2012年02月06日

若い母親の決断

大熊から通っていた元従業員(パート20代前半子持ち)が、会津での避難生活の中で夫婦関係が悪くなり、離婚したという。子供も再転校。今は郡山に住民票を移し、借上げに子供と一緒に住んでいて補償金でなんとかやってるというが、なんとも心苦しい。もう何時災害なのかと。
戻れない事を考えて彼女が自ら下した移住という決断は、町や県に頼ってガタガタ文句ばかり言ってる大人達よりもはるかに逞しく、現実的で素晴らしい。仕事を探すとはいっても避難者が多い郡山の求職状況も厳しいだろう。身寄りがなければ支援の厚いところを選んで県外避難が一番現実的ではあるが、福島を離れたくなかったという一言が泣ける。
逆に雇用の問題で福島を離れる人も少なくはない筈。
福島の人間模様は、時とともに変わりつつある。

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2012年01月22日

南相馬『ふるさと復興会議ざっくばらんに話しすっぺ!』

縁あって1/21南相馬『ふるさと復興会議ざっくばらんに話しすっぺ!』に参加してきました。恐れ多くも富岡の自分にも発言の機会を与えてもらったりして恐縮しきりで。いわきから南相馬へは地理的にはほぼ直線の海沿い1本道なのが、当然20km圏を避けていくので、今ではものすごく遠回りになる。磐越道〜東北道〜二本松で降りて国道・県道〜川俣、飯舘村を経由という、試しに地図でみてもらえばどんだけ遠回りかわかってもらえるはず。しかもこの日は雪で...(泣)。南相馬、というより原町は子供時代、無線塔がある頃から遊びにいってたり、そろばんの試験で行ったり、自分にとっても馴染み深い町のひとつ。原発の事故が浜通りを北と南に引き裂いて、地理的、便宜的にも恵まれたいわきに比べたら、線量、津波被害もあわせて、ここははるかに厳しい状況なのが胸が痛い。偶然、前日NHKで南相馬の特集をやっていたのを見た。この会議では更に悲痛な声も聞く事ができた。特に一次産業の深刻さはちょっと途方にくれてしまう。しかし、様々な職種の地元の人、移住してきた人、ボランティアの人、そして自分のように外から来た人が、合わせて60人ほど。それぞれの状況の話や意見交換などを真剣にする姿は、悲嘆に暮れる叫びよりも、本当にこの地域を真剣に復興させようという意欲と熱意の方がはるかに感じられて、頼もしくすらあった。同時に厳しい状況ではあるものの、復興に向かえて頑張れるという羨ましさも少し...。個人的には多かったボランティア話よりも、もっと現地の声が聞きたかったという感じも。そして双葉郡でも、いや、郡内それぞれの町村単位でもこういった話ができないものかと思わずにはいられない。いや、やってんのかな?それなら周知不徹底といわざるをえないが。仮設、借上げに住む人(県内・県外)、親戚・知人宅に身を寄せる人、子供がいる人、高齢者、色んな職種、自治体、大学教授から新聞社まで。そこで何かしらの結論を求めるのではなく、それぞれの状況、問題を話し合う事で新たな提案や要望がでてくる事もあるだろう。全くもって見習わなければならないことは多い。同じ町民、隣人の状況も知らずに、町全体、そして課題や方向性を語ることはできない(ちょっとだけ町へのあてつけ)。
minamisouma 

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2012年01月11日

OTOTOYインタビュー後記

OTOTOYに掲載されたインタビューです
http://ototoy.jp/feature/index.php/20120106

ツイッター/FBでもいったように、自分はいわき市民ではないので、いわきの現状について語るのは憚れるところがあるけど、いわきで生活/避難しているイチ住民としてみて頂ければ幸いです。更に、自分は大上段から福島を語る気も資格もなく、双葉郡を総括出来る立場でもなんでもない。こちらもイチ住民の話として見て下さい。

福島と言っても、風評被害から観光産業が大打撃を受けている会津地方、距離の割に比較的線量が高い中通り、飯館/川俣などの高線量による避難区域、そして全てにおいて県内では最も難しい立場にある20km圏以北の南相馬、相馬など、それ以外にも地域によって状況はまったく異なり、自分なんかでは語り尽くせない福島がある事も気に留めておいて下さい。各地を回った感覚では、20km圏以南のいわきは恵まれてる方だと感じてしまうのです。

