地震

2011年07月09日

詠二朗

eijiro
甥です。震災で一時親戚宅に合流後、母方の奈良に避難、転校しました。それ以来会ってません。「私はここで頑張っているから大丈夫」これが東北人の心意気です!おじさんは誇りに思うぞ!ん?おじさんて響きはいやだな。お兄さん、じゃないし.....。んー家族! http://p.tl/LoxM 

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2011年06月22日

ローソク岩

富岡ウチワネタですいません。以前ツイッター、mixiで公開しましたが、改めて歴史が変わった画像を。これが今のローソク岩です!ここにも震災の影響が!
知らない人の為に、自分が子供の頃は上の緑地が繋がってって中抜けのドーナツのような感じでした。がいつの間にか繋がってる部分が崩れ落ち、左のような姿に(ローソク岩とは正式ではなく通称)。
そして地震か、津波でか見るも無惨な右側のような姿に!富岡のシンボルが一つ消えた!
(撮影/左:オレ 右:猪狩武雄) rosoku2

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2011年05月02日

安否確認について

以前、このブログでも捜索を出していた富岡町の平山源造さん敬子さん夫妻ですが、残念な形で発見されました。お二人のご冥福を祈ります。
また、自分の方で捜索していた人達も一部を除き、ほぼ安否(どちらの場合も)は確認でき、富岡の海沿いにも大規模捜索が入ったので、ここで一旦、安否確認/捜索は打ち切りたいと思います。 皆様の多大なるご協力、誠に有り難うございました。
まだまだやらなければいけない事、自分にできる事は勿論、継続するつもりですが、自分の中では、震災後の一区切りがついたような気がします。そして自分たちの世代が、必ず富岡を復興させなければならないという思いが、今までの何百倍にもふくれあがりました。遅ればせながら、これからまた一歩踏み出さなければ。 途方も無く先の見えない道でも。


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2011年04月23日

東電

こんな事いったら自分がバッシングされるかな?でも誰かが声を上げなければ...。それは心ない人によるネット上や各メディアでの東電バッシングにすごく違和感を感じるという事。古い体質だの、お上商売だの、上から目線だの、隠蔽だの、よくわからんがそうなのかもかもしれんけど、今一番頑張ってるのも東電(及び下請け会社)なわけで、ある意味東電に日本の未来がかかってるのも事実ではないかな。社員の中には勘違いしてるやつもいるだろう。上層部にも責任感じてないようなのもいるだろう。でもそれらを批判するくらいなら、まじめに頑張ってる現場の社員達を後押しするほうが余程世のため人の為だ。これは自分が双葉郡の住民だからいってるのではないよ。そんな小さい事ではなくて、この事態を収集する為に色んな現場で必死に頑張ってる社員までひっくるめて批判の対象にするのは、単なる時流に踊らされた愚かな行為だ。震災や原発事故による集団パニックのはけ口でしかない。アラをほじっては傷口に塩をぬる、そんな報道や発言には不快感すら感じる。自分は当面帰れなくなったけど、それでも東電を応援したい。いや応援しなければならない。今、この時、1分1秒もムダにする事無く、やってもらわなければ明日は無いのだ。誹謗中傷合戦、そこから何が生まれるというのだ?会社だって誰に言われるでもなく、当然変わらざるをえないだろう。
ビッグパレットで東電の仮払保証請求書をもらいにいった時、怒鳴られまくり、謝りまくってる担当の社員達。彼らも自分の置かれた立場で避難者達の為に頑張ってる。ここで自業自得とかいうのではなく、「ありがとう、頑張って下さい」と言った自分は間違ってますか?
日本政府に対しても似たような事ばかりだが、今必要なのは批判ではなく、提案であるべきだ。孫さんのように提案あっての批判なら説得力があるが、批判の為の批判からは何も生まれない。 


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2011年04月22日

警戒区域

2011.4.22より福島第一原発から20km圏内が警戒区域に。3.11から自由に行き来できるというわけではなく、徐々に厳しくなってきた感はあるが、最近は落ち着いてきたところなだけに、改めて通告されるとやはりショックはでかい。帰れないというのと、世間から封鎖されるという事。すでにネット上でいくつかの動画/画像がアップされてる通り、荒廃していく町、救えなかった動物達、これからロックアウト状態がどれだけ続くのか。まだ誰にも明確な答えはだせない。
加えて、先週あたりから始まった10km圏内の行方不明者捜索は4/20から遂に富岡、楢葉にも及び、自分が3.11以降ずっと探してた友人の肉親がやっと発見されたとの報告あり。勿論遺体で。その間約40日。何度も繰り返すが、双葉郡の各町と県の対応の遅れ、まずさは本体なら糾弾されるべきものだ。もっと早くやり方は幾つかあった筈だが、検討は遅れ、住民の声は届かず、国や東電への批判よりも先にやるべき事があっただろうと。双葉郡と南相馬市での行方不明者、4/20の時点で約1000人あまり。数の多少を言っているのではない。かれらはいまだ原発の足下で、あるいは海の中で発見されるのを待っている。

