ishi1おわりに

以上、日本と欧米の精神医療史の一端を書いた。

欧米でのことを書きながら思ったことがある。「精神病者収容」と「植民地支配」は、また、「精神病者解放」と「植民地放棄」はともに時代が重っている。他国を犠牲にして己の利を貪る国は、自国の弱者をも犠牲にして省みない。そういう土壌には「共生の理念」など生まれるべくもないし育ちもしないのである。

また、日本のことを書きながらこんなことを思った。日本の精神医療の辿る道は行途険しく、あれかこれかと過去と未来の狭間で揺れている。果して日本はあるべき精神医療の未来に向かって、その改革を加速することができるのであろうか? それは、いつに国家がどれくらい本気になるか、本気になってそのための資金と人材を惜しみなく投ずるか否かにかかっている。

また、国家をしてその気にさせるためには、いかに多くの人が精神医療に関心を持ち、問題の本質を理解して、精神病者の支援に立ち向かうか否かにかかるだろう。

「バザーリア」の忘れてはいけないのは非凡持たざる者も沢山の人がひとつに結集して粘り強く努力すれば、国をも社会をも動し得るのだということであろう。

■参考文献
森島垣雄「魔女狩り」岩波新書1970年。
ギー・テスタス、ジャン・テスタ(安斎和雄訳)「異端審問」白水社1974年
ミシェル・フーコー(田村俶訳)「狂気の歴史」新潮社1975年。
武田徹『「隔離」という病』講談社1997年。
エリオット・フリードソン(進藤雄三・宝月誠訳)「医療と専門家支配」恒星社厚生閣1992年
ジル・シュミット(半田文穂訳)「自由こそ治療だ」悠久書房1985年。
広田伊蘇夫「精神病院」岩崎学術出版社1981年。
石川信義「心病める人たち」岩波新書1990年。


「昔とんぼの旅日記」の掲載は、2009年6月に始まり2010年8月に至るまで、1年間の長きに亘った。この間、読むにたえぬ私の拙文にお目通しを賜った皆様に深く深く御礼を申し上げる。また、ライブドア及びPJニュースのブログに連日拙稿を掲載するの労をお取り頂いた小田光康さんに、私の悪筆原稿の活字化にお取り組み下さった小渡英彦さん、また吉川忠行さんと青木伸一郎さんに、そして、旅に出るに当たって安切符をいつも手配していただいた冨士トラベルの土屋・太田支店長さんに、深い謝辞を捧げる。

(ソレカラ、原稿ヲ配送ノヤマト便ノオ兄サンオ姉サン、アリガトウ)

【終】 (次回、付録があります)