米は消化が悪い。玄米は消化しにくい。これが大腸まで行って食物繊維となって乳酸菌の餌となる。
こうして腸が浄化され発酵菌によって素敵な栄養となって血管を駆け巡る。素晴らしい。

勝手な思い込み。
農から何を学ぶか。
その深い世界。これを自ら体得し、語り合いたい。カラダとココロを自由に解き放つ。それは食と農の世界を手に入れたときにはじまる。

世界恐慌よグローバル金融よ、その邪悪だが脆弱な思想よ。
自然の前になんという無力さ。修験道の世界へ。
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2013年05月23日

何故、毎日食べるか

なぜ毎日食べるか
と聞いたのは辰巳芳子先生。パルシステムの学習会。今からすでに10年前。

変な質問だなとその時は思った。腹が減ってくるから。とくに深くは考えてない。
辰巳先生はいつも人は何故毎日食べるのかと考え続けていたそうだ。そこである本に出会ってそれを読んで納得したという。

「生物と無生物のあいだ」
福岡 伸一 分子生物学者の本である。
このなかで人間の身体を比喩して、海辺の砂とそこから作った砂の城に例えたエピソードが出てくる。美しい砂浜、その浜辺の砂の城。そこに毎日毎日波が押し寄せてはその城が崩されていく。そして崩されてはそこに天使がやってきてまた城を作る。その繰りかえし。その砂の中に錆びた鉄屑やガラス片が混ざったらと問いかける。

砂は人体では細胞のことだ。それは60兆個もあるという。これが毎日毎日壊されている。壊れる。身体は、自から壊しては作り直す。髪の毛、爪、皮膚は分かると思う。これは分かり安い。毎日次々と伸びてくる。だがじつは全てだ。カラダのすべて。骨も内臓も神経系も血管群も作り変わる。すべてが毎日廃用にされ、作り直されているという。そしてほぼ7ヶ月ですべてが入れ替わる。凄いね。

食べること
だから食べることは、自動車にガソリンを補給することとは根本的に異なっている。自動車のボディは一度作ったら壊れるまで使える。エネルギーだけ補給する。僕らは中学校までに出来た肉体をそのまま維持ないし怪我した部分のみ修理していると思っていた。毛や爪は、それだけが伸びていると思っていた。じつは違う。
人体は、そのボディそのものを作っている。毎日毎時毎分。壊しては作り直す。

食べることは身体の原料を補給すること。
その毎日作り変える原料が食べ物だ。食品。この原料が適正か詳しく調べる。これが人体にとって非情に重要だ。この原料が新鮮で安全で美味しく感じられること。このために原料の取り入れ口に高度なセンサーがついている。口だ。鼻だ。目だ。におい。色。味。五感。これを感じるために顔のデザインができた。もともと口だけがあった。始原的な動物。そこから進化した。その意味。

原料としての食品。
ご飯を食べる。一粒の米。そこから100を超えるお米が実る。何によってか。
土と水。そのお米は土と水でできている。田んぼの泥から生まれる。僕らは間接的ではなく、直接に土と水を食べている。お米の育った環境を体内に取り入れている。

食を考える。
食べ物を食べること。その環境をカラダに取り入れること。食べ物を生み出した環境を僕らは食べている。
体内に摂りいれている。だからじつは土と水を取り入れている。
そしてそれを育てている生産者が良い人であること。それが産直の深い意味である。

福島県いわき市で見た機関車D51。無骨な運転席。
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2013年05月22日

北部九州食糧自給推進協議会

福岡八女農協久保組合長の挨拶で第四回総会が開催。福岡県八女市のJA福岡八女本所会議室。協議会を構成する6団体。農協を中心として菜種油の平田産業さん、牛肉のすすき牧場さん、マルハニチロ、(株)ふくれん、そしてパルシステムだ。