そしてまもなく、20km圏内の線引きが決まって、ひとつの大きな区切りが訪れた時、これまではなんとなくはわかっていたけど、帰れないという決定を受け入れざるを得ない人々がでてくる。あるいは入れるけど居住制限という宙ぶらりんな人も。震災後1年目の決断は非情なものに。

更にいうなら、自分は富岡インサイドで富岡の事ばっかり発信しているけど、勿論、双葉郡の他の町村の事だって気にならない筈がない。ここは自分の出来る範囲で精一杯という事で大目に見て下さい。

そしてこの発信の場を設けて頂いたOTOTOYさんに感謝を。 

 

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2012年01月04日

井戸川町長よ #futaba #双葉町

中間貯蔵施設を受け入れて、住める土地、住めない土地をはっきり区切り、戻る人、移住する人をそれぞれ支援すれば数年後はどちらもそれなりの平安をとりもどせるだろう。そして福島を、日本を救うことが出来る。勿論それだって涙を飲んでの方向だ。中間どころか別に最終だっていい(結局そうなるだろうけど)。だいたい施設を作る=住めないっていうのも短絡的だ。

しかし、中間貯蔵を拒否して断固、除染、全町民帰宅に拘れば、除染に莫大な費用を費やす上に、その間、町民にとって何年経っても仮設住宅、あるいは移住かなんだかはっきりしない暮らしが続く。そして、各地に汚染物質が放置されたままだ。特に学校の校庭に汚染された土がいつまでも放置されたままでいいわけがない。

井戸川町長よ。ダダをこねてる場合ではないのだ。



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2012年01月02日

notice it アルバム2/8リリース

DQC841JKT
東京から地元に帰ってたのが2009年4月。当初、家業を手伝いながらどこまでできるのかという不安はあった。更に2011.3/11、ありえない災難が降り掛かってきて全く先が見えない時期もあった。しかし!震災後だけでも山形のdinner、仙台の雨ニモ負ケズをリリースし、来たる2012年2/8!ついに地元いわきのバンドnotice itをリリースする事になりました。ここまで辿り着くのに、決して平坦な道ではなかった事は察して頂きたい。そしてこの先もまだまだ...。
そして、福島にいながらでもやっていけるという事を、その価値を見せ続けていかなければならないのです。時代はとっくに地方からの情報発信という方向に移りつつあり、これからもその誇りと責任をもって突き進む所存です。
http://www.nomadic.to/

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2011年12月20日

迷える羊よ

彼の地では愚痴や批判、嘆き、厭味、諦め、罵声なんかを口にする理由は山ほどある。口にする事でストレスを吐き出す人もいる。表現する術もなく耐えてる人もいる。そんな暇などない人もいるだろう。しかしその渦中でネガティブな表現や意見、デマだけに埋もれてしまっては、必ず精神的に病んでくる。もはやネット上で飛び交う論戦はどれも冷静さを失って、自己の正当化を競う場所のようだ。もし心当たりがあれば一度歩みを止めて、魂の行方を見直す事を奨めたい。そしてなぜか県内よりも、県外にいる人の方がその傾向が強いように見受けられる。しかしねじ曲がった受け売りで冒頭の言葉を紡いでいるだけは必ずしも彼の地の為にならない。むしろそっぽを向かれるのがオチだろう。いつかそれぞれの表現力を少しずつでも建設的な方向にもっていき、更に労力の使い方を変え、真実を見極め、まず言葉を発するそれぞれが救われる必要があるだろう。勿論自分も含めて、発言には責任が伴う事を再認識したい。 福島県人同士のいさかいはどうか。以前書いた様に避難した人の中には心が病んでしまって、やさぐれた言動をする人もいる。やる事がなくなり飲みほうけ、遊びほうけてる人もいる。そんなほんの一部の人(それを責めるのも酷)の揚げ足をとって、双葉郡の人全体を口撃したり、以前の原発の恩恵を持ち出して、見当違いの差別発言をばらまいたり、デマに惑わされたり。避難を受け入れる側まで心が病んでたりする。(こっちもごく一部と信じたい)。更に圏内に帰る帰らないの議論も、然るべきでない不毛な形に発展。避難する、したい、できないを巡る諍いもそう。ここでも気づきが必要なのはいうまでもない。共に立ち止まって悔い改めなければ。当然自分も悔い改めます。いや、常にそのサイクルの繰り返しというか…。 冒頭の言葉がでそうになったら、答えの行方を見定め、意見として述べれば、きっとネガティブな感情から、少しずつでも解放されていくだろう。 ただし現実的には今の段階で、誰も迷える羊を正しく導く事はできないだろう。何が正しいのかさえ危ういからだ。そんな中で安っぽい正義を振りかざし、導くふりをするだけの言葉ならば、むしろ彼の地にとっては迷惑になるだけ。むしろ黙っててもらった方が世のためだ。

