前回のエントリを書いてからあっという間に一ヶ月以上が経ってしまいました。
グラミン銀行へのメールも実はまだ書けていないのですが、その間に以下の記事を読みました。

MILLIONS FOR MILLIONS
by CONNIE BRUCK
http://www.newyorker.com/printables/fact/061030fa_fact1

結構な長文ですが、さまざまな国でのマイクロファイナンスの取り組み事例が紹介されていて興味深かったです。
また、グラミン銀行が展開している事業と、eBay創業者のPierre Omidyar氏やゲイツ財団が自己資金で展開している事業の事例と哲学の違いについても幅広く紹介されています。
今の勤務先でも、援助分野の中でMicrofinanceだけは今私がやっている仕事の中身と間接的に結びつき得る内容として日常業務の横にずっと存在しており、メーリングリストでの議論や多くの記事の投稿、ロンドンやNYなどでの各種会議やレセプションの情報が入ってくるのを見ていると、立場の違いがあるとはいえ、前職にいたときよりも活発な議論の様子がより鮮明に見えてくるように思います。問題は、自分が考察を深める時間も実際に議論に参加する時間も残念ながら無いと言わざるを得ないことです。

数多くの有名ブログでこの問題が議論されていること(例えば47th氏のエントリを参照)を見ると、開発や援助について議論が深まることは歓迎すべきことと思われますが、マイクロファイナンスという一つの分野だけ取り上げても、理想のゴールというものについてのコンセンサスはどこにもありません。貧困の撲滅がマイクロファイナンスのゴールだと思っている人もいれば、マイクロファイナンスが定着したとしても最貧困層には裨益しないと思っている人もいます。中産階級の出現が一つの到達点だと思っている人もいることでしょう。国の所得水準や経済成長の状況によっても、現時点で目指すべきゴールは異なっているでしょうから、それは当然のことかもしれません。

問題は、前回のエントリでMAL氏がコメントをしてくれたように、貧困や開発という問題に対して自分がどのような哲学を持って対峙し、どのような行動を起こすかという点に尽きると思います。
そこで、この会社に来て以来感じることの一つに、活発なDonationやCharity活動が行われていることと、自分がどのようにそこに参加するかということです。

今いる会社では、毎月のようにCharity runやCharity soccer、各種募金やボランティア活動への協力などが行われていますが、何もしないよりは何かをしたほうが100倍良いとは思うものの、自分自身が提供した資金の活用方法についてTrackしているわけでもないので、単なる自己満足に終わっている可能性もあるように思います。かといって、政府機関やNGOが行っている援助活動も、実際に被援助国の経済がどの程度成長したか、貧困層がどれだけ減ったのか、病気の罹患率が下がったか、就学率が上がったか、安全な水にアクセスできる人口がどれぐらい増えたか、といった定量的な指標を用いた評価の有効性についてはまだまだ改善の余地があり、相手国政府のキャパシティがどの程度向上したか、といった定性的な観点についてはますます測定が困難です。

このことについて考えるたびにいつも思うことは、最終的には自分自身がどの程度満足したかという自己満足的な要素は否定できないけれども、それはそれなりに重要な点であるということと、援助を受け入れる相手のニーズに即した支援を本当に行っているのかということこそが重要であるということです。しかし自分のやっていることが本当に相手の満足することかどうかということは、その時点とあとでの評価も違うでしょうし、最終的に相手がHappyではなかったとしても何らかの長期的な効用があれば意味はあったということもできるでしょう。

そう考えると、結局のところ、援助とは、迷いながらも生きていく人生そのものであるように思いました。
何の結論もなくてすみません。まあ、真理みたいな結論があるのであれば、面白くもなんとも無いのかもしれませんが。