九州筑後平野を擁する八女は、古くからの食や生活用具の一大拠点。食は米、小麦、大豆からいちご、たけのこ、柑橘類、お茶と何でも揃う。畜産も豊か。

だが、輸入農産物に押されて廃れ始めて久しい。ここを農協を核として食品企業や行政と首都圏のパルシステムで協議会を構成して、食の自給を推進する。JA福岡八女からはいちごや野菜、たけのこから豆腐の大豆も頂いている。大豆生産者部会とも交流している。お茶は一大産地。八女の町では古くからのお茶の販売店が店を構えていた。交流会では水出しお茶で乾杯。氷水で8時間くらい出したもの。濃い緑。甘く深い味が楽しめる。しかもすっきりとしている。いやこれは絶品。長く出すのがコツのようだ。

平田産業有限会社
日本でも数少ない菜種の圧搾絞りの工場。物理的圧搾法は、化学的抽出法と異なり歩留まりが悪く、手間ひまかかる。しかも精油行程を湯洗いといって湯と混ぜてタンパクなどを沈殿させて精油する。なんと8回も行うのでコストが馬鹿にならない。だが、この圧搾絞りと湯洗い精油法で仕上げた菜種油はすごい。薄い緑がかった透明な油は、腰が強く酸化しにくく胸焼けがしない。これを使うと他は使えない。なお、通常サラダ油というと大豆かトウモロコシ(コーン)油で質が落ちる。しかも米国の農薬化学肥料浸け。菜種はオレイン酸が多く、体内脂肪を燃焼させる。じつに健康的だ。
さらに平田産業の絞った後の菜種カスはJA福岡八女とすすき牧場で上質の飼料と肥料として使われている。地域循環。

すすき牧場
国内飼料自給に挑戦している。やく7割は自給だときく。そのため菜種の搾りかすや飼料米を積極的に活用している。ここでポイントは、発酵である。発酵することで菌による上質の飼料となる。すすき牧場の牛肉は脂肪の質が融けやすい不飽和脂肪酸が多い。健康な牛はその肉を食べても胸焼けがしない。変な油の味ではない。本来の牛肉の味が楽しめる。

(株)ふくれん
農民工場。JA系列が出資した食品会社。ただの炭酸水が知られている。日生協ではパルシステム独自使用の炭酸水を開発供給している。だが生のレモン果汁を使用するため課題もある。

マルハニチロ
すすき牧場のサポート。花房部長が昔からこだわりの牛肉を開発している。こういう大企業も関係し連携を深めているのもおもしろい。

紺屋商店街
町づくり
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2013年05月21日

福島被災地と原発への視察

ぜひ、見にきて欲しい。
パルシステム福島の和田理事長と安斎専務理事の企画で、地元のNPOふよう土の里見事務局長の案内で被災地視察を行った。
パルシステム連合会理事政策会議。

いわき市の湯本駅前に集合。旅館は古瀧旅館。創業は元禄時代。里見さんはここの方。
いわき市湯本駅前からマイクロバス二台。そこから海辺までは数キロある。海辺に出て最初に訪れたのは塩屋岬。美空ひばりのみだれ髪の歌碑がある。その土産物屋さんに被災記録の写真や復興への支援品などがあった。

塩屋岬灯台。美空ひばりの歌碑が立っている場所とその土産物屋さんは目の前が海だが被災を免れたという。灯台の岬の陰になったようだ。大津波はその岬の足下まで洗濯機の渦のように泡立ち逆巻いたという。土産物屋のご主人が写真を撮った。それが店内に掲示してある。津波の襲ってくる写真。瓦礫になる村。
ここの売りがしじみ汁のエキス。二日酔いに聞くという。これと復興ハンカチと手ぬぐいを買う。

