2016年11月16日

ティファニーのハーモニカ

使わなくても大事にしてとっておきたいものってあるよね。
これをくれた人はもうこの世にいないし。
ネズミにかじられてケースは汚くなっちゃったけど。
たまに思い出して吹いてみると、あの頃をちょっと思いだしちゃったりして。IMG_9518 

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2016年06月04日

お前は無力だ

自分にふりかかる災難なんかよりも、友人知人、彼氏彼女、家族なんかにふりかかる災難の方が耐えきれない時がある。それが理不尽なものである程、胸がはりさけそうで、また自分の無力感が自分を襲って、責め続けるのだ。
「お前は無力だ。」
もう何万回も聞いたその声が、アタマにこびりついて離れない。
神よ、いっその事、自分を断罪してくれた方がどんなに楽だったか。
IMG_2879

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2016年02月06日

R.I.P.モーリス・ホワイト

自分の音楽変遷の中でも、タワーレコードとWAVEでR&B担当をやっていた20代の頃は、当時はブラックミュージック、ソウルというネーミングの音楽で支配されていた。特に70年代ソウル、ファンクに傾倒し、NYまでレコードを買い付けにいっていたほど。その中でもやはりアースは別格の存在だった。ワーナー時代の1st、2nd、コロンビア移籍後の作品は勿論、ラムゼイルイスなどメンバーが参加したアルバムから、モーリス・ホワイト、フィリップ・ベイリーのソロから、マニアックなところではローランド・バティスタ、ラリー・ダンらのメンバーのソロ、さらにTOMTOM84(84だっけ?)ことトーマス・ワシントンやフェニックス・ホーンセクションのジェリー・ヘイなどアレンジャー陣が関係した作品、ブートレグからレーザーディスクまで、ほとんどコンプリート。完全にアースマニアだった!WAVE時代に、当時竹中正義のサポートで来日していた自分にとってのスーパーギターヒーロー!カッティングの神様アル・マッケイがフラリと店に寄った時は、他の誰も気がつかないない中、狂喜してサイン、握手、ハグとファン丸出しの店員と化していた(すんません!)。東京から帰ってくるとき、レコードは殆ど処分したが、アースのサイン入りベスト盤は、持ち帰って今も富岡にある。そんな自分にとってのモーリス・ホワイトは神様以外の何ものでもない。何度もライブをみた。最前列で心の底から感動した。NHKではディスコ云々ぬかしていたが、チャートに上がるような一般の音楽の中では、全てのジャンルを超越した音楽芸術の域にまで達していたのは、後にも先にもアースしかいない。あれだけの音楽集団をまとめあげ、その人間性を全ての関係者が絶賛する偉大なるモーリス。わが音楽道の父よ。その素晴らしき作品とにこやかな笑顔は、いつまでもこの胸の中に。R.I.P

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2015年08月29日

罪悪感

 認知症の母親は、5分前の事さえ覚えておらず、同じ事を何度も何度も口にする。時折うんざりして返事しないでいると、逆切れする事もある。認知症なんだからと、常に自分にいい聞かせながら自分を抑えて対応するのも中々大変で、時折冷たくしてしまっては反省し、その繰り返しの日々。
 朝夕、処方された薬を飲ませる。帰りが遅い時は「夕食後に飲む薬」とわかりやすく紙に書いてその上に薬を置いて行く。ある日遅く帰ると、母親はすでに寝ていて、そこに何故か返事(?)が書いてあった。

「ありがとう 弘子」

泣きそうになった。冷たい態度をとってしまう自分に罪悪感の波が押し寄せる。
 

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2015年06月24日

武藤絵美/詩画集「HEY! CHERRY!」

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雨ニモ負ケズや僕とモンスターのジャケットイラストでもお世話になった都さんは、詩人としても個人的にフェイバリットで、柔らかい中に鋭い描写がハッ!とさせるとても繊細な感覚の人です。つかみ所がないようでいてじわじわと脳裏に染み入ってくる感覚は、とても不思議な残像を目蓋に焼き付けてくれ、震災後の当時、どうしようもない焦燥感の中で、前作の「それぞれの空と点」は、やさぐれた心の角を取ってくれるような、自分にとっては大事な作品でした。そしてこの度、新詩画集「HEY! CHERRY!」をリリース!これまた不思議な後味が残るステキな作品です。イラストや詩に興味がある方にオススメの一冊。小さく手頃なサイズで一気に読めます。自分の様に心がやさぐれてる人に。

