読書

2012年06月12日

議論と実践 と多様性 副島隆彦著「日本の秘密」を読む

副島隆彦著「日本の秘密」がおもしろい。戦後日本の軌跡をアメリカとの関係で読みとく。

大雑把に言えば、マッカーサーとニューデーラーたち。コッポラ監督のベトナム戦争を描いた地獄の黙示録。あの原住民に君臨するカーツ大佐。これはマッカーサーがモデルだという。自分が王となり理想国家を建設する。その優れた神官たちがアメリカのケインズ派ニューデーラーたち。そして平和憲法と軍事同盟と地位協定。これで従属国の永続化。

ただしマッカーサーを追い落とすCIAと冷戦構造。アメリカの政争。アメリカの政治潮流。これがおもしろい。西洋思想史の凝縮。

リバタリアンとネオコンの違い。ネオコンはトロッキー主義から。世界革命。ソ連スターリン主義の打倒。ライス国務長官の卒論はソ連赤軍の研究。ほかにも代表的論客は学生時代第4インターだ。

リバタリアンはアメリカ開拓時代以来の農民思想だという。国家などいらん。自分で身を守り武装し生計をたてる。福祉も余計だ。一歩間違うと排他的地域主義、アナーキー。

こういう潮流に対して自然法主義。そしてヒューマンライツ(人権派)。さらにアニマルライツ(環境保護派)これらがある種原理的に徹底化し政治潮流を対立的に形成されているという。

さて日本は吉田茂を頂点とした官僚政治と党人派と分ける。吉田学校。吉田茂は複雑だ。もとは外交官でイギリスヨーロッパ派。しかしアメリカ占領でアメリカ派になる。面従腹背。

対して政党人脈。鳩山一郎、石橋湛山など。政権握るもロシア平和交渉と外国との等距離外交で失墜。似てるな。

問題は全学連と安保闘争。田中清源。CIA。島成郎。ヤクザの抗争。山口組と田中清源。全学連資金問題。要は世界革命が、いつの間にか岸政権打倒の一転に変わる。政争の具。とされる。

たしかに姫岡玲二こと青木昌彦が安保闘争に敗北してアメリカに留学するシーンがある。当時まだ海外渡航もドル安保有も許され無い時代。それも有名な全学連指導者が大使館に出入りして渡航し大学に入る。超優遇策。

ただしそうだとして全学連うんどうのおもしろさは変わらない。政治史観は時として指導者論になり政治思想史論で括られる。これがいかん。するとアホな民衆と優れた思想家による政治や国家論に転落する。そうだろうか。

副島隆彦は思考実験としておもしろい。タブーを破る。自衛隊の存在。福祉国家論批判。アメリカ従属論。差別論。「欺瞞的」に見える種々の正論を論駁する。これが刺激的。劇薬。

インドにヨガがある。日本に禅の思想。それは身体と心の統合。知識は誰のためにあるか。

すべては自分にある。肉体という宝石。宇宙。

大衆とはだれか。大衆を操作する人は大衆に操作されている。無自覚なエリート思想。だがおもしろい。



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2012年05月25日

「せいめいのはなし」福岡伸一 を読む

福岡伸一さんて本当にすごい。分子生物学者。いまは科学者にとどまらない。社会学者というか形容で来ない。

今回、4人の方と対談している。男性は内田樹氏と養老孟司氏。この二人は突き抜けている。好きな人たち。女性は知らなかった。川上弘美と朝吹真理子さんだ。

内田氏は例によって事象の原因について話している。動いている現実を切り取り、過去をその現実に合わせて改ざんする。原因を問うのは時間の無駄だとまでいっている。さらに分子生物レベルで起きている個々の細胞のふるまいと、社会活動のレベルで起きている個々の人間のふるまいの間には構造的な相同性があるという。極小の世界も極大の世界も、人間はその等身大でしか理解できない。分子生物学者が顕微鏡の向こうに見ているのは科学者自身の自画像なのではないか。



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2012年05月11日

神々の黄昏 通貨について 浜矩子を読む

「通貨」を知れば世界が読める。に続く「通貨」はこれからどうなるのか。この両方を読んだ。PHPビジネス新書。

2008年のアメリカの金融破綻の露出。リーマンショック。経済危機における国家財政による防護という第一の防御壁が崩れた。そこで第二レスキュー隊の中央銀行FRBのなりふり構わないあがき。ドルの濫造乱発。各国の協調支援(日本最大)。

ギリシャの国家破綻。それへのEU支援。ヨーロッパ中央銀行ECBの不良債権買取。ECBの危機へ(モラルハザード)。そしてイタリア、スペインへの波及。

そもそものユーロ単一通貨圏の成立条件の二つ。「経済実態の完全収斂」物価、賃金、金利、失業率など経済実態が完全に同じであること。これがない。

そして「中央所得再配分装置の存在」富める国から貧しい国にお金を配分する。購買力の差を埋める。こうして通貨の流動性を保証する。これもない。

この両方がヨーロッパには欠けている。そこでドイツの一人勝ち。貧しい国はますます貧しくなる。自由貿易。

EUまでの過程。第二次大戦後の最大課題。ドイツの封じ込め。チャーチルの助言「統合すべし」。ドイツとフランスとの争いの根底の「資源」であるアルザス・ロレーヌ地方。欧州統一への端緒。欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、そして欧州経済共同体(EEC)、欧州共同体(EC)、そして欧州連合(EU)、最後に単一通貨ユーロの誕生。これが逆に格差を拡大。ドイツの覇権となっていく。

アメリカと日本。アメリカの衰弱。

大戦後アメリカの一人勝ち。1944年ニューハンプシャー州ブレトンウッズで連合国の通貨金融会議。ドルが共通基軸通貨に。金本位制。1971年ニクソンショック。金ドル交換停止。各国通貨とドルのレート変更(スミソニアン合意、円360円→308円)。変動相場制へ以降。レーガノミックスによる大規模財政資金投入と大幅減税。インフレ圧力。FRBの量的引き締め。金利大高騰。1985年プラザ合意。ドル高是正(250円→100円)。1987年ブラックマンデー。1990年代後半ニューエコノミー標榜。金融業の発達。そして2008年リーマンショック。バーナンキによるマネー供給。ドルの世界ばら撒き。借金大国。そして・・・・。

日本の問題。財政規模92兆円。税収40兆円。国債発行等借金44兆円/年。国、地方の公債残高800兆円。国家財政の破綻。しかし「対外純資産残高」(海外債権−債務)250兆円。国富(国・企業の資産−負債)3000兆円。世界一の富める国。日本の経常収支9.6兆円。内訳は2011年度貿易収支は初めて赤字1.6兆円。サービス収支赤字2.8億円。しかし所得収支黒字14兆円。お金持ち。

かつ公債のほとんどを国内金融機関などが持つ。自国内負債。

ただしそうは言っても国は破綻する。金融機関の国債の不良資産化懸念。財政の建て直しは歳出と歳入の一体化。歳出は何が問題だろうか。

国の破綻。デフォルトのイメージ。1997年韓国。IMFの管理。財閥の解体。極端な緊縮財政。国民へ資産拠出強要など。

ヨーロッパの多様性と地域通貨。「ソル・ヴィオレット」フランスのトゥールーズ市。市とNGOの共同開発通貨。ジャンポール・プラ市議。「国も欧州も、我々が暮らす生活圏を救ってはくれない。それならば自分たちで通貨をつくり、公平な経済を育てたい」。市はソルを失業支援施設に直接配る。ユーロからソルへの切替奨励。

地域通貨の元祖シルビオ・ゲゼル(1862〜1930)ドイツ生まれ。実業家で経済学者。他のあるゆる財が時間で劣化するのに、通貨は逆。利子によって価値が上がる。だから溜め込む。金儲けを目的化する。そこで「スタンプ通貨」を発案。法定通貨との互換性。ただし期間と共に減価する。ながく保持すればするほど減価する。いわばマイナス金利。

スイスのヴィア(WIR)。中小企業の互助組織。70年。6万社の加入。投融資に使われている。じつは国境も国籍も関係ない。いまこのような地域通貨がヨーロッパで勃興している。日本でも地域通貨の実験が各地で取り組まれる。ただしその場合お金の特性(金利と溜め込む)を破壊する性質が必要。実体経済を、関係性を、富を生む協同性を促進する性質をビルトインしなければならない。

グローバルということ。通貨はもはや各国の駆け引きではダメだという。グローバルな状況ではアメリカのために日本が犠牲になってもアメリカも日本も救われない。むしろ実態に合わせた円ドル関係にじっくりとすすめる。一ドル50円が妥当だと浜さんははいう。

地域通貨。多様性。を語るだけではない。デフレ脱却は価格を上げろという。なるほど。賃金を下げ、価格を下げ、金利を下げても縮小均衡で経済は破綻する。だからシュールな提案をという。まさに賀川豊彦のいう人格経済。生産、加工、流通、消費の協同による新たな経済の展望は、価格が安いことではない。

シッポが犬を振り回す。お金は本来人々の経済を豊かにするもの。それがいつの間にかお金のために経済がある。

浜さんの引用。リヒャルト・ワーグナーの歌劇「ニーベルンクの指輪」。指輪をめぐって神々と人と妖精と小人たちが争う。しかし最後は神々も人も滅びる。後には何が残るか。ニンフ(妖精)たちの笑い声。すべてが洗い流されて指輪が残る。その指輪は権力や魔力の復活ではない。ただのおもちゃ。単なる楽しいおもちゃなのである。

我々はどこへ向かうか。何を求めて。



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2012年05月08日

動きが心をつくるー身体心理学への招待

青木豊著作。心がどうやって発生するか。おもしろい仮説。

動物が環境に対応して動く。例えば水分を求めて細菌が移動する。水分がある状況を感触しそれに対応した動きをする。

ネズミに音で条件付けして電気ショックをかける。そして避難部屋に逃げられるようにする。すると電気ショックの状況を記憶して音なり光が起こると避難部屋に逃げる。電気ショックの痛み、音の記憶。逃げる動作。避難部屋の存在。これが関連づけられて記憶され、避難行動へと動く。安全な退避部屋での満足がこの記憶を持続させる。

人間が熱いヤカンに触れる。手が考える前に直接反応する。手は脳の指令を待たず自分で動く。熱さと接触し感触したら皮膚から手に伝わる。手は避難する。その後に脳が理解する。熱いのでわしが指令して手を引っ込めさせたと。違う。手自体が反応した。この避難行動の記憶。

筋肉反応。自律筋肉。勝手に動く。脳の指令なんて当てにならない。自分たちで動いている。心臓、腎臓、肝臓、胃腸、腸など。これは脳の運動指令とは無関係にそれ自体で動く。おもしろい。

随意筋肉。足や手。顔。この辺は意識的に動かしている。つもり。しかしこれも無意識に動くのも多い。また横着。すぐ動きたくなくなる。年をとると。若いとこれが無意識に動きたくなる。子供たちの動作。走りたい。飛びたい。跳ねたい。叩きたい。活発化。

さて無意識と意識的操作の両方がある。肺呼吸。普通は無意識だが意識的に呼吸することもできる。無意識を動かす。

感覚の大切さ。暗闇という光反応の遮断。無音、音の感覚の遮断。皮膚感触、この切断。すると感覚が遮断されると動作も遮断される。感覚がなくてどうして苦しいや悲しいが感ぜられるか。それが失われる。すると意識の不在が起こる。環境反応の切断。心が無くなる。

そこから逆に、心が豊かになるためにはどうするか。身体心理学。身体が心をつくっていることを理解する。そして身体を使う。体を操る。心を操る。

顔面筋肉。顔面神経。嬉しいと目元口元の筋肉が緩む。直接反応。笑い。微笑む。これを使う。操作する。笑うと豊かになる。嬉しくなる。そんなバカな。ではやってみよう。声もだそう。身体も動かそう。

血圧。心で下げる。落ち着くこと。ゆったりとした気持ち。動きでも下げる。呼吸だ。深く静かに吐く。それだけで下がる。下がりグセをつける。

血管。廃用性萎縮。使わないと劣化する。末端細管は運動しないと無くなる。詰まる。すると圧があがる。また、血流を時々激しくしないとオリが溜まる。血管壁に汚れがこびりつく。高血圧。動かないと血管が脆くなる。無理しない運動。

心は身体に反応する。だから身体を楽しくする。体を豊かにする。顔をおもしろくする。楽しそうにする。ご機嫌よう。笑う。無意味にも笑う。

病気、不安、不幸せ、孤独、敗北感、ダメ人間。みんなそうだ。そのとき身体はもうひとつの自分であることに気づく。60兆個の細胞。網の目の神経。網の目の血管。リンパ。そして気の流れ。それを知り感得しうまく合わせる。動きを認識する。

なお、これは青木豊の著作の要約ではなく、この本を読んで思ったことだ。



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2012年02月08日

宗教について 五木寛之「親鸞」を読む

五木寛之の親鸞がおもしろい。激動編。親鸞が越後に遠流の刑になってからの物語。その周辺の人物像の造形。生き生きとした庶民的語り。こ難しい宗教論よりよほどリアルに宗教の原理が伝わる。昔、村に来た紙芝居屋さんのようだ。登場人物になりきれる。漫画の源流。映画のシーン。

さて、ではそこに描かれる宗教とは何か。

それは乱世の世界。貧しく弱く病者や乞食、売春婦など底辺の世界。河原に生きる流れ者の世界。そこに降りていく。そして里山の世界。物語。

それは自己との葛藤。真理の探求。そう真理とは何か。生きることの意味を考えること。僕たちは何処からきて何処にいくのか。なぜ死ぬか。死とは何か。

一人ひとりその意味は違うと思う。だから真理は一人ひとりに有る。その肉体、その心。そしてそれを取り巻く人びと。家族。友人。地域。社会、自然。その複雑なネットワークの中心に人はいる。その豊穣の海に生きている。その豊かさを感じること。それとも海は孤独な断絶の暗黒と映るか。その違い。同じ現象をまるで違う受け止め方。心のありよう。それは人の心の動きにある。身体の中に有る。

