有名なのでご存知の方も多いと思いますが、『リアリズムと防衛を学ぶ』という素晴らしいブログがあります。しばらく更新が無かったのですが、最近また『リア防』様らしいエントリを書かれていますね。読者として嬉しい限りです。

そして、新着記事はこちら。『「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例』 です。この記事を拝読し、私なりに思いついたことがあるので少し書き留めてみたいと思います。テーマは、「戦争の動機」です。いろいろありますが、本稿では2つ取り上げてみます。


機会を動機とした戦争
まずひとつは、相対的な強さがその国家の武力行使の動機を決める、という考え方です。この考え方は、国家の基本的な行動原理を影響力の最大化であるとするため、自分の国力が大きくなった分、弱くなった他者に対しては強く出ることになります。『戦史』の一節を引いてみましょう。

  • 「力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の分別にかかずらわって侵略を控える人間などあろうはずがない」
    一巻 アテーナイ人の演説より
  • 「強きがいかに大をなし得、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱し得るか」
    五巻 メーロス対談より

ジャニス・G・スタインはこれを「機会を動機とした戦争(wars of opportunity)」と名付けました※1。「機会を動機とした戦争」は、武力を行使すれば望むものを獲得できるんだ!という計算に基づいた行動ではあるものの、その計算の多くは誤算―誤った楽観主義―がベースになっています。誤った楽観主義の例はいくつもあります。例えば、ロシアによる対日戦争(1904年)、ドイツの対ロ戦争(1941年)、金日成による朝鮮戦争(1950年)、そして湾岸戦争におけるフセインの対米評価及びアメリカの対フセイン評価(1990年)が挙げられます。

他にも、相手の軍事力・意思決定能力を読み誤ったばかりに、武力行使を仕掛けた側が大きな痛手を被ることがありますね。相手のコスト・トレランス(損害受容度)を読み誤ってしまうと、いくら彼我のパワーに差があってもベトナム戦争のように泥沼化します。これらの諸要素をすべて正確に評価できるはずもなく、戦争が誤算の積み重ねでしかないことは歴史を振り返るまでもありません。


脆弱性を動機とした戦争

もうひとつは、自国の安全が脅威にさらされていると怯えていたり、もしくは将来今の優位を失うかもしれない予感に耐えられずに武力行使に訴える場合です。「脆弱性を動機とした戦争(wars of vulnerability)」と呼ばれます。

リチャード・ルボウは『戦史』に言及した著書で、「トゥキディデスの紛争へのアプローチの特徴は、攻撃的外交政策の根本的な原因として強さより弱さの重要性を強調している」と述べています※2。事実、アテネとスパルタの間に戦争が起こったのは、スパルタが不安を持っていたことだけではなく、アテネの側にも今まで築き上げてきた優位(制海権)を失うかもしれないという不安があったからです。トゥキディデスの言う「性急」または「恐怖」ですね。

脆弱性とは、対外的(国際政治)な脆弱性もあれば対内的(国内政治)な脆弱性もあります。戦争は、外に向かって侵略的野心を持った国が「機会を動機」として勃発させるものだ、とばかり考えるのは間違いです。内や外に脆弱性を感じた者は、現状に挑戦することで自らを不安から救出できる可能性を過大評価する傾向が強いために、「窮鼠猫をかむ」的な歴史的事例は実に多いのです。

例えば、第一次大戦前夜の欧州。この時期、露仏への脅威を抱いていたドイツは軍備増強を進めていました。ロシアはこれに危機感を抱き、鉄道網を拡大しますが、ドイツにとってみればこれは対独戦争準備に映りました。ドイツが自分の戦略的脆弱性がますます高まっていると感じていた矢先、サラエボ事件でロシアがドイツ抑止のために陸軍を動員したことでドイツの不安は爆発します。何もしないでいると敗北するという恐れから、ドイツは先制攻撃を仕掛けたのです。つまり、ドイツの攻撃の動機は戦略的優位ではなく戦略的脆弱性でした。ペロポネソス戦争のアテネと同様に、「性急」または「恐怖」が武力行使の引き金となったのです。

太平洋戦争も「脆弱性を動機とした戦争」です。対米戦力比を考慮すれば、日米戦争は成算の立つはずのものではありませんでした。であるのになぜ、日本軍首脳は開戦に踏み切ったのでしょうか。ここでも、「性急」と「恐怖」が作用しています。まず、日本は対米交渉でアメリカからタイムプレッシャーを受け、石油も時間とともに枯渇していく状況でした。時間の制約は意思決定に「性急」を課し、焦りをもたらします。さらに、米海軍のハワイ、グアムへの戦艦配置や欧州戦線での同盟国ドイツの戦況悪化などで日本は孤立の「恐怖」に苛まれました。たどり着いた真珠湾の奇襲は「機会を動機」とした武力行使ではなく、まさに「絶望の果ての結果」※3であり、脆弱性ゆえの自暴自棄が原因でした。

「脆弱性を動機とした戦争」の例は他にも、第3次・第4次中東戦争、そしてフォークランド紛争などが含まれます。いずれも自分が相手に勝てると確信したからではなく、自分の国内外における戦略的脆弱性を相殺しようとして強硬な行動をとったのです。


誤解・誤算を避けるために
戦争の多くは「意図せざる不注意な戦争(inadvertent war)」です。思い込みによって自ら勝手に誤解・誤算の淵に落ち、相手にとっては明白な動機を、戦争が起こってしまった後で「まさか」…と悔やんでも後の祭りです。

本稿で挙げた以外にも、武力行使の動機にはいくつか種類があります。抑止や強制外交を施す側は、相手の動機によってアプローチの仕方を変えることが求められます。さもなければ、相手の退路を断ってむやみに戦争をけしかけることになるかもしれませんし、反対に宥和と取られるようなメッセージを送れば、相手につけ込まれてしまう危険もあります。抑止力のための軍事力を増強するにしても、相手の動機を読み誤ったまま進めるとリソースの無駄遣いになりかねませんよね。

特に、「機会を動機とした戦争」よりも、「脆弱性を動機とした戦争」の方が兆候を感じ取りにくいものです。相手は自分の焦りや恐怖を知られたくありませんからね。そしてひとくちに脆弱性と言っても、国内政治基盤の不安定性であったり係争相手国との相対的戦力における不均衡であったりと、焦りや恐怖を感じるポイントは様々です。

「戦争なんか起こるわけがない」という思い込みは危険ですし、「あいつはこういう理由で戦争を仕掛けてくるに違いない」と思い込むのもまた危険なのです。



注※1 Janice Gross Stein, “The Security Dilemma in the Middle East : A Prognosis for the Decade Ahead,” in Bahgat Korany, Paul Noble, and Rex Brynen, eds., The Many Faces of National Security in the Arab World, pp. 56-75. 参照。
注※2 Richard Lebow, The Paranoia of the Powerful: Thucydides on World War III, pp. 10-17.
注※3 Paul Schroeder, The Axis Alliance and Japanese-American Relations, p. 201.

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