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2011年12月18日

ネイティブの深み

震災後、たくさんのライブやイベントをみて気がついた事がある。それはどんな内容の歌詞であれ、日本語で歌い伝える事の重要性が、あの日を機に格段に上がったという事(当たり前過ぎてすんません)。いや、歌詞の内容も今まで以上に問われるようになったか。日本人の英詞を否定するつもりはないが、ネイティブでなければ歌う側だって気持ちの込め具合が違ってくる筈。そう、歌に込める気持ちの重要性も上がったという事だ。それは復興とか支援とか、ラブソングとか政治的とかに関係なく、本来あるべき方向、傾向であると同時に、アーチストの言葉の表現力もより問われる事に。70年代に反戦やプロテストソングが生まれ、演る側、聴く側両方の意識が刺激された様に、日本のミュージシャン、リスナーの意識も更に高みを目指して欲しい。そのきっかけは既にあった筈だ。一方でアイドルや演歌はある意味普遍的でいいとは思うけど。



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2011年12月10日

猫救出事件

震災後一週間目、区域内の線量の程度もわからず、いつまた原発が爆発するかわからない絶望的な時期、ウチの両親は知らない間に無謀にも猫を迎えに富岡の実家にいき、親戚一同大騒ぎになった事がある。しかも食料を持ち帰るという暴挙と、貴重なガソリンを消費して…。帰ってから人も猫もスクリーニングさせてみて、大事に至らなかったのは幸いだったが、自分の叱責を受けて、父親が流した涙は忘れられない。しかし今となっては、無知だったとはいえ、その行動に尊敬と愛おしささえ感じている。そして猫救出は自分が行っておけば、両親を危険に晒す事はなかったと、自責の念が拭えないのだ。あの時点で諦めていた自分は最低だった。そして「無謀」という言葉が、自分の中で「やってみる」に自動的に変換されるきっかけとなった事件なのだった。


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2011年11月20日

富岡インサイド

だいぶ遅ればせながら、富岡町支援応援情報サイト「Tomioka Inside」(富岡インサイド)を立ち上げました。サイト内でも書いてますが、現状を「知ってもらう」、情報を「共有する」そして人と人が「繋がる」ことが趣旨です。自分自身、震災以降、ものすごく沢山の人と知り合う事ができ、名刺交換は200枚を超えました。そして自分が媒体となって、更に人と人を繋げていく事もでき、ほんとにちっぽけだった自分の『出来る事』の可能性が、少しずつ広がって行く事を実感する今日この頃です。勿論何事に置いてもまだまだ微力なのも痛感しつつですが。しかしこの先もし、いざ!という時がきたら、この繋がりは今までの何倍のチカラをもって、人々の、町の為になると確信しています。つまりこのサイトは、存在そのものよりも、見てくれる人と人を繋げる媒体になれれば、それに越した事はないのです。そして復興への足跡を記す。これも大事です。ここまで色んな人の協力でここまできましたが、より良く、内容を充実していく為には、皆さんの御指導,御協力が必須です。然るべき時にはぜひとも宜しくお願いします!
Tomioka Inside
http://www.tomioka.jpn.org/ 

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2011年11月09日

雨ニモ負ケズ『不撓ノ一奏』


2011年11月9日リリース 雨ニモ負ケズ不撓ノ一奏』DQC-798 定価¥1890(税抜¥1800)Nomadic Records(流通バウンディ)

遂に本日11/9。雨ニモ負ケズ1stアルバム『不撓ノ一奏』をリリースしました。福島県のしかも警戒区域のレーベルが仙台のバンドをリリースする。想像できますか?半端じゃないですよ。まあ、そんな事は抜きにしてもこのアルバムの素晴らしさを被災地に、いや、日本全国に届けたい。そして本当に価値のある音楽とは何なのかをわかってもらいたい。皆がそれに気がつけば、今日のショップ店頭のニューリリースコーナーのような品揃えにはならないでしょう(やんわり毒舌)。そしてメディア腐敗も。
とにかく、バンドも自分も魂を込めた一撃です。清き1票を! 

