河合信和の人類学のブログ

 科学ジャーナリスト、河合信和の公式ブログ。人類学、先史考古学関連のニュースなどを随時掲載の予定。

ホモ・ローデシエンシス(カブウェ)の基準標本の年代

 今から1世紀前の1921年、現在のザンビア(当時は北ローデシア)の亜鉛・鉛鉱山のブロークン・ヒル洞窟(カブウェ)堆積層から1個の完全に近い頭蓋が発見され、イギリスの古生物学者アーサー・スミス・ウッドワードにより「ホモ・ローデシエンシス」と分類、報告された(写真)。

◎残されていない化石包含層
 ただ鉱山採掘の最中に発見されたために化石包含層が残されておらず、年代ははっきりしなかった。
 発見・発掘の進んだ現在と違い、当時、アフリカで発見されていたヒト族頭蓋は、南アフリカ、タウングのアウストラロピテクス・アフリカヌス幼体(タウング・チャイルド)だけで、比較資料も乏しかった。
 それでも、カブウェ(通称名「ローデシア人」)頭蓋は、アフリカのネアンデルタールとして、重視された。年代は、大雑把に50万年前頃と想定されていた。
 その後、ヌドゥトゥ湖(タンザニア北部)やボド(エチオピア)などアフリカ各地で類似化石が発見され、それらはホモ・ローデシエンシスのグループに含められる一方、ホモ・ハイデルベルゲンシスと一括分類されるようになった。

◎新しく得られた年代は約30万年前、この頃には……
 イギリスの科学週刊誌『ネイチャー』の最新4月16日号で、国際研究チームはホモ・ローデシエンシスの基準標本であるローデシア人化石そのものの年代を研究し、29万9000年前±2万5000年という年代値を提出した。
 約30万年前の年代は、ホモ・ハイデルベルゲンシスとしては新しい数値で、さらにこの頃にはアフリカ各地でホモ・サピエンスが出現していた。また同時期に、南アフリカの一角に小型人類ホモ・ナレディも共存していた。
 さらにユーラシアに目を拡げると、ホモ・ハイデルベルゲンシスと、さらにそこから派生したと考えられるホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、デニーソヴァ人、ホモ・エレクトス、ホモ・フロレシエンシス、ホモ・ルゾネンシスが進化していた。
 新たに得られたカブウェ(ローデシア人)の年代は、我々ホモ・サピエンスの進化と彼らと多様なヒト族とどう関わりがあったのかに、新たな謎を投げかけている。

heidelbergensis_Kabweローデシア人

ロシア大平原「コスチェンキ11」で最終氷河期最寒冷期の3基目のマンモス骨構造物

 今から2.5~2.3万年前の最終氷河期最寒冷期(LGM)に、ロシアの大平原で旧石器時代の狩猟採集民が大規模なマンモス骨の積み上げた構造物を造っていたことは、既に半世紀前の1960~70年代に2基発見されていて、「コスチェンキ11」遺跡とと命名されているが、このほど既発見の2基を上回る規模の3基目の構造物が見つかった。

◎直径12.5メートルの円形構造物
 今回の構造物は2014年に発見され、イギリスのエグゼター大学などの国際研究チームが15年から3年がかりで発掘作業を実施し、その内容を8日までにイギリスの考古学誌『アンティキティー』に発表した。
 コスチェンキ11はモスクワ南方約500キロに位置するが、今回のマンモス骨サークルは、頭蓋64個、下顎51個が直径12.5メートルの円形に配置されていた。ただ出入り口と見られる個所は無かった。また年代も、既発見の2基よりも古かった。
 内部では木材や骨の燃やされた痕跡が初めて見つかったものの、長期間居住していた形跡はなかった。焦げた種子も見つかったが、種子が食用にされていたのかは不明だ。

◎祭祀遺構か
 LGMには冬季は氷点下20度以下になっていたうえ、住居としては大きすぎるため、何らかの祭祀的目的を持った記念物だった可能性が高いという。
 農耕開始前の狩猟採集民の大規模祭祀遺構は、先土器新石器A期と先土器新石器B期のトルコのギョベクリ・テペ遺跡の石造構造物が見つかっている。
 狩猟採集民の精神生活を探る上で、貴重な発見が追加されたと言えよう。

2.5万年前建造に使われた大量の骨ancient-finds-0316-middle

発掘現場の空撮写真。大きさは縦横9メートルほどancient-finds-0316

アジア最古のジャワ原人は最古でも130万年前;アフリカから50万年かけ到達か

 アジア最古のホモ・エレクトスであるジャワ原人の年代は、かつてアメリカのカール・スウィッシャーらが、化石包含層の放射年代から最も古いホミニン化石で180万年前頃と発表し、長くそれが信じられていた。一方、地元で地道にフィールドワークを積み重ねてきた日本の研究グループはもっと若い年代を提案してきた。


