河合信和の人類学のブログ

 科学ジャーナリスト、河合信和の公式ブログ。人類学、先史考古学関連のニュースなどを随時掲載の予定。

ケニア沿岸部の洞窟で7.8万年前のホモ・サピエンス幼児のアフリカ最古の埋葬を発見

 熱帯アフリカ、ケニア沿岸部のパンガ・ヤ・サイディ洞窟(写真は発掘中の様子)で、約7万8000年前の意図的に埋葬された幼児の子どもの墓が見つかった。イギリス、ケンブリッジ大のM.マルティノン=トレスら、国際研究チームがイギリスの科学週刊誌『ネイチャー』5月6日号に発表した。
 「ムトト」(スワヒリ語で「子ども」の意味)と名付けられた遺体は、2歳半~3歳くらいで、洞窟に掘られた坑に屈位で見つかった。頭骨と上半身の骨格の大半、大腿骨の一部が見つかり、遺体は腐敗する前に新鮮な状態で置かれたことが分かったため、墓への意図的な埋葬、と判断された。また幼児は、解剖学的にホモ・サピエンスと判定された。
 これは年代測定でも確認された。光励起ルミネッセンス法による年代測定で、7.83万年前±0.41万年と出され、遺体がMSA(中期石器時代)のものであることが分かった。
 中東では、スフール洞窟、カフゼー洞窟で、13万年前から9万年前のホモ・サピエンス埋葬遺体が見つかっているが、アフリカで確実な埋葬遺体ではムトトが最古のものになる。ちなみにエチオピアなどでは、遺体に何らかの祭祀行為がなされたらしい跡の残るヘルト遺跡の15.5万年前のホモ・サピエンス化石が見つかっているが、墓はまだ確認されていない。

発掘中のパンガ・ヤ・サイディ洞窟遺跡

南部アフリカ内陸部の岩陰でも10.5万年前の現生人類的行動が層位的に確認される

 これまで現生人類ホモ・サピエンスを特徴付ける複雑な象徴的・技術的行動の最古の証拠は、南部アフリカの海岸部でしか見つかっていなかった。


◎現生人類的行動の証拠は南部アフリカ沿岸部が主だったが
 後期更新世初期に由来する沿岸部の多数の考古遺跡と豊富な貝殻の堆積の存在は、南部アフリカの現生人類の起源が沿岸部の海産資源と密接な関係があり、したがってアフリカ内陸部での行動上の革新は沿岸部よりも後れを取っていたとする有力仮説をもたらしてきた。
 しかし良好な保存状態で、確固とした推定年代を備えたきちんとした層序を持つ後期更新世遺跡は南部アフリカの内陸部ではごく少なく、そのため上記の沿岸仮説はまだ真価が問われていなかった。

◎内陸カラハリ盆地ガ=モハナ丘陵の岩陰でも確認
 オーストラリア、グリフィス大学人類進化研究所のジェイン・ウイルキンズらの研究チームは、イギリスの科学週刊誌『ネイチャー』21年4月8日号で、南部アフリカ沿岸部の10万5000年前頃の初期の現生人類の技術革新に似た行動が、同じ頃に600キロ以上の内陸部に暮らしていた人類にも存在していたことを報告した。
 研究チームは、カラハリ盆地南部ガ=モハナ丘陵にある層位的な岩陰堆積層の発掘で、非実用的な鉱物(方解石の結晶=写真)とダチョウの卵殻を、意図的に集めていた証拠を発掘した。
 これらの遺物の出土層は、光励起ルミネッセンス法で10.5万年前と測定されている。また残存石灰華堆積物をウラン・トリウム法で年代測定したところ、大量の淡水の流水を間欠的に受けていたことが示され、それらの起こった時期は考古層位と同一期だった。

◎内陸部でも湿潤なサバンナ環境で発展か
 こうした結果は、南部アフリカ内陸部に暮らした人類の間になされた技術革新が沿岸部の人類集団に決して後れを取っていたわけではなかったことを示した。またこうした技術革新は、湿潤なサバンナ環境で発展したのかもしれないことも物語っている。
 したがって現生人類の行動上の革新を海産資源の開発に結び付けてきたモデルは、再考を必要とされるだろう、と結論づけている。

