Thucydides
(トゥキディデス 紀元前460年頃 - 紀元前395年)


突然ですが、トゥキディデスの『戦史』を読んだことがあるでしょうか?

『戦史(History of the Peloponnesian War)』は、紀元前5世紀の古代ギリシャ世界で発生したペロポネソス戦争の記録です。現代国際政治学の議論はすべて、『戦史』の中に記されてあると言われるほど示唆に富んだエッセンスが含まれています。

『戦史』というと、人間とその集団の行動の源泉が「名誉心」、「恐怖心」、「利得心」にあるとしたことで知られます。これはまさにリアリズムの真髄であるとされ、いまでは名誉、恐怖、利益が戦争の3大原因であるというのは有名ですね。この3要素については『戦史』を通じて何度か同じ主旨のくだりがあります。

… 名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機のとりことなったわれらは、手にしたものを絶対に手放すまいとしているにすぎない。また強者が弱者を従えるのは古来世のつね、けっしてわれらがその先例を設けたわけではない。… 正義を説くのもよかろう、だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の分別にかかずらわって侵略を控える人間などあろうはずがない。

一巻 アテーナイ人の演説より ――久保正彰(翻訳)、『戦史』(上)、126ページ。

上記引用のような箇所を読むと、『戦史』は人間の本性は邪悪な性悪説に立つものだという解釈があるのも頷けます。ハンス・モーゲンソーが「生への衝動、繁殖への衝動、支配への衝動、といったものはすべての人間に共通する」(『国際政治―権力と平和』、37ページ)としているのは、『戦史』の原理主義的な部分を受け継いだものだと言えます。『戦史』を語る際に取り上げられることの多い「メーロス対談」も、そこだけ切り取って読むといわゆる分かりやすいリアリズムの典型と映るかもしれません。



しかし、そうした単純で分かりやすいリアリズムだけでくくってしまうのではなく、心理学や認知科学に基づいたアプローチを試みれば、より複雑な安全保障概念が『戦史』に盛り込まれていることが分かるよ、と指摘したリアリストもいます。ジョン・ハーツやリチャード・ルボウ、ロバート・ジャービス、ジャック・スナイダーらです。彼らは安全保障のジレンマや危機管理、意思決定分析の領域に『戦史』のエッセンスが利用可能であることを証明しました。

私も以前、とある先生に教えて頂いて『戦史』を読むにあたり、薦められた箇所がありました。それは、世間一般に知られているメーロス対談に代表される『戦史』ではない『戦史』の一面でした。アテナイの同盟国であるミュティレーネーが反乱を起こしたことに対し、ミュティレーネーの男子全員を処刑するか否かで議論が分かれた時、処刑に「実利」がないと反論したディオドトスの演説です。長いので端折りつつ引用します。

…良き判断を阻む大敵が二つある、すなわち、性急と怒気だ。性急は無思慮におちいりやすく、怒気は無教養の伴侶であり狭隘な判断をまねく。また誰であれ、理論をもって行動の先導者たらしめることに頑迷に異論を唱えるものは、暗愚か、偏見か、そのいずれかのそしりを免れえない。

…希望と執着がいずれの場合にもつきまとい、希望が先を走り、執着が後まで尾を引く。そして執着はいつしかひそかな陰謀を生み出し、希望は易々たる僥倖の幻影を目前にちらつかせるが、しかしそのいずれも眼にはさだかに見えぬから、目にみえる危険よりも強い力を振って人を惑わし、最大の破局におとしいれる。さらに、思いがけない幸運が、これらに加わると、いずれに勝るとも劣らぬ力をふるい、人間をうつろな勇気に駆りたてる。…予期せぬ好機につかまれると、往々にして人間は実力や準備の欠陥をも度外視して、危険な賭にさそわれるからだ。…敵にたいして冷静な配慮を失わぬ者は、力のみを頼みに愚昧な挙を犯す者にまさる。

三巻 ディオドトスの演説より ――久保正彰(翻訳)、『戦史』(中)、60〜68ページ。

ディオドトスの意見は、怒りにまかせて勇ましい正義論を説くクレオン将軍と真っ向から対立するものでした。このディオドトスの演説がクレオンを論駁していることからも見てとれるように、『戦史』はけっして単純なリアリズム一点張りの歴史書ではありません。意思決定において性急と怒気、希望と執着が適切な判断を失わせる、というのも興味深いですね。

そしてさらに注目したいのは、幸運によって得た勝利という成功体験が生む希望的観測に、トゥキディデスが警鐘を鳴らしている点です。人は自身に一度起こった幸運が再び起こる確率を高く見積もる傾向があるため、不運だけではなく、幸運が身を滅ぼすもとになる、というわけです。例えば、前回のエントリで取り上げたキューバ危機は結果として危機管理に成功した形ですが、成功の陰に幸運が大きな影響をもたらしていました。ところが、その成功体験が、後のベトナム戦争に先行する危機においてアメリカの判断を誤らせたことは当時の関係者が指摘するとおりです。戦前の日本においては真珠湾での成功もその一つでしょうし、さかのぼれば、元寇の際の「神風」もカウントできるかもしれません。反対の例はどうでしょう。織田信長は桶狭間の成功体験を自分の実力だと勘違いしていませんでした。あのような寡兵による奇襲が人生で何度も上手くいくものじゃないと分かっていたのかもしれませんね。もしそうだとしたら、上総介はすごい奴です。

ディオドトスの演説から2年後、ピュロス、スパクテーリアの攻防戦においてアテナイは暴風という偶然によって幸運が発生し、望外の勝利を手にします。しかしアテナイはさらに多くを求め、スパルタの和平案を拒否。「つねに得ることに懸命であるために、すでに手中にあるものを楽しむ暇はほとんどない」(『戦史』一巻より 久保前掲書(上)、120ページ)状態に陥ったアテナイは、その後次々と敗戦を重ね、前405年にスパルタを盟主とするペロポネソス同盟に降伏しました。ディオドトスの懸念が不幸にも的中した結果となったのです。

 
『戦史』を読み返してたらいろいろまとめてみたいことができたので、少しずつスピンオフっぽいエントリを書いてみようかな、と思っています。

  

【参考資料】