生命・自然・宇宙

2011年01月12日

たまのお休み

先日の土曜日は、久しぶりに予定が無くて、まず朝8時に自治会室に行く。チラシ配布の準備。だが、正月休みで来週に予定がズレていた。
そのまま軽く小一時間ばかりジョキングする。近所に保存林がある。その雑木林がいいのだ。落葉樹のなかの落ち葉積もる山路を軽くかーるくちんたら走る。
こんなさほど広くもない林でも、様々な野鳥が見える。
バサッと笹薮が鳴った。よく観ると茶褐色の尾羽が美しい。キジバトのつがいがいた。携帯カメラを構えると足早に笹にもぐっていった。

すぐ脇の枝がカカカッカッと大きなおとをたてる。見ると小ぶりな黒白の縞模様、コゲラである。意外に細い枝にいた。首を振りつつ回って登る。よしよし。

アップダウンの山路をのんびりと駈けて行く。竹林もある。よく手入れされた孟宗竹。少しひんやりする。静かだ。これはまた気分が違う。木道も整備されている。なんだか厳粛な気分。

一汗かいて家に戻ったらシャワーを浴びる。最後に冷水をぶっかけて締める。
気分がいい。

朝飯は玄米と黒米を炊く。ジャガイモと玉ねぎとキャベツとガンモの味噌汁。黒くなった今治市の農協の自然醸造の味噌がうまい。それから豆腐、納豆は欠かせない。ポークウィンナーを軽くボイルする。沸騰させない。取り上げた湯に白菜を軽く湯通しする。これを絞ってザックリと切る。そこに菜種油と純米酢に粗塩と胡椒を混ぜてよく振る。これをサッとかけて、さあ朝飯だ。ぐふふふふ。

ただし前夜に飲み過ぎたときは罰として朝飯抜きである。
食後に皿洗いをしたら軽く台所を片付ける。ペットボトルやビール缶の山を片付ける。
ついでに、書類の山もなんとか整理らしきことをしてみる。これはなかなか片付かない。

そうしていろいろやって、午後三時くらいに昼寝する。
これが気持ちいい。小春日和。
お日様が部屋を暖めてくれる。干した布団は日向の香り。幸せ感。

目覚めたら、夜はヨガにいくのである。



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2011年01月10日

豊かさと人間力 日野原 一 さんを追悼する

日野原さんが亡くなった。享年73歳。

パルシステム生協の創立者のお一人である。
豪放磊落というか、独特のいい加減さをもっていた。パルシステムに結集していった小生協は、もっと規模の大きな生協群への批判的立場をとっていた。
すると当時は、生協の運営方針への批判だけではなく、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに人間的にも合わず交流もなかった。

これを変えたのが日野原さんだった。小生協の僕たちに対して、とにかく理論や方針などの建前をひっくり返して、お前ら単に仲間と敵でわけているだけじゃあないか。いろいろ立派なことを言っているが社会的常識がないだけだ、と痛いところをズバリと指摘した。その当人は日生協幹部たちと平気でマージャンやゴルフで遊んでいたようだ。しかしそこから実はお互いの理解のベースとなる議論の土台がつくられてきたように思う。本音で話すこと。

とかく注意が必要なのは、本来大きな目標で取り組んでいるとされる組織が、実は偏狭なリーダーのもとに、理論そのものより仲間か敵かと感情的支配をすすめることがあることだ。
正しく見える政策や方針の裏に、自分がいかにすごいか頭がいいか正しいかと他者と競争しているその矮小な姿が隠れている場合がある。するとたいして違いがない言葉じりをとらえて、まるで相手が敵かのようにいいふらす。こまった集団である。このような傾向がいつも僕たちにはあった。
それをズバリと批判して笑い飛ばした。もっと率直に話そうと。

しかし小生協が、主流の生協の常識を疑い、独自の方針を持つことそれ自体は悪くない。当時、全盛だった共同購入から個配に取組み始めたとき、それを日野原さんは批判した。これからの時代は店舗だと言われた。店舗に投資すると。
これは主流の生協が店舗で隆盛し始めていたからだった。そして店舗が無かったら地域からは見えない。これでは生協が地域に役立てない。
さらに個配は共同購入の強みを壊すとまで言った。しかもコストもかかりすぎる。もし個配が成功したら裸で逆立ちして東京じゅうを回ってやるとまで言われた。しかし、これは実現しなかった。

リーダーのタイプで隙がなく正しい人のタイプもあるだろう。しかし逆に隙だらけでバンカラなタイプもあるだろう。隙のあるリーダーのもとで、部下が自由になり自信をもって自分を表現できることがある。そのパワーの影響は意外に大きい。いまチマチマとまとまり、こうしたバカッパワーを持つものが減った。おおらかな人間力が。
その結果、守りに強い者たちばかりの組織が増えてきた。

陽気な日野原さん。こころ温まる生協のもう一人の創設者。
ケンカも楽しかった。

正月はお孫さんに囲まれ、3日は透析のあとお酒を美味しそうに飲んで、好きなマージャンを楽しんでいたという。そしてその翌朝ベットで逝ったという。
いかにも、らしい、いきかた。




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2011年01月07日

転換期について 「旅する巨人」佐野真一

世界が転換期にあるとすると、どうこの時代の変化に対応するか。考えている。
佐野真一氏の「旅する巨人」宮本常一と渋沢敬三、文芸春秋社、が参考になる。

この本とは別のところで司馬遼太郎が、宮本常一への追悼文を書いていた。表面には見えない日本人のシンを宮本先生は知り尽くし記録していたと。この日本人のシンと表現した司馬遼太郎は、その後それが崩れていくと嘆いた。

その宮本常一を常に支援していた渋沢敬三は、戦後大蔵大臣として戦時国債乱発によるハイパーインフレションに直面する。このとき国の借金を棒引きせずなんとか返済することにこだわった。自らは広大な邸宅を物納してあばら屋にすみ畑を耕す。ニコニコと落ちぶれていく。その事が300万人を殺した戦争犯罪の責任であると。また、日本銀行紙幣の印刷が工場の破壊でできなく、アメリカのGHQがそんなのはアメリカで印刷して使えばいいと指示したときに、猛然と反発し辞意まで表明して抵抗した。現代の政治家とは気骨が違う。敗戦直後の占領軍への抵抗である。この国自身の貨幣の印刷にこだわった。

経済の破綻は人をも破綻させるか。いやそうではなく、金がないと何もできないという人が破綻する。では、金が無くとも平気で暮すにはどうするか。

実は敗戦間際に日本軍は宮本常一を高級将校として徴用しようとした。宮本がまだ中学校の臨時教員だったときにである。すでに軍部の一部は、敗戦後の荒廃を見こんで農業強化の方針を進めようとしていた節がある。そして農業現場の情報と農業技術、農村、漁村振興の指導者として宮本を活用しようとしたという。日本人崩壊への最後の復活への足がかりである。しかしそれは時遅く実現はしなかった。

この宮本を全面的にバックアップし支えた渋沢敬三がつくったのがアチックミューゼアムである。戦時中敵性語とされ日本常民文化研究所と改称させられて戦後に続く。
ここを拠点に宮本は日本中を歩き調べつくす。あるくみるきく。

おもしろいのは敗戦を挟んだ前後の人間模様だ。戦時中マルクス主義者として大学を放逐され不遇をかこっていた著名な二人を密かに渋沢は支援していた。渋沢も軍にニラまれたらアウトだが。その二人は向坂逸郎と大内兵衛だった。その彼らがあれだけ危険な状況下で渋沢に支援してもらっていたにも関わらず、戦後は手のひらを返して身下すシーンがある。日本のマルクス主義者の底の浅さに愕然とする。

さて、日本人というか「常民」の強さはどこにあるか。
これを読むと、人を騙したり陥れたり悪しざまに批判したりしない。常に誠実で前向きでひとを信頼する。騙すより騙される。しかし自然との深い対話をもち、生きることを楽しむことだと思う。
何も持たずただ丈夫なカラダとワクワクする関心を失わない。

宮本常一は戦時中被差別部落に入り、その長老が日本が負けようがアメリカの支配になろうが自分たちはなにも変わらないと語るのを聞いている。
そしてすでに戦時下で新たな日本復興のリーダーはこれらの人々と農民こそがなりだろうと予感していた。

同じ民俗学でも柳田国男や岡正雄らとの大きな違いである。
支配者の価値観、世界観から脱却し、「常民」の価値観のなかに真の豊かさを見る。
宮本常一が残した膨大な豊かさの記録。こころ温まる宝。

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2011年01月04日

野浦の初詣り

今年は、30日から帰郷して大晦日と元旦をじっくり過ごした。兄がエクアドルにいるため、代わって歳暮配りから夜中の初参りと元旦の神社の氏子による春祈祷(はりんと)も参加した。
岡村夫婦が泊りにきてくれたので、ご一緒した。実家に92歳の母がひとりのため、海が荒れるといとこに言われて早めに帰郷したのがよかった。

野浦の初詣は夜中の12時前に行く。寒い夜だが、雪にはならず雨が降っていた。夜詣りは行き交う村人と挨拶はかわさない。黙々と歩くのがしきたりである。それから仏教宗派に関わらず、みな参拝して回る。順序もチャンと決められている。
最初は野浦大神宮。臼杵秀麿宮司が取り仕切る。お神酒をいただき軽く温まって次は萬福寺である。尊敬する先輩山形正之さんが対応してくれた。その脇の祠に参拝して、次は浄土真宗の「道場」である。御門徒の方々はお寺と呼ばず道場と言う。
この野浦の道場は一向一揆で逃げてきた雑賀衆が建てたというもの。木彫りの阿弥陀仏が祀られている。なんといまだに年一回、その雑賀衆が詣りに野浦に来るという。大半は北海道へ逃げていったが佐渡にも残りその村があるらしい。

さて、その後は「しょくばんどう」であり田んぼ脇の山路にある。小さな小屋に石地蔵が並ぶ。その側に古い石碑がある。これは実家の昔の家系で諸国を放浪した男の石碑だと聞いた。

雨が強くなるなか海辺にでて「権現堂」に参る。やはり小さな祠である。そこにお賽銭と祝儀が並べてある。それから村の真ん中で海に張り出した岩にある弁天様。次にあの有機農業の北野源栄さん家の脇の祠に参拝して、最後は北組の地蔵様に賽銭を置いてようやく終わる。ズボンはびしょ濡れになっている。

こうして初詣は終わった。村は神道も真言宗も浄土真宗も共存し皆で参る。
小さな村での共生の知恵であると思う。神道も真言宗も浄土真宗もみんな大切に続けられている。けっして一つにまとめない。
そうそういまも村には多様なグループがある。区会(自治会)、明日の野浦21委員会、双葉座、トキ米生産組合、伝統芸能館管理組合、民謡研究会などなど。これがたった42軒の小さな集落にある。

翌日、元旦には若者達による「春駒」が家々を回った。ひょっとこの面をつけ春馬の人形を手に踊る。平太鼓を細いバチで叩きながら方言で豊年満作を祈る。40軒も20分程度舞踊り祝い酒を頂く。彼らの体力には脱帽だ。年寄りに「そくせいでのう」と声をかける。みんな仲間だという気がしてくる。

豊かさはここに見える。画像 529

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2010年12月27日

アメリカと日本 元スパイの証言

最近アメリカや日本の諜報機関の仕事が暴露されることがあいついでいる。
扶桑社からでた「日本最後のスパイからの遺言」もその一つだ。これが面白い。
元公安調査庁の菅沼光弘氏とジャーナリスト須田慎一郎氏の対談。菅沼氏はドイツのゲーレン機関に訓練を受けた本物のスパイである。それがバイアスはあるにしてもここまでいうかと思うくらいしゃべっている。

一番、重要な部分は菅沼氏が公安庁を辞めた後、雑誌に匿名で「いまは冷戦が終わって、本当にいちばん日本が調査すべきはアメリカの対日情報活動です」と語ったら、すぐに親しいアメリカ大使館の偉い人から「敵と見なされる」という場面がある。
今日になって、朝鮮戦争とアジア三鷹事件、下山事件、松川事件の関連が暴かれてきているが、ついこのあいだの韓国海軍哨戒艦撃沈事件の問題などについても、国際政治の裏側を明らかにしている。そして朝鮮半島の悲劇も語る。アメリカは、朝鮮戦争の開戦を知りながら韓国軍には通報しなかった。戦争、これを利用しつくす。

さて、こうしたアメリカの陰謀、謀略とともにロシア、ドイツなどのじつに恐るべき情報活動の数々を知らされる。こういう国際政治舞台を見せられると日本の人のよさと強力な政治家の不在に不安を覚えるかもしれない。もっと情報収集して対外諜報活動をしないとやられると。なんとかしたいと。

