河合信和の人類学のブログ

 科学ジャーナリスト、河合信和の公式ブログ。人類学、先史考古学関連のニュースなどを随時掲載の予定。

オーストラリア最古の人類は6.5万年前か、新発表のマジェドベベ岩陰

 オーストラリアへの最古の人類の植民は、従来観よりさらに2万年も古く遡るという報告が、クイーンズランド大学のクリス・クラークソン教授らの研究チームからイギリスの科学誌『ネイチャー』7月20日号でなされた。
 2012年から発掘調査された北部オーストラリア、カカドゥ国立公園近くのマジェドベベ岩陰で、6万5000年前と年代推定された地層から大量の石器が見つかったという。
 一次堆積層中の人工品は3つに集中しており、層位的検討と光励起ルミネッセンス法により、石器群は前記の年代と推定された。これらの人工品の中には、世界最古の磨製石斧(写真=エッジの磨かれた手斧の刃)、種子を挽いたらしい磨り石、さらに身体彩色用と見られるオーカー粉末も含まれるという。

00オーストラリア新発見の石斧
 年代が正しければ、今まで知られたものより2万年は古いオーストラリア最古の人類遺跡となる。
 そのホミニンは、その2~3万年前にスエズ地峡を抜けたホモ・サピエンスと考えられるが、従来、考えられていたよりかなり早期にオーストラリアに植民したことになる。
 それだけでなく、4.5万年前頃には絶滅したと考えられるディプロトドンなどの大型有袋類と人類は2万年は共存していたことになり、絶滅メガファウナとの関係が重要になる。さらに、この頃には絶滅したフローレス島のホモ・フロレシエンシスとの関係や東南アジアに分布していたらしいデニーソヴァ人との遺伝的関連性も検討課題になるだろう。
 ただ「人工品」とされる遺物は、数万点にも達するとされるのが気がかりだ。人工品ではなく自然遺物という疑問に答えられるかどうか、そして年代は本当に正しいのか、議論を呼ぶだろう。

最古の現生人類か、ジェベル・イルード個体群(モロッコ)とその31.5万年前という放射年代

 モロッコ西部のジェベル・イルードでは半世紀以上前の1961年に偶然に発見されていたホミニン化石は、ネアンデルタールとの類似が指摘される古型ホモとされていたが、2004年に新たな調査が再開された同遺跡(写真)から新たに得られた5個体分の下顎骨や頭蓋片資料を基に、ジェベル・イルードのホミニンが最古段階のホモ・サピエンスである可能性が指摘された。

00ジェベル・イルード2


◎進歩的顔面に古い形態の頭蓋
 調査を指揮したマックス・プランク進化人類学研究所の古人類学者ジャン=ジャック・ユブラン(写真)ら研究チームは、イギリス科学誌『ネイチャー』2017年6月8日号に2本のリポートを報告した。

00古人類学者のジャン=ジャック・ユブラン氏

 1本は、新発見の頭蓋片をコンピューター復元した結果を基に、高くて丸い脳頭蓋、突出していない小さな顔面、頑丈ではなく現代人的な下顎骨と歯の形態などの進歩的側面を基に、最古の解剖学的現代人、すなわちホモ・サピエンスのクレードの最古段階とする論文だ。それでも同ホミニンは、前後に長い脳頭蓋などの古いホミニンの原始的特徴も残していた(写真=新発見された完全に近い下顎骨)。

00ジェベル・イルード下顎成体の下顎骨の化石

 初期の標本のように新旧の特徴がモザイク的に混じり合っていた。


◎焼けたフリント薄片から31.5万年前の年代
 もう1本は、ホミニン化石に共伴した中期石器時代(MSA)のフリント薄片が焚き火による火を受けていたことを利用し、熱ルミネッセンス法で年代測定し、31.5万年前±3.4万年という年代値を出した。新たに回収されたMSA石器群(写真)は、5個体のホミニンと同一層位であることからホミニンも同年代と推定された。

00MSA石器群

 実はユブランらのチームは、新調査区の2007年の研究で10数万年前というずっと新しい、いわば常識的な年代を出していたが、今回、電子スピン共鳴法でウラン系列法を再評価し、28.6万年前±3.2万という改定値も出した。この改定年代も、前記の31.5万年前と矛盾しない。