商品はこちら
http://www.amazon.co.jp/372/dp/4990834305/ref=aag_m_pw_dp?ie=UTF8&m=A29TAX9KZQOVT8
オフィシャルHPはこちら
http://miyakomiyako.com/ 

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2015年04月24日

Thoughts on Cherry Blossoms in a Town 10km From the Fukushima Power Plant

【IGNiTION】nanapiが運営する英文サイトにて夜ノ森の桜の記事を平山が書きました。夜ノ森の桜とは富岡町民にとって何なのか!?英訳は中野満美子さんとMichael Craigさん。写真、映像てんこ盛りの記事です。
google翻訳だとメチャへんてこになってしまうので、原文をこちらに載せておきます。写真はIGNiTIONの記事と照らし合わせながら見て頂けるとモアベターです。
英文記事はこちら

日常の中にあった桜
福島県富岡町は、町の中心部が福島第一原発から南約10㌔にあり、更に南の楢葉町との町境には福島第二原発をかかえ、二つの原発に挟まれた位置にあります。事故の後2011422には、作業員など許可を得た者以外の出入を禁止したり、制限したりしている警戒区域に設定されました。この町の夜ノ森の桜は、町民にとって単なる観光名所や歴史的遺産、普遍的シンボルという以上に、特別な思い入れがあります。それは公園(もありますが)や川沿いなど特別な場所にあるのではなく、普段の通勤、通学路や一般家庭の庭先などにもあり、桜祭りには多くの町民が集い、夜はライトアップされるなど、昼夜通して日常生活に密着したものとして、他のどこよりも人と桜の距離が近かったからです。富岡町民が桜を語る時には、どこか我が子について話すような感覚さえあるでしょう。しかもそれは世界に誇れる程美しく、壮観で、何ものにも代え難いものです。
それだけに震災によって避難を余儀なくされた町民が、この季節に夜ノ森の桜を思う気持ちはとりわけて深いものといえるでしょう。春になれば桜を思い出し、メディアで流れる映像に思いを馳せたり、世間話をすれば必ず桜の話がでて、望郷の念は深まるばかりです。しかし避難先の距離的な問題や、健康面などの理由で、震災後一度も一時帰宅をできず、夜ノ森の桜を見ていない方も多いのです。
  2年ぶりの再会
2013325日。桜開花も間近の季節、警戒区域が再編され、富岡町は放射線量の高さに寄って、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに区分けされました。約2.5kmに渡る桜並木も、中程にバリケードが設置され、許可なしでは立ち入りが出来ない帰還困難区域、制限付きで立ち入り可能な居住制限区域に分断されました。居住制限区域は9時から15時の間自由に立入りが出来る様になったため、再び町民が見に来る事を見越して、町は桜並木の立ち入れる部分を先行除染しました。ショットブラスターでアスファルトを削り、根本の土を入れ替え、高圧洗浄がかけられた樹皮は痛々しい姿ながら、桜は多くの町民達を待ち受けていました。そして入れる区域に限って町民がちらほらと見に来るようになり、車がない方の為に(常磐線は未だ不通)、町はバスで桜の観覧をしてもらうという粋な計らいも。それは町民にとって約2年ぶりの桜との再開だったのです。並木通り沿いにある東北電力の事務所(閉鎖中)には、気を効かせたのか入り口に桜の絵が描かれ、その上に貼られていた「おかえりなさい」の張り紙を見た時には、思わず目頭が熱くなりました。約半分とはいえ、桜並木が町民の手の届く所に近づいた年でした。
しかし、6号国道に通じるバリケードの先の桜並木や、夜ノ森駅、夜ノ森公園、つつみ公園を含む地域は帰還困難区域となり、許可がないと入れなくなりました。そんな状況の中でも、一般には見る事ができなくなってしまったバリケードの中の桜は、今年も美しく咲き誇っていました。誰も見る人がいなくても。
2015年春、町は桜並木の帰還困難区域の部分も除染し、解放を試みました。しかし十分に線量は下がらず、周辺の除染がまだという事で断念。とはいえ近い将来の解放を期待させるこの動きは、復興への暗中模索の中、光明を見いだす試みとして評価できるでしょう。
 5年目の春の思い
あれから5年目の春を迎え、相変わらず町民は県内を含む47都道府県にバラバラのままです。具体的な帰還の見通しもたっていません。これだけ時間が経つと、帰還を諦め、新天地に家を求めたり、災害公営住宅へ移り住む人も多くなってきました。アンケートでは避難指示が解除されれば帰還するという人は現状約10パーセント程度。つまりそれぞれの新しい道を歩み始めた方が多いという事です。勿論、解除になったとしても、子ども達が戻るわけがなく、当面は原発や除染、中間貯蔵施設などの作業員と高齢者、そして町の復興を目指す一部の有志だけの町になるでしょう。中には帰還や放射線に関する考え方やの違いで、同じ町民でも一部分断さえおきている現在、所在がバラバラになったままだとしても、今後皆の心を一つにできる、あるいは一つの思いを共有できるのは、この夜ノ森の桜だけなのではないでしょうか。帰る帰らないに関わらず、桜が町への思いを繋いでくれるのです。そして先人達が築いてきたこの偉大な財産を、これからも大切にし、代々引き継いでいく事は、我々世代の責任といえるでしょう。町を次世代に繋いで行くバトンとして、この桜の存在がより大きくなってきたのです。

