先日、尖閣諸島問題に関して記事を書いたところ、様々な反響をいただきました。
本稿では上記過去記事を読んでいただいたことを前提に話を進めていきます。
尖閣諸島問題は領土という絶対性をもつものが議論の対象であるためか、勇ましい意見をお持ちの方が多いようです。過去記事では、魚釣島へ人員を配備する軍事的効果の薄さや海上保安庁という安全装置の意味、実効支配していることの重要性について説明した上で、「相手の挑発に乗るべきではない」という論旨を述べたところ、勇ましい系の方々にはあまり賛同いただけなかったようです。もちろん、何においても異論があるのが当然ですからそれは良しとして、本稿では「日本からエスカレーションを仕掛ける愚かさ」について説明し、愛国心あふれる諸氏からの支持を張り切って失ってみたいと思います。
こちらの有利な立場を理解する
ケネス・ウォルツは、国際危機は「ある国が起こそうとする変化を、他の国が阻止しようと決意することによって起こる」※1とし、高坂正堯は「国際社会が一定の安定を得るには、有利な立場にあるものがその立場を濫用して有利さを優越に変えようとせず、また不利な立場にあるものがあえて挑戦しないとき可能になる」※2と述べています。さらに、七年戦争、独仏戦争、クリミア戦争など7つの欧州戦争におけるエスカレーションを比較分析したリチャード・スモークは、「防御側のエスカレーション戦略に抑止効果はない」※3と分析しています。
我が国は尖閣諸島を実効支配している側です。実際、東京都が国内法に則って地権者から尖閣諸島を購入しようとしていることからも明らかなとおり、我が国の法律を適用することができていますよね。高坂氏のいう「有利な立場」にあるのは、日本なのです。現在有利な状況にある問題を、有利な側が「優越さに変えよう」としてもそこに抑止効果がないことはスモークが指摘する通りです。
中国は現状に挑戦する
もちろん、ウォルツや高坂氏の言葉を借りれば、尖閣諸島問題において日本がエスカレーション戦略をとる必要はないとする一方で、「不利な立場の国」が「変化を起こそうと」「挑戦」することが危機を生む要因のもう片方となっている、とも言えます。中国はかつてのソ連ほどではないにしても、少なくとも地域レベルにおいては現状の国際秩序を自国有利に変えようとする挑戦国家です。挑戦国家には中国の他に、北朝鮮、イランなどが含まれます。反対に、「変化を阻止しようとする国」とは、現在に参照基準点がある国を指します。アメリカや日本、NATO諸国の多くがこちらですね。
そもそも尖閣諸島問題を引き起こしたのが中国であることには私も全面的に同意です。もう、いい加減めんどくさいなあ、とも思いますし、手を出しかけたら追い払う必要はあります。私が反対なのは、こちら(日本)からわざわざ事態をエスカレートさせることです。
目的は戦争ではない
尖閣諸島問題において我が国の目的はどこにあるでしょうか。私は「尖閣諸島の実効支配を維持すること」だと考えます。ここが違うと議論がかみ合いませんが、この目的を達成するためにリスクやコストを極力小さく抑えられればより良い、という事になります。
その際ウォルツの言うように、一方が武力を行使し、他方もそれに武力で対抗することを選べば戦争となります。しかし、武力行使によって問題を解決するのと同様の結果を、武力行使なしで得られるのであれば、その方がリスクとコストを抑えられるのではないでしょうか。
過去記事で「相手の挑発に乗らないことが大切」と言いました。すでに実効支配という有利な立場にある日本が、挑発に乗るどころかむしろ不用意に相手を挑発させるというのは愚の骨頂です。中国を物理的にへこませたり、ましてや戦争すること自体が目的ではないのに、日本からの挑発は戦争の種を蒔く行為となりかねません。第一次大戦などを見ても明らかなとおり、戦争の多くは「意図せざる不注意な戦争(inadvertent war)」です。指導者が事態のコントロールを失った結果、戦争が生起してしまうのです。尖閣諸島問題で勇ましい声を挙げている人は、果たしてどういった形の武力衝突を想定し、あるいは限定しようとしているのでしょうか。またいかに戦争を遂行し、どれほどの被害を受容し、さらにはどのように終結させ、実効支配を維持するのかといった時間と労力を要する作業を経た上で言ってるのでしょうか?そもそも、いくら精緻な戦争計画を立案しても、その通りに進んだ戦争など一つもありません。