実際、安倍晋三元官房長官がアメリカに日本に情報機関を作りたいといい、門前払いでバカにされたという。これを知ると日本独自の情報機関はいまも無いことになる。アメリカのやりたい放題ということだろう。

さて、お人好しとバカにされるこういう日本だが、第二次世界大戦の結果がこうなったと自覚すれば、これはこれでもいいのかもしれない。じつはすごいことだといえないか。
その結果、平和憲法と自国独自の戦争能力の欠如。対外諜報戦能力の欠如。つまり戦えないこと。
これが平和を招いた。
そのかわり、働いても働いてもアメリカの国債を買わされ為替操作でもって行かれる。しかしこれはこれで面白い。というのはけっして自虐的ではなく、アメリカ的価値観から離脱するしかないからだ。金持ち、権力、名誉欲のために戦い、人を落としいれ敵を無慈悲に殺しまくる。こういう価値観。絶対唯一の勝ち組の価値観。

これが自然を破壊する。生物を破壊する。人を破壊する。

日本の悲劇はじつは呪われた歴史を持っていること。
しかしであるが故に、これは祝福へ道なのではないかと思った。
いま国家が壊れはじめている。それは日本だけではない。世界じゅうで多国籍企業と金融資本の暴走が止まらない。
このときにこそ本当に豊かな自然、そして慈愛に満ちた多様な自然に満ちた世界。この日本の優しさに感謝していくことになる。戦わない豊かさ。


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2010年12月21日

哲学の不在 哲学の冒険

言葉のパラドックス
美しい言葉と正しい言葉は、ナマの本質からズレていることがある。というか実感から外れる場合が多い。
成果は人のためにとか人の役に立とうと話しながら、実は自分のことしか考えない。ならばいっそのこと、自分のワガママぶりを隠さないこと。自分かってをさらけ出したい。
バカ丸出しでいきたい。それが、誠実だと思う。

さて、哲学は言葉が硬い。扱いにくい。
そのため、哲学というとやれソクラテスだ、カントだヘーゲルだとなる。どこか高尚な余所行きの言葉。日常ではない借り物の世界。
理念もそうだ。会社の理念も立派な言葉が並ぶ。だがそういう会社に理念は浸透しないと思う。なにしろ飾り物だ。実際は、ひたすら利益追求か規模拡大に終わる。

では、哲学とはなにか。生き方だ。生きるそのやり方。
だから必ず誰でも哲学をもっている。その哲学は、それはすぐ分かる。なにしろ生き方だからだ。透けてみえる。行動、作法、対応。

会社も同じ。やれ人のためにとか人を生かすと叫ながら、簡単にリストラして恥ない。要は経常利益だけが心配だ。お金をケチる。コストカットだけが利益の源泉だと考えている。これは悲劇だ。かっての日本軍のように物資も金も補給しないで、人だけこき使う。精神論。これは、一人ひとりのエネルギーを磨耗する。創造力を引き出しえない。

これではダメになる。こうはなりたくない。
理念もへチマもない。だが、貧すれば貪する。
落ちぶれると必ずそうなる。例外は無い。

では、どうするか。
経営とはなにか。みんなが自分勝手でありながらうまく回っていくこと。
自分のために自分勝手にやっているのに、人のために役立つこと。
面白くてワクワクし、人が信じられて、いつも感動があること。
本当に、自分のためが人のためになるそういう仕事をしたい。そういう組織になりたい。


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2010年12月10日

自然療法という考え方

東条百合子の「食生活が人生を変える」三笠書房

食べることについて、人の身体には60兆個もの細胞が有るという。
その細胞の素材となる現材料、それが食べることだ。
そしてその食べ物は何がいいか。その食べる物によって自分の身体ができる。これを辰巳芳子先生に教えられた。しかもその時辰巳先生は当時まだ出版されたばかりの知らなかった福岡信一「生物と無生物の間」をとりあげて、細胞が絶えず生まれ変わっていることを教えてくれた。

そして幕内秀夫「粗食のすすめ」。現代栄養学のパラドックスである。山梨県棡原で長寿村が壊されていく。粟、ヒエを食べている村に近代栄養学が入り食生活改善運動が行われる。その事で、それにしたがいミルクや卵やお肉を食べた世代に病気が蔓延してしまう。寿命は年長者より短縮することとなった。つまり、栄養学的な食事バランスが逆に寿命を縮めたという事実が幕内さんに明らかにされている。その問題は、お米の精白など現代の食事が自然から離れ加工度が高くなり、結果として本来の生命力ある食べ物から乖離してしまうと指摘されている。具体的には玄米や雑穀などにある微量栄養素が排除されていることだ。現代の食では、とりわけ日本ではタンパク質などの栄養は不足していない。むしろ微量栄養素が不足し健康に害をもたらしていると喝破したのである。ゆえに全体食を提案する。米なら玄米ごと、あるいは雑穀を食べる、魚は小魚など内臓も骨ごと食べるやり方である。

そして東条百合子さんである。わたしたちの内臓や神経は自分の意思で動かしてはいない。では誰が動かしているかというと、それは自然が動かしているという。だから、自然に生かされているという考えだ。ここから深い生き方が解説される。これがおもしろい。


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2010年11月22日

チベットの大峡谷の村と20世紀について

昨夜、夜、佐渡から帰って、遅い夕食のあいだにテレビを見た。
NHKで中国チベット自治区の大峡谷の村を撮影したもの。この大峡谷の谷にある600人ほどの小さな村。ここは、4千メートル級の高山に囲まれて冬は完全に閉ざされるという。
夏のわずかなあいだに三日間かけて馬と人だけで険しい岩肌にうがった細道を荷物を運搬する。それが、ただ一つの生活道路なのだ。この大運搬の工程をカメラは撮り続ける。

このドキュメンタリーの主人公のひとりは、妻のために重さ30kgもある洗濯機を背負い4千メートルの山を超えていく。道は細く、足元はガレキの道。左手は断崖の奈落、右はせり出す岩肌。洗濯機をこの岩肌にぶつけたら、左の崖から墜落してしまう。事実、数年前に叔父さんが命をおとした。見てる方が辛くなる。馬も途中で立ち止まり動けない。

しかし、こんな人のすめるような場所から引っ越せばと思うが、彼は一生この運搬をするという。しかもそこには、迷いがない。
運搬撮影のかいまに映し出された村の風景と農業の姿。峡谷は意外に暖かく様々な野菜やトウモロコシが取れているようだ。そして美しい風景。

しかし、子ども達は都市に出て行く。教育が問題だ。高校以上は都市に配属される。
若い世代がこうして離れていく。村も電気が通りテレビが入った。洗濯機も冷蔵庫も欲しい。
この村は、さてどこに向かうか。

さて、僕たちは毎日毎日早朝から息苦しい満員電車を我慢して、エアコンの効いたビルの部屋に閉じこもり、パソコンの画面を見続けている。この僕たちの運搬事業はカラダを使わない。自然とは隔絶されている。それが、発展した近代という仕事の姿だ。

NHKがこのチベットの美しい村とそこに生きる人びとを放映したこと。
なんだかうれしくなった。

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2010年11月12日

雇われない生き方と市場

大不況の時代。暮らしていくには、食べ物と生活用品がいる。最低限の生活条件を想定してみる。考えてみる。
失業して働く場所が失くなったと考える。どうするか。何が出来るか。

そこに市場(いちば)である。市こそ、さまざまな人たちの生活交換の機会となる。
畑や田んぼでできた野菜や果物やお米を並べる。農家でなくとも今やNPOなど多様に農業に関わる場が提供されている。そこで、こだわった自分がおすすめ出来る美味い農産物を作り、余剰分を売る。
自分で作れないときは農家から仕入れて売る。

このつくる、売る、が大切だ。相手がいる。つくる、売る、対象がいる。
相手がコレを必要と認めなければ売れない。農産物を畑や田んぼで栽培しないとつくれない。農家に信用されないと仕入れることができない。
だから、まずは畑や田んぼで農産物を作ってみる。それから売ってみる。
すると、客とのコミニュケーションができないとうれない。

別に話しべたでも、それはそれで魅力があればうれる。しかし、やはり言葉が必要だ。
基本はバナナの叩き売り。あれは見事だ。相手をよく見て引き付ける。
言葉にリズムとパワーがある。一種の芸である。
そうそう、売るものがなにもないときは、芸を売る。大道芸だ。
それすらない、ときにはものもらいをする。こういう場が市なのだ。

戸板商売。風呂敷商売である。戸板一枚、外してお店にする。風呂敷広げて陳列する。これが原点だ。一人ひとりと対話してお金をいただく。
ワンツーワンマーケティングである。この風呂敷商売が出来ずに、モノが売れないとか、不況だとか言う人たちがいる。システムが無いと生きていけないという。

さて、人に雇われなくても生きていけるか。お金の回し方の問題である。ひとに従属するからおカネをください、という悪夢が終わろうとしてしている。雇われなくても生きていける。仕事を作り出す。フーテンのトラさんの時代である。
毎月、築地本願寺で安穏朝市が開催されている。
セカンドリーグ支援室も参加者を募っている。覗いてみると面白い。



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2010年11月08日

哲学の不在と暗闇

近代化の特長は、近代的自我の確立と競争による優れた人間の排出といわれている。
義務教育が科せられ企業社会が発達した。地域も国家に編成された。とりわけ日本はその優等生
として、すべての国民登録、会社組織、社会基盤整備が進んだ。こうして未来は、優れた人びとによる管理社会へと向かうという悪夢が蔓延した。リトルピープルと綿谷ノボルの世界である。

この呪いに落ち込むと、それは暗闇の世界に閉じ込められることとなる。
息苦しく不毛の世界。邪悪な気配と腐った肉臭がしてくる。

では、その世界にどう生きていくか。
暗闇を恐れないこと。恐怖と孤独に向き直ること。
呼吸を深くすること。歌を歌うこと。軽く走ることだ。

競争と近代的自我の呪い。この人間観に囚われるのは、自分が認められい、
評価されない、社会から不必要な人間だと烙印を押されることへの恐怖からだと思う。
そうなると食べていけないという恐怖がある。
だから子どもたちは、社会にでない。親から離れる恐怖に勝てない。

ではどうするか。
なにももたなくても生きれる事例をつくること。競争に負けても何ら人間的価値に問題はないということを実際に証明してみせることだ。
戦いの次元は、競争に勝てばなんでもできて他人を操ることを平気でおこなう、このような、じつは平凡な空洞化人間との生き方との戦いになる。

そのこたえはアメニモマケズにあり、雲水の世界であり、素朴な時代の修験者の世界である。
それが現代の哲学の入口となる。その先には農の世界がまっている。

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2010年10月30日

雨がのなか、夢について

台風が日本列島を外して北上している。東京は、雨が降り続いている。
寒そうにうなだれながら、歩く人びと。もう冬衣装をした人もみかける。
ふと、きづく。駅ビルにうなだれうずくまる老人の姿。

見て見ぬふりをして足早に通り過ぎて行く。いつのまにか、共感と痛みと感情を脱ぎ捨てた ぼくがいる。たしかにやれることは、 ないかもしれない。考えてもムダかもしれない。

足早に足早に通り過ぎながら、胸に残ったオリを感じている。
いつからこうして ぼくたちは、夢を失っていったのか。
熱い思いと、単純な行動力。自分をいつでもフリーにしてできることに、
カラダを動かすパワー。

台風は、あきらめたように、列島から離れていこうとしている。
夢を失った男たちは、魂を置き忘れたように、うつろな通人となる。
そのムレのなかに、ぼくはいる。

冷たい雨が降り続いている。
そのなかで、ぼくは、夢について考えている。


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2010年10月27日

寒さのなかで チリ落盤事故について

寒さが一気にやってきた。まだ身体が対応していない。何かしら風邪気味である。こういう時は、おとなしくしているのが一番である。

しかし、ただ休んでいるだけではダメだ。簡単に身体を動かし、呼吸を深くする。少し汗がにじむくらいがいい。エントロピーの法則では、人体は活動することで廃熱と毒素が溜まる。これを、外に排出していかなくてはならない。これは、(鞠◆↓汗、8撞曄△修靴騰ぢ稜、で放出する。これによって、エントロピーの増大を防ぐのだという。従って、経度の運動による廃熱が大切になる。

ところで、チリ南米チリ北部サンホセ鉱山の8月の落盤事故。
作業員33人が地下約700メートルに閉じこめられていた。10月13日、カプセルを使って全員が無事助け出されたことについて。

