2015年12月

2015年12月17日

退職してからの昔の生協仲間との懇親

最初に生協に入ったのが1978年。
それが調布生協だ。その後、ふれあい生協に名称変更し、その後東京の多摩部で五つの生協で合併しジョイコープとなる。その合併時点では、僕は隣の神奈川県相模原市にあったけんぽく生協に移籍した。

当時のけんぽく生協
赤字で労組との対立と総代会でのおきまりの混乱、そこに赴任した。
労働組合があることが良かった。団交を繰り返し要求を話し合った。
最初の24項目はおもしろかった。なにしろ軍手、雨合羽、備品などからトラックのパワーステアリング装備要求まで、ごくまっとうな要求だった。ほとんど承認した。

パート社員の待遇改善
正規と同じ配達の仕事を全く同じにしている。ところが時給は低い。これを改善しろ。正職員登用すると答える。今度は労組が慌てた。彼は別の解雇撤回闘争の継続中だった。断ってきた。おもしろい。
そこで時給換算で同等とし解決した。のちに解雇撤回裁判を終えて、正規職員となった。

毎月合宿研修
全職員労組と理事とで月一回泊まり込みで

ワークショップ。
ここで、問題の書き出しをした。時間が無いとか職場が汚いとか、まあ考えられる問題点、さらに不平、不満をポストイットに書き出した。

それを模造紙に張り出す
そしてグルーピングして問題を明確に知る。繰り返し膿を出して、何が問題か、ただ飲み屋の言いっ放しとは、区別して話し合った。

そこから今度は問題項目ほと
その解決、どうなっていたいかを記入する。時間が無いことが問題ならば、どうしたら時間が取れるか。職場が汚いなら、どうしたら職場を綺麗にできるか。

解決方法、手段を書き出す。
これも頭だけで、そんなの即やればいいと分かったつもりになるのではない。書き出していく。チームのみんなで書き出す。
そして話し合う。

意外に問題は分かったようになってることが、問題だったりする。
本当の問題は、無意識の領域に隠れている。これを個々人が発見し、みんなで議論し方法を決めていく。

集合知と個人パワー
ワークショップの重要な点は、まずは相談せず個人個人で黙々とポテトイットに書き出すこと。人の意見に左右されない。
そして今度は順番に発表しながら、似たものを寄せて模造紙に張り出していく。そこで自由に議論する。

いい仕事
個人個人が自分で考え、みんなで考えていく。そしてチーム方針ができる。
そこから実行。1月経ったらまた見直す。この繰り返し。

理念とビジョン
これをけんぽく生協で2年間かけて作成した。2年目は僕のコーディネートでは限界で、松本先生にお願いした。
そこからけんぽく生協の快進撃がはじまった。当時前年比186%だった。要は前年比じゃあなかった。ビジョンを目標にしてた。

あれから20年たった
その当時の仲間たちが送別会を開いてくれた。
本当に嬉しい。

それと調布生協時代の仲間たちと忘年会
生協で働き辞めてなお昔も未来も協同の仲間たち。
夢を追う仲間たち。
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2015年12月16日

中小企業事業協同組合JASMEQ 忘年会

下町ロケットと大阪の町工場
新潟県三条の金物の世界展開
福井県鯖江のメガネ

なにしろ日本の中小企業のパワーはすごい
小さな巨人

さて、本筋は食べ物
食べ物こそ中小企業だ

大規模無人工場の食品など喰たもんじゃあない。無菌、添加物、無機質均等。

しかし中小企業にも弱点
品質管理や人材教育、情報基盤など
これを協同で行うのがJASMEQだ。

毎年、品質管理セミナーを開催
国際HACCP指導員の加藤先生はじめ河村博文顧問、日生協佐藤元部長、パルシステム連合会監物今朝雄元部長、パルミート中村優元部長などそうそうたるメンバーで動いている。

さらに協同商品開発
全国のこだわり食品を発掘し、あるいは企業同士のコラボで商品を開発する。
とりわけ厳しい商品基準のパルシステムへの起案と他のこだわり生協への提案を行なっている。

商品提案と企画案
商品仕様書作成
物流対応
品質管理
消費者対応などきめ細かい

日本の食品製造の97%
中小企業だ。美味しいの創造。

課題は
労働力不足
そしてアジアでのこだわり食品の展開

JASMEQ
による懐かしい美味しい未来
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2015年12月15日