◎新しく組み立てられた年代は、130万年と90万年前
 アメリカの科学誌『サイエンス』2020年1月10日号で、国立科学博物館の松浦秀治客員研究員らの研究チームが発表した新たな年代的枠組みは、ジャワ原人の年代論争に決着を付けると見られる。
 ジャワ原人化石は、ジャワ島中部のサンギランで1930年代から100点以上出土している。これまでの調査の結果から、ジャワ原人化石は2つのグループがあり、境界となるグレンツバンク層より上位(後期グループ)とグレンツバンクとそれより下位(前期グループ)の2グループだ。
 研究チームは、火山灰層中のジルコンのフィッショントラック年代法とウラン-鉛法を組み合わせ、前期グループの最も古い年代を約134万年前、後期グループを97万~88万年前頃と結論づけた。

◎出アフリカしてから少なくとも50万年
 従来観より大幅に新しく改訂されたジャワ原人年代は、それよりはるかに西方の、おそらくホモ・エレクトスが出アフリカした直後と見られるドマニシ・ホミニンの180万年前の年代値を照らし合わせてみれば、極めて興味深い。ホモ・エレクトスは一気に東南アジアに進出したのではなく、乾燥した気候から湿潤な環境に少しずつ適応しながら、少なくとも50万年をかけてジャワに住み着いたのだろうと読めるのだ。
 基本的に熱帯性のホミニンが、さらに北の中国に到達したのは、さらに新しくなるものと見られる。

『サイエンス』10大ニュースにデニーソヴァ人の顔の推定復元がランクイン

 アメリカの科学誌『サイエンス』は、2019年の科学10大ニュースで、今年9月に絶滅したヒト族「デニーソヴァ人」の顔の初めての復元を発表したイスラエル・ヘブライ大などの国際チームの成果を1つに選んだ。
 成果は、9月19日付のアメリカの科学誌『セル』発表されたもので、2010年にデニーソヴァ洞窟で発見された1本の小指の骨と1本の大きな歯から抽出されたDNAのエピゲノムを解析から骨格に関する32の特徴を導きだし、デニーソヴァ人の推定骨格を提案した。
 それによると、頭頂骨の幅が現生人類やネアンデルタール人よりも広く、2007年に発見された河南省許昌市近郊の霊井旧石器遺跡の古人類頭骨の化石の8つの特徴のうち7つが研究チームの予想と一致していたという。
 許昌人頭蓋は温暖な土地で発見されたためDNA抽出は絶望的だが、許昌人頭蓋もデニーソヴァ人の可能性が高まった。
 絵は、エピゲノム分析で推定された骨格に基づいて描かれたデニーソヴァ人の推定復元顔面。顔の幅が広い。

0デニーソヴァ人の顔の復元20191007


北米マンモスハンター、巨穴に追い込みマンモスを狩猟した跡をメキシコで発見

 メキシコ国立人類学歴史研究所が、首都メキシコシティー北方のトゥルテペックでこのほど大昔に絶滅したマンモスの頭蓋や顎骨など約820点の骨を発掘した。

◎クロヴィス狩猟民の狩り
 人類が狩猟用の罠として造った穴の中で見つかり、少なくとも14個体分にのぼるという。頭蓋などの保存は良い(写真)。

0発掘されたマンモスの骨=メキシコ市北方のトゥルテペック


















見つかったマンモスの骨(メキシコシティ北方のトゥルテペック)


























 同研究所は、狩猟用の穴の中で見つかったマンモスの骨としては最大規模だとし「非常に重要な発見だ」と言っている。
 報道では詳しくは分からないが、年代は較正放射性炭素年代で1万5000年前頃らしい。クロヴィス尖頭器が見つかっているか不明だが、マンモスハンターであるクロヴィス期の狩猟民の狩ったものだろう。

◎穴に追い込んで死ぬのを待ったか
 穴は、埋め立て工事の現場で見つかったもので2基あり、長さは約25メートル、深さ約1.7メートルだ。周辺には他にも複数の狩猟用の穴があった可能性があり、同研究所は解明に意欲を示した。
 穴の規模から、30人前後の狩猟民バンドが、松明やクロヴィス尖頭器を装着した槍でマンモスの群れを穴に追い込み、巨体のマンモスが這い上がれないまま死ぬのを待つという狩猟法だったと思われる。

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