ウクライナにおける危機の発生は、戦争なんてめったなことでは起こらない、とタカをくくっていると危ないんだな、と改めて確認させられますね。確かに、世界大戦規模のものを想像するなら、めったに発生するものではないでしょう。しかし、19世紀、20世紀と比べてみても、2001年以降の約10年で戦争が減っているわけではないんです。大規模なものだけでもアフガニスタン、イラク、ダルフール、東ティモール、イスラエルとパレスチナ・レバノン、グルジア、リビア、シリアなどで戦争が起きています。むしろこのペースで行くと、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀よりも戦争の数だけ見れば21世紀の方が上回るかもしれません(2度の世界大戦を経験した20世紀と単純比較はできませんが)。

数え切れないほどの戦禍を経験しておいて、なぜいまだに戦争がなくならないのでしょうか。理由のひとつは、戦争が起きる「動機」が昔からほとんど変わっていないからです。本稿では、戦争がなくならない理由の一端をまとめてみます。


名誉・恐怖・利益


紀元前ギリシャの歴史家であるトゥキディデスは、人間とその集団の行動の源泉が名誉恐怖利益にあるとしました※1

…名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機のとりことなったわれらは、手にしたものを絶対に手放すまいとしているにすぎない。また強者が弱者を従えるのは古来世のつね、けっしてわれらがその先例を設けたわけではない。…正義を説くのもよかろう、だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の分別にかかずらわって侵略を控える人間などあろうはずがない。

一巻 アテーナイ人の演説より、『戦史 (上) 、126ページ

これはリアリズムの真髄であるとされ、今では戦争の3大原因とされています。

リチャード・ネッド・ルボウも、精神(spirit)、物欲(appetite)、理性(reason)、そして恐怖(fear)の4つのイメージを人間の行動原理として掲げています。その上でルボウは、「戦争は国民感情によって引き起こされる」と主張していますね※2。軍人よりもシビリアンの方が戦争を好む、という傾向に関しては、三浦瑠麗氏の著作が大変参考になります※3


「機会」に乗じた戦争※4


こうした名誉、恐怖、利益をベースに、戦争発生の2つの類型が考え出されました。ひとつめは、「機会を動機とした戦争(wars of opportunity)」です。

「機会を動機とした戦争」は、とある機会が訪れた際、軍事力を行使すれば望むものを獲得できるんだ!という計算に基づいて行動することです。例えば、ある地域を支配していた大国のプレゼンス(存在)がなくなり、そこにぽっかりと「力の真空」が生まれることがありますよね。この場合に「機会=隙」に乗じた野心的なアクターが、「あれ、これイケるんじゃね?」と楽観的な判断をすることで戦争が起きやすくなるわけです。

ロシアによる対日戦争(1904)、ドイツの対ロ戦争(1941)、金日成による朝鮮戦争(1950)、そして湾岸戦争におけるフセインの対米評価及びアメリカの対フセイン評価(1990)、サーカシュビリによるグルジア紛争(2008)が実例として挙げられます。


「脆弱性」におびえた戦争※4


もうひとつは、自国の安全が脅威にさらされていると怯えていたり、もしくは今の優位を近い将来に失うかもしれないという予感に耐えきれず武力行使に訴える場合です。「脆弱性を動機とした戦争(wars of vulnerability)」と呼ばれます。

脆弱性とは、対外的(国際政治)な脆弱性もあれば、対内的(国内政治)な脆弱性もあります。戦争は、外に向かって侵略的野心を持った国が「機会を動機」として引き起こすものだ、とばかり考えるのは間違いなのです。例えば、第一次大戦前夜の欧州。この時期、露仏への脅威を抱いていたドイツは軍備増強を進めていました。ロシアはこれに危機感を抱き、鉄道網を拡大しますが、ドイツにとってみればこれは対独戦争準備に映ります。ドイツが自分の戦略的脆弱性がますます高まっていると感じていた矢先、サラエボ事件でロシアがドイツ抑止のために陸軍を動員したことで、ドイツの不安は爆発。その結果、何もしないでいると敗北する恐れを感じたドイツが先制攻撃を仕掛けたのです。ドイツが開戦を決意した動機は、戦略的優位ではなく自らの戦略的脆弱性でした。