宗教はいつも原始的であらねばならない。単純でわかり易くある。ただし頭脳ではなく肉体的感情的で有ること。原始脳によるもの。激情的にある。

そして協同とは何か。

自分と他者の真のつながりを意識すること。他者の痛み、苦しみ、哀しみを感ずる。しかしどうすることもできないこと。その痛みを抱える。それに進んで近づいていく。

無力さと非力。抗うこと。一歩づつ歩む。泥の中でもがく。少しづつ手探りで進む。やがて朝が来る。神殺しの現代。失ったのは神だろうか。



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2012年01月23日

人間とはなにか

日曜日の夜のNHKスペシャル。「人間とはなにか」がおもしろい。4回シリーズの第一回。

人類が誕生したといわれる20万年前のアフリカ。その南アフリカの希望峰の10万年前の遺跡が注目されている。発掘された小さな貝殻に、規則正しい穴が穿ってある。首飾りだ。いくつもの貴重な品々。そのひとつに紅い四角い石。なにげないその石の表面に削った跡。化粧紅の削り跡だという。

この意味。これらは10万年前の人間が、単に自分を飾っただけではないという。それだけではなく仲間の印とした意味があるという。家族だけでなく集団を形成し、その証とした。それはいまのネイティブにも受け継がれている。母親が娘の制作した首飾りをいくつもつけている。これが10万年から続いていると推察されている。10万年もだ。ものすごい。アフリカクラスになると桁が違う。すごい。

そのころ、たかだが2万人位しかいない人類に絶滅の危機が訪れる。7万年前。インドネシア火山の爆発と噴火。こいつも桁が違う。距離100km以上、幅30kmの連続大噴火。凄まじい。そしてその噴煙が地球を覆う。大寒冷が襲う。植生が激変する。飢えと寒さ。生存の危機。

さて、チンパンジーと人間の違いを京都大学類人猿研究所から最新の実験が紹介される。あのサル学である。二頭が互いに見えるように隔てた部屋にチンパンジーを入れる。その一頭に囲いから杖なら取れるようにジュースを置く。隣部屋のもう一頭にその杖がある。互いの協力によって一頭がジュースを得ることができる仕掛け。もちろんチンパンジーはこれを達成する。しかしよく見ると常に最初の一頭が杖を要求しなければ協力はしない。チンパンジーにとって協働に見える行動は、じつは他者の要求に従っただけだという。個別的でしかない。

さらに粘菌の行動が紹介される。たくさんの粘菌がウヨウヨと映し出される。そこでエサとなる養液を枯渇させる。死滅の危機。するとなにが起きるか。一斉に集合して多細胞体を形成し、キノコのように胞子体を作る。そして胞子をばら撒く。これによって絶滅を回避し拡散する。だが協力は同じ類の粘菌でもDNAがまったく同一のものでしか起こらない。粘菌はじつに多様なDNA集団をもっている。

さて人間の行動である。世界中の国で科学者たちが協力しある実験を行った。アメリカ、アジア、ヨーロッパの街角で。遮蔽した車に被験者が入り誰も見ていない条件で、金銭を預けられる。それを全部取得してもいいし他者に全部与えてもいい。それを被験者によっては全部自分のものにする人、全部他者に上げる人などいるが多数の人の実験の積み重ねを平均すると集合的人間の行動がわかってくる。結果は、国や民族にって異なったか。じつはほとんど差異無く50数パーセントが自分へ、残りが他者へとなった。アメリカなんかすべて自分だと思っていたら大間違い。日本より他者への分ちが多いくらいだった。おもしろい。

大震災で日本人が他人のために犠牲的行動することが話題になった。しかしこれは日本人固有の特性ではないと以前も紹介した。最新の大災害における研究の結果、どこの国でも、どんな民族でも他者のために犠牲的に振舞う人が多数だと言うのだ。すごいでしょ。

一人は万人のために、万人は一人のために。とは決してきれいごとでも難しいことでもない。本来の人間に備わったDNAそのもの。そして7万年前の彼らは、ぼくたちの祖先は、アフリカからの拡散の旅にでた。グレートジャーニーである。

ある日の朝飯。ぐはははは。



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2011年11月25日

スティーブ・ジョブズの凄さ

スティーブ・ジョブズが亡くなってあらためていくつかの本を読んだ。彼が認めた公式のものが一番いい。特に第一巻がジョブズの複雑でエキセントリックな性格がみっともないくらい描かれている。そして二巻は革新的事業の展開。ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳。講談社。

ヒッピーで禅に耽溺する。インドへも放浪する。完全菜食主義。裸足でローブだけで歩く。そしてボブディラン。おまけにLSD。女性の妊娠と別離。子供の認知の争い。

そもそもジョブス自身も若い母親に捨てられ養子で育てられている。深い愛情への渇望とその逆の冷酷、残忍さ。その支配欲と涙モロさ。嫌なやつだ。それに比して共同創業者のウオズニアックの技術天才性と純真さ。

ジョブズの事業への関わりは三段階に分ける。第一段階はアップル創業とマッキントッシュ開発。そして自ら招いたスカリーCEO(ペプシから)に追い出されるまで。第二はコンピュータ会社ネクスト創業と映画会社ピクサー創業。ピクサーはあのジョージルーカスの映画会社のコンピュータグラフィック部門からである。ネクストはアップルでやりたかったコンピュターの徹底追求。これが機能に凝りすぎて事業的に失敗する。しかしピクサーはアニメーションの芸術家たちとコンピュータの統合による革新的な映画を創造した。ディズニーと組んでトイストーリーから始まるアニメのメガヒットを産んでいく。コンピューター技術による映像の革新。

第三段階はそのネクストがアップルに買収されるカタチでアップルに帰り咲く。そしてiPodからiTunes、そしてiPhone、iPadと続く革命である。

コンピュータにおける結節点

巨大化高機能化から小型化個人化。マイコンピュータへ

コンピュター業界は、ハードとソフトの分離と専門化とその低価格化が進む。これに対抗するアップルはハードとソフトの統合。当初はIBM帝国への戦い。続いてDELLの価格破壊コンピュータとの戦いである。同時にオペレーションソフトを占有するマイクロソフトとの戦い。GUIと言われるアイコンなど具象化デザイン化された使い勝手を重視する機能性。優れたシンプルな機能美。

徹底した価値の追求。一切の妥協を排する。ためにたびたび人を罵り傷つけ排除する。独裁者。クリエーターの特徴。マネジャーではなかった。しかしピクサーあたりから創造的会社を作っていく。

芸術と技術への畏敬。その追求。シンプルで機能的。デザインへの執着。デザインは物の本質を表現する。それを分かっている。

ハードとソフトの統合にこだわったアップルだけができたマイクロチップを介したネットワーク。そしてソニーにできなかった音楽や映画配信。無料化は芸術家の著作権を侵害し芸術を廃れさせるとあのヒッピームーブメントのジョブズが話す。世界を変える。これが変わらぬスティーブ・ジョブズの熱い情熱。世界を変える。

アップルのコンセプト「think different」そこに並ぶ顔、ガンジー、キング、ディラン、ダライ・ラマ、ピカソ、レノン、チャップリン、ファインマンなど。

彼はマイクロソフトのiPad偽版ズーンをこう語る。僕は年を取るほど、モチベーションが大事だと思ってきた。ズーンがお粗末なのは、マイクロソフトの人たちがアップルと違って音楽や芸術を本当は愛していないからだ。アップルが勝ったのは、僕ら一人ひとりが音楽を大好きだったから。

ジョブズとケンカして交代したディズニーの元CEOアイズナーについて。頭が良くて冗談も上手・・・・でも彼には暗黒面がある。自尊心に負けてしまった。と言う。彼は、おかしくなるリーダーについて、儲けるため、あるいは度し難い自尊心、妬みなどが暗黒面として指弾されている。しかしスティーブ・ジョブズの世界こそ矛盾的存在そのもの。そのただ中でとてつもない熱さを維持し続けた。

ジョブスは語る。アップルのDNAには、技術だけでは不十分だと刻まれている。我々の心を震わせるような成果をもたらすのは人間性と結びついた技術だと、我々は信じている。ポストPCの時代の機器は、ずっと直感的に、ずっと簡単に使えなければならない。PCなんかよりもずっと緊密に、ソフトウエアとハードウエアとアプリケーションが寄り合わされていなければならない。そのような製品を作るという面で、僕らは、正しいアーキテクチャーがシリコンはもちろん、組織にも組み込まれていると思うんだ。

では世界を変えるためになにを学ぶか。この天才に匹敵する集合知。それはほれ込むこと。愛すること。徹底的にこだわり続けること。深く。深く。

生産と消費、アジアと西洋、ハードとソフト、合意と反抗、孤独とコミュティ。自立と協同。競争と共感。



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2011年10月14日

ジェオゲノム・プロジェクト 安田喜憲

安田喜憲先生である。この間、時代の転換期を意識し新たな文明を構想されている。生き方や価値観をはじめ社会や経済のあり方を転換する 。このために過去の文明の研究をされている。

巨大災害の時代を生き抜くージェオゲノム・プロジェクトーという書名だと誤解される。いまの大震災の話かと勘違いするが、その話では無い。過去の文明がなぜ起こりほろびたかを気候変動や環境激変から読み解こうとするもの。

地球規模の環境変化をまず捉える。そしてそれが人間社会にどう影響を与えたかを調べるのだ。グリーンランドの氷河、この厚さ3千メートルに夏と冬で色の違う年輪のような縞模様がある。過去20万年。この酸素の安定同位体比の測定で一年単位の精密な気候変動がわかる。その結果、たった数十年で劇的な変動があることがわかった。これに人間の歴史を当てはめてその変動を探る。画期的な地球史。

ところが安田先生たちはさらに氷以上の高精度で環境史を復元することに成功した。湖底に堆積する「年縞」である。一年一年湖底に堆積した年輪で正確に年代測定できる。しかも氷と違い花粉、珪藻、プランクトン、ダスト、大型動植物遺体、粘土鉱物など多角的に復元できる。過去の水温、水質、水位はもちろん潟湖なら海面変動さえわかるという。

こうしてわかったこと。地球環境史で文明史を読み解く。

グリーンランドやヨーロッパの気候変動と東アジアのそれは違うということ。そして地域によって気候変動に時間差があることがわかった。気候変動はおもにモンスーンアジアから始まる。アジアが変化してヨーロッパなどに波及していく。気候変動の影響によって農業や土器作りなど人間社会がいやおうなしに変化していくのだ。

おもしろいのは歴史的事件の謎がわかってきたこと。渤海国の滅亡(926年)は白頭山の大噴火が原因と思われてきた。この火砕流の炭素年代測定では920年にプラマイ20年だった。だから東洋のポンペイといわれた。ところが秋田の日潟の年縞分析に結果、白頭山の大噴火は937年だっことがわかった。滅亡の後だった。そして920年から925年が著しい寒冷期だったことがわかった。これがひとつの要因と考えられるという。

こうして安田先生たちは、地球環境史を解明して文明の勃興と衰退を関連づけ人間の歴史を再考していくこととなる。

環境史を深く捉えると、気温、乾湿、雨、水、川、森、動植物などと栽培。農業などと都市国家。

また都市も音や匂いも関係するという。目に見えるものだけではない。細菌やウィルスの変化。人間の肉体や脳の変化も関係してくる。

環境変化は本当に我々をおおきな変化へ誘っていく、



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2011年09月26日

他人史としての自分史 小山常子 「主人は留守、しかし・・・」

セカンドリーグ支援室長だった小山邦子さんが本をだした。ご主人の母の常子さんの本である。小山常子さんがご主人の小山正孝さんとのことを書いている。詩人であった彼との濃厚な関係がその詩とともに綴られている。

いま91歳の小山常子さんはお元気で好きなマージャンもやってるそうである。英語教室で近所の子どもたちに英語を教えていた。女性はお一人でも長生きするね。

最初に出会いのシーンが出てくる。階段でのすれ違い。そして初めてのデート。映画のワンシーンのようにその時のドキドキ感が伝わってくる。

おもしろいと思ったのは次の言葉。

私は人を好きになることが、これほど恐ろしいこととは思わなかった。怒涛の海に吸い込まれそうになりながら絶壁の上に立っているようなものである。

またこうも言う。恋愛というものは結局は恐ろしくエゴイスティックなものである。

これを読んで浮かんだのは、恋愛と生活についてだ。燃えるような喜びは暗闇に沈む悲しみと表裏一体である。人生は糾える縄のようだ。その旅である。平凡だが。

ドラッカーの著書で僕が一番好きなのは「わが軌跡」である。ここには自分が書かれていない。書いていない。自分を語らない。ドラッカーは影響を受けた人を語る。他人を語る。それを通してドラッカーの生き方が浮かび上がってくる。他人史の中に自分がいる。するとマネジメントの大家としての彼ではなく、なぜ企業や組織にこだわったかが分ってくる。それはナチスやロシアとの戦いだ。人を踏みにじる戦争という暴力とのそれだ。だから人が人らしく生きれるようにと組織のあり方を問うのである。彼も最初に祖母を語る。もっとも多くの影響をうけた自分のおばあちゃんから語り始める。ナチスユーゲントに毅然と立ち向かう彼女の生きかた。

