┌────────────────┐   
 │ 歴史のささやき                  │   
 │   2013・11・17 8号│   
 │     かわら版 ③川7上信夫│     
 └────────────────┘   
 

    選挙と戦争


  少し前のことから考えてみると、ぼくは、やはり今年7月の参議院選挙のことを思います。あの時、まだ少しは元気だったとみ子が、七月十八日の「事前投票」にでかけたのでした。何度か練習したのですが、なかなかはっきりした意思表示ができません。心配しながら、ぼくもいっしょに「事前投票」に参加しました。
 ハイツの付添いの人も、市役所の担当者の人も、本当に親切でした。何度も、何度もゆっくりと、とみ子に問いかけ、「あ、今度はしっかり頭を振ったね」と、確かめ合いながら、無事、選挙を終わり、とみ子も満足してにっこり。その日はそれだけですっかり疲れて、昏々と眠ったのでした。ぼくは「日本の選挙は、本当に優しく、その人の気持ちをゆっくり引き出してくれる」と思い、本当にうれしくなりました。「投票」は「選挙」という「政治」の中心とも言うべき大事な仕事です。世界を見渡せば、その「選挙」さえ暴力でできなかったり、まして「事前投票」などという制度がなかったり、その大事な「票」がごまかされたり盗まれたりという国が決して少なくはありません。日本という国は、何と言
っても、やはり「平和」で「民主主義」の国なのだと、ぼくは思ったのでした。
 けれど、その翌日、TVで、ニュースを見ていて、ぼくは愕然としました。自民党の選挙第一声。石破幹事長の街頭演説でした。その時、かれは、大声で叫んでいました。あのニュース、見たり聞いたりした人はたくさんいたでしょう。覚えていますか。かれは言うのです。
 「今度の選挙では自民党が勝たなくてはならない。勝って、憲法を改正して、9条を変えて、戦争ができるようにしなくてはならない。」 そこまでは、いつもの通りだと、ぼくは聞いていました。けれど、そのあと、ぼくはびっくり仰天しました。
 「戦争は命のやり取りになる。だから、戦場から逃げ出すものもいる。これでは戦争にならない。だから、逃げ出そうとする者は、捕まえて『死刑』にする。どこの国でも、この制度がある。その国の最高の刑を科すのが当然だ」
 「死刑」という制度がない国はたくさんあります。今、「先進国」と言われている国では、もちろんその方が多いのです。それにしても、ここで「死刑」という言葉を聞くとは。
 「戦争」を始めれば、「国」は、外国人だけでなく、ときには自国民同士が殺しあったりすることを、「国民」に命令することができる。「国」にそういう「権利」を与えることを「戦争」と言います。その「戦争」をしないと決めたのが、日本国憲法の偉大な仕事でした。
 人間は臆病だ。いざというときに逃げ出さないという保証はない、だから「死刑」で脅かさなくては、「戦争」に参加する『国民』はいなくなる。少なくともどんどん減っていく。だから、当然「死刑」だと、当たり前のように自民党の幹事長は言って選挙に臨んだのでした。それなら、やがては徴兵しかないではないか。
 それほどいやなことを、命令する『権利』が、なぜ国にあたえられなければならないのか。ぼくら、「戦争」の中で育ってきて、「国」の命令で「徴兵」され戦争に参加してきたものは、「戦争」が終わった時、なんという残酷な制度のもとに生きていたかと今更のように思いました。確かに、「敵前逃亡」は死刑でした。それを当然と思い込まされていた自分が、考えれば考えるほど悔しくなっていきました。憲法を守り、九条を守りたい。ぼくらは、そういう新しい国を支えていくためにがんばろう。 これだけは、譲ることのできぬぼくらの願いなのです。
 
 あなたはどう思いますか。   お元気で。