nonny's eyes

映画、音楽、政治、宗教、心の病について語ります。

カテゴリ: 歴史




私は映画「タイタニック」は評価しないが、
ジェームズ・ホーナーの書いたこのスコアは素晴らしい。

この曲は有名なセリーヌ・ディオンの主題歌とは違った
心を揺さぶられる奥深さがある。

しかし、この曲も苦い思い出と重なって聴くと胸が痛く
なる時期もあった。


タイタニック号沈没の悲劇は、あんな作り事の恋愛話より
もっと興味深い話がある。

沈没自体が故意に起こされたもので、その目的は保険金詐欺
だったという疑惑がある。

タイタニック号を所有していたホワイトスターライン社には
もう1隻豪華客船があった。

オリンピック号だ。

しかし何度も事故を起こして保険適用外になっていた。

会社は自前では修理できないほど経営不振で倒産寸前だった。

そこで、おんぼろのオリンピック号をタイタニック号に
見立てて沈め、船体を犠牲に保険金をだまし取ろうとした。

オリンピック号とタイタニック号の船体は、遠目から見ると
そっくりで簡単に見分けがつかない。

推論にすぎないが、都市伝説とも言い切れない。
人命を犠牲にしてまで、マネーロンダリングをするなど
現在でもよくある話である。

この陰謀には、有名な実業家J・P・モルガンも絡んでくる。

破産寸前のホワイトスターライン社に資金を提供し、
処女航海時のタイタニック号の乗船券を購入していた。

しかし、何故か直前になって乗船をキャンセル。
タイタニック号が沈没した後は巨額の保険金を手にしている。

ジャックとローズに嫉妬してキレたり、船中で銃を打ったり、
他人の赤ん坊を利用して船から脱出しようとしたローズの
婚約者キャルなどは紋切り型の悪人に過ぎず、モルガンこそ
真の意味で狡猾な確信犯と言える。

タイタニック号の沈没が1912年だから、今年で100年目だ。

ジェームズ・キャメロンもハイテクばかり追求してないで
大人の世界の泥臭い映画を撮ってほしい。



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1892年、東京府牛込の骨董品屋の娘である青山ミツ(後に光子)は、
オーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使である
ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と東京で出会い、
結婚しました。ミツが18歳の時でした。
           
一家は夫の祖国であるオーストリア=ハンガリー帝国へ帰国、
ボヘミア(現在のチェコ)のロンスペルク城に移り住み、
7人の子供をもうけました。
広大な領地を持つクーデンホーフ=カレルギー伯爵家は、
ハプスブルグ家の家臣でもあった名家でした。
東洋の島国から一人嫁いだ光子は、偏見と孤独の中、
子供たちを育て、高い教育を受けさせたといいます。
           
1906年5月14日、突然の心臓発作で最愛の夫ハインリッヒは急逝。
夫の親族たちは、光子が財産を受け継ぐことに反対し訴訟を起こします。
しかし、夫が残した遺言書のおかげで、なんとか訴訟に勝つことができ、
光子はクーデンホーフ=カレルギー伯爵家の当主となる事ができました。
     
最愛の夫を失った光子は、領地の経営と子供たちの教育に奔走しました。
1908年には子供たちのためにハンガリーの領地を売って、
ウィーンへ移住しました。光子は、社交界へも復帰して、
「黒い瞳の伯爵夫人」として活躍したといわれています。

ところが1914年に第一次世界大戦が勃発し、オーストリア=ハンガリーと
日本は敵国となってしまいました。
光子は日本人でありながらもオーストリア=ハンガリーの為に活動しましたが、
1918年に敗戦、オーストリア=ハンガリー二重帝国は崩壊してしまいました。
     
1924年、光子はウィーン郊外に移り住みました。
1925年、光子は脳溢血で右半身不随となり唯一残った次女オルガの介護により、
ウィーン郊外で晩年を過ごしました。
(オルガ以外の子供たちは、光子に反発し、光子の元を去ってしまいました)
光子の楽しみは、日本人と会ったり、日本の書物を読むことであったといいます。
     
1941年8月27日、光子は67歳で生涯を閉じました。
1896年に渡欧してから45年間、ついに日本に帰ることはありませんでした。

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1987年にNHKが「ミツコ、二つの世紀末」という番組を放送しました。
吉永小百合が案内人となって光子の足跡をたどるという内容です。
初期のハイビジョン作品でもあります。