ささLABO発足準備 農業経営実践セミナー

新潟県阿賀野市のNPO食農ネットささかみ石塚美津夫さんがまた挑戦開始。
今度は若者と未来をつくろうとせん。

お米をもっと使おう
玄米パン工場設立へ

玄米パンといっても
いままでの製粉工程を使わない
籾摺りして玄米のまま浸漬して砕いて練る。これでバター状になる。

ここにグルテンを入れてパン生地ができる。これを酵母発酵して焼く。
この玄米パンが本当に驚く。美味い。

この技術を開発した中九州クボタ大西社長
新潟クボタの吉田社長のご好意で技術提携できる。

新潟でこの玄米パンを生産する
TPPに負けない。むしろ地域のお米生産や活用を拡大する。

青木君を先頭に
JAささかみ江口専務も全面的に参加
地元新潟総合生協の蒲原常務も協力する。

日本農業は進化する
エサもパンもいろんなことが水田という底力が支えてくれる。
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2015年12月13日

けんぽく生協の仲間たち 送別会

けんぽく生協の仲間の送別会
パルシステム神奈川ゆめコープになる前の生協の仲間が送別会をしてくれた。

中澤君や増岡君、平尾さんの呼びかけ
いやーホントに数十年ぶりにお会いする方も多くいて感激!

とくにセンター、倉庫業務のパートさん達が出席された。浅川さん、伊藤さん、小林さん、黒田さんはじめ皆さん

当時労組委員長の平尾さん
当時心筋梗塞で危うく逝きそうになっていて、事務所のみんなが狼狽えていた。確か救急車の中で臨死体験。よみがえり。その後もさらに肺気腫を患ったという。

高橋徹さん
小柄で温厚だが、時に変なことをする。
今回はしきりに僕の手を握り以前のことを謝っていた。赴任当時にいろいろ反対して迷惑をかけたと。
全然そうじゃなかったけど。

労組メンバー
あれだけ全員団交して激論したのに仲は悪くなかった。みんないい人だった。卑怯じゃないんだろう。良くケンカしたな。

酔っ払いのハコちゃん
箱崎君の元気さは現役。彼も2度目の結婚。成功してるらしい。
まあ、二次会三次会、そして僕のボロアパートに乱入。

辞めた中西君がきた。
中沢君の採用で、彼を採用しないなら自分も辞めると言った。別に辞めなくても採用したけど。
やたら熱かった。

中村洋子 当時の理事長
酒豪、男っぽい気性、まあすごかった。
増岡君、中沢君、平尾さん
送別会というより同窓会
今後も年一回程度集まろうで解散

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2015年12月10日

北九州ホームレス支援機構視察

NPO法人 抱樸

生活サポート生協・東京の役員皆さんと旧北九州ホームレス支援機構とグリーンコープの福祉事業を視察

「樸」とは原木のことだという。
これを抱きしめる。自分も傷つく
他者と深く関わることは自分も傷つくことだという。

奥田知志理事長の言葉

森松 長生 専務理事のお話を伺った。
旧北九州ホームレス支援機構を上記の趣旨で「抱樸」と改称

まず地域の巡回でホームレスの方がたから話しを伺う。そして自立支援センターか抱樸館に入ってもらう。
この場合、基本は6ヶ月。そこで職業訓練と就職活動。住宅支援。

ホームレスでは生活保護申請もままならない。その手続きもし、アパート探し、保証人、入居資金や家財道具調達資金などの提供。

やがて自立へ
しかしその後もいろいろな事がおきる。常に連絡を取り合い絆を深める。

旧北九州ホームレス支援機構が最初に立ち上げた自立支援センターから、本当に劇的に北九州市からホームレスが減った。

自立者2、582人、現在サポート対象1、671人

近所の建設反対運動
何十回と説明した。反対ののぼり旗が今も立てられている。
誠意を尽くし自立者自らも説明している。だが今も反対されている。

だが、市議会は反対陳情を満場一致で不採択。

シェルター運営
家庭内暴力や急な解雇とアパート追い出しなど急な住まいと生活破壊
市窓口から依頼。3カ月住まいと生活訓練などを提供。
3カ月過ぎても解決しなければ抱樸館での対応

貧困拡大とセーフティネット破壊
野宿者増大に具体的に解決すること

森松専務理事
プロテスタント牧師を辞めこの活動に専念する。
奥田知志さんとともに現代の賀川豊彦。
生協の生みの親賀川豊彦はスラムとホームレス支援活動から協同組合へとたどっていく。

