シビリアン・コントロール(文民統制)という言葉を聞いたことがあると思います。政治が軍を統制することですね。シビリアン(文民)とは、市民、官僚、政治家などを指し、我が国では内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持っています。

シビリアン・コントロールの厳密な定義はさておき、一般的には「軍の暴走を食い止めるための装置」といったふうにとらえられているのではないでしょうか。

過去に軍部が独走した体験を持つ日本では、軍事的な存在そのものに恐怖や嫌悪感を抱く人がいることは事実です。これは日本に限った話ではありません。戦争や軍拡競争といった問題は軍によって引き起こされるのだ、という考え方は世界的にも根強いものだと言えるでしょう。

私もシビリアン・コントロールは必要だと思います。しかし同時に、「軍は戦争の原因」だとか「軍人は戦争を望む」という見方は一面的です。実際のところ、日本やアメリカ、イギリスといった国内統治が安定したデモクラシー(民主政)において、シビリアン・コントロールのもとにある軍は暴走することなどほとんど不可能な仕組みになっています。心配すべきはむしろ、軍を統治するシビリアンは果たしてそれほど抑制的なのか、というところではないでしょうか。

この「軍が好戦的で、シビリアンは抑制的だ」というステレオタイプに挑戦しているのが、三浦瑠麗著『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』です。



本書は、事例研究として、クリミア戦争、第1次・第2次レバノン戦争、フォークランド紛争(本書内では「フォークランド戦争」)、イラク戦争を挙げ、デモクラシー国家のシビリアンが軍の反対を聞き入れずに開戦決定していく経緯をつまびらかにしています。

本稿ではこの中からフォークランド紛争を取り上げてみたいと思います。


背景

フォークランド紛争の一般的な背景は本稿では割愛します。

【参考記事】 教訓が盛りだくさんのフォークランド紛争

1960年代、イギリスは帝国の立場から撤退を始め、1970年代末には最盛期に比べて軍の規模を著しく減少させていました。当時、アフリカの植民地は次々に独立し、同様に遠隔地にあるフォークランド諸島についてもイギリスは放棄を検討するほどでした。フォークランドの防衛など関心が払われるはずもなく、1976年にアルゼンチンが諸島の一部であるサウス・スーリを占領した際には、イギリスのキャラハン政権は見て見ぬふりをしたくらいです※1

続くサッチャー政権も就任当初はフォークランドに対する領有権意識は低いものでした。防衛予算はさらに削減され、厳格なシビリアン・コントロールのもとで軍の影響力は極めて限定的なものとなっていました。こうした状況がフォークランドを含めた英軍のプレゼンス低下を招き、その「権力の空白」をアルゼンチンが衝いた形となったのです。

両国の緊張は、1982年3月19日、アルゼンチン側がサウス・ジョージア島に国旗を立てたところから始まります。アルゼンチン側の状況説明は本稿の主題から外れるので省略しますが、「アルゼンチンが軍政だったから侵攻した」という見方を本書は否定しています※2。理由として、アルゼンチンにはもともとフォークランドを奪還したいという願望が国民の間にあったことを挙げています。民主化した現在のアルゼンチンもマルビナス(フォークランド)の領有権を主張していることを考えれば、本書の意見は一定の妥当性があるのではないでしょうか。


開戦を渋る軍人たち

イギリスはアルゼンチンがフォークランドへ上陸するなどまるで考えていなかったため※3、防衛態勢が整っていませんでした。

その状態で上陸作戦を含む武力奪還作戦を強行すれば、相当数の死傷者を出すことが明らかでしたから、軍関係者はこぞって軍事力行使に慎重姿勢を表明します。ノット防衛相、ウィギン防衛担当国務相、ルーウィン参謀総長、そして海軍参謀本部は武力奪還の難しさを説き続けました。上陸作戦を指揮したトンプソン海兵隊准将はフォークランド紛争を「アルゼンチンに負けるはずの戦争」だったと形容していますし※4、空母戦闘群を率いたウッドワード海軍少将、原潜部隊を指揮したハーバート海軍中将といった高級軍人たちの多くが戦争の勝利はおぼつかないものだという予測を立てていました。

