河合信和の人類学のブログ

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中部ドイツのイルゼン洞窟で4.5万年前のホモ・サピエンス化石と移行期とされたLRJ旧石器群の関連が明らかに

 ドイツ中部のイルゼン洞窟で、ヨーロッパ最古級のホモ・サピエンス化石(写真)が発見され、放射性炭素で4万5000年前頃のものと結論づけられた。ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際チームが、英科学誌『ネイチャー』2月8日号で発表した。

◎新たに人骨片4点発掘
 遺跡は、中部ドイツ、ラニスの丘の上に建てられた中世の城の下に開口するイルゼン洞窟(写真)で、戦前の1932年~1938年に発掘調査され、多数のトナカイ、バイソン、ウマなどの多数の動物骨片と人骨片、中部旧石器から上部旧石器への移行期の石器文化と見られる「リンコンビアン・ラニシアン・イェルツマノヴィチアン(Lincombian-Ranisian-Jerzmanowician:LRJ=写真)」が発見されていた。
 その後、2016年~22年の再発掘調査で、LRJの石器、獣骨と共に4点の人骨片が新たに発見され、直接、年代測定を行った。その結果、前記のように約4.5万年前の年代が得られた。
 戦前の発掘も含めて抽出できた人骨9点のミトコンドリアDNAの解析で、すべてが現生人類ホモ・サピエンスと同定された。

◎LRJはホモ・サピエンスの製作が確実に
 上記の結果から、移行期石器文化と考えられたLRJは、ホモ・サピエンスの製作したものであることが確実になったと言える。
 この研究成果から、ホモ・サピエンスは遅くとも4.5万年前には中部ドイツにまで進出していたことが明らかになった。この頃、まだ典型的ネアンデルタール人が生存している時だったので、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間にどのような接触があったのか、なかったのか、なお興味は尽きない。


イルゼン洞窟で発掘された現生人類(ホモ・サピエンス)の骨片化石(ドイツ・テューリンゲン州政府提供)
ラニス城の下にあるイルゼン洞窟

イルゼン洞窟で発掘された石器。現生人類(ホモ・サピエンス)が作ったと推定された(ドイツ・ラニス城博物館提供)

南部アフリカ、カランボ・フォールズで47.6万年前の木造遺構

 これまで前期石器時代(Early Stone Age)の木製遺物などが見つかっていたザンビア、カランボ・フォールズで、2019年に水浸しの「サイトBLB」で行われた発掘で加工された木製品が5点見つかり、その詳細がイギリス、リバプール大のローレンス・バーハム教授ら国際調査チームによって科学誌『ネイチャー』10月5日号で報告された。
 注目されたのは、大きな柱に横木を思わせるノッチの入った木製品が組み合わさって見つかった遺物だ。石器で削って横木に切り込みを作り、柱に組み合わせて構造物を建てたように見える。
 年代はルミネッセンス法で47.6万年前±2.3万と出された。
 カランボ・フォールズでは、今から半世紀以上前の1950年代から60年代にかけて、アフリカ考古学の泰斗デズモンド・クラークにより数次にわたる発掘調査が行われ、アシューリアン石器と共に、木製の棍棒と掘り棒も見つかっていて、年代は今回発見の木造遺構と大差ないと思われる。
 推定年代から考え、南部アフリカにまだホモ・サピエンスが出現しない前なので、調査者たちは木造遺構はホモ・ハイデルベルゲンシスの作ったものと考えている。
 この発見で、ホモ・サピエンス以前の旧人類の新たな行動が垣間見えたのは、大きな成果だった。

The underlying log水浸し遺跡発掘風景02木造遺構ザンビア

人類が人肉を食べた最古の痕跡確認、半世紀以上前にトゥルカナ湖東岸で発見のオコテ層出土ヒト族脛骨で

 ケニア、トゥルカナ湖東岸で1970年にメアリー・リーキーに発見され、詳しい研究がなされないままケニア国立博物館に眠っていた約145万年前のヒトの左脛骨骨幹部 (KNM-ER741)に、アメリカの女性研究者らが石器のカットマーク(切り傷)を検出し、この頃のヒト族に人肉食が行われていたことが分かった。
 研究結果は、2023年6月26日付で科学誌「Scientific Reports」に発表された。