さて、自分史を書いてみよう。それは身近な他人史となるだろう。他人を語り他人との関わりを物語ることで自分を解き放つのだ。セカンドリーグ支援室が応援する。



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2011年09月16日

考えていること そのための本

いま考えていること そのための著者

<哲学と宗教>時代の転換

内山節、稲盛和夫、梅原猛、橋爪大三郎、中沢新一、五木寛之、瀬戸内寂聴、河合隼雄

一神教、多神教、アニミズム、仏教、山獄信仰、修験者

<身体性>カラダとココロで考える

成瀬雅春、内田樹、村上春樹、安保徹、多田富雄、帯津敬三、武田惣角、植芝盛平、金哲彦、苫米地英人、養老猛司

呼吸法、歩行の地域性、ジョキング、エンドルフィン、修験者、ヨガ、お経、免疫

<食と農>健康とはなにか

東条百合子、辰巳芳子、幕内秀夫、福岡伸一、今治市安井孝、宇根豊、椎名盛男、福岡正信

粗食、細胞の死と生、うんこ、全体食、玄米、発酵、細菌共生

<生命 宇宙>神秘の探求

ブライアン・グリーン、松岡正剛、マーギュルス、アインシュタイン、立花隆、フリーマンダイソン、

入れ子構造、時間、空、エントロピー、ブラックホール、ミトコンドリア、多元宇宙

<経済>暮らしの回転

水野和夫、浜矩子、中野剛志、副島隆彦、内橋克人、宇沢弘文、マルクス、賀川豊彦、小泉武夫

金融資本主義、実体経済と金融、グローバルとローカル、ローカルマネー、貨幣と通貨、疎外、仏神性、温かいお金、協同、共生経済、情報、価値論

<エネルギーシフト>原発、化石燃料からの脱却

飯田哲也、広瀬隆、石橋克彦

マルチタスク、自給、人力、自然科学、ネイチャーサイエンス

こうしてメモしてみると、名前がなかなか出てこない。老人ボケの始まり。困ったもんだ。しかしこれらをじっくり読み込んで整理したいと思っている。



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2011年07月29日

技術は日本を救えるか 畑村洋太郎 未曾有と想定外

失敗学、危険学の畑村洋太郎先生が「原発事故調査・検証委員会」の委員長に任命される直前の考えを記した本。

怖いものとして津波と原子力をあげている。その怖さを知るため「現地・現物・現人」の「三現」主義を貫く。失敗学とは創造を考えるためにはまず失敗を知ることが大切だという。未曾有という言葉にこだわる。過去に例のないという意味ならば、869年の「貞観地震」の大津波があるという。また1896年の岩手県宮古市田野畑村羅賀の津波石。今回はここまでは津波が来なかった。問題はこうした過去の記録を忘れてしまうことだという。人間は忘れやすい。忘れるを前提に組み立てる。

津波に対しては、「対抗する」か「備えるか」のかが重要だという。



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2011年06月23日

武道的思考 内田樹 を読む

内田樹氏の思考の展開は、本当に参考になる。以下飲用してみよう。

武道の本旨は「人間の生きる知恵と力を高めること」

生きる力とは、他人と比べるものではない。それは世界への踏み込みの深さのこと。

日本の武道は近代において二度、決定的な「断絶」を経験した。一度目は明治維新、二度目は敗戦である。

明治維新によって伝統的な身体文化の大半は消滅した。最も枢要な部分とは、人間の生きる知恵と力を開花させ、製剤意識レベルでのコミュニケーション能力を開発する技法、呼吸法、瞑想法、などの心身鍛錬の技法である。

武道の本来の目的は「君子の育成」である。兵士に戦技は必要だが、武道は不要なものである。君子は兵隊としては使い物にならない。だらか戦前の武徳会系武道では、伝統的な武道体系のうち、修行者の「霊的成熟」にかかわる技法だけが組織的に排除された。すべての日本人がその生きる知恵と力を開花させ、国民をしてもれなく君子たらしめたい、という崇高な教育目標・・・。

武道は最終的にはどれも「主体と他者」をめぐる根源的な哲学問題に帰着する。ほんらい、先人たちが工夫したすべての身体技法は「他者との共生」を「生き延びるための必至の技術」として骨肉化する。

実際に身体能力の発現を阻んでいるのは大半が脳内のファクターだからである、身体はいろいろなことができる。意識化して操作する運動と数桁違うくらいの種類の運動をこなすことができる。それができないのは脳が「人間の身体というものはこういうふうに動くものである」という思いこみによるリミッターをかけているからである。

「葛藤仮説」同時に相反する二つの命令を身体に下すと、身体はその葛藤を解決するために「おもいがけないソリューション」を提示する。

「先駆性仮説」人間は「どうふるまっていいかわからないときに、どうふるまっていいかを知っている」

レヴィ=ストロースの「ブリコルール」「野生」の人々による「ありあわせもの」を材料として生活すること。

「先駆的に知る力」とは「生き延びる力」のこと。私たちの子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が組織的に破壊されてきたから。

ね、おもしろいでしょう。走るスピードが遅いと思い込んでいる身体。これを解決するのは、身体のありようと対話することにある。つづく。



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2011年06月10日

イリュージョンと日高敏隆

あいつは何か別の世界に住んでるようだ、という人がいる。独特の世界解釈。自分に都合がいい理屈を勝手につくりあげていく。自分勝手。ぼくもそう見られている。

ところが大なり小なり人は皆、自分の世界を構築して住んでいる。この自世界認識を日高先生は、イリュージョンと呼ぶ。「イリュージョンということばには幻覚、幻想、錯覚などいろいろな意味あいがあるが、それらすべてを含みうる可能性を持ち、さらに世界を認知し構築する手だてともなる意味も含めて、イリュージョンという片仮名語を使うことにしたい」

日高先生の動物行動学。その先駆者にドイツのユクスキュルがいる。その彼が唱えた「環世界」と概念。動物がそれぞれもっている独特の世界。それはダニならダニの知覚の世界に限定された世界構築だという。ダニは目が無いので、全身の皮膚に備わった光感覚に頼る。哺乳類の皮膚から流れてくる酪酸の匂いで落下して触覚で皮膚を探し当て血を吸う。ダニは様々な環境の複雑な世界で、ダニにしか知覚できない哺乳類の匂いと体温と皮膚の接触刺激だけが意味を持つ。ダニの世界。

人間の場合、つねに何らかの形で世界を認識していなければ生きられない。なんらかのイリュージョンに基づく世界認識がなければ、生きていくことができない。そのイリュージョンは時代により変っていく。これはダニの世界認識と同じことだという。

進化論についても独特の解釈を展開する。日高先生。まだまだ分らないことだらけ。残念ながらもうこの世にはいない。



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2011年03月18日

宮本常一 その精神に感動する

宮本常一の精神

われわれの最後の願望は、日本の隅々をまで、安んじて人の住めるところに、したいということである。

戦争の反省

大東亜戦(われわれはこうよんでいた)のおこったとき、私は深いかなしみにとざされた。敗戦の日のいたましい姿が目さきにちらついてならなかった。私にはこの戦争が勝てるとは思えなかった。軍隊が、政府が、どのように終戦へもってゆくかは、われわれにはわからないとしても、まず第一に自己崩壊をさせないで戦いを終わりたいことと、戦いの終わったあとわれわれはどのように対処してゆけばよいかを、今から考えなければいけないと思った。

大東亜戦は批判者の言うごとく、軍部の、政府の、ブルジョアたちの陰謀によるものかもわからない。しかし私はただ単にそのように考えたくない。圧迫させられた民族の心の底のどこかに、あるいは血の中にその圧迫をはねかえそうとする意欲がつよく動いていたことも、この戦争を初期において大きく拡大させた原因だったと思う。

宮本常一はこう言う。

自らを卑下することをやめよう、人間が誠実をつくしてきたものは、よしまちがいがあっても、にくしみをもって葬り去ってはならない。あたたかい否定、すなわち信頼を持ってあやまれるものを克服してゆくべきではなかろうか。

私は人間を信じたい。まして野の人々を信じたい。日本人を信じたい。日常の個々の生活の中にあるあやまりやおろかさをもって、人々のすべてを憎悪してはならないように思う。たしかに私たちは、その根底においてお互いを信じて生きてきたのである。

宮本は歩いた。隅々まであるいた。

第二次世界大戦を戦った日本。その庶民の生きかたの根底を歩き、見て、聞いて、話した。凄惨な戦争の只中にいて、そのなかで生きるすべを語った。

その宮本が生涯で唯一のおすすめの本はと問われたとき、賀川豊彦「死線を越えて」を迷わずにあげたという。



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2011年02月10日

デフレの正体 藻谷浩介 を読む

社会の閉塞状況、社会的格差、貧さ、事件事故が襲ってくるとき、どうしたらいいか。

自分のアタマで考える。頭だけでなくカラダを使って考える。自分の立場を知りつくし自分を使いこなす。他人に楽しんでもらう。おもしろがってもらうことが基本。

いろんな問題、課題を考えるときに新聞やテレビのコメンテーターなどの意見を参考にはしないこと。大文字言葉と小文字言葉とに分けて、一般的に分かりやすいスローガン的な言葉や、やれ政府がダメだとか、アメリカのせいだとか、アレが悪いこれが悪いといい募るそういう論調にはみるべき内容がないと考える。

小文字言葉で語れとは佐野真一さんの説だが、その通りだと思う。具体的で確かな自分で考え体得した考え方だ。そういう方法による提案は実にためになる。

藻谷浩介さんの「デフレの正体」はそういう実践的な本だと思う。やや文書が冗舌っぽいのは講演をベースに作っているからかもしれない。

就労人口、生産人口の減少こそ、GDP減少の正体。経済の収縮局面。

すると人口増加を前提にした経済と社会は、もう日本では持たない。就労、生産人口が減れば全体として消費支出がヘコむ。にもかかわらず小売の出店と拡張が続く。オーバーストアで無理な競争による低価格戦争が小売の破綻を生み出している。

しかも人件費を削るからますます消費が減り、経済が縮小していく。悪循環。

では、藻谷さんはどう提案しているか。①高齢富裕層から若者への所得移転、②女性の就労と経営参加、③外国人観光客の短期定住者受け入れ。の三つ。

いかに高齢者にお金を使ってもらうか。いかに若者にお金を配分するか。具体的に提案されている。若者をこれ以上不安定でかつ低賃金で使うことを続けてはいけない。

もっと注目したのは女性の就労と経営参加である。女性たちの1200万人の就労者可能な方たちが専業主婦にとどまり社会的収入を得る活動をしていない。では、パートで働くか。いや経営規格参加が必要だという。これである。

この場合、女性たちに優位な仕事、食や農や衣住、サービスなどを自分たちで仕事を起こしていくこと。パルシステムのセカンドリーグがそうだ。

この人たちが就労し経営参加すれば社会は変わるという。

藻谷浩介さん。パルシステム・セカンドリーグの講演会で話されてから4年がたった。極めて実践的かつ面白い具体的提案が詰まっている。



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2011年01月07日

転換期について 「旅する巨人」佐野真一

世界が転換期にあるとすると、どうこの時代の変化に対応するか。考えている。
佐野真一氏の「旅する巨人」宮本常一と渋沢敬三、文芸春秋社、が参考になる。

この本とは別のところで司馬遼太郎が、宮本常一への追悼文を書いていた。表面には見えない日本人のシンを宮本先生は知り尽くし記録していたと。この日本人のシンと表現した司馬遼太郎は、その後それが崩れていくと嘆いた。

その宮本常一を常に支援していた渋沢敬三は、戦後大蔵大臣として戦時国債乱発によるハイパーインフレションに直面する。このとき国の借金を棒引きせずなんとか返済することにこだわった。自らは広大な邸宅を物納してあばら屋にすみ畑を耕す。ニコニコと落ちぶれていく。その事が300万人を殺した戦争犯罪の責任であると。また、日本銀行紙幣の印刷が工場の破壊でできなく、アメリカのGHQがそんなのはアメリカで印刷して使えばいいと指示したときに、猛然と反発し辞意まで表明して抵抗した。現代の政治家とは気骨が違う。敗戦直後の占領軍への抵抗である。この国自身の貨幣の印刷にこだわった。

経済の破綻は人をも破綻させるか。いやそうではなく、金がないと何もできないという人が破綻する。では、金が無くとも平気で暮すにはどうするか。

実は敗戦間際に日本軍は宮本常一を高級将校として徴用しようとした。宮本がまだ中学校の臨時教員だったときにである。すでに軍部の一部は、敗戦後の荒廃を見こんで農業強化の方針を進めようとしていた節がある。そして農業現場の情報と農業技術、農村、漁村振興の指導者として宮本を活用しようとしたという。日本人崩壊への最後の復活への足がかりである。しかしそれは時遅く実現はしなかった。

この宮本を全面的にバックアップし支えた渋沢敬三がつくったのがアチックミューゼアムである。戦時中敵性語とされ日本常民文化研究所と改称させられて戦後に続く。
ここを拠点に宮本は日本中を歩き調べつくす。あるくみるきく。

おもしろいのは敗戦を挟んだ前後の人間模様だ。戦時中マルクス主義者として大学を放逐され不遇をかこっていた著名な二人を密かに渋沢は支援していた。渋沢も軍にニラまれたらアウトだが。その二人は向坂逸郎と大内兵衛だった。その彼らがあれだけ危険な状況下で渋沢に支援してもらっていたにも関わらず、戦後は手のひらを返して身下すシーンがある。日本のマルクス主義者の底の浅さに愕然とする。

さて、日本人というか「常民」の強さはどこにあるか。
これを読むと、人を騙したり陥れたり悪しざまに批判したりしない。常に誠実で前向きでひとを信頼する。騙すより騙される。しかし自然との深い対話をもち、生きることを楽しむことだと思う。
何も持たずただ丈夫なカラダとワクワクする関心を失わない。

宮本常一は戦時中被差別部落に入り、その長老が日本が負けようがアメリカの支配になろうが自分たちはなにも変わらないと語るのを聞いている。
そしてすでに戦時下で新たな日本復興のリーダーはこれらの人々と農民こそがなりだろうと予感していた。

同じ民俗学でも柳田国男や岡正雄らとの大きな違いである。
支配者の価値観、世界観から脱却し、「常民」の価値観のなかに真の豊かさを見る。
宮本常一が残した膨大な豊かさの記録。こころ温まる宝。

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2011年01月06日

JAZZの歴史と組織の論理 坂本龍一

お正月にNHKで坂本龍一氏の音楽講座スコラを一挙に流していた。このうちJAZZについて、たまたま見たらこれがおもしろくていっきに最後まで見てしまった。

JAZZの発祥はよく知られたようにニューオリンズである。ここはアフリカから黒人奴隷を連れてきて売買するアメリカ南部の大都市だった。JAZZの原型は黒人労働歌とマーチングバンドと確か聖歌だった。労働歌はブルースであり辛い労働から解放されるために歌われるもの。マーチングバンドは本来戦争のためのもの。歩兵隊の前進を歩足のリズムを刻み統一して戦わせる。文字通り鼓舞するためだ。最強のオスマントルコ軍が開発したのだ。以降、軍隊の戦いで不可欠となった。あくまで明るくかろやかなマーチである。