8月5日の事故で、一旦は全員が死亡したとみられていた。しかし、17日後に地下700メートルまで掘った探査用ドリルに「全員が避難所で無事」と手紙が付いていた。奇跡的に生存が判明した。
救助用カプセル「フェニックス(不死鳥)」に一人ずつ乗り込み、地表までは15〜20分。カプセルは直径五十数センチで、酸素ボンベやカメラなども装備された。

作業員たちがいた避難所は地下624メートル、広さ約40平方メートル、天井の高さ4メートルの場所。直径15センチほどの穴から、食料や衣類などを受け取っていた。中には人が移動できる坑道が2キロあり、そこを「寝る場所」「食べる場所」「その他必要な場所」の3種類に分けて、救助を待ち続けていた。と新聞報道にある。

しかし、地下700mに完全に閉じ込められて、17日間もほとんど食べないで生きているということの地獄を、よく持ちこたえたと思う。テレビで奇跡の生存が確認されたと知ってからも、助けられるまで、息苦しくて見てられなかった。

圧倒的な岩山の深い坑道で、完全に閉じ込められる恐怖。それを思うだけで息苦しくていやになる。
しかし、宇宙飛行士の孤独と極限的な恐怖と似ている。このため、チリ政府はアメリカのNASAに支援を求めたという。宇宙飛行士の極限と似ているからだ。

さて、では地上で一見自由に見える僕たちも、じつは一歩間違うと孤独な閉塞感の洞穴に落ち込んでしまう。問題は、この洞穴はカタチが見えないことだ。
そこから、脱出し息苦しさと閉塞感から自由になるにはどうしたらよいか。

チリ鉱山労働者たちの闘いが、参考になるだろう。人が生きる意味、人が不安を克服するそのやり方、そしてどんな状況にあっても希望を失わず元気に生き続けること。
そこから世界の人びとの大いなる共感、そして芳醇な人間の底力への信頼が見えてくる。
素晴らしい奇跡。感動の持つ力。



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2010年08月14日

茗荷谷の蝉


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茗荷谷には比較的公園が多い。暑い夏の昼休みにこの古い大きな木のある公園にいく。

さすがに人はまばらだ。
噴水のある水場で子どもたちが騒いでいる。離れて木陰の道を歩く。
なにか世間バナレしたような大人たちが一人二人、探しものをしているかのようにゆっくりと歩いている。
気配を消してすれ違う。
木陰は意外にさわやかだ。暑さを忘れる。

気づいてみると都会の真ん中なのに、不思議な生々しさが漂う。異次元空間への空中トンネルを探す人びと。
蝉の鳴き声がふっと止む。
さっきまで聴こえていたカン高い鳥の声もやむ。
工事の喧騒も近くの道路の車の音も聞こえない。

大きな古い木はいい。蝉たちがそこに位置して生と死とをつなぐ場である。死と生の中間地点である。
ようやくこれにふさわしい木を見つけた。そうしてみんみん蝉はそのカラダを木に同化していく。考え深そうに哲学していく。彼にはいのちと時間がわかっているのだ。
その意義深い時間を止めてみせる。一瞬の永遠をぼくにみせる。
なんという不思議な世界。

たくさんの音と、そして静寂。飛び去るような時間と一瞬の永遠。それをわからせてくれようとする。

古い大きな木は昔からの構造物のようにある。どこからが物体でどこからが生命体かわからない。そういう存在感。だから蝉はやってくる。安心してとまっている。ここからしか行けないとわかっている。ここがかの通路だ。秘密の時空間への道なのだ。

ぼくはこの時空に取り込まれる。みんみん蝉に同化する。と思った。
そう思ったその瞬間、蝉は飛びたった。振り切った。
するといっせいに騒音が降り注いできた。再開した。そう、昼休みが終わる。b9c4a796.jpg287c4c42.jpg


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2010年08月12日

真夏 一生を終えるか アブラゼミ

21a03d64.jpg熱い。猛暑である。

真夏の都会のアスファルトはたまらない。白茶けた道路に湯気が沸いているようだ。しかし、ここが勝負だ。カラダにエネルギーが満ちてくると暑さも爽快である。日焼けしながらも歩く。

都会の小さな公園。蝉が鳴きわめいている。アブラゼミだ。暑苦しいその声。耳から全身に降り注いでくる。
これに比べたらヒグラシは涼しげだ。夕方、カナカナカナと遠くから聴こえる。物悲しい。姿は決して見せない。

で、我がアブラゼミだ。脇の裏道にひっくり返っていた。これでは車に引きつぶされるかとつまんでみた。
すると弱々しくもジタバタと羽を動かす。しかし、飛べるほどではない。

仕方ないので起こしてみた。なかなかの雄姿だ。七年間も土中にいた。最後の一週間、交尾のために外にでてきた。危ない我が身を省みずひたすら泣きわめいて倒れる。
それが彼の生きかた。

真夏になると必ずこのアブラゼミと再会する。騒々しくけたたましい。
ただ喚きちらしそして息をひきとる。生と死。そのあいだにいる。やがて生はどこかに抜け出していく。
熱い。


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2010年08月10日

戦後の日本のつくられ方 「下山事件ー最後の証言」柴田哲孝を読む

90fe4526.jpg戦争を考えるときに、戦後の日本のあり方を探るのもひとつの方法だ。

そこにこの柴田哲孝氏だ。
この本の主題の下山事件とは1949年(昭和24年)7月におきた初代国鉄総裁下山定則の轢死体事件である。
当時の警察内部でも捜査一課と捜査二課が自殺と他殺で対立し最後は曖昧なまま捜査が打ち切られた。迷宮入りとなった。

当時はマスコミによって国鉄の整理解雇に反対する労組左派の犯行かのように演出される。これで一気に労組側に不利な状況が生まれてくる。さらに三鷹事件、松川事件と鉄道に絡む不審な事件が続く。労組左派勢力が逮捕されて不穏な社会状況のなか全国的な労働運動や民主化の戦いは衰弱していく。


この事件をGHQ(連合国軍最高司令官の組織)の関与した謀殺と展開したのが松本清張の「日本の黒い霧」1960年になってからである。以来、当初の左翼犯行説から逆転しCIAの関与や右翼勢力の犯人説などが様々に論じられた。しかしついに真相は不明に終わるかと思われていた。

そこにこの柴田哲孝氏の著書が2006年にでた。
ここで描かれた下山事件は、これまでの「下山本」と決定的に違う。それは彼の祖父が関わっていたことだ。そのため身内の話や写真など本来到底でてこない事実が明らかにされている。これはすごい。

さて、これまで下山事件はGHQかCIAなどアメリカ占領軍の犯罪か、ないし急速に復活、台頭した児玉誉士夫など右翼勢力かという図式で語られてきた。すると、アメリカとソ連の対立という図式である。左翼でなければ今度は右翼かアメリカという東西冷戦構造に全ての要因があるとするもの。

しかし、この本を読むとそれは基本的に当たっているが、そう単純ではないことがわかる。
当時の吉田茂首相や佐藤栄作運輸大臣の意図と関わり。戦前からの軍部特務機関と亜細亜産業という謀略企業の存在。三浦義一など右翼と政治家とアメリカとの密接な関係など。複雑に絡みあった関係が明らかにされる。まるでとびきり優れた推理小説を読むようだ。

1949年は時代の転換点だ。それまで日本の産業構造の民主化をすすめたGHQ民生部に代わりCIAに再編された対共産国戦時体制への移行。アメリカ銀行団から送りこまれたジョゼフ・ドッジによる「経済安定9原則」(ドッジライン)による社会政策の導入。
それは1ドル360円への固定とデフレ経済。日本企業大量整理合理化。運輸再編などによるアメリカ型日本の構築である。このなかでの財閥復活と再軍備への道。

面白いのは、これを推進したのが日本人自身であることだ。
しかもそれは旧満州国を構想した吉田茂、岸信介、佐藤栄作などの政治家とその裏に日本軍特務機関であったことである。児玉誉士夫や三浦義一などや亜細亜産業などだ。
戦後、GHQは彼らを温存し彼らはアメリカに忠誠を違い、連携して再び復活して活動する。すごい構造だ。


三輪明宏氏がいうように敵国アメリカから、一転アメリカ様となった人びと。中国やアジアに自分勝手な夢をみて侵略し暴虐の限りを尽くした。その中枢が残されて復活し、再び貪欲な利益を産む。新たな支配層とともに資本主義経済と政治体制を構築してきた。


ぼくたちは、いままた時代の転換点にいる。この場合にこういう政治から見るとわからなくなる。何々党や政治家をみてもわからない。巨大なシステムを批判しても取り込まれる。

ではどうするか。
自らの経済に挑戦すること。たとえささやかでも仲間たちと小さな起業にチャレンジすること。あるいは生協のように民衆自身のお金で民衆による経済を組み立てていくこと。
誰かスーパーパワーに依存しない。なにか天上の理論に任せない。自分の身体と心を使い深堀していくこと。そこから世界とつながる。これが自立、独立と協同、連帯につながることだ。

もうひとつの日本の伝統と村の豊かさに学ぶこと。自然との豊かな共生のなかに世界の人びととの平和で心豊かな連帯が見えてくる。生命のつながり。愛。


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2010年08月06日

三輪明宏と戦争について

e0449716.jpg三輪明宏というと不思議な人で、あっちの世界に行った方かと思ってしまうが、実に真面目で深い人だと思った。

「戦争と平和、愛のメッセージ」を読む。
この本は読みやすい。薄くてすぐ読み終わる。だが、内容は濃い。
戦争体験を語り、長崎の原爆体験を語り、地獄を見た人の言葉で綴られている。身につまされる。
しかし、彼はそれだけではない。戦争の原因を明確にする。
忠臣蔵のような不条理な価値観。儒教の影響を受けた、権力者に都合のいい詭弁。
軍人たち用心棒に国を預けた問題。
さらに、実は戦争経済が最大の問題だったこと。

そして戦後、戦時中の要職者は死刑にならずに生き残ったこと。敵国アメリカから、一転してアメリカ様となったこと。そして教育と文化のアメリカ化が進んだという。文化の退廃だ。

アメリカは軍需産業が巨大だ。ブッシュは戦争を起こして食べている。
いま日本も憲法を改悪し戦争に巻き込もうとする動きがある。

ほんとうに戦争をやめさせようと思うなら、世界中の軍需産業にたずさわって食べている人びとのために代替産業を起こさなければならない。
実際に戦争を起こしているのは財界の連中だ。儲かるためには、人が何十万、何百万死のうが、平気な人たちだ。
政治家は使い走り。

でも、一番悪いのは国民だ。そういう政治家を選んでおいて文句ばかり言っている。この矛盾に気づいていない。

では、どうするか。
三輪さんはいう。必要なことは真の意味の教養だ。考える力。
一番教育しなおさなくてはいけないのは、中高年だ。これまで物欲、性欲、食欲、名誉欲だけで生きてきた。

日本が生きていくためには、平和産業、民需産業しかない。人的資源、「頭」だという。日本は文化こそが財産だと語るのだ。

NHKプロジェクトXの町工場職人、そしてイチローや小澤征爾などが重要だ。
朝鮮半島との関係も冬のソナタが変えてしまう。文化の力を政治に生かす。

「亡霊達の行進」「悪魔」を歌う。
そして、最後に自分たちは加害者の一人でもあるという。アメリカ文化一辺倒だということは、戦争支持者だということだ。そのため今後、経済も社会も大変になる。

自分のこととして戦争を考えること。真の教養を身につけること。文化の力を使うこて。平和への経済。


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2010年07月17日

柴田哲孝 とGEQ

13cc9d30.jpgGreat Earth Quake 大震災。 著者「柴田哲孝」角川書店。

この本は、阪神淡路大震災がアメリカCIAによるものであるというフィクションである。なんだ、またCIA陰謀説か。それにしても地震とは、あまりに荒唐無形なと感じた。ところが読んでみると、そう単純でもない。面白い。


著者は、911事件が如何にアメリカ政府による自作自演だったかを文中で簡潔に記している。そして、それが世界経済の破綻を救い、イラク戦争に国民を鼓舞さたかを語る。

さて、阪神淡路大震災についても、事前に自衛隊のシュミレーションが報告されていること。それからバブル崩壊後に震災復興でどれくらい日本経済に影響があったかも記している。

そして中国だ。北京オリンピックとチベット弾圧。そして四川省大地震。四川省はレアメダルの宝庫で中国原子力研究所がある。

ここまでくると、単にアメリカの利益というより、世界の支配層のネットワークでCIAが動いていると記述していることが分かる。

虚実ない交ぜである。ここで、物語にはなにが大事かだ。世界は、いままでのある国の支配から(もちろんそれが前提)支配層の巨大なネットワークが稼働しているという事実が突き付けられてくる。