富岡町民はどこにんでいようと、春には夜ノ森の桜を思い募るのです。そしていつかまたこの桜の下に町民が集い、祭りで賑わう事を祈ってこの文を終わりにします。それは自分の世代ではかなわないかもしれないけれど。



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2015年03月12日

拍手の意味

3.11いわきアリオス
アンコールで大木が「富岡は負けん!」タオルを掲げた時の、会場を包んだあの優しい拍手はなんだったんだろう。
なんだかよくわかんなかったけど泣けてきたよ!

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2015年02月26日

物忘れ激しく、一日に何十回も同じ話をし、
自分の行動さえ記憶できず、理解不能な事をする。
理性が効かず、精神年齢は幼稚園並み。
突然何十年も前の事を鮮明に話し出す。
認知症とは摩訶不思議なものなり。
人格が、人間が壊れて行く様をみているようだ。 

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2015年02月07日

【訃報】

【訃報】

この度、父、元吉は2014年2月4日、他界しました。
ここに生前のご厚情を感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。
なお通夜および葬儀は下記の通りとり行います。



1、通夜 2015年2月9日 18:00
1、告別式 2015年2月10日 10:30
1、場所 かげつ斎苑好間
970-1151 福島県いわき市好間町下好間字叶田134-1
電話 0246-36-8888 FAX 0246-36-8777

平成27年2月5日
979-1112 福島県双葉郡富岡町中央1-183-1
(979-0408 福島県双葉郡広野町中央台2-1-12)
喪主 長男 平山美弘
妻 平山弘子
次男 平山勉

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2014年04月17日

富岡町夜の森の桜2014まとめ

夜の森公園夜の森の桜2014まとめ

ちまちまとアップしてましたがやっと終わりました。全6編にわけて。
今年は天気に恵まれて花の着きもよく、鳥害も少なかったようで、沢山の人が夜の森の桜を楽しんで行った様子。

富岡町6国検問〜夜の森堤公園 
http://youtu.be/bQC00uH8AB0

富岡町夜の森北-夜ノ森駅-基準木-リフレ前 
http://youtu.be/1H2wKKzWUUQ

夜の森北-新夜の森-桜のチャペル-夜の森公園 
http://youtu.be/0C9ZWt1x50w

富岡町夜の森公園 
http://youtu.be/I95Nyg55uTY

富岡町夜の森北~6国検問 
http://youtu.be/eP3Zb8KUfnA

富岡町二小ーバリケード南 
http://youtu.be/-wPRDsixSXs 

 