沖縄と森松専務理事
父が沖縄米軍基地で働く
ベトナム戦争に加担した血で汚れているとまで父とケンカしたという。
父上はあの「全軍労」書記長だった。

そういえば僕らには沖縄闘争時代の不屈の全軍労だが。
森松さんはそれすら深く問題として受け止めていた。

協同組合と貧困
国の政策批判と具体的解決へと
基本に深い人間理解、矛盾のただ中にいて、行動すること。動くこと。
なんとかしたい。image

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2015年12月08日

NAHAマラソン忘備録

スタート地点
ドキドキするプレッシャーとウキウキする晴れやかな気分の混ざりあい
気持ちを振るい立てる
こうして走れるなんてなんて贅沢

比嘉盛人君
昨日は実家にもお邪魔した。
ご両親がステーキを焼いて庭で振る舞ってくださった。シークワーサーの木に小野さんと東野君が登って取る。

比嘉君は体重別ならトップ
と笑いながらもう6回目の一緒の出走
彼のおかげでこのNAHAマラソンで走ることができる。キッカケといろいろお世話になっている。

最初の5キロ
比嘉君とともに軽くかーるく走る。
みんなが追い抜いていくが気にしない。
気になっても競争しない。自分たちのペースを守る。
吐くことに集中する。丹田を意識し肛門を締める。リズムカルに。

前半は平和記念公園にゴール
ここまで順調。9時スタート。三万人が走るので、僕らのように遅いのは実際のスタートラインまで20分くらいかかる。12時15分前にここを通過。

姫百合の塔
25キロくらいにある。ここまではわりに無理せずきた。

だが30キロ地点前から雨だ。
脚が痛く、走るとこむら返りの前兆がする。ビキっと。歩く。つらい。
時計を気にする。10キロ切ってまだ1時間40分くらいある。いけるか。

ひたすら痛さを感じないように無理しない。ギリギリの線。歩く。速歩で。
ところがあと5キロで30分となる。
土砂降りに近い。僕らがのように制限時間内に完走を目指す人びとから脚が引きつり、あるいは肉離れ兆候で歩道でマッサージしている人が多くなる。

やばい
歩いてはゴールが間にあわない。
行くしかない。ええっと走りだす。
無我夢中。とにかく行けるところまで行こう。

意外に走れる。
肉離れや引きつりがでない。
行ける。

ゴール
グランドに入ったのが3時少し前
グランドの半周があるのだが、もうグランドは泥で田んぼ状態。歩くしかない。
結局、6時間3分だった。

沖宮
宮司のご配慮で雨の為、中に休憩場所を作って頂いた。
沖縄物産企業連合羽地社長他皆さんがともに面倒を見てくれた。

ビール
完走後のこのビールのうまさ。もう絶品。身体から喜びが溢れてくる。
感謝!

人間
心と身体。まずは心を鍛える。といっても嫌なことや苦しいことを我慢してやると身体は壊れる。
楽しむこと。痛苦しいことを愉しむ。
好きになる。おもしろがる。

カラダはいくつになっても変化する。
どんな時でも発達する。筋肉も神経も健気に増強される。
宇宙飛行士は無重力で1日いると身体機能がみるみる劣化。それによってウツ状態を招くという。

この解決
運動と食事
徹底的にあそぶ。楽天的。バカになる。
突き抜けたバカになりたい。
走ろう。image

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2015年12月07日

沖縄NAHAマラソン参加

毎年沖縄のNAHAマラソンに出ている。
今年で6回目。
最初は、沖縄物産企業連合の比嘉盛人君に誘われた。

その時は、ええっマラソンか、僕には無理と思った。ただその前から健康維持にメタボから抜け出すために、そして糖尿病予備軍から抜け出すためにジョキングはしていた。

ま、やってみるかとマラソン初出場。
ハーフ21kmを目標に走った。走ったといってもほとんど歩くくらいのスピード。ちんたらジョグ。

なんとかハーフマラソンができ、調子に乗って3回目に、回収車両との行き違いでフルを完走した。これが2010年。

以来、完走を目指すようになった。
今年もキツかったがなんとか制限時間内にゴールした。完走した。ふー。

マラソン
とは名ばかり。実際はジョキングと歩きの交互。ただ歩くだけでは時間内に入れない。その頃合い。

NAHAマラソンの楽しさ
沿道全部でこれだけの応援があるのは他に知らない。しかも地元のエイサーありバンド演奏あり、子供達のハイタッチあり。

差し入れ
水はもちろん黒糖、塩、ミカン、バナナ、オニギリ、そしてエアーサロンパスなども。いたれりつくせり。

それこそ元気を頂きました。
沖縄物産企業連合のみなさん、沖縄の関係者のみなさん、すべてのウチナンチュに感謝!

