February 16, 2010
早起きのヒント
おばんです。
東北地方の言葉で「こんばんは」という意味です。
ところで、あなたは行動力があるタイプですか?
それとも、あまり無いタイプですか?
おそらく、「どちらでもない」または「両方」という人は結構多いのではないでしょうか。
■早起きは三文の徳というけれど
例えば、早起きをするというテーマがあったとします。
ちょうど今の季節は、布団から出る頃の時間はまだ寒く、前の日遅かったり、飲んで帰ってきたりするとなかなか布団から出ることが出来ない人は、私だけではないはず(ですよね!?)。
布団の中の自分は、目覚ましのアラームを聞きながら、頭の中で例えばこんな会話をしています。
「あ゛ーーー、早く起きなきゃーーー。今日は朝から会議だーーー」
「でも起きるの面倒くさいーーー。あと3分だけ寝てたいーーー」
「でも1本早い電車に乗れればそんなに混まないんだよなーーー」
「いや、それより今日1日を充実させるためには少しでも身体休めとくべきでしょ!」
「いや、これ以上寝ていたらマジで間に合わないかもーーー」
「チキショー、もっと早く寝ておけばよかったーーーーーーっ」
と、まあこんな感じでしょうか。。。
実際には、こうした会話の合間にも何度も落ちて(寝て)いるので、布団から出るという行動に至るまでにずいぶんと時間がかかっているわけです。そして、その間には自分自身の中で様々な会話(内的対話といいます)が交わされていて、そしてその会話に影響を受けているのです。
それでは、あなたがすごく行動力を発揮したとき、あるいは当たり前に行動しているときはどうでしょうか。
なかなか行動に移せないときと比べてどんな違いがありますか。
■あなたが自然に出来ていることは何ですか
私の場合、行動できているときというのは、内的対話が非常に少ないです。
頭よりも身体が勝手に動いている感じであり、行動すること自体がとても自然な感じです。
例えば歯を磨いたり顔を洗ったりするのにあまり色々考えることはないですよね。
この状態を、小鳥ピヨピヨのいちるさんがケツダンポトフのインタビューの中で「本当に行動したくなったら、脳ミソを経由しないで直接行動につながる」
と語っていました。
脳ミソ(思考)を経由しないで、気づいたら動いている感覚ですね。
頭であれこれ考えていない状態です。あれこれ考えているときは、内的対話が、特にネガティブな声がどんどん出てきます。そして自信を失ったり、行動しない自分を正当化したりします。
で、先ほどの早起きの話に戻りますが、早起きするためのポイントは、内的対話を意識的に一時的にシャットアウトすることです。
そんなの無理!と思われるかもしれませんが、個人的な感覚では3回に1回は成功します。
実際に試された方の感想が聞いてみたいですね。
ちなみに、先ほどのいちるさんは、昔勤めていた会社の社員さんでした。
当時から面白いヒトでしたが、今のご活躍は、、、スゴイの一言に尽きますね!
またいつかお会いしたいです!
February 15, 2010
お疲れ様でした
上村愛子にメダルを取らせてあげたっかった…。
女子モーグル決勝のレース直前、スタート位置に立つ彼女の表情を観ていたら、それだけで涙が出てしまった。
彼女の表情には、決意の中にある不安のようなものを感じた。
あの場で彼女はどんな気持ちだったのだろうか。何を思っていたのだろうか。
自分だったらもう逃げ出しているかもしれない。泣いてゴメンなさいをしているかもしれない。そんな下らない想像すら絶した世界。
結果は、4位。
ジャッジのミスなどではなく、誰が観ても受け止めざろうえない結果だと思う。残酷だけれど、正当な結果。
それは上村愛子自身が一番感じているのではないだろうか。
どれだけ努力を積み重ねても、ここまでリアルに結果が出てしまう世界に身を置いている人達がいる事実に改めて気づく。
翻って、自分はどうなんだ???
![]() | だから、いつも笑顔で 実業之日本社 2001-11 売り上げランキング : 563 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
とにかく、今は彼女に「お疲れ様でした」という言葉しかありません。
February 11, 2010
とあるラーメン屋にて(2)
こんにちは。
最近は寒暖の差が激しいですね。
インフルエンザは一段落した感がありますが(そういえば予防接種受けてないな)、それでも日々の体調管理は気をつけたいですね。
私の場合は、うがいと手洗い、そして運動。
ここ2、3年は風邪知らずです^^
さてさて。
前回のエントリーでは、とあるラーメン屋に立ち寄った際に感じた、「自分らしさ」というものとその表現について書きました。
今回は、その続きです。
■何が止めているのか?
私は、自分らしさを表現すること、言い換えれば自己表現や自己主張をすることが苦手でした。
「でした」と、過去形で書いていますが、克服したわけではありません。今でもやっぱり苦手だと思います*_*
では、何が止めているのか?