夜の森の桜は、本来地元の人たちの日常生活の中の風景であり、観光資源でもあり、町の歴史でもある、とても大切なものである事は言うまでもない。それが震災以降、違う意味での注目のされ方にとても違和感を感じる。車を陣取る各種メディアや、この時期に集中する報道の数々。
でも、それもまたいいと思う。この地域が人の記憶に残るなら。

居住制限区域であるあの場所のささやかな花見などはちょっと微笑ましいとはいえ、中には火気厳禁の町内にガスコンロを持ち込んできて騒いでる不逞の輩がいる。その人たちは震災前から夜の森に花見に来ていたのだろうか?それが出来なくても堪えている町民にとっては心おだやかでない出来事。どこの被災地でもあるけど、住民感情を無視した振る舞いはとても許されるものではない。退去時間の15時をまわってもまだまだ人が多い。
でも、それもまたいいと思う。この場所に少しでも賑やかさが戻るなら。

多くの人が訪れた夜の森の桜並木は、除染や自然減によって路上路肩なら1μSv/hを切るまでになった。それでも一歩わきにそれれば線量は跳ね上がる。20~50μSv/hを超えるホットスポットも多々ある。二小からバリケードに向かう途中にある富岡町総合運動場の駐車場のMPは、今でも常に5.5
μSv/h前後で推移している。今回あのMPをどれだけの人が見ただろうか?しかし2011年中は二中前の路上でさえ5〜8μSv/hあって、あの頃の絶望感は今ではない。

ここでアップした帰還困難区域内にある夜ノ森公園や、一橋から教習所までの1.5kmにわたる見事な風景は、直接みる事が出来れば、バリケード南側しか知らない方には更に驚きと感動を与えるだろう。いつか日常の風景として町民のもとに戻ってくる日を願う。ささやかなその感触を手にしながら。

ちなみに富岡インサイドでは2011年以降、毎年夜の森の桜(に限らず)の画像をアップしてます。参考までに。
富岡インサイド
http://www.tomioka.jpn.org/ 



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2014年03月20日

形見

避難後、昨年末にご主人を亡くした方のお話。

帰還困難区域の実家に置いてあって持ってこれないものは沢山ある。
住んでる所の事情やどんだけ汚染されてるとか、運ぶ手段がないとか。
しかし、今となってはそこに沢山のご主人の形見がある。
いや、家そのものが形見なのだ。