次に訪れたのはいわき市立藤間中学校。海辺の荒れ地に残っている。一階はベニヤ板で張られて廃墟。校庭には瓦礫というかゴミの混ざった土の山が放置されていた。緑色の濁った水のある壊れたプール。目の前が浜。歩いてみると砂粒が細かく柔らかい。海水浴の見張り台が寂れて立っていた。
ここは震災当日、卒業式だったという。で生徒は早引けした。しかしクラブ活動があった。大地震のあと、言い伝えのように裏の山に避難するかどうか迷ったという。結局、最後に山へ逃げようとまとまったので犠牲者を出さなかった。

久之浜。
久之浜町はいわき市の北端だ。その広い入江の整地されたような場所に着く。一瞬、住宅建設地のように見えるが、よくみると家のセメントの土台が風呂後らしいタイルなどとともに残されている。津波にやられた残骸だ。町の一角が根こそぎもっていかれた。この区画全部が流された。680世帯以上。
津波は最初60センチほどで引いたという。そこで戻ったら二波目が7メートルだった。これで一気にやられた。頑丈な堤防に、鉄の機械で剥がされたような跡があった。凄まじい。家も丸ごと一軒流されていったのが見えたという。その後に火災が発生して廃墟にされた。
住宅の残骸こそは片づけられていたが、まだ復興には程遠い。なにも手つかず。

その久之浜にポツンと小さな稲荷神社が残っていた。少し石積みしただけの台にあった。小さな古い木の根が露わになっている。そこに黄色の花か葉。津波にも火災にも耐えた。ただ一軒この神社が残った。不思議である。

浜風商店街。
久之浜の人たちで仮設住宅の商店街が運営されていた。久之浜第一小学校の校庭入口にある。プレハブのニ棟。おばちゃんたちが外でコーヒーのサービスをしてくれた。それをいただきながら店を見て回る。お店の一角に商店街までの記録がある。買い求める。
復興の花がセットで並んでいた。花を咲かせて写真を送ってという。迷わず買う。酒は地元のリカーランドてんぐ屋で純米酒を手に入れた。一緒に行った飲み助たちは、からす屋食堂で生ビールだ。ラーメンもうまそうだったが、ここの餃子は太めでこれが旨い。感謝!

楢葉町、広野町、
東京電力福島第二原発。そして第一原発事故現場へ。交通止め。Uターン。
美しい緑の里山。家は無人。ナンバープレートが外れた車輌。線量計。
原発事故作業関係者とすれ違う。ブルーの作業服、帽子。

広大なふるさとの汚染。事故は続いている。事故原因究明もはかどらず。事故責任も取られず。再開と輸出を目論む犯罪者たち。反社会集団。

何ができるか。
何をすべきか。
まず行動。まず見ること、聞くこと。知ること。そこからだ。現地、現場、現人。痛みと悲しみ、そして怒りと祈りをいただく。

震えること。震えながら生きよう。画像1

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2013年05月16日

協同について

コミュニケーションの理解
生産と消費の協同
地域の協同
協同の人間関係とその組織
世界の協同
生き方を変えること


協同が、資本主義的な経済や社会や人間関係が違っているとする。すると生き方も異なっていると考える。
だとすると一般的な社会通念と異なる生き方になることになる。ある種、協同の生き方だ。これが無いと口先では協同を語りながら、実はまるで異なってしまう。協同を語り、助け合いを語りながら他者を利用する。利用することで自らを貶める。これが難しい。なかなか出来ない。

もちろん資本主義の世界で生きているから、完全にそれと異なったら生きていけない。海洋生物が陸上に上がるように、両棲類から少しづつ変わっていく。苦しくないように少しづつだ。しかし、すでに僕たちは未来を胎内に孕んでいる。異界への道程を歩んでいると思う。

まずカラダを変える。カラダと心の資本主義的理解は心ないし頭脳が優先される。肉体労働は軽視される。肉体はなにか非効率とされる。しかし実は頭脳は肉体のネットワーク。神経系と細胞間ネットワークが無ければ意味が無い。知覚と意識の発生。考えるということ。従ってカラダごと変わらないと意識も変えようがない。

