尖閣諸島と竹島をめぐり、日中韓でナショナリズムが高揚しています。中韓はいつものことですし、本邦でも“愛国的”な声が喧しいですね。この暑さにもかかわらず、ナショナリズムを燃えたぎらせる姿にはただただ感心するばかりです(;一_一)
そこで本稿では、日本を代表する国際政治学者である高坂正堯氏の著書、『国際政治 恐怖と希望』から一節をご紹介したいと思います。
大衆の愛国的熱情は果たして我が国の外交に資するものなのでしょうか?私の答えは「否」です。
そこで本稿では、日本を代表する国際政治学者である高坂正堯氏の著書、『国際政治 恐怖と希望』から一節をご紹介したいと思います。
熱情をもって戦われた戦争はやめることがむずかしい。何回かの平和交渉にもかかわらず、いくつかの国が疲弊するまで第一次世界大戦がつづいたのには、この事情が大きく作用しているのである。冷静な利害の計算は入る余地がなかったのであった。
そして国際政治が、冷静な利害の計算によって動くのではなく、大衆の熱情によって動くことは、第一次世界大戦の特殊な現象に終わらなかった。なぜなら、それは大衆社会の特徴であり、したがって現代社会に根差す現象だからである。この事実は、各国の利害関係を正しく見きわめて対処するという外交の原則に大きな疑問を投げかけている。今日の外交官は、きわめて困難な環境において働かなくてはならないのである。
たとえ彼らが外交官のあいだで、相対立する利害の妥当な妥協点を見出すことができても、つぎに彼らは、それが国民によって受け入れられるかどうかを心配しなくてはならない。そして多くの場合、利害計算という見地からは妥当な結果が、国民の誤った事実認識や、先入観、あるいはイデオロギーの名において非難されるということになる。
大衆の愛国的熱情は果たして我が国の外交に資するものなのでしょうか?私の答えは「否」です。