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2011年11月02日

田中茉裕『小さなリンジー』

rimahiro

以前加茂さんに教えてもらった田中茉裕ちゃんのCDが発売になりました。当時の感想などツイートしたような気もするが改めて、すごい!です。
この作曲/メロディセンスは70年代のキャロルキングあたりの女性SSWに通じる秀逸さ。これが17才の女の子っていうのが信じられん!いったい何を聞いて何を吸収してこういうセンス/アイディアが磨かれたのか。17才らしく少し背伸びをした歌詞、声も張るとクセがあって個性的。ピアノにも豊かな表情がある。まだ荒削りではあるものの(そこがまたいい)、ただ聞き流しておくのを許さないくらいの求心力でグイッと引き寄せられる。更に、胸に飛び込んでくる角度はするどく、真っすぐ。通して聞き終えたあとの、今まで感じた事のない余韻の複雑さがこの作品の価値を物語っている。とにかく、染みるな......。いや、生でみたら泣くな....。
 

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2011年10月30日

日の丸

日の丸の旗なんて普段あまり意識してなかったし、むしろ学校での国旗掲揚、君が代斉唱の義務づけなんて嫌気がさしてたくらいだった。
しかし、津波で全て流された場所でメッセージ入りの日の丸を見ると、激しく心揺さぶられるのはなんでだろ。結局は人々にとって心の拠り所だったのか、何かにすがりたい一心がそうさせるのか。あるいは危機的状況になって、日本人の血が沸騰するのか...。
それは自分も間違いなく日本人であると実感できた瞬間でもあった。

と、新しい支援サイトを作っていて、写真をみながらそう思った次第。 

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2011年10月28日

ある母子

昨年、ダンナ(薬物で逮捕歴あり)のDVと嫁いだ先の冷遇に悩む女性がいました。別れて子供を連れて実家に帰りたがっていたが全く許してもらえず。世間でも評判の最悪の姑が子供を離さず、ついには子供と二人きりにはさせないというわけわからん状態に(連れて逃げるのを恐れていたらしい)。やがてダンナは精神病院に入院し、性格も見た目も変わって行った。そして退院後就職した仕事先でなんと事故死!当然その女性は子供を連れて実家に帰ろうとしたが、ここでまた狂った姑が子供を放さず、帰るなら自分だけ帰れと....。しかたなくその女性はその家の近くにアパートを借り、子供と会える状況を作って嫁ぎ先とは別々に生活していました。そして2011年3月11日。原発の事故が全てを変えた。子供ともその家族とも連絡がとれないまま別々に避難し、その女性は田村-会津-柏崎という避難経路。狂った姑の家族は途中は知らんけど埼玉に避難。可哀想な母子は以前よりはるか遠くに引き離されてしまいました。少なくとも8月までは別々に避難してたはず。今現在はどちらとも連絡をとってないので、その先は不明だが、その後どうしているだろうか。あまりにも不憫なその女性と、狂った姑のお話でした。

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2011年10月19日

サクラのステッカー海外へ

富岡町サポートステッカーが海を渡る事になりました。またしょうもない事とか言わないで下さいね。海外でも応援してくれてるという所をみせようと。一つはロンドンのChelsea College of Art and DesignとCentral Saint Martin College of Art and Designに通う学生が始めたSakuraFrontという日本支援活動と連動し、ロンドンで作ってるさくらブローチとさくらステッカーの交換配布という素敵な企画。向こうではポール・ウェラーやポール・スミス(!)という超大物が支援に協力し、さくらブローチをつけてくれていた!詳細な活動は↓を参照して下さい。
http://sakurafront.org.uk/
それと、知り合いのつてを辿って、NYのあるヘアサロンでもステッカーの配布が決まりました。 どちらももっと細かい報告がじきできると思います。海外では当然ながら震災や原発の報道はほとんどなくなってきてるようなので、まだまだ震災/原発事故が現在進行形であることを知らせるだけでも意義があるはずです。そして、支援だけでなく人の輪が繋がって行く事は素晴らしいではないですか!

