2014年09月30日

一か月ぶりに

すいません、ブログ放置しておりました。
一応2005年秋頃から続けておりましたが
3日空けると、そのままズルズル。。

代わりと言ってはなんですが
TwitterとFacebookをやり始めましたんでそちらを覗いてみてください!

Twitterはヤマザキモータース
Facebookは山崎晋
でやっておりますので、是非に!

こちらもまた何かを書き始めるかもしれないんで
そのままにしておこうと思います。



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2014年08月30日

入院日記その125

2006年2月25日土曜日

朝食後、荷物の整理をして、入院費の精算を済ませて
彼女が迎えに来てくれるのを病棟内を歩きながら待つ。
12時、あいさつをして病院を出る。
さあ、これからが大変だ。
今日のリハビリは、とりあえず『酒を飲む』かな。
天気は快晴である。


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2014年08月29日

入院日記その124

2006年2月24日金曜日

いよいよ明日退院である。
オリンピックの女子フィギュアを見るために早起きする。
荒川静香が見事に金メダルをとった。
『イナバウアー』、流行りそうである。
それにしても、僕はスタンディングオベーションに弱い。
それを見るだけでジーンときてしまう。
午前、午後のリハビリともに黙々と集中して行う。
午後、1.5kmウォーキングマシンで歩き、スロープの上り下りしている時にダチョウ倶楽部のリーダーこと肥後さんから珍しく留守電が入っていることに気付いた。
2件入っていた。
1件目。
「えー、リーダーです。入院しているので知らないと思い、電話しました。日本のなんとかって奴が金を取りましたよ。プープープー…」
2件目。
「思い出した、荒川だ、荒川なんとかです。山崎君も今夜あたりイナバウアーですか?プープープー…」
思わず声を出して笑ってしまった。
さすが
「朝青龍って何ゴル人だっけ?」
と聞いた男だけのことはある留守電だ。
そしてそこには優しさを感じた。
消灯後、この長かった入院生活をひとり振り返ってみた。
ちょうど120日の入院生活。
4ヶ月である。
僕はこの冬をまるまる体験しなかったことになる。
ネットで調べてみると、
産まれた赤ちゃんが寝返りを打つのが平均4ヶ月らしい。
僕の場合、動けなかったのがなんとか歩くことができるようになったのだから成長ははやいな。
比較の対象が間違っているか。
お見舞いにはのべ401人もの人が来てくれた。
本当に、素直に感謝している。
どれだけ助けてもらったことか。
僕は入院保険には入っていなかったが、
しっかり友達保険には入っていた。
うん、うまい。
そしてずっとつけてきて、これまでで一番続けて書いているこの日記。
読み返してみると心の変化があって我ながらおもしろい。
最初の頃のほうが明るく、どんどん深刻になっている。
とりあえず完治までは書き続けようと思う。
こうやって書いているが不思議と退院の喜びは沸いてこない。
本当のリハビリはこれからの気がしている。


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2014年08月28日

入院日記その123

2006年2月23日木曜日

今日は僕の誕生日。
午前のリハビリの時、エアロバイクで体力測定をしたのだが、年齢を入力するときに
「おー、今日から37か」
と寂しいというかなんとも言えない気持ちになった。
そう、37歳といえば、僕が生まれたときの父の年齢である。
…関係ないか。
でも、なんかその頃の父と今の自分を比較したりして。
しかし誕生日を病院で迎えるなんて、それこそ誕生した時以来である。
以来いろんな誕生日を過ごした。
小学生の頃は友達が誕生日を迎えた子供の家に集まってお祝いをするのがお決まりであった。
そして大体その家のオカンのカレーライスをご馳走になることが定番であった。
カレーが嫌いな子供はほとんどいないし、オカンとしても大勢の子供に食べさせるには一番無難で楽だったのだろう。
ところが、そんな常識を打ち破る誕生会というかオカンが現れた。
転校生のO君のオカンだ。
通常誕生会には10人前後の子供が集まるのだが、その日O君宅に来たのは僕とあと一人。
O君は転校生ということもあって友達が少なかったのだ。
ちなみに僕もそんなに親しくなかった。
ただ、O君の家のキャパ的には妥当な人数であった。
そしてO君宅には誕生会独特の浮ついた空気が一切なかった。
日常なのである。
オカンが横で内職しているのだ。
それに、確かジュースが出た程度でなんか特別なお菓子が出るでもなく、
子供ながらに
「ケーキは後で出るかもしれんけど、もうちょいあるやろ」
と心の中でつぶやいた。
そして飯。
通常の誕生会は土日に行われることが多いのだが、O君の誕生会は平日に行われていた。
なので暗黙の了解で夕食をごちそうになると思っていたのだが、用意をしている感がない。
「これは飯前にお開きかな…」
と思っていると
「ご飯にしようか」
とO君オカン。
なんかホッとする僕。
そして少しして出てきたもの、焼き魚。
1年に1度の誕生会に焼き魚。
O君はそのことには触れずに、魚の骨をとっていた。
テーブルにはあまり会話はなかった。
テレビの音だけが流れていた。
悲しい気持ちになった。
なんでこんなことを思い出したかというと、今日の僕の誕生日の飯のおかずが味の薄いブリ大根だったから。
夕食後彼女が来て、ケーキとプレゼントをくれた。
今年のプレゼントは折りたたみ式の杖。
明後日に迫った退院後の必需品である。
忘れられないプレゼントになりそうだ。