ニューオリンズでこの黒人音楽と白人音楽が融合していく。
最初はリズムの革命家、ラグタイムだ。4拍子で、いままでワンとスリーが強調される普通のリズムを、裏拍子とも呼ばれるツーとフォーを強くする。ウンチャ、ウンチャ、である。これが後々ROCKへとつながる。
そしてブルーノート。これはドレミの七音階に当てはまらないミとシの半音階下げた音を基調に使うもの。民謡調というか独特の哀愁感がでる。
ラグタイムもブルーノートも既存の西洋音楽の範疇を壊す。こうした革新は頭ではできない。腹の底から湧き出す音楽への渇望から叩き出された。

そしてこれがダンスミュージックへと大衆化していく。ハデなビッグバンド。ラッパ系が入りスイングと呼ばれる快調なダンス音楽が広がる。ディークエリントンバンドなどである。
しかしこいつに飽きたらない黒人たちの新たな挑戦が始まる。

ところでJAZZの基本を坂本龍一氏はこうおさえる。コール&レスポンス。呼びかけと応答。呼びかける歌と応える歌。これを支えるリズムと通奏低音。ドラムとベース。
こうしてまずモダンJAZZが生まれた。チャーリー・パーカーが偉大だ。
シンコペーションを駆使しつつ、和音、つまりコード進行を進める。彼はコードを素早く正確に刻みながら自由に即興演奏を行う。

しかしその和音(コード)進行を無視しブルーノートの音階に依拠して表現するモードJAZZが次に誕生する。モードJAZZ。マイルス・ディビスである。切り詰めた音でまったく新らしい表現が洗われた。
しかしもっと革命的なJAZZが同時に発生する。音階、音調、リズムを無視して勝手にやる。フリーJAZZの誕生である。
山下洋輔がいう。ピアノ、ベース、ギター、ドラムが勝手にやりながら自己主張しそこから新たな協働が生まれると。すごい。

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2010年12月17日

経済学の破綻と副島隆彦

いまの政治の混迷と日米関係。そして中国との関係を分かりやすく説明している著書は、この副島隆彦氏の本が一番だろうと思う。

アメリカの経済が破綻状況にあり、膨大な負債を抱えた金融機関が次々と破産する瀬戸際にあること。ニューヨーク市場の株価は、重点銘柄を政府が操作し吊り上げているということ。そしてそのアメリカ発行の怪しげで決して返済されることのない債権を大量に日本政府が買わされていること。そしてその結果として日本は膨大な財政赤字を抱えこみ一緒に破綻しようとしていること。こうしたことが実に分かりやすく書いてある。必読書。

さて、このなかで政府の経済政策をこう説明する。
経済政策=財政政策+金融政策。
金融政策=金利政策+通貨量調節。
この金融政策は、破綻したと指摘する。ゼロ金利と通貨ジャブジャブ政策によって。それでも経済は回復しない。

副島隆彦氏は言う。だから国の経済政策は財政政策しかないと。
財政政策(ファイナンシャル・ポリシー)とは「王の蔵」。如何に財産を集め如何に使うか、これが財政政策だ。
要は、国民がいかに豊かになるかである。

だから税金は少ないほど良く、多くの国民により良いサービスと多くの富が配分されるほど良い。この政策はケインズしかない。

そして中国との関係を語る。中国はいまや日本の最大の貿易相手国である。輸入も輸出も最大である。だから中国がクシャミをしたら風邪をひく。この中国とアジアとの関係が日本の将来を決める。中国やアジアとどう関係をつくるか。

僕たちは思う。これからの世界は、生物多様性と稲作文化、そして里山イニシアチブ。それから禅の思想と気功、太極拳。
豊かな農の世界。ネーチャー・サイエンス。アグリカルチャー。自然治癒力。

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2010年08月10日

戦後の日本のつくられ方 「下山事件ー最後の証言」柴田哲孝を読む

90fe4526.jpg戦争を考えるときに、戦後の日本のあり方を探るのもひとつの方法だ。

そこにこの柴田哲孝氏だ。
この本の主題の下山事件とは1949年(昭和24年)7月におきた初代国鉄総裁下山定則の轢死体事件である。
当時の警察内部でも捜査一課と捜査二課が自殺と他殺で対立し最後は曖昧なまま捜査が打ち切られた。迷宮入りとなった。

当時はマスコミによって国鉄の整理解雇に反対する労組左派の犯行かのように演出される。これで一気に労組側に不利な状況が生まれてくる。さらに三鷹事件、松川事件と鉄道に絡む不審な事件が続く。労組左派勢力が逮捕されて不穏な社会状況のなか全国的な労働運動や民主化の戦いは衰弱していく。


この事件をGHQ(連合国軍最高司令官の組織)の関与した謀殺と展開したのが松本清張の「日本の黒い霧」1960年になってからである。以来、当初の左翼犯行説から逆転しCIAの関与や右翼勢力の犯人説などが様々に論じられた。しかしついに真相は不明に終わるかと思われていた。

そこにこの柴田哲孝氏の著書が2006年にでた。
ここで描かれた下山事件は、これまでの「下山本」と決定的に違う。それは彼の祖父が関わっていたことだ。そのため身内の話や写真など本来到底でてこない事実が明らかにされている。これはすごい。

さて、これまで下山事件はGHQかCIAなどアメリカ占領軍の犯罪か、ないし急速に復活、台頭した児玉誉士夫など右翼勢力かという図式で語られてきた。すると、アメリカとソ連の対立という図式である。左翼でなければ今度は右翼かアメリカという東西冷戦構造に全ての要因があるとするもの。

しかし、この本を読むとそれは基本的に当たっているが、そう単純ではないことがわかる。
当時の吉田茂首相や佐藤栄作運輸大臣の意図と関わり。戦前からの軍部特務機関と亜細亜産業という謀略企業の存在。三浦義一など右翼と政治家とアメリカとの密接な関係など。複雑に絡みあった関係が明らかにされる。まるでとびきり優れた推理小説を読むようだ。

1949年は時代の転換点だ。それまで日本の産業構造の民主化をすすめたGHQ民生部に代わりCIAに再編された対共産国戦時体制への移行。アメリカ銀行団から送りこまれたジョゼフ・ドッジによる「経済安定9原則」(ドッジライン)による社会政策の導入。
それは1ドル360円への固定とデフレ経済。日本企業大量整理合理化。運輸再編などによるアメリカ型日本の構築である。このなかでの財閥復活と再軍備への道。

面白いのは、これを推進したのが日本人自身であることだ。
しかもそれは旧満州国を構想した吉田茂、岸信介、佐藤栄作などの政治家とその裏に日本軍特務機関であったことである。児玉誉士夫や三浦義一などや亜細亜産業などだ。
戦後、GHQは彼らを温存し彼らはアメリカに忠誠を違い、連携して再び復活して活動する。すごい構造だ。


三輪明宏氏がいうように敵国アメリカから、一転アメリカ様となった人びと。中国やアジアに自分勝手な夢をみて侵略し暴虐の限りを尽くした。その中枢が残されて復活し、再び貪欲な利益を産む。新たな支配層とともに資本主義経済と政治体制を構築してきた。


ぼくたちは、いままた時代の転換点にいる。この場合にこういう政治から見るとわからなくなる。何々党や政治家をみてもわからない。巨大なシステムを批判しても取り込まれる。

ではどうするか。
自らの経済に挑戦すること。たとえささやかでも仲間たちと小さな起業にチャレンジすること。あるいは生協のように民衆自身のお金で民衆による経済を組み立てていくこと。
誰かスーパーパワーに依存しない。なにか天上の理論に任せない。自分の身体と心を使い深堀していくこと。そこから世界とつながる。これが自立、独立と協同、連帯につながることだ。

もうひとつの日本の伝統と村の豊かさに学ぶこと。自然との豊かな共生のなかに世界の人びととの平和で心豊かな連帯が見えてくる。生命のつながり。愛。


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2010年08月06日

三輪明宏と戦争について

e0449716.jpg三輪明宏というと不思議な人で、あっちの世界に行った方かと思ってしまうが、実に真面目で深い人だと思った。

「戦争と平和、愛のメッセージ」を読む。
この本は読みやすい。薄くてすぐ読み終わる。だが、内容は濃い。
戦争体験を語り、長崎の原爆体験を語り、地獄を見た人の言葉で綴られている。身につまされる。
しかし、彼はそれだけではない。戦争の原因を明確にする。
忠臣蔵のような不条理な価値観。儒教の影響を受けた、権力者に都合のいい詭弁。
軍人たち用心棒に国を預けた問題。
さらに、実は戦争経済が最大の問題だったこと。

そして戦後、戦時中の要職者は死刑にならずに生き残ったこと。敵国アメリカから、一転してアメリカ様となったこと。そして教育と文化のアメリカ化が進んだという。文化の退廃だ。

アメリカは軍需産業が巨大だ。ブッシュは戦争を起こして食べている。
いま日本も憲法を改悪し戦争に巻き込もうとする動きがある。

ほんとうに戦争をやめさせようと思うなら、世界中の軍需産業にたずさわって食べている人びとのために代替産業を起こさなければならない。
実際に戦争を起こしているのは財界の連中だ。儲かるためには、人が何十万、何百万死のうが、平気な人たちだ。
政治家は使い走り。

でも、一番悪いのは国民だ。そういう政治家を選んでおいて文句ばかり言っている。この矛盾に気づいていない。

では、どうするか。
三輪さんはいう。必要なことは真の意味の教養だ。考える力。
一番教育しなおさなくてはいけないのは、中高年だ。これまで物欲、性欲、食欲、名誉欲だけで生きてきた。

日本が生きていくためには、平和産業、民需産業しかない。人的資源、「頭」だという。日本は文化こそが財産だと語るのだ。

NHKプロジェクトXの町工場職人、そしてイチローや小澤征爾などが重要だ。
朝鮮半島との関係も冬のソナタが変えてしまう。文化の力を政治に生かす。

「亡霊達の行進」「悪魔」を歌う。
そして、最後に自分たちは加害者の一人でもあるという。アメリカ文化一辺倒だということは、戦争支持者だということだ。そのため今後、経済も社会も大変になる。

自分のこととして戦争を考えること。真の教養を身につけること。文化の力を使うこて。平和への経済。


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2010年07月28日

伝統芸能の持つパワー 能と呼吸

9909f490.jpg能楽師 安田登氏の著作。

日本はいま、うつ病が本当に多い。安田氏は、それは日本人が精神的に弱いからではなく、過剰だからだという。過剰であり過敏なのだという。その過剰さを引き受けコントロールしてパワーにかえる。それができるというのだ。
そんなことが可能か。

実例として織田信長を紹介する。信長は別にうつじゃない。しかし、今川義元に追い詰められる。最後の土壇場で彼はなんと舞いを舞うのだ。光若舞。謡である。そこに秘められた技能。つまり極限までの不安と恐怖を爆発的に変換してスーパーパワーを引き出す。これが歌舞(かぶ)のチカラだというのだ。

そこから、呼吸の話になる。そう呼吸だ。


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2010年07月17日

柴田哲孝 とGEQ

13cc9d30.jpgGreat Earth Quake 大震災。 著者「柴田哲孝」角川書店。

この本は、阪神淡路大震災がアメリカCIAによるものであるというフィクションである。なんだ、またCIA陰謀説か。それにしても地震とは、あまりに荒唐無形なと感じた。ところが読んでみると、そう単純でもない。面白い。


著者は、911事件が如何にアメリカ政府による自作自演だったかを文中で簡潔に記している。そして、それが世界経済の破綻を救い、イラク戦争に国民を鼓舞さたかを語る。

さて、阪神淡路大震災についても、事前に自衛隊のシュミレーションが報告されていること。それからバブル崩壊後に震災復興でどれくらい日本経済に影響があったかも記している。

そして中国だ。北京オリンピックとチベット弾圧。そして四川省大地震。四川省はレアメダルの宝庫で中国原子力研究所がある。

ここまでくると、単にアメリカの利益というより、世界の支配層のネットワークでCIAが動いていると記述していることが分かる。

虚実ない交ぜである。ここで、物語にはなにが大事かだ。世界は、いままでのある国の支配から(もちろんそれが前提)支配層の巨大なネットワークが稼働しているという事実が突き付けられてくる。

とりわけ日本はがんじがらめだ。圧倒的なアメリカの影響。
身震いするほどの支配。これをみな知りながら知らないふりで飼い慣らされている。戦いを忘れている。


では、どう考えるか。これは、ガンジーだ。ガンジー思想だ。インドの独立はガンジー思想にある。近代文明という病の克服、スワラージ(自治)カディ(手織り布)チャルカ(手紡ぎ車)自立と協力、アヒンサー(不摂生、非暴力)など。
日本の古い生き方もまた地下水脈に脈動している。


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2010年06月03日

日本の伝統とは何か 梅原猛 その2

梅原先生はいう。
明治時代の日本の国家は、古い大事な伝統を捨て去って、日本を近代化した。
近代日本の国家神道が起こった。

明治の最初に廃仏毀釈・神仏分離という仏を退けてしまって神様を仏様から離してしまう・・政策がとられた。
国宝級の仏像が破壊されるような「廃仏毀釈」が起こった。「仏様を殺してしまった」、そればかりか仏様と仲良くした神様を離して、神様まで滅ぼしてしまった。

そして神様・仏様がいなくなったその空白の所に新しい神を創った。それは〈国家という神>であり、〈天皇という神>であった。

日本には津々浦々の神様がおられたのですが、その神様も捨てられれた。
このような神様が殺されたという状況の中でだれも起ち上がらなかった。ただ一人起ち上がったのは南方熊楠であった。

こういう精神の中で生まれたのが「靖国信仰」と「教育勅語」なのだ。

日本の古い神道は、自分たちの祖先を祀る。そして同時に自分たちが滅ぼした前代の支配者を祀った。出雲大社を伊勢神宮よりもっと大きな建物にした。

近代日本は日中戦争や太平洋戦争において、およそ三百万人の日本人を殺して、そしてそれより約十倍の韓国や中国やアジアの民を殺しています。
当然、自分たちの仲間を祀るということはいいが、もっと大きな神社を、この戦争の犠牲者となったアジアの人々を祀る神社を建てなくてはならない。それなのに日本の犠牲者だけを祀る靖国神社というのは、日本の伝統を大きく逸脱したものといわなければなりません。