◎核地域から離れた西北アフリカで一気に12万年も年代を遡らせる
 過去の鉱山採掘活動の閉山後に、調査のための新たな道を造成する作業から再調査を始めたユブランの努力は賞賛に値するが、これまでの常識からホモ・サピエンスの起源を一気に12万年も遡らせ、そのうえ人類進化の核地域である東アフリカや南アフリカから離れた辺境である西北アフリカ地域のジェベル・イルードのホミニンをホミニンを解剖学的現代人として判断してよいのか、批判も出てくるだろう。
 なおこれまで東アフリカで最古のホモ・サピエンスは、19.5万年前のオモ頭蓋で、それを裏付けるものとして15万年前のヘルト頭蓋があった。いずれも年代は、アルゴン/アルゴン法でまず疑いない。これに比べれば、熱ルミネッセンス法の信頼性は、やや落ちる。


◎南アフリカのホモ・ヘルメイとの関係は
 これより古いホミニン化石としては、南アフリカのフロリスバッド頭蓋があり、これは信頼性のやや乏しい26万年前とされている。フロリスバッドは、これまでホモ・サピエンスと一線を画し、ホモ・ヘルメイともホモ・ローデシエンシスとも呼ばれたホミニンである。
 オモとヘルトのホモ・サピエンスと、フロリスバッドなどの南アフリカのホミニンと、ジェベル・イルードはどのような関係にあるのか、論議もある。


◎同時代者のホモ・ナレディの位置づけも問題
 さらに最近発表された南アフリカ、ライジング・スター洞窟の小さな脳のホミニンであるホモ・ナレディの年代も、30万年前前後であった。ホモ・ナレディとジェベル・イルードは、同時代者と思えないほど形態的違いは大きい。
 もしジェベル・イルードを最古段階のホモ・サピエンスとすれば、この前のおそらく35万年前頃に東アフリカか南アフリカでホモ・サピエンスが出現し、一部が北アフリカにまで拡散しジェベル・イルードに化石を残した。一方で、小型脳の原始的なホモ・ナレディは、南アフリカのごく狭い地域に閉じ込められた形で、ホモ・フロレシエンシスのように特殊化したということなのだろうか。


◎MSAはホモ・サピエンスが発展?
 なおジェベル・イルード個体をホモ・サピエンスとすれば、これまでアフリカ全土で見つかっていたMSA石器インダストリーはホモ・サピエンスが発展させた、とも判断できることになる。考古学的に、こちらも議論をよぶだろう。

ホモ・ナレディの年代は20数万年前と判明、さらに近くの支洞から新たなナレディ人骨も見つかる

 謎のホミニンと言われ、年代も不明だった南ア、ライジング・スター洞窟出土のホモ・ナレディの年代が、このほど判明した。
 さらに、以前大量に見つかっていた人骨の転がっていたライジング・スター洞窟のディナレディ支洞から100メートルほど離れたレセディ支洞からも新たなホモ・ナレディの骨が見つかった。これには、年代不明ながらも完全に近いホミニン骨格化石が含まれる。5月9日付の電子科学ジャーナル『eLife』に発表されたと『ナショナル・ジオグラフィック』で伝えている。


◎人類進化のいかに複雑で多様であったか
 ホモ・ナレディが発見されたのは2013年、2人の洞窟探検家によって、そしてその調査報告がなされたのは2015年だった。今回、ディナレディ骨群の年代は絞り込まれたが、新たな疑問も浮かび上がった。
 新年代とレセディ支洞の新発見は、人類進化の道筋がいかに複雑で、多様であったを改めて示した。
 ディナレディ出土のホモ・ナレディは、発表時、大きな話題をよんだ。

◎光も差さない出入り口もない洞窟奥深くに人骨のみ集積の特異さ
 脳が最も完全な頭蓋冠のものでは450㏄と小さく、肩と胴は類人猿のようなのに、別の部分はホモ・サピエンスとあまり変わらない。
 ただ脳が極小の猿人でないホミニンなら、ホモ・フロレシエンシスの先例がある。
 論議をよんだのは、その産状で、小柄な人がやっと通り抜けられるような、太陽も差し込まない洞窟の奥深くに多数の人骨が積み重なっていた。水で流されてきたものでないことは、他の大小動物化石が混じっていないことから否定できる。
 それを初歩的な「埋葬」と考えれば、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人に近い人類のようにも思える。