軍上層部が開戦に反対した理由は、人命コスト、失敗の可能性とその責任問題、戦争の必要性への疑義でした。英本国から遠く離れた島(戦前には手放そうとまで考えていた)の被占領が、国家の安全保障の根幹を揺るがす問題であり戦争が必要なものであるかどうか、となると軍関係者は否定的だったのです。国家にとって領土問題は妥協の許されないものですから一方的な譲歩はあり得ませんが、外交を通じて問題を解決する余地があるのではないか、という抑制的な態度を軍は示していました。

つまり、主権侵害の事例においてさえ、軍は戦争の必要性に疑問を投げかけることがあるのです。これを見ても、「軍は従来仮定されてきたほど硬直的な思考を持っているわけではない」※5という側面がうかがえます。


拳を振り上げるシビリアン(首相・議会)

3月29日、サッチャー首相は原子力潜水艦3隻を含む機動部隊の派遣を決定。サッチャーは31日には開戦の意思決定をしており、かなり早い段階で外交交渉という抑制的な選択肢を捨てていたようです※6。4月3日、サッチャーは下院で決意表明演説をし、軍事力によってフォークランドの行政回復を国民に約束します。開戦後も国連やアメリカが停戦交渉を働きかけましたが、サッチャーは応じようとはしませんでした。

軍は、政府・議会に対して軍事的観点から作戦の困難さを繰り返し説明しますが、開戦決定が下される過程にはあまり影響を及ぼしませんでした。イギリスのようにシビリアン・コントロールが貫徹しているデモクラシーでは、将校も兵卒も軍の規律に反した行動をとることはできません。シビリアンがいったん戦争を決意すれば、政府の開戦決定を思いとどまらせることはできないのです。

サッチャーは、なぜ戦勝の見込みが立っていない段階で開戦に踏み切ったのでしょうか?

本書では、戦争をしないことで高まる自らの国内政治リスク(支持率低迷・失脚)を、人命コスト(死傷者)よりも重く見積もったのだと分析しています※7。事実、開戦前に低迷していたサッチャー政権の支持率は戦後に大きく上昇し、ついには総選挙の勝利ももたらしました。

また、サッチャー首相だけでなく、議会も武力奪還を強く推進する立場をとりました。

4月3日の議会では与野党ともにアルゼンチンを非難し、機動部隊の派遣に賛成します。国家の存亡にかかわる問題でなくとも、正義のために戦争をすべきであるという意見が大勢を占め、軍が見せたような抑制的態度とは正反対でした。野党・労働党のフット党首は「われわれには道徳的な責任、そしてあらゆる類の責任がある」※8と宣言し、トーマス下院議長(労働党)に至っては「いまここで宥和すればベリーズ、ジブラルタルの主権までが脅かされる」※9という大袈裟な表現で危機をあおっています。

軍事の専門家が首をひねった軍事作戦を、シビリアンは正義や道徳といった情緒的な理由づけをすることで正当性を与えて軍を従わせました。


好戦的なシビリアン(メディア・国民)

戦争期間を通して、メディアは一貫して好戦的でした。BBCや『タイムズ』は作戦にまで口を出し、政権や現地司令官を無能で臆病だと非難し続けます。

一般的なイギリス国民はフォークランド諸島が地図上のどこにあるのかさえ知りませんでしたが、彼らも軍事力行使を強く支持しました。世論調査ではサッチャー政権の戦争遂行方法に対し、5月末〜6月中旬ごろには84%の支持が集まっています※10。アルゼンチン軍艦への攻撃や地上部隊の投入という烈度の高い軍事作戦についても、8割〜9割弱の人々が賛成していました※11

犠牲者数が増えた戦争終盤においてもこの傾向は変わらず、国民の戦争支持は人命や金銭的コストに左右されなかった点も本書は指摘しています※12

大衆や庶民が政治に参加することは望ましいことですが、彼ら(我々)が抑制的=平和的であるとは限らないということをこの事例は明示しています。また、戦争に賛成するためには難しい政治思想ではなく、分かりやすい正義感さえ持てればよいのですから※13、議会やメディアが戦争の大義や正当性を掲げるのは正解と言えます。