とりわけ日本はがんじがらめだ。圧倒的なアメリカの影響。
身震いするほどの支配。これをみな知りながら知らないふりで飼い慣らされている。戦いを忘れている。


では、どう考えるか。これは、ガンジーだ。ガンジー思想だ。インドの独立はガンジー思想にある。近代文明という病の克服、スワラージ(自治)カディ(手織り布)チャルカ(手紡ぎ車)自立と協力、アヒンサー(不摂生、非暴力)など。
日本の古い生き方もまた地下水脈に脈動している。


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2010年07月16日

震災後の神戸はなんともいえない優しさが溢れていた。チャンプルーの会の紀平さん

43445303.jpg立川市と国分寺市にまたがる「けやき団地」。典型的な高度成長期のときの団地だ。五階建てが続く。エレベーターは無く階段ひとつに二世帯づつ並ぶ型の棟。この種類の団地の悩みは、どこでも同質の世代がそのまま年とって高齢化することだ。すると階段は難儀になる。引きこもりがちになる。

その団地の脇に商店街がある。いくつか閉店して寂しくなりつつある。ここにチャンプルーの会がある。この閉鎖した空き店舗を借りて地域のコミュニティのコアを作ろうとしている。いや、新たな地域づくりが行われている。紀平さんとチャンプルーの会。

ディサービスでお年寄りだけがくるのではない。様々なカルチャースクールもあり、自然食レストランもある。配食宅配サービスもある。

そうして、さらにみんなが住めて医療も教育も遊びも食と職もある拠点を構想している。どうしたら実現できるか。お金は無いが。


紀平さんは話す。いつから日本人は冷たくなったのだろうか。私には忘れえない体験がある。
それは阪神淡路大震災のことだ。神戸に実家があった。震災の後、どうしても行かなくてはと、東京から瓦礫の街に帰っていった。

街に行くと飲み水に困った。トイレも無い。しかし、歩いていると見知らぬ人が教えてくださる。どこどこに行けば飲み水があるなど。助かった。みんなが仲間たちでみんなで助け合おうとしていた。そういうなんともいえない空気がやさしくつつんでいた。

ビルが建ってくると、そうした空気はいつの間にか消えた。普通の街になった。

もうひとりのチャンプルーの方も、なんと神戸の同じ町だった。彼女も話す。実家の母に戦争時代もこうだったのと聞いた。するとまるで違うと。いまは一歩外に出て大阪に行けば、なんでも揃っている。戦争はどこに逃げても行けない。いまはまだ比べようがなく、いまのほうがましだ。

さて、共通したのはアジアやアフリカの貧しい子どもたちの輝く目のことだ。貧しいくせに日本より生き生きしている。日本は豊かなのにうちひしがれ自分のことしか考えていない。なにか、人間味が失われたように感じられる。

年寄りだけではつまらない。老いも若きも老若男女が共にくらす街にしたい。遊びも働きも農もある。文化も揃う。そういう街にしたい。お金も力も無い。それでも街に夢を見ている。なんとかしたい。


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2010年07月14日

旅について

de76a417.jpg60歳を人生の折り返しとみるか、ゴールとみるかで、全然違った風景がたちあらわれてくる。人はあまりに組織人として長いと、まるでその組織での役割抜きには自らのあり方がないかのように考えてしまうようになる。役割が人になる。溶けたビニールのように皮膚に張りついてしまう。


自分では、相当自由に動き続けてきたつもりでも、知らず知らずに、この枠組みにどっぷりと使ってしまう。これは、まずい。
そして組織が低落しても社会が壊れても、内部では仲良しグループによって事無かれで、安泰に運営してしまえるように見えてしまう。ヤバいことだ。

さて、ついこのあいだまで日本の村と山には、山伏の伝統があったという。内山節先生によると群馬県上野村では、最近も家をでて単独で山に入り一人修行者になった高齢者がいたという。私度僧といい、山伏となる。あるいは修験者だ。

これは明治時代のはじめに弾圧されるまで全国各地に60万人もいたらしい。

それから雲水だ。山伏とは違うが、やはり修行を続ける仏僧だ。日本には、こうした風来の水脈がある。佐渡の我が家でも、たびたび出家する人間がいた。武蔵もそうだ.

しかし、現代の日本は旅を忘れた。ただの観光や移動はあるが、人生をやり直してまるで別世界に住むかのような本物の旅が失われたのだ。その結果、物語を失った。脈動する魂と深い世界との交信を忘れてしまった。

しかし、たまにはこの異世界に触れることが必要だ。重病になり、死と直面してからでは困る。死と直面すると必ず起ちあらわれる異世界。これを生きているうちに体得すること。これは鉄道を走る列車が、まるで列車ごと異次元に走りこむような話だ。

さて、時間と余裕の無いぼくたちはどうするか。
物語だ。物語を読むこと。上質な物語の世界には、こうした異次元の世界がひろがる。そうして願わくばこの異次元世界に旅を企ててみよう。


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2010年06月26日

口蹄疫とPTSD ― 大井宗孝獣医の現地報告

9f1232d3.jpgパルシステムで口蹄疫の学習会を開催した。大井宗孝獣医の現地報告である。発生以来、宮崎県に入り川南町を中心に対策に携わっている。

以下、その内容。
最近、宮崎から戻ると少し気持が変になっている。我ながら精神的に弱っている感じがしている。そのため、話しがツジツマが合わなかったり、筋が多少おかしいことがあるかも知れない。どうもPTSD(心的外傷後の障害)症状があるようだと告白された。

4月20日に初発が確認されて以来、20万頭が殺処分された。畜産生産者の意識は、すでに仲間を守るために、感染拡大を防ぐため進んで殺処分に協力するとなっている。生産者の気持はすごい。こうして都城市に入るとは一気に殺処分が終わった。

現在は、感染したと判明した家畜は殺処分を終了し、あとはワクチン投与したものが残るだけとなった。

感染拡大では、牛から豚に移った段階がひとつの転機だった。牛は感染してもあまりウィルスは増えないが、豚は爆発的に増殖する。しかもまだ発病しない2日くらいからエアゾール(空気排出)しだす。発病は7日くらいから。この間に広がっていく。

一番問題だったのは、国や県と現場の連携と指揮系統の乱れがあったこと。畜産農家が対応を問い合わせてもタライ回しにされた例をたくさん聞いた。これが対応の遅れと感染爆発を招いたのではと思える。

例えば、宮崎県で発生してすぐ獣医師の援助の必要性を国や県に問い合わせても必要ないとのはことだった。しかし実際には現場は大変な状況だった。仲間の獣医師とネットワークし救援に出かけた。ボランティアでいった。それから県や国へ開業養豚獣医師協会で提言や要請を行なっている。

口蹄疫に対する特措法で改善されつつある。しかし、最大の問題が残る。畜産農家の再建問題だ。殺処分後から清浄化宣言までと、それ以降の再飼育投入と出荷まではまったく収入がない。支出ばかりである。従業員の賃金、借金返済、素牛豚購入費などなどが嵩む。廃業に追い込まれんとしている。この国の畜産の危機である。

大井先生の胸に迫る現地リポート。
これを受けてパルシステムの対策とカンパの途中集約が報告された。カンパは第一歩ですでに一千万円を超えた。

参加した畜産生産者から次々に発言があった。危機感だけでなく宮崎県の生産者への思いが語られる。仲間だ。仲間たちが苦しんでいる。なんとかしたい。

いま、必要なこと。畜産農家だけでなく、すべての人びとが、いま起こっている事実を知り知らせること。
感染症のパンデミックの驚異。それが農を侵し食を危機に陥いらせていることを。

いま、ここにある危機。


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2010年06月19日

雨と早朝の野良仕事への出勤

653e3ff6.jpg土日は、お休みだが、大概はどこかに行っている。産地へ行くか、なんかの集会に参加しているか、小田原の田んぼの作業である。
今日は安穏朝市の運営委員会メンバーによるNPO小田原食とみどりの視察交流だ。
雨が心配だが。

こう土日も出かけていると、たしかに少し疲れが溜まる気がするが、ものは考えようだ。疲れは、むしろカラダを使ったほうが取れると思う。そう考える。
さて、昨日からの雨が早朝に小降りになり、降り止んだ。
雨あかりの草木は美しい。緑が映える。いきいきとしている。
オナガ鳥だろうか、ギャーギャーとワメきちらしている。あわせてツピッツピッとのさえずりも聴こえる。

軽いジョギングをしながら、雨に濡れた草花を眺めていく。
しっとりと濡れたアスファルトも心地良い。呼吸は吐くほうに少し意識する。足腰に異常はないか。足指はいうことを聞くか。ふくらはぎや太ももはどうか。一通り意識を回してカラダをのせていく。
雨あがりの朝。
ゆっくりと起動を開始する。


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2010年06月16日

60億キロメートルの旅 「はやぶさ」帰還によせて

5a9c33c0.jpg惑星「イトカワ」に着陸し、粉塵を採取して再び地球に戻る。この驚異的な惑星間旅行を無事終えて「はやぶさ」がオーストラリアの南部ウーメラの砂漠にカプセルを着地させた。60億キロメートルもの旅をして大気圏に突入して燃え尽きた。

テレビの映像では、いくつかの火矢となって焼け尽くしていく雄姿がみえた。そしてそこに伴走する強い光。これが切り離されたカプセルだった。

なんでこんなに感動するのか。
はてしない宇宙。遥かな遠い旅。まるでゴミのようにカリントみたいな、惑星と呼べないくらいの小さな岩塊。そこを目標として自走してたどり着く。気の遠くなるような長い旅路を走破して、あの「イトカワ」にたどり着く。それから繊細な着地に成功し、資源回収を果たし、再び長い旅路へと向かう。

長い旅路には無数の危機との遭遇があった。
報道によると、最新のイオンロケットが次々に壊れ、燃料漏れまでおこしたという。絶対絶命。
すごいのはここらかだ。知恵のたけをつくして遠隔操作だけでイノチを吹き込まれる。そうして再起し、また母惑星へと帰還の路をたどる。
こうして、大気圏突入。燃え尽きながらカプセルを無事着地させた。

物語は、こうでなくちゃあというほどすごい。

遥かな宇宙。
そして無人の探査機。目標だって火星とかハデじゃない。ゴミのような星クレ。でこぼこ岩塊。
危機に次ぐ危機。なんども打ちのめされても、また起ち上がる。惑星間の孤独な一人旅。最後に、任務を果たして自ら焼け尽くす。
火だるまとなって。
しかし、カプセルだけは切り離して無事帰還する。

21世紀最初の、人類の生み出した。ネバーエンディングストリー。暗い時空は豊かな物語の母体だと思う。


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2010年06月07日

母について

15cd4e21.jpg91歳。子どもは五人いる。男二人女三人。
佐渡の小さな村の農業だけで暮らしてきた。
亡くなった夫は、一時期単身赴任し新潟の港湾作業場で働いていた。
子どもたちの教育費のために、村外れの採石場で働いたのが移転して新潟に行ったのだ。しかし母は両親をみて家に残った。それから夫は、停年退職になり実家に戻った。両親が亡くなり、そして暫くして夫も逝った。

一人暮らしになってから10年になる。一時期は兄の新潟の家に行き、姉の新潟の家にも住んだ。ところがやはり村がいいという。長年住み慣れた村と家が一番だ。それから一緒に住んだ新君は母を最も大切にしてくれた。

いまは、朝晩にお経を唱える。
それからあとはテレビを見て時間を過ごす。すべてに感謝しながら生きている。
食は細い。コーヒー牛乳のほかはご飯一椀とオカズ少々。朝は抜いている。これだけ。

月にいちど会いにいく。ほとんどたいした会話をするでもない。ただそばに居る。それだけだ。

夜、遅く村に着くと夜空には強い星の光がちりばめられていた。
暗い山陰。そこから、清浄なひんやりとした空気。かすかな波の音。b090ff7a.jpg

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2010年06月03日

日本の伝統とは何か 梅原猛 その2

梅原先生はいう。
明治時代の日本の国家は、古い大事な伝統を捨て去って、日本を近代化した。
近代日本の国家神道が起こった。

明治の最初に廃仏毀釈・神仏分離という仏を退けてしまって神様を仏様から離してしまう・・政策がとられた。
国宝級の仏像が破壊されるような「廃仏毀釈」が起こった。「仏様を殺してしまった」、そればかりか仏様と仲良くした神様を離して、神様まで滅ぼしてしまった。

そして神様・仏様がいなくなったその空白の所に新しい神を創った。それは〈国家という神>であり、〈天皇という神>であった。

日本には津々浦々の神様がおられたのですが、その神様も捨てられれた。
このような神様が殺されたという状況の中でだれも起ち上がらなかった。ただ一人起ち上がったのは南方熊楠であった。