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2014年08月27日

入院日記その122

2006年2月22日水曜日

春が来たかのような暖かい一日。
リハビリ中はかなり汗をかいた。
午後のリハビリの時、ヒザ立ちで何も掴まずに歩くことが出来た。
自分としては何の気なくやっていたのだが、リハビリの先生はとても喜んでくれたのでちょっとビックリした。
体幹がある程度しっかりしないとできない運動らしい。
そういえば以前は出来なかった。
退院の目安にしていたランニングマシンでの歩行も目標の300mはもう余裕で歩けている。
今日は1km歩いた。
後半は足を引き摺り気味だったが。
その後スロープも20分歩き、終わったらヘトヘトであった。
最近は質、量ともに充実したリハビリをしているが、今日は特にがんばれた。
やはり先生に喜んでもらったことがうれしく、よりやる気を起こさせてくれたのだろう。
我ながら単純なおっさんだ。


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2014年08月26日

入院日記その121

2006年2月21日火曜日

このところ午前と午後それぞれ2時間のリハビリにプラスして病棟内もかなり歩いている。
こんなに運動しているのは高校時代の野球部の練習以来だ。
そして、規則正しい生活に三食をバランスよくとり、酒もタバコもやらない。
今の僕の体はすこぶる健康だ、神経を除いて。
逆にいうと神経が正常に働いてくれないと各器官がいくら正常でも全くのムダなのである。
野球でいうと神経は、サインであり、チームワークであり、意志の疎通である。
これらがないと野球という団体競技の目的である勝利にはたどりつけないどころか、試合をすることもできない。
いつになったら脳の命令に下半身の各部分が従って動いてくれることやら。
さて、冬季トリノオリンピックが行われているが、ほとんど見てない。
日本選手の成績がパッとしないのもある(現在までメダル0)が、競技になじみがないのが大きいと思う。
正直
「なんでこれがオリンピックの競技?」
みたいなものもある。
こんなものを見ていると
「なんで野球やソフトボールがオリンピックから外されるねん」
と憤慨してしまう。
ここまでの文章を読み返すと…俺、野球好きやなぁ。


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2014年08月25日

入院日記その120

2006年2月20日月曜日

いよいよあと5日で退院だ。
うれしいのはうれしいが、退院後の厳しくなるだろう生活を考えると手放しでは喜べない。
むしろ身が引き締まるような感じになる。
とにかく今は充実したリハビリをする。
そう思ってリハビリ終了後、病棟を何周も歩いた。
それにしても、テレビをつけると保険のCMばかりが目に付く。
「入院保険に入っておけばよかった」
という思いがあるだけに、正直うんざりする。
退院してもすぐに保険に入ることは出来ないんやろな。
ケガと病気に注意しないと。