新しい人類の思想の構築へ
三つの危機
核戦争の危機
環境破壊の危機
人間性喪失の危機
を乗り越えないと人類は存続できない。

「進歩の時間」というのは近代思想の共通の信念だが、「進歩の時間」では駄目だ。資本主義の無限の発展も社会主義にも反対でした。進歩の思想そのものがもうだめだと主張した。近代文明が大きな矛盾にぶつかっていることを卒業論文に書いた。

それでは日本の伝統とは何か
聖徳太子だ。17条憲法。和の意味。和があれば理がある。対立から統一へ。
そして「天台本覚思想」。人間中心の西洋思想に対して「草木国土悉皆成仏」だ。

梅原先生は八十歳を越えてなおパワー溢れる。ほんとに深く豊かな伝統に学ぶ。


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2010年06月02日

日本の伝統とは何か 梅原 猛

25b637ad.jpg人間がもろくなり壊れ始めるときに、何が必要かと考えている。
これに答えをくれたのが内山節先生だ。哲学者。彼の「哲学の冒険」という著書に、哲学とは美しい生き方を求めることという話がある。つまり、自分の生き方を明確にすることが哲学だという。ソクラテス、プラトン、へーゲルなどの難しい論理を知ることが哲学ではないのだ。

なるほどと思った。しかし、一般的な教育では生き方を教えてくれない。そのために自分の価値観や理念というか、ありたい姿を自分で決めている人は多くないと思う。勉強というと知識の詰め込みや問題への答えにキュウキュウとしてしまう。結果として人の評価を気にする。人と比べて一喜一憂することになる。競争と勝ち負けの世界。負けたり、劣っていると感じると生きることがいやになる。落ち込む。逆に優秀だと褒められたり競争に勝っていくと有頂天になる。これでは、ダメだ。生きる意味が分らない。

さて、この哲学だ。
これは自分自身で考えること。自らの生き方を決めること。自分自身で羅針盤を持ち、価値観を持つことだ。
このとき、実は自分のなかにある血というかDNAというか深いところで地下水脈のように流れているのが親などの先達たちの生き方だ。そして社会、環境のあり方だ。

日本社会の水脈を面白く解き明かし、分かり安く書いてくださったのがーー梅原猛「日本の伝統とは何か」ーーだ。分りやすいが内容は濃い。凝縮して語られている。

目次を見てみよう。
?.天台本覚思想と環境問題
?.聖徳太子と法隆寺?.親鸞のこころ
?.勝修羅の鎮魂
?.日本の伝統とは何か
?.新しい哲学の創造をめざして

ここには天台本覚思想「草木国土悉皆成仏」の意義が述べられている。西洋思想との違い人間中心の思想ではない。動物だけというインド仏教をも超えて土や鉱物にも仏性があるという。宇宙と生命の一連の仏性の理を表している。

聖徳太子の『憲法17条』を引用し「和を似って貴しとなす」がすばらしいという。聖徳太子は深い。対立と分裂を持ち込み憎悪を煽る政治手法は誤りだということだ。だが太子一族は結局、滅ぼされる。

日本の本来の神道と仏教の融合とその意義。そして明治政府の天皇制や靖国神社批判の展開など舌鋒は鋭い。
それからやはり、哲学をただの文章では表さない。伝統芸能との融合で創造する。スーパー歌舞伎などだ。また、怨霊論も面白い。単に優れていただけではなく、恨みをもって死んでいくことが条件だと言い切る。決して幸せだで終了ではないのだ。

梅原猛先生。いまもっとも刺激的な存在。すごいね。


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2010年05月07日

下流志向 内田樹著

8c50f1f7.jpg「下流志向」
学ばない子どもたち
働らかない若者たち
内田樹著

ここで現代の子どもたちの学校での態度が紹介される。教師の話していることなど誰も聞いていない。ワザワザ無視して雑談に興じる。

それがどうしたと思う。よほど教師の教え方が下手か学生の質が低いかだろうと。ところが内田先生はそうは思わない。子どもたちはいわば「努力」して忌避しているのだという。

なぜか。
氏は語る。子どもたちの成長過程で社会的な存在感を得るのは、お金を持って消費者として立ち現れたときだという。
このとき自分の未熟さやいたらなさは問われず、消費主体として全人的に扱われる。お金の全能性を身をもって知る。消費者主権の誕生である。

このときから子どもたちは、消費者として行動する。学校は親と子どもにとって教育という商品を提供する場となる。するとこの商品を値切り、いちゃもんをつけることが、買い手としての対等以上の関係となる。オレ様化する子どもたち。キミの授業はつまらんネ、というわけだ。親はクレーマとなる。子どもの問題はすべて学校のせいだ。なんとかしろ。

しかし、実は学校を卒業すると今度は企業から子どもたちは労働力製品として値踏みされる。できたら働きたくない。売りたくない。引きこもりの発生である。

これに対して、ホンの少し前の日本では、子どもたちが最初に社会性をもつのは働くことだったという。例えば家事手伝いなど。すると大人に対して自分の無力さを実感する。労働の意味をカラダに染み着かせる。

学びの本質
学びは、学ぶ人にとってなんの役に立つか最初は分からないという。それを現代は子どもたちが平気でこの授業はなんの役に立つのと聞き、納得できないと忌避する。
ところが最初に無知な人が、納得できる授業内容ならそれはむしろおかしいという。学びの逆説である。学ぶほうにはこの内容が何の意味があるか分からないのが当たり前だという。

例えば、言葉について。言葉はなんの役に立つかなどと問うまえに覚えはじめている。そして必要に迫られて学習を深める。
これは、親や兄弟、親類から自然に学ぶ。当たり前だ。

しかし、このことから学びの本質を知る。

学びは子どもたちとって権利であり、親にとっては義務だ。しかしいまは子どもたちへの苦役として義務化してみえる。働くことも本来喜びである。しかし、いまは労働の切り売りだ。苦役となった。
では、どうするか。
農と食にその答えはあると僕は思う。カラダと自然との対話のなかに学びはある。そして親のなかに自分の未来がある。メンター(先達)の誕生である。親から学ぶ。

内田先生は、武道を教えている。だから、スターウォーズを引用する。アナキン・スカイウォーカー、例のダースベーダーが実はオビ=ワン・ケノービの弟子であったこと。弟子が師匠を超えて「オレ様化」しダークホースに引き寄せられてしまい、最終的にはオビ=ワン・ケノービに倒されることを深いと指摘している。
このスターウォーズは元もと黒澤明の世界なのである。


そう。
何から学ぶか。
自然と生き方の作法は少し前の日本にある。


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2010年03月24日

パラダイムシフトと天外伺朗氏

7ab5330a.jpgいまの日本の状況でどう未来を構想するか、この天外伺朗氏がほぼ言いつくしていると思った。

GDPに代わるGNHという考えかた自体は、辻信一先生はじめすでに語られている。GrossNatinalHappiness。国民総幸福量。従来の国内総生産量にかわる指標である。
もともとブータンの前国王が定めたもの。国の目標を生産量でなく国民がどのくらい幸せと感じているかで表す。
イギリスのレスター大学の調査では、ブータンは8位、日本は90位だ。世界178国中。もちろん日本はGDPでは2位だ。

世界資本主義の終焉を説く。「沈みゆくタイタニック」である。「限りない繁栄、成長」はギャンブルが常態化し、悪魔たちの「死の舞踊」になるという。いかに生きるか、悪魔たちの餌になるようなものを徹底的に排除するべきだという。

そこで、ミヒャエル・エンデの「モモ」を引用する。貧乏だが平和に暮らしていた人々に、「灰色の男たち」が「時間どろぼう」となって出没する。それとともに失ったものは「たのしいと思うこと。夢中になること。夢見ること」だ。
灰色の男たちはいう「人生でだいじなことはひとつしかない。それはなにかに成功すること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間」という生き方だ。

それに対して、天外氏は、灰色の男たちは殺せないという。みんなが持っている心であるからだ。表面では「こうあるべきだという仮面(ペルソナ)」だが、実際は、美くしくいう姿ほど実は抑圧された「シャドー(影)」が膨らむ。いい人を演じれば演じるほどシャドーも強大になって育つ。

だから、灰色の男たちは殺せない。むしろ灰色の男たちとの共存を目指すという。ありのままに素に生きる。

アメリカインディアンの例をだす。それは伝統派の儀式にこそエッセンスがある。それは歌と踊りと祈りだ。フローの状態とよぶ。

それから、フローを生み出すために、地域通貨を語り、新しい医療制度と教育制度を語る。
企業経営の進化も語る。合理主義経営学の論理的・合理的に経営効率の向上を図るやり方を批判する。
従業員を信頼し任せる非常識経営をとく。

さて、時代の転換期はパラダイムシフトがおきる。だが、それは簡単ではない。まるでカラダをつくりかえるように、一歩づつ慎重にすすめてゆくしかない。しかし、未来は見えてきはじめた。


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2010年03月12日

FREEの正体とあったかいお金

21455397.jpg今週の週刊ダイヤモンド。FREEの特集である。クリス・アンダーソンの著作「FREE」からだ。クリス・アンダーソンはロングテールという言葉を有名にした作家。インターネットなど新たなビジネスモデルに独特の分析をする。鋭い。おもしろい。

フリーのビジネスモデルを4つに分類している。…樟榲内部相互補助∋絢坿峪埔讚フリーミアムと鷁瀛昌埔譟
…樟榲内部相互補助
あるモノやサービスを売るために、他の商品を無料にする。ジレットの安全カミソリと替刃の例。
∋絢坿峪埔譟
二者が無料交換し第三者が費用負担する。TV広告など。
フリーミアム
多数の無料版と少数の有料版、有料版が支える。典型的オンラインサイトのパターン。
と鷁瀛昌埔
金銭以外の動機づけ。無償の労働提供。アマゾンのブックレビューやウィキペディア。

ほかにおもしろいのは、「まだ設け方を見つけていないフリー」があるという。ツィッターやYouTubeはまだ明確な収益モデルを提示できていないという。しかしやめない。やり続けていれば何かが起こると信じているからだ。

別のインタビューのなかで岡田斗司夫はいう。技術の進歩に伴う人びとの価値観の変化は、何が豊富になり、何が貴重な資源となったかを見れば明らかになる。モノが溢れていた時代は、モノを大量消費することが格好よかったのだ。いまはデジタル技術により「情報」が溢れるようになった。一方で「時間」が足りない。

では、旧勢力がフリーと戦うにはどうするか。
無料のものと同じ価値しかないなら無料にするしかない。それよりよいもの、違うものを提供すればよいだけだという。例えれば、オフィスに無料コーヒーがあっても、わざわざ外のコーヒーショップでプレミアムコーヒーを飲む喜びを知っている。潤沢さと競争する希少さの武器。
ただ、今の陣容・組織は維持できない。変革を拒めば結局フリーの猛威の前に沈んでいく運命だ。

無料は、参加の敷居を低くする。このことをどう考えるか。そして、僕たちの目的は、人と人がつながり、生産と消費をつなぎ、あたたかい社会へと変革していくことだ。いずれにしても、お金について、時代は大きな変化を生み出していく。


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2010年03月07日

水野和夫氏 世界は再び陸の時代へ パルシステム政策討論集会にて

698b117a.jpg水野和夫氏の講演。
日本の名目GDPは97年をピークに40兆円減っている。515兆円が2009年には475兆円となった。
特に製造業が激減している。名目GDPとは産業全体の売上から中間投入物を引いた総額である。たとえ、沢山売れても、利益が出ないと下がり続ける。

困ったことに、売上から変動費を引いた限界利益のうち、人件費と企業利益への配分で、人件費が大幅に縮減した。統計は見事に規制緩和の影響を表している。

利子率革命。
利子率とは、利潤率であり産業の潜在成長率だという。
17世紀にヨーロッパは経済成長の限界にきてイタリアでは史上最低の利子率1.125%になった。そこから海に乗り出して経済成長が始まる。利子率は上がる。

しかし、21世紀の先進国もまた利子率が激減している。成長の限界とデフレである。アメリカや日本は最低である。しかし、一方中国、インド、ロシアなど新興国が経済成長をとげる。これをどうみるか。

あらためて、再び陸の時代になるという。いま成長を続けているのは中国やインドだ。これは資源国でもある。
だが、いままで20世紀の成長が再び世界を覆うのか。それは難しい。成長の限界がある。地球環境にとってどうか。
最後に水野氏はいう。遠くまで行くんだという経済は、限界にきたと。

さて、考えてみると実はGDPでは基礎数値が企業活動の集計値しかない。また、貨幣では図れない価値は表せない。
いま、日本で起きている深く静かな価値転換。この変化こそ富を変え新たな未来をつくる。それは実は、懐かしい未来である。農と食の豊さの根源。


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2010年03月03日

シリコンバレーと農の創造性

e88025b7.jpg梅田望夫氏である。この本は2002年ころに読んでいる。文庫版で新刊になった。

梅田さんを好きなのは、彼の時代精神のとらえ方、だと思う。彼のブログは、インターネットの先駆的人びとによって批判されたと聞いた。おそらく、彼のものいいが議論を呼んだのかも知れない。

ウエブ2・0などの言葉や先進的技術という流れで梅田さんが先を言っているわけではない。そうではなく、アメリカ西海岸のサンフランシスコ界隈の雰囲気がよくでている。アメリカのもうひとつの流れ。楽天的でカラッとして、脳天気な冒険心。世界を変えようと挑む革命家きどり。おっちょこちょいで明るい。人をとにかく励まして、なんとかしようと展望のないところに、無理やり未来をカタチつくろうとする。その無数の冒険家たち。これがシリコンバレー精神として描かれている。

WEBの意味は、人間を信頼し、ほとんどただで誰でも参加しやすい環境をつくることで、新しい時代を切り開いてきたことだと思う。紙媒体では時空を超えにくい。もちろん時代を超えることは明らかだとしても。

さて、農だ。
実は、農の現場はシリコンバレーだと思う。いま、無数の挑戦がされている。そこここで。土とバクテリアと水。生物の様々な挑戦。毎日、毎時、多様で七色の変化。この面白さを知っている農家こそ、真の時代精神だ。社会をリードする。しかし、これをどう一般的に表現しうるか。農における梅田さんを持ち得るか。