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2011年10月04日

無謀こそ我が道

本当は強がってました。今でこそ20km圏内も、どこがどれくらいの放射線濃度かだいたい把握されるようになったが、警戒区域指定前の3月、4月に何回か富岡に入っていった時は、正直いって自分でも恐かった。当然今より線量は高かっただろうし、圏内の情報が全く分からなかったから。念のためマスクして、カッパと長靴は出る時に脱ぎ捨てていったり(皆そうしてた)。「死の町」なだけにシーンと静まり返ってる中、震災当時のまま散乱する家の中からモノを運ぶ作業をするだけで、恐ろしく緊張していた。一秒でも早くここを出ようと、心臓がバクバク。今、原発がまた爆発したらおわりだなぁ....なんて考えたり。保健センターでのスクリーニングではちょっと驚かれたが(特に足下)、まあ問題ない程度でホッとしたのはいうまでもない。混んでたから自衛隊もめんどくさそうだったし(笑)。でも圏内でマスクなしで思い切り空気吸ったことは何度もある。被曝したって構わん覚悟もあった。まだ一時帰宅なんてなかったから行く度にこれが最後になるかもしれないと、当時は今よりずっと悲観的だったから(当然か)。それでも、今を生きる為には必要な行為だったと。背負うものがあると人間無謀にもなれる。たとえ内部被曝していたとしたって後悔はしない。

今では避難準備区域が解除になるとか、楢葉まではとか、第二原発があるから富岡川まではとか色んな話が出てて、全く見通しがないわけではなくなった。富岡に入るのも全然恐くなくなったし。ただ、除染とか考えたら相当時間はかかるだろうけど。そんなもん本当にできんのかな?

新潟県中越地震のあと山古志村は人口が半分になったという。富岡は、双葉郡は、それどころでは収まらないだろう。

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2011年09月29日

山田町支援

津波で甚大な被害を受けた岩手県山田町への支援物資を募集します。今回は東京発の車一台ということもあり、現地の声から「毛布」に限定します。期限は10/8必着で。手配出来る方、宜しくお願いします!

集荷が個人宅なので、ご協力頂ける方、メールにて住所をお知らせします。info@nomadic.to までご一報下さい。 

山田町  asdkkejei  さんの動画より
http://www.youtube.com/user/asdkkejei#p/a/u/0/whklNzk9Owc

山田町へボランティア検討して頂ける方。山田町災害ボランティアセンター
http://p.tl/fcKt

10/2現在、予定枚数に達したので、今回の募集は締め切らせて頂きます。皆様のご協力ありがとうございました!感謝!
 

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2011年09月20日

波こそ我が墓標

波間に浮かぶ去りし日々
汚れをまとい しかし想うよ
清まぬのなら 共に汚れん 

注釈)子供の頃よく遊んだ富岡の海(町)は原発にに汚されてしまったけど、いつか帰る事を忘れない。たとえもし街がキレイにならなくても、それでも帰る覚悟がある (タイトルはパクり)



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2011年09月06日

続・富岡町サポートステッカー

配布場所の追加があるので製作者の関根茂樹君がまとめてくれました。
貼りまくって下さい!

オモイオモイの募金缶は、
・三軒茶屋エコー仲見世大野かばん店 
・浅草橋Kbar 
・新宿歌舞伎町カフェBE WAVE 
・笹塚ボウル(ボーリング場) 
・谷中ジュエリーショップ JAY TSUJIMURA
・大森サロンドカフェSAMASAMA 
・新宿御苑前ファス美容室

サポートステッカーは、
・いわき市club SONIC 
・新宿LOFT 
・代々木Zher the zoo 
・下北沢club QUE 
・渋谷宮益坂HOME
・大阪市福島LIVE SQUARE 2nd LINE  
・新宿御苑前ファス美容室 
・三軒茶屋エコー仲見世アース(自然食品のお店)