その番組のBGMとして印象に残ったマーラーのアダージェット。
ウィーン世紀末を感じさせます。





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ヴァージニア・ウルフの写真。

ガートルード・スタインに対して、イギリス随一の文学史家を
父に持ち、文壇の誰もが一目置く名家に生れ育った女流作家
ヴァージニア・ウルフ(1882~1941)は、どこにも逃れる
場所がなかった。

それでも彼女がスタインと並ぶ1920年代~30年代の前衛小説家
として世界的名声を博し「オーランドー」(1933)と題された
レスビアニズムの小説を発表。

ウルフの属した文学サークルは「ブルームズベリー・グループ」
と呼ばれ、R・ストレイチー、E・M・フォスター等同サークル
の英文壇の作家はいずれもホモセクシュアルであった事が、
今日では明らかになっている。

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ヴィタ・サックスヴィルの肖像。

「オーランドー」はヴァージニア・ウルフより10歳下の
女流作家ヴィタ・サックスヴィル=ウエストに捧げられた
ファンタジー。
両性具有者であり、330年の時代を美少年から美少女と変身して
駆け抜ける詩人オーランドーの架空の伝記の体裁をとっている。

エピソードの細部に至るまでヴァージニアとヴィタの伝記的事実
がデフォルメされた形で用いられ、彼女のレスビアニズム体験も
ファンタジーの衣を借りて描き出されており、ヴァージニアが
ヴィタに寄せた「文学における、最も長く魅力的なラブレター」
として評された事でも知られている。

ヴァージニア・ウルフとヴィタ・サックスヴィルは、群を抜いた
美貌で知られ今でも神話的カップルとしてリスペクトされている。

「オーランドー」を映画化したものとしてサリー・ポッター監督の
「オルランド」がある。(原題は同じOrlando)

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サリー・ポッター独特の感性で映画された1993年イギリス映画。
(製作にはフランス、イタリア、ロシア、オランダが参加)

ティルダ・スウィントン演じるオルランドは中性的で適役だと
言える。サリー・ポッター自ら手がけた音楽もいい。

小説のファンには独自の解釈にギャップを感じる人もいるだろうが
自らも詩人であるポッターのユーモア溢れる演出、美しい映像は
決して他の人では撮れなかったであろうヴァージニア・ウルフへの
限りないリスペクトと愛が詰まっている。

93分にシンプルに凝縮された構成は、400年近い時を
(映画はラストが現代まで続いてるよう設定されている)
あっという間に駆け抜けるが、目まぐるしさは無い。

先に小説を読むか、映画を観るか、それは、その人の自由だが、
このような優れた芸術作品が存在している事を知っている事は、
その人の心に喜びと豊かな感性を植え付ける。




女性同士の同性愛=レスビアニズムが文学作品の主題として
取り上げられるようになったのは、文学史上でも比較的最近
の事に属する。

これは一見、意外な気もする。「愛」とは文学において永遠
のテーマであり、今日に至るまで、人間同士の関係性を描く
小説作品の中心的なテーマであり続けているのに女性同士の
愛は正面から描くのは困難とされ、反道徳的題材を好んで
扱う文学者にすら忌避されるテーマとしてされてきた。

その底に流れているのは、レスビアニズムとは所詮は特殊な
性的嗜好を持つ女たちの愛の姿であり、レスビアン以外にも
通ずる普遍性を持たないという見方である。

それゆえレスビアニズムは、18世紀のサド侯爵「悪徳の栄え」
のように人間の異常性を象徴するものとして描かれてきた。

古代ギリシャの同性愛賛美(サッフォーの詩篇)は、もっぱら
神話的な両性具有とされ、審美的見地においてのみ読解される
ようになる。

「珍奇な異常性愛」という視点以外でレスビアニズムが語られる
ようになるまで、文学史は永い闇の季節をくぐり抜けなければ
ならなかった。

19世紀のミュッセ伝「ガミアニ」には多少の前進が見られる。
私は、この小説を映画化した「禁断の寝室」を観た事があるが
ミュッセの妻ジョルジュ・サンドの愛人であったショパンの
曲が全編に流れるのは意図したものだろうか?