◎放射年代測定法で33万5000~23万6000年前
 調査を指揮したヴィッツヴァーテルスラント大のリー・バーガーは、石器も副葬品も発見されなかったが、形態から200万年前頃と想定していた。
 それが、このほど幾つもの放射年代を駆使し、33万5000~23万6000年前の間と特定した。大方の古人類学者の予測のように、大幅に年代はディスカウントされた。
 骨の一部を覆っていたフローストーンのウラン/トリウム年代は、2つの異なる研究室の測定値がほぼ一致し、約23万6000年前となった。したがってその下に横たわっていたホモ・ナレディの骨はそれよりも古いということになる。
 骨のさらに下からはフローストーンが見つからなかったので、ホモ・ナレディの3個の歯をウラン系列法と電子スピン共鳴法の異なる方法で測定した結果、最も古くて33万5000年前という年代値にたどり着いた。


◎南部アフリカ同時代人とは際立つ異質さ
 以上を考慮すれば、ホモ・ナレディの年代は大まかに20数万年前となる。南部アフリカにはまだホモ・サピエンスが出現していないが、フロリスバッドやカブウェからはほぼこの近辺の年代のホミニン化石が見つかっている。これらは、ホモ・ヘルメイまたは後期ホモ・ハイデルベルゲンシスとされる。
 このうちカブウェ人骨(かつてローデシア人と呼ばれた)の脳容量は1285㏄であり、当該年代のヨーロッパの早期ネアンデルタールや後期ホモ・ハイデルベルゲンシスもこの前後の脳容量を持つ。
 既知の20数万~30数万年前のホミニンは、すべてが1200~1300㏄の脳を持つこと、ホモ・ナレディの極小脳容量が極めて異質であることは確かだ。
 ディナレディでは、1550点前後のホミニン骨が回収されているが、まだ5%も発掘されていない。今後の調査が待たれる。


◎新発見、「レセディ」支洞の「ネオ」全身骨格
 一方、第2の空間は「レセディ」は、ディナレディと同年の11月、同じ2人の洞窟探検家によって見つけられていた。
 ここからは、まだ初歩段階だが今のところ約130点の人骨が回収されている(写真)。その中に、成人2個体と子ども1個体の骨が含まれていた。成人のうちの1個体はおそらく男性で、顔面がほぼ全て揃った頭蓋と完璧に近い骨格も残されている。チームは、この男性を「ネオ」と名付けた(写真)。ネオの脳容量は、610㏄と推定された。なおネオとは、ソト語で、「贈り物」という意味だ。
 年代はまだ分からないが、ディナレディと大差はないと思われる。これにより、ディナレディ標本だけではわからなかったことも将来、明らかになってくるだろう。

00レセディの窮屈な空間でホモ・ナレディの骨を発掘する

00大人の頭骨を四方向から撮影したもの


◎どうやってホミニンの骨だけが洞窟奥深くで集積したのか
 それにしても、ディナレディだけでなく、レセディという類例が加わったことで、ライジング・スター洞窟の産状はますます特異であることが明らかになった。
 レセディには他の動物の骨も一部含まれていたが、いずれの支洞の骨も、ほぼ人骨のみだ。しかも洞窟奥深くの、明かりを点けなければたどりつけない深い位置にあり、ヒトが容易に出入りできる出入り口は存在していない。
 しかも2つの支洞とも、成人や子どもを含め複数の遺体が、似たような状況で積み重なっている。これがどんな自然現象で起こるのか、説明がつかない。
 したがってリー・バーガーら調査チームは、初期の埋葬場所、墓、と見なすのが妥当になる。


◎類似するスペインのシマ・デ・ロス・ウエソス
 これと類似した産状は、スペイン、アタプエルカのシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟の早期ネアンデルタールか後期ホモ・ハイデルベルゲンシスの出土状況である。ここも洞窟内の深い縦穴の底に28個体分の人骨破片化石が積み重なっていた。わずかのホラアナグマの骨以外、他の動物骨は見つかっていない。ただしシマ・デ・ロス・ウエソスは、若齢個体ばかりという点が、ライジング・スター洞窟と異なる。年代は、40万年前頃だ。
 シマ・デ・ロス・ウエソスは、ある集団が、死者をスカベンジャーから守るためにここに投げ入れた放置葬の一形態という説がある。疫病か何かで若者が一斉に亡くなったため、恐れをなした生き残った者たちが死者を地底奥深くに隔離したとも取れる。
 後のホモ・サピエンスが行ったような儀式や副葬品を伴った手厚い埋葬ではなかったが、ともあれ死者を隔離したことは確かだろう。それを「埋葬」と呼ぶかどうかは、定義の問題でしかないように思われる。