と、現在上記の通りです。よろしくお願いします。 関根      

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2011年09月03日

郡山仙台石巻東松島七ヶ浜


本来9/1は仕事でふくしまFM、FM仙台とタワー仙台。9/2はボラで七ヶ浜、9/3七ヶ浜国際村でライブイベントの予定だったが、台風で9/2ボラ中止のために中日がポッカリ空いてしまった。ので、どうせここまできたなら、と一日だけ陸前高田行きを計ったものの、バスの本数の少なさと時間が合わなかった事、片道三時間半かかるというので断念!近場で知り合いがいる石巻を視察しました。結局彼には会えなかったが(こちらもボラは中止)ほぼ市内を徒歩で1周。ガレキ撤去はかなり進んでてホッとしながら(そんでもその被害規模は十分凄いのだが)。門脇小学校の惨状を目にすると、一気に気持ちが壊れかけました。津波にぶち抜かれた上、当時火事もあったという廃墟で、入口に手向けられた花束をみて、ただ涙するのみ。なんかそれが自分をつき動かし、こちらも深い震災の傷跡をのこす隣の東松島まで見て歩く決意を!(無駄と言わないで)約半日かけて海沿いを歩き、通行止めに思わぬ遠回りを強いられ、途中草むしりを手伝いながらも、惨状を目に焼き付けてきました。これでも立ち上がろうとする人々の強さよ。その行く先に幸あれ。翌9/3仙石線が途中不通の為、矢本から振替バスで松島海岸駅まで、美しい松島の景色と被災地の対比を胸に刻み、多賀城までは電車。多賀城から目的地の七ヶ浜国際村まではあえて徒歩で約二時間半。こちらも海岸線を移動したのでかなり遠回りすると、この地の復興のスピードにちょっとした驚きがあった。仙台から近いので人手には事欠かないか。港も砂浜もすごくいい雰囲気で、次はのんびり周りたいな。小学校の修学旅行以来だった松島も。国際村では小じんまりした野外ステージに、11月アルバムをリリースする仙台のバンド雨ニモ負ケズが出演。野外で文字通り時々雨にも負けず、暖かいムードでイベントは進行しました。台風のおかげで予定がかわり、無謀にねじ込んだ徒歩の旅。実に有意義なものとなりました。どんなに勉強したって読んだって聞いたって、真実を一目でも見る事には勝らないのだ! そして命の存在を思い知り、生きる感覚を研ぎ澄ますのです。ただ生きるだけ、以上のステージへ。

東日本大震災 宮城県石巻市 門脇小学校付近の360° 2011年3月31日撮影。
013 石巻市立門脇小学校 撮影2011/04/12午後
satoutosihiro さんが 2011/04/15 にアップロード
門脇小学校の被災は東北関東大震災の被災の特徴的断面を持っている。津波によて押し流された自家用車などのガソリンを備え持つ車両が南側校庭に押し流されれ集積した。その­後ガソリンが漏れだし引火。3日間燃え続けた。校庭の車の火事からのもらい火による被災である。焼けただれた教室の風景から私達は何を学ぶ必要があるのでしょうか?(4月­4日に写真公開したものを動画にもしてみました.)


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2011年08月18日

富岡町小中学校への支援 #tomioka

警戒区域となっている富岡町の小中学校が 転校やサテライトではなく2学期より学校を再開します。すでに文科省の支援サイトにより、下足箱やロッカー、黒板、机椅子など、学校再開のために必要なある程度の備品は揃えられたとの事ですが、現在下記の支援協力を要請しています。子供達の為に、皆様のご協力を得られれば幸いです。

文科省 東日本大震災子供の学び支援ポータルサイト
http://p.tl/oHZt より
◯受付ID1640
小学校低学年用、跳び箱3台、マット6枚、踏み切り板3枚、移動式鉄棒1
◯受付ID1575
書庫9台、ホワイトボード18台、大型テレビ40〜50型(キャスター付き)2台、清掃用具(モップ、箒等)15セット
 

自分がやらなくても誰かがではなく、知ってもらい、伝え繋げていく事で思いが実現する事も多々あります。 事務局ではポータルサイト以上の要請はしてないというので、皆様のご協力宜しくお願いします。



〇その後学校運営局より連絡があり、必要なものは揃ったそうです。皆様のご協力ありがとうございました。



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