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2014年08月24日

入院日記その119

2006年2月19日日曜日

午後から港区スポーツセンターに彼女と行く。
受付で登録カードを作ると、港区民は1回400円で利用できる。
ジムやプールがあり、新しくて設備も充実していた。
リハビリの先生と相談してメニューを作り、退院後はリハビリに利用したい。
週3回くらいは通いたい。
今日も街を歩いていて感じたのだが、病院の中などを歩くのに比べて外は倍以上の体力がいる。
精神的にも疲れる。
今の状態だと杖は必要だ。
夕方両国駅まで彼女に送ってもらい、バスで病院まで戻る。
さあ退院予定まであと一週間。
ただ、そんなに心は晴れてはいない。
完治にはほど遠いし退院後のことを考えると…。


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2014年08月23日

入院日記その118

2006年2月18日土曜日
午前中、自主トレ中心のリハビリをしてから週末恒例の外泊のために家に帰る。
途中で彼女と待ち合わせをしてお茶をする。
店を出て歩いていると尿意をもよおしたために区民センターのトイレに導尿をしにはいる。
区の施設だけあって車椅子用のトイレがあるが、石鹸がない。
導尿のときは手を洗ってから消毒液に浸したカット綿できれいにするために石鹸は必需品だ。
やはり自分で石鹸は持ち歩かないといけないだろう。
夕方、ネプチューン堀内健から電話があり
「すーさん(彼はだけは僕のことをこう呼ぶ)、今から病院に行きたいんだけ
ど」
「今家に帰ってきてるんや」
「え?もう退院しちゃったの?」
と退院していたらがっかりだよ的な口ぶり。
一時的に帰っていることを説明すると家まで来てくれた。
そして近所でお茶を飲みながらうだうだ話す。
彼とも10年以上のつきあいになるが、いろんなことがあった。
同じ女の子を好きになったこともあった。
そしていつも彼の天才っぷりには驚かされている。
一度だけ『堀内メモ』というものをを見せてもらったことがある。
芸人はおもしろいことがあったりすると忘れないようにメモ用紙などに書き留めたりする人は多いのだが、彼の場合はすべて何の脈略もないフレーズが書かれてあった。
突然こんな言葉が飛び込んでくる。
『妊娠USA』
笑ってしまった。
そして彼の天真爛漫の人柄は周りの人間を明るくしてくれる。
僕らの世代は所属事務所に関係なくとても仲が良いが、例えライバルであっても裏表なく接する彼の人柄によるところは大きいと思う。
彼は芸人に愛される芸人である。


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2014年08月22日

入院日記その117

2006年2月17日金曜日

この病院ではいつも食堂に入院患者が集まってご飯を食べているのだが、入院患者が増えてスペースが無くなったため、今日から僕は病室で食べることになった。
退院の日にちが決まったからか、このところ充実したリハビリができている。
高校の部活で、きつい練習だが手を抜かずにやれている時のような感じだ。
午後のリハビリ終了後、マシンガンズ滝沢がTBSのディレクターを連れてくる。
今度特番で医療問題を扱うらしいのだが、僕のブログを読んでくれているらしく、詳しく話を聞きたいとのことだった。
いろいろと話したが、最初に病院に救急外来で来たとき、研修医のような医者に打たれた脊髄注射の話が最も興味をひいたようだった。
退院後の仕事のことが心配になっているので、どんな形であれ仕事になってくれれば良いのだが。


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2014年08月21日

入院日記その116

2006年2月16日木曜日

良い姿勢をより意識をさせるために腰にゴムのベルトを巻くことをリハビリの先生に勧められる。
へその下にある丹田に力を入れることを心掛けるようにしたい。
今日のリハビリは午前中のみ。
午後は自主トレでスロープを上り下り、病棟内をぐるぐる歩きまわった。
今日は集中力をもって充実したトレーニングができた気がする。