こういう精神の中で生まれたのが「靖国信仰」と「教育勅語」なのだ。

日本の古い神道は、自分たちの祖先を祀る。そして同時に自分たちが滅ぼした前代の支配者を祀った。出雲大社を伊勢神宮よりもっと大きな建物にした。

近代日本は日中戦争や太平洋戦争において、およそ三百万人の日本人を殺して、そしてそれより約十倍の韓国や中国やアジアの民を殺しています。
当然、自分たちの仲間を祀るということはいいが、もっと大きな神社を、この戦争の犠牲者となったアジアの人々を祀る神社を建てなくてはならない。それなのに日本の犠牲者だけを祀る靖国神社というのは、日本の伝統を大きく逸脱したものといわなければなりません。

新しい人類の思想の構築へ
三つの危機
核戦争の危機
環境破壊の危機
人間性喪失の危機
を乗り越えないと人類は存続できない。

「進歩の時間」というのは近代思想の共通の信念だが、「進歩の時間」では駄目だ。資本主義の無限の発展も社会主義にも反対でした。進歩の思想そのものがもうだめだと主張した。近代文明が大きな矛盾にぶつかっていることを卒業論文に書いた。

それでは日本の伝統とは何か
聖徳太子だ。17条憲法。和の意味。和があれば理がある。対立から統一へ。
そして「天台本覚思想」。人間中心の西洋思想に対して「草木国土悉皆成仏」だ。

梅原先生は八十歳を越えてなおパワー溢れる。ほんとに深く豊かな伝統に学ぶ。


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2010年06月02日

日本の伝統とは何か 梅原 猛

25b637ad.jpg人間がもろくなり壊れ始めるときに、何が必要かと考えている。
これに答えをくれたのが内山節先生だ。哲学者。彼の「哲学の冒険」という著書に、哲学とは美しい生き方を求めることという話がある。つまり、自分の生き方を明確にすることが哲学だという。ソクラテス、プラトン、へーゲルなどの難しい論理を知ることが哲学ではないのだ。

なるほどと思った。しかし、一般的な教育では生き方を教えてくれない。そのために自分の価値観や理念というか、ありたい姿を自分で決めている人は多くないと思う。勉強というと知識の詰め込みや問題への答えにキュウキュウとしてしまう。結果として人の評価を気にする。人と比べて一喜一憂することになる。競争と勝ち負けの世界。負けたり、劣っていると感じると生きることがいやになる。落ち込む。逆に優秀だと褒められたり競争に勝っていくと有頂天になる。これでは、ダメだ。生きる意味が分らない。

さて、この哲学だ。
これは自分自身で考えること。自らの生き方を決めること。自分自身で羅針盤を持ち、価値観を持つことだ。
このとき、実は自分のなかにある血というかDNAというか深いところで地下水脈のように流れているのが親などの先達たちの生き方だ。そして社会、環境のあり方だ。

日本社会の水脈を面白く解き明かし、分かり安く書いてくださったのがーー梅原猛「日本の伝統とは何か」ーーだ。分りやすいが内容は濃い。凝縮して語られている。

目次を見てみよう。
?.天台本覚思想と環境問題
?.聖徳太子と法隆寺?.親鸞のこころ
?.勝修羅の鎮魂
?.日本の伝統とは何か
?.新しい哲学の創造をめざして

ここには天台本覚思想「草木国土悉皆成仏」の意義が述べられている。西洋思想との違い人間中心の思想ではない。動物だけというインド仏教をも超えて土や鉱物にも仏性があるという。宇宙と生命の一連の仏性の理を表している。

聖徳太子の『憲法17条』を引用し「和を似って貴しとなす」がすばらしいという。聖徳太子は深い。対立と分裂を持ち込み憎悪を煽る政治手法は誤りだということだ。だが太子一族は結局、滅ぼされる。

日本の本来の神道と仏教の融合とその意義。そして明治政府の天皇制や靖国神社批判の展開など舌鋒は鋭い。
それからやはり、哲学をただの文章では表さない。伝統芸能との融合で創造する。スーパー歌舞伎などだ。また、怨霊論も面白い。単に優れていただけではなく、恨みをもって死んでいくことが条件だと言い切る。決して幸せだで終了ではないのだ。

梅原猛先生。いまもっとも刺激的な存在。すごいね。


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2010年05月26日

ヨガについて

aa5c268a.jpg瞑想ヨーガ入門
綿本彰 実業之日本社
この本を読んで考えている。
アジアを旅していると貧しいのに、みんな元気で目がキラキラと輝いている。そして、率直でやさしい。
帰ってきて東京の電車では、みんな不機嫌そうで目が沈んでいる。心が折れている。

いまさら、中国やインドのような経済発展への強くてシンプルな欲望をもとうといってもたぶん無理だ。

日本は坂の上に上がって見ると何も無かった。いや、物は溢れ便利になり忙しくなったがむなしい。ものすごい産業の発展は、実は自然を破壊し、人間を衰退させ社会を壊している。

では、未来はどこにあるか。

こうなるとまずは自然の回復である。それも外在的な自然のそれではなく、自分のなかの自然に目覚めること。これがヨーガだ。あるいは禅である。カラダとココロとの統一。

というわけでこの本になる。ヨーガの基本的な考え方を実に分かりやすく書いている。
普通、身体的な修行などはあるレベルを超えると、その説明が一般の人には理解しにくくなる。ミスター長島の野球解説のように簡単には理解し難い。このように体得したものをどう言語変換できるかは、これは別の能力が必要だ。

綿本氏はこれをしている。あっちの世界に行き過ぎないで説明している。

例えば、意識について。空腹を感じるのはカラダの細胞からの指令からだと言う。これは普段意識していないが不思議なことだ。便意をもよおすのも腸をはじめとした体内細胞の働きかけによる。

そして禅の「十牛図」で目指す境地を紙芝居で紹介している。
そしてプラーナだ。
それといいのが、ヨーガ実践の落とし穴を自らの体験をもとに紹介している。

これだな。


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2010年05月24日

佐渡にいる母

8dbc4994.jpg佐渡の実家に母がいる。91歳。カラダは弱っているがまだ意識はしっかりしている。耳が少し遠い。電話には出られる。

兄弟で交代で土日に帰る。母に会いにいく。誰も同居してないので、せめて毎週誰かが訪問しようということ。普段は佐渡市のヘルパーさんが週三回家事援助できてくれている。

いまは、姉の娘が毎週土日以外に訪ねてくれている。ありがたい。

母と二人でいて何をするでもない。ただ本を読んだりうたた寝をしたりと時間を過ごすだけ。ゴロゴロしている。実家の天井をみて寝っころがっていると時間が止まる。昔の子ども時代にもどる。

お腹が空くと簡単な料理をつくる。母は食べることにあまり執着しない。少食である。ただコーヒー牛乳だけは欠かせない。それもJA佐渡のもの。

日曜日の夕方まで居て実家を離れていく。母の寂しそうな顔。また来いといいながら、手を合わせている。
僕らが病気や事故に合わないようにと毎日早朝祈願していると言う。

船が佐渡を離れる。曇り空。海は暗くしずんでいる。

新潟港の佐渡汽船のレストランに定夫さんの同級生たちが飲んでいた。還暦の同級会だという。まだみなさん元気そうだ。これから佐渡に帰ると言う。


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2010年05月20日

築地本願寺安穏朝市

fab74915.jpg築地本願寺は銀座からほど近く築地場外市場に隣接している。
先月に引き続き第二回の安穏朝市が開催された。今度は前回の冷たい雨とはうって変わって五月晴れ。少し汗ばむような晴天だ。

天気には恵まれたが、この16日は日曜日で残念ながら築地市場はお休みだった。そのためか人通りが少ない。
本願寺はボーイスカウトを支援しているらしく、いくつかの地区の交流会で境内は大型バスと子どもたちで埋まった。
朝市テントは隅に広がる。

しかし、テント市は元気がある。例えば山菜だ。岩手県から軽米町と藪川が参加する。藪川は山桜もビンに飾った。まだつぼみだが北の山を演じた。ここの山菜は、やはり別格だ。味が濃い。
原本の椎茸も持ってきた。大小取り混ぜて山積みし、買い手に選んでもらう。これが好評だった。買いそびれたが実にうまかったと後で聞いた。

さて、いならぶ店でもやはりパンがおいしい。国産小麦にこだわる。そして天然酵母。だからむっちりした素朴ななかに深い味わいがある。三ヶ所でそれぞれ販売している。

面白いのは、雑穀と黒米だ。小田原子どもと文化協会がペットボトルに赤米、黒、白など数種類のお米を入れて並べてある。これは売り方がうまい。ここはパンも売る。これも七色で見た目もおしゃれ。つい買ってしまう。
「とうじば」さんの豆もいい。様々な大豆を軽く煎ってある。そのまま食べられる。うまい。

さて、運営委員会では、この安穏朝市の「らしさ」が話し合われた。ちょっと前の日本に、どこでもあった「売る人」と「買う人」のやりとり。買う人は勉強にもなるが、だまされることもある。だから、積極的に話かけたい。目指すは、たくさんの人がくることでも、多く売れることでも無い。人がつながり、あらたなネットワークをつくることだと一致した。

面白いのは、銀座の八百屋さん。この界隈の人たちはうるさいと言う。簡単には騙されない。安ければ安いでなんで安いのかと問う。
午後2時半には後片付け。藪川の山桜がほころび咲き始めていた。


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2010年05月05日

生き物たちの五月

231c6a09.jpg桜が終わると、緑が映えてくる。

雑木林がいい。
茶色にくすんだ山肌が様々な緑に塗り替えられていく。浅黄色、黄緑色、青緑、食べられそうな柔らかい若葉。ところどころに山桜の残りが見える。

このいっせいに生えてくる若葉を見ていると、不思議だと思えてくる。いつもの春だと慣れてしまうと見過ごしてしまうような感じ。

大きな木の梢のすべてにいっせいに芽吹いて若葉が繁る。
その小さな葉のひとつ一つに葉脈がある。養分が水脈とともに送らている。微細で精密な仕組み。生きている。

気温のわずかな変化。それも一日の夜昼の変化。これに対応している。それから季節の傾向的変化にも動いていく。
ひとつの木のなかの各枝が連携して反応していく。それがまた、離れた木々の間で連絡を取り合ったかのように、いっせいに若葉を繁らせていく。

地面にはすすきが生い茂る。手が切れそうなその鋭い葉。その葉先についた水滴。雨ではない。
夜露をためて水分を補給する。あるいは地中から水分をあげて蒸散させていく。精密な生命。

僕たちは、いのちあふれる生命システムに包まれて生きている。
これをもっとも実感する五月がうれしい。


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2010年04月30日

一周忌 佐渡にて

f49cd6c4.jpg新君が逝ってはや一年が過ぎた。思い出すと胸にせまる。やさしく繊細な気配が蘇ってくる。
村の人たちが集まり法要を営んでくださった。

その村に、小学校からの仲間の秀一君が帰ってきた。一つ下の学年である。笑いながら農作業表を見せ、いちから覚えなければと言った。奥さんはまだ定年まで町にいるという。

少しの年金さえあれば問題なくやっていけると楽しそうだ。ただこうした法事など慶弔費がバカにならない。高齢化でほぼ毎月のように何かがある。

それでも、空気がうまく自然豊かな暮らしは贅沢な気分がするらしい。村には徐々になれていく。慣らしていく。

死と生。
村から町にでて行った人びとのUターンが少しづつだが始まりだした。これは、村と町が断絶して行きつ戻りすることではない。そうではない。
町と村に回路をつなげて還流することだ。
自由に往来し滞在できること。誰でもその気になれば住むことができる。こうすれば村は開放され町は閉塞感を解き放つことが可能だ。

生と死とは断絶していない。絶えず死と生を繰り返している。その接点にいること。生きるということ。

海はやはり美しい。
山はまだ茶色を基調にしつつも若葉が繁ってきはじめた。


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2010年04月23日

生命・岩石および土・水の技術

35f7a729.jpg有機農業の理論や技術の根本的な原理を考えている。
木村秋則さんの奇跡のリンゴはなぜ可能か。無農薬はともかく無施肥、肥料を与えずにどうしてリンゴが成るか。不思議だ。

もうひとつは冬季湛水田。冬も水をはり堆肥も入れず米をとる。
これも謎だ。1、2年ならともかく持続可能なのか。

いまBMW技術協会に関わり、その理論を学んでいる。故内水護先生が発見し,椎名盛男氏が確立した理論と技術である。名称がBMWのため、自動車会社が開発したのかとか、EM菌の偽物かと胡散臭く見られることもある。