そこは損壊したまま、動物に荒らされ、惨憺たる状況だという。

長年にわたって苦楽を共にしてきた人、家、大事な物。

自分なんかのような青二才には計り知れない想いがそこにある。
人生の大先輩達の悲痛な叫びは行く宛もなく。

それでも時に明るく話してくれる。 

全てを解決する事などもうかなわないとはいえ、
胸を痛め、笑顔をくもらせる心残りを、

ほんの少しだけでも拭き取る事が出来ればと、
切に願わずにはいられない。
 


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2014年03月09日

人生の終末に

昨日、相双ボランティアにかかってきた1件の電話で、思わず泣いてしまった。もらい泣き、というか悲しさとか悔しさとかもどかしさとか、色んなものが混ざり合って、しばらく涙を拭わなかった。
  双相ボランティアのFacebookとツイッターで何度か書き込んだ双葉町の80代女性の件だ。当然車はない。何故か町が用意するバスによる一時帰宅では帰った事がないという。その人は震災後、福島市の仮設住宅におちつき、警戒区域だった時は、浪江の親戚と一緒に一時帰宅やお墓参りをしていた。警戒区域は一度検問を通れば区域内どこでも行けたからだ。しかし昨年春、区域再編によって、一時帰宅の方法が変わると、浪江の親戚が一時帰宅するといっても、それとは別に双葉町の一時帰宅の申請が必要になる為、双葉町の許可がなければ一時帰宅できなくなった。この方はそれまで一緒に一時帰宅していた親戚の方に、手間ひまかけさせるのが申し訳ない気持ちなのか、声をかけてくれなくなったのか、再編後のこの一年は帰ってないという。
この方の代理でかけた一時帰宅のコールセンターとのやりとりの中で、「自宅以外にお墓参りとかどこか寄るところがあるか?」
という話が出たので、その方に電話口で「お墓参りとかいきますか?」と聞くと、急に声がきこえなくなった… 
「もしもし?もしもし?」
しばらくすると小さい声で
「お墓は浪江にあるので…」
と、泣きながら話し出した。つまり、区域再編後のこの一年間、一時帰宅にもご主人のお墓参りにも行けずに一人我慢していたのだった。近所付き合いもあまりないのかもしれない。何かが自分の脳天を打ち抜いた。
「今回は一時帰宅だけだけど、次回は浪江にも手続きして、お墓参りにもいきましょうね。」というと、
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
と何度も泣きながらいってくれた。自分の倍くらいの歳の人生の先輩が、こんなちんけな自分なんかに対して、なんてもったいない言葉か。冒頭のように、自分も涙を流しながら、しかし心では燃えていた。
3月は一緒に一時帰宅、4月にはお墓参りにも連れて行く。絶対に。
帰還困難区域のこの方の自宅付近は、そのポイントだけみればそれほど放射線は高くない。しかし、善し悪しは別にして、生きている間に帰還できるかどうかは、失礼ないいかたになってしまうが微妙なところだろう。いや、中には確実に生きてるうちに帰還できない、移住の選択しかない人だって多い。しかし、他の人からも同じような事を聞いたが、一人暮らしの高齢者が、移住の選択をする場合、果たして家を建てたり買ったりするだろうか?そういう人はほとんどいないだろう。おそらく帰れないまま仮設や借上げ、あるいは運良く当たったとして災害復興住宅、あるいは施設やグループホームなどで一生を終えてしまう方が、どれだけいるのか、考えただけで悲しくなってしまう。双相ボランティアにかかってくる電話の中にも、「どうせこのまま死ぬだけだけれども…」という言葉を何度か聞いて、言葉に詰まってしまう事がしばしばある。
とても難しい問題だけど、これまた失礼な言い方になってしまうが、余命いくばくもない高齢者にとって、それほど放射線を遠ざける必要があるのか?放射能くそくらえじゃねえのか!?
まあ人道的な問題と、政治的な問題、そして本音と建前があまりに複雑に絡んで答えはだせないけど…。 起ってしまったものになんだかんだ言う気はない。でも、政治の決断力とスピードのなさ、そして世の理不尽さが、これほどもどかしく思えるなんて…。
それでも自分の出来る事をやるしかないけど。それがあまりにちっぽけな力でしかないのがまたもどかしい…。 

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2014年02月19日

3作進行状況huenica、雨ニモ負ケズ、dinner

本日2/19、東京ではhuenicaの2人とソニックの新妻PAが、自分の尊敬する恩人、葛巻さんのスタジオで4月リリース作品の最終マスタリング。 かたや仙台では雨ニモ負ケズのレコーディングと、スケジュールの関係でバッティングしてしまったが、とても充実した日々を過ごしてます。これも頑張ってくれてるアーチスト達と支えてくれてる関係者の皆様のお陰と、感謝の念に堪えません。 その裏では先に3月リリースとなる山形のポストロックバンドdinnerのCDが、パッケージ組立工場が山梨県笛吹市にあり、折からの雪の影響で、流通納品に間に合わないかもという事態になりました。ここでも工場や流通業者はなんとか間に合うようにと頑張ってくれていて、頭が上がらない思いです。この豪雪がこういう形で影響してくるとは思いもよらなかったけども、CDの事よりも関係者がみな無事でいてくれたことにホッとしながら、もし体が空いたら山梨まで雪かきに飛んで行きたいと思う今の心境。今はただ、自分のやるべき事を全力でやるのみ。 今回の豪雪被害にあった全ての人々に、一日も早い平安無事な日常が訪れますように。
画像1
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2013年11月22日