ただ屁理屈をコネ回すのではない。農の豊さを感じることのできる表現形式を創造してゆきたい。それは、宮澤賢治がしたように童話であり、詩であり、歌なのだと思う。だが、それだけでなく、散文で語りたい。

梅田望夫氏のここちよい時代表現。もうひとつのアメリカ。変わる世界。大きな潮流の音。


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2010年02月21日

大恐慌 乱世の時代と親鸞

2ecbf3b8.jpgビッグイシュー日本の佐野代表と話した。ビッグイシューは月刊雑誌の販売をホームレスに委託し売上金の六割以上を収入にし自立を助ける仕組みである。大都市の駅前路上販売などでみかけることがある。佐野代表はこの日本での仕掛け人。ホームレスのヒアリングをしている。そのなかで気付いたこと。

おじさん達と若い人達の間に、大きな断層がある。まるで同じ日本人じゃないかのようだと。
ホームとは家庭であり、故郷であり、仲間である。おじさん達には少なくともホームがかってあった。ところが若い人達にはもともと無かったのかもしれない。引きこもりは、もうひとつのホームレスかもしれない。彼らは社会に溶け込まない。溶け込めない。外れていく。それをすべて自己責任としている。自分のなかに籠もる。

さて、恐慌とはなにか。社会の産業が各セクターごとにバラバラになり、それぞれの連携がうまくいかず壊しあう経済をいう。例えば、巨大小売りの生き残りが流通や生産企業や第一次産業を破壊するなどだ。金融が発達して社会的産業や経済を破壊すること。その段階では、小売りの発達が流通を豊かにし生産を革新するといった好回転はない。それぞれが生き残りをかけることで互いに破壊しあう関係に堕する。デフレはその現象のひとつ。

さて、壊したのは産業における連携だけではない。地域のコミュニティーであり、つながりであり、人びとの心である。破壊された関係には、寒々とした勝ち負け競争と機械的な社会正義だけが残る。孤独で寂しい暗闇を背負った人びとが無数に誕生する。つらく苦しい。悲しい。

だが、歴史のなかにはこうした時代は珍しくない。連綿と続いている。一億総中流と呼ばれたあの時代こそ希有の時代だったのかも知れない。

そこで親鸞である。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての乱世の時代。末法の時代。
京の街は、飢饉と餓死と犯罪で死体の異臭につつまれていた。
皇族や公家と武家の争い。もうひとつの比叡山の権力。
ここに、下層の民や被差別民と犯罪者などのいき場のない人びとの宗教が誕生する。そうした人びとが共感する新たな宗教だ。
「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで救われるというもの。なんかインチキ臭いと思った。

ところが、これが面白い。五木寛之氏によって虚実混ぜ合わせた語りによって、現代に生き生きと蘇ってくる。無明の闇。矛盾した心。偽善。欲望などをまるで活劇を見るかのように物語る。親鸞を感じること。日本の生んだ優れた哲学者のひとりだと思う。


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2010年02月04日

残雪 身体思考

9bc0fb19.jpg珍しくまだ雪がところどころに残る。この冬一番寒い朝という。
だが、例によって軽い走りをすると、この寒さがむしろ気持ちいい。

最近、内田樹氏の著作に凝っている。彼は、現代人には珍しく頭や知識だけで思考しない。自分のカラダを通して考えている。
神戸の女子大の先生だが、大学教授におさまらない。合気道を教えているという。

合気道は、闘う相手を敵という概念ではとらえない。相手のカラダや呼吸や力を感じながら、その力を借りながら共に組み立てる。つまり、変な話しだが協同作業だ。こういう技を身に付ける修練を積む人は違う。頭とカラダのバラバラ感を知っている。
内田先生の思想はこういう感じがする。

佐渡の野浦村の文弥人形がそうだ。一年中練習している。重い人形をひとりで操る。これが78歳の北野さんに20歳台50歳台の男がついていけない。人形が重くて動かせないのだ。

何が違うか。カラダが違う。筋肉や思考が違うのだ。技を修練するとこれができる。この後期高齢者に若者がついてゆけない。筋肉の強さではない。動きが違う。神経回路も違うと思う。

自分を知ること。この自分をわかることが実はわからない。自分という他人を理解しなければわからない。自分という肉体と意識。

だいたい、自分の頭がさもすべて自分を統率しているかに誤解している。その結果、浮ついた情報や知識に惑わされる。欲をかく。マスコミに踊らされる。誰か悪者がほかにいて邪悪な社会を作っている。そういう悪い連中を打倒すれば世の中は良くなると。

だが、技を磨いて修行を重ねている人はまるで違う。なんかこう独特の視界が開けている。普通、見えないものが感じられる。わかるのだ。問題は自分自身にある。社会の歪みは自分のなかにある。

カラダのなかに宇宙がある。深く広く繊細な細胞たちのネットワーク。こういう不思議な生き物のなかに自分がある。これを感じながら動いてゆく。ここをマスターしないと宇宙の扉はまだ開いてはくれない。


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2010年01月20日

内田樹「日本辺境論!と歴史 身体性

9b12d64f.jpg日本人論がなぜこんなに日本では盛んかと問い、いつも「きょろきょろしている」と丸山真男を引用する。
他の国との比較で判断するクセが染みついている。いつも外から先進的な考え方ややり方を導入して日本的に変える。この変えるやり方は変わらない。

ここまでは、誰でも指摘する日本人論じゃないかと言われそうだ。だが、内田氏のユニークなところは、この「民族的奇習」を治すのは、掃除のようにやらなければならないと指摘することだ。要は気づいた足元のゴミを拾うこと。徹底的にやってはいけない。

日本は、その名の通り「日の本」でどこから見たら日がでるか、と述べる。つまりは中国から見た名前だという。この中国との関係のつくりかたを、「知らないふり」で表している。無知ゆえの華夷秩序を知らずというふりをして好きにふるまったと。

この本は中味が濃すぎて要約が難しい。以下刺激的キーワードを目次から引用する。

ロジックはいつも「被害者意識」
便所掃除がなぜ修業か
学びの極意
「機」と「辺境人の時間」
敵を作らない「私」とは
肌理細かく身体を使う

わからないけれど、わかる
「世界の中心にいない」という前提
日本語の特殊性はどこにあるか
日本語がマンガ脳を育んだ

さて、また政治が激動している。いつも政治は政治として激動せず事件として激動する。マスコミとともに。
この社会が変わるためには、実は一人ひとりが徐々に変化すること。これが真の変化だと思う。いっぺんに上から変わることではない。積小為大。


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2010年01月15日

生物に学ぶ 「池田清彦の『生物学』ハテナ講座」

cdc43502.jpg生物多様性について、種の多様性が問題だと思っていた。それはいいのだが多様性には三つあるという。ひとつはこの種の多様性。そして種のなかの多様性。例えばヒトでも様々な形態があるように。人種と言ってもこれは種ではないが。
もうひとつは、生態系の多様性だという。だから、一つの種による一種類の生態系は多様性を失っている。これは環境変化に弱い。

面白いのは、生物分類でどちらも当てはまらないか、どちらにもかかるようなものが意外に多いこと。まあ、無理やり分類しているのだからムリがでてくるのは仕方ないが。

それと、生き残るのは必ずしも環境適応したものとは言い切れないこと。長い歴史と素早い変化をとげる大腸菌が、効率的で環境適応したものが残ったかというと、そうでもないらしい。今になっても実験室で最適化とみられる変異をするという。何億年も生き残っているのにだ。

生物の存在方法はなかなか一筋縄ではいかない。ある種いい加減なところがある。キチッとしていない。

そういえば、HIVエイズだ。免疫不全というヒトにとって最も嫌なウイルスだ。こいつはDNAではなくRNAという遺伝子の転写物でできている。これは他の細胞に入りこみ増殖して破壊する。これに免疫が効かないのはRNAの複製がいい加減で絶えず少しずつ間違えるため、前のを認識した免疫が今度は見失ってしまうからだという。これが厄介だ。

犯人が次々に別人に変わるので免疫がついていけない。

このいい加減さは、何だろう。もし、生き残り戦略とすると高等だ。だが、そうでなくたまたまだとするとスゴいことだ。しかし、エイズと言えども、生き残るためには宿主を絶滅させては続かない。もうすでに、かなり死なないヒトや発症しないヒトが増えているようだ。

生物界の多様性は、実に深い。まだまだ分からないことだらけ。問題は人間の認識が、さも合理的で科学的に生物界を理解し言葉ですべてわかったと思ってしまうこと。生物を理解するには、人間も五感を使い様々な関係性のうえに、ホンの少し自然のことがわかることができるのかも知れない。


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2009年12月20日

BROTHERHOOD ECONOMICS by TOYOHIKO KAGAWA

7bd0155c.jpg「友愛の政治経済学」賀川豊彦 著

1936年にアメリカの神学校の招きで講演したものを収録。

以下引用
いま問われているもの
今日の貧困は物の欠乏によるものではなく、豊富さから生じている。物財や機械の過剰生産、過剰な労働や知識層の存在からくる苦しみである。私たちは欠乏のゆえではなく、過剰のゆえに苦しんでいるのである。

富はごく一握りの人々の手に集積し、社会の一般大衆は、失業、不安、従属、不信の世界に蹴落とされている。彼らは声をあげるが、いつまでも空しい叫びに終わっている。レッセ・フェール(自由主義)政策がわれわれを地獄のなかに突き落としており、物の溢れる倉庫の外では、数限りない失業者が飢えている。

スラムの貧しい人々の中には、つぎのような弱さを抱える人々がいた。病人、老人、身体障がい者など肉体的弱者。・・・精神的弱者。酔っ払い、ばくち打ち、怠け者、犯罪者などの道徳的弱者。これら3つの弱さである。それゆえ、無料診療所、教育、福音宣教の3種のキリスト教のミッションが必要であると考えた。

5年近くのスラム生活の後、私は渡米し、プリンストンで学んだ。2年間の留学生活を終えて帰国すると、私は戦術を変えた。
私は労働組合を組織し始めた。経済システムに変革が起こらないかぎり、スラムを変えることは絶対に不可能だと考えたからだ。

そこで大規模なゼネストが決行された。3万5,000人がこれに参加した。私は約2,000人の指導者とともに逮捕されたが、刑務所にいた時はなかなかよかった。

そこから釈放されると、私は農民組合の組織化にとりかかった。
・・・消費協同組合、質庫信用組合、学生信用協同組合を組織した。


賀川豊彦の共産主義への態度はおもしろい。資本主義への激烈な批判とともに共産主義への批判も同様だ。

以下
私は幾夜も、蚊帳のなかで、日本の共産党指導者らと語り合い、この非難(宗教は人民の阿片である。キリスト教は世界をカオスから救うことはできない)に向き合ってきた。

失望のうちにキリストから共産主義に転向していった、私と同世代のこれら若き日本人指導者らは、私の最も親しみを感じる精神的兄弟である。

ロシアは、最も不満足な強制協同組合国家。ドイツ社会民主主義者エーベルトは大統領に就任したがなにも残さないまま崩壊した。

かといって、われわれは過去に戻り、資本主義の修正形態をもって「回復」を図ることはできない。アメリカ合衆国におけるニュー・ディールの「管理資本主義」に関連して、多くの人々の希望も大きく崩れ去った。

私たちがどれほど統御しようとも、資本主義は、改善された形であっても、恒久的な社会秩序に属するものでないことが、歴史に大書きされつつある。

資本主義は、4つの特徴ー奪システム⊂数者へ資本蓄積、上流階級資本集中と支配階級へ集中ぬ技困猟其睿働者が大半を占めつづける。プロレタリアート。

賀川は、そして経済システムの改革のビジョンを提示する。変革の哲学。経済革命をとく。


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2009年11月25日

「始まっている未来」 宇沢弘文・内橋克人を読む

f1ebf17e.jpg経済学に、生き方は関係あるか。
経済なんてものは、個々人がどう思うとどう行動しようと関係ない。結局、無数の個人が欲望をむき出しにして行動すると、まるでダーウィンの進化論のようにうまくいく。そのシステムを頭のいい人が分析し先を読んで手をうつ。この方法が経済学だ。
などとなんとなく理解していると、経済学は絶望的だ。全部失敗している。
世界を破滅に導いていく。この現実を実に分かりやすく、しかも世界をリードする経済学者の宇沢弘文氏が話される。

アメリカ・シカゴ学派のミルトン・フリードマンの大罪。その丸写しの日本人経済学者。そして市場原理主義の源流。
本来、ソ連型社会主義の失敗を批判し自由と豊さを目指した新自由主義が、なぜ市場原理主義へと成長してゆくか。

そして学者のあり方が問われる。大学のあり方が問われる。
宇沢弘文氏は、人びとの豊さには、土地や水や空気などの自然資本と教育や生活保障など基本になる社会制度などが守られなければならない、という。これを社会的共通資本という概念で説明されている。これがアメリカの市場原理主義によって破壊されつつあると。パックスアメリカーナと呼ぶ。


さて、内橋克人氏は小泉首相時代も孤軍奮闘して、この新自由主義と市場原理主義を批判してきた。いまも型を変えたこれらの危険性を指摘している。

ではどう未来を描くか。内橋克人氏はいう。「共生経済」を提案する。競争セクターとの違いは、連帯・参加・協同である。この共生経済とはなにか。
「F(食料)E(エネルギー)C(ケア)の自給圏」を人間の生存権として追求する経済だとする。

パックスアメリカーナのやり方は、この現実適用は、社会の分断ありきだ。
都市と農の分断と「日本の農産物は高い」キャンペーンだ。生産と消費を分断する。これを連帯・参加・協同で超えていく。
基本は地域コミュニティーの自立である。これを目指す。こうした共生経済の世界的取り組みが紹介されていく。

あとがきに内橋氏が書く。宇沢氏の赤いバスク・ベレーと赤いリュックサック、軽やかなウォーキングシューズ。そして階段を使い歩きながら地下鉄を使う。様々な賞を受けながら、この世界的学者の清い生き方をサラリと描写されている。生き方と経済学。