繰り返しますが、私はこちらから事態をエスカレートさせることには反対ですが、何もするなと言っているわけではありません。過去記事でも触れたように、尖閣諸島問題において海上保安庁というピースは非常に大きなものです。海保の具体的な役割についても説明したとおりです。「尖閣諸島の実効支配維持」という目的を果たすのであれば、現行の海保の運用で、ある程度事足ります。海保の能力や重要性を軽視していきなり自衛隊出せ、というのは、あまりに思慮足らずと言わざるを得ません。
平時と戦争の狭間にある「危機」
海保が紛争解決における安全装置といいましたが、同様に国際政治では戦争を回避するための知恵がいくつかあります。そのひとつとして、危機管理(crisis management)という概念があります※4。国際紛争(国家間の問題)を抱えているけれども武力を伴わずに揉めている「平時」と、武力を伴う「戦時」という2つのレベルの間に、「危機」というレベルを差し挟み、できるだけ「戦時」というレベルに突入することを避けようというものです。グレン・スナイダーは「戦争は高いリスクとコストを伴うものであることから、紛争を解決するために危機が戦争の代わりを果たす」と述べています※5。「平時」と「戦時」の間に「危機」というグレーゾーンをできるだけ広くとることで戦争へのエスカレーション・ラダーを長く複雑なものにし、揉め事を「危機」のレベルで収め、武力衝突を回避する仕組みですね。これは新しい概念でもなんでもなく、ベルリン危機やキューバ危機などはその最たる事例です。一般に「危機」という前段階を持たない戦争はほとんどなく、真珠湾攻撃でさえ数か月の外交危機を経た上で「戦時」に至りました。
「平時」に戦争を食いとどめるのは抑止政策ですが、「危機」レベルでは抑止に始まり、強要(compellance)や強制外交(coercive diplomacy)といった危機管理政策が適応されます※6。というのも、抑止はこちらの望まない行動を相手がとることを思いとどまらせる(無行動を求める)ことを目的としていますが、相手がいったん行動をとり始めたり既成事実を作ってしまったならば、抑止以上の政策が必要となるからです。ですから、尖閣諸島問題においては基本的には海保がこの「危機」レベルに対応しますが、中国が明確な軍事行動をとり始めれば日本も海上警備行動や防衛出動を発令して自衛隊が対処することになります(参照)。この段階で自衛隊という実力組織を用いることには私は何ら反対するものではありません。
「平時」を維持することの意味
「戦時」に戦場の霧が発生するのと同様に、「危機」においても不測の事態は潜んでいます。とりわけ、強制する側とされる側の誤解・誤算は、「危機」を「戦時」へとエスカレートさせる大きな原因となります。尖閣諸島問題においては現状維持のために強要・強制という政策をとるのは日本で、現状に挑戦して強要・強制される側が中国です。この中国の尖閣諸島への行動を、単純にかの国の侵略的本能によるものだととらえてしまうと大きな誤りを生むもとになるかもしれません。
たとえば、「相対的剥奪」という論理があります。中国は飛躍的に経済成長を遂げ、国際的な地位も上がったのに、東シナ海の小島ひとつも日本から奪えないのか!となると、中国人民の共産党政府への不満は高まります。そうした国内政治の不安定性・脆弱性を払拭するために、中国政府が対外的に攻撃的姿勢をとっているとすれば、抑止や強制外交一辺倒では効果がないどころか紛争を「戦時」へとエスカレートさせかねません。他方、中国の機会主義的行動に対して戦争を回避しようといたずらに譲歩を示すことは単なる宥和行為で相手に付け込まれるだけなので、こちらも「尖閣諸島の実効支配維持」という目的を達成するうえで望ましくありません。
強制側(日本)が「危機」の最中に相手の退路を断ち切らない程度に攻勢をかけ、なおかつ相手につけ入る隙を与えずに強制外交を展開することは実に難しいものなのです。アメリカもキューバでは成功しましたが、1941年の日本相手には失敗してますね。
ですから、私は「戦時」レベルはもちろん、「危機」レベルに突入することさえ目的の達成のためには避けるべきだと考えるのです。魚釣島へ自衛隊を配備し、事態をよりエスカレートさせようというのは、自らコントロールの難しい「危機」や「戦時」へと向かう行為です。「平時」、「危機」、「戦時」の三段階で、現在は最も状況の予測がつきやすく、かつ日本有利な立場で事態をコントロールできる「平時」なのです。何も好んでこちら側から問題を複雑にしようとしなくてもいいですよね。私は騒ぎ立てる必要さえ感じてません。