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2014年08月20日

入院日記その115

2006年2月15日水曜日

歩くフォーム、立つ姿勢に注意してリハビリをする。
足を開いて歩くことも直さないといけないが、背中を反らして腰を前に出すような形で歩いたり立ったりしてしまう姿勢も矯正したい。
これは体幹がしっかりしてないからだそう。
腹筋を鍛えないといけない。
午後3時頃、デンジャラス・ノッチと有吉弘行が来た。
食堂で話していたら盛り上がり、外出許可をもらって3人で夕食を食べに行くことになった。
ノッチ兄さんの運転で何を食べようか店を探していると、『焼肉バイキング』の看板が目に入る。
最近では珍しいので行くことに。
田舎の国道沿いによくあるようなその店はセルフサービスで食べ放題。
40歳を超えたノッチ兄さんは
「やったー、焼肉バイキングだ」
とことのほかはしゃいでいる。
そして最初に取ってきたもの、ラーメン。
肉はそんなに食べたくないんや。
その後も人気が無い為に鮮度の落ちたホルモンなどをつつき、〆にわたがしを召し上がっていた。
その店で1回導尿をしたのだが、まだまだ手間取るが前よりは慣れてきた。
あと、今日の店のトイレはまだ良かったが、和式や狭いトイレの店はきついかも。
しかし食事中もおしっこのことがどうしても気になる。


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2014年08月19日

入院日記その114

2006年2月14日火曜日
午前のリハビリの時に先生に指摘されたのだが、足を開いて歩いているそうだ。
これは内腿の筋肉をしっかり使えてないからだそうだ。
足の指に力を入れることを意識して歩くことで矯正できるらしい。
このリハビリ病院に転院して約1ヶ月、排尿と水分摂取の量と時間の記録をつけているのだが、少しだけパターンがつかめてきた。
・水分を摂った1,5〜2時間後に尿意がある。
・夕方以降に出やすくなる。
・基本的に気温が上がると排尿の量が減る。
など、もっと把握して退院後の生活の役に立てたい。
そうそう、この間嵯峨根さんが言っていたX-GUNの改名だが、今日その番組が放送されていて、『丁半コロコロ』というインパクトはバツグンの名前になっていた。


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2014年08月18日

入院日記その113

2006年2月13日月曜日

看護士さんに
「山崎さん、朝ごはんの時間過ぎてますよ」
と起こされる。
午前7時30分だった。
午前のリハビリ時、主治医の先生が来てリハビリの先生と僕の動きを見た後、退院についての話をする。
「今週末で大丈夫ですかね?」
という僕に
「うーん…どうかなぁ」
という主治医。
結局来週25日(土)まで一週延ばそうということになった。
別段落ち込むこともなかった。
ここまで長い入院生活を続けていると一週間長くなろうが大した違いはない。
月をまたいでいないので高額医療費控除の点でも変わりはないし。
とにかく前にも書いたが、大変なのは退院してからだ。
体が不自由な者にとって病院ほど楽に生活できる所はない。
病院の外での生活は本当にしんどい。
同じ距離を歩くのでも雲泥の差だ。
病院の外は段差、アップダウンがかなりある。
風は吹くし雨も降る。
荷物を持つこともあるだろうしもちろん手すりなんてない。
自分以外の人も歩いているから急な動きや停止もある。
車に自転車、ペットもいる…。
障害物を数え上げたらきりがないのだ。
そしてなによりこの体で仕事をしなければならない。
いや僕の職業の場合、仕事を見つけていくことから始めないとならない。
とにかく退院までの時間で病院にいることのメリットを最大限に利用したい。
夕方土田晃之が来た。
忙しい中、何度も顔を出してくれる。
別に励ましの言葉なんかはない。
ま、そんなのをコイツに言われても言われたほうも恥ずかしいのだが。
今日は二人だけで数時間も話した。
二人きりでこんなに話したのは初めてかも。
いや、あった。
二人とも太田プロに入りたての10年以上前、四谷三丁目から新宿までしゃべりながら帰り、しゃべりたらずに
「飲みに行こうや」
と僕が居酒屋に誘った。
それから飲んでしゃべって数時間、そろそろ帰ろうとお会計をしようとしたら金がない。
なので、僕が誘ったのに、僕のが先輩なのに土田に奢ってもらった。
今でも土田は
「あの時山崎さん、金ないのわかってて誘ったでしょ?」
というが断じてそれはない。
断じて。
まぁ
「今度西川口の店奢る」
という約束は果たしてないが。
10年以上たっているのに。
しかも西川口って。
いやいや土田君、あのときはすいません。
そういや昨日もコーヒー奢ってもらった。