最初、内水護先生は岩石を研究し、そして東京都の排水を研究された。その排水浄化の生態、システムの観察と研究からこの原理を発見する。汚水の有機物分解と生命の関連を見つけだした。
生分解自体は珍しくもない。問題はバクテリアたちと土の関係だ。そして必ず媒介する水の性質。この動的な変移だ。この研究から腐敗と発酵という二つの分解のコースにたどり着く。自然界には有機物の生分解に二つのコースがあるという。そして山や海は腐敗はしない。

生命(Bacteria)と岩石および土(Mineral)水(Water)は密接に関係している。すごいのは岩石は地球のマントルからつくられ、その鉄やミネラル成分比は海水と似ていることだ。そして承知のように人体の組成も海水と同様である。

つまり、生物は地球組成に密接に関わったいる。しかも、この岩石の微量ミネラルはバクテリアによって取り込まれて活用されている。これが生物活性に不可欠だ。植物もバクテリアと共生しないとミネラルは活用されない。

さらに、この関係を媒介するのに水が同様に不可欠だ。このバクテリア、岩石、水の関連を知りつくして活用すること。これがBMW技術の基本だと言われる。ここが分ると生命と物質循環が見えはじめてくるように思う。
だが、これはまだ入口にすぎない。これが様々に変異する。仮設と実験を繰り返す。これが有機農業そのものだ。

田舎の杉の大木。堆肥など一切なくここまで育った。自然は深い。大きい。


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2010年04月20日

佐渡の二つの村の伝統芸能 春の村祭

0cff7e03.jpg村人たちが守る伝統芸能である。
佐渡には海辺にしがみつくように小さな集落が取り巻いている。平均四、五十戸ほどのこの小さな村に伝統芸能が根付いている。

うねうねと曲がりくねった海岸線の入江部分に家が集まっている。戸数はすくない。
野浦村のひとつ飛んで隣の片野尾地区は、もと六十七戸があった。いまは五十四戸しかない。減っている。高齢化も進んでいる。しかし、この村で歌舞伎を定期公演しているのだ。これを見にいった。
数年前の大波被害から立ち直り新装なった公民館。この周辺では大きい。しかし、百人も入ればいっぱいになる。超満員となった。立ち見もいる。村人以外からも2割は参加しているようだ。

午前の演目は、三番叟と一谷軍記、須磨浦の場。である。
三番叟は、三人の女性の舞い。やや年齢がいっているが動きは軽やかで華麗でまぶしい。
一谷軍記は、源平合戦の一幕。平家の総大将平敦盛が討ち取られた場面。その妻の話も含めて敗者を悼む物語だ。村の人びとは滅びる人々への愛情がある。平家を悪くは演じない。源氏を単純に勝者として描かない。源氏の武将が最後に、討ち取った敦盛に南無阿弥陀ととなえる。深く同情を寄せながら哀悼を表す。なんまんだぶつ。

午後は野浦地区の春祭に行った。小学校の講堂をうめて家族連れで見る。演じられるのは文弥人形だけじゃない。舞踊あり、若い人たちのおしゃれなポップダンスあり、若い男性の剣舞あり、最後は芝居た。この芝居が玄人はだしてうまい。なかせる。あちこちからすすり泣きがきこえた。文弥人形は、ベテランの演目と若手の演目をわけて上演する。これはこれで味が分かる。若手もまたいい。一生懸命だ。初々しい。

この日はまれな晴天だった。演目を見ているときだけ、ざっと降ったらしいが外へ出ると快晴だ。天気にも恵まれた。
春の海は美しい。きらきらと輝いている。その佐渡を走ると村むらで祭りがあった。みんなで手作りで演じる。みんなで参加している。ここに原型の文化があり、芸能があると思った。テレビや映画では、これは味わうことのできないものだ。生身の息づかいがある。年寄りの経験と感動が若者の純真さと混ざり合う。

豊かな、本当に豊かな世界。いま再び若者が増えだした。
二つの村の能と人形芝居の中心メンバーは、トキ米生産者が担っていた。このつながりがまた面白い。
da22796a.jpg


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2010年04月14日

寺下さんと旅について なにを学ぶか

7687fe80.jpg寺下さんの平和への祈り。2500km日本韓国の旅を考えている。

真に偉大な人は、同時代に理解されないかもしれない。なんかトンでもないことをやらかしたことは分かるが、それがどういう意味を持っているかまでは解らない。

変な例えだが、僕たちが魚類だとして、いまだ水中に住んでいる僕たちには、陸上にあがらんとする両生類の苦しみや喜びは理解し難い。陸上という異次元の世界に移動すること。このためには、苛烈な肉体改造がともなう。そのきしむカラダと対話しながら異世界へとゆっくり上陸してゆく。

それは居心地のいいこの世界に流されている僕たちには、なぜそんなバカげたことをするかといぶかしがるようなことである。

しかし、旅はその異世界への通路である。
昔から多くの人びとが旅をして異世界と交信した。それは巡礼とよばれ祈りとなされた。肉体の移動と精神の移動である。

昔、日本全国に修験者がいた。その人たちはあるいは山伏とよばれた。
毎日、三十、四十キロの山道を小走りに歩く。それは祈りというにはあまりに過酷な修行である。山の神々への参拝そのものである。こうして異常なる体力と気力を蓄えた。念力など異能力をも身につけた。

彼は似ている。寺下さんは似ている。この正当な流れをくんでいると思う。

平和について。
異界を旅する人の平和への役割は大きい。修験者はいつも時の権力者の管理からは無縁であった。価値観がまるで異なる。
だから、犯罪者すら守った。文弥人形芝居の新阿丸伝説などを見ればわかる。それだけではない。さまざにわけあって国境をこえて逃げる人びとを助けた。

異界にすむ人びとはこの世界にある価値観をこえる。生物と無生物のあいだを理解する。
平和は敵と味方をこえる。二項対立を軽くこえる。正義を否定する。正義は相手を悪とする。悪を滅ぼさんとする。悪いヤツがいて、自分は正しいとする。あるいは、自分たちが被害者だとする。

しかし、平和はこういう思考ではほど遠い。無理だ。正義の戦争になる。悪と戦い悪を滅ぼさんとする。
だがちがう。敵こそ仲間だ。悪こそ大事だ。悪人もまた成仏すること。異界の世界。

日本と韓国、朝鮮。アジアと西洋。近代化と西洋。経済発展。こうした歴史のネジレを理解しじっくりと新たな共生を生み出していく。寺下さんの巡礼は終わらない。そうして僕たちもまた。


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2010年04月12日

寺下さんと世界平和の旅

bc138a78.jpg寺下 武 さんが帰ってきた。

昨年、定年まえに生協をやめた。
世界平和を祈り、朝鮮の独立活動家 安重根氏追悼の日本〜韓国2500km巡礼に旅だった。これを無事終えた。

なんと2545.7km、339万歩である。気が遠くなる。

韓国家庭料理チエゴヤで、20名ほどで親密に報告を聞いた。

スタートは昨年12月25日に宮城県栗原市の大林寺からだった。なぜ大林寺か。朝鮮の独立運動家 安重根は伊藤博文首相を暗殺し処刑されるまえの監獄看守の憲兵に贈っ遺墨の記念碑があるという。なんと日本軍憲兵との曰くがあるようだ。

最後は、3月26日に安重根義士没後100周年記念式典に参加した。韓国の人びとから大きな反響があったという。

心が挫けそうになったときがある。長野から新潟にでて日本海側を歩いたときだという。寒いうえに毎日雨ミゾレにおそわれた。だが、そのとき海をみてこの向こうに韓半島が待っていると勇気を持った。

たくさんの山を越えて、川を渡って、雨の日も雪の日も、ただひたすら前に進むことだけを考えて約束の地ソウルをめざした。

すごい人がいる。友達にいる。なにを学ぶか。なにかを変えようとするとき、まずは行動することからだ。そして自分のからだを使い変えていく。

平和への行動は祈りである。祈りは毎日繰り返す自分の行動のなかにある。
韓国と日本。この歴史関係に世界平和の根源がある。これを理解し平和の関係を築くことが日本を変えてゆける。隣国との深いネジレを深い人間的連帯に変えたとき、あらたな世界が産み出される。

寺下さんに学ぶこと。彼の生き方に連帯すること。激しい情熱のなんと静かな持続的燃焼。


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2010年04月10日

山桜

505cff56.jpg桜のなかで一番いいのは山桜である。すべての桜はもちろん美しい。そのまぶしいほど華やかな装いは人びとを陽気にさせる。萌える春、まっさかり。しかし、まだ里の桜がつぼみの時期に早くも山桜は咲いている。早い。

ささかみの石塚さんの夢の谷ファームである。早朝、この里山を散歩していると、山桜が咲いている。雑木林にひときわ目立つ。ソメイヨシノとは違い可憐で清楚だ。蝶のような薄い花びらと小さな葉。ひらひら。

田んぼを覗くと山赤カエルのオタマジャクシが見える。真っ黒い頭にちいさなしっぽ。土にへばりついていて、時々ちょろっと動く。ちょろっと。

畦には、枯れ草のところ所に、若草が生えている。ヤギの夫婦と4匹の子ヤギと2羽のメンドリが石塚さんについて歩く。首ひももつけず自由に歩いていく。手製の発酵飼料がお目当てだ。それを食べると畦の若草をむしりながら食む。

夢の里は、のどかな春を満喫している。生きて生きていきてゆく。豊かな春。b5e584f4.jpg


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2010年03月22日

年に一度の親類会 越後湯沢にて

257a537f.jpg最近、三年くらい前から年に一度、兄弟といとこたちで集まり泊まって騒ぐ。しかし、今年は姉二人が病気などで抜けた。年齢がかさむとなかなか全員が揃わない。

越後湯沢の大きな旅館に11名が集まり、宴会場も借りた。昼前に越後湯沢の駅に集まり、まずは蕎麦屋で飲む。午後二時には宿に入り、大きな部屋に集まりまた飲む。疲れたら温泉につかり、休む。五時から宴会をはじめて十時過ぎまで騒いだ。佐渡野浦出身だから皆芸達者。佐渡おけさ、相川音頭、両津甚句などすべて正調で聞かせる。踊りもうまい。見せられる。基本がキチンとできている。残念ながら僕はできない。

一番、驚いたのはいとこの和美がひょうきんなお多福踊りを即興で踊ったことだ。ヤンヤの喝采。うまい。

最長老は、鶴見のおじさん。81歳だ。79歳まで現役だった。巨大企業の労組委員長だった。現役を定年したあと関連会社に再就職して79歳まで営業の第一線で働いた。成績は常にトップ。その傍らテナーサックスを吹き毎年北海道に3日間スキーにもいく。若々しい。

ところが、退職してからの二年間は何もしていない。一気にガタッときた。どうも電話での会話も忘れっぽくおかしい。

再会してみると、見た目はまだ若い。一緒に酒を飲み歌った。歌も声量があり力強い。音痴ではない。
ところが、翌日昼過ぎにおばさんが新幹線の指定席を確保してあり、一足先に帰ろうとして促したら嫌がった。帰らないと言い張り、突然、両手で顔を覆う。泣き出したのだ。みんなもう一晩泊まろと言い出した。

長い間、会社の現役で働いたことはすごいことだ。気力と体力の賜物だ。だが、人生の新しい展開、雇われない生き方が始まっている。はじめて雇われない人生になると、その切り替えが大変だ。人は、カラダが健康でもこの生活習慣の切り替えには戸惑う。迷っていると元気を失う。それも優秀な会社人間だったからこそだ。

しかし、これは贅沢と言える悩みだ。普通、80歳を超えてあれだけ髪が黒く頑丈なカラダを持たない。どこか持病を持っているだろう。それが健康そのものなのだから。

おじさんは、佐渡に行きたいという。一緒に行こうという。昔、炭焼をして朝早いときからイカバにでた。荒海を櫨を漕ぎ酔ってまいった。そして村を逃げ出して都会に就職した。いま、それがたまらなく懐かしい。帰りたい。

そう、いまからでも遅くない。村に行き炭焼に挑戦だ。やればできる。やろうとそう思った。村には仲間たちが待っている。


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2010年03月17日

人の弱さと強さ 矛盾について

51fbddf7.jpgなぜ、あんなに感情的に怒ったりするかと思うときがある。他人ばかりではなく自分がである。しかし、最近はめっきり少なくなった。あまり、感情の起伏が無くなってきている。要は、年だなと思う。