18〜20世紀のような国家間の大戦はもう起らないのだから、こんなきな臭い話しする必要ないでしょ…といったことを仰る方もおられます。確かに、かつての帝国主義時代に比べて戦争が起きにくくなっているのは事実ですし、喜ばしいことです。ただ、戦争が「なんとなく」起きにくくなっているわけではありません。これまで人類は幾度もの戦禍を経、とりわけ二度の世界大戦で獲得した教訓を理論化・制度化することで国家間の戦争を起こさないようなシステムを作り上げ、どうにかこうにかそうしたシステムが機能しているからこそ、国家間の大規模紛争が起こりづらくなっているのです。
そして、こうした努力を重ねていても、やはり国際レベル、国家・政府レベル、そして個人レベルで発生する誤解や誤算は起こり得るものです。誤解と誤算によって生まれた「意図せざる不注意な戦争」という状況下では、「平時」において可能だった日本によるコントロールはもはやままならないものになります。有利な立場にあるにもかかわらず(それが崩れる状況が差し迫っているわけでもありませんし)、不用意にエスカレーションを仕掛けることで問題を不安定化させる行為は愚かとしか言いようがない気がします。
注※1 Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics, 1979, p. 171.
注※2 高坂正堯、『国際政治――恐怖と希望』(1966年)、28ページ。
注※3 Richard Smoke, War: Controlling Escalation, 1977, pp. 19-35.
注※4 危機管理を「crisis management」の訳とみるか「risk management」の訳とみるかで厳密には違うのですが、本稿では「crisis management」の方の意味で話を進めていきます。
注※5 Glenn H. Snyder, “Crisis Bargaining” in Charles Hermann, ed., International Crises: Insights from Behavioral Research, 1972, p.217.
注※6 強要は、相手に何かをさせることです。能動的で、攻撃的性格を持ちます。強制外交は、相手に何かを止めさせたり、元に戻させたりするに力点があります。受動的・防御的性格を持ちます。どちらも相手に物理的ダメージを与えることそのものが目的ではありません。
(2012/7/16) 尖閣諸島はどのように防衛されるのか
本稿では上記過去記事を読んでいただいたことを前提に話を進めていきます。
尖閣諸島問題は領土という絶対性をもつものが議論の対象であるためか、勇ましい意見をお持ちの方が多いようです。過去記事では、魚釣島へ人員を配備する軍事的効果の薄さや海上保安庁という安全装置の意味、実効支配していることの重要性について説明した上で、「相手の挑発に乗るべきではない」という論旨を述べたところ、勇ましい系の方々にはあまり賛同いただけなかったようです。もちろん、何においても異論があるのが当然ですからそれは良しとして、本稿では「日本からエスカレーションを仕掛ける愚かさ」について説明し、愛国心あふれる諸氏からの支持を張り切って失ってみたいと思います。
こちらの有利な立場を理解する
ケネス・ウォルツは、国際危機は「ある国が起こそうとする変化を、他の国が阻止しようと決意することによって起こる」※1とし、高坂正堯は「国際社会が一定の安定を得るには、有利な立場にあるものがその立場を濫用して有利さを優越に変えようとせず、また不利な立場にあるものがあえて挑戦しないとき可能になる」※2と述べています。さらに、七年戦争、独仏戦争、クリミア戦争など7つの欧州戦争におけるエスカレーションを比較分析したリチャード・スモークは、「防御側のエスカレーション戦略に抑止効果はない」※3と分析しています。
我が国は尖閣諸島を実効支配している側です。実際、東京都が国内法に則って地権者から尖閣諸島を購入しようとしていることからも明らかなとおり、我が国の法律を適用することができていますよね。高坂氏のいう「有利な立場」にあるのは、日本なのです。現在有利な状況にある問題を、有利な側が「優越さに変えよう」としてもそこに抑止効果がないことはスモークが指摘する通りです。
中国は現状に挑戦する
もちろん、ウォルツや高坂氏の言葉を借りれば、尖閣諸島問題において日本がエスカレーション戦略をとる必要はないとする一方で、「不利な立場の国」が「変化を起こそうと」「挑戦」することが危機を生む要因のもう片方となっている、とも言えます。中国はかつてのソ連ほどではないにしても、少なくとも地域レベルにおいては現状の国際秩序を自国有利に変えようとする挑戦国家です。挑戦国家には中国の他に、北朝鮮、イランなどが含まれます。反対に、「変化を阻止しようとする国」とは、現在に参照基準点がある国を指します。アメリカや日本、NATO諸国の多くがこちらですね。