一言で言うと、「怖れ」です。
・こんなことを言ったら(したら)嫌われてしまう
・こんなことを言ったら(したら)馬鹿にされてしまう
・こんなことを言ったら(したら)自分の弱さや無能さがバレてしまう
こうした怖れが自分の中にあり、それがムクムクと頭をもたげてくるんですね。
そして、その怖れに飲み込まれてしまう。
それだけならまだしも、今度は言えなかった(出来なかった)自分を責め始めるんです。
・なんて俺はダメなんだ
・何度同じことを繰り返しているんだ
・全く成長していないよ
・口だけの人間か
・情けない
あるいは、自分を正当化します。
・今回はタイミングが悪かっただけ
・あの場では何もしない方が正解だった
・必要以上に波風が立たなくて済んだ
・誰も傷つかなくてよかった
・自分の言動が与える影響をもっとよく考えてからの方が良いよ
でも。
■でも…
そんな自分でいいのか?と、ストレートに問われると、キッパリ「いいんです」とは言えない。
でも、一概に「ダメです」とも言い切れない。
でも、これまでと同じではいけないし、いたくない。
少しずつでもいいから前に踏み出したい。
これ以上自分を偽りたくない。
そんな人を私は応援したいです。
わずかな勇気は必要かもしれませんが、自信は必要ありません。
一緒にがんばりましょう^^
無料の体験セッションへのお問い合わせ、お申込はコチラまでメールをお願いします。
■サヨナラCOLOR
最後に、こちらの曲でお別れです。
February 07, 2010
とあるラーメン屋にて(1)
先日、といっても約1ヶ月程前のことなのですが、たまたま立ち寄ったラーメン屋で感じたことが改めて頭をよぎったので、今日はそのことを書いてみようかと。
■それはあなたの味か?
そのラーメン屋は、都内の有名なラーメン屋で修行した(と思われる)方が開いたお店のようで、最近よく目にする感じのラーメン屋でした。
味は、鰹ベースの出汁(たぶん)の旨みとコクが効いており、チャーシューも柔らかくて油ものっていて、素直に美味しいといえるものでした。
ただ、お店を出てから感じたのは、「確かに美味しいけど、想定内の味」ということでした。
なんというか、トータルとしては美味しいんだけれど、個性が見えづらいというか、他でも食べたことがある味というか。
で、そこからさらに感じたのは、自分の仕事や手がけることも全く同じだと。
■問題はないけれど…
私は、昔から物事をきれいにまとめようとする傾向が強く、いわゆる「無難」を意識的無意識的に選択していたように思います。
平均点は高いけれど、突出したものがない。
全体としてはまとまっているけれど、面白みがない。
ソツなくこなすけれど、何か物足りない。
問題はないけれど、特筆するものもない。
特にそうした指摘を受けたことはあまりないのですが、もう一人の自分がそう囁いているように心のどこかでは感じていました。
いわば、個性であり、独自性であり、そうした自分らしさのようなものが欠けていたと自分自身も感じていました。
もっと正確にいえば、欠けていたというよりは、それらを表現することを恐れていた、あるいは怠けていたのかもしれません。
この続きは、また次回に。
ちなみに、そのラーメン屋の名誉のために書いておきますが、個人的には好きな味でした。
もし家の近くにあれば、また足を運びたいお店でしたよ。念のため;-)
February 06, 2010
福は外?
一昨日は東京でも雪が降りました。
これで2月にはいってから既に2度目です。
普段はコートを着ない身なので、突然の雪にはちょっと困ってしまうのですが、街灯に照らされる雪はまたちょっと綺麗なのでした。
さて、前回の記事の続きです。
前回の記事では、節分の「鬼は外、福は内」という掛け声から観えてくる無意識への働きかけについて書きました。
今回は、その続きです。
「鬼は外、福は内」という掛け声は、無意識に対して今あるのは「鬼」であり「福」ではないことを伝えています。
なぜなら、無意識は”ない”ものを認識できないという性質を持っており、この掛け声では本来求めているはずの「福」ではなく、「鬼」の方が無意識に対してインプットされるのです。
では、いつもの掛け声を「鬼は内、福は外」と言い換えれば良いのかというと、必ずしもそうではありません。
なぜなら、無意識は強い感情を伴ったものに強い影響を受けるからです。
ただ文章を棒読みするが如く掛け声を言い換えたとしても、それは無意識に対する働きかけとしては弱いものになります。
ですので、この掛け声が正しいかどうかは別として、無意識へメッセージを送る場合は、ありありと生体反応(汗、涙、熱など)が出るくらいリアルに感情を込めることが必要です。
ちなみに、個人的には「鬼は福、福は鬼」という掛け声が良いかと(実際にあるのだろうか?)。
仮に鬼をネガティブ、福をポジティブと捉えたとして、ネガとポジは表裏一体で、コインの表裏のようにそれぞれは1つの部分であると考えているからです。
故事成語の「塞翁が馬」とはまた少し異なる考え方です。
節分の日に鬼の役目を果たされたお父様、お母様、お疲れ様でした。