その道すなわち人の道

山を避け
谷を抜け
海に沿い
川を渡る
その道
すなわち
人の道

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2013年10月16日

引っ越し

両親が広野の一軒屋に引っ越す事になり、好間のアパート(借上げ)から引き上げる事になりました。一時は知り合いのいる上高久の仮設に行くとかすったもんだありましたが、やっと落ち着けそうです。自分はそのままいわきに残ります。色々と不自由はあったけど、親戚宅→今のアパート→広野と、たった3回の避難、引っ越しですんだのはまあよかったかなと。あの2Kのアパートに一時期は兄の子供も含めて6人で生活してた頃もあった。今となっては懐かしい。まだ不動産もコンビニもフルには再開してなかったあの時期にアパートを世話してくれたり、布団や食べ物、日用品、服なんか持ってきてくれた友人達に心からの感謝を。ホントに沢山の人に支えられた2年7ヶ月。色んな意味でとっても思い出深いアパート。思い出すだけで涙ちょちょぎれてくるよ…。



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2013年05月23日

「富岡は負けん!」その後

大熊町から埼玉へ避難した方のブログを二つ紹介します。このブログタイトルは「双相の思い出写真館」。残念ながらこの方は去年の10月で投稿をやめてしまったようですが、一時帰宅の時の様子に「富岡は負けん!」の事について2回触れてくれてます。まずは

2011.11.1 「富岡は負けん!」との出会いはこちら
一時帰宅【4】 『富岡は負けん!』

2012.10.19 そして2代目にきずいてくれた
『富岡は負けん!』横断幕のその後

あちこちで発言している通り、
この横断幕は自分なりのメッセージを込めて掲げたもので、これを見た色んな人から、感想、応援、励ましの言葉を頂きました。そしてその言葉に逆に自分が励まされる事は何度も。
更に今回は、見ず知らずの大熊の方と、この横断幕を通して繋がり、思いを共有出来たという事に、なんというか、心が震えてしまった!こちらこそ心からありがとうです。

願わくば、避難先での生活に幸多からん事を。
 
 


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2013年05月20日

「伝える」「伝えられる」

ed0fa901.jpg取材やインタビューなどで、他の人に何か聞かれた時に、自分の考えや思いを正確に伝える事はとても難しいと感じてる。いや、むしろ自分の考えや思い自体がもともと正確なものなんてなかったのかも。少なくとも震災以降、時間を経る毎に変わっていく自分の思考をはっきりと感じるし、一年前の記事などをみると、明らかに今の自分の考え方とは違う部分があると感じることすらある。先行きの見えない未来について迷ってたのかもしれない。ただ現時点の意思や覚悟はまぎれもないものだし、確固としたものであるとは自覚しているけど。それすらも変わって行くのかどうか……。

逆に自分の意見や行動を一方的に押し付けてくるような「何もかも知ってる偉そうな」人と話をするのは、本当に苦痛でしかない。原発や放射能や福島や復興なんかについては特にそう。やたら国や東電や原発のあげ足ばかりとって騒いでるようなやつ。ここでガタガタ言ってたって何も解決しないんだから、だったらお前が政治家になれよって。そんな時はもう黙って頷いて聞いて、反論などしないようにしている。 何を言っても無駄だろうから。でもしっかりとした自分の考えを持ってるという意味では、決して嫌いではないけど……。ここいわきでも自分の周りにそんなヤツが二人はいて、もう受けては流す「風車の理論」(by アントニオ猪木)であしらうようにしている。

自分が話の席で何もいわなくなったら察して下さい。
(写真と文章は関係ありません) 