次に言葉を作り直す。
思考は言葉を使って行う。イメージは絵と臭いと動きとそして言葉がある。言葉という記号化によって感情が左右される。卑猥な言語で興奮することもある。言語によって恐怖を体験することもある。言語の力。パワー。これを作り変える。言い換える。自分ことばに。

協同とはなにか。
それは生物多様性を知ること。生物は、多様な生存方法があり、それが密接に絡み合っている。単独では生きられない。食べる側も食べられる側も密接につながっている。その原理を理解し生かすこと。
例えば、花が美しい。しかし植物はなんのために花を咲かせるか。実をつけるためだという。それは正確ではない。虫と鳥のためだ。虫と鳥のために視覚的に美しくして雌しべと雄しべの受粉を助ける。そしてその実を食べてもらう。食べられるために果実が出来る。果実は食べられることで拡散する。植物を広げていく。この偉大な相関関係。僕たちもまた鳥の一形態。だから花に魅せられる。

ケアテイカーたること。
自然を守り、自然を育てる本能。自然を守るために僕たちは生きている。生かされている。人間という動物はなぜ自然を相対化したか。矛盾的存在となったか。自らを滅ぼす存在となったか。宇宙と自然。エントロピーと生物。その矛盾を意識化する。神々の領域。そして自らがなぜ生かされたかを知ること。

コミュニケーションとはなにか。
嫌いな人と分かりあうこと。しかも迎合しない。妥協もしない。違いを認めながら、しかし好きになる。このヤロめである。

生産と消費
協同と言いながら、消費者の選択と言う。間違い。全然違う。生産は選択ではない。生産は第一だ。ものづくりが第一。それに学ぶ。それに惚れる。消費をあたかも自由選択かに思う、その暮らし方が奴隷。資本の思うまま。考え無しに操られる。

とくに食品企業は規模に注意。本物を追求する経営者は大きくしない。ならない。なれない。
それがこだわり。お金目当ての大企業のマネジメントとは違う。食品は生物。畑田んぼ、海は個性。生き物は多様な生存。食べ物は生物である。それが分からないと、単なる商売に堕する。実は資本主義的商品売買と堕する。そこになんの魅力もない。違うのだ。
食べ物の美味しさにこだわる美学がある経営者。料理も美味い。農業にもこだわる。こだわりが違うね。
日本の食品企業のじつに95%が中小企業だ。それが事実。その現場に学ぼう。それが協同。

地域の協同
儲からないこと。設けられないこと。なんのために事業をするか。目的はなにか。
地域の幸せのために。それが自立的持続的な発展するために。地域の人たちが豊かになるために働く。働きたい。

では、どうするか。そんなことが可能か。
可能だ。個性を磨く。自治とは、自治の目的とはなにか。地域で協力し合い働き使い遊ぶ。学ぶ。お金を回す。
こういう人びとの協同の仕組みを創ること。協同の組合。これを無数につくること。

協同の仕組み。
お金と地位をインセンティブにしない。それをベースに組み立てると、お金と地位を獲得するために全力を尽くす。嫌な人が増える。協同を目指すために協同をインセンティブにする。
どうするか。震災支援は、被災者のためだけではない。支援者のためだ。被災と防災。つながることで地域を考える。協同を学ぶ。共感と感動。人と地域の不思議な人間力にであう。元気をパワーをいただくこと。

それが結局、究極でリーダーを生み出す。

矛盾と世界
世界は、資本主義に覆われる。強い多国籍企業とグローバル金融の世界。
アベノミクスなる2008年リーマンショック以前の10年前のアメリカ。自然と共生する地域を創造するためでなく、その真逆。自然を収奪しマネー経済を強化し、収奪し尽くし一般の人を巻き込んで地獄へと誘う。

それとどう向き合うか。
地域と農と食と職。自然と生物多様性。世界の多数派とつながる。99%とつながる。
平和と心豊かな世界のために。ローカルのネットワークを広げる。