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2009年11月20日

つくば市谷田部の椎茸栽培飯泉さんと日本画

119d8c82.jpg軽米町とJAつくば市谷田部の交流。軽米町に定年後、単身赴任した木下侃さんが結んだ。

つくば市谷田部で懇親会のあと、椎茸栽培の飯泉さんと大木さん山田さんに案内されて、日本画の巨匠藤島博文氏の家を訪問した。
無造作に大作がおいてある。日本画はとてもシュールな神秘的な作品が多い。
鶴が輝いている。黄金の鶴だ。

しかし、ひときわ目をひいたのは急斜面の小さな茶畑の山道を老婆がゆく絵だ。夕方の風景。空にははや三日月がでている。山の端のシルエット。心惹かれた。
奥様が解説されるには藤島画伯の母だという。四国の里。どこにでもある懐かしい山道。孤独ではない農民、仕事の終わりの充実。

かなりの夜更けに、突然の来訪者たちに、実に親切に対応していただいた。
いま藤島画伯は地域振興に力を入れられている。
故郷を愛し生命の輝きを伝える。人びとのつながり。生産の持つ豊さ。これを雄大な絵に展開されている。


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2009年11月18日

賀川豊彦にどう近づくか

83e64213.jpg早朝、軽く走る。
夕べまた飲み過ぎた。汗を出して毒抜きをしよう。
小一時間走ると雑念が消えてゆく。
なにも考えない。
カラダの調子を確認しながら無理をしないで、ノロノロと多々良を踏むように持続可能な軽い走り。

賀川豊彦を読む。
この読み方が問題だ。偉大な思想家を理解しようとするとき、神格化しない。
普通の人間として理解したい。
ただし、彼の実践は普通ではない。どこから迫るか。
基本姿勢に近づくこと。貧しさ、差別、苦しみ、悩み、不幸。
これに近づくこと。
このなかから考えること。難しい。

人間の解放は、実は、真理に迫ることにある。真理とは何か。
自分を知ること。自分のなかの宇宙を観ること。これが難しい。
その真理のために、動いていく。苦しみに、不幸に向かう。
心をまっすぐにして向かうこと。
恐れることは何もない。自分の邪悪で見栄っ張りで狭い了見を見ながら、そういう感情に流されない。
深いつながり。より広大な宇宙。動的な生命の鼓動に耳を傾ける。そしてそこから湧き上がってくる感動をつかまえる。


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2009年10月28日

「黒い牛乳」中洞正著を読む

55f4b3ad.jpg名前がおどろおどろしく、実はまた暴露本かと胡散臭さを感じた。読んでみると至極まっとうな本だ。というよりすごい内容だ。

いまの日本酪農はいくところまでいき、先が見えない。
八割は輸入飼料に依存しコストはほぼ飼料代に消える。畜舎や搾乳施設への過大投資にも押しつぶされそうだ。
もちろん牛の生理も極限まで人工化されている。
生乳の消費者パックも過度な超高温殺菌となり自然よりも安さだけを競っている。

そうした酪農と乳業の現実。しかも「不足払い法」という制度が酪農家をがんじがらめにしている。おいそれと理想の酪農に踏み出せない。

ではどうするか。
山地酪農があるという。自然の山に放牧して山野草を食べさせる。冬も外にだしたまま。深い雪でも平気らしい。草地は最後は野シバとなる。こうなると強い。自然に定着し一切肥料も、もちろん農薬もいらない。
意外に牛は強い。崖も藪も平気だという。
放牧牛はまた病気知らず。難産もない。草毒もない。

そんなにいいことずくめなら、なんでみんながそれをしないか。
ここに「不足払い法」制度が立ちはだかる。生乳は一括して「指定生産者団体(農協)」に集荷し乳業メーカーに売られる。一応生産者から高く買いメーカーに安く売り、その差額を補填するとしている。
これは数十年前の乳業メーカー乱立と生産者買いたたきによる酪農の衰退からの育成措置として時限立法された。それが、一旦確立するとガチガチに固まった。

自前で酪農し自前で販売しようとすると、この制度をたてに様々な妨害をうける。補助金ももらえない。こうして生殺しになる。いまは閉塞状況だ。

ここから中洞さんがどう独立していったか。これが面白い。
実はみんな自然のものが本当は好きなのだ。本来、自然は素晴らしく美味しい。それが健康にもっともいい。これがわかる人と結ばれていく。

こだわりのHTST牛乳をパルシステムは扱っている。しかし、さらにこだわる人びとがいる。
いかに進化していけるか。無理せずにつないでゆきたい。


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失った「時間と空間」を味わう マハラバ文庫 きなり歳時記

88219e79.jpg

いつも追いたてられている。
何か失敗したか、と不安にかられ、自分はダメなやつ、と負けそうになる。

あるいは、暗闇が迫り不安にかられ、恐怖と絶望にとらわれそうになる。

いたたまれない孤独、焦り。この焦燥感。
そして圧迫感に襲われる。
いつしれず大人になって取り返しのつかない旅人となって孤独な旅をゆく。

そんな生まれいずる悩みに、苛なやまされるこころに、不思議な安心感と心地よい体験を与えてくれる。
まったく別の時間と空間に包まれる。
それが朗読会だとわかった。ここでは時間の流れが異なるのだ。

言葉が切れ切れに紡がれて、その間に時空の広がりが垣間見える。
なにかを追い追われていつか遠くまできてしまった僕たち。
まるで遥か昔に失われた祖母がすぐ見上から語ってくれるような、不思議な安心感。

オカリナの素朴は西谷八千代さん。古語と童話と食。昼の終わり、夜の終わり、春の終わり、夏の終わり、秋、冬と終わりは始まり。四季。歳時記。

いつまでも続いて新しいページが始まる。ひとつが終わりひとつが始まる。終わることが寂しくはない。夜は孤独ではない。暗闇は星をたたえ人はつながりを感じる。
大いなる時空のなかにある。

そこになぜだか心地よい安心感が生まれ希望と勇気が湧いてくる。ひとりが万人のために、万人がひとりを信じる。

増田レア・マハラバ文庫代表の朗読会。蕎麦茶屋「遠野」にて。56bae443.jpg
店主斉藤勝男さんは、イメージがぴったりだったと喜んだ。南天と豆殻。贅沢な手料理。新蕎麦。うまい。感謝。
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2009年10月19日

究極の病気「ガン」をどう考えるか ー「ガン呪縛」を解くー稲田芳弘

5e8480c7.jpgガンはかからないかかかるか、まるでバクチのように考えていた。健康診断で見つかれば、それが死刑宣告のように恐ろしいことになる。

ところが、これを恐るるに足りない気にさせてくれる本が現れた。パルシステム・セカンドリーグの吉村一正さんの紹介である。

一見、トンでも本に見えてしまう。タイトルも仰々しい。
ところがこれは至極真っ当なことだと思った。現代の医学はガンがなぜできるかを考えずただガンを叩くことだけを考えていると指摘する。
まるでガンがテロリストで、これが全身に広がったら最後だというように切除、化学療法、放射線などなどで攻撃する。だが、これで治癒率は少しも改善しない。ただ地獄の痛み苦しみだけが増加していく。

これに対して紹介されるのが千島喜久男博士の千島学説だ。
そのポイントは、ガン生成の原因を知り、その体質を改善することで治癒するという。なんだと思われるがこの原因についてがすごい。

一番は血である。血は腸で作られると骨髄生成説を否定する。すると骨髄移植は無意味どころか返って悪化させることとなる。
逆に治療は腸を正常化、健全化させることに力をいれる。それは、穀物や野菜を食べること。肉類や脂を抑え玄米や発酵食品がいいという。これで血液を改善する。ガンは血液の浄化のためにカラダの弱い部分に生成されるからだ。血がガンを生成するという。

さらに「気」が大切だ。様々なストレスで胃や腸が荒れる。ひどい場合は、一瞬で潰瘍ができる。すると血が汚れてガンが作られる。こうしたストレスに負けない「良い気」を保つ。このポイントは呼吸法だ。吐くことを大切にする。深い呼吸。

最後に「動」だ。運動によって血の巡りを良くする。この「血・気・動」で血を改善してガンを治癒させる。

千島学説は、実は現代医学だけでなく物事への観点がまるで異なる。
宇宙や自然や人への理解が違う。これを説明するために稲田氏は、現代科学の最先端の理論を紹介する。とりわけ現代の物理学だ。
空はただの空ではない。エネルギーと情報のゼロ・ポイント・フィールドである。
まるで般若心経の世界そのもの。
ここまでくると好き嫌いが別れるかもしれない。
病気のことを考える必読書であることは間違いない。


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2009年07月08日

マスコミの暴力と沖縄 山崎豊子 運命の人

4f47e1b8.jpg1972年4月外務省機密漏洩事件がおきる。沖縄返還交渉におけるアメリカとの密約を暴いた毎日新聞記者が逮捕された。外務省はアメリカ負担とした基地等経費をすべて日本が負担することを密約していたのだ。国民にウソを言いながら。

これを暴いた記者をこともあろうに逮捕し有罪にした。国会等で密約は無いとしていて、機密漏洩で有罪とは論理矛盾だと今なら誰でもわかる。
しかし、ここでいっせいに逮捕を糾弾したマスコミを沈黙させたのは、外務省女性職員との男女関係だった。

日本のマスコミが権力に操作されるというか、権力と一体で世論操作するときの基本パターンがここにでている。
つまり、時のキーパーソンを破壊するに、本筋とは直接関係ない事象を打ち出すのだ。

とくにスキャンダルである。金、男女関係、過去の軽微な犯罪歴などだ。
これで黙らせる。これで信用失墜を図る。
確かに、キャンペーンを張られる当の本人のこうしたことは誉められたことではない。
だが、問題の本質を覆い隠すこうした世論操作をもうそろそろ見抜いてもいいだろう。
また、誰でもすべてを裸にされたら傷のひとつやふたつはあるものだ。よほどの聖人君子ですら。
まさか私にはないと言ってもマンションのゴミ置きすら書かれる場合もある。


あの佐藤優氏の戦いもそうだが国策操作は日常茶飯事だ。問題は、些細な事件にあるのではなく、むしろ目に見える大きな変化そのものをどう捉えるかだと思う。

今回、山崎豊子さんが綿密な取材でほぼノンフィクション的に書かれて実にためになった。外務省がいかに国民と国をバカにしているか。マスコミがいかに弱いか。赤裸々に暴かれる。

だが、一番大事なことは沖縄にある。第四章こそ圧倒的な迫力で迫ってくる。数々の証言と基地とともに戦争がまだ続いていることが。
山崎豊子さんが文藝春秋6月号に刊行にあたっての話しを寄せている。実は戦争中学徒動員体験をされている。そして以前は毎日新聞記者だったそうだ。


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2009年07月03日

怯えの時代 内山 節 著 を読む

5d4f5afe.jpg金融崩壊から進む大恐慌の時代。哲学者内山節先生は、現代の恐慌ほど悲惨なものはないという。それは人びとがバラバラにされて無力化されたからだ。
この内山先生の最新著作を読んだ。

以下要約
プロローグは自由についてだ。
インターネットの自由。携帯電話の自由。一人一人バラバラな自由。しかしそれは社会システムにとらわれた「うんざりする自由」だった。


第一章「悪」の時代
マルサスの人口論に触れて、自然の限界を語る。しかし、なぜ自然の限界などという自明のことが無視されたか。それは資本主義の発達過程では無限の拡大を正常とする生産様式だからだという。

経済学者たちは、自然は無限に存在するものと仮定した。そうしないと経済理論が破綻するからである。
そしてこの有限性を取り払う魔法の杖として科学技術が位置づけられた。
食料問題は、食料価格問題としてある。

歎異抄での「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」を取り上げて、悪の定義が問題だという。悪とはその時代によっても人の立場によっても違う。

第三章 不安と怯え
内山先生は群馬県の上野村に半分は住んでいる。この山の釣りで暗闇のなかから子どもの鳴き声がした。いるはずがないのに2、30人ぐらい。逃げだしたらいつまでも怖い。正体を見極めること。
そうしてそれは猿だった。

不安や恐怖は原因がわかれば怯えることはない。

社会は三つのシステムで展開している。資本主義的な市場経済、第二は近代的な市民社会、第三は国民国家である。

これを全面的に批判するかにみえた社会主義者たちも、獲得された生産力が生かされてないという批判だ。さらに市民社会の成立でそれまでの共同体社会が解体されたことを歴史の進歩とした。
国民国家は絶対王政が倒されて歴史は進歩したと位置づけた。

じつは、社会主義者以外に近代批判をした人たちもいる。
イギリス・ロマン派のワーズワース。ドイツのゲーテ、ハイネ。哲学者ショーペンハウエル。
ショーペンハウエルは仏教思想を取り込もうとした。

ヨーロッパ近代の世界が見失っていたもの。ひとつは自然。主役は進歩、発展する世界、自然は脇役で無限にあると仮定された。

もうひとつ、世界をあるがままにとらえていこうという思考、あるいは世界のさまざまな文化を率直に尊重していこうとする精神である。これにより非欧米世界の破壊がすすむ。
さらにもうひとつ、自然や人間の存在と「結び合い」との関係である。

今日ほど人間が無力になった時代はない。巨大システムは大きすぎて自分で動かせない。システムは自分たちの手の届かないところにある。

人間は、そして自然もそうなのだが、他者と関係を結んだところに存在している。

枚数が無くなった。第四章以下は続くとする。


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2009年05月25日

バカになる難しさ 奇跡のリンゴの木村秋則さん

18a1a5ac.jpgうさんくさいな。
最初に知ったとき思った。それとも、まるで仙人みたいな人かな。あまりに突き抜けているか。
どちらにしても近寄り難いなと。

しかし、この本は本人が書いたものだ。つい読んでみた。赤裸々に書いてある。
最初は普通のリンゴ農家だったこと。それが皮膚が赤剥けするなどの農薬被害で変わったこと。

この木村さん。
「奇跡のリンゴ」の本の表紙写真は歯がない。笑っている。どこか世間離れしていてヤバそうだ。また、トンでもない理屈を振り回すかと敬遠していた。とてもついていけないと。

ところが読んでみると至極まっとうだ。かの福岡正信氏に心酔しながらも違うという。自然農法ではなく放置でもなく自然栽培だという。実は剪定もすれば必要なときは下草も刈る。虫もとる。