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2013年04月04日

「ふるさと」MV にあたって


2013.3.11にリリースして、やっとMVができました。もう説明は不要でしょうが、詳細はノーマディックのHPにて
http://www.nomadic.to/
この映像を編集するにあたって、過去に撮ってきた映像を眺め、映像とリンクさせていくにしたがって、あらためて込み上げてくるものがありました。何度も何度も…。いつまでもそんな事はいってられないとはわかっちゃいながら、これはもう避難生活を経験した人でないとわからないかと。
ただ一ついいたいのは、決して泣き言ではなくて、自分も含めて、避難した人達が故郷を思う気持ちがどんどん強くなってきてるという事。これは将来的に帰る、帰らないに関わらず、共通した思いなのではないでしょうか。。
この曲はそんな気持ちを共感できる一つの媒体となって、人々の心に響く事でしょう。 

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2013年02月26日

日常会話


78歳の母親が電話口で涙ぐみながら
「帰れるまで元気でいましょうね」
と話す相手は85歳の先生。
この人達は何かを覚悟してるのかも知れない。
こんな会話を聞く度に胸が締め付けられて何もいえなくなる。
そして自分もこの人達と何処の土地で、
いつまで一緒にいられるのかという覚悟をつきつけられる。

これが大熊か双葉だったらこういう会話にはならない。
とっくに見切りをつけていただろうから…
希望と可能性を残した富岡と浪江の状況は、
ある意味残酷でもある。
場所によっては数年後には帰るという選択ができるからだ。

この3月末〜4月に富岡と浪江はついに警戒区域の再編をはたす。
それは長い戦いの口火でもある。

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2013年02月06日

「溝」

ここに書く内容はこのブログでも過去に何度か触れたし、某新聞にも同じ問題で寄稿してるので、この問題についてはこれを最後にしようかと。何故また書こうと思った発端はこの記事です。

東京新聞/避難者同士でも溝 49歳孤独死の背景 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013020102000102.html

この中の本題ではなく「自主避難者と警戒区域からの避難者との間にある「溝」を指摘する声」という下り。この問題は震災後続く、双葉郡住民の各地での肩身の狭さと、偏見と差別、お金にまつわる人間性の醜さにつきあたる。以前から度々報道される双葉郡避難者と受け入れ先住民との軋轢も同様。避難者が集まるサロンなどに見当違いの文句を言いにくる人もいる。避難先で双葉郡どころか福島から来たと言い出せない人もいる。ただでさえ故郷を負われて生活している身に、避難先での肩身の狭さときたら、精神的に追い込まれるばかりではないか。最も双葉郡住民が避難先に馴染み親しんで生活する為に、襟を正し、自立する必要がある事は以前書いた通り。恥ずかしい事に賠償漬けで人間性までおかしくなってる双葉住民も確かにいる。でも中には自立出来ない事情がある人の事も理解してほしい。一度こじれてしまった人間関係を元に戻すのは、もの凄い心の労力がいるけれども、お互いの理解という意外に解決策はない。

諸悪の根源はお金が人の心を醜くするということ。

双葉郡住民がもらっている賠償金というものは、近い将来故郷に帰って、あるいは故郷を離れ移住する為に、一から人生を立て直す貴重な資金となるのであり、妬みやっかみが生まれるような云われはまったくない。金をもらって楽してるわけじゃないのだ。震災後放置された故郷を立て直す為に、除染、修繕など地獄の苦しみを、この先何年も味わうのだ。あるいはせっかく地元に建てた家を諦めて、また新しい人生の土台からやり直す努力を強いられるのだ。
一方では「金の問題じゃない」と帰還に向けて頑張ってる人達がいるにも関わらず、常に賠償とばかり叫び続ける自治体にも一つの責任はある。世間に対するイメージ悪過ぎ。ただ賠償というだけでなく、何の為に必要で何につかうのかを自治体が世間に説明してくれたらいい。「一律賠償」の文字が紙面に出る度に、同じ町内でさえ帰れる人が帰れない人と賠償額が同じなのは納得出来ないという意見まで出る始末。そこでまた要らぬ諍いがおきるのかい?

そもそも他人の生活と比べる事が間違ってる。隣りの芝生を見て筋違いな妬みが、様々な問題の引き金になってる事は全くもって悲しむべき事。むしろほっといて欲しいとさえ思う事がある。

以上。おしまい。気の利いた事書けなくてすいません。



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