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2014年08月17日

入院日記その112

2006年2月12日日曜日

今日もゆっくり起きて駐車場で自主トレをする。
その後はコンビニまで歩いたり、DVDを見たりで夕方まで。
午後5時30分頃家を出て、彼女には浅草まで一緒に来てもらった。
そこからは一人で東武伊勢崎線に揺られる。
日曜日の『サザエさん』のエンディングを見終わると
「あーあ、休みも終わりか」
と憂鬱になる。
只今午後7時、『サザエさん』終了の時間である。
週末を自宅で過ごし、ふと車窓から外を見るとどんどん建物が低くなっていく。
数少ない客は老人ばかり。
鐘ヶ淵という小さな駅に降り、駅前最大の店セブンイレブンを通って寒い暗い夜道を病院に一人向かう。
最高に憂鬱な日曜の午後7時である。


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2014年08月16日

入院日記その111

2006年2月11日土曜日

遅く起きて、家の前の駐車場で先週同様歩行練習などをする。
バットスイング、キャッチボールは先週よりよく動けた。
ちょっと走ってみようとチャレンジしたがダメ。
CMで見たホンダのロボット・アシモのほうがしっかり走れている。
夕食は僕が作ってみた。
クリームシチュー。
退院したら当分、彼女が仕事の平日は特に、僕がご飯を作るようにし


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2014年08月15日

入院日記その110

2006年2月10日金曜日

プロテイン効果か、それともただの錯覚か、この数日で太ももが太くなった気がする。
午後のリハビリで昨日出来なかったウォーキングマシンに再挑戦。
今日は床に傾斜をつけてやってみる。
できた。
先生曰く傾斜があるほうが歩きやすいそうだ。
ふらつくので手摺りを持ちながらではあるがなんとか150mほど歩く。
終わった後はかなり足が疲れていた。
終了後母が来ていたので食堂でお茶をして、一緒に午後4時頃外出する。
明日明後日が連休なので今日から家に帰るためである。
しかも今回は彼女の付き添いなしに一人で帰ろうとしているのだ。
杖をついて駅まで母と歩き、そこで反対方向に進む母と別れる。
浅草で途中下車して銀行などに寄ってから、前々から目をつけていた『健康を科学する』キャッチコピーのファイテンショップに入る。
ここは阪神の金本選手をはじめ多くのプロ野球選手が首につけているチタンネックレスを販売しており、先日お見舞いに来たX−GUNの嵯峨根さんにも勧められた。
なんでも持病の腰痛で月1は病院に行っていたのに、このチタンネックレスをしたら全く行かなくなったというのだ。
値段もそんなに高くはないので早速購入。
おまけに足首に巻くものまで買ってしまった。
ここの店員は商売人で次々新商品を紹介してくる。
しかし水のペットボトルを持ってきて
「なんかわかんないけど、これ飲むと調子いいんすよねぇ」
と非科学的な説明をしたので
「それは入りません」
ときっぱり断った。
とにかくネックレスと足首に巻くものだけは常に使おうと思う。
その後地下鉄に乗って一人で帰宅。
本当、外を歩くのが何よりしんどいリハビリだ。


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2014年08月14日

入院日記その109

2006年2月9日木曜日

この病院では朝・昼・晩とも食事は食堂にみんな集まってたべるのだが、初めて寝坊をして朝食に遅れた。
入院当初では考えられないことだ。
完全に病院の枕に慣れた。
今日は背中の痺れを強く感じた。
ずっと治まっていた感覚が再びやってきたのだが大丈夫なのだろうか。
午後のリハビリで研修生相手にキャッチボールをする。
ピッチャーみたいに左足をあげるとバランスが取れない。
右足は蹴れない。
ウォーキングマシンを試すがうまくベルトの上を歩くことができない。
スピードは遅く設定しているのになんでだろうか。
退院の基準はこれで300m歩かなければならないのに…大丈夫か?
これまでずっと洗濯物は彼女に持って帰って洗ってきてもらっていたのだが、病院内にコインランドリーを発見したので自分で洗濯する。
こんな、病気になる前はなんの意識もなくしていたことを出来ることが妙にうれしい。


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2014年08月13日

入院日記その108

2006年2月8日水曜日

今日から病院内は杖なしで歩いてOKになる。
日曜日にインスタントジョンソンのゆうぞうに貰ったプロテインだが、飲む前はまずいだろうと思っていたら大変おいしく、1日2度飲んでいる。
リハビリの調子も良かったので
「プロテイン効果か?」
と思ってしまう。
本日は入院して3度目の誰もお見舞いに来ない日になった。
夜、ベッドの上で、以前劇団ひとりが持ってきた竜兵会のみんなの写真を見てひとりニヤついていた。


