「中国問題」と私のかかわり 子安宣邦
1)私は「中国」の研究者でも専門家でもない。私は「中国問題」についての一人の外部的な発言者である。外部的というのは、私の発言は日本からの、日本思想史という専門的立場からの、そして方法論的な外部的視点からの発言だということである。このような外部的発言者としての私の「中国問題」についての発言が意味ありとして、私はここに招かれたのであろう。そうであれば外部者である私がなぜ、どのようにして「中国問題」の発言者になったのか、あるいはなぜ私に発言すべき「中国問題」が構成されていったのか、その由来を語ることが、私にここで求められていることではないかと考えた。
2)私の「中国問題」とのかかわりは台湾から始まった。90年代の終わりの時期、私が対話を求めた「中国儒教」はそこにしかなかったからだ。私がもっとも頻繁に台湾を訪ねた今世紀の初めの時期に、台湾で「東亜儒学」という概念が形成され始めた。私はむしろこの概念形成に必要な人間として呼び出されたのである。私は台湾で儒教の多元化と日本に展開した儒教、ことに江戸儒教の独創的展開とその意義との認知を要求していった。だが私のこの要求はそのまま「東亜儒学」概念に包摂されてしまうことを知った。「東亜儒学」とは一元的「中国儒学」を一元多様体的儒学世界として再構成したものである。
3)一元多様体的儒学世界とは中華帝国的儒学世界である。この世紀のはじめに台湾から「中華帝国」的文化概念が発信されたのだ。「東亜儒学」が「中華帝国」的文化概念になるのは、「東亜」を「中国文化圏」として実体化することによってである。私は「東亜」を実体としてではなく、方法概念として、「方法としての東亜」として考えるべきことを主張した。ここには「方法としてのアジア」「方法としての中国」として論争的に構成された問題と同種のものがある。ところで大陸中国から距離をもった台湾という位置は、大陸中国に先駆ける形で「中華帝国」的文化概念としての「東亜儒学」概念を形成し、発信させてしまうのである。私は台湾の「東亜儒学」にやがて大陸中国から発信される「帝国」文化的メッセージを予見した。それゆえ私は溝口や汪暉らによってやがて発信されていった「帝国」的言説を読み間違えることはなかった。
4)「東亜儒学」といった「帝国」的メッセージは台湾の中心・台湾大学が発信したものである。だが台湾南部の成功大学は「台湾儒学」を表題とした国際シンポを開いた。「台湾儒学」という儒学的実体があるわけではない。それは台湾を場として、そこにおける儒教・儒学の多層的・重層的な展開の相を顕わにしながら、一元的儒学を解体する方法論的立場をいうのである。台湾には明代儒学があり、日拠時代のシナ学的儒学があり、土着化した民間儒教があり、そして国民党がもたらした正統儒学がある。中国の内部的他者ともいうべき台湾は、「中国儒学」といった一元論的な閉鎖的文化言説を多層化、多様化して多元論的な地平に開放していくような視点を構成する場でもあるのである。このことは台湾の自立性が中国の政治的多元化にとってもつ重大性を教えている。私の台湾の学生たちによる民主化運動へのサポートはこの台湾認識に基づいている。
5)私の思想史的作業を通じての中国への認識論的かかわりは、「近代の超克」論をめぐってなされていった(『「近代の超克」とは何か』青土社、2008)。日本の現代思想史における「近代の超克」の問題は、最終的には竹内好の「方法としてのアジア」と溝口雄三の「方法としての中国」にしぼられていった。「近代の超克」とは西欧中心的世界史のアジアによる転換をいう昭和前期日本の西対東という政治地理学的関係性に立った歴史哲学的な理念であった。竹内も溝口も戦後日本においてなお「近代の超克」の課題をそれぞれに持ち続けている。私もまた私なりにポスト構造主義的立場で「近代の超克」の課題を持ち続けている。このことは本書における「近代リベラリズム」をめぐる議論に対するある距離感を私に与えている理由でもある。
