真珠の首飾り


マラッカ・ジレンマ

前回、中国のシーレーンが事実上アメリカの支配にあるという話をしました。特に、輸入原油全体の8割が通過するマラッカ海峡は、中国の最重要チョークポイントなのですが、この海峡の安全保障を米軍に依存しているという現実が、北京政府にとっては不安であるし不快なのです。マラッカ海峡は海賊が頻発する海域ですし、台湾有事の際、アメリカが中国の補給ルートを断つために海峡を封鎖するという可能性(限りなくゼロに近い…というかありえませんが)に対して、数あるシナリオの一つとして中国が対応策を検討するのは当然です。この、マラッカ海峡において中国が抱える潜在的な脆弱性を、「マラッカ・ジレンマ」と呼びます。中国政府も、この脆弱性を公式に認めており、マラッカ海峡を封鎖された場合に備えて、物流対策としてエネルギー輸送ルートの多様化を図ることや、中東から中国に至るシーレーンに拠点を整備することを目指して活動を始めています。それが、「真珠の首飾り」戦略です。(上図)


整備される真珠
「真珠の首飾り」戦略は、エネルギー供給先である中東・アフリカから中国までの海域に、 拠点として真珠(利用可能な港湾)を配置していくというものです。インド洋沿岸各国の港湾を、あたかも中国の外港のように整備していくのですが、目的としては、(1)「マラッカ・ジレンマ」の回避、(2)シーレーン防衛、この2つです。他にも、「真珠」の設置により、中国沿岸部の港湾を利用することが不便な内陸部(重慶市、雲南省、新疆ウイグル自治区など)におけるエネルギーの安定確保が図られるようになるというような利点も生まれます。例えば、真珠から中国内陸部へのアクセス面でみると、中国西端の主要都市カシュガル(新疆ウイグル自治区)は、中国沿岸部(東部)の港湾までは約3,000kmも離れていますが、パキスタンのグワダルまでは約1,500kmに短縮されます。海に面していない中国奥地にとって、真珠がいわば玄関口となるわけです。

では、いくつかの真珠について具体的に見てみたいと思います。ここでは、代表的な、グワダル(パキスタン)、ハンバントタ(スリランカ)、チッタゴン(バングラデシュ)、シットウェ(ミャンマー)の4つを取り上げます。

グワダル(パキスタン)
グワダル
グワダル港は、イラン国境からわずか72km、アラビア海とペルシャ湾をつなぐチョークポイントであるホルムズ海峡まで400kmの位置にあり、水深は14.5m、最大50万トンのタンカーが入港可能な天然の良港です。

グワダル―カシュガル
パキスタンは、この港を商業用港湾として大規模拡充中ですが、中国はそこに巨額の資金を投入して支援しています。というのも、グワダル港を拠点化できれば、中国のタンカーはここで原油を積み降ろし、鉄道や道路、それにパイプラインを使って新疆ウイグル自治区、チベット自治区といった中国の内陸部へ輸送することができ、マラッカ海峡を通らずに済むようになるのです。つまり、「マラッカ・ジレンマ」対策ですね。事実、グワダル港とカシュガルを結ぶ鉄道と石油パイプラインを建設する計画について中パ両国の間で協議が進んでいます。さらに、パキスタンとイランは、イランの天然ガスをパキスタンに輸出するためのパイプライン建設に同意しているのですが、このパイプライン・プロジェクトは、中国まで延伸するとも言われています。地図を見ると、グワダルが絶妙な位置にあることが良く分かりますね。

次に、グワダル港の拠点化は、「マラッカ・ジレンマ」を回避するだけではなく、シーレーン防衛及び制海権/海上優勢確保の橋頭堡として重要な役割を果たします。中東から東へ向かう船舶の多くは、ホルムズ海峡を抜けた後、インド沿岸を通過するため、インド洋は中国に限らず、日本や韓国はもちろん、インドにとってもエネルギー・ルート=シーレーンなのです。例えば、ペルシャ湾からインドのクッチ湾にあるヴァディナール石油ターミナルに向う石油タンカーは、すべてグワダル港の南40海里(約74km)の海域を通過するのですが、このインドのシーレーンが、グワダル港にいる中国やパキスタンの勢力に脅かされることになります。中国は、グワダル港を「真珠」化することによって、自国のシーレーン防衛を図ると同時に、他国のシーレーンを抑えるという目的を遂げようとしているのです。

言うまでもなく、パキスタンにとっても、この港が整備され有用性が向上することはメリットがあるのです。というのも、パキスタンの海運の9割を担うカラチ港はインドに近過ぎるという難点があり、戦時に封鎖もしくは破壊されて石油の輸入ができなくなる恐れがあるのです。実際に、1971年の印パ戦争ではインド海軍により海上封鎖を受け、1999年にも封鎖危機に直面しています。この点、グワダルの活用は兵站・経済上の縦深性を強化でき、戦略面において選択肢を増やすことになるのです。


