憲法9条や領土紛争について、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と社民党党首・福島瑞穂氏のインタビューが今朝の産経新聞に掲載されていました。

【金曜討論】 「憲法9条」 櫻井よしこ氏、福島瑞穂氏 (産経新聞)

この両氏のインタビューを読んでいたら、中江兆民が1887年(明治20年)に著した『三酔人経綸問答』を思い起こしました。



『三酔人経綸問答』には三人の酒客が登場します。

一人は「紳士君」。彼は民主制の絶対的な信奉者で、即座に軍備を撤廃し、非武装・無抵抗を説きます。外交は無形の道義をもって行うべきで、仮に自国領土に攻め込まれてもすすんで滅びることで世界に範を垂れよと言います。もう一人は「豪傑君」。軍事力を信じ、漸進的軍備拡張による富国強兵を説き、国中の若者を徴兵して中国大陸進出を推奨します。そして最後は「南海先生」。彼は政治・経済に通暁した人物で、この三酔人が国家の在り方を論じます。

徴兵制や核武装を是とする櫻井氏と、かたや9条の道義性を信じて疑わない福島氏という構図は、「豪傑君」と「紳士君」そのものです。とりわけ、福島氏の言葉が本書の「紳士君」の言葉と実に相似したものだったので、興味深く拝読いたしました。

たとえば、福島氏は「他国からの攻撃にはどう対応するか」という問いに対してこう答えました。
「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」
福島瑞穂、産経新聞(2012/8/31)

同じように、『三酔人経綸問答』で「もしどこかの狂暴な国が、われわれの軍備を撤廃したのにつけ込んで出兵し、襲撃してきたらどうします」という問いに対して「紳士君」は次のように返します。
私は、そんな狂暴な国は絶対ないと信じている。(中略)彼らがなおも聞こうとしないで、小銃や大砲に弾をこめて私たちを狙うなら、私たちは大きな声で叫ぶまでのこと、「君たちは、なんという無礼非道な奴か。」そうして弾に当たって死ぬだけのこと。
59〜60ページ。

福島氏や「紳士君」のような思想は兆民の時代から100年以上を経た現代でも根強いですし、一方の「豪傑君」のような勇ましい系の意見もず〜っと存在し、先般の領土問題にまつわるゴタゴタ以来、日中韓それぞれで増殖している状況です。この「紳士君」と「豪傑君」の論争に対して、南海先生は以下のように二人の意見を評しました。
紳士君の説は、ヨーロッパの学者がその頭の中で発酵させ、言葉や文学では発表したが、まだ世の中に実現されてないところの、眼もまばゆい思想上の瑞雲のようなもの。豪傑君の説は、昔のすぐれた偉人が、百年、千年に一度、じっさい事業におこなって功名をかち得たことはあるが、今日ではもはや実行し得ない政治的手品です。瑞雲は、未来への吉兆だが、はるかに眺めて楽しむばかり。手品は、過去のめずらしいみものだが、ふり返って痛快がるばかり。どちらも現在の役に立つはずのものではありません。
93ページ。

そして、南海先生はさらにこう付け加えます。
進化の神にも憎むところのものが一つあることは、知っておかねばならない。政治家のくせに進化の神の憎むところのものを知らないなら、まったく計り知れない禍いが生まれます。(中略)進化の神の憎むところのものはなにか。その時、その場所において、けっして行い得ないことを行おうとすること、にほかなりません。
95〜96ページ。

南海先生は「豪傑君」の軍備拡大主義にも次のように言及します。
二つの国が戦争を始めるのは、どちらも戦争が好きだからではなくて、じつは戦争を恐れているために、そうなるのです。こちらが相手を恐れ、あわてて軍備をととのえる。すると相手もまたこちらを恐れて、あわてて軍備をととのえる。双方のノイローゼは、月日とともに激しくなり、そこへまた新聞というものまであって、各国の実情とデマとを無差別に並べて報道する。はなはだしいばあいには、自分じしんノイローゼ的な文章をかき、なにか異常な色をつけて世間に広めてしまう。そうなると、おたがいに怖れあっている二国の神経は、いよいよ錯乱してきて、先んずれば人を制す、いっそこちらから口火を切るにしかず、と思うようになる。そうなると、戦争を恐れるこの二国の気持ちは、急激に頂点に達し、おのずと開戦になってしまうのです。今も昔も、どこの国も、これが交戦の実情です。もし片一方の国が、ノイローゼにかかっていないときは、たいていのばあい、戦争にまではならず、たとえ戦争になっても、その国の戦略はかならず防衛を主とし、ゆとりがあり、また正義という名分を持つことができるので、文明史のうちに否定的評価を記入されることは、けっしてないのです。
106〜107ページ。

これは『安全保障のジレンマ(security dilemma)』の本質を突いたもので、現在の日中、日韓関係における危機管理にも敷衍しうる見方ですね。マスコミや今日のSNSの弊害などもここには含まれていると言えるのではないでしょうか。

南海先生自身の方策としては、多国間の友好関係の重要性を唱えます。また、彼は今の日本が掲げる「専守防衛」の理念をすでに持っていたという観があります。そして、紳士・豪傑両君の論を上記のように駁した上で、外交上の良策とは決して奇抜なものではない、と結んでいます。
ふだんの雑談のときの話題なら、奇抜さを争い、風変りをきそって、その場かぎりの笑い草とするのももちろん結構だが、いやしくも国家百年の大計を論ずるようなばあいには、奇抜を看板にし、新しさを売物にして痛快がるというようなことがどうしてできましょうか。
109ページ。

「紳士君」と「豪傑君」のジレンマは古今東西の国家において共通の問題です。今後もあらゆる国家の内外で、この二つをめぐって論争が絶えることはないんでしょうね。