そもそも尖閣諸島問題を引き起こしたのが中国であることには私も全面的に同意です。もう、いい加減めんどくさいなあ、とも思いますし、手を出しかけたら追い払う必要はあります。私が反対なのは、こちら(日本)からわざわざ事態をエスカレートさせることです。
目的は戦争ではない
尖閣諸島問題において我が国の目的はどこにあるでしょうか。私は「尖閣諸島の実効支配を維持すること」だと考えます。ここが違うと議論がかみ合いませんが、この目的を達成するためにリスクやコストを極力小さく抑えられればより良い、という事になります。
その際ウォルツの言うように、一方が武力を行使し、他方もそれに武力で対抗することを選べば戦争となります。しかし、武力行使によって問題を解決するのと同様の結果を、武力行使なしで得られるのであれば、その方がリスクとコストを抑えられるのではないでしょうか。
過去記事で「相手の挑発に乗らないことが大切」と言いました。すでに実効支配という有利な立場にある日本が、挑発に乗るどころかむしろ不用意に相手を挑発させるというのは愚の骨頂です。中国を物理的にへこませたり、ましてや戦争すること自体が目的ではないのに、日本からの挑発は戦争の種を蒔く行為となりかねません。第一次大戦などを見ても明らかなとおり、戦争の多くは「意図せざる不注意な戦争(inadvertent war)」です。指導者が事態のコントロールを失った結果、戦争が生起してしまうのです。尖閣諸島問題で勇ましい声を挙げている人は、果たしてどういった形の武力衝突を想定し、あるいは限定しようとしているのでしょうか。またいかに戦争を遂行し、どれほどの被害を受容し、さらにはどのように終結させ、実効支配を維持するのかといった時間と労力を要する作業を経た上で言ってるのでしょうか?そもそも、いくら精緻な戦争計画を立案しても、その通りに進んだ戦争など一つもありません。
繰り返しますが、私はこちらから事態をエスカレートさせることには反対ですが、何もするなと言っているわけではありません。過去記事でも触れたように、尖閣諸島問題において海上保安庁というピースは非常に大きなものです。海保の具体的な役割についても説明したとおりです。「尖閣諸島の実効支配維持」という目的を果たすのであれば、現行の海保の運用で、ある程度事足ります。海保の能力や重要性を軽視していきなり自衛隊出せ、というのは、あまりに思慮足らずと言わざるを得ません。
平時と戦争の狭間にある「危機」
海保が紛争解決における安全装置といいましたが、同様に国際政治では戦争を回避するための知恵がいくつかあります。そのひとつとして、危機管理(crisis management)という概念があります※4。国際紛争(国家間の問題)を抱えているけれども武力を伴わずに揉めている「平時」と、武力を伴う「戦時」という2つのレベルの間に、「危機」というレベルを差し挟み、できるだけ「戦時」というレベルに突入することを避けようというものです。グレン・スナイダーは「戦争は高いリスクとコストを伴うものであることから、紛争を解決するために危機が戦争の代わりを果たす」と述べています※5。「平時」と「戦時」の間に「危機」というグレーゾーンをできるだけ広くとることで戦争へのエスカレーション・ラダーを長く複雑なものにし、揉め事を「危機」のレベルで収め、武力衝突を回避する仕組みですね。これは新しい概念でもなんでもなく、ベルリン危機やキューバ危機などはその最たる事例です。一般に「危機」という前段階を持たない戦争はほとんどなく、真珠湾攻撃でさえ数か月の外交危機を経た上で「戦時」に至りました。
「平時」に戦争を食いとどめるのは抑止政策ですが、「危機」レベルでは抑止に始まり、強要(compellance)や強制外交(coercive diplomacy)といった危機管理政策が適応されます※6。というのも、抑止はこちらの望まない行動を相手がとることを思いとどまらせる(無行動を求める)ことを目的としていますが、相手がいったん行動をとり始めたり既成事実を作ってしまったならば、抑止以上の政策が必要となるからです。ですから、尖閣諸島問題においては基本的には海保がこの「危機」レベルに対応しますが、中国が明確な軍事行動をとり始めれば日本も海上警備行動や防衛出動を発令して自衛隊が対処することになります(参照)。この段階で自衛隊という実力組織を用いることには私は何ら反対するものではありません。
