「僕」は戦争に行っている。その日は馬を立木につなぎ、草陰に糞を垂れ、柳に似た枝を振って帰ってきた。
その晩初めて家郷を夢見た。
つゆも祖国も遠くただ美しかった。


私の穿った見方かもしれないけれど、この最初の数行があるから芥川賞作品として納得するのである。
つゆへの思慕が美しき誤解だったと承知しているのなら。


「僕」は句会でお嬢様らしいつゆに出会った。つゆの言葉、行動に一喜一憂する日々がはじまった。
それが中学生の日記風に拙くめんめんと綴られている小説である。

つゆはそれとなく僕の気を引く行動や言葉を投げてくる。僕はとうとうつゆに恋文を書くが、返事は来ず、しかしつゆの優しい態度は変わらない。曲者だ。僕は恋文を書いたからには身分違いでも結婚しようと思っている。

散々翻弄しておきながら僕が戦争に行っている間につゆは結婚した。

「僕」はつゆを美化しているが、女から見ればよくいるおちゃっぴいでコケティッシュな女でしかない。
「僕」の母は、つゆが僕の留守の間に本を返しに来たと言い、僕は急に気が沈んだが、あの子のろくさいネ。こちらはお客が二階にいるのにぐずぐずして。俳句などをする子ははっきりしなくてイヤだ、と女の目は確かだ。読者は此処を見逃してはならない。
この作者は一筋縄ではいかない。



私が友人と共同生活をしていた時のこと、予定より早く帰宅したら部屋には内側から鍵がかかっていた。
10分後、友人と男友達がそそくさと出て行った。友人は自分は家柄がいいのでお見合いでしか結婚できないのだと、男の熱心な求愛を拒んでいた。
それからしばらくして友人はお見合いで結婚した。新婚旅行から帰って、友人は大量の出血をして大変だった、と言った。まぁ、赤裸々ね、と思っただけだったけれど、その意味するところが解かったのは何十年もたってからである。鈍感だ。最後の物はお取り置きしておいたのよ。いよいよ汚い。

長江デルタも青果の市も唱和16年の受賞です。連絡員は17年、纏足の頃と和紙は18年です。
登攀とリュウカンフウーそんな漢字は探せないーは19年です。
上海だの青島ーチンタオーだの奉天だの支那人だの、馬鹿の一つ覚えみたいに、もう、沢山。いい加減にして。これらは読まなかった。文学も汚らしく、汗臭く、つまらない時代だったらしい。

和紙の作り方と田舎の風景の描写が長くて、その間に「いいとも、寄ってくるべ。」なんて意味のないどうでもいいセリフが入って、最後まで読む気力がなかった。

村上春樹も対談で、風景描写はほっと一息ついで読み飛ばすもの、と言っております。それが延々と続くんですからたまったものではありません。故郷自慢などに付き合えない。

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