「明治維新」と日本近代を見る視点         子安宣邦 

 またまた巧みなコピーに騙されて、いやむしろそれを承知の上で雑誌を買ってしまった。「誤解だらけの明治維新」を謳った『中央公論』4月号である。ほとんど対談によって構成されているこの特集は矢張り騙りに近いものであった。だがわずかに面白いのは中国・イギリス・ドイツ近代史を専門とする研究者による鼎談「アジアの異端児ニッポンの不思議な革命」であった。  
 そこで中国近代史の岡本隆史が放談的にいっている。「明治維新は日本史、世界史的に言うと順当なコースですが、アジア史から見るとおかしい。そこに歴史認識のズレがあるのです。そもそも、民間と権力が一体になる構造というのはアジア諸国にはないんですよ。権力は上から降ってくるもので、民間はその権力からいかに身を守るか、という考え方。中国人って全然共産党の言うこと聴かないでしょう。あれが中国です。」「それで六〇年(1860)代にヨーロッパが自分たちのことで忙しくなると、日本も中国もその間にヨーロッパとうまくつきあえる態勢ーー構えを整える、その構えを作るために、日本のほうは、本気でヨーロッパ化せんといかんというので、明治維新になってしまうのです。」「ヨーロッパ各国から見て、ついでだった日本のほうが過剰反応した。それが明治維新の姿です。」
 この岡本の発言の面白さは、大国中国に自分を同一化させながら、明治維新を見る外部的視点を構成しているからである。その視点からはじめて明治維新の特異性がいわれてくるのである。たしかに日本近代(=ヨーロッパ近代)の外部に立ちえない内部者からは、明治維新と日本近代の特異性は見えてこない。
 ところで己れを研究対象である中国に同一化させてしまうことは日本の中国学者によくあることだ。よくあるというより、ほとんどそうだといってもよい。私の旧友溝口雄三もわれわれの性急な歴史や世界の見方を嘲笑するように、「中国の歴史は三百年ごとに変化する」と大人風によくいっていた。たしかに中国的な大人風なもの言いは面白い。だが大国中国に同一化させたその見方、言い方は、いいかえれば中国の外部的認識者であるはずの己れ自身を喪失させたその見方は、むしろ特権的な中国研究者の悪臭を漂わせるものでしかないのではないか。
 問題は明治維新とそこから形成される日本近代の特異性を見ることのできる外部的視点を、その日本近代の中にあってどのようにわれわれは形成するかである。私はその視点を「江戸」によって構成しようとしてきた。「方法としての江戸」である。あらためてこの方法論的視点の鍛え直しがいま問われているようだ。
 一昨年の3月に私は研究会の仲間たちと「伊勢神宮の現在」を見に出かけた。そのとき特別な日でもないのに訪れる大勢の参拝客に、日本の精神的中枢伊勢の持続的繁栄を私は見たりした。だがこの参拝客の多くが外国からの観光客であったとするならば、そして日本人の参拝者もその外国からのお客と変わらぬ観光客であったとするならば、それは推定ではなく、事実そうであろう、いまの伊勢に見るのは明治ー昭和日本の伊勢ではなく、徳川日本の伊勢ではないのか。逆にいえば明治ー昭和とは特異な伊勢を造り出した時代ということになるのではないのか。