「平時」を維持することの意味
「戦時」に戦場の霧が発生するのと同様に、「危機」においても不測の事態は潜んでいます。とりわけ、強制する側とされる側の誤解・誤算は、「危機」を「戦時」へとエスカレートさせる大きな原因となります。尖閣諸島問題においては現状維持のために強要・強制という政策をとるのは日本で、現状に挑戦して強要・強制される側が中国です。この中国の尖閣諸島への行動を、単純にかの国の侵略的本能によるものだととらえてしまうと大きな誤りを生むもとになるかもしれません。
たとえば、「相対的剥奪」という論理があります。中国は飛躍的に経済成長を遂げ、国際的な地位も上がったのに、東シナ海の小島ひとつも日本から奪えないのか!となると、中国人民の共産党政府への不満は高まります。そうした国内政治の不安定性・脆弱性を払拭するために、中国政府が対外的に攻撃的姿勢をとっているとすれば、抑止や強制外交一辺倒では効果がないどころか紛争を「戦時」へとエスカレートさせかねません。他方、中国の機会主義的行動に対して戦争を回避しようといたずらに譲歩を示すことは単なる宥和行為で相手に付け込まれるだけなので、こちらも「尖閣諸島の実効支配維持」という目的を達成するうえで望ましくありません。
強制側(日本)が「危機」の最中に相手の退路を断ち切らない程度に攻勢をかけ、なおかつ相手につけ入る隙を与えずに強制外交を展開することは実に難しいものなのです。アメリカもキューバでは成功しましたが、1941年の日本相手には失敗してますね。
ですから、私は「戦時」レベルはもちろん、「危機」レベルに突入することさえ目的の達成のためには避けるべきだと考えるのです。魚釣島へ自衛隊を配備し、事態をよりエスカレートさせようというのは、自らコントロールの難しい「危機」や「戦時」へと向かう行為です。「平時」、「危機」、「戦時」の三段階で、現在は最も状況の予測がつきやすく、かつ日本有利な立場で事態をコントロールできる「平時」なのです。何も好んでこちら側から問題を複雑にしようとしなくてもいいですよね。私は騒ぎ立てる必要さえ感じてません。
◇ ◇ ◇
18〜20世紀のような国家間の大戦はもう起らないのだから、こんなきな臭い話しする必要ないでしょ…といったことを仰る方もおられます。確かに、かつての帝国主義時代に比べて戦争が起きにくくなっているのは事実ですし、喜ばしいことです。ただ、戦争が「なんとなく」起きにくくなっているわけではありません。これまで人類は幾度もの戦禍を経、とりわけ二度の世界大戦で獲得した教訓を理論化・制度化することで国家間の戦争を起こさないようなシステムを作り上げ、どうにかこうにかそうしたシステムが機能しているからこそ、国家間の大規模紛争が起こりづらくなっているのです。
そして、こうした努力を重ねていても、やはり国際レベル、国家・政府レベル、そして個人レベルで発生する誤解や誤算は起こり得るものです。誤解と誤算によって生まれた「意図せざる不注意な戦争」という状況下では、「平時」において可能だった日本によるコントロールはもはやままならないものになります。有利な立場にあるにもかかわらず(それが崩れる状況が差し迫っているわけでもありませんし)、不用意にエスカレーションを仕掛けることで問題を不安定化させる行為は愚かとしか言いようがない気がします。
注※1 Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics, 1979, p. 171.
注※2 高坂正堯、『国際政治――恐怖と希望』(1966年)、28ページ。
注※3 Richard Smoke, War: Controlling Escalation, 1977, pp. 19-35.
注※4 危機管理を「crisis management」の訳とみるか「risk management」の訳とみるかで厳密には違うのですが、本稿では「crisis management」の方の意味で話を進めていきます。
注※5 Glenn H. Snyder, “Crisis Bargaining” in Charles Hermann, ed., International Crises: Insights from Behavioral Research, 1972, p.217.
注※6 強要は、相手に何かをさせることです。能動的で、攻撃的性格を持ちます。強制外交は、相手に何かを止めさせたり、元に戻させたりするに力点があります。受動的・防御的性格を持ちます。どちらも相手に物理的ダメージを与えることそのものが目的ではありません。