3千メートルの高山に飛ぶ蝶々と野草。すごいね。
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2013年05月15日

病気について

病気にかかる。誰でもかかる。
病とどう向き合うか。極私的方法論。
最近、身近な人が病に倒れる。心配だ。歳を取ると病気が出てくる。
では、どう考えるか。まずは自分を組み立てる。

身体、神経系、血管系、消化系、呼吸器。
カラダとココロとその総合。ここを理解する。細胞は日々生成している。常に死滅して常に誕生している。細胞分裂。そのための情報として遺伝子。そこにはエネルギーと素材が必要。エネルギーは細胞内にある共生体のミトコンドリアで生成される。ここにあるアデノシン三リン酸。これが糖分を酸素で燃やしてエネルギーを生成する。この糖分と酸素を流通させているのが血管。その働きを統制しているのが神経系。これが毎日、毎分、毎秒、飽きずに活動している。自己の体内で。すごいね。

血管の凄さ
くりかえす。エネルギーを産出するのは細胞。そのなかのミトコンドリアがアデノシン三リン酸で糖分を酸素で燃やしす。それでパワーを供給する。その酸素は肺胞から血液を通して送られる。
血液からうけっ取った細胞は、その酸素を燃やした後の二酸化炭素を再び血液に送り返す。これが静脈に溶けて肺に送られる。そして肺胞から空気に返される。これを外に吐き出していく。新鮮な空気を取り入れる。これが呼吸。無意識と意識。無意識でこれを毎日、毎分、毎秒行っている。凄いね。

しかし、本来は意識して吐くこと。それも長く吐き出す。二酸化炭素を肺に止めておかない。無意識だと呼吸が浅くなる。すると二酸化炭素など排出したガスが肺のなかに留まる。これがいかん。吐ききる。
ただし、過呼吸がある。これは不安心理などで必要以上に酸素を取り込む。これを抑制するのは意識してゆっくりと細く長く呼吸すること。だめなら頭からビニール袋をかぶる。酸欠を自らつくる。落ち着く。
呼吸は、神経系と連動している。

自律神経系と体性神経系と呼吸
自律神経が無意識で身体臓器などを動かしている。心臓その他。これは意識では動かせない。
体性神経が腕や足や関節などの筋肉を動かしている。これは意識的。運動。これを両方使いながら、同時にどちらも動かす系がある。これが呼吸である。だから呼吸をコントロールすると無意識に働きかけることが可能となる。古来、呼吸法が発達しているのはこのため。

栄養素材
腸で胃液と腸液で溶解された食物。さらに消化されない食物繊維。これを腸内細菌が分解し、腸のヒダに有る鞭毛を通して吸収。そして血液に溶ける。これが各細胞に届けられる。使い勝手がいいように臓器がその液で加工する。糖分、グリコースなど。それを血流で各細胞に配分される。血流が滞らないように意識する。つまり運動する。血液は心臓だけでなく、筋肉で前身に循環する。筋肉がポンプアップする。全身を使わないと血流が滞る。新鮮で栄養豊富な血液を循環させたい。これは腸内を重視する。

腸内が清浄であるか。腸内細菌が活発か。
消化に悪いものを食べる。消化できないもの。食物繊維。雑穀。これらが腸内細菌の餌になる。大腸に送られる。その証拠は大便にある。うんこをよく観察すること。立派なものを生み出すこと。腸内の状態はうんこで分かる。腸内と血管は水道の取水口の関係。血液を浄化するために腸内が重要となる。食べ物にこだわる。

血管と神経系
神経系は心に左右される。興奮。冷静。恐怖。楽しさ。などが神経系に左右する。というか、神経系を統御している。これに無自覚だと危ない。いつも血流や腸内が激動している。疲れる。

ではどうするか
神経系は、自己の内部と外部の交流系。心は外部との関係性の表現である。内部の状態の表出である。したがって心をコントロールすることで外部の関係性と内部の状態を統御できる。その可能性が高まる。

