『ドラえもん』は、安全保障問題を考える入り口としてなかなか優れた題材です。当ブログでも何度か『ドラえもん』の登場人物を国家に見立てて専門用語を説明させていただきました。


さて、札幌琴似工業高の川原茂雄教諭が伊藤絢子弁護士を招いて集団的自衛権を学ぶ授業を行い、その中で『ドラえもん』をメタファーにしたことが話題になっています。

「のび太が武装しても自分を守れるかな」(2014/7/19 朝日新聞)

川原さんと伊藤さんは、「ドラえもん」を例に話を進めた。米国は「ジャイアン」、日本は「のび太」。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認で「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」と胸を張ったが、「のび太が武装して僕は強いといっても、本当に自分を守れるかな」と川原さん。生徒はみな顔を上げ、考えこんだ。

勢力均衡論で見るか、脅威均衡論で見るかでドラえもんとジャイアンの捉え方は変わると思いますが、集団的自衛権の文脈でジャイアンを米国になぞらえるのはどうでしょうか。

ご存知のように、ドラえもんはのび太の世話係で同居人で友達です。かたやジャイアンの基本設定はいじめっ子で、のび太の直接的な脅威です。これを踏まえて、のび太を日本とすると、ドラえもんを同盟国である米国になぞらえるのは分かりますが、ジャイアンと見立てて議論するのは、のび太目線で考えると適切でない気がします。

そもそもドラえもんとのび太の関係は、集団防衛そのものみたいなところがあります。

信頼度の高い同盟関係
(藤子・F・不二雄、『ドラえもん 7巻』「タヌ機」147ページより。)

ふたりの関係は、同盟という観点から見て稀有なほど強固に機能しています。仮に、集団的自衛権に否定的な立場から論じたいのなら、成功例であるドラえもんとのび太の関係を引き合いに出すのはあまり効果的ではないかもしれません。

伊藤さんは「武装してけんかをするか、何も持たずやられるのか、選択肢は二つじゃないよね」と、話し合いでの解決法を示した。

選択肢が二つでないのはその通りです。ドラえもんがいるorいないで前提が変わりますし、ドラえもんがいないのなら、のび太が武装する(自主防衛)、スネ夫と二国間同盟または出木杉くんやしずかちゃんらと多国間同盟(バランシング/バックパッシング)、ジャイアンと同盟(バンドワゴニング/アピーズメント) などが考えられます(過去記事参照)。

話し合いでの解決も賛成です。当ブログでは、国際紛争において対話が重要であることをこれまでも繰り返し取り上げてきました。しかし同時に、『ドラえもん』に話を戻せば、ジャイアンに話し合いが通じる場面は多くありません。のび太は理不尽に漫画を取り上げられ、気分次第で殴られます。

ムシャクシャする
(藤子・F・不二雄、『ドラえもん 39巻』「さとりヘルメット」より。)

そう、相手は話し合いの通じない脅威なんです。そんな相手をどう抑止し、どう付き合うか、というところが『ドラえもん』からくみ取るべきところではないかと思います。

力と正義
(藤子・F・不二雄『ドラえもん 27巻』「10分遅れのエスパー」120ページより 。)

『ドラえもん』をメタファーに安全保障問題を考えるのは問題がないわけではありません。『ドラえもん』の世界はあくまでも個人のレベルであり、個人の心理的傾向を国家に投影することは注意が必要です。ある程度専門用語が理解できて、具体的な議論になれば、例え話はかえって本質を誤らせてしまいがちです。そうした点を意識しながら、あくまでも初歩の初歩として取り上げるのであれば、『ドラえもん』は優れた安全保障学の入門書になり得ると思います。