途上で、まったくリンゴがならない時期には貧乏のどん底に落ちる。だがなりだしたら直販もしている。全国のファンから引きも切らない。経営でも農薬肥料代がかからないから儲かる。売上高より純利益が問題だという。
しかし、やはり一番すごいのは、見る目である。観察眼である。リンゴの葉っぱはもとより雑草一つひとつを見る。虫たちを見る。その行動原理を見る。一日中、毎日見る。農業というより自然観察。自然研究である。ここから山に学ぶ。
そうして無農薬だけではなく無肥料という常識では考えられない挑戦に成功する。山の自然を再現したのだ。
だが、これはやはり半端じゃあない。高度な研究者だ。それも実践的で熱い。

その軌跡は困難と生活破綻の連続だ。だが、多分、その過程そのものを楽しんでいたのではないかと感じる。

全国に仲間を増やしたいという。自然をよく見てそれぞれの土地と水と風土にあった栽培を見つけろという。

価値観のコペルニクス的大転換。自然の摂理を理解し共に生きている。虫も草もリンゴも人もまったく同列だ。こういう人が同時代にいる。すごいな。勇気が湧いてくる。


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2009年05月15日

賀川豊彦にどう学ぶか

cbb613d0.jpg季刊「at」という雑誌に賀川豊彦が特集されている。その現代的可能性を求めて。
そこには実に多様な人びとが寄稿している。山折哲雄を始め田中康夫加山久夫氏などだ。生協からは、生活クラブ澤口隆志氏とコープこうべ元副理事長増田大成さんによるもの。本家の日生協からはない。


賀川豊彦の学び方は難しい。工夫が必要だ。なにしろ労働運動、農民運動、生協運動から貧困との戦い、飢餓との戦い、そして世界連邦などへの提案。詩人、作家。キリスト者など。賀川豊彦は実に多様で様々な顔を見せる。そして戦争協力者との批判や右翼と罵られ、逆に左翼と批判される。

まずは、全集の特に11巻の協同組合論が面白い。それから、詩がいい。胸が熱くなる。そして小説だ。

だが、これだけだとわからない。なぜああいうとてつもない運動と事業が可能だったのか。それから、その関わった組織が今日も存続し発展していることが。賀川豊彦がいなければ、いまの生協はない。存在していない。

ではどうするか。
歩いてみること。関わりの跡を。関わりの人びとを。なるべく自分の足で探りまわること。間違いなく行動のなかからしか見えてこない風景がある。変わった人を知るためには、変わった方法から迫ってゆくことだ。工夫してみる。


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2009年04月25日

食べることについて 幕内秀夫「体によい食事 ダメな食事」

673b1efc.jpg食べることがすべてを決める。自分のこと、社会のこと、そして国のカタチ。
生きることと同義で使う「飯を食べる」という言葉。この幕内秀夫さんの本を読むと納得する。

「飽食のなかの飢餓」こそ日本の最大の問題だと思っていた。彼は「現代型栄養失調」と呼ぶ。何が失調しているか。微量栄養素だ。ビタミン、ミネラル、食物繊維などだ。

しかし、面白いのはだからといってサプリメントなどでこの微量栄養素をとれとすすめてはいない。なぜ微量栄養素が失われるか。それは行き過ぎた精製からだという。
全部、丸ごと食べることが本来の食べかただ。イヌイットは野菜や穀類を食べない。アザラシやカリブーのみだ。たが栄養失調にならない。インディオはトウモロコシがほとんど。偏食と言えば、世界にはこの手の極端な偏食がたくさんある。

だが、健康で活動している。どこが違うか。それは丸ごと食べるからだ。
アザラシは内蔵も血も食べる。トウモロコシは胚芽も食べる。

ここに気づくキッカケは長寿村の山梨県上野原町棡原の変化だ。巡回診療の古守豊甫医師が元気な老人より先に中年層が生活習慣病で寝込み短命化している。
昔は麦を主体に雑穀やいも類を主食に、野菜や山菜を副食にしていた。山深い僻地でほぼ自給自足。ところが交通の便が良くなり、肉、牛乳など多様な食べ物を取るようになってかえって病気が増えたのだ。

平均寿命の矛盾も明らかにしている。現在生きている人の各年齢別の平均に過ぎず、いまの30歳があと何年生きられるかとは違うのだと。
そういえば沖縄の寿命はここ数年で劇的に縮小している。

幕内秀夫さんの食べることについて、一番面白いのは、理想的な食生活とは結局、一人ひとり違うということ。運動や気分によってもことなるという考え方だ。

米の大切さも何度となくふれている。
食について考える重要な一冊だ。


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2009年04月17日

アメリカの政策とポール・クルーグマン

42834a0a.jpg「世界大不況からの脱出」なぜ恐慌型経済は広がったのかーポール・クルーグマン、プリンストン大教授。

最初に、かのシカゴ大学のノーベル賞受賞教授の恐慌の問題の核心は解決された、との見解が引用されている。
そして、しかし残念ながら我々は愚かだったという。その疫病神はわれわれに襲いかかっているのだと。

恐慌への対処。
その結論は、景気対策だとする。世界の信用機能は麻痺状態にあり、その勢いを増しつつある。
当面の危険な状態をとうにかしなければならない。それは二つ。信用フローの回復と消費の換気だという。

そして金融機関への多くの資本注入である。それでも回復は疑問だというのだ。

答えは古きケインジアン流の財政刺激策である。
ケインズを引用する「善や悪にとって危険となるのは、既得権益ではない。われわれの思考である」


この結論に導くために1978年のジョアン・スウィニーらの「金融理論とキャピトルヒル・ベビーシッター協同組合大論争」が紹介される。

議会関係の仕事をもつ若い夫婦でお互いにベビーシッターをする協同組合。代用通貨としてクーポン券を発行していた。これが貯める人が増えると、かえって労務提供だけが増え続け使う人が減り、協同組合の危機に直面したというもの。

これをモデルとして、システムを単純化し、それがいかに機能するか思考実験をしている。

要は有効需要を引き出すこと。クーポン券の供給量を増やすことだという。これで増えて配られたクーポン券でベビーシッターを利用する人が増えたという。

さて、銀行の国有化と通貨供給量の増発、公共事業の拡大と矢継ぎ早に対策を取っていく。とるべきだと主導する。これがいまのアメリカ政府の政策だ。

だが、問題は多くの人びとの意識だ。金融は経済の血液に過ぎない。人そのものあり方、すなわち実体経済がどうあらなければならないか、いまそれが問われている。

われわれは、いままでの自動車や電気産業の復活にかけるのか。それを回す金融資本にまた翻弄されるのか。

そうではない。まさに農と食を基本とした自然との共生のあるべき社会こそ生み出してゆく。こういうビジョンにとって必要な信用とはなんだろか。


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2009年04月13日

臨死体験のキューブラー・ロスの自伝

19cf7341.jpg立花隆が「臨死体験」の上下巻を出版して反響を呼んだのは、NHKで同名のドキュメンタリーを放映したものからだ。すでに10年以上前だろうか。

死後の世界。あるいは幽体離脱。臨死体験といった人間のもっとも知りたい世界を探求する。ここでは立花隆は、幽体離脱でないと分からない事実を積み上げていく。例えば、治療室の患者が見えるはずがない場所の靴を語ったなどだ。しかし、結局は、本当に死後の世界があるのか、幽体離脱は本物かは断定できないで終わる。

その本で、医学者の正確な記録が引用される。それが「死ぬ瞬間」というキューブラー・ロスの著書だった。

この「人生は廻る輪のように」エリザベス・キューブラー・ロスを紹介してくれたのは、沖縄石垣島を案内していただいた真南風の夏目さん。熱心にすすめてくれた。

キューブラー・ロスの自伝を読んで本当の凄さは、彼女の時代とヨーロッパの戦乱にあることがわかる。
ポーランドのナチス強制収容所マイダネックの死臭。毛髪の山。「あなたも、いざとなれば残虐になれるわ」という若きゴルダの叫び。
国際平和義勇軍に参加しなにもない廃墟の村での復興活動。
医者への道のり。たくさんの死との遭遇。

こうして死に向き合い、死を生で探求するようになり、生を理解しだす。
そして、いのちの目的を知る。無条件の愛を身につけること。それが死を賛美することとなると。

だれもが死を恐れる。だが、これほど赤裸々に死を語る人はいない。一気に読める本である。すごい。


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2009年03月17日

憂鬱な時代 そこを生きる 横尾忠則「見えるものと観えないもの」

44d6860d.jpg少し前まで日本経済新聞の日曜版に瀬戸内寂聴さんの連載があった。

文壇交友録だが、すべて今は亡き人たちの思い出である。
おもしろかった。

このときの挿絵が横尾忠則氏のものだった。これがまた、リアルで不思議な存在感が漂っていた。この絵を見たくて読むときすらあった。

ところが、なんと地方版だとこれがカラーではなくモノクロなのだ。日経の手抜きに腹がたった。金返せといいたい。

さて、リアルといえば、非常にリアルな非現実というものがある。これは、こういう世界が嫌いな人たちには、まったく受けつけないだろうな、というもの。

「見えるものと観えないもの」ちくま文庫。
対談集、淀川長治、吉本ばなな、中沢新一、栗本慎一郎、河合隼雄、荒俣宏、草間彌生、梅原猛、島田雅彦、天野裕吉、黒澤明。

あっちの世界、霊感、宇宙論は天使説、夢、狂気、非合理、神といった内容が平気で話される。
これは、夜、ひとりで読みたい。
電車の立ち読みだと、かなりチカラがいる。没頭するために。

いま、若い人たちに鬱病が多い。
カウンセリングに行くとすぐ薬を与えられる。セロトニン。脳内物質だ。危険だ。
脳は、ひとつの宇宙、お医者さんたちには計り知れない。巨大な化学工場であり弱電コンピューターといわれている。

ここに、ストレートに化学物質を投与するなんて、信じられない。非常に危険だと思う。複雑で有機的な機能だ。
むしろ現代社会の仕組みで憂鬱にならない方が、おかしい。と誰もが思っているだろう。だが、当人や家族にはそうもいってられない。深刻だ。

このようなときに、ぜひこの本をお薦めする。世界がどうなっているかは、世界に同調しないで、自分のなかの宇宙に素直になることでわかる。

自分を信じるというか自分のなかの「神」と出会い「宇宙」と交信することだ。

こういう話は、まともにするとたいがいバカにされる。
だが、実は神を失ったことが、生き方を失ったということなのだ。憂鬱な時代は、そこから始まっている。神の喪失。

だが、なにもどこかの宗教に入信たらというわけではない。そうではなく、神を発見してゆくことだ。
この秘訣が書いてある。すぐ読むべし。


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2009年02月18日

日本人は思想してきたか 現代の探求者三人の話

6fb46065.jpgなぜ世界は行き詰まるのか。
このことを、人間の歴史と思想から考え、それも日本人として把握しようとする。

吉本隆明氏
政治と文化と考え、やはりそれからはみ出してしまうものを、思想と呼び、探求する。
外の制度と内部の個人の問題と、重なりあった混沌とした領域。

日本の古代からの思想は、思想を思想自体で体系的に述べているとか抽象的に述べているとかということよりも、何々についての思想、たとえばお茶はどう点てて、点てることはどう意味あるのかとかといった意味での思想。

梅原猛氏
西洋思想は崩壊する。近代世界というものはやがて崩壊するんじゃないか。
近代の時間は直線的な時間であり、それは進歩史観に通ずる。
このように抽象化された概念で創り上げた世界はやがて崩壊するんじゃないか。

文学や宗教のなかに、大変精緻な思想が含まれるんじゃないか。

中沢新一氏
どうしてお茶の思想とか、お花の思想というふうな、個別的で具体的な表現の形態として出てくるか。

創造的な思想家は、自分の実感と普遍の体系との間というか、ずれというか、そういうところに立脚して思想をつくり出そうとしてきて、日本的な仏教とか日本化された儒教としてあらわれてきて、一番でているのが国家にかかわる問題なのだろうと思います。

目次
日本人の「思想の土台」
日本人の「思想」の形成
歌と物語による「思想」
地下水脈からの日本宗教
「近代の超克」から「現代の超克」

いま世界資本主義は、雪崩をうって崩壊している。何が起こっているのか。
世界が自壊するなかで人間の有りようが問われているのだ。

景気が回復するといった問題ではなく、新しい生き方や仕組みが問われている。
その構想力のための貴重な一冊である。すごい本だ。


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2009年02月10日

真の革命 貧困との戦い

c30156a1.jpgインドはガンジーを生み出した。ガンジーの偉大さは、政治や社会の変革を、人びとのこころとからだの改革として平和と自立を希求したことだと思う。

絶対的な権力と暴力を前に、不服従という内なる闘いと祈りを広げた。それは、例えば、糸車だ。イギリスによる綿花栽培と収奪。そして洋服の販売に抵抗し農民の自立を表現した。非暴力として糸車を回し続けた。壊されても壊されても回し続けた。この闘いの質が、人間性のあり方を問いかけるものとなってゆく。

大英帝国が民衆を暴力で弾圧したときに、人びとが暴力で反撃し始める。そのときガンジーは断食で呼びかける。非暴力だと。

人間の外在化した欲望と他者への侮蔑は、また、虐げられた人びとをも蝕んでいく。
貧困は、戦争と暴力の温床となり、歪んだ社会を拡張してゆく。

さて、インドから独立したパキスタン。さらにそこから独立したバングラデシュ。
ここに、モハマド・ユヌスが誕生した。
このユヌス氏の実践と思想こそ、あらたなガンジー思想だと思う。
人びとを貧困に閉じ込めることから解放する。自ら自立し世界を変えることができる。
人びとの無限の可能性を信じる。口先ではない。まさにやってみせる。実現する。700万人もが自立していく。しかも、貧しさと富の頂点をつないでみせる。ビル・ゲイツも救われる。

世界の矛盾を、自らのうちに取り込んで引き受ける。そして、貧しい人びとと共に行動し変革を実現していく。
彼には、もうハッキリと見えている。貧困の解決が。来るべき世界が。

アジアは偉大な精神を生み出していく。とりわけインドやバングラデシュの地域において。これは、矛盾の極北にあるからかも知れないと思う。


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