ハンバントタ(スリランカ)
ハンバントタ
インドとスリランカの間にあるポーク海峡は暗礁が多く、インドの古代叙事詩『ラーマーヤナ』の中でここに橋を架けたという伝承があるくらい水深が浅いので、タンカーなどの航行は難しい場所です。そのため、この海域のエネルギー・ルートはもっぱらスリランカ南部に位置するハンバントタの沖合にあり、大型タンカーだけでも1日に約200隻が通過するシーレーンの要衝となっています。

約25年に及んだ内戦が終結したスリランカに対し、中国は2007年に3,500万ドル(約33億円)近い武器装備売買契約を締結し、中国は同国における最大の武器供給国になりました。さらに中国は、内戦とスマトラ島沖地震で疲弊したスリランカに対し、石炭火力発電所や高速道路の建設、経済特区設立や港湾整備といった形で次々と投資を行い、高い戦略的地理条件を備えたハンバントタ港を中国海軍の寄港地として獲得しました。ハンバントタ港の増強工事は、すでに中国企業によって工事が進められていて、2009年8月、スリランカ輸出入銀行と中国輸出入銀行が、港湾のインフラ整備やと首都コロンボ近郊の高速道路建設費として3億5千万ドルを供与することで合意しました。港の工事については、これまでにもすでに3億6千万ドルがコミットされています。中国軍艦艇も燃料補給や修理に利用できるような整備拡張工事が進められており、2022年には完成すると見られています。


チッタゴン(バングラデシュ)
チッタゴン
ミャンマー国境近くにあるチッタゴンは、バングラデシュ第2の都市であり、かつ国内最大の港でもあり、数千年に渡って交易地として繁栄してきました。チッタゴン港は、河口から数マイル内陸へ入ったところにも錨泊地を持つ天然の良港で、中国はここにコンテナや石油関連施設の整備を進めています。重要なのは、バングラデシュが中国海軍の施設を受け入れ、同港の利用を認めていることです。これは、中国が同港の軍事関連施設の改修に支援を惜しまなかったからだとされています。

昨年(2009年)、このチッタゴンからミャンマーを抜け、中国南部の雲南省・昆明を結ぶ900kmにおよぶ高速道路建設について、中国・バングラデシュ・ミャンマーの3カ国で合意しました。チッタゴンもグワダルと同様に、「マラッカ・ジレンマ」を解消する貴重な「真珠」ということですね。


シットウェ(ミャンマー)
シットウェ
ミャンマー・ラカイン州(北西部はバングラデシュのチッタゴン管区と接する)の州都でもあるシットウェは、深水港のある海上通商路の拠点として知られます。
中国は、ミャンマー軍事政権に対して武器輸出を行うなど、軍事的なつながりが強く、1994年にミャンマーから貸与した大・小ココ島の偵察・電子情報施設などとともに、マラッカ海峡近くのインド領アンダマン、ニコバル両諸島所在のインド軍基地や艦艇の動向を監視し得る戦略拠点を得ました。そればかりか、ミャンマーの7つの海軍基地を、同国現有艦艇よりはるかに大型の艦艇が入港できるよう改造しているとも伝えられています。経済的にも「人民元通貨圏」に組み込まれた親中国家ですので、中国の外港設置には、ミャンマーはまさにうってつけですね。

2004年にラカイン州沖で韓国企業の大宇が発見・探査していたガスは、発見された当時はインドやタイに送る案が有力だったのですが、中国の投資がどんどん増え、結局はミャンマーを縦断して雲南省へ送ることになりました。2013年にラカイン沖のガスは生産を開始し、日量約5億立方フィートのガスを19年間中国に送ることになっています。
china_myanmar
China Energy Systems(2010/2/4の記事)より画像転載)

また、シットウェから雲南省・昆明までの約1,956kmを結ぶ石油パイプラインの建設もすでに着工しており、最終的には重慶まで延伸する計画です。他にも首都ヤンゴンからエーヤワディ川(旧称:イラワジ川)をさかのぼり、昆明までを航・陸路でつなぐ大工事が進められ、一部の道路は敷設されています。同川の河口付近が中国の兵站基地化されつつあるとの報道もあり、これらはすべて中国海軍による制海権/海上優勢確保のための橋頭堡であり、かつ「マラッカ・ジレンマ」回避のバイパスというわけです。

日中戦争当時、蒋介石政権は重慶を本拠地とし、米・英・仏・ソは蒋介石政権援助のための補給ルート、すなわち「援蒋ルート」を開拓しました。ベトナム・ハノイからのインドシナ・ルート、英領ビルマを経由するビルマ・ルート、ソ連による西北(新疆)ルートおよびモンゴル・ルートですね。「真珠の首飾り」における、シットウェから雲南のエネルギー・ルートは、奇しくも「援蒋ルート」をなぞる形となっています。地政学の普遍性を垣間見る気がしますね。

◇ ◇ ◇

以上が、「真珠の首飾り」戦略における主な拠点です。

ただし、中国が必ずしも初めからこのような戦略を意識し、計画的に進めてきたわけではありません。シーレーン防衛や制海権/海上優勢の確保、マラッカ・ジレンマの解消といったエネルギー安全保障に端を発した諸問題を克服するための一つ一つの政策が、結果として地政学的アプローチにつながっている、というのが正確なところです。むしろ計画的でなかったからこそ、中国の戦略眼の確かさに驚きを感じます。

(続く)