◎約145万年前のKNM-ER741脛骨
 スミソニアン国立自然史博物館の古人類学者ブリアナ・ポビナー博士は、2017年、ナイロビのケニア国立博物館を訪れ、そこに収蔵されている数十点のヒト族の骨を調査した。ポビナー博士が探していたのは、骨に残る肉食動物の噛み痕だった。それが見つかれば、初期人類がハイエナやライオンなどのネコ科などの捕食動物に食べられていたことの証明になるからだ。
 ところが、そうした噛み痕は全く見当たらなかった。その代わり、ヒト族の左脛骨骨幹部1点(KNM-ER741)に石器の切り痕のようなものがついているのを見つけた。メアリー・リーキーが、半世紀以上前にトゥルカナ湖東岸で発見した骨だった。骨は、クービ・フォラ層群のオコテ層の出土だから、年代は約145万年前となる。
 似たような傷は、トゥルカナ湖西岸から見つかっていた同時代のアンテロープなどの下顎、橈骨、肩甲骨化石にも見られた。おそらく初期人類が得た草食獣の死体から、石器で肉を切り取った痕だ。

◎傷を正確に型取りし、898点の対照例と比較
 ヒト族左脛骨の傷が、石器のカットマークだとすれば、ヒト族が人肉食をしていたことの決定的証拠になる。なおヒトの骨のカットマークは、これまでスペイン、グラン・ドリナ洞窟TD6層(約78万年前)を初め、ネアンデルタール人骨やホモ・サピエンス人骨でも多数の確認例がある。オコテ層のKNM-ER741の傷が石器のカットマークと確認されれば、人肉食の歴史は145万年前まで遡ることになる。
 ポビナー博士は、歯科医が歯型を取るのに使う材料で傷痕の型を取り、共同研究者のコロラド州立大学の古人類学者マイケル・パンテ博士に送った。
 パンテ博士は、パデュー大学の博士課程で人類学を研究するトレバー・キービル研究員と共には、傷痕の3Dスキャンを作成、実験で動物骨につけられた石器による切り痕、動物による噛み痕、踏みつけ痕など合計898点と比較した。この分析により、KNM-ER741の11カ所の傷のうち少なくとも9例が石器によって付けられたものであることが判明した。

◎ホモ・エレクトスが支配的になっていた東アフリカだが他種ヒト族も残存
 カットマークの被害者の属性は分からないし、カットマークを付けたヒト族も分からない。しかし145万年前頃のトゥルカナ湖東岸からは、ホモ・エレクトス化石が大量に見つかっており、彼らはアシュール・インダストリーの石器文化を発展させていた。
 一方で、まだこの頃、ホモ・ハビリスとパラントロプス・ボイセイが残存しており、加害者も被害者も、その可能性は残る。
 しかし東アフリカではホモ・エレクトスが支配的なヒト族の地位を固めていたので、カットマークを付けて人肉食をしたのはホモ・エレクトスと考えた方が適切だ。
 もしKNM-ER741もホモ・エレクトスだったとすれば、同一種間のカニバリズムとなる。しかしホモ・ハビリスかパラントロプス・ボイセイだったとすれば、ホモ・エレクトスは明らかに異種動物と認識していただろうから、普通の獲物の肉と思って食べたのかもしれない。
 いずれにしろ人類の人肉食の歴史は、145万年前まで遡ることになった。
 下の写真は上からヒト族の左脛骨に付けられた傷、中央は動物化石の石器のカットマークでa)はアンテロープの下顎、b)アンテロープの橈骨、c)は大型哺乳類の肩甲骨、下は石器で肉を切り取られたと見られる左脛骨と切り傷の拡大部。切り傷はすべて同じ方向を向いており、石器を扱う手が、握りを変えることなくすべての痕を連続してつけたことを示している。

145万年前の脛骨(けいこつ)についた切り痕は、食用として脚から肉を切り離すために石器が使われたことを示唆している



今回のヒト族の脛骨と同じ地域から出土した、同じ時代の動物化石の拡大写真食肉処理が施されたと考えられるヒト族の脛骨と、切り痕の拡大画像。

唐古・鍵遺跡で弥生時代のニワトリ、雛を孵し、継代飼育したことを示唆する紀元前3、4世紀の雛の骨

 これまで弥生時代遺跡からニワトリの骨が発掘されていたが、形態からほとんどがオスと見られていたが、このほど北海道大学総合博物館の江田真毅教授(動物考古学)らの研究グループの報告で、弥生時代の大集落、唐古・鍵遺跡出土の骨が初めてニワトリの雛の骨が同定され、年代も日本最古の紀元前4~3世紀と分かった。
 雛の骨であることから、日本列島でニワトリが継代飼育されていた可能性が強まった。すると、いまだ同定されていないが、弥生集落にはメスもまたいたと見られる。