カラハリ方解石の結晶

南ア出土の最古のホモ・エレクトス化石の報告がナショ・ジオの10大科学ニュースに

 『ナショナル・ジオグラフィック』が2020年の10大科学ニュースの1つに、南アフリカでのホモ・エレクトス頭蓋冠発見を挙げた。この報は、南アやアメリカ、オーストラリアなどの国際チームが4月3日付けのアメリカの科学誌『サイエンス』で報告したもので、いささか遅れたが、ここで改めて取り上げよう。このニュースはそれだけの価値があるからだ。

◎2、3歳くらいの幼小児個体でも大きな膨らんだ脳
 化石は、ヨハネスブルク北約40キロのドリモーレン主採石場(写真)の岩石の中から見つかった(DNH-134=写真)。最初はヒヒの化石と思われ、分担したオーストラリアの学生が破片をクリーニングしたところ、ホモ・エレクトス年少個体であることが分かったという。
 頭蓋骨の癒合の程度から見て、DNH-134個体は2、3歳程度と見られるが、注目されるのはその脳容量で、膨らんだ頭蓋冠の大きさは484~593ccほどもあり、これは同遺跡の同一層位から見つかるどの成人パラントロプス・ロブストスよりも大きく、またエチオピアのゴナで見つかった成人女性のホモ・エレクトスの約598㏄に近い。

◎2つの年代測定法から200万年前と推定で世界最古
 化石の見つかったドリモーレン主採石場(写真)の堆積層の年代は、ウラン/鉛年代法とウラン系列電子スピン共鳴法で204万~195万年前と推定された。また古地磁気は逆磁極期から正磁極期を記録されていた。
 したがってDNH-134個体は、これまで東アフリカで見つかっていた最古級ホモ・エレクトスの190万年前よりも古く、世界最古のホモ・エレクトスとなる。しかしこの1点だけではホモ・エレクトスが南アフリカで誕生したとはまだ必ずしも言えないだろう。

◎パラントロプスが圧倒的
 これまでドリモーレン主採石場から見つかっていたホミニン化石は、ほとんどがパラントロプス・ロブストスで、わずかにホモ・エレクトス破片も見つかっていた(ただ、これほど完全に近いホモ・エレクトス頭蓋冠が見つかったのは初めて)。
 パラントロプス個体群数よりもホモ・エレクトス個体群数ははるかに少なかったと思われ、彼らが起源地で出現したてであったことを示唆しているようだ。

南アフリカ発見の初期のホモ・エレクトスの頭骨

Drimolen_Main_Quarryリサイズ

メキシコ中北部高原の洞窟で3万年前に遡る石器群発見、またLGMの直前にも北米へのごく小規模な人類の植民も

 ベーリンジア陸橋を経て南北アメリカ大陸へ人類が拡散したのがいつだったのかは、北米考古学界では議論が尽きないトピックだが、このほどメキシコ中北部高原のチキウイテ洞窟(写真)で、3万年前を遡る人類の痕跡を発見したという報告が、メキシコの考古学者らにより英科学誌『ネイチャー』7月22日号で報告された。

◎石器包含層最下層は3.3~3.1万年前
 チキウイテ洞窟の人類居住層とされるのは、厚み3メートルの堆積層で、最終氷河期最盛期(LGM:2.65万~1.9万年前)を含み、最下層は3.3~3.1万年前に達する。調査団は、堆積層内から50以上の放射性炭素年代とルミネッセンス年代を得た。堆積層から、約1900点の石器と思われる石片が見つかった。
 石器とされるものには、緑がかった石灰岩の結晶から出来ている尖頭器様のものもあり(写真)、石材は洞窟内に存在しないという。

◎獣骨見つからず、石器も2万年間にほとんど様式変化なし
 この最古の年代が正しければ、北米考古学界で公認されている南米チリのモンテヴェルデ遺跡の1.45万年前からさらに1万年以上も人類の存在を示したことになるが、洞窟内からヒトが食料にしたと思われる獣骨がほとんど見つからず、また石器とされるものも、最下層から最上層まで約2万年間もほとんど製作様式の変化が見られないなど、多くの疑問点も指摘されている。