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2014年08月12日

入院日記その107

2006年2月7日火曜日

昨日、安田さんと有吉に良くなったと言われたせいか、しっかり歩いている気がする。
地面を踏みしめているといおうか。
多分そんな極端に変わるわけないから、本当、気の持ちようである。
今日も退院時期について先生と話していたのだが、通院になるとリハビリが週一ぐらいしかできないので、退院までに出来るだけ良い状態にしておきたいものだ。
今日は気温がとても低く、その影響だろう排尿の回数が多い。
ということはこれから春・夏と気温が上がれば、その分発汗によって水分が排出されるから排尿の回数は減るだろう。
極端に水分を摂らなければの話だが。
その頃には機能的にも多少良くなっているだろうから、今ほどはオシッコ関係に悩まされなくなるだろう。
いや、そうなって欲しい。


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2014年08月11日

入院日記その106

2006年2月6日月曜日

午前のリハビリ中、先生と来週末に退院できることを目標にしようと話す。
そのためには300m以上歩けるようになるのを一つの基準にしたいとのことだった。
ここのリハビリ室にはいつもラジオが流れている。
なぜか埼玉のNACK-5だ。
それはよしとして、リハビリ中にしゃべりはなかなか耳に入らないが、音楽はトレーニングには欠かせない。
音楽が流れている方が筋トレもはずむ。
そして先日、最も筋トレに似合う曲が流れた。
『ロッキーのテーマ』だ。
この曲を聴くと、多くの人がパブロフの犬状態になり、何くそ魂が湧き上がる。
と勝手に思う。
昔、有線では一日中この曲を流しているチャンネルもあり、多分がんばろうという気持ちを奮い立たせるために流していたのだと思う。
午後のリハビリ後、デンジャラス安田さんと有吉弘行が来る。
3人で車で外出したのだがとても楽しかった。
僕の歩く姿を見て格段に良くなっていると言っていた。
自分では意外にわからないものなので、こんな一言が励みになる。
おべんちゃらを言う二人ではないし。
夜、今日のリハビリで言われた退院の目標について考える。
自分でも予想外にあまり喜びはなかった。
もちろん、まだはっきりした退院日が決まったわけではないからでもある。
しかしそれより、完治して退院することは不可能だし、退院するということはただ体を治すだけでなく生活していかなくてはならないのだ。
働かなくてはならない。
かといってサラリーマンではないのだからすぐに仕事があるわけではない。
舞台にすぐ立てるほど回復していない。
アルバイトをするにもこの体だとなかなかできる仕事もないだろう。
なによりこのまま芸人を続けていって未来はあるのだろうか…。
そんなことを考えると、退院を手ばなしで喜ぶことはできない。
病気を治すことだけに専念できたらなんて楽なのだろう。
睡眠導入剤を飲んでもなかなか寝付けなかった。


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2014年08月10日

入院日記その105

2006年2月5日日曜日

今日がちょうど入院100日目。
自宅での一時外泊で迎えることになった。
昼間、先週同様自宅マンション前の駐車場で歩行練習などをする。
そしてバットを振ると先週より下半身がしっかり支えてくれていたので、少しだけ強く、速く振れた。
これがこの1週間の進歩というところか。
夕方、彼女と病院に向かうが、浅草で別れてそこからは一人で戻る。
来週末は一人で自宅に帰ろうと思っているのでその練習だ。
問題なく最寄りの駅から病院まで杖をついて歩いていけた。
それにしてもこの病院の最寄りの駅前は本当に寂しい。
一人で病院までの道を歩いていると、うまく歩けないことも相まって、妙に沈んでしまう。
病院は活気のある場所にある方が病気の治りも早いのではないか?と思う。
特にリハビリ専門病院は。
病室に戻ると筋肉増強プロテインが置いてあった。
インスタントジョンソンのゆうぞうが来てくれたらしい。
今、筋肉をつけたいと思っていたところだったので本当にありがたい。
入院したてであまり動けない時はDVD『24』シリーズを持ってきてくれたゆうぞうはお見舞い品選びが素晴らしい!
早速明日から飲んでみよう。