◎脳は時代と共に巨大化に進歩したのではなかった

 生活の場でなかったために、シマ・デ・ロス・ウエソス同様、ライジング・スター洞窟からは石器が1点も見つかっていない。年代からすると、中期石器時代早期か前期石器時代後葉の石器文化を持った集団だったことが想像されるが、極小の脳でどのような石器文化を発展させていたかも興味深い。
 ホモ・フロレシエンシスの発見前、ホミニンは年代が進むにつれて脳を一貫して大きくする方向に進化した、という認識が共通だった。それが「神話」であったことは、フロレシエンシスが完璧に示した。ホモ・ナレディの発見で、今、南部アフリカの一画で「神話」を覆すもう1つの実例が現れたことになる。
 そして形態から、彼らはホモ・サピエンスへとつながるホミニンの系統とは全く異なる系統であり、進化の行き止まりの最終局面を見ているのかもしれない。ホモ・サピエンスが出現するのは間もなくのことだから。

白保竿根田原で墓に葬られたほぼ完全な旧石器人全身骨格など発見、年代は2.7万年前

 日本でついに墓に葬られた旧石器人骨が発見された。
 沖縄県教育委員会が19日午後、最終的な調査結果を発表した石垣市白保竿根田原洞穴遺跡の旧石器人全身骨格は、国内初の旧石器時代の墓地と推定された。


◎旧石器時代の初めての墓か
 日本で1万カ所もあるとされる旧石器時代遺跡は、大部分の地層が酸性土壌で形成されたという日本列島の地質学的性質のためにほぼすべてが石器のみの出土だった。
 そのため日本で見つかった旧石器人骨は、沖縄を除くと、浜松市浜北遺跡の1例(1万4000~1万8000年前)以外はすべて石灰岩の分布する沖縄に限られた。その沖縄県でも1万6000年以上前の旧石器人骨は10カ所の遺跡で見つかっているが、埋葬と確認された例はなかった。
 本土(北海道・本州・四国・九州)でも、石器のみ出土のため曖昧な例を除くと明確に「墓」と確認されている遺跡はない。




◎完全に近い4号人骨は高身長
 それが白保竿根田原で、ついに旧石器時代の墓が見つかった。ほぼ完全な全身骨格が揃った4号人骨(写真)は、発見時の様子から、土中に埋葬されず、狭い岩陰に膝を上で折り曲げて仰向けにされた状態で安置された風葬に類した状態で葬られたものとみられる。

00白保竿根田原人骨
 年代は、放射性炭素の補正年代で2万7000年前とされ、これまで傑出した保存の良さで東アジア1とされた港川フィッシャー(八重瀬町)出土の港川1号骨格より約5000年古い。
 ただ比較的高齢の成人男性「4号」は、これまでの沖縄の旧石器人骨で推定身長の分かっている中では最も高身長で、推定165センチメートルと、港川1号より10センチ以上も高身長である。4号までを含めて港川人骨の例を基に、旧石器人は縄文人よりも低身長とか、港川人は旧石器人の島嶼化の例という従来観は、白保竿根田原4号人骨から再考を余儀なくされそうだ。


◎少なくとも19個体分の人骨群
 4号を含め、墓地と思われる白保竿根田原では少なくとも19個体分の人骨が見つかっており、ここから今後の詳細な研究で集団全体の形質と個体差などが追究できる。
 沖縄では、2012年に本島南城市サキタリ洞遺跡で約2万年前の石器と人骨などが発掘されるなど、発見が相次いでいる。サキタリ洞では、それぞれ年代の異なる層から人骨+貝器+ビーズ、人骨+石器、釣り針などが発見されている。
 なお白保竿根田原洞穴の調査は、2012年から昨年まで行われていた。

13万年前、アメリカ大陸に人類がいたという驚愕の報告、しかし疑問は多く

 13万年前頃、種不明のヒトがアメリカ大陸にいたことを確認した、とアメリカのサンディエゴ博物館などのチームが、「アメリカ、カリフォルニア南部の13万年前の考古遺跡」と題してイギリスの科学週刊誌『ネイチャー』4月27日号に報告した。


