「緋哭〜ひのさけび」を観る          子安宣邦

 

 書踏譜「緋哭〜ひのさけび(舞踏 吉本大輔・墨刻 原賢翏・ブルースハープ 関口大)」を12月10日の夕刻、私の住む登戸から歩いても行ける東生田町の会館で観た。私の旧友吉本大輔さんにフェイスブックで次のような感想を書き送った。

「すごいな、やりましたね。突き抜けた感じがしました。3人のアンサンブルが見事で、3人ともに突き抜けたように思いました。観る者の下手な感情移入を突き抜けて向こうに行ったようで、すごいと思いました。私のような口舌の徒は、常に目の前のものを言語化することで分かった気になるのですが、今回は初めから終わりまで、言語化を拒絶され、ただ見入り、聴き入りました。緋哭とは黄泉の声なのかとまた言語化したくなりますが、舞踏も墨刻も音楽もそれを拒絶しているのだから、この拒絶からくる感銘とは何かをやはり私は考えてしまいます。最初は体力、気力から生田の1時間余に耐えうるか,自信がなかったのですが、行ってよかった。やりましたね、緋哭~ひのさけび。」

 大輔さんからあえてした私の言語化の跡を見たいとの注文があった。だが観るものの感情移入的な言語化を拒絶しているような舞踏に、言葉をもって応じることは、言説者の独りよがりではないのかと思いながら、ずるずると返信を遅らせてきた。そのうちに七月に亡くなった家内の税務上の処理を年内に済ませようと考えていたその時期も迫り、ますます遅れてしまった。受験時代に数学の問題に取り組んでいた時のような一週間を経て漸く申告書を書き上げ、昨日ぎりぎりに税務署に提出した。そんなこんなで「緋哭」の言語化は遅れてしまった。これは私の言語化の遅延へのお詫びであるとともに、畢竟舞踏の言語化とは独りよがりの言語でしかないことの釈明でもある。

 ほとんど裸身で演じられる舞踏は、観るものの感情移入的な言語化を拒むような性格をもった肉体的な演技表現だと思ってきた。だがそれは演技表現として何を表現するものなのか。私は裸身の演技は「生」と「死」と「性」をしか表現しないと思ってきた。だがしばしば舞踏家はドレスや布で身をつつみ、洋傘などの小道具をもち、装置を施された舞台に、音楽とともに登場する。

 私はミュンヘンで大野一雄が客席から女性のドレスを身につけてすっと立ち上がって舞台に登場したときの、全観客を襲った衝撃を忘れない。いつかやはり東生田で見た大輔さんの舞台は廃園であった。その廃園に便器が一つ置かれていた。それらの衣装も小道具も装置も音楽も人間の文化であり、それらは直ちに観客の文化的な言語を誘発する。だが舞踏家の裸身に化していく舞踏がわれわれの言語による解釈的な追跡を粉々に砕いていくようだ。われわれは言語化的な解釈的追跡を諦めて、ただ舞台上の舞踏を見つめるしかない。己の文化的な言語化が砕かれてはじめて、われわれは人間の「生」と「死」と「性」との本源を見ることになるのかもしれない。

 私はこの七月に妻を失ってはじめて死は語ることのできないことを知った。死を語るとすれば、己れにおける死者の死であって、死んだその人の死ではない。死者の死は生者から断絶している。これを三木清は「死は絶対的だ」といった(三木『人生論ノート』)。死が絶対的であることによってはじめて、死者の生命は残されたものの上に甦ると三木はいっている。この三木の言葉の意味を私は妻の死を通じてはじめて理解した。

 死者の死は生者の言語化を阻むものとしてある。私は「緋哭」の舞台の始まりとともにそのことを思った。暗闇から響き始めるブルースハープの声はまさしく「黄泉の声」ではないか。決してそれはこの世のものではない。墨刻もまた死者の国に通じる扉の呪文を書き連ねているようであった。そして夢幻能の死者を不動の動をもって演じる能役者のように不動の動を演じる舞踏家もまた、観るものとの言語的な交渉関係を断ち切るもののようであった。だが緋の叫び声を強くしていく演奏者に舞踊家は狂ったように挑みかかり、緋の縄を以て縛り上げようとする。それは死との断絶をついに超えることの出来ない裸身の生者による緋哭の演奏者への嫉妬に満ちた挑みかかりのようであった。

 私は死者との断絶にはじめて挑む舞台、観客の言語化を拒絶するような舞台をはじめて観た。私がここに書いたのは、その舞台のあえてした言語化である。これは妻に死に別れた老人の独りよがりの言葉である。