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2011年04月11日

海岸沿い

eb0aca5d.jpg遅ればせながら、海沿いの道が通ってると聞いていたので、本日行ってきました。新舞子の海沿いは四倉方面に向かうと途中で完全に寸断してたので、舞子浜病院あたりから薄磯、豊間、江名、中之作、永崎、小名浜というコース。さすがに宮城、岩手ほど内陸の方までは行ってないまでも、部分的にみればテレビや動画サイトで見慣れた津波の爪痕がこんな身近にある事にショックを覚える。といっても富岡もそうだけど。知り合いの親族が亡くなった話、会社ごと流された話などを聞く事はまれにではない。着々と復興するいわき市内に比べると、やはり復興にかかる時間は長そうだ。見た感じ小名浜港が以外と早く復旧しそうだが、放射能の問題がな...。津波後のガレキの山の写真は、富岡と同様悲惨すぎてどうしても公開する気になれないので、小名浜港の一部を。
 

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2011年04月05日

4.3富岡にて

去る4.3。夕方出発し、ある意味ゴーストタウン/廃墟と化した富岡町に行ってきました。今回は緊急車両で行ったので良い子の皆さんは決してマネしないで下さい。専門家にいわせればとんでもないという話しだろうが。今では原子力安全保安法?とかなんとかいう法律で、許可なしで圏内に入るのは憲法上違反ということになる。自衛隊による検問もだんだん厳しくなってきたようだ。しかし、置き去りにした大事なモノやペットや生活上必要なものなんかを取りに行ってる人は実際はいる。ある程度の危険を覚悟で行ってる以上、それを誰も責められないだろう。極端にいえば、放射能で死ぬか、生活できなくて(ものより精神的な部分も含め)死ぬか、究極の二者選択といえなくもないのだから。今回は前より時間も経って危険度も上げっているので、カッパにマスク、帽子を着用(帰りに脱ぎ捨て)。
薄暗くなった道中は数カ所で地割れ、陥没がやばくて、動けなくなって乗り捨てられた車がちらほら。余震のせいか以前よりもひどくなってる。物理的には放射能よりこっちの方が恐かったかも。富岡に着いたころはほとんど暗くて、停電だから当然町中真っ暗。ひっそりと物音もしない。たまに猫や犬が歩いてて心が痛い。目的は書類やPC他、いまこれが無いと動けないというモノのピックアップ。命懸けでいくほどのもの?と言わないで下さい。心血注いだものがどれだけのものか....。家の中は地震の後片付けも中途半端で、リビングに散らばったガラスや瀬戸物なんかの割れた破片、ひび割れた壁、天井なんかが痛々しい。ほんの数週間前にはここで平和な生活をしていた。普通に泣いたり笑ったり....。今更あの日に帰りたいという感情はだんだん麻痺してきたが、それでも心の奥底から何かに対して絶叫したい衝動にかられる。それは地震とか原発とか政府とかに対してじゃなくて、取り戻せない時間や私財/社財や人間関係やささやかな将来のビジョンや日々のルーティンやそこにあった全てに対して、これがレクイエムなのか?決別の時なのか?いや、絶対にそうじゃない!冗談じゃないぜ!という心の葛藤から沸き上がってきた。そんな気持ちのまま、懐中電灯を忘れるという自分らしいミスもあり、携帯の明かりを頼りに散らばり放題の我が家と事務所で、一人持ってくものをピックアップ。何故か「襟裳岬」が頭に浮かぶ。「黙り通した年月を、拾い集めて暖めあおう〜」ってとこ。吉田拓郎は偉大です(余談)。何度もこみ上げてくるものを奥歯を食いしばって押さえ込みながら、あれもこれも、という切りがない欲望に歯止めをかけて作業は終わる。たまに原発関係か自衛隊の車の音がしたが、本当に静かだった。そこに時間も物質も何も存在しないかのように。これは悪い夢か?今でもそう思わずにはいられない。

帰りは少し遠回りしてやや安全なコースを選び、廃れいく故郷に後ろ髪を引かれながら、無事に帰還しました。

原発以外でも最近までほんの一部残ってる人がいたとはいえ、世界中でこの地域だけがあの3.11以来、時間が止まっている。当地の人以外はそんなことさえ昔の話か、忘れかけてるかもしれないが....。誰も手をつけられないので、時間が経つほど荒廃は進んでくだろう。明日は?1週間後は?1ヶ月後は?1年以上経ったら?
果たして時計の針が再び刻み始めるのはいつの事だろうか.........