「脆弱性を動機とした戦争」の例は他にも、太平洋戦争、第3次・第4次中東戦争、そしてフォークランド紛争などで見られます。いずれも自分が相手に勝てると確信したからではなく、自分の国内外における戦略的脆弱性を相殺(または挽回)しようとして強硬な行動をとったのです。恐ろしいのは、その判断の多くは誤った楽観主義に由来するために、上手くいかない事例が多いところです。


戦争の可能性自体はなくならないが…


戦争の可能性をゼロにはできないですし、発生数そのものも減っていないかもしれません。しかしながら、人類が2度の大戦や数々の悲劇から何も学んでいない、と見るのは極論です。外交交渉の機会を増やすノウハウやエスカレーションを食い止めるメカニズムを機能させようという試行錯誤は続いてます。

例えば 危機管理 というモデルがあります※5。これは、戦争は計算された結果というよりも、政策の失敗によって起こることの方が多い点に着目したものです。政策の失敗がすぐさま戦争へとエスカレートしないために、「危機」という平時でも戦時でもないグレーゾーンを設け、この期間を利用して互いの誤解を解いたり、妥協点を探り合ったりすることで、多くの犠牲者を生む戦争を回避するのです。
危機管理
したがって、今回のウクライナの件を危機管理政策の観点から評価すると、一定の成功を収めていると言えるでしょう。

もうひとつ、過去から得られた教訓を挙げておきます。それは、対話 の重要性。第一次世界大戦やキューバ危機が私たちに教えてくれたものです※6。誤算や誤解によるエスカレーションを少しでも低減するために最も効果的な外交手段は、対話チャンネルを死守することだと個人的には思っています。

◇ ◇ ◇

軍事力は、平和を作りもし壊しもする両刃の剣です。軍事力をまったく保有していなければ、他者に侵攻の「機会」を与えます。他方、過剰な軍事力を持つと、侵攻されるかもしれないという恐怖に駆られた他者は「脆弱性」を感じることになります。ですから、機会に乗じた戦争を起こさせない程度に強く、脆弱さを感じさせない程度に弱い軍事力を保つことが理想なのですが、このような均衡点を維持することなどは不可能です※7。しかも、「機会」と「脆弱性」は相互に排他的ではありません。それぞれの割合は様々ですが、両立します。名誉・恐怖・利益が根源にありますから、これは自然なことです。今回のウクライナにおけるロシアの対外行動が良い例で、両者がない交ぜになってますね。「機会」と「脆弱性」のどちらか一方を封じれば戦争を抑え込めるということではなく、たいていの行為主体は両方の動機を抱いているものです。これが古代から現代まで戦争の危険性がなくならない理由です。

戦争は容易なことではなくなりません。だとしたら、戦争に用いられるからといって軍事力を全否定するのは、平和を希求する姿勢としては不誠実なものです。戦争を起こしづらくするための軍事力の役割についても、もっと積極的に考えていけたら、と思います。



注※1 トゥキディデスの『戦史』 〜成功体験が生む落とし穴〜(2012/9/17)
注※2 戦争を起こすのは「国民感情」(2013/7/17)
注※3 本当は怖いシビリアンの暴走 2013/2/9)
注※4 戦争の動機(2012/9/19)
注※5 武力行使は危機管理の失敗(2012/9/12)
注※6 キューバ危機に見る威嚇と譲歩のバランス、そして対話(2012/9/14)
注※7 安全保障のジレンマとか余分の安全などの問題があります。過去記事参照〜☆ドラえもんがいない世界でのび太は誰と組むべきか(2012/11/9)