ホモ・フロレシエンシス(フローレス原人)の年代は、当初の発表よりもう少し古く、したがって彼らはすでにオーストラリアに到達していた現生人類とフローレス島で遭遇していたかは疑問――オーストラリアのウォロンゴン大学のトマス・スティクナら国際研究チームは、英科学誌「ネイチャー」の4月21日号で、改訂年代値から、こう発表した。
インドネシア、フローレス島のリアンブア洞窟で、2003年に発見され、翌年に「ネイチャー」に発表されたホモ・フロレシエンシスは、世界に大きな反響を呼んだ。
一見、原始的なアウストラロピテクスを彷彿させるその矮小な頭蓋・体躯(それぞれ417㏄、110センチ)もさることながら、最も新しい場合は、1万2000年前までの生存していた可能性が年代測定結果から予測されたからだ。ホモ・フロレシエンシスは、人類進化の常識を一変させる衝撃的発見だった。
しかし近年、当初に発表されていた基準標本リアンブア1号骨格の放射性炭素年代が1万8000年前(較正年)という年代に疑問が差し挟まれるようになっていた。
発見者で共同研究者の1人のトマス・スティクナ(当時はインドネシア国立考古学研究センター)らは、あらためてリアンブア洞窟の未調査部分を新たに発掘調査した。その結果、洞窟内の堆積層は均一に堆積しておらず、フロレシエンシスを含む層は考えられていたよりも古いらしいことが判明した。
新たな年代測定から、フロレシエンシスの骨格と包含層の年代は10万~6万年前、またフロレシエンシスの製作したと考えられる石器の年代は19万~5万年前へと、それぞれ改訂された。
つまり最後のフロレシエンシスは、リアンブア洞窟の証拠に基づく限り、せいぜい5万年前までしか生存していなかった。この年代で考える限りフロレシエンシスが、5万年前にはオーストラリアに到達していた現生人類と途中のフローレス島で遭遇した可能性はほとんどあり得ないことになり、彼らの絶滅の一因を現生人類との接触に求めるのも困難となる。また現生人類に先駆けて東南アジアに分布していたデニーソヴァ人との接触の有無も、疑問の余地があると言えるだろう。
インドネシア、フローレス島のリアンブア洞窟で、2003年に発見され、翌年に「ネイチャー」に発表されたホモ・フロレシエンシスは、世界に大きな反響を呼んだ。
一見、原始的なアウストラロピテクスを彷彿させるその矮小な頭蓋・体躯(それぞれ417㏄、110センチ)もさることながら、最も新しい場合は、1万2000年前までの生存していた可能性が年代測定結果から予測されたからだ。ホモ・フロレシエンシスは、人類進化の常識を一変させる衝撃的発見だった。
しかし近年、当初に発表されていた基準標本リアンブア1号骨格の放射性炭素年代が1万8000年前(較正年)という年代に疑問が差し挟まれるようになっていた。
発見者で共同研究者の1人のトマス・スティクナ(当時はインドネシア国立考古学研究センター)らは、あらためてリアンブア洞窟の未調査部分を新たに発掘調査した。その結果、洞窟内の堆積層は均一に堆積しておらず、フロレシエンシスを含む層は考えられていたよりも古いらしいことが判明した。
新たな年代測定から、フロレシエンシスの骨格と包含層の年代は10万~6万年前、またフロレシエンシスの製作したと考えられる石器の年代は19万~5万年前へと、それぞれ改訂された。
つまり最後のフロレシエンシスは、リアンブア洞窟の証拠に基づく限り、せいぜい5万年前までしか生存していなかった。この年代で考える限りフロレシエンシスが、5万年前にはオーストラリアに到達していた現生人類と途中のフローレス島で遭遇した可能性はほとんどあり得ないことになり、彼らの絶滅の一因を現生人類との接触に求めるのも困難となる。また現生人類に先駆けて東南アジアに分布していたデニーソヴァ人との接触の有無も、疑問の余地があると言えるだろう。