ところが現実の実情はどうか?いま、どこの生活支援センターも経済的苦境にあえいでいる。小泉政権の「障害者自立支援法」という悪法のせいだ。国は、「惜しみなく資金を投じる」どころ、ではなかった。
「障害者自立支援法」のねらいは、障害者の支援受給を「応能負担」から「応益負担」に変えることにあった。
この法によって、今まで無料で支援を受けていた多くの障害者が1割の自己負担金を支払うこととなり、ために彼らは受給を手控えざるを得なくなった。利用率が減少に転じた。支援組織の収入も出来高払い制に変えられたから、利用の減少は収入の減少となりその結果補助金減少となって支援組織の経済基盤を揺るがせた。この法律は今度の政権交代で廃案にする方向が決まったが当然である。
弱者とそれを援ける組織を困らせるような国家は福祉国家の名に値しない。
以上、精神保健福祉法の成立以来、ジグザグではあっても客観的に見れば国の手で精神医療体制の改編が少しずつ進んでいることも事実だ。在来の体制がわずかだが揺れ動き始めている。
だが、過去に作ってしまった負の遺産はあまりにも重い。それを突破できるかどうか?超えなくてはならない障壁は高い。
最も困難な障壁は、日本の精神病院の8割以上が「私立精神病院」であるという点だ。
かつて国は、増やせ増やせでやたら私立の精神病院を作らせた。それを今更、減らせ減らせと面と向ってはなかなか言えない。一方、私立病院の大半は「地域中心へ」の国のかけ声に知らぬ顔の半兵衛で一向に腰を上げようとはしない。現在のままでいる方が、経済的に安泰でしかも楽だからだ。
欧米に較べて日本の改革が格段に難しい要因がここにある。欧米の精神病院の大半は「公立」だから、ひとたび国が改革・縮小の方針を打ち出せば、直ちにその方向に向かって精神病院を動かすことができた。日本ではそうはいかない。命令一下で「ハイ」と言って「私立」の病院がわれとわれが身をすすんで削るはずがない。
いま、日本の精神病床の数は34万余床、これは欧米諸国に較べて異常に多く、それが国際非難の的となっている。
何故、病床数が多いか? 病状が安定しても地域に生活手段がないため長期に入院を余儀なくされている人、所謂「社会的入院者」があまりに多いからだ。国は“社会的入院者7万”と言っているが、実際は20万人くらい居る。
国は、これらの人を地域で生活させることにあまり熱心ではない。以下に述べる国の施策がそのことを物語っている。
国は「急性期治療病棟制度」を新設する一方「長期療養型病棟制度」というものを導入した。本来なら地域で暮させるべき長期在院者を、せめて「療養型の居心地よい病棟空間」で暮らさせようというわけである。
長期療養型病棟は定額制だがそこそこの収入にはなる。精神病院はこの制度を大歓迎だ。だから「療養型病棟」が、旧態依然の「客の出ていかない慢性宿」となる可能性は大である。国もそのことを十分に承知していながらこの制度を設けた。
してみると、きつい見方をするなら、国は「急性」と「慢性」とに精神病棟を再編することで、長期入院者の地域化には目をつぶったのである。彼らが老いれば「長期」は自然消滅となる。それまで待とうというわけだ。
換言すれば、国は「社会的入院者」を「長期療養棟」に見捨てた。その証拠は、「障害者自立支援法」の条文を見れば明らかだ。そこには「精神病棟を“退院支援施設”に転用することを認める」とある。「病棟」を「施設」という名に変えたところで何が変わろう?数の上だけで病床数が減るだけのことで、実質は何も変わらない。こんな姑息な手段を用いて国の体面を保とうとする国家は恥知らずだと言うべきであろう。
国が「社会的入院者」を地域に出せないというのであれば、せめて「これだけは」ということがある。「社会的入院者」をこれまでのように再生産しないこと。その体制はなんとしても整えなければならない。その方向は少しだが見えている。【つづく】