6)竹内は近代を構成してきた民主主義や人権思想に代わる何かが実体として東洋にあるとは考えない。だが「方法」として、民主主義や自由をもう一度世界史的な普遍的概念として輝かす何かがアジアにあるだろうというのである。それが何であるかを竹内はいわない。恐らくそれはアジアとその民衆が歴史的体験を通じてもった何かであるのだろう。その何かを見出していくのはわれわれの課題である。その意味では竹内の「方法としてのアジア」とは未来に向けた問いかけである。この竹内の問いかけを私もまた自分の課題として受け取っている。
7)溝口は竹内の「方法」とは「実体」に対するものであることを理解しなかった。彼は竹内にならって「方法としての中国」をいいながら、溝口は竹内を読んでいないようだ。彼は竹内の語法だけを模倣して、竹内とは反するテーゼを構成してしまった。彼は歴史的中国を実体化して、この中国を通じて、中国によって世界史を見ること、あるいは読み直すことを「方法としての中国」だというのである。これは昭和戦時期の「近代の超克」論の戦後的な、東洋の盟主を日本から中国に移した形での再現である。溝口は竹内よりも京都学派の高山岩男を熱心に読んだのであろう。溝口は歴史的中国に「独自的近代」の形成を読み出しながら、彼の「方法としての中国」論を基礎づけていった。私は中国の「独自的近代」を読み出していく溝口の中国研究は現代「社会主義」中国の弁証論にしかならないといった(『日本人は中国をどう語って来たか』青土社、2012)。中国の「独自的近代」「独自的社会主義」論は中国共産党といわゆる「左派」社会主義者のイデオロギーである。
8)私が現代中国の問題に直接かかわるようになったのは、いいかえれば中国が私における「中国問題」を構成するようになったのは、「08憲章」(2008.12.10.)の起草者の一人である劉暁波の拘留問題へのコミットを通じてである。「08憲章」とは現代中国におけるはじめての市民(公民)的立場からする〈もう一つの政治〉への希望の提示であった。この〈劉暁波問題〉にコミットしたことは、実に多くのことを私に教えた。それは中国についてだけではない。日本についても、東アジアについても教えた。第一に私は中国政権を一党支配の専制的全体主義政権としてはっきり認識した。「社会主義」とは全体主義の別名でしかないことを理解した。中国における市場経済の進展と世界経済への参入は中国の政治改革を導くだろうという期待は幻想にすぎないことをはっきりと知ったのである。天安門事件以降、中国政権は「六四」の記憶を地底に埋め込むとともに、一切の体制批判を封じて、一党支配の専制的体制に開き直ったのである。〈劉暁波問題〉にコミットすることを通じて私はこのことを知るとともに「中国問題」の用意ならぬ困難を知ったのである。
9)この問題が私に教えたもっとも痛切なことは、〈劉暁波問題〉について耳を塞ぎ、口を封じるのは中国だけではない、日本もまたそうだと知ったことである。「08憲章」と劉暁波を抹殺することは中国だけがやるのではない。日本の知識人も研究者たちもまたこれに眼を塞ぐのである。中国における劉暁波の抹殺は党—国家権力による抹殺である。日本でなされるのはこの権力に配慮する〈進歩派〉知識人・言論人による抹殺である。私はこうした日本の言論状況の中で〈劉暁波問題〉をめぐる二册の論集を出版され、いま『現代中国のリベラリズム論集』を出版された藤原書店に深い敬意を表せざるにはいられない。
10)中国の政治体制的問題については問わないという政経分離という国家間関係は経済優先の馴れ合い的関係であって、それは中国の反民主的な全体主義的な政治体制を容認するだけではなく、日本の民主的政治体制をも劣化させていくと私は考えてきた。中韓両国、ことに中国と日本との間にこの数年来強い政治的緊張関係が続いてきた。国際的緊張関係の増大は、国内政治体制の全体主義化と相関的である。中国も韓国も日本も、一党的国家体制であるか、多党的議会主義的国家体制であるかのちがいをこえて、それぞれに政治的自由を抑圧しながら、反民主的な寡頭的専制的政治支配の体制を作り出している。日・中・韓の国家間緊張関係は相互規定的である。国内の全体主義的傾向を相互に作り出しているのである。
