先頃、内閣法制局長官に集団的自衛権行使容認派とみられる小松一郎駐仏大使の就任が閣議決定されました。安倍首相は、秋の臨時国会で集団的自衛権の行使容認を表明する方向だと伝えられており、内閣法制局人事はそれに向けた動きのひとつとされています。

集団的自衛権は、これまでにも周辺事態法や日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)制定の際に大きな焦点となってきましたが、今回は行使容認に向けて首相がイニシアティブをとっており、より本格的なものに見えますね。当ブログでは、後日、ミサイル防衛に関して集団的自衛権の記事を書くつもりですので、その前に集団的自衛権問題の初歩の初歩をまとめておこうと思います。

新聞やテレビでも集団的自衛権にまつわる記事を目にする機会があると思いますので、その際の予備知識となれば幸いです。ただ、私は集団的自衛権行使容認派です。その視点からの記事であること、さらには憲法改正ではなく、解釈変更によって行使解禁すべき、との立場であることをお含みおきください。


集団的自衛権とは
集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」のことです。国際法上、個別的自衛権と同様に国家が有する権利です。

明文化されたのは、国連憲章第7章第51条に定められた1945年6月を初めとします。憲章制定以前、集団的自衛権という概念こそ存在しなかったものの、集団的自衛権の行使事例は国際政治史上に発見することができます。


集団的自衛権と集団安全保障
集団的自衛権と集団安全保障のふたつはよく混同されがちですが、それぞれが想定する「敵」が外側にいるか内側にいるかという点が違います。

まず、集団的自衛権をもとに結ばれることの多いのが、集団防衛モデルです(図1)。

集団防衛モデル
(図1)

集団防衛は、特定の国家(最近は非国家アクターも含む)の脅威に対する共同防衛を目的に結集します。すなわち、「敵」は同盟の外側にいます。北大西洋条約機構(NATO)、ワルシャワ条約機構(WTO)、日米同盟、米韓同盟などが実例です。

次に、集団安全保障モデル(図2)。

集団安全保障モデル
(図2)

一定の国家集団の中に潜在的/顕在的脅威を取り込み、その脅威が不当に武力を行使して平和を破壊すると、参加国が結集して対処します。すなわち、「敵」は同盟の内側にいます。国際連盟、国際連合が実例です。NATO、米州機構(OAS)、アフリカ連合(AU)という地域レベルで成立することもあります*1

国連という集団安全保障体制があるのに、どうして米韓同盟やNATOなどの集団的自衛権に基づく軍事同盟があるのでしょうか?

その理由は、国連加盟国が、「国連による集団安全保障」が機能すると信じていないからです。国連憲章第39条が定めるように、「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定」するのは安全保障理事会ですが、5大国が拒否権を持つ限り、客観的な判断は望めませんし、なにより、安保理の決議を待っていては差し迫った脅威に対応できない危険性があるのです。

もうちょっとだけ具体的に説明します。武力行使の濫用は、日本国憲法で謳うまでもなく、国連憲章でも厳しく制限されているものです(国連憲章第1章第2条-4)。脅威が発生した場合には、憲章第7章第42条に基づき、国連安全保障理事会の決定による軍事的強制措置がとられることになっていますが、先述の通り、脅威の拡大状況によっては、間に合いません。その場合の例外的措置として、個別的自衛権と集団的自衛権によって、国家は自衛手段をとることが認められています。したがって、集団的自衛権と集団安全保障は、現在の国連を中心とした秩序においては、互いに補完関係にあるといえますね。


我が国における集団的自衛権の位置づけ
集団的自衛権について、我が国はユニークな立場をとっています。

 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。


上記引用は、「81年答弁書」と呼ばれ、歴代内閣によって踏襲されてきた内閣法制局による解釈です。「国際法上保有するが、憲法上は行使不可」というものですね。なぜ集団的自衛権の行使=必要最小限度の防衛の範囲を超えるのか、個別的自衛権なら常に必要最小限度内にとどまるのか、といった疑問はありますが、「日本国憲法が制定された終戦直後の時代及び冷戦時代の国際関係、そしてこれらの時代における我が国国内の状況を反映するもの」(安保法制懇)としては、妥当な解釈だったと言えるでしょう。


なぜ行使容認が議論されているのか
現在、日本を取り巻く安全保障環境や国際社会が我が国に要求する役割を考える際、内閣法制局の言う「国際法上保有するが、憲法上は行使不可」という解釈では対応できない状況が現れています。それが、

  1. 公海における米艦の防護
  2. 米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃
  3. 国際的な平和活動における武器使用及び
  4. 同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する「後方支援」

4類型です。2007年5月に発足した第1次安倍内閣で設置された有識者懇談会「安保法制懇」がとりまとめた、集団的自衛権の行使が必要となる4つのシナリオです。とりわけ、弾道ミサイル技術とそれを迎撃するミサイル防衛技術の発達は、終戦直後や冷戦期に考慮せずとも済んでいた問題を我が国に突きつけています。弾道ミサイル脅威が、世界の中でも中国と北朝鮮が中心となって拡大している事実は否定できません。

また、2007年から6年を経て、脅威の対応を迫られているドメイン(領域)が宇宙空間やサイバー空間にまで拡がっています。サイバー戦争などの物理的境界どころか地図上の境界さえない空間での国際紛争が想定されているご時世に、「周辺事態」だとか「後方」だとかの概念がどれほど空虚なものであるかは言うまでもありません。

軍事技術の発達と周辺安全保障環境の変化、この二つが我が国に集団的自衛権の行使を迫っています。


集団的自衛権に対する解釈を「是正」すべきとき
今後、日本が対応を迫られる有事シナリオにおいて、集団的自衛権の行使は不可欠です。なかでも、弾道ミサイルの脅威は危機発生の蓋然性が比較的高く、緊急を要する事案です。例えば北朝鮮のムスダンがグアムに撃ち込まれるシナリオで、現状解釈のまま有事に突入して火事場泥棒的に解釈を変更すれば、中国や韓国は激しく反発するでしょう。だからといって平時と見られる現時点で解釈を変更しても、中韓から文句が出るのは避けられないでしょう。この件に関して、中朝韓への配慮が意味のないものであることは明らかです。

とはいうものの、平時において理性的に解釈を変更し、その理由と背景を国際社会に向けて説明するのとしないのとでは、与える印象が大きく違います。我が国が理解を求めるべきは中朝韓ではなく、アメリカや東南アジア諸国、NATOといった第三国です。そのためには、平時に冷静な結論を出したとの印象付けが必要ですから、やはり今から着手するのが妥当ではないでしょうか。

◇ ◇ ◇

集団的自衛権の行使が憲法違反であるかどうかを判断するのは最高裁判所ですから、一部のメディアで見かける内閣法制局を “憲法の番人” 扱いするのは間違いです。法制局の仕事は、内閣の活動に法的根拠を与えることですし、そもそも長官の任命権者は首相ですしね。内閣の一部である法制局が、内閣の統制を受けるのは当然なのです。こういう原則を振り返れば、集団的自衛権行使に対する解釈を「変更」するのではなく、「是正」するという防衛大学名誉教授・佐瀬昌盛氏の主張が、より現実に即した考え方ではないでしょうか。



*1 NATOは、ソ連をはじめとする共産主義陣営に対抗するための集団防衛モデルであると同時に、二度にわたりヨーロッパに戦禍をもたらしたドイツを封じ込める集団安全保障モデルという二つの性格を持ちます。


【参考資料】

【参考文献】