要は、他人と過去は替えられない。変えられない。
変えられるのは自分と未来。これは変えられる。しかし慣れないと難しい。自分を変える訓練。
嫌なこと辛いこと怖いことに慣れる。それに向き合う。眺める。
例えば、簡単なことから。階段。走る。冷水。空腹。闇夜。森の中。遠泳。空を飛ぶ。
事件、事故。逆境。これをいかに楽しむか。ぐはははは。
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2013年05月14日

ビジョン・クエスト
真理の探究
人間の意味、あるいは人生の意味
旅について

ネイティブアメリカンのグランドファーザーの生き方は、すべての人の生き方のなかにある。ただ、それが意識的で最も純粋な形で現されている。

それは、頭の中でや本で学んでも、本当のことは分かりえないと思う。実際に自然のなかで、しかも一人でサバイバルやトラッキングやアウェアネスの技術を体得することが求められる。その経験を通してはじめて理解の入口に立つことができると思う。

彼がスピリットを重視するのは、自然をただ観察しているのではない。その意味。その自然が自己の内にもあること。外と内の絶えざる交流の流れを発見しているのだと思う。

砂漠のトカゲ
砂漠で裸で生きる。極限の世界。その時、彼は砂漠のトカゲに学ぶ。砂漠でしか生きられない。砂漠で最も快適に生きる。そのトカゲもまた生物だ。生きている。

氷の世界の雷鳥
雪と氷の世界。そこに素手で生きる。その極限の世界。寒さの限界。そこに繰り広げられるオーロラ。それを雪に埋れた雷鳥とともに見る。雷鳥はその極限でしか生きられない。その世界が最も快適。それに学ぶ。

ケアテイカー
木の枝を切る。その時、木を枯らさない。さらに木を切ることで、林を活気づける。
ジョイファームの鳥居ちゃん。剪定の技術。切ることで蘇らせる。
佐渡の海岸線の村。村の人びとの里山保全技術。海の掃除。藻場の手入れ。
人間が森を育て海を育てる。

自然の破壊者
基本は人間が自然と対立し自然を操作する。自己も含む自然の声を聞こうとしない。自然の征服。お金による社会システム。そこでしか生きられない。そこだけが快適。

ビジョン・クエスト
誰もが死ぬ。その時にどうにもならない自然を理解する。お金では命は買えない。人は誕生できない。冷徹な事実。素晴らしい真理。

与えられた観念。言葉。
ここから離脱し自然を生きたい。

GRNDFATHER
Survival
Tracking
Awareness
Stalking
The Traker
The Search
The Visin
The Quest
The Journey

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2013年05月13日

グランドファーザーの生き方

「グランドファーザーの生き方」トム・ブラウン・ジュニア著、さいとうひろみ訳、さくらももこ絵・題字、ヒカルランド社。

アメリカのネイティブインデアンの人の話である。白人のトム・ブラウン・ジュニアが書いている。グランドファーザーはリパン・アパッチ族。シャーマンでありスカウト。スカウトとは斥候という意味。様々な技術を取得している。例えばアパッチ族の英雄ジェロニモもスカウトだったグランドファーザーは一生をビジョン・クエストに生きる。このため常に森や砂漠や氷の世界を旅する。極限の世界でその土地のあるものでシェルターを作り食べ物を調達し生きて学ぶ。

この究極の生き方を受け継いだのが白人の子どもだった著者のトム・ブラウン・ジュニアである。

グランドファーザーは三つの使命があった。古代からの技術(サバイバル、トラッキング、アウェアネス)を学び後世に伝えること。
二つ目は、アメリカ先住民のスピリチュアルな知恵を保持すること。
第三の使命は、あらゆる哲学や宗教からできる限りのものを学ぶこと。彼はどんな規則や形式にも縛られない、すべての人間に共通の真理を求めた。
そして、グランドファーザーの探究の中では、常にスピリットに関する事柄が第一とされたという。