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2014年08月09日

入院日記その104

2006年2月4日土曜日

土曜日は隔週で午前中のみ、リハビリがある。
最近、非常階段の横にあるスロープをヨチヨチ歩いている。
坂道なので、やっと歩けるようになった赤ちゃんのようなスピードと不安定さである。
昼前に彼女に迎えに来てもらい、週末恒例となった外泊である。
体調の悪い彼女に申し訳ないので病院に留まろうと思ったが
「大丈夫だから一緒に帰ろう」
という言葉に甘える。
帰る途中に近所のスーパーなどで買い物をし、品物をリュックに詰めて歩く。
病院内を歩くのに比べて外を歩くことがなんとキツイことか改めて実感する。
しかも背負っている荷物が重いから尚のことである。
病院から外に出るのは、それだけでいいトレーニングだ。


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2014年08月08日

入院日記その103

2006年2月3日金曜日

今、自分はどれくらいの距離を歩けるのか、リハビリ中に試してみる。
すると150mくらいで足が重くなり、関節が曲がらなくなった。
あと、その場でジャンプをしようとしたら、全く跳べなかった。
ジャンプをするというのは走ることと同様、まだまだ今の状態では難しいらしい。
最近、
「全然ダメだ」
とばかり思うのだが、考え方を変えると、以前は最悪の状態を基準にしていたから
「うわっ、こんなに良くなった」
と捉えていたが、最近は病気になる前を基準に考えるようになったから、今の状態を歯痒く感じるのかもしれない。
今日は彼女が来てくれたが、やはり調子悪そうだった。


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2014年08月07日

入院日記その102

2006年2月2日木曜日

午後のリハビリの時、リハビリの先生に紹介されて、初めて同じ病気の人と話すことが出来た。
その人は年齢が僕と同じくらいの女性で、今度のゴールデンウィークで発症から2年になるのだが、僕よりも回復は遅れている。
その人がこれまでに会ったADEMの患者の中には死んだ人もいるらしく、衝撃的であった。
その人自身も最初は意識不明の状態が続き、その後もしゃべれなかった期間もあったそうだ。
おまけに医者から一生車椅子生活と言われたそうだ。
それが懸命のリハビリによって、今は車を自分で運転して通院し、歩行練習をしている。
奇跡と言われたらしい。
その人が笑顔でこう言った。
「気持ちしだいで良くなると思いますよ」
よく聞く台詞だが、誰より説得力があった。
前向きに考えて行動する。
この簡単な言葉を実行することがいかに困難で大切か。
心に沁みた。
そして自分の病気の重さも改めて認識したし、これから時間もかかるだろうことも覚悟した。
それを踏まえて今後のことを考えないといけない。
その後、お笑いを始めて最初に出来た友達だろう、X-GUNの嵯峨根さんが来て食堂で話す。
なんでも今度、これまたほぼ同期のくりぃむしちゅーの番組で細木和子に改名されるかもしれないとのことだった。
「いいきっかけになったらええんやけど…」
と言っていた。
その気持ち、よくわかる。
その後母が乱入し3人で時間を過ごした。
夕方彼女からメールがあり、体調がすぐれないらしい。
毎日仕事の後に病院通いで疲れがでたのだろうか。
大丈夫かな?


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2014年08月06日

入院日記その101

2006年2月1日水曜日

オシッコの調子が良くなったと思っていたら、今朝起きると漏らしていた…。
ちょっと喜んでいるとすぐに落とされる感じだ。
ま、こんなことにも少し慣れてきた。
いちいち落ち込んでいたらやっていけない。
今日は珍しく冬の大雨の一日であった。
そして夜、震度3の地震があった。
こんな真冬の雨の日に大地震が来たら最悪だ。
それにしても大地震が東京を襲うのだろうか?
来る来るといわれて随分経つが。
しかしこの病気になってわかったこと。
『備えあれば憂いなし』
退院したら災害グッズを購入しよう。