海と太陽とジョガーの祭典
痛い苦しい楽しい。そして心からの感謝!
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2015年12月04日

種子島の黒糖づくりとは

黒糖は砂糖じゃない?
砂糖づくりの原型、種子島独特の製造方法とは、そんなものはあるのか。

一般の砂糖は、
サトウキビから汁を絞る。その方法が、物理的圧搾と化学的分離により徹底して絞る。絞れるだけ絞る。

沖縄や奄美諸島と種子島では、
基本的に物理的圧搾方法のみである。
種子島では古い機械で、鉄ローラで挟みながら一回のみ圧搾絞り。

通常の砂糖は、
その後糖蜜を分離し粗糖を一次製造し、次に精製糖に仕上げる。「不純物」を排除して結晶化させる。
しかし沖縄や奄美諸島と種子島では一切分離せずそのままで煮詰めて固める。これが黒糖である。

要は、サトウキビ汁そのまま。

ショ糖、その結晶のグラニュー糖、ガラクトースなど糖分だけでなく、鉄分や微小ミネラルもそのまま残っている。
自然ミネラル食品

こういう古い製糖技術である。昔ながら。

意外にすごいこだわり
生産者ごとの製造
原料サトウキビは生産者ごとに製造する。一単位(一回の釜の量)ごとに管理している。
それで生産者、圃場ごとに糖度も水分含有量も歩留まりも違う。
当然、甘さも味も異なる。色も違う。

サトウキビのアク
そのもとになる薄皮を丁寧に剝ぐ
キビの茎も、上部を大胆にカットしておく。下部も切り揃える。歩留まりより美味しさ追求。

糖度24度
高い。ただ高いだけではない。19度以上からしか使わない。
11月はまだ完熟しない茎がある。見極めて使う。

三段登り釜
陶磁器の焼物釜のように掘って耐火レンガで造ってある。その上に舟形の釜。そこは鉄板でまわりは分厚い木。
1段目は絞り汁がまだ薄い。温度も100度まで、2段3段目で蒸発し煮つまり粘度が高くなる。約120度くらいまで。

もうもうと上がる蒸気の中
泡の音とかき混ぜる音で判断
仕上げは棟梁と呼ばれる仕切ってる人が指示する。棒の先からの落下する粘度で判断しているという。

冷やし工程
大きな鉄鍋にあけて、かき混ぜる。
かき混ぜる棒は、舟のカイのようなもので、先が三角状になっている。
鍋の淵に熱い汁をこすりつけて、かつ空気をほどよく入れていく。

煮詰めた糖蜜の汁は
そのまま冷やすと飴と呼ぶ硬めのものになる。これは歯にかかる。
冷やしながら空気を混ぜることで美味しく仕上がる。

茶色の黒糖
色は黒いと言うより茶色。時には青みをおびることもある。
地元では、朝昼晩に黒糖をお茶請けで食べる習慣。

焼酎飲みが長生き
これはアルコール分解で疲れる肝臓などにミネラルを補給するからかと思っている。
マラソンの足のケイレンに効くぞ。
中国では産後の肥立ちに食べさせるという。

和食
伝統食文化
その基礎となる甘味食品
TPPとは真逆のあり方
これを守り持続させていく。
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2015年12月01日

村の仕事

沖ヶ浜田黒糖生産組合
11月27日が初日の生産だった。出張から帰り飲み方に参加した。
今年はサトウキビの出来が心配。春先の長雨、夏の日照りなど。
しかしこの日は糖度が24度あったという。いい出来だ。

次は12月2日。これは朝から参加する。

農地水環境保全の会
集落営農というか耕作放棄地や農道の草刈りなど。10人ほどで活動している。
国から現在は「多面的機能保存支援」としていくばくかの日当や経費補助が支給される。これはいい活動だ。
忘年会も日当からみんなで出しあい計画している。

集落ごとの朝掃除
毎月、1日と15日に二つグループに分けて公民館と神社の朝掃除をする。
今日はその当番。
箒を持って6時20分に向かう。ほぼ30分程度。日の出を見て終了。

高齢者だらけの村
でもみんなで助け合い力を合わせて村を守り盛り立てていく。
嬉しいことに60歳前半は「若者」だ。

種子島の伊関集落
家家が適度に離れて建っており、まわりに畑がある。海も見える。後ろは低いが山もある。
坂の上からは太平洋が臨める。美しい。
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