このグランドファーザーの生き方を本に表すに当たって著者の悩みが書いてある。罪悪感を感じるという。決して正しく書くことができないことが分かっているのに書こうとしている自分が後ろめたいという。
その矛盾と凄さ。

だが、確かにこうした森や過酷な自然でいきる体験は言葉化したり部屋で読んだりしても限界があると思う。そしてそれは逆に本来の経験や技術に相反する知識と考え方と批判されるかも知れない。
だが、これ無しでは人は世界を知ることが出来ない。単に、森に一人で住んでいるだけでは現在の矛盾に立ち向かえない。

では、ここから何を学ぶか。
世界を変えること。それは人間と自然との関係が原点。
人間のゆがみ、邪悪な世界は、自然と対立することで生み出された。不幸の根源。
これを見つめなおす。その内的世界。
それを会得すること。体得すること。それに近づくこと。
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2013年05月02日

行動哲学と言語

哲学とはなにか
なぜ哲学が問われるか
哲学をどのように育てるか
言葉の組み替え
言霊

哲学という言葉は、使い慣れない。畏まり、あるいは肩を怒らせる。構えてしまう。難しい。このために学校を卒業すると哲学は忘れ去られる。そんなのなんの役に立つのか。
だが、哲学が無いと人は生きられない。ソクラテス、カント、ヘーゲルといった論理学とは全く違う。哲学とはどう生きるかの学。生き方の学問である。これが無いと絶望に追い込まれる。本当です。

じつは哲学とはどう美しく生きるか、だと思う。理想を追い求める。その持続するタフな精神形成。これを哲学と呼ぶ。哲学者内山節先生に「哲学の冒険」という文庫本がある。ここにこのことが述べられている。

哲学の不在
いつか資本主義の形成過程でこの一人ひとりの哲学が失なわれていった。代わりに、資本形成の論理が普及した。個人主義。競争。時間、効率。集中。規模。拡大。
ところが、昔の村の人たちには哲学があった。それは短い言葉で簡潔に語られていた。
お天道様が見ているぞ。(誰も見ていないようで悪いことをすることはいけない)、
安物買いの銭失い。(低価格だと飛びついたらロクなものを手に入れられない)
若いときの苦労は買ってでもせよ。などなどいくらでもある。親が子どもの教育にこの真理を説いていた。正直にいきろと。人の役にたてと。それを村人たちは大切にしていた。

しかし資本の論理が世界を覆う。これが当たり前の世の中になった。競争原理。市場万能。能力とは効率をいう。時間泥棒。
では一人ひとりがその資本の論理から離脱し自己の内なる神々を自覚して解放されるにはどうしたらいいのか。

行動哲学
カラダの動きを意識する。特に呼吸法。
まずは呼吸からだ。自律神経と体性神経。その中間に呼吸がある。意識と無意識。自律神経が無意識。その意識の下の層の無意識に働きかける。これが呼吸。

呼吸で血流を変える。
血流の意味。ガス代謝。カラダのエネルギーは糖を分解するにしても全て酸素に頼る。食料は一ヶ月くらい無くても生きられる。水も一日や二日は大丈夫。だが酸素は即アウト。これがガス代謝。

呼吸法だ。
行動哲学の第一。呼吸をコントロールする。これは深い。難しい。だが一歩づつ。これが出来てくると走れる。疲れにくくなる。落ち着く。仕事をしたくなる。

次に身体操作。
家事労働からはじめる。後片付け。茶碗洗い。
そして畑田んぼ。海。川。で働く。遊ぶ。
生きる糧を一人で調達したい。これが出来るか。何が無くても生きられるか。これに挑戦してみたい。いや本来誰でもできる。山菜を食べよう。

