以下は、国際政治学者の高坂正堯の言葉です。
この文章は、日本の安全保障体制の方策の一つとして中立主義を主張した坂本義和に対し、高坂が反論したものです。いわゆる「リアリスト(現実主義者)vsアイデアリスト(理想主義者)」論争として60年代に注目を集めました。
高坂は、けっして中立主義そのものを否定したわけではありません。外交に価値の問題を導入した中立論の役割は認めています。高坂が反論したのは、坂本が “絶対平和” を揺るがせない目的としたことによって具体的目標として中立論しか見えなくなり、手段を軽視したところにあります。高坂いわく;
目的さえ決めてしまえば、手段やその他のことは野となれ山となれ…、とまで坂本は言ったわけではありませんが、目的を固定化した地点で思考を停止してしまっているとの指摘は免れません。手段は必ずしもベストを選択できるわけではなく、多くの場合は限られたリソースの中でよりましなものを選択できれば上出来なくらいですから、手段の検証は目的の設定と等しく重要なはずです。「目的の絶対化」や「目的と手段の没交渉」は、手段がもつ可能性と危険性についての見積もりをくもらせてしまう、と高坂は説いているわけですね。
この高坂の文章は、国際政治の文脈で語られたものですが、それだけにとどまらない意味を含んでいると思いませんか?
参議院議員選挙の投票日が明後日に迫っていますが、「脱○○」とか「反○○」、そして「憲法改正」といったものを政策として掲げている党や候補者がいます。上記引用文の「中立」の部分を、「脱○○」・「反○○」・「憲法改正」に置き換えて考えると、高坂の懸念が過去のものではなく、また国際政治に限ったものでもないことが分かります。「脱○○」・「反○○」・「憲法改正」といった抽象的政策目標を提示し、それに対するyes/noという二元論で有権者に問いかける手法は分かりやすいものではあります。しかし、たとえば自分の設定した目的を問答無用に正しいものだと絶対視して、手段の検証を怠るならば、その姿勢は無責任もしくはエゴイスティックなものと言わざるを得ません。
目的や手段が絶対化されていないか、目的と手段との間で “生き生きとした会話” が交わされているかどうか、といった点を投票の際の審査基準にしてみてはいかがでしょうか。
重要なことは目的と手段の間の相関関係、すなわち手段が目的によって規定されるだけでなく、目的もまた手段によって規定されるということなのである。中立論者は、憲法第九条のかかげた絶対平和を目的として絶対視するついでに、政策上の目的としての中立を自明のこととして引き出してしまうのである。(中略)しかし、この絶対的目的を達成するにいたる個々の具体的目標―たとえば中立―は、とりうる手段との相互関連において決定されるべきものなのである。手段と目的との間の生き生きとした会話の欠如こそ、理想主義者の最大の欠陥ではないだろうか。
この文章は、日本の安全保障体制の方策の一つとして中立主義を主張した坂本義和に対し、高坂が反論したものです。いわゆる「リアリスト(現実主義者)vsアイデアリスト(理想主義者)」論争として60年代に注目を集めました。
高坂は、けっして中立主義そのものを否定したわけではありません。外交に価値の問題を導入した中立論の役割は認めています。高坂が反論したのは、坂本が “絶対平和” を揺るがせない目的としたことによって具体的目標として中立論しか見えなくなり、手段を軽視したところにあります。高坂いわく;
したがって私は、坂本氏の言うように、「この地点でわれわれに迫っている焦眉の課題は、中立への方向転換である。もし中立への方向さえ決定するならば、あとの問題は高度に技術的になる」とは考えない。坂本氏の言う「高度に技術的な問題」こそ私にとっては重要であり、この「技術的な問題」が、ある場合には、目標の設定に大きな影響を及ぼすものなのである。高坂前掲書、16ページ。
目的さえ決めてしまえば、手段やその他のことは野となれ山となれ…、とまで坂本は言ったわけではありませんが、目的を固定化した地点で思考を停止してしまっているとの指摘は免れません。手段は必ずしもベストを選択できるわけではなく、多くの場合は限られたリソースの中でよりましなものを選択できれば上出来なくらいですから、手段の検証は目的の設定と等しく重要なはずです。「目的の絶対化」や「目的と手段の没交渉」は、手段がもつ可能性と危険性についての見積もりをくもらせてしまう、と高坂は説いているわけですね。
この高坂の文章は、国際政治の文脈で語られたものですが、それだけにとどまらない意味を含んでいると思いませんか?
参議院議員選挙の投票日が明後日に迫っていますが、「脱○○」とか「反○○」、そして「憲法改正」といったものを政策として掲げている党や候補者がいます。上記引用文の「中立」の部分を、「脱○○」・「反○○」・「憲法改正」に置き換えて考えると、高坂の懸念が過去のものではなく、また国際政治に限ったものでもないことが分かります。「脱○○」・「反○○」・「憲法改正」といった抽象的政策目標を提示し、それに対するyes/noという二元論で有権者に問いかける手法は分かりやすいものではあります。しかし、たとえば自分の設定した目的を問答無用に正しいものだと絶対視して、手段の検証を怠るならば、その姿勢は無責任もしくはエゴイスティックなものと言わざるを得ません。
目的や手段が絶対化されていないか、目的と手段との間で “生き生きとした会話” が交わされているかどうか、といった点を投票の際の審査基準にしてみてはいかがでしょうか。