最近の会社は、ハラスメント教育が徹底し社内で大声を出すなどの尋常ではない行為は姿を消した。これが起こると大きな問題となる。生協はさらに徹底している。

しかし、一昔前は、もう感情の嵐だった。熱血漢といえば聞こえがいいが、すぐ頭に血が登る。怒鳴り合いはしょっちゅうだった。それでも足りないとテーブルを叩く。さらに、つかみ合いだ。いまなら、みんな首だな。
そういうどうしようもない激しい感情のぶつけ合いが日常だったような気がする。

いまはない。
一歩引いて、ひと呼吸おく。あるいは、距離感を保ち、冷静に話しあう。職場は静かになり、若い人たちは、笑い声も起こり楽しそうにしている。働く場としては快適だ。

たまたま、いますごく輝いている若い人と話す機会があった。彼女は、引きこもりだったと話した。そんな風にはまるで見えない。リストカットまでいったという。ぶつけようのない磁気嵐のなかで中空でもがき、自分を傷める。

この話しを聞きながら、いまの若い人たちは可哀想だと思った。感情の起伏やどうしようもない激情を発露し戦う場がない。

理屈はどうあれ、1968年から1970代にかけて社会は騒然としていた。僕たちは、こぞってデモに参加した。学校と対峙し既成の権力と衝突した。危険だが、爽快だった。あれだけ暴れながら、自分たちを正しいと言い張るのだから。いまなら、とっくに抹殺されている。

さて、人間のカラダに眠る野生の血がある。脳のなかの基底部分にある激しい生である。これが、欲望を現出させ荒ぶる。
これは、本来人間が成長していく過程で暴れるものだと思う。犯罪学者の福島彰氏が、数万年の人類史で、ヒトは、採取、狩猟、栽培、飼育という生きるための食料獲得の歴史があったという。これを、生まれてから人として成長する過程で疑似的に追体験をしなければならないという。これが正常に行われないと、別のカタチででると。

子どものころ、蛇やカエルを殺した経験である。ある種の無自覚な残虐性である。

見た目、平穏だが、本当に人間的に働けているか。自分たちの組織のなかに閉じこもった平穏は、結局、もっとも危険である。激しい社会的矛盾に無自覚な組織は崩壊するしかない。

生きることの気恥ずかしい矛盾を抱えながら、生きてゆくしかない。


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2010年03月15日

日帰りの佐渡

61d29b64.jpg佐渡の実家には、この4月に91歳になる母がいる。普段の日常は、姉の娘の舞ちゃんが面倒を見てくれている。ありがたい。
しかし、土日には兄弟で順番で会いにいく。だいたい毎月一回のペースだ。

実は去る2月は、新潟まで来て佐渡航路が海が荒れ全便欠航で渡れなかった。そのまえの1月は、仕事で行けず、焦っていた。
この3月の土曜日も五時まで予定が詰まり、厳しい。東京から新幹線に飛び乗ったが、やはり7時台で船便が無い。新潟の兄のところに泊まり、朝、佐渡に向かった。

午前10時過ぎに実家に着く。昼飯をつくり、午後4時に家をでる。旅は多いが、さすがに佐渡に日帰りで帰郷したことは無かった。

行きは、まだ海は低気圧の余韻を残しうねりが大きく、ジェットホイルは大きく上下した。しかし、佐渡に着くと素晴らしい快晴だ。真っ青な空。大佐渡の雪の峰は、美しい彫刻のようだ。冬枯れの里山にも微かな春の暖かさが感じられる。土手には、柔らかい草の息吹きが見られる。

海。小さくざわめく磯に、濃い茶の海草がまつわりついている。吹く風に、海が群青色にたなびいている。

母は、カラダを横にしながらも起きてきた。しっかりとした顔。喜んでくれた。照れくさい。

なにをするでもない。ただ、こたつに入り、一緒にいる。それだけ。新聞を読んだり本を読む。近況を話したり。そうして、眠くなるとうたた寝をする。

お前たちが私のように無事に90歳を超えて生きられるように、毎日真言を唱えていると話す。来てくれてありがとう。今度、いつ来ると聞く。来月だと話す。ありがとうとまた言う。実家をでるとき、手をあわせて祈る仕草をした。感謝の念でこれ日々生きている。さすが半端じゃない長生きは、生死を超える体得をするようだ。人生の見事さ。感動してしまう。

帰り航路は、海は凪になる。夕日のなかに佐渡が浮かび、夜が追いかけてくる。夜の帳が落ちてくる。濃紺の空に一筋の飛行機雲が線を描いていった。


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2010年02月24日

複雑と単純

49a98915.jpg真夜中に起きて、考える。年を取り酒を飲んでいると、一気に朝まで寝てしまえることはまれになる。必ず途中で目が覚める。

すると、いろんなことが頭に去来する。つまらないことにこだわる。不快な出来ごとが考えても仕方ないのにぐるぐると頭を回る。腹が立ったり情けなくなったりする。そいつを、いったん脇において読みつけの本を開く。そうして、没頭しようとしていると、また眠くなってくる。

実は、夜半は大切な時だ。悩み続けた問題がふと解けることがある。そうなると、なんでもできる気になる。元気がでてくる。ぐははは。
ただ、メモしておいても、朝みると全然使えないことが多い。あんなに素晴らしいアイデアだったと感じたのに。文字も判別しにくい。

それでも夜半には素晴らしい時が訪れる。ふと目覚めると窓から輝輝と光が差し込んでいる。思わず飛び起きてみると、まんまるのお月様が中空に浮かんでいる。これを見たらなんとも言えない感動が湧き上がってきた。生きているこの一瞬。これが永遠のように感じられてくる。月光を全身に浴びながら、つい拝んでしまった。素晴らしい瞬間。

僕たちは、いつも複雑な心境と単純な喜びに揺り動かされている。それを繰り返しながら生きてゆく。


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2010年02月22日

第44回青梅マラソン

ca11985b.jpg10kmコースに参加した。快晴、実に気持ちいい。青海は奥多摩の入り口で川沿いに道がある。なだらかな坂道。

2万人が参加するが、10kmコースには6千人くらいか。スタート時間が違う。最初に走ってしまう。
道路が開放され続々とランナーが集まってくる。さすが44回ともなると年配者が多い。もう10回目だ、いつまで走れるかという60台の方がいた。スパンコールのユニフォームと帽子、陽気だ。まあ、様々なランナーがいる。僕はジョガーだ。初心者。

スタートすると、道いっぱいに広がりながらぞろぞろと移動する。ええっと思う肥えた女性も走っている。年配者のなかには鍛え抜かれた雰囲気の人もいて黙々と走る。

走るのがなにが楽しいかというと、からだが温まってくると爽快感がでてくることだ。ランナーズハイというらしい。しかもこれ以上ない快晴。山には春の装い、梅が満開。

みんなと走るとついペースが早くなる。これが要注意。普段通りのちんたら走りを通すこと。楽しみながらだ。ブレーキを効かせる。
高齢者のマラソンは、楽しみながら持続することが大切だ。距離や時間を追うとつらくなる。競争もほどほどだ。ムキになるのが一番悪い。カラダを壊す。つぶれる。無理せずカラダに聞きながら爽快感を引き出してゆく。ちんたらちんたら。ちんたら走りだ。

しかし、昔の修験者たちは1日30kmくらいは野山をかけた。何でもない。念仏を唱えながら駆け巡る。比叡山ではいまも千日回峰がこころみられている。超人だ。

超人と言えば、こちらがまだ3km過ぎたあたりで早くも折り返しランナーが見えた。あっという間にすれ違う。これはスゴい。こちらが全速力で走ってもついていけない。フルスピードだ。これで一気に走り抜ける。これは、まったく別モノだな。我々クラスのはお散歩だ。

意外に障害者の参加も多い。これは本人もスゴいが伴奏者の実力にも圧倒される。後ろからほぼ支えて走る人もあれば、2人ともかなりなスピードで走っているのもある。
市民マラソンの面白さはこうして老若男女、年齢もバラバラなのがみんなで走ることだ。楽しい。

しかし、やはりみんなにツられて自分のペースを超えてしまった。10km1時間4分でゴールした。自己最高記録。といったって記録は初めてだが。

帰り道の駅の階段はさすがにつらかったが、回復は意外に早くなった。やみつきになりそうだ。楽しい。


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2010年02月18日

阿賀野市観光戦略プランの推進

cc2afeed.jpg阿賀野市観光戦略プランの評価委員会があった。天野市長が主催し商工観光課が事務局となる。委員長は川上博治観光協会会長である。

観光戦略プランについて、推進・評価を行うもの。第1に評価・検証、第2にいろいろな方策やアイデアを提言することが求められている。

阿賀野市は、産直産地のささかみがある。ここで毎年二千人の農体験交流をパルシステムは行っている。これを企画し受け入れているのがNPO食農ネットささかみだ。最近は、冬の火祭りが催された。いま交流は農体験だけでなく、縄綯いなど地域文化や五頭登山など多岐に渡る内容へ進化している。

阿賀野市は、ラムサール条約に登録された瓢湖、そして白鳥。源泉掛け流しの五頭温泉郷、33もの観音堂など様々な見所と文化にあふれている。しかし、東京など関東では名前すらよく知られてない。

村と都市がつながること。このためには、農と村の側の発信力が問われる。阿賀野市の市民参加で幅広い発信と運動を企画していく。事務局も大変だ。
それにしても雪の五頭山は美しい。


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2010年02月17日

失われた日本 ちょっと前の日本

b488e67a.jpgずうっと考えていること。里山や海や美しい田畑。素晴らしい作物でいっぱいになっている風景。農薬や化学肥料などまったくない。生命あふれる田畑。美しい。
つまりは農が豊かに栄えることがほんとうの豊さだと思っている。

それが実は、いまも全国各地に少ないがあるとわかっている。しかし、いまさらに廃れ、激減しつつある。

またいっぽうに、暮らしを大切にし派手ではないが、良い農産物を大切に料理し、味噌や漬け物、干物、梅干しなどを手作りし子育てをする人びとがいる。美味しい料理、うまいお茶やお菓子にこだわり、食を大切にし深い味わいを楽しみ感謝する人がいる。

こういう素敵な生き方をする人びとは実はたくさんいる。それが、いつのまにか食べ物を価格破壊し添加物だらけにし均一な規格商品化してしまった。

これは、便利で安く有りがたかった。24時間空いていたし、明るく清潔で選択する目利きの技が無くても安心して買えた。

これで失われたものは大きい。失われつつあるものは深い。実に恐るべきことだ。

ではどうするか。
そこここにいるスゴい人たちがつながり、場を形成し互いに顔の見える関係を復活することだ。
これは、どうしたらできるか。
もちろんインターネットがある。しかし、現実とはちがう。やはり二次情報だ。五感、全身感応が使えない。

そこに話が舞い込んだ。銀座吉水の中川さんが仕掛ける。築地本願寺が市をたてる。その運営を任された。

ここで考えてみると、市とは集う場であり交流の場であり、情報交換の場だったのだ。
そう、もともと市場とは生産、加工、消費などから米、麦、大豆など穀類や野菜、漬け物、加工食品など多様で多彩な作物の交換の場であったのだ。

いつの間にか、市場が金だけに支配され、人びとの顔が消され、モノの深い成り立ちが消えた。

さて、築地本願寺では親鸞の命日である16日に毎月、こうした交流の場を復活させたいという。
親鸞は、乱世に生きた。世の中が乱れ人心が荒んだときに現れ支えた。

面白い。これもなにかのご縁だ。農業生産者とこだわりの食品企業と地域コミュニティービジネス支援のセカンドリーグ支援室が関わる。

新しく古い市の誕生を狙う。ちょっと前の日本。中川誼美さんのコンセプトである。スタートは4月16日からである。


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2010年02月11日

都市と結ぶ、農山村と結ぶ 内山節先生

cd768077.jpg内山節先生の短い講演。NPOあったかキャッチボール総会にて。

内山先生は東京と群馬県上野村と半々の生活をしている。いまこれが一番贅沢な暮らしじゃないかな。

先生をみていると哲学ということを考えさせられる。普通、哲学と言えば、カントやヘーゲルなど神学から哲学へという世界認識、あるいは世界理解の仕方などをいうと思う。世界観だ。正しい世界観があり、どいつもこいつも間違った世界観で生きている。だから、哲学を学び真の世界を知らなければいけないと。

ところが彼は、哲学をそういう文脈では語らない。いや、ただ言葉で話すだけでは終わらない。日本の昔の暮らしかたに哲学するのだ。

たとえば、作法という言葉。農の作法。つまり単なるアタマのうえの表現でなく、カラダの使い方や人びとの関わりかた、自然とのなりわいのなかに哲学を見る。哲学する。
これをもって、このことから現代資本主義を照らしだす。批判ではない。批判にとどまらず、人びとの価値を掘り起こし輝かそうとする。