言葉
ここが問題。
利口そうにしゃべると、大体誰かの論理を借用している。ここから脱して、自頭で考えて自分で表現すること。どうするか。言葉の分解。組み立て。

協同とは、人の気配を感じること。痛みを感じること。
コミュニケーションとは、嫌な相手、嫌いな人と意志を通じること。
人事とは、人が笑うこと。評価とは違いを認めること。
愛とは自分を無くすこと。世界は自分のなかにある。インナー・ヴィジョン。oneness。
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2013年05月01日

ファイバーリサイクル、メモ

日本ファイバーリサイクル連帯協議会
JFSA 理事長 田邊 紀子
海外事業担当事務 西村 光夫
パキスタン アル・カイールアカデミー
カラチのスラム地区に学校、専門学校、職業訓練校
貧しい子供たちをこの十数年で3千人以上を送り出した。

その千葉センターに伺った。パルシステム千葉平野理事長に同行。
千葉駅東口で西村さんと待ち合わせ。彼が作った仕組み。
もともと福祉関係で働き、その後「つっぱり君たち」の社会参加や仕事起こしに取り組んだという。
古いスレートの倉庫とコンテナの事務所。昔の生協のようだ。なぜか懐かしい。

仕組みは、生協組合員や市民団体の人にチラシなどで古着回収を呼びかける。賛同者はビニール袋に古着などを入れて直接回収センターに送る。もちろん送料は自己負担。これを国内リサイクルショップ販売とパキスタンへ送りパキスタンでの販売分でリサイクルし収入を得る。その収益で学校を経営しているのだ。

その古着などをこのセンターで仕分けする。この仕分けがすごい。17種類。男女、子供、上下、下着、ハンカチ類、スカーフ、ネクタイなどなど。カバンも小物も靴だってある。
国内でリユースで販売できるものとパキスタンへ送るものを分ける。国内分は結構良いものが多い。ブランド物だけでなくおしゃれなもの。これは隣の小さなリサイクルショップで販売する。なんと年間2千万も売る。下手な店舗より多い。

パキスタン向けは、分類しまとめて圧搾機で凝縮し5kgに梱包する。バンドは手作業だという。担いで見ようとしたが重くて持ち上がらない。これを若者やパキスタン人は軽々と持ち運ぶという。
JFSAの物は着物で綿で梱包している。これが他の日本から送られるビニル袋と違うので目立つ。これが古着卸売り業者には好評で、JFSAの物は価値が高いとブランド化していると聞いた。
とくに女性の下着類が良く売れるという。国内では使用済みのものは敬遠されるが、汚れが無くキレイなものは問題ない。かつ日本製は使い勝手もデザインも良いと評判だ。

リサイクル思想
アジアで低賃金で低価格の洋服を生産し、人々は貧しいままになる。日本では価格破壊をして国内製造業は立ち行かなくなる。しかし物を大切にする。できれば再生産可能な価格で販売し使いまわす。すると製造にかかるエネルギーも原料も大量消費する必要が減る。物をもったいないとする心は、少量生産貴重な装いをすることにつながる。古着も何度でも使い倒し、最後は割き織品などで生かす。

アジアの連帯
パキスタンを支援する西村さん。
千葉駅の東口交番前で待ち合わせた。すると私服警官とおまわりさんがおじさんと口論している。そのおじさんは逮捕された。ヤク中毒。見るからにヤバそう。

すると西村さん。この近くに栄町があるという。繁華街であり、ある種矛盾の坩堝でもあるようだ。
両親のいない子ども。「つっぱり君たち」いろいろ「不良」と呼ばれる若者たちがたむろしているという。
その若者たちとネットワークして、かれらがJFSAのボランティアとして50数名も協力してくれている。

月に一度、千葉の商店街の真ん中でリサイクルショップを開設する。
それからセンター前の公園でもリサイクルイベントを開店している。
福祉とリサイクルと循環とエネルギーの転換。若者との街づくり。おもしろい。

パルシステムに何ができるか。
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