PS いわきに仮事務所を設置しました。やる気です。



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2011年04月02日

郡山(正式には福島)ビッグパレットにて

郡山ビッグパレット。おかげさまで下着は役にたったようです!しかし、館内の実情は、もう少しましかと思ったが、あまりにも悲しい現実を前にして、写真を撮ることができなかった。予想通り、通路や会議室などに、ぎっしり集団浮浪者状態。老若男女2500人プライベートまったくなし。
最近になってようやく、徐々にここから出てホテルやアパートに行く人、他の避難所から集約されて入ってくる人で日に数百人の出入りがあるという。
救援物資は行き渡っている、といいながら、この日は契約してた弁当業者との契約がなくなり、3食菓子パン+何かだったという。今後は?
更に、一人で余分に食料をかっさらって、食いきれなくて捨ててる輩もいるという。
我先に、という行動をするのは高齢者に多いという。
高齢の男性がなんでもかんでも持っていって、生理用品までふんだくっていったという。
逆に若者はだいたい礼儀正しくしっかりしてるという。 
長い避難所生活での疲れとストレスから、いがみ合い、ケンカもあり、警察がきた事もあるという。
ペットは車の中で飼われているという。
館内は禁酒で、人によっては外で飲んで帰ってくるという。
3食付きの旅館/ホテル住まい(3ヶ月限定、それ以降はどうすんの?)か、必要経費は自費、家賃のみ無料(1or2年間、これもそれ以降は?)の借り上げアパートに徐々に移動させるという。借り上げアパートの中に、何故か近場で空いているレオパレスは入ってないという。
空調のあるところと無いところがあり、一度寝る場所が決まると、病気の方や高齢者に環境の良い場所を回すという発想がないという。トイレ前の廊下で寝たきりの高齢者が看護されてるという。
建物に近い所に車を置く為に、外出するときは駐車スペースにものを置いて場所をキープしているという。
だまってても食事ができ、風呂にも入れるので、本物の浮浪者も紛れ込んでいるという。それはそれで救済といえるが。
自分の場合、避難している場所が変わったので、報告に行くと、細かい住所は聞かれず、〜町までしか必要ないという。
今現在は耐えられても、今後にはまったく希望がもてないという。 
それなりの有名人が、連日入れ代わり訪問し、励ましていくという。
それでも前向きに、富岡町の復興を願う人も多いという。
富岡町が国に買い上げられるのでは?という。

そして、今、ここにあるこの状況よりも、人々の心が荒んでいくことが何よりも悲しいと、自分は思う。自分に何ができる?



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2011年04月01日

救援物資締切について

先週から募集してました、郡山のビッグパレット及び、いわき市あての救援物資について、皆様の多大なるご協力のおかげで、予想をはるかに上回る沢山の物資を送る事ができました。この場を借りて、物資を提供して頂いた皆様、下北沢ガレージのスタッフ、また集荷、発送からアイディアまで、自分を支えてくれた人達に、心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。一人一人ができる小さな事でも、皆の力を合わせれば、これだけの事ができたという喜びと感謝は一生忘れません。その物資募集につきましては、現地の様子を考慮し、本日を持ちまして、一旦締め切らせて頂きます。発送作業は下北沢ガレージのご好意にて行って参りましたので、4/3を目処に終了します。尚、本件に関してガレージへのお問い合わせはご遠慮ください。
また、事態は長期戦の様相を呈して参りました。その時々によって、常に自分に何ができるのか、何が被災者の為になるのかを考え、然るべきときには再度、皆様にご協力を呼び掛けるかもしれません。その時にはまた、少しでもご好意やアイディアを頂ければ幸いです。自分自身も被災者ではありますが、皆様と一緒に頑張っていければ、これ以上心強いことはありません。それぞれの立場で、一緒に頑張っていきましょう!そして一緒に立ち上がるのです!!!



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2011年03月31日

炊き出し参加

すでにtwitterやFaceBookで既報のとおり、去る3/29に炊き出し参加&激励ライブを目撃しました。写真家の平間至さんの音頭で、以前紹介したうつみようこさんやATSUSHI君(Dragon Ash)他、10人近い人数で東京から来場。いわき文化センター調理室にて百何十人分の野菜炒め作りに自分も参加しました。調理室ではみんな気さくですぐに溶け込むことができ、アリオスに避難してる方へのささやかな食事のプレゼントを楽しく作る事ができました。食後にはソニックチームも合流し、ようこさんのミニライブを観賞。ギター一本でも相変わらず歌のもつ説得力はすごい。場所がアリオスのロビーなだけにちょっと控えめではあったが。そこに途中からATSUSHI君がダンスで飛び入り参加し、会場の雰囲気はとても暖かく素敵な空気に包まれました。これをみて被災者の方が少しでも元気になってくれたら、いや、きっと勇気をもらった事だろう。それ程いい雰囲気だった。
平間さんチームは宮城、岩手にも炊き出しに訪れたという。その行動力には最大限の敬意を払いたい。


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