本当は怖いシビリアンの暴走

シビリアン・コントロールが強い国では、軍はシビリアンの求める戦争に応じない選択肢はなく、シビリアンがやりたがらない戦争をする自由はありません。軍の暴走は、統治の安定したデモクラシーではほとんど起こり得ないでしょう。

本書のハイライトは、シビリアン・コントロールのもとでシビリアンの暴走を止めることがいかに難しいか、という点です。

イギリスやイスラエル、そしてアメリカで見られたデモクラシーにおけるシビリアンの暴走は、我が国でも起こり得ます。例えば、日露戦争開戦直前の七博士意見書、講和条約(ポーツマス条約)締結後の日比谷焼打ち事件は有名なところですね。太平洋戦争前〜中にかけて、新聞は国威発揚のための記事を書いていましたし、現在も国際問題に軍事的知見を欠いたまま強硬論を展開するメディアは存在します。

現実の外交問題は白に近いグレーや黒に近いグレーで均衡を保っているものがほとんどですが、メディアは、白か黒か勝ちか負けかというような分かりやすい構図にしてしまいがちです。読者や視聴者にとっては分かりやすいストーリーなのですが、そこで貼られるレッテルを怖れてシビリアンは軍の専門的意見を封殺し、ナビゲーションを失ったまま暴走する危険性をはらむことになります。本来の目的は軍事的な「国防」であるはずのものが、「相手をギャフンと言わせること」というレベルになってしまった時、そこで犠牲になるのは兵士なのです。

もちろん、軍が必ず正しいというのも間違いです。朝鮮戦争におけるマッカーサーの罷免は、シビリアン・コントロールが効果的に機能した例でしょう。しかし、軍という存在を好戦的なものであり戦争を引き起こす原因であるという固定観念があると、シビリアンの暴走や過熱を見逃してしまうかもしれません。

軍靴の足音を立てているのは、軍かシビリアンか。シビリアン・コントロールの徹底した国だからこそ、シビリアンの暴走を警戒しなければいけないのかもしれませんね。


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本稿で取り上げたフォークランド紛争、そしてその他の事例においても、開戦そのものが是か非かという議論でないことはここで確認しておきたいと思います。本稿ならびに『シビリアンの戦争』のテーマは、「シビリアンは軍よりも抑制的なのか」という点を見つめるものです。フォークランド奪還のための派兵というイギリスの決定は正しいのか、とか、アメリカのイラク派兵は愚かな選択であったか、といったことは議論の範疇ではございません。

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作戦や戦術といった純軍事的なアプローチによる著作は多いですが、本書のような切り口は新鮮でした。共和制や徴兵制に言及した部分は賛否分かれるかと思われますが、それも含めて刺激のある一冊です。お勧めです。


注※1 『シビリアンの戦争』、111-113ページ。
注※2 前掲書、第6章注釈(16)、37ページ。
注※3 産経新聞、フォークランド侵攻予期せず…「鉄の女」も混乱 サッチャー氏の証言公開(2012/12/29) ただし、侵攻の情報自体は事前に入手していました。まさか実行に移すとは考えていなかったのですね。
注※4 前掲書、121ページ。
注※5 前掲書、217ページ。
注※6 前掲書、116-120ページ。しかし、当時出動可能態勢にあった原潜はジブラルタルにいた1隻のみでした。
注※7 前掲書、210-211ページ。
これは、ケネス・ウォルツが『Man, the State, and War: A Theoretical Analysis』において提示した、3つのイメージによる分析ですね。国や国家間の構造・システム分析(サード・イメージ)では説明しきれない政治指導者(シビリアン)の開戦動機を、本書はファースト〜セカンド・イメージを用いて考察しています。ウォルツの3つのイメージについては、奥山真司博士のブログに詳しく解説されてあります:『地政学を英国で学んだ:国際関係の「三つのイメージ」:再録』 
注※8 前掲書、124ページ。
注※9 前掲書、125ページ。
注※10 前掲書、126ページ。
注※11 前掲書、126ページ。
注※12 前掲書、126ページ。
注※13 前掲書、69ページ。