11)だが21世紀的世界は、ナショナリズムの軋みを相互に起こしながら諸国家が、新たな〈帝国〉的統合と分割の過程に入ったとみなされる。この過程が容易ならざるものであることは、ISという反〈帝国〉的過激派国家をこの過程そのものが作り出していることに見ることができる。この過程は私などの予見や予測を許すものではないが、ただ東アジア世界はすでにこの〈帝国〉的再統合の過程にあることを私はいいたい。われわれが直面しているのは21世紀のそうした東アジア世界であり、われわれにおける自由も民主主義もまたこの東アジアの現在から考えられねばならない。
12)2008年以来、中国はこの東アジア地域における核心的利益を主張するようになった。それは大国中国によるこの地域の再編成の要求である。当然それは日米安保というこの地域の軍事的安全保障体制の見直しの要求を含んだものである。だが日本政府は、ことに安倍政権は日米軍事体制を自立的・軍事的に強化するという方向でしか対応しなかった。そこから〈歴史認識問題〉を切り札にした国家間の緊張がこの地域を支配することになった。
私は東アジアにこの半世紀余を通じて一つの〈歴史認識〉問題があったのではないと考えている。いまあるのは世界の超大国中国によって、またすでに経済先進国である韓国によって主張される21世紀の〈歴史認識〉問題である。そしてこれはそれぞれにナショナリズムを喚起しながら為される国家的主張である。
13)しかし対外的なナショナリズムは本質的に国内問題に起因しながら、その問題を隠蔽する。東アジアのそれぞれの国・地域にあるのは増大する経済格差と社会分裂の危機である。われわれが正面せねばならないのはこの社会的危機である。ナショナリズムは国家とともにこの危機を隠蔽し、人びとをそれに直面させることをしない。私は21世紀のナショナリズム(国家主義・民族主義)を歴史的な反動思想だと考えている。〈大中華民族主義〉は中国の〈帝国〉的存立を正当化し、〈帝国〉の厖大な棄民を見捨てようとする。日本のナショナリズムは日米安保による対抗〈帝国〉化のなかで沖縄の住民に長い隷従を強いるのである。ナショナリズムは東アジアに緊張を作り出しながら、この地域を〈帝国〉間の緊張と〈帝国〉的再編の場にしてしまっているのである。
14)だが繰り返されてきた政経分離という馴れ合い的和解は東アジアの〈帝国〉間でもあるいは再び実現するかもしれない。すでにそのように動いている。しかしそこからもたらされる東アジアの平和とは、みせかけのものでしかない。政治的には何も変わることはない。われわれはこのみせかけの平和ではない、東アジアの本当の平和を、すなわち〈もう一つの東アジア〉を提示し、それを実現しなければならない。それを可能にするのは社会的危機に直面するそれぞれの国・地域における市民たちによる〈もう一つの政治〉を要求し、それを実現しようとする力であり、運動であるだろう。この〈民の力〉を小田実は〈でもくらてぃあ〉といったのである。〈もう一つの東アジア〉を可能にするのはこの〈民の力〉であり、その連帯である。私が台湾における〈もう一つの台湾〉を求める学生・市民の民主的決起に東アジアの希望を見出したのはそれゆえである。
15)私はやっと「台湾から」という私における始まりの問題にもどった。台湾から「中国問題」へのかかわりを始めた私は、いま台湾の学生・市民の運動に〈もう一つの中国〉〈もう一つの東亜〉への大事な第一歩が踏み出されたことを知ったのである。21世紀のわれわれにおける市民的自由の課題は、この台湾の第一歩を東アジアのわれわれの大きな歩みにしていくことにある。
(詳しくは子安『帝国か民主かー中国と東アジア問題』(社会評論社、2015)を参照されたい。)
[今日12月6日、シンポ『現代中国のリベラリズム思潮』(明大現代中国研究所主催)でした講演の語り終えざる講演原稿の全文である。私に40分という講演を依頼する方が間違いなのか、40分に手際よくまとめない講演者が悪いのか。ともあれ思う存分語り得ぬ講演ばかりが続いている。だがこれは国内での話だ。台湾でも韓国でも私は思う存分語ることができたのだが。]
コメント