働いているところは、いわゆる僻地。
当地すべての病院を集めてみても、いくつかの科は存在すらしない。
そもそも専門医と呼ばれる医師が圧倒的に少ない。
それでもこの地の人たちは、この地に満足しているだろうし、
いざ我が身に押し寄せれば別だが、存在しない科があったとしても、
特に文句は言わない。
必要なら、都会へ出ればいいと思っているから。
延命治療が、いつからむしろ批判の対象となったのかは覚えていないが、
ここに赴任していきなり診た重症患者の家族は、「延命を希望せず」だった。
土地柄として在宅でみとることをよしとせず、
ぎりぎりまで粘って病院へ救急搬送されてくることが多い。
それでもその後も、いわゆる延命治療をした人は、10人いなかったと思う。
これでいいと思っている。
経済基盤が不安定ななか、医療だけが聖域だとは思わないし、
そろそろ「死」を免罪符とすることは難しいのではないか。
この地の人たちは、医療をあまり追求しない。
ほどほどで諦める。
医師としてそのことに甘えていてはいけないんだろうけど、
満場一致でゴールを設定できることは、やはり非常にありがたい。
平等な医療を目指して、多くの人が苦労しているけれど、
現時点で地方と都会の専門医療に対する考え方は大きく乖離していて、
この地の人たちに限って言えば、
「あればいいけど、なくても別にね。仕方ないし」
むしろ、専門医療が入り込めば入り込むほど、
この地の人たちは、病を抱えた自分たちの存在に悩むことになるんだと思う。
学問に停滞は許されないんだろうし、
患者の期待に応えてこその医療だから、
これからも専門医療は突き進んでいくんだろうけど、
本当にそれでいいんだろうか、とこの地に来て思った。
地理的条件という絶対的な障害を有するこの地の人たちは、
誰が見ても現代医療の恩恵を授かりきれていない。
それでも願わくば、医療とはかくあるべし、という都会都会した考え方が、
この地にやってこないことを願う。
人でもなく、物でもなく、
受け入れがたい「死」の理由をこの地に求めることができる。
少なくとも僕は、この地の人たちは幸せだと思う。
当地すべての病院を集めてみても、いくつかの科は存在すらしない。
そもそも専門医と呼ばれる医師が圧倒的に少ない。
それでもこの地の人たちは、この地に満足しているだろうし、
いざ我が身に押し寄せれば別だが、存在しない科があったとしても、
特に文句は言わない。
必要なら、都会へ出ればいいと思っているから。
延命治療が、いつからむしろ批判の対象となったのかは覚えていないが、
ここに赴任していきなり診た重症患者の家族は、「延命を希望せず」だった。
土地柄として在宅でみとることをよしとせず、
ぎりぎりまで粘って病院へ救急搬送されてくることが多い。
それでもその後も、いわゆる延命治療をした人は、10人いなかったと思う。
これでいいと思っている。
経済基盤が不安定ななか、医療だけが聖域だとは思わないし、
そろそろ「死」を免罪符とすることは難しいのではないか。
この地の人たちは、医療をあまり追求しない。
ほどほどで諦める。
医師としてそのことに甘えていてはいけないんだろうけど、
満場一致でゴールを設定できることは、やはり非常にありがたい。
平等な医療を目指して、多くの人が苦労しているけれど、
現時点で地方と都会の専門医療に対する考え方は大きく乖離していて、
この地の人たちに限って言えば、
「あればいいけど、なくても別にね。仕方ないし」
むしろ、専門医療が入り込めば入り込むほど、
この地の人たちは、病を抱えた自分たちの存在に悩むことになるんだと思う。
学問に停滞は許されないんだろうし、
患者の期待に応えてこその医療だから、
これからも専門医療は突き進んでいくんだろうけど、
本当にそれでいいんだろうか、とこの地に来て思った。
地理的条件という絶対的な障害を有するこの地の人たちは、
誰が見ても現代医療の恩恵を授かりきれていない。
それでも願わくば、医療とはかくあるべし、という都会都会した考え方が、
この地にやってこないことを願う。
人でもなく、物でもなく、
受け入れがたい「死」の理由をこの地に求めることができる。
少なくとも僕は、この地の人たちは幸せだと思う。