上野村には鉱泉宿があった。いくばくかの宿賃で逗留する。しかし、この宿が市場になりモノが交わされ情報が伝わる。とりわけ、種だ。作物の新品種。これが最も貴重な交換品だったという。

ここで主に情報流通を担ったのが修験者などだ。そして人びとの山岳信仰だったという。山岳信仰は講をつくり、この小さな講グループが無数に集まりまた講になる。最も大きなものは富士山講、善光寺講、伊勢講の三つ。講は自然信仰だけでなく実は娯楽でもあった。そして、村と農山村を結ぶものであった。
そこで、現代にこの講を蘇らせないかという。村と交わすもの、旅、医療、教育などなど。それも専門領域の高度なものだけでなく、ほんとに相談するレベルでもいい。農山村と都市側が相互発掘しつなげる能力を育んでいく。安心感を育てていく。


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2010年02月10日

NPOあったかキャッチボール総会と内山節先生

9e31a4ca.jpgNPOあったかキャッチボールは農と都市を結ぶ。グリーンツーリズムを企画・運営している。特にパルシステムの「産地へ行こう」ツアーの業務委託を担っている。
この総会が開かれた。「産地へ行こう」企画数16、695名の実績。このなかには「子どもだけの岩手奥中山サマースクール」もあり実に多彩な企画内容だ。すでに6年くらいの蓄積がある。大きな事故はなく参加者には好評である。

また、自主企画として各地の農業者や行政と様々な企画を組み立てている。9企画90名と小規模で軽米町エゴマツアーなど濃い内容で企画している。

理事長は小林勢以子さん、パルシステム東京の元理事。この総会にはパルシステム東京から現と元理事長も参加された。パルシステム連合会理事長も参加している。生協組合員と産地を結ぶツアーは苦労も多い。

企画が良いとリピーターが多くなるのはありがたいが初参加者とのギャップに悩む。単なる旅行者とは質が違う。子どもたちの引率や田んぼ畑のリスクもある。そして、委託費もほとんど実費しかない。儲からない。

総会の前に内山節先生が短い講演をした。NPOの理事は小林さんの他、内山先生と山形県の農業者の栗田さんの三名。栗田さんは様々な活動をしている。日本の楓でメープルシロップを作っている。
都市と農をつなぐのは言うは安し行うは難しだ。一年中、旅を運営するのは本当に好きでないとできない。これがあることが、何よりもNPOあったかキャッチボールの強さだ。すごいことだ。


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2010年02月04日

残雪 身体思考

9bc0fb19.jpg珍しくまだ雪がところどころに残る。この冬一番寒い朝という。
だが、例によって軽い走りをすると、この寒さがむしろ気持ちいい。

最近、内田樹氏の著作に凝っている。彼は、現代人には珍しく頭や知識だけで思考しない。自分のカラダを通して考えている。
神戸の女子大の先生だが、大学教授におさまらない。合気道を教えているという。

合気道は、闘う相手を敵という概念ではとらえない。相手のカラダや呼吸や力を感じながら、その力を借りながら共に組み立てる。つまり、変な話しだが協同作業だ。こういう技を身に付ける修練を積む人は違う。頭とカラダのバラバラ感を知っている。
内田先生の思想はこういう感じがする。

佐渡の野浦村の文弥人形がそうだ。一年中練習している。重い人形をひとりで操る。これが78歳の北野さんに20歳台50歳台の男がついていけない。人形が重くて動かせないのだ。

何が違うか。カラダが違う。筋肉や思考が違うのだ。技を修練するとこれができる。この後期高齢者に若者がついてゆけない。筋肉の強さではない。動きが違う。神経回路も違うと思う。

自分を知ること。この自分をわかることが実はわからない。自分という他人を理解しなければわからない。自分という肉体と意識。

だいたい、自分の頭がさもすべて自分を統率しているかに誤解している。その結果、浮ついた情報や知識に惑わされる。欲をかく。マスコミに踊らされる。誰か悪者がほかにいて邪悪な社会を作っている。そういう悪い連中を打倒すれば世の中は良くなると。

だが、技を磨いて修行を重ねている人はまるで違う。なんかこう独特の視界が開けている。普通、見えないものが感じられる。わかるのだ。問題は自分自身にある。社会の歪みは自分のなかにある。

カラダのなかに宇宙がある。深く広く繊細な細胞たちのネットワーク。こういう不思議な生き物のなかに自分がある。これを感じながら動いてゆく。ここをマスターしないと宇宙の扉はまだ開いてはくれない。


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2010年02月02日

関東の雪

423c596f.jpg昨夜から降り続けた雪が積もった。早朝、新百合ヶ丘のあたりは雪景色である。
だが、雪は水を含んで溶けやすい。滑りにくい。小田急線も平常通りだ。

だが、山梨の県境あたりはどうだろうか。スタッドレスでも大丈夫かと思う。

すでに歩道を一人で雪掻きしている人がいた。雪掻きは見た目よりキツい。意外に力仕事。数分で腰にくる。実家の母を特養に入れようかという話しの発端は雪での孤立だった。雪掻きが大変だからだ。しかし、関東は少しの雪で大騒ぎだが、せいぜい年明けから数回程度しか積もらない。
歩道をひとり雪掻きし通勤者を助ける。誰も感謝の言葉をかけない。だが、感謝されるためにしてはいない。自分でしたいからしていると思う。これが偉大だ。究極の個人主義者。ゴミを拾う。道を掃く。片付ける。

誰のためか。ただ自分がそうしないと気分が悪いから。

こういう人が意外に大勢いる。地域や組織やそこここに。別に得ににもならないことに見える。感謝されることも誉められることも必要ない。ただエゴイストでワガママなのだ。人には迷惑だけはかけない。

夜半に降り続いた雪。家家の屋根を覆い、道を埋める。雑音を吸収し街を雪景色に染め上げてゆく。

まだ寝静まった街に、あちこち雪掻きの人びとがいる。そして、祈りを。


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2010年01月30日

小春日和と雑木林の小道

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たまの休みに軽くジョギングしながら丘の小道をゆく。
ありがたいことに、雑木林を保存し小道を残している。木もれ日のなかフカフカした山道をゆくのは、とても気持ちがいい。

道にはモグラの掘った痕がある。懐かしい。枯れ葉が重なりカサカサと鳴る。コナラなどの落葉樹は冬枯れで透けているが、足下は笹の葉が繁っている。

登り坂も下り坂も無理せずゆっくりとゆく。時々、チチッと小鳥たちが鳴いて飛んでいく。

都会のなかにも、こんな雑木林があることが嬉しい。a35ef56d.jpg


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2010年01月22日

ちんたら人生と飲み過ぎた朝

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ハーフマラソンを完走したというと、なんかいかにもスポーツでひたむきに練習しているかに見られる。誤解だ。そんなことは似合わない。

毎日、出勤で駅まで軽いジョギングをしている。走っているなんて言えないレベル。まるで多々良を踏むように軽く足を刻む。早足で歩く人には追い抜かれる。息が苦しくなるようではダメ。足が痛むようでもいかん。かーるく軽くだ。気持ちいい。少しだけ負荷をかける。ホンの気持ちだけ。苦しくなるちょっと手前。この気持ちが大事。

あと、寺下さんから教えてもらった階段使い。エレベーターやエスカレーターは使わない。全て階段。これもゆっくりと登り降りる。苦しくならない程度にだ。ゆっくりといけば誰でも何階でも上がれる。

こういうことを半年くらい続けていると習慣になる。何でもなくなる。最初はこのレベルでも100mが出来なかった。やはり走ってしまい、息が切れる。心臓がバクバクした。つい、走ってしまうのだ。これがいかん。ちんたら走りだ。

カラダは自分のものだと思うと間違いだ。カラダは誰か余所の人間だと考えたほうがいい。カラダは正直だ。苦しいことは嫌いだ。美味しいこと、楽しいことが大好きだ。だから、少しでも苦しいことを嫌がる。やりたがらない。だから、カラダを上手く騙さないといけない。楽しいぞと。

するとまた走りたくなる。しかも、次第に欲がでて長く遠く走りたいと感じるようになる。これが頭ではダメだ。カラダ自身がそう感じるように持ってゆく。すると小一時間でも平気なだけでなく楽しくなる。気持ちいい。

こういうちんたら走りをしていたら、最近NHKの「試してガッテン」でスロージョギングの効果が証明されたと放映された。

運動科学でやりすぎは逆効果だという。脈拍や血圧で一番効果のあがる負荷レベルがあるという。
しかし、それは図るまでもない。
苦しいと楽だの間がそれだ。カラダにはそれが一番いい。負荷レベルをやりすぎないこと。楽しみながら続けられること。毎日の日課にすること。飲み過ぎたら汗をかく。汗をだす。

そうしてやがて、ハーフをフルマラソンを走れるようになる。カラダが軽く、ハイな気分で走り抜けられるようになる。早朝の道端の水仙。美しい。5e784c5b.jpg


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2010年01月20日

内田樹「日本辺境論!と歴史 身体性

9b12d64f.jpg日本人論がなぜこんなに日本では盛んかと問い、いつも「きょろきょろしている」と丸山真男を引用する。
他の国との比較で判断するクセが染みついている。いつも外から先進的な考え方ややり方を導入して日本的に変える。この変えるやり方は変わらない。

ここまでは、誰でも指摘する日本人論じゃないかと言われそうだ。だが、内田氏のユニークなところは、この「民族的奇習」を治すのは、掃除のようにやらなければならないと指摘することだ。要は気づいた足元のゴミを拾うこと。徹底的にやってはいけない。

日本は、その名の通り「日の本」でどこから見たら日がでるか、と述べる。つまりは中国から見た名前だという。この中国との関係のつくりかたを、「知らないふり」で表している。無知ゆえの華夷秩序を知らずというふりをして好きにふるまったと。

この本は中味が濃すぎて要約が難しい。以下刺激的キーワードを目次から引用する。

ロジックはいつも「被害者意識」
便所掃除がなぜ修業か
学びの極意
「機」と「辺境人の時間」
敵を作らない「私」とは
肌理細かく身体を使う

わからないけれど、わかる
「世界の中心にいない」という前提
日本語の特殊性はどこにあるか
日本語がマンガ脳を育んだ

さて、また政治が激動している。いつも政治は政治として激動せず事件として激動する。マスコミとともに。
この社会が変わるためには、実は一人ひとりが徐々に変化すること。これが真の変化だと思う。いっぺんに上から変わることではない。積小為大。


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2010年01月15日

生物に学ぶ 「池田清彦の『生物学』ハテナ講座」

cdc43502.jpg生物多様性について、種の多様性が問題だと思っていた。それはいいのだが多様性には三つあるという。ひとつはこの種の多様性。そして種のなかの多様性。例えばヒトでも様々な形態があるように。人種と言ってもこれは種ではないが。
もうひとつは、生態系の多様性だという。だから、一つの種による一種類の生態系は多様性を失っている。これは環境変化に弱い。

面白いのは、生物分類でどちらも当てはまらないか、どちらにもかかるようなものが意外に多いこと。まあ、無理やり分類しているのだからムリがでてくるのは仕方ないが。

それと、生き残るのは必ずしも環境適応したものとは言い切れないこと。長い歴史と素早い変化をとげる大腸菌が、効率的で環境適応したものが残ったかというと、そうでもないらしい。今になっても実験室で最適化とみられる変異をするという。何億年も生き残っているのにだ。

生物の存在方法はなかなか一筋縄ではいかない。ある種いい加減なところがある。キチッとしていない。

そういえば、HIVエイズだ。免疫不全というヒトにとって最も嫌なウイルスだ。こいつはDNAではなくRNAという遺伝子の転写物でできている。これは他の細胞に入りこみ増殖して破壊する。これに免疫が効かないのはRNAの複製がいい加減で絶えず少しずつ間違えるため、前のを認識した免疫が今度は見失ってしまうからだという。これが厄介だ。

犯人が次々に別人に変わるので免疫がついていけない。

このいい加減さは、何だろう。もし、生き残り戦略とすると高等だ。だが、そうでなくたまたまだとするとスゴいことだ。しかし、エイズと言えども、生き残るためには宿主を絶滅させては続かない。もうすでに、かなり死なないヒトや発症しないヒトが増えているようだ。

生物界の多様性は、実に深い。まだまだ分からないことだらけ。問題は人間の認識が、さも合理的で科学的に生物界を理解し言葉ですべてわかったと思ってしまうこと。生物を理解するには、人間も五感を使い様々な関係性のうえに、ホンの少し自然のことがわかることができるのかも知れない。


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