◎コラーゲンの質量分析でニワトリと同定
 問題の骨は、唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)の弥生中期初頭と見られる溝から1995年に回収された、幼鳥の骨4点(大腿骨1点、骨盤の骨3点)、ニワトリのオスの骨とともに発掘された(写真)。形状からニワトリの属するキジ科だとは分かったが、特徴の表れにくい雛であったため種の特定まではできなかった。
 研究グループは、哺乳類などで種の同定に用いているコラーゲンタンパク質の質量分析に着目し、ニワトリと、同じキジ科のキジやヤマドリが質量分析で識別できることを確認した。大腿骨と骨盤の骨を1ミリグラムずつ削り取って測定すると、ニワトリに特徴的なタンパク質の断片パターンが見られた。
 放射性炭素年代測定で、補正後に大腿骨の年代は紀元前381~204年(紀元前4~3世紀と判明し、弥生中期初頭という推定年代と一致した。

◎時告げ鳥として飼育されていた?
 現在のニワトリは、東南アジアの森林に棲むセキショクヤケイが家畜化されたもので、日本には弥生時代に大陸から持ち込まれた。ただ移入された理由は、メスの骨が同定されていないことから、今と違って採卵や食用に飼育されていたのではなく、時告げ鳥として飼育されていたと見られている。
 雛の骨の同定で、弥生集落では細々とニワトリが飼育されていた可能性が高まったから、いずれメスの骨も見つかるだろう。

02分析に用いた大腿骨1と骨盤の骨2(田原本町教育委員会所有、北海道大学総合博物館提供)

2万年前の旧石器人が身に着けていたシカの歯製のペンダントの使用者の性別・祖先と年代を推定

 約2万年前のシカの歯製ペンダント(写真)が、ホモ・サピエンス女性が身に着けていたものと古代DNAの解析から明らかになった。

◎デニーソヴァ洞窟から発掘
 原始人の骨や歯の化石から古代DNAを抽出して、性別や祖先の系統を調べる研究は、長足の進歩を遂げている。今度は、旧石器時代の装身具から、身に着けていたと思われるヒトの素性が突き止められた。なお他の動物の材料から製作された遺物から古代人のDNAが取り出されたのはこれが初めて。ドイツ、マックス・プランク進化人類学研究所などの研究チームが23年5月3日付のイギリス科学誌『Nature』に報告した。
 研究チームのマティアス・マイヤー博士らは、2021年にロシアのシベリアにあるデニーソヴァ洞窟で発見されたシカの歯のペンダントを調べた。同洞窟は、約30万年にわたって様々なヒト族の集団が入れ替わり立ち替わり居住していた歴史があり、2010年にはデニーソヴァ人というそれまで未知のヒト族が発見されたことで有名になった。今回のペンダントは、同洞窟にホモ・サピエンスが暮らしていた約2万年前の堆積物の層から出土したものだ。

◎リン酸ナトリウム溶液に浸してヒトDNAを抽出
 進化人類学研究所の大学院生エレーナ・エッセル氏は、苦心の末、90度のリン酸ナトリウムに何度も遺物を浸すという手法を開発、ペンダントの一部を破壊することなくヒトのDNAの抽出に成功した。
 研究チームは、出土層位から装着者がホモ・サピエンスであることが確実なので、ホモ・サピエンスとアメリカアカシカ(Cervus canadensis)のDNAを区別したうえで、ヒトの性別と祖先を特定した。その結果、これまではるか東方でしか記録されていなかった北ユーラシア人の子孫である女性と判明した。
 また研究チームは古代DNAの変異の数を計算し、現代のゲノムと比較することで、ペンダントの年代を推定した。シカとヒトのDNAから、ペンダントは1万9000〜2万5000年前のものであることが示された。年代幅は、数十年以内の幅で特定できる放射性炭素年代測定法に比べると大きいが、試料のペンダントを傷つけることなく測定できた意義は大きい。

◎他の骨製・歯牙製遺物にも研究対象は広がる
 この技術に磨きをかけていけば、骨製針や動産芸術品の使用者(あるいは制作者)の性別や、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの両方が居住していた場所で骨製の遺物が見つかった場合、どのヒト族がそれを作ったのかを推定できるようになるかもしれない。
 まだ解明すべきことも多い。例えば骨製遺物がヒトのDNAを吸収するにはどれくらい身につけていたらいいのか、などだ。2、3日や2、3週ではヒトDNAを吸収できないだろう。制作者と使用者の性別が違ったとしても、使用者の方がはるかに長期間、遺物に接触していたはずだから、抽出したヒトDNAは使用者と推定しても間違いあるまい。
 研究チームは、今後、骨製製品などの発掘・取り上げには、現代人の汚染を招かないよう、細心な注意が払われるべきだと注意している。

シベリア南部のデニソワ洞窟で発見されたシカの歯のペンダント。約2万年前の女性が身に着けていた可能性が高い
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