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2014年08月05日

入院日記その100

2006年1月31日火曜日

このところ夜おねしょはない。
多少なりとも回復している証拠だろうか?
寝る前の導尿がうまくいって膀胱が空の状態で眠りについているということかも。
リハビリでは、昨日歩きすぎたのか動きが硬い感じだった。
夕方、医療ソーシャルワーカーの人が病室に来て
「入院が3ヵ月を超えたので、障害者手帳を申請することができますが、どうします?」
と言われた。
どうするも何も、障害者って、
「俺が?」
って感じで断る。
その人も
「資格があるってことだけですから」
と言って、それ以上この話はしなかったのだがなんか心に引っかかる。
「俺、完治するよな?」
そう信じているのだが、大丈夫なのだろうか。
誰も完治しないなんて言ってない。
でも不安が少しあるのも確かだ。
じゃあ医者に単刀直入に
「元通りになりますよね」
と聞けばいいのだが、なんか怖くて聞けないでいる。
怖いということは自分でも
「もしかしたら…」
と少し思っているからかも。
どうも今日は悪い方にばかり考えてしまう。
あかんあかん、前向きにリハビリやっていこう。
昨日もらった劇団ひとり著『陰日向に咲く』はとても読みやすく、とてもおもしろく一気に4時間くらいで読みきった。
贔屓目なしでこの入院中読んだ小説の中で最もおもしろかった一冊だ。
あいつの才能は本当に素晴らしい。


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2014年08月04日

入院日記その99

2006年1月30日月曜日

彼女は今日から仕事なので見送ったあと、またウトウトする。
すると劇団ひとりからメールがあり、汐留で生放送番組に出演して終了したのでこれから見舞いに来てくれるとのこと。
病院ではなく自宅にいることを電話すると
「せっかく車で来ているから、迎えに行くんでどっかに遊びに行きましょうよ」
という誘い。
そしてこんな時にしか行かないからとお台場に向かう。
昼食をとった後、インスタントジョンソンのジャイも合流して、おっさん3人で観覧車に乗ったりゲームセンターでコインゲームしたりクレープまで食べたり…
入院前は誰かと会ってもとりあえず酒を飲んでいたのだが、なんとも新鮮な、中学生のデートみたいな遊び方であった。
夕方までお台場で過ごし、彼女も一緒に夕食に行ってそのまま病院まで送ってくれるというので彼女の会社の近所で待つ。
合流後、病院方面に行こうと浅草へ。
みんなで天丼を食べたあとに浅草寺にお参りする。
ちなみに芸人はメシを食べたり酒を飲んだりする場合、先輩が全部支払うのが常なのだが、今日はすべて劇団ひとりが出してくれる。
それは先輩として…うん、甘えよう。
あっさり風習を覆してしまった。
最後は病院まで送ってもらい、おまけにDVD『24』シーズン犬箸困辰閥賚して執筆し、まもなく発売される劇団ひとりの処女小説『陰日向に咲く』をもらう。
後輩にこんなに世話になって、どうしたものか。
あいつは
「昔、山崎さんには世話になりましたから」
と言ってくれるが、あいつに奢った額なんてたかがしれている。
いやはや、頼れる後輩である。


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2014年08月03日

入院日記その98

2006年1月29日日曜日

すっきり快晴。
午後、家の前の駐車場で歩行練習やストレッチをする。
バットを振ったり、彼女と柔らかいボールを使ってキャッチボールをしたりもする。
しかし下半身がちゃんと使えないので、バットは軽くしか振れずに膝を使ったりは出来ない。
ボールを投げるのも左足を上げたり右足を蹴ったりが出来ないのでポイッとするだけだった。
これは回復のいい目安になるのでこれからやって行こう。


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2014年08月02日

入院日記その97

2006年1月28日土曜日

お昼過ぎに彼女が迎えに来てくれて、今日から3日間の外泊に出る。
杖のみでの外出許可も出る。
帰る途中にご飯を食べ、初めて店のトイレで導尿する。
病院や家と違いスムーズにいかずに苦労する。
ばい菌が入らないように気をつけたのだが大丈夫だろうか?
帰宅後インターネットで調べると、ADEMの小学生の男の子が導尿がうまくできずにばい菌が入って再入院したという例があった。
しっかり注意を払わないと。
そして、早くどんなトイレでもちゃんとできるようにしたい。
夜は彼女が友達と会いに行ったので一人で留守番をする。
リハビリがてら一度近所のコンビにまで買い物に出掛けた。
無事に帰ってこれるか不安だったが、できたよ、はじめてのおつかい。


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