しかしソフトフォーカスの美しい映像は数多く作られた
エロティックな映画の域を出ていない。

「どうやらデッドロックに実に近いところに来たわけね」

とはガートルード・スタインの処女長編「Q・E・D」の女主人公
の幕切れ近い捨て台詞である。

ガートルード・スタイン(1874~1946)はアメリカ生れの女流
作家。ユダヤ系の裕福な家庭に育ち、女子大で心理学を専攻。
1903年以降はその死までフランスに在住した。

「Q・E・D」は1903年執筆。
女子大在学時代のレスビアニズム(二人の女友達を巡る三角関係)
を主題とした長編小説である。人間の心理に通じた彼女は三つ巴
の愛憎をあくまで抽象的な関係性の構図として捉える視点を崩さ
ない(これは後年の彼女の芸術理論を予告している)が、浮かび
上がってくるのは禁欲的で繊細な現実認識であると言える。

1907年スタインは三歳年下のポーランド系アメリカ人女
アリス・B・トクラスと出会い、彼女を愛人兼秘書として、
パリでの「文学的亡命生活」を生涯に渡って送る事になる。

1933年に刊行された「アリス・B・トクラスの自伝」は、スタイン
がアリスの一人称を借りて自分自身の精神的探求を跡づけた稀有な
著作である。

アメリカ作家スタインにとって、パリでの生活が彼女をレスビアン
として、かつ作家として開放してくれる唯一の場所であった。


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ガートルード・スタインの写真。



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血の伯爵夫人、エリザベート・バートリー(1560~1614)

女吸血鬼。
彼女は人々にそう呼ばれて恐れられました。

トランシルヴェニア公国の名門貴族の家に生まれ15歳でハンガリーの
名門貴族に嫁ぎます。彼女はたぐいまれなる美貌の持ち主でした。

彼女の選んだ城は人里離れた寂しいチェイテ城。
夫の母は、彼女が軍人の妻にはふさわしくないとの事で彼女を嫌い
いじめていたようです。

義母も夫もなくなって、一人でお城に住むようになってから、
奇妙な行動が始まります。

彼女の棲むお城では、下働きの娘を常に募集しています。
でもどの娘も、二度とお城の外に帰ってくることはないのです。

これはある偶然から始まりました。
癇癪を起こした彼女が召使の少女を折檻した時に飛び散った血が、
彼女に付きました。
すると、血の付いた場所がほかの場所よりも艶めいて見えたのです。

彼女は美貌を保つためにあらゆることを試していたのですが、
この残虐な美容法を最良と考えました。

若い娘をさらってきては、血を抜いてしまい、自分は娘たちの血で
満たされたバスタブに入るのです。そして赤ワインでなく血を飲みます。

「鉄の処女」という拷問の道具を時計職人に作らせます。
人間の実物大の美しい人形ですが、ぱかっと観音開きに真ん中から開き、
中に人間を取り込むと閉まるのです。内側にはとがった太い針がびっしり
ついていて、それが体に深く食い込むようになっているのです。


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そのほかにも鳥かご型の同様の拷問具を作らせ、天井につるします。
血がしたたり落ちてきたら下に置いてあるバスタブにたれる仕組み。


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ジュリー・デルピー主演の”The Countess"2009年の映画です。
血の伯爵夫人のお話。

ハマープロも「鮮血の処女狩り」(1971)という映画で
エリザベート・バートリーを取り上げています。

村娘をさらってくるうちは、農奴たちには何もできませんでした。
でもそのうちに彼女は、貴族の娘たちにも行儀見習いと称して
城に招待し、血祭りに上げていきました。

これが彼女の首を絞めることになりました。
貴族たちの要請で、城は操作されることになったのです。

娘たちの血を搾り取るために使われた拷問道具の数々は、
人々を震撼させました。

彼女が毒牙をかけた生娘は600人にのぼると言われています。

彼女は貴族であったために死刑は免れましたが、それから死ぬまで
一生の間を、窓が一つもない部屋に幽閉されて暮らしたと言われます。

チェイテ城跡(ハンガリー)打ち捨てられたような廃城は、
現在、ほとんど原形を留めていません。
夜になると不気味な静寂があたりを包み、誰も近づく者はありません。


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