前の仕事の劇場作品をやっていたとき。その劇中灯台が出てきた。
「この仕事が終わったら海を見に行きたいな・・・」
そう、思った、だから見に行った。
カメラ好きの同僚から聞いた灯台のある「犬吠崎」。
インターネットの地図上で、その位置を調べ、駅乗り換え検索で行き方をザラっと調べる。
それだけで他は何も用意しない、持たない。
カメラだけを片手に旅に出る。
旅行ガイドブックなんて必要ない。
東京から約3時間、千葉の東にその灯台をそびえたつ。
観光地でもあるので、人は多い。
その灯台から見える地平線と限りなく広い空。
波の音が絶えず聞こえる。
日々の仕事、変わらない景色の中で薄れていった。
生へのリアルな実感がよみがえる。
五感で身の回りのもの全てを感じ取っていかないと、人間の生きる感覚は失われていく。
考えることも、感じ取ることも鈍くなり、日々の飯の心配もしなくてもいい
知らずうちに飼い殺される。
人間は、子供から大人、家族や学校や会社、ありとあらゆる集団に帰属し、自らを自己家畜化する。
外界からの刺激し脳みそに新しい風を通さないと、いくらみそでも腐るのだ。
灯台から南に下り、小さな漁村に訪れる。
過疎化のせいか、あまり人気のない町で、人よりも犬と出会うことが多い町。
何匹かにはよく吠えられる。ああ・・・だから、犬吠(崎)なのか・・・。
人懐っこい犬はいない。みな、あきらかによそ者を見ている目だった。
警戒心があるほうがいい、野生の心が残っている証拠だ。
そこから北へ、単線の電車を途中下車し、漁港へ向かう。駅員に街紹介のパンフレットを見せて、場所を聞いたら笑われた。
歩けば20分くらいと聞いていたが、どうも20分じゃつかないらしい。日も落ちそうだったから、途中のコンビニで地図を買った。意地でも歩いていくつもりだった。
夕方5時を回った漁港は静まり返っていた。そりゃそうだ、漁は朝早い。
海猫の大群とはちあう。空一面、海猫、圧倒される。
5時半を過ぎ、漁港の近くの市場も店じまいを始めている。
少量の観光客もみな車で帰っていく。バスなんてない。
辺りが闇に包まれ、車のヘッドライトのみが行き交う果てしなく続く道をとぼとぼ歩き始める。どっちに進めば帰れるのか・・・。
駅へ向かおうと思ったがやめた。単線の電車だ、下手すれば日が落ちた時点で終電になっている予感がした。残り少ない体力でそんな失望はしたくない。JRの駅へをまっすぐ向かった。
靴擦れと筋肉痛で歩き方もおかしくなっている。苦しいが仕事の毎日で歩くことも少ない日々、なにか無理してでも歩きたい気がした。
やがて大通りに出て、バスに乗り継ぐことができた。助かった。
駅前の定食屋でいわしのから揚げ定食、ご飯がうまい。ご飯だけはその土地の水で味が違う。
電車で東京へ
「もう、うちへ帰ろう。」