◎LGMの直前にも人類の移住か
 また同一号に掲載されたイギリス、オックスフォード大のグループは、上記の発掘調査とは全く別に、北米とベーリンジア周辺の考古遺跡42個所から得られた年代値をベイズ推定年代モデリング法で解析し、小規模ではあるもののLGM(2.65~1.9万年前)の直前、その間、その直後にすでに人類が北米大陸に定着していたことを明らかにした。
 しかしより大規模な拡散は、グリーンランド亜間氷期1(ベーリング-アレレード亜間氷期:1.47万~1.27万年前)であったことも示された。

◎ベーリング-アレレード亜間氷期に人類の急拡散と大型動物群の絶滅
 この頃、クロヴィス文化など文化伝統が始まり、この時期は北米で絶滅した18属の大型動物相の最後の年代とも重なっていた。
 この結果から、北米各地への人類の大規模かつ急激な拡大が大型陸生哺乳類の絶滅に重要な要因であったことを示唆しているとしている。

One of the limestone artefacts found at the site

チキウイテ洞窟



南米大陸からのポリネシア植民は、マルケサス諸島で1150年頃になされた

 南米大陸とポリネシアとの接触の有無は、新大陸とオセアニアの各考古学界で長い間、議論の的だった。両大陸の人類の間で接触のあった有力な証拠は、ポリネシア各島でヨーロッパ人の渡来以前に広く新大陸原産のサツマイモが栽培されていたことだ。

◎ポリネシアと南米先住民のゲノムを解析
 イギリスの科学誌『ネイチャー』7月8日号で、アメリカ、メキシコ、ノルウェーなどの国際研究チームがポリネシア17島の島民と、南米の太平洋沿岸に暮らす15グループの先住民、合計807人のゲノムを調べ、両者の接触がただ1度、南米ペルーから6400キロ離れたポリネシア、マルケサス諸島南部のファトウ・ヒバ島と現コロンビアの先住民との間に1150年頃になされたと結論づけた。
 南米大陸からポリネシアへの植民の可能性は、1947年にノルウェーの冒険家トール・ヘイエルダールの「コン・ティキ号」の航海実験でよく知られているが、その航海は現代技術の手助けによってなされたため、考古学者からは一顧だにされていなかった。

◎1000年前頃にはポリネシアにサツマイモが伝播
 サツマイモに関しては、900年~1000年頃のサツマイモ炭化物がクック諸島のマンガイア島で発見されているなどの考古学的証拠からも間違いないところだが、遺伝子の研究でも、ペルーで栽培されていたサツマイモが、1000年前頃にポリネシアに広まったことが示唆された。
 またサツマイモはポリネシアで「クーマラ(kuumala)」と呼ばれ、アンデス地方で使用されているケチュア語の「クマラ(kumara)」や「クマル(cumal)」とよく似ているのも、ヒトがサツマイモをポリネシアに持ち込んだ証拠の1つと言える。

◎最初の接触は
 また南米チリの遺跡で新大陸で1度も飼育されていなかったニワトリの骨がコロンブス到達より1世紀早い脈絡で見つかった事実があり、さらに2014年に行われた南米大陸に最も近いイースター島(ラパ・ヌイ)の住民27人のゲノムを調べ、遺伝子の8%が新大陸先住民に由来し、両者の接触は1340年頃だったと推定された。
 最初の接触がなされたのはラパ・ヌイと見られているが、海流や風向で南米からの航海は難しい。
 今回の研究グループの発表は、それより200年も早く、南米大陸から遠いが、海流や貿易風に恵まれるマルケサス諸島のファトゥ・ヒバ島での接触を明らかにしたと言える。
 ただそれがサツマイモを持った南米大陸からの人の直接渡来だったのか、それともポリネシア人が南米大陸に渡ってそこで混血した子孫が戻ってきたのか、さらにはポリネシア人の案内で南米大陸先住民が渡ってきた結果なのかは、今後の課題と言える。

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