◎マストドンの骨をハンマー石と台石で処理
 チームの報告したのは、マストドンの牙や歯、脚の骨などの化石の、後期更新世初期の考古遺跡セルッティ・マストドン(CM)遺跡の原位置で残された1頭分のマストドンの骨の破片と共伴するハンマー石と台石。
 サンディエゴの南東約10キロの露頭で1990年代に認識されていたCM遺跡からは、スパイラル剥離されたマストドン骨と臼歯片が発見されたが、これは骨などが新鮮なうちに破砕されたことを示しているという。また破片のいくつかには、打撃を加えられた証拠も残している。骨、臼歯、再加工された石器の散らばり具合を吟味した結果から、加撃はこれらの埋まった場所で行われたことを推定させるという。
 CM遺跡の骨層にあった5点のハンマー石と台石には、使用痕と加撃跡が見られ、緩やかな水に流されて生じたものとは異なるという。
 したがってチームは、これはヒトがここでマストドンを解体し、また骨を割って骨髄を取っていたものと推定した。

◎年代は最終間氷期のMIS 5e期
 年代だが、骨には放射性炭素年代を測定できるコラーゲンがほとんど残っておらず、そのため光刺激ルミネッセンス年代測定法で6~7万年以上、またウラン/トリウム法で13万0700年前±9400年と導き出された。
 こうしたことからチームは、最終間氷期のMIS 5e期(約 12.4万~11.9万年前)にCM遺跡に種不明のホモ属がいたことが確認され、彼らはハンマー石と台石を操作し、骨髄を抽出し、また骨器製作の原材料を得る目的で、マストドン四肢骨を処理していたことが分かった、と述べている。


◎原位置で遺物の残された北米最古の人類遺跡
 研究チームは、上記の知見を基に、CM遺跡は原位置で遺物の残された、保存良好な北米最古の考古遺跡だとし、したがってアメリカ大陸へのヒトの渡来の時期を根本的に改定することになったと結論づけている(写真=丸石と共に見つかったマストドンの骨の化石。画像上部の2つの大腿骨頭は破壊のされ方は同じだが、一方は上向きで他方は下向きと、不自然な配置で見つかった。左上に斜めに横たわっているのは肋骨)。

00マストドン化石


◎これまでの常識から逸脱する報告
 上記までは、研究チームの報告をそのまま紹介したが、よくぞ『ネイチャー』査読者はこの論文をそのまま通したものだ、というのが、本音だ。
 それは、これまでのアメリカ考古学の常識を破り、これまでの知見から大きく超えたものだからだ。
 考古学や古人類学の発見は、他分野の科学的発見と同じく、それまでの知見を積み上げ、類例を固めて、初めて正誤が判断される。従来の知見と全く一致しない、あるいは外れた突拍子もない「発見」は、これまで多くが発表されたが、その後すべてが消えていった。極端な例では、20世紀末に日本旧石器考古学を席巻した藤村旧石器が端的な例だ。


◎途中が空白のままで、数多くの疑問が残る
 今回の報告も、2~3万年前、あるいは5万年前前後の遺跡例が空白に近いままにすっ飛ばされ、いきなり13万年前のホモ・サピエンス以前の人類遺跡の発見と報告された。
 年代からすると、その人類はホモ・エレクトスかデニーソヴァ人ということになる。
 報告者の言うとおりだとすれば、ユーラシアからの移住の途中にあるシベリア東部にこの時代の遺跡がなぜ見つかっていないのか、そしてその人類は、ベーリンジアをいつ、どのようにして突破したのか、さらにアラスカに到達した人類はローレンタイド氷床とコレディレラ氷床をいつ、どのようにして通過したのか、説明されなければならない。この途中ルートに、この時代に近い確実な遺跡は、全く見つかっていない。
 そもそもサピエンス以前の人類に、このような極北を制するテクノロジーがあったのだろうか。
 したがって今回の報告は、骨と石器の共伴が正しいのか、出土層位の判定に間違いはないのか、年代測定は正しいのか、破砕とされたマストドン骨は人為的なものと言い切れるのか、など、多くの疑問を否定できない。


◎キャリコ・ヒルズとどう違うのか?
 かつて半世紀ほど前、ルイス・リーキーらが、同じカリフォルニア南部砂漠のキャリコ・ヒルズでヒトの作った「炉址」や「石器」群を発掘し、やはり最終間氷期のものと喧伝されたが、今は全く顧みられていない。また今回の調査チームの報告したスパイラル剥離された獣骨例も、かつて両米大陸各地で3万~5万年前とされる例が多数の報告されていたが、キャリコ